徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

四面楚歌ー裸の王様ー

2008-03-30 16:01:38 | 寸評

春風駘蕩、のどかな花霞の風景の向こうから、風に乗って聞こえてくる。
それは、呟きともぼやきともとれる、嘆きの声のようであった。
 「困りましたねえ」
孤立無援、日本国国家の最高責任者、裸の王様の声は枯れて、弱々しく、力がなかった。
聞こえてくるのは、幾度も聞かされた、この言葉ばかりである。
 「困りましたねえ」

先頃の、あるテレビ局の世論調査によれば、発足時60%あった福田内閣の支持率が24.7%にまで落ち込んでしまった。
これは、驚愕の事実である。
この内閣を支持しないと答えた人は、53.2%と言うから、これはもう政権の末期症状だ。
「死に体」内閣と言ってもいい。

国会が大きく揺れている。
自民党迷走、漂流する福田政権・・・。
年金、防衛省、日銀、暫定予算等々・・・、あまりにも失政、失策が目につくこの頃だ。
大新聞も、政府、内閣の明らかな無能、無策を真正面から叩いている記事にお目にかからない。

最近になって、道路特定財源の一般財源化が言われ始め、4月からガソリン代の25円引き下げは現実的となった。
25円安くなれば、これとて福田政権の無為無策に窮々としている国民からすれば、願ったりかなったりだし、車を足に使っている地方の生活者は大助かりである。
しかし、これだって衆議院で再可決をすれば、また値上がりすると言うではないか。
いくら憲法で保証されている手続きだからといって、あの奇策をまた使うというのか。
(町村官房長官は、下げた価格を、また値上げさせてくれなんて言っています!)
さあ、一体どうなるのだろう・・・。

国民はうんざりしている。
政権は脳死状態で、国会は機能していない。
世論調査を気にしていたら、政治なんか出来ないと権力者は平然と言ってはばからない。
東京都知事や、神奈川県知事までもが、吐き捨てるようにそう言っていたが・・・。
有権者をどう思っているのか。
「民意」はどうなるのだ。

この時期、国会を解散したり、総選挙に打って出たいと思っている与党議員は皆無だと言われる。
どうして、国民の声を聴かないのか。
国民の信を問わないのか。

道路特定財源と言うのが、政治腐敗の恐るべき元凶の筈だ。
与党の政治家(とくに道路族議員)は、選挙区に道路工事を引っ張ってくることで、地元企業にカネを使わせ、その企業から票とカネという、美味しい美味しい見返りを頂く。
道路役人は、その間に入って上手に立ち回り、道路関連企業に「天下る」わけだ。
だから、絶対にやめられないのである。
政治家への還流は、企業からだけではないようだ。
道路特定財源から、トラック業界の政治団体が、石原元国交相や古賀誠、二階俊博ら道路族に金が渡っていた実態も明らかになった。(赤旗)
要するに、あの手この手で、道路財源を食い物にしているのだ。
こうした「利権」のことなど、おくびにも出さない。
それで、福田総理までが、
 「道路特定財源を廃止すれば、2兆6000億円が予算から消えてしまう」
 「地方は、社会福祉や教育予算を削らざるを得なくなる」と言って脅し、暫定税率維持を頑として引っ込めようとはしないのだ。
そもそも暫定、暫定というけれど、34年も続いている暫定予算て何ですか。
責任は政府にあるはずなのに、都合の悪いことは野党になすりつける・・・?!
「暫定税率をこのまま続けて、道路整備に使うべきだ」と考えている人は、国民のわずかに9%で、大多数の人は反対しているのです。

・・・次から次へと、津波のように押し寄せる難題に、福田政権はアップアップしている。
政治家たちは、誰もが、いまこの国の国民生活の危機をどうするかより、自分たちの都合とか、党利党略しか頭にない。
無責任きわまりない、あきれた政権政党だ。

自民政権の評判の悪さは、いまに始まったことではない。
顔が悪い、口が悪い、性格が悪い・・・のだそうである。
幹事長、官房長官、総理大臣の三人が、距離を置いて、何やらお互いの顔色を窺っている様子がよく分かる。
しかし、腹の底は分からない。
話していることが、とてもいやみに聞こえることから、近頃では「イヤミ三兄弟」と言う人もいる。
これまでの、日本国の最高指揮官の政治判断に誤りはないのか。
あるとすれば、それを正そうとする人はいないのか。
頑迷固陋の人々よ・・・。

参議院の野党支配が続く以上、福田政権は追い込まれていく。
福田総理本人は、不退転の決意で、道路特定財源の一般財源化を表明したのだろうが、暫定税率廃止までは踏み込めなかったではないか。
民主党からは、何も評価されなかった。
それどころか、与党内から「首相の独走」」と、批判の声もわき起っている。
党内でも、裸の王様を露呈してしまった。
だって、幹事長は勿論、自民党の幹部でさえ、今回の福田総理の、会見の中身を知らなかったのだから無理もない話だ。
突然の、総理単独の会見に、「もしや辞任では?」と思ったが、そうではなかった。
福田総理の新しい提案で、事態が大きく動くわけでもなく、指導力のなさだけがクローズアップされる会見となってしまったようだ。
自民党内にも、「もう福田総理ではもたない」という空気も、急速に広まっているようだ。

ともあれ、ガソリンは値下がりして、また値上がりなどないように願いたい。
すべては、国会の怠慢である。
いまのままでは、希望は何も見えて来ない。
春の嵐が吹き荒れるだろう。

日本の空に映える、満開の桜はあんなにも美しい。
その桜も、散る時を、知っている・・・。


映画「マイ・ブルーベリー・ナイツ」ー失くした恋の味ー

2008-03-25 20:00:00 | 映画

フランス・香港合作のこの作品は、「欲望の罠」「恋する惑星」「天使の涙」「ブエノスアイレス」などのヒットで知られる、ウォン・カーウァイ監督の、文字通り甘やかな映画である。
あまりというか、いやほとんど縁がないが、これが、極上のスイーツのようなラヴストーリーという触れ込みだ。

二人の間を隔てる距離・・・、それは見た目には僅かでも、時として彼らの心はひどく離れている。
「マイ・ブルーベリー・ナイツ」は、その男女の距離を、様々な角度から描いている。

ひとつの恋を忘れて、さらなる次の恋への一歩を踏み出すためには、どれほどの「距離」が必要なのだろうか。
ジェレミー(ジュード・ロウ)との、新しい恋に踏み出せないエリザベス(ノラ・ジョーンズ)は、新たな自分探しの旅に出る。
そして、旅先で出会った人々から、前に進んでいく勇気をもらうのだ。
失恋から始まる、この果てしない旅路は、彼女を何処へ導いて行こうとしているのだろうか。

ニューヨーク、夜・・・。
失恋したエリザベスを慰めてくれたのは、カフェのオーナー、ジェレミーの焼く甘酸っぱいブルーベリー・パイであった。
それでも、別れた彼をエリザベスは忘れられないでいた。
彼が新しい恋人といる部屋を見上げ、エリザベスは旅に出る。

失恋して57日目、ニューヨークから1120マイル、彼女はメンフィスに居た。
そこで、エリザベスは、別れた妻への未練を断ち切れず、アルコール中毒になった男とその元妻に出会った。

失恋して251日目、ニューヨークから5603マイル、人を信じないことを信念とする、若く美しい女ギャンブラーと会う。
そして、彼女と共にラスベガスへ・・・。

彼らの人生を、自分の人生と照らし合わせ、エリザベスは考える。
人を愛すること、信じることって、一体何なのだろう。
・・・そして、彼女は気づく。
真先にそれを伝えたい相手が、遠くニューヨークにいるジェレミーであった。
 「あなたの作ってくれた、ブルーベリー・パイは世界一美味しい」
エリザベスは、一度はその地を離れたニューヨークに戻りたいと思い始めた・・・。

誰からも愛されず、ケースの中で憂いを帯びた、甘酸っぱいブルーベリー・パイ、その味は身に沁みるほどに切なく、忘れられない恋の味であったとは粋な演出である。
実は、ヒロイン・エリザベスを演じた、ノラ・ジョーンズの一番嫌いなパイが、ブルーベリー・パイだったことがきっかけだそうだ。
いかにも、ウォン・カーウァイ監督らしいユーモアが感じられる。

映画の冒頭のシーンで・・・。
エリザベスは、別れた恋人の家の向かいにあるカフェで、ジェレミーから、1ホール丸々と売れ残ったブルーベリー・パイを差し出された。
恋の痛みを引きずるエリザベスは、自分の分身のようなブルーベリー・パイを求めてカフェに通い、ジェレミーと語り合ううちに、彼と親しくなっていき、いつしか二人の間にはいい雰囲気が流れ始める。
普通なら、この辺りから二人の駆け引きが面白くなっていくところなのだが・・・。
ここで、彼女はジェレミーに何も告げずに、突如姿を消して、旅に出てしまうのである。

旅というのは、人の心に新しい何かを目覚めさせてくれるようである。
誰もが、自分の過去を知らない場所で、時間と距離を経るごとに新しい「自分」が上書きされていくのだ。
そして、距離が離れるほどに、甘い予感は現実となって近づき、痛めた心のきざはしに、「女性」の新たな勇気が腰を下ろして・・・。
ウォン・カーウァイ監督は、そのような「時間=空間」を創作してきたのかも知れない。

失恋からの、素直な立ち直り方マニュアルとして読み解けば、この作品 http://blueberry-movie.com/は、なるほどとうなずける映画である。
2007年、カンヌ国際映画祭のオープニングを飾った話題作で、主演はグラミー賞8冠のノラ・ジョーンズで、世界の歌姫が待望の映画主演デビューとなった。
共演は、全員がアカデミー賞の受賞者と候補者で、ジュード・ロウ、ナタリー・ポートマン、デイヴィッド・ストラザーン、そしてレイチェル・ワイズということで、その華やかなコラボレーションを、十分に楽しめるかも知れない。


「猫屋敷の老人と花屋敷の夫人」ー愛しきものー

2008-03-23 17:00:01 | 日々彷徨

その道をはさんで、その家はあった。
南側に面した広い庭には、ヒヤシンスや桜草、デイジー、パンジーと一面の菜の花等、多くの春の花々が咲き乱れていた。
女主人は、毎日その庭の手入れをしていた。

その斜め向かい側の家には、十一匹の猫が飼われていた。
はじめは二匹だったが、次第に野良猫が集まってくるようになって、大所帯になってしまった。
老主人は、数年前に夫人を亡くしてからずっと一人暮らしを続けていて、大変な猫好きで、庭先の植木をいじりながら、日向に寝そべる猫たちによく餌をやっていた。

近くの人たちは、いつの頃からか、この家のことを花屋敷、猫屋敷と呼ぶようになった。
天気の好い日には、花屋敷の夫人はいつも花に水をやったりして、余念がなかった。
夫人は気品があって、優しそうな笑顔の絶えない、近所でも評判の女性だった。

道を隔てて向かい合う両家には、垣根はあったが、塀らしきものはなかった。
だから、その道を通る人たちは、花屋敷の庭や、猫屋敷の子猫たちを垣根越しに見て、いつも何となく心が癒されるのであった。

その花屋敷の花壇に、いつからか、向かいの猫屋敷の猫が入ってくるようになった。
猫たちは、居心地のよい花壇を駆け抜けたり、戯れあっているうちに、辺りに糞尿をするようになったから大変だ。
夫人は困り果てて、進入予防のための猫の顔を書いた木札を立てたりして、いろいろ工夫したがあまり効果がなかった。
彼女は、親しい人にこぼすようになった。
 「前の家の猫がいつもやって来て、困ってしまうわ。・・・もう、あとが大変なの。汚いし、何と言っても匂
 がたまらないわ」
猫は、わざわざ移動してきて、花壇の中で寝そべったり、走り回ったり、挙句のはてには汚物を撒き散らすものだから、それはもうたまったものではない。
見かねた隣家の主人が、夫人に言った。
 「前の家の人に、言ったらいいですよ」
 「いいえ、そんなこと、とても・・・」
 「いやぁ、言ったらいいんですよ。何でしたら、私が言ってあげましょうか」
 「いえ、それはやめて下さい。きっとトラブルになりますもの」
夫人は、猫屋敷の老人が気難しい人だと聞かされていたのだった。
 「だって、奥さん、このままでは・・・」
 「ええ・・・、そうですけど、自衛するしかないわよね」
万事に控えめな夫人は、あまりことが大きくなることを好まなかった。

ある時、猫たちが花壇の中に入っているのを見つけて、彼女が一生懸命に彼らを追い払っている様子を、向かいの家の二階の窓のカーテン越しに、じっと見ている人影があった。
猫屋敷の老主人であった。
彼は、自分の飼っている猫たちが、時々前の家の花壇に群れをなして入ってゆくのを知っていた。
でも、見て見ぬふりをしていた。

猫屋敷の老人は、大の猫好きらしく、猫が増えてもお構いなしであった。
この家にくれば、餌に不自由しないと知った野良猫が、どこからともなく集まってきた。
 「猫の餌代が、毎月大変なんだよ。勿論、俺の食い扶持以上だからね」
会う人ごとに、そう言って彼は豪快に笑った。
近所の人たちも、猫たちが前の家の花壇にしょっちゅう出入りしていることは知っていた。
最近、誰ともなく言うようになった。
 「お庭の綺麗なお花を見ているのに、何だかとても臭いの・・・」

猫屋敷の老主人と花屋敷の夫人は、毎週のゴミ出しの日の朝に、嫌でも出会ってしまうが、お互いに顔を見合わせず、挨拶も交わさない。
あくまで他人である。
ご近所も、知っているらしく猫のことは誰も話さない。

時々、幼い子供たちが、猫を見たさに猫屋敷の前にやって来る。
生まれたばかりの子猫が、子供たちに懐いている。
そこへ、買い物帰りの主婦が立ち止まると、猫は主婦の足元にまとわりついてきた。
老主人が出てきて言った。
 「可愛いでしょう、この子猫・・・」
 「そうね。でも、猫って慣れないとじいっと人のこと睨んで、さあっと逃げるでしょ」
 「うん、まあ知らない人だとね、警戒するんですよ」
 「懐いてくれば、可愛いことは可愛いけど・・・」と言ってから、
 「でも、よその家の庭にまで入っていくのは困り者ね」とたしなめた。
 「そのへんは、こいつらによく言ってるんです。あちらの家に入るんじゃねえぞ、ってね・・・(笑)。殴った
 り、 ひっぱたいたりは出来ないしね。そんなこと、可哀想だものね」
 「猫がたくさん増えてきて、大変ねえ?」と、主婦は笑いながら言った。
 「まあ、大変は大変さ。でも、こいつら、誰かが見てやらなければ、結局殺されちまうもの。こうして見て
 いるとね、可愛いんだよねえ。まるで自分の子供みたいに・・・」
 「・・・」
 「奥さん!近いうちにまた生まれるんですよ、子供が・・・。よかったら、あげますよ」
 「ええっ・・・!」
彼女は、慌てて首を横に振った。
先ほどまでいた、子供たちの姿はもうなかった。
何事もないかのように、猫屋敷の猫たちは、老人の足元で幸せそうにじゃれあっていた。
 
その時、向かいの花屋敷の夫人が玄関の前に立って、こちらをじいっと見ているのに、二人は気づかなかった。
夫人には、話の一部が聞こえていたようであった。
彼女は、一瞬その美しい顔を曇らせ、唇をゆがめ、よく晴れた青空を見上げて、大きく溜息をついた。

 


映画「ノーカントリー」ー病める国、悪の不条理ー

2008-03-19 15:00:00 | 映画

繚乱として花咲き群れる春には、申し訳ないような漆黒の映画である。
何はともあれ、話題作なのでお許し願って・・・。
アメリカ映画「ノーカントリー」は、アカデミー賞受賞作と言うことで、一応世評は高い。
いろいろな媒体の批評も絶賛の嵐だ。
人間の可笑しさや哀しさを描き続ける、異才ジョエル・コーエン&イーサン・コーエンの兄弟監督は、独特の視野から、病める現代のアメリカを浮き彫りにする。

これは、「悪」の映画だ。
原作は、アメリカ現代文学を代表する作家コーマック・マッカーシーの「血と暴力の国」で、この作品に登場する殺し屋を「純粋悪」と呼んでいるそうだ。
「悪」は「悪」でも、恨みとか強欲といった理由を伴わない「悪」があって、それをこのように言うのだ。
この作品の中の人物たちの死は、すべて「純粋悪」による、突然の、不慮の、まことに不条理な死として描かれる・・・。

80年代の、アメリカ南部の町テキサス・・・。
狩りをしていて、偶然大金を見つけたベトナム帰還兵の男(ジョシュ・ブローリン)が、その金を持ち去ったことで、運命が大きく変わり始める。
それは、麻薬がらみの危険な金であった。
保安官(トミー・りー・ジョーンズ)や殺し屋(ハビエル・バルデム)らが動き出し、追う者と追われる者のスリリングな物語が展開していく。
彼らの行く先々には、無数の死体が転がり、無残な暴力シーンが続く。
突如として現れる、血と終わりのない痛ましい暴力に、アメリカの現実が重ね合わさるかのようである。


殺し屋を演じる、スペインの名優ハビエル・バルデムが一人異彩を放っている。
コインの裏と表で殺しを決め、残虐でいて礼儀正しい(?)振る舞いが、何とも不気味だ。
エアガンのような酸素ボンベを携えて、次から次へと殺人を重ね、無表情に、冷徹に歩く姿にはただならぬ存在感がある。
悪なのか、神なのか。
彼は、これでアカデミー賞・助演男優賞を受賞した。
これはもう、文句なしに納得である。
三者三様の追跡、逃走劇は、人間の無力、愚かさ、不抵抗の運命を残酷に描き出している。
静寂の中に漂うのは、異様なまでの緊迫感だが、これがアメリカのアカデミー賞なのか。

率直なところ・・・。
見ていても、あまり血が騒がない。
意外に冷静だ。
情にも訴えてこない。
さしたる感動もない。
現代社会へ、何やら訴えかける社会派的テーマも、どこか中途半端で鬱陶しい。
愚かな人間の、「無意味」の「意味」を見据える、神の目線がどこかにあるというのか。
コーエン兄弟の才能や意欲は十分に認めても、人間臭さのおよそ感じられない映画だ。
それは、作る側と見る側との、微妙な距離感のせいなのか。

この作品を見ていて気づいたのだが、どうもサウンドトラックらしきものがない。
通常の映画では、音楽がシーンを盛り上げたり、登場人物の感情を表現したりするのに、大きな役割を担うことが多い筈だ。
ところが、コーエン兄弟は全く逆の発想でこの作品に臨んでいて、全編を通して音楽を一切排除し、台詞までも限りなく抑制している。
人の足音、銃の引き金を引く音、摩擦音といったリアルな音を強調し、観客が耳で聴いている音をそのままスクリーンで観るという体験をさせる。
作品のいたるところに出てくる、酸素ボンベのような武器の発する<プシュ-~>というサウンドは、背筋が凍るほどにおぞましく、リアルである。

オスカー主要四冠(作品賞、監督賞、脚色賞、助演男優賞)の話題作だが、どこまで観客を動員することが出来るか。
助演男優賞のハビエル・バルデムは、おかっぱ頭の奇怪な殺し屋に扮して、邪悪の化身を演じたが、役者もここまで変るものかと驚いた。
日本公開に合わせて来日した39歳のバルデムは、記者会見でこんな風に言っている。
 「監督たちから求められたのは、単なる異常者ではなく、恐ろしさを感じさせる、理解不明な存在を演じ
 ることだった。監督たちは、単純に原作が気に入っただけさ。」
そうか、なるほど、やっぱりそうだったのかと思った。

荒野の孤独と漆黒の恐怖、そして悪の不条理を映し出す、これも一編の「アメリカ映画」には違いない。
アカデミー賞となれば、アメリカの権威の象徴だ。
勿論、その権威には、一目も二目も置く。
・・・しかし、映画「ノーカントリー」( http://nocountry.jp を見終って、寒々とした虚無の残像以外に、感動を呼ぶものは何もなかった。


映画とトークショウー 「夕凪の街 桜の国」ー

2008-03-17 06:00:00 | 映画

こういう映画だからこそ、日本から世界へ発信したい。
佐々部清監督は、上映後のトークショウでも、敢えてそう言い放った。
それは、人生の愛おしさであり、温かい命の尊さなのであった。
 ・・・生きとってくれて ありがとう・・・
 ・・・生きとってくれて・・・

広島の原爆投下から十年後と、現代とに生きる二人の女性を通して、現在までに至るあの原爆の影響を描いた、こうの史代原作 「夕凪の街 桜の国 」は、映画化の難しい題材だった。
製作者の誰もが背を向ける中で、佐々部監督は、この作品の映画化に果敢に挑戦した。
監督は、「半落ち 」(日本アカデミー賞最優秀作品賞)、「 出口のない海 」など、人間と家族の思いを見つめ続け、情感溢れる作品群を生み出してきた。

昭和33年、戦後の復興の進む広島で、皆美(みなみ/麻生久美子)は、母親フジミ(藤村志保)と、貧しくも平穏な暮らしをしていた。
弟の旭(伊藤充則)は、戦時中に水戸へ疎開し、そのまま叔母夫婦の養子になっていた。
皆美は、会社の同僚打越(吉沢悠)から愛を告白される。
しかし、原爆で自分が生き残った罪悪感に苦しんでいる皆美は、幸せに素直に飛び込んでゆくことが出来ない。そんな皆美の想いを、打越は優しく包み込んでいくのだったが・・・。

皆美の問いかける言葉は、重く響く・・・。
 「私、生きていていいのでしょうか」
この言葉の裏には、ひたひたと打ち寄せる、あえかな哀切がにじむ。
それは、まるで慈悲か救済を求めているかのように・・・。
主人公に語らせる、ずしりと身にしみる一言である。

平成19年、夏の東京・・・。
定年退職した旭(堺正章)と一緒に暮らす娘七波(ななみ/田中麗奈)は、父親旭の最近の行動を気にかけていた。彼もまた心に深い傷をもっていた。
今夜も、一人家族に内緒で出かけていく彼の後をつけてみると、深夜バスの着いた先は広島であった。
七波は、広島で、父旭が立ち寄る先々や、会う人々を遠目にに見ていくうちに、亡くなった祖母フジミや伯母皆美への思いをめぐらせていく。
そして、七波は家族や自分のルーツをたどりつつ、広島でのかけがえのない時間を過ごしていく。

・・・現在と過去が交錯し、その回想の中に、何気ない日常生活、家族や恋人との愛にあふれた人生から感じとれる、温かな命の尊さと歓び・・・、そして平和への願いが紡がれる。

原作は漫画なのだが、それをもとに脚色された台詞の一言一言には重いテーマが宿る。
佐々部監督は、演出にあたって、出演者に、どんなに悲しい台詞であっても絶対に涙を流さぬように異例の注文をしたそうである。
それでも、出演者たちは、監督のこの注文を完全に守ることが出来なかったと言う。
(これは、トークの中でも佐々部監督が話していた。)

映画終演となって、満員の会場で佐々部監督のトークショウは、とにかく大変な盛況であった。
(実は、自分も監督のトークを聞きたかった一人なのだが・・・)
話は30分に及び、撮影の苦心談やエピソードが披露された。
監督は、終始熱っぽく自分の作品を語った。
好感のこもった饒舌であった。
 「私は、日本人の、日本人のための映画を作りたい。外国に発信出来るような大きな映画を作ろうとは
 思わない。それが、私の信念なのです。
 しかし、この作品だけは別なのです。どうしても、これだけは世界へ発信したかった。そうしなければい
 けなかった。日本から世界へ伝えたかったのです。
 まあ、いろいろありましたね。
 夏の盛りの撮影でしょ、桜の国と言ったって、当然桜の花なんかないわけですよ。
 困りましたねえ・・・。合成写真なんか使ってね。
 一番困ったのは、お金(制作費)が集まらなくてね、いやもうこれは大変だったんですよ。」

あの広島の悲惨から、すでに六十有余年・・・、誰かが語り継がねばならない事実である。
文化庁メディア芸術祭大賞を受賞した、昭和からのメッセージだ。
映画 「夕凪の街 桜の国 」 ( http://www.yunagi-sakura.jp/ )は、被爆者の目を通して描かれているが、いまや被爆二世三世の時代となって、これは、反戦、核戦争への静かな警鐘でもある。
心の癒される音楽がいい。


 


元気な小父さんー歩け、歩けー

2008-03-12 12:00:00 | 日々彷徨

春はあけぼの・・・。
まだ日の出前、小川沿いの道を小父さんは早足で歩いている。
日課のウォーキングは欠かしたしたことがない。
「元気小父さん」と呼ばれている。

御年80歳と言われているけれど、どう見ても60代前半にしか見えない。
背筋はまっすぐだし、いつも若々しい。
手を大きく振り、歩幅も一杯にとって、颯爽と歩いている。
だから、お爺さんではない。小父さんなのだ。

その小父さん、近所の人に呼び止められて、立ち話・・・。
 「あら、お早う。いつも早いわね」
 「はい」
 「いつも、お元気ですね」
 「まあ、おかげさまで・・・。風邪ひとつひいたこともありません」
 「いいわねえ、健康で」
 「一時、ジムやプールに通ったこともあるんですけどね」
 「そうですか」
 「でもね、やめたんです。つまらなくてね。ああいうの、あまり面白くないんです」
 「だけど、皆さん楽しそうじゃありませんか」
 「いやあ、私には合いません。何たって、歩くのが一番合ってます」
 「そうね。歩くのも楽しいわよね」
 「楽だしね。歩いてると、いろいろなものが目に入って楽しいんです」
小父さんは、まるで元気の秘訣は歩くことだと言わんばかりだ。
 「私はね、病気って、この年になるまでしたことがないんです。薬の世話になったこともね。だから、病
 院にかかったこともないしね」
 「え~っ、本当ですか」
 「本当です。皆さん、不思議に思うらしいけどね」
 「信じられないわ・・・」
 「・・・でしょう?」
 「でも、私みたいな人、結構いますよ」
 「へえ~!」
 「まあ、年のせいで少し腰痛が出てきました。それと目がねえ、どうも悪くなって・・・」
そう言って、小父さんは少し咳き込むように笑った。
その笑顔が、少年のように見えた。

いまどき、こんなに元気な人もいるのだ。
運動は歩くことだそうだ。
歩いたあとは、家に帰って玄米の朝食をもう30年も続けていると言った。

この小父さん、乗り物の車内でも立っていることが多い。
空いている電車やバスでもそうである。
だから、そうでなくても人が席を譲ってくれるのを、いつもやんわりと断ることにしている。
駅の階段は、歩いて上がり降りする。エスカレーターは決して使わない。
デパートやスーパーでも、必ず階段を使う。
それも、あの有名な96歳の日野原重明さんの真似ではないが、階段だって二段跳びで上がって行くのだから、大したものだ。
いつだったか、エスカレーターに乗る同行の人とは別に、駅の階段を先に上がりきって、その人を待っていたこともある。
 「早いですねえ」
 「早いでしょ、歩いたほうが・・・」
 「参ったなあ」
 「バスもね、なるべく乗らないようにしてます。天気の好いときはね、歩くんです。歩くに限りますよ。そ
 れが一番です。このあいだもね、バス停の始発から終点まで歩きましたよ」
小父さんの元気の源が分かった。
鎌倉は勿論、丹沢、箱根、富士山まで、近いところへは今でもよく一人で出かけるらしい。
散歩帰りの夕方は、立ち飲みの居酒屋でちょっと一杯やることもあるそうだ。
夜は夜で、寝る前に好きな焼酎を一杯・・・。
煙草は、百害あるのみだからとやらない。家には灰皿はない。

その元気小父さんと顔見知りになっても、お互いに名前も知らない。
その小父さんと、JRの駅前でたまたま会った。
どこかへ、お出かけの様子だった。
 「今日は、お出かけですか」
 「はい。今日はね、ちょっと東京まで。いやなに、ほんの散歩ですがね」
 「お散歩?」
 「なにね、久しぶりに東京見物です」
 「東京見物?」
 「ええ、東京タワーからね」
 「東京タワーですか」
 「なんか子供みたいでしょ。たまにはいいかと思って・・・」
小父さんはそう言って、また少年のように笑った。
 「今日はね、それも上まで歩いて上るんです」     
 「歩いてですか」
 「階段をね、600段です。歩いてですよ・・・。春風に吹かれながらね」
 「えっ、階段をですか。展望台まで・・・?」
 「そうです。上りきると認定証をくれるんです」と言って、私の顔をまじまじと見つめ、
 「そうだ!どうです、よかったら一緒に行きませんか?」
 「・・・!」

  


「ヒトラーの贋札」ーアカデミー賞外国語映画賞ー

2008-03-09 18:00:09 | 映画
どうやら、本格的な春の訪れですね。
春風に誘われて、鑑賞した映画だ。

・・・生か、死か。
完璧な贋札、それが自分たちの命を救うのか。
それとも奪うのか。

1958年、オーストリアのトプリッツ湖から、大量のポンド紙幣が見つかった。
引き上げられた、9つの木箱の中には、贋札や、印刷原版、工具、機密文書が入っていた。
ポンド紙幣は、額面1億3460万ポンドであった。
そして、それは、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツが、イギリス経済の混乱をねらった「ベルンハルト作戦」のもと、ザクセンハウゼン強制収容所の紙幣贋造工場で作られたものであることが判明した・・・。
この歴史的事実が、一般に知られるようになったのは、それからである。

ドイツ、オーストリア合作、ステファン・ルツォヴィッキー監督のこの作品「ヒトラーの贋札」は、今年のアカデミー賞外国語映画賞を受賞した。
物語は、ナチス・ドイツの史実をもとに、ドラマティックに、スリリングな展開を見せる。

・・・第二次世界大戦終結の直後、モナコ・モンテカルロの一流ホテルに、みすぼらしいスーツを着ている男ソロヴィッチが入ってくる。
その手には、札束が一杯詰まったスーツケース、腕には強制収容所の囚人番号の刺青があった・・・。
この物語は、さらに1936年のベルリンにさかのぼって、そこから本編ははじまるのだが・・・。

強制収容所の中で極秘に行われた、史上最大の紙幣贋造「ベルンハルト作戦」、そこには憎むべき敵ナチスに協力せざるを得なかった、ユダヤ人技術者たちの苦悩と葛藤があった。

この驚くべき事件について、贋札が主にドイツのスパイ活動に使用されていたことから、これまでもナチス側からの視点で語られたことが多く、ユダヤ系技術者の視点から描かれたものは少なかった。
彼らが、どのようにこの作戦に参加させられ、どんな思いで贋札作りを行っていたか。
実際に、強制収容所で紙幣贋造に携わった、印刷技師アドルフ・ブルガーの著書「ヒトラーの贋札」をベースに映画化された。
当時の印刷技術や、贋札作りの工程を忠実に再現しながら、物語を仕上げている。

贋札作り・・・、作らなければ死、作ればそれは家族や同胞への裏切りとなる。
国家による、史上最大の紙幣贋造事件に隠された、まことに重い歴史的事実が、明日さえ知れぬ、生と死に向き合う極限状況の中で語られてゆく・・・。
強制収容所に送り込まれてきた、世界的な贋造犯通称サリーことソロヴィッチ(カール・マルコヴィクス)、印刷技師ブルガー(アウグスト・ディール)、画学生コーリャらユダヤ系の技術者たち・・・。
サリーたちの命をかけた贋札作り・・・、自分の命か、それとも正義を全うするか。
贋札は、命じられた期限までに完成できない場合は、見せしめに5人を殺害すると通告される。
それでなくても、情け容赦なく、収容されている囚人が、毎日のように、今日も一人、明日も一人と銃殺されていくのだ。
死と隣り合わせの毎日が続く。
恐怖と絶望・・・、そうした中で、この驚愕の物語は緊張を高めつつ、当時の人間関係を掘り下げていく。


1944年当時のナチス・ドイツの「ベルンハルト作戦」にもとづいた、この大変興味深い作品、「ヒトラーの贋札」( http://www.nise-satsu.com/は、過酷な運命のもとで、いかに多くの人間が死んでいったか、その中で何故自分だけが生き残って、もっと出来ること、或いはやらなければならなかったことがあったのではないか、そういう問題を抱え続けて生きる主人公の生き様を強く訴えているようだ。

作品の中の、贋札工場の指揮官は果たして殺人者だったのか。
それとも救世主だったのか。
作業員たちの置かれた状況を、どう解釈するか。
この辺りに、この映画のテーマが浮き彫りされているようだ。
ルツォヴィッキー監督は、「私にとっては、こんな事があったのかと怒りを抱かせるだけの映画作品では足りない。だからと言って、強制収容所の日々の恐怖を描く勇気はとてもない」とも語っている。
そこには、現代に通じる普遍的な問いかけがある。
勿論、「ベルンハルト作戦」については、この映画に描ききれない多くの歴史的事実もある。
登場人物の心理、苦脳の更なる内奥にもっと切り込んで欲しかった言うのは酷だろうか。
この映画、それでも久々の秀作である。

世界には、多数の餓死していく人々がいる。贅沢な休暇を満喫している人々がいる。
世界中に苦しみが満ちている中で、豊かで保護された生活を楽しんでいる人々がいる。
                                       (ステファン・ルツォヴィッキー)


映画「ここに幸あり」ーユーモアとペーソスー

2008-03-06 16:30:00 | 映画

生きていることの幸せを、ノンシャランと描く人間賛歌・・・、そんな映画だ。
人生を、ちょっとお休みしましょうか、なんて・・・。
思いがけなく訪れた、自由気ままに生きる人生の「休暇」に気づいて、はじめて本当に生きる豊かさと生きる歓び・・・。

「月曜日に乾杯!」で知られる、オタール・イオセリアーニ監督・脚本・出演のこの映画、お金や物や肩書きだけが人生じゃない、本当の豊かさはもっと別にあると言いたいのだろう。
いま、物はあふれ、情報は氾濫し、慌しい時代だからこそ、人と人との結びつきが大切なことを訴えて、どこかほのぼのと楽しい、それでいて不条理を笑い飛ばす愉快さがある。

・・・初老の男たちが集まって、にぎやかである。
そこは、棺やさんなのだ。
何時の日か、自分たちがおさまれる棺を、にこにこ笑いながら、真剣にしかもユーモラスに品定めをしている冒頭のシーンにまず驚かされる。
これはまた、何という意表をついた演出だろうか。

現代のフランス、パリ・・・。
或る日、政治家のヴァンサン(セヴラン・ブランシェ)は、不当解雇をめぐる民衆のデモがきっかけとなった発言がもとで、突然大臣の職を追われ、仕事とお金を失った。
失脚した彼に、妻は愛想をつかし、ヴァンサンは住む家も追われて、何もかも無くなった。
その替わりに、大臣として働いていた頃にはなかった「自由」を得た。

わずらわしい「しがらみ」から開放され、昔住んでいた場所に帰って、なつかしい旧友たちと再会し、酒を飲み、歌を歌い、音楽を奏で、語り合い、心優しい女性たちとも出会って、ヴァンサンの心は癒されてゆくのだった。
政界にいたヴァンサンを知る人は、彼の変わり様に驚いた。
 「ヴァンサン、どうしたのだ。平凡な人間になってしまったな」
ヴァンサンは答えた。
 「そうじゃない。やっと、人間になったのさ」

ヴァンサンは、生きていることの尊さに気づいたのだ。
 「この世の中は、つらく厳しいことばかりだが、生きていれば、それだけで幸せだ」
平凡だが、しかし非凡な想いも伝わってくる。

人間、果たして、何を称して幸せというのだろうか。
この映画、確かに現代という不安な時代の、一種の寓話だ。
ひとつの「生き方」を、イオセリアーニ監督は教えてくれているようだ。

世界的名優の誉れ高い、「美しき諍い女」のミシェル・ピコリが、ヴァンサンの母親役として出演しているのも見所だ。
でも、この人当然声は男だし、どう見ても女性には見えなかった。
かえって、滑稽な驚きであって、もしかすると敢えてそれを承知の演出ではなかったのか。

・・・舗道を歩いているヴァンサンの頭上に、汚物が降ってきて、それを見ていた赤毛のロシア女マチルド(リリ・ラヴィナ)が声をかける。
 「体を洗い流したいだろ?」
そう言って、マチルダは自分のアパートヘヴァンサンを誘い、シャワーを貸してくれた。
マチルドの部屋は居心地がよくて、隣からはピアノの音が・・・。
その音色に聞きほれたヴァンサンは、一輪の花をそっと窓から投げ込む。
その窓から顔をのぞかせたのは、かってヴァンサンが大臣だった頃、庁舎に勤めていた掃除婦であった。しかし、彼はそのことに全く気づいていなかった・・・。

オタール・イオセリアーニ監督は、旧ソビエト連邦グルジアの生まれで、フランス文化省に籍を置いていたことがある。
彼は、その時に、国を動かしている人間についての映画を作ろうと思ったと言う。
この作品「ここに幸あり」( http://sachiari.jp/ )は、フランス・イタリア・ロシア合作、マルデルプラタ映画祭審査員特別賞受賞、ローマ映画祭コンペテイション部門出品作と言うふれこみである。
見終わっても、何やらくすくすと可笑しく、ほっこりとぼけた、ユーモア漂うシーンのひとつひとつに、さりげない人生の哲学が散りばめられているような・・・。

 


 


ー明るくなった地下鉄ー

2008-03-03 16:00:00 | 日々彷徨

何だか、このところ急に春めいてきた感じだ。
三寒四温とは言うけれど、ずいぶん寒い日が続いたし、そろそろ、寒さとは決別したい・・・。
でも、そうは思ってみても、冬着はまだ片付けられない。

ところで・・・。
しばらくぶりで乗ったせいかも知れない。
横浜市営地下鉄の車内が、以前よりずっと明るくなったような気がするのだ。
車両の内外の模様、内装なども、この数ヶ月の間にいろいろと変った。
車内も、ずっとモダンになったような気がする。感じも数段よくなった。

駅々には、「ホームドア」が設置され、乗客の安全が損なわれないように配慮された。
酔っ払って、ホームから転落する事故はまず心配ない。
電車はワンマン運転となって、車掌はいなくなった。
以前は車掌がいて、笛を吹いてから車両のドアを閉め、発車していた。
それが、今は発車メロディーに変った。去年の11月頃からだそうだ。

「ホームドア」の設置で、年間1億円の維持費がかかるそうだが、車掌の人件費約9億円が大幅に削減され、差し引き約8億円の経費が節約できることになったのだ。
巨額の赤字にあえいでいた、市営地下鉄の取り組みは始まってからまだ日は浅い。
それでも、ここに来て少しずつではあるが、5億以上の赤字も日に日に解消の傾向で、その効果が現われ始めている。
横浜市の努力が見える。

車内は全車両が優先席となって、高齢者や弱者へもやさしい気配りが感じられる。
従来の婦人専用車は、勿論そのままだ。
乗客の、電源の入った携帯電話の持ち込みも禁止された・・・。

混んでる車内で、中年の女性が座っていた。
途中の駅から、かなり高齢の老婦人が杖をつきながら乗ってきた。
老婦人は、中年の女性の前に立って、片方の手でつり革につかまった。
と、その時、何が起こったか。
いやいや、驚きです。
見てしまいましたよ。
それまで、目をぱっちり開いていた中年女性が、何と居眠りを始めたのだった。
滅多に、お目にかかれる光景ではない。
でも、あるんです。こういうことって・・・。
誰も、本当に寝ているなんて思ってはいない。
凄い度胸だ!
見かねて、すぐ隣の席に居た男性がさっと立ち上がって、老婦人に席を譲った。
 「どうもすみません。有難うございます。」
老婦人は、小さな声で礼を言い、何度も頭を下げた。
老婦人は、居眠り(?)を決め込んだ女性の隣に腰をかけて、ほっとした様子だった。
中年の女性は、次の次の駅でぱっと目を覚ますと(?)、わき目も振らず、そそくさと降りていった・・・。
見ていた乗客は苦笑していた。
モダンな車両に替わっても、乗客のマナーはどうしたものだろう。

平成11年、当時の高秀市長によって導入された、横浜市の「敬老特別乗車証」も、高齢化社会にあって、市民、とくにお年寄りに好評である。
ただ、市の財政の苦しい台所は悲鳴をあげており、「治に居て乱を忘れず」のたとえもあることだからと、存続を望む市民の声の多い中で、止めてしまえと言う廃止論がないわけではない。
今後の議会で、どういう結論になるか、不透明な部分を残していることも確かだ。

それはともかくとして、「人と暮らしをつなぐ」を合言葉に、「人に優しい市営地下鉄」を目指して、鉄道ネットワークも拡大されようとしている。
今月30日に、市営地下鉄の新線グリーンラインが開業し、JR横浜線中山と東急東横線日吉の間13キロが結ばれる。
さらに、平成20年6月には、東急目黒線も日吉まで延伸されると言うから、横浜北部と都心がぐっと近くなり、市北部に住む人々にとっては一段と便利になることだろう。


映画「眉山」ーいま明かされる母の真実ー

2008-03-01 18:00:00 | 映画

まことにおそまきながら、去年公開の映画、「眉山」の話・・・。
シンガーソングライターさだまさしが、長い間見つめてきた楽曲や、小説で描いてきた故郷への熱い思い、親子の絆という、人間の普遍的なテーマが根底に流れている。

眉山と言えば、徳島・・・。徳島と言えば、毎年8月の阿波踊りである。
眉山も、阿波踊りも、残念ながら本物は見たことがない。
この作品では、14000人ものエキストラが集合し、本物さながらの阿波踊りのシーンを、スクリーンに再現して見せた。
まさに、本場の熱気をスクリーンで体現する・・・。

犬童一心監督のこの映画は、「北の国から」のテーマ曲など、国民的なスタンダードナンバーを数多く生み出し続けてきた、さだまさしが書き下ろした、10万部を超えるベストセラー小説が原作である。

東京の旅行代理店で働く主人公咲子(松嶋菜々子)が、病に倒れた母を看病するため徳島に帰郷する。
正義感に強く、情に厚い母龍子(宮本信子)は、自分が亡くなったら、献体(医大生の解剖実習のために自分の遺体を提供すること)をすることも、一人娘の咲子に何ひとつ相談しないで決断してきた。

咲子は、担当医から、母が末期がんだと知らされ、愕然とする。
残された時間は僅かだった・・・。

その母に、咲子のいまだ知らない、過去の秘密があった。
咲子は、会ったことのない父は実は生きていて、そこには、父と母の切なく苦しい真実の恋のあったことを知ることになる。
母の死の時が近づいて、咲子は、母と父が果たせなかった大きな願いをかなえるため、病床の龍子を阿波踊りへと連れ出すことにするのだった。

・・・娘だから聞けなかった。
母だから言えなかった。
そして、今、私は母の想いにたどり着く・・・。

やがて解き明かされてゆく、秘められた過去・・・。
咲子が、三十二年間も封印されていた、母の想いにやっとたどり着いて、本当に大切なもの・・・、家族、恋人、そして故郷を愛しく思えた時・・・。
徳島の街が、熱狂の渦となる阿波踊りの夜に、温かな、感動の奇跡が起こる・・・。

この映画「眉山」 http://bizan-movie.jp/index.html )は、さだまさしの原作に負うところが大きい。
宮本信子の見せる、感情を揺さぶる演技が特に光っている。
この作品、見た人は多いのではないだろうか。