徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「ラブストーリーズ エリナーの愛情/コナーの涙」―揺らぐ孤独な男と女の心―

2015-02-28 18:15:00 | 映画


 心に傷を負った一組のカップルの、別れから再生までを、男と女それぞれの視点から映し出すという、大胆な発想から生まれた二部作である。
 作品はそれぞれが独立しているから、違いは二作品を観ないことにはわからない。
 計算され尽くした緻密な演出で、ネッド・ベンソン監督は、ここに終わることのない愛の物語を構築した。
 男は女に、女は男に、それぞれが自分自身を重ね、合せ鏡のように、初めて男と女の心の中を知るという実験的な作品である。
 言ってみれば、ひとつの愛から生まれる二つの愛の物語なのだ。











男にわからない女の秘めた想い・・・。

エリナー(ジェシカ・チャステイン)は、初めて長い髪をバッサリと切った。
大学に聴講生として通い始めた。
ニューヨークのウエストポートにある実家の家でひとり過ごしている彼女に、コナー(ジェームズ・マカヴォイと過ごした楽しい思い出がよみがえってくる。
彼と暮らしたニューヨークのアパートを離れて、もうどのくらいになるか。
二人の間に生まれた幼い子供を失ってから、エリナーは自分だけが悲しみを抱えているように感じていた。
そして、コナーとの間には心の距離を感じていたが、彼を恋しく思えば思うほど一緒にいられない。
そんな妙に揺れ動く気持ちに戸惑いながら、エリナーはこれからの人生を選択する・・・。(女性編/エリナーの愛情)

女にわからない男の切ない気持ち・・・。
コナー(ジェームズ・マカヴォイ)が仕事を終えてアパートに戻ると、そこにエリナー(ジェスカ・ジャステイン)の姿はなかった。
彼は冷たい部屋の一室でひとり天井を見つめていると、エリナーに言われた言葉だけが浮かんでくる。
「あなたは何もわかっていない」
あの時、どうすれば彼女の気持ちをつなぎとめることができたのだろうか。
幼い子供を失ってから、コナーはその悲しみを二人で乗り越えようと、エリナーのそばで支え続けたはずだった。
それでも自分は、エリナーの心の中まで踏み込むことができなかったのか。
エリナーと過ごした日々を取り戻すべく、彼女の行方を探し続け、ようやく会うことができたコナーだったが・・・。(男性編/コナーの涙)
                            

映画芸術の実験とも思われるこの作品の発想は、大胆で新鮮でユニークである。
男と女が見ている違いが、微妙なまでに分かってくる。
映画の中では、二作品が同じように見えるシーンもある。その逆もある。
しかし、実は登場人物の台詞、服装、立ち位置は違ってくる。
エリナーは、時間の経過、その時の心理状態によって、ヘアスタイル、ファッション、メーキャップが変化していく。
彼女は鏡を見るたびに、自分たちに起きた悲劇を、そして亡くした息子のことを思い出してしまうのだ。

コナーの行動には、すぐ理解しがたい部分もある。
どんなに愛しあい、すぐそばに暮らす人であっても、相手を完全に理解できないということだ。
近くに居れば居るほど、相手を知りえない。
その知りえない気持ちをみずから受け入れるということの難しさ・・・。
しかし、その分からないところから、このドラマの二人は前へ進んで行くしかない。
映画の断片が、そのことを如実に物語っている。

女は、美しくしなやかで逞しいものなのだ。
それは男がいるからではない。
想い出にふける、男と女。
傷心から見えてくる、男と女の心の弱さ、危うさ・・・。
愛がありながら、しかも相手を完璧に理解出来ない人間の、どうしようもないもどかしさが彼らを包み込んでいる。
しかし、互いにその悲しみに向き合う方法が違っても、それらを超えてありのままの姿で向き合うことで、この愛は素晴らしい。

アメリカ映画、ネッド・ベンソン監督初の長編「ラブストーリーズ エリナーの愛情/コナーの涙」は、二部作同時公開となった。
この同じテーマを扱った別々の二作品を見比べてみると、ドラマの展開も同じなのに、映画ではともに同じように見えるシーンでもよく見ると分かることだが、実は微妙に少しずつ違っているのだ。
まるで合わせ鏡のように・・・。
この違いに気づかないと、作品は陳腐なものになってしまう。
ただ漫然と観てしまうと、テンポも緩やかだし、つまらない作品に見えてくるかもしれない。
二つの映画が織りなす物語「ラブストリーズ」は、まあ、ある種のもどかしさはぬぐいきれないが、二人の人物の心の闇を探りつつ、秘密と暗示に富んだよく出来た異色作である。
いやぁ、しかしやっぱりもどかしい。       
         [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「サン・オブ・ゴッド」―イエス・キリストの誕生から復活まで―

2015-02-23 12:00:00 | 映画


イ エス・キリストの生涯を描いた、歴史スペクタクル作品だ。
 新約聖書にも描かれる、イエス・キリストの奇跡のエピソードを織り交ぜて、弟子ヨハネの語りで始まる。
 畳みかけるような奇跡の連続と、キリスト受難のシーン、そして最後の一瞬まで目が離せない。

 よく知られた物語で、あらためて聖書の世界を知る人にもよくわかるような作品である。
 キリストはどのようにして生まれ、どのような人生を歩み、何故十字架にかけられなければならなかったのか。
 愛と裏切りと命と死、そして赦しを通して、クリストファー・スペンサー監督の描いたこの物語は、キリストの生涯を描いて興味深い。








ローマ帝国支配下のユダヤ・・・。

ベツレヘムの家畜小屋で男の子が生まれ、「イスラエルの王」となることを預言された。
ガラリヤ地方のナザレで成長したイエス(ディオゴ・モルガド)は、洗礼者ヨハネの洗礼を受けたのち、人々に神の言葉を伝えるために伝道活動を開始した。

多くの民衆から熱狂的な支持を受けたイエスは、弟子たちとローマ帝国支配下のエルサレムに向かう。
ローマから派遣されていた総督のビラト(グレッグ・ヒックス)らは、イエスの教団勢力の拡大を恐れ、ユダヤ教の大祭司カイアファ(エイドリアン・シラー)までもが彼を警戒するようになる。
・・・そして、ユダヤの最高法院はイエス・キリストに死刑の宣告を・・・。

物語は極めてわかりやすい。
いろいろな神様や仏様を信じることを多神教と言うそうで、日本人には一神教(キリスト教、イスラム教、ユダヤ教)の宗教観は理解しにくい。
イエスを最後に死に追いやるのは、治世者のローマ帝国ではなく、一神教のユダヤ人たちだった・・・。
この作品は、聖書をなぞっただけの単なるキリストの伝記映画とは思えない。
支配者であるローマ、政治家、ユダヤ教徒、民衆、イエス、弟子たちの思惑が絡み合い、もつれ合って、とくに最後の晩餐以降の凝縮された人間ドラマは、緊迫感がある。

ドラマは残酷なシーンもあるが、クリストファー・スペンサー監督「サン・オブ・ゴッド」は、逆光や炎を上手く活用して美しい場面を作り上げている。
イエス・キリスト役のディオゴ・モルガドは好演だが、あまりにイケメンなのにちょっと驚いた。
この作品は、イエスの十二弟子のひとりヨハネが、晩年にイエスを回想するという設定だ。
オープニングのところで天地創造が語られ、ノア、アブラハム、モーゼなどが次々と登場し、「はじめに言葉ありき」で綴られるヨハネ福音書の有名な冒頭を思い起こさせる。
そこでキリストこそが、世界の創造主の独り子だというこの映画のテーマが、明らかになるわけだ。
権力者たちはイエスを磔刑に処して黙らせるが、この後半部分のドラマは観ているものの知的好奇心をかき立てる。
全体に丁寧な描き方に、好感が持てる。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「0.5 ミ リ」―介護とは何かに迫る笑いと涙の人情ドラマー

2015-02-18 12:30:00 | 映画


 家もない。仕事もない。
 どこまでも、ずんずん歩いていく。
 老人といえば介護、そして戦争だ。
 男と女が絡んで・・・。
 安藤桃子監督自身による、同名小説の映画化だ。
 監督の実妹である安藤サクラが演じる主人公は、家事にたけた介護ヘルパーだ。

 実にしたたかで、巧妙な作品だ。
 安藤監督の父親で俳優の奥田瑛二が、この作品のプロデューサーだし、母親の安藤和津がフード・スタイリストとして関わっている。
 さらにサクラも柄本佑の父母、柄本明角替和枝の夫妻も、重要な役で出演している。
 両ファミリー総出で映画を支えているから、インパクトも絶大だ。
 3時間16分という怒涛のドラマだが、少しも長く感じさせず「現代」をリアルに映し出して飽きさせない。





ヘルパーのサワ(安藤サクラ)は、ある日、派遣先の家族から、突然「おじいちゃんと一緒に寝てあげて」と依頼される。

しかしその当日、予期せぬ出来事でサワは仕事をクビになり、いきなり家も金も仕事もない、人生の崖っぷちに立たされる。
そして、サワの放浪と“押しかけ”ヘルパーの日々が始まる。

駐輪場の自転車をパンクさせる茂ジイサン(坂田利夫)、女子高生の写真集を万引きする義男(津川雅彦)ら老人三人衆を相手に、ワケありクセありのおじいちゃんたちを見つけ出しては、軽やかに家事と介護をこなし、その生活に入り込んでいく。
はじめは困惑気味のおじいちゃんたちだったが、天真爛漫なサワに対し、不器用で社会や家族の中での居場所がなかった彼らが、次第に心を開き始める。
サワは、いつでもどこでも溢れるばかりの“元気”と“生命力”で、全身全霊でぶつかっていく。
おじいちゃんたちは、誰もがどちらかというと“死”に近いところに居ながら、彼女の存在に突き動かされて、また新たに彼らの“生”が再び輝きだすのだ。

主演の安藤サクラが、半端ではない。
町で孤独な老人の男を目にすると、強引に張り付き、一方的に身の回りの世話をする。
身勝手なのだが、それが生き生きとしていて素晴らしい。
もう自由奔放で、自然体なのだが、演技をしていないように見える。
女優としての凄さばかりが目立つ。
安藤サクラは、2年ぶりで二度目のブルーリボン賞主演女優賞受賞、映画祭でも各賞を受賞するなど、いまや現役ナンバーワン女優の名をほしいままにしている。
映画賞総なめというのもわかるではないか。
作品の中に見事に溶け込み、目だたないようで存在感があり、与えられた役を忠実に演じられる数少ない女優の一人で、彼女の日常生活の庶民派感覚にも、演技の原点があるようだし、難しいクセのある役まで次々とこなしていく実力は本物といえる。

この作品ではサワの素性については、深く触れていない。
まあ、ときには、エロじいさんたちを上手くあしらい、介護をする。
つかみどころがないが、他人を動かし、決してぶれずに、迷いながらも母のように、娘のように、ときには天使のように、生命を吹き込まれたサクラの多彩な表情が、この作品のすべてだ。
百聞は一見にしかずである。
安藤桃子監督映画「0.5 ミリ」は、「介護」をテーマに据えて、気骨溢れる、熱い作品だ。
重いテーマを扱っているのに、この作品は重くない。
鮮烈な味わいがある。
日本映画の、上位にランクされるべき作品である。
撮影のすべては高知で行われたそうで、光と影のコントラストの強さを求め、ドラマから陰湿さや暗さを排除したのも、その成果だろうか。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回は、イエス・キリストの誕生から復活までを描いた歴史スペクタクル巨編「サン・オブ・ゴッド」を取り上げます。


映画「さよなら歌舞伎町」―多彩な登場人物たちが繰り広げる群像劇―

2015-02-12 20:00:00 | 映画


 ホテルの密室で向き合う男女の、どこか芝居がかった虚実ない交ぜを面白く描いている。
 迷える男女の人生模様ともいうべきか。
 ひとつの場所に様々な人々が集まってドラマを構成する、グランド・ホテル形式のこの映画に、廣木隆一監督が果敢に挑戦した。

 歌舞伎町のラブホテルを舞台に描かれるこのドラマは、荒井晴彦中野太による脚本の骨っぽさもあって、なかなか軽やかである。
 日常の断片の積み重ねはどうも新鮮さには乏しいが、細やかなセリフが効いているのは脚本の力か。
 陰湿さがないのがいい。
 









一流ホテルマンと周囲に偽わる徹(染谷将太)は、歌舞伎町のラブホテルの店長だ。

彼は、プロのミュージシャンを目指す沙耶(前田敦子)と同棲しているが、このところちょっぴり倦怠期だ。
徹は勤め先のラブホテルで、いつもの苛立つ一日を過ごすはずだった・・・。

ホテル従業員の里美(南果歩)は、時効寸前の逃亡犯をかくまっている。
徹が、アダルトビデオの撮影隊に出前を届けに行くと、何とそこには妹の美優(樋井明日香)が・・・。
ホテルには朝鮮人デリヘル嬢のヘナ(イ・ウンウ)とその客、ナンパされた女子高校生雛子(我妻三輪子)らが訪れる。
AV女優、警察官同士の不倫と、あれやこれやの欲望と悲しみの群像劇が繰り広げられる一夜だ。

他に大森南朋田口トモロヲら、同じ場面に登場しない出演者たちが、絶妙な演技のバランスでキャスティングされている。
いわば、五つの部屋ごとに一夜のドラマがあり、登場人物たちは国籍も世代も違う俳優たちだ。
総計14人もの登場人物たちが、よどみなく繰り出し、彼らがそれぞれ抱えている事情とその人間関係が手際よく示される。

徹と妹は東日本大震災で学費が滞り、ヘナは韓国での開店資金を稼ごうと、恋人に秘密で風俗店に勤めている。
雛子は虐待されて家出中だし、ホテル近くの路上には、差別的な演説をがなり立てる連中がいるといった具合で、このドラマの背景には動いている「今」がある。
欲張った演出だ。
そして、下世話で欲望むき出しの彼らは、一夜明けた歌舞伎町から去っていく。
観ている側には、苦い味わいを残して・・・。

ときにドラマは、滑稽で馬鹿馬鹿しくさえ見える。
だが、それはそれでいいのだ。
偶然の重なりというのは、しかし気になるが、脚本の底には人間への信頼も感じ取れる。
すべては、二十四時間の出来事である。
ドラマの中、しがないラブホテルの店長を演じる染谷将太は好演だし、韓国女優イ・ウンウの大胆な脱ぎっぷりも注目の的だ。
この人どこかで見たと思ったら、鬼才キム・ギドク監督の話題作「メビウス」に主演した女優さんで、さすが実力派だ。

廣木隆一監督
作品「さよなら歌舞伎町」は、低俗で猥雑なエピソードを散りばめたドラマ構成で、いかにも歌舞伎町だと見せるあたり、群像劇の可笑しさは十分だ。
しかし、低俗低俗と言って馬鹿にすることなかれ。
その低俗を掬い上げてこその、映画だからである。
時間的な制約もあって、食い足りない部分もあるが、結構な俳優陣をそろえて、作劇のうまい映画だ。
この映画の上映館は、しばし満員御礼の続いたところもあるそうだ。
さも、ありなむ~。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「暮れ逢い」―古風だが清廉な香気の漂う愛のドラマ―

2015-02-11 20:00:00 | 映画


 「髪結いの亭主」「仕立て屋の恋」パトリス・ルコント監督は、恋愛映画の名手だ。
 今回のルコント監督の新作は、クラシックな雰囲気の中に描かれる、ピュアな大人の恋愛だ。
 
 
 原作が、「マリー・アントワネット」シュテファン・ツヴァイクとは・・・。
 これが、池田理代子作の「ヴェルサイユのばら」のもとになったといわれる。
 全編にわたって、緩やかなテンポで語られる物語は、背景に激動の時代の歴史の大きなうねりがありながら、それを感じさせないほど静謐である。










1912年、第一次世界大戦に向かうドイツ・・・。

初老の実業家ホフマイスター(アラン・リックマン)の屋敷に、若き秀才ザイツ(リチャード・マッデン)が秘書としてやって来る。
ひとつ屋根の下で暮らすうちに、フリドリックは若い夫人シャーロット(レベッカ・ホール)に心を奪われる。
二人は惹かれあうのだが、それを口にすることができない。
もどかしい恋の行方だが・・・。

ザイツの南米への転勤が決まった時、お互いの胸にしまいこんだ気持ちが溢れだして・・・。
初めて想いを伝え、「二年後、戻ってくるまで、変わらぬ愛を誓おう」と約束を交わす二人であった。
だが、まもなく訪れた第一次世界大戦によって、運命は大きく揺れ動く・・・。

若妻ロットには、裕福で優しい夫と息子がいる。
でも、心の奥底にある孤独な哀切感は拭えない。
そして激しい想いに苦悩する、貧しくも知力ある青年フリドリックも・・・。
ドラマは、二人の8年間にわたる純愛を紡ぐ。
劇中で、ロットの奏でるベートーヴェンのピアノソナタ第8番ハ短調「悲愴」は、このドラマにぴったりで、その切なく甘美な旋律が余韻を残すのだ。

パトリス・ルコント監督フランス・ベルギー合作映画「暮れ逢い」は、‘現代’から観るとどうしてもやや古風な感じは否めないが、1900年代初頭の上流社会の雰囲気はよく伝わってくる。
ドラマの中、夫が亡くなるとき、何も知らないと思われていた夫が、すでに青年と妻の恋を密かに知っていて、それを嫉妬し、それでも、二人が一緒になればいいとも思っていたという告白のシーンは、ぐっと胸に来るものがある。
どこまでも清廉な物語である。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回は「さよなら歌舞伎町」を取り上げます。


映画「エクソダス 神と王」―モーゼの活躍を壮大なスケールで描く映像叙事詩―

2015-02-08 20:15:00 | 映画


 旧約聖書の「出エジプト記」に綴られたモーゼの英雄譚から、巨匠リドリー・スコット監督が自身撮影に最大の製作費をかけて映画化した。
 延べ1万5000人ものエキストラが参加し、息をのむようなスペクタクルシーンの連続だ。
 人類史上、最初にして最大の<奇跡>を描いた、アドベンチャー巨編である。

 あの紅海が割れて、ヘブライ人(イスラエル民族)が海を歩いて渡る、迫力満点の有名な奇跡までを描く。
 ナイル川が血で赤く染まり、街が無数のカエルやハエで埋め尽くされる「十の奇跡」を再現し、旧約聖書の世界を存分に楽しませてくれる。
 地上に生きる40万人を救おうとする、一人の男のドラマである。








元前13世紀・・・。
栄華を誇る古代エジプト王家の養子モーゼ(クリスチャン・ベール)が、自らの数奇な出生の秘密を知る。
エジプト王ラムセス(ジョエル・エドガートン)と兄弟のように育った彼は、ヘブライ人だったことがわかり、二人は決別し国外へ追放になる。

モーゼはシナイ山のふもとで遊牧民のツィポラ(マリア・バルベルデ)と出会って結婚し、平穏に暮らしていた。
ある日、モーゼは神の声を聞く。
それは、エジプトで迫害されるヘブライの民40万人を助け出し、カナンの地(現在のイスラエル一帯)へ帰れと命じるものだった。
そしてそれは、たった一人で立ち上がったモーゼの、決死の大冒険の始まりであったが、行く手には想像を絶する幾多の苦難が待ち構えていた・・・。

ドラマの圧巻は、紅海が割れるという有名な天変地異の数々を絵空事のファンタジーではなく、科学的な考察に裏打ちされた、リアルでダイナミックなスペクタクルシーンとして創出していることだ。
3Dではその奥行きを最大限に生かして、ビジュアルな迫力がみなぎっている。
オスカー俳優クリスチャン・ベールら豪華キャストが、宿命的な人間模様を力強いアンサンブルで表出している点に注目だ。
不屈の主人公モーゼと虚栄にとらわれたラムセスとの葛藤、二人を取り巻く女性たちの運命的な出会いは、まあハリウッドだからなしえた英雄伝説の“奇跡”だろうか。

カメラ17台を駆使した戦闘シーンはもちろん、美術スタッフ1000人以上によって撮影のために再現された古代エジプト王国の壮大な風景は、圧倒的な存在感でスクリーン一杯に広がる。
いやいや、凄い!のひとことに尽きる。
リドリー・スコット監督アメリカ映画「エクソダス 神と王」は、空前のスケールで映画史に残るド迫力を実現し、荘厳な映像を存分に楽しませてくれる。
3300年の時を経ていま目撃する、娯楽映画としては渾身の大作である。
税を尽くした大作の醍醐味を、存分に味わえる恰好な機会だし、一見の価値は十分あるだろう。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点)


映画「ホビット 決戦のゆくえ」―いよいよ壮大な冒険物語がここに完結する―

2015-02-04 16:00:00 | 映画


 J・R・R・トールキン「ホビットの冒険」を原作にした、ピーター・ジャクソン監督ファンタジー大作だ。
 「思いがけない冒険」 2012年)竜に奪われた王国(2014年2月公開)に続く、3部作完結編である。
 やはりトールキン「指輪物語」を原作に、ジャクソン監督が撮った「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズ3部作の、これは前日譚にあたる。
 その第1作は2001年で、13年間かかって、ようやくひとつの物語としてまとまったことになる。













ドラゴンが火を吐きながら暴れまわる冒頭から、物語は始まる。

平凡で臆病なホビット族のビルボ(マーティン・フリーマン)は、魔法使いのガンダルフ(イアン・マッケランドワーフ族の仲間たちとともに、危険な冒険の旅を続けていた。
エルフ族と出会い、衝突を繰り返しながら進む彼らの日々は、たった一頭で国を滅ぼす恐ろしい竜スマウグ(声・ベネディクト・カンバーバッチ)に奪われた、王国を取り戻すことであった。

しかしその先には、世界を二分する最大の決戦が待ち受けていた。
さらに、太古からの強大な悪、冥王のサウロンが大軍を従えて甦ろうとしていた。
迫りくる闇の軍勢、そして深まる仲間同士の対立、力を合わせて対決しなければ勝機はない。
その中でもビルボは自らを犠牲にし、仲間たちの命を守るため、ある究極の決断をするのだった・・・。

戦闘に次ぐ戦闘である。
エルフ族、人間連合軍とドワーフ族の財宝をめぐる戦い、そこになだれ込む邪悪なオーク族など、闇の軍隊がめまぐるしく展開する戦闘シーンは、凄まじい迫力で圧巻だ。
ドワーフの王位継承者トーリン(リチャード・アーミッティッジ)と、闇の軍隊の強大なリーダー、アゾク(マヌー・ベネットの、息詰まる一騎打ちは大きな見どころのひとつだ。
後半の激闘シーンは、種族入り乱れての戦いとなって、誰と誰が闘っているのかもうわからなくなる。

アメリカ映画「ホビット 決戦のゆくえ」は、情け容赦のない骨太のストーリーで楽しませるが、アクションシーンは迫力満点だ。
そして、ドラマは意外な結末を迎えることになるが、仲間たちと別れ、ビルボの長い旅がようやく終わり、結末に現れるホビットの古里の風景は、とても穏やかで、その妙に懐かしいこと・・・。
・・・それから60年、魔法使いのガンダルフがビルボを訪ねる、「ロード・オブ・ザ・リング」第1作の冒頭へとこの物語はつながるのである。
まあ、見応え十分の娯楽大作で、悪かろうはずがない。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


日本にとっての「悪夢」の始まり?!―なすすべもなき政府の過ち―

2015-02-03 19:30:00 | 雑感

イスラム過激派組織「イスラム国」のテロリスト・グループによる日本人人質事件は、拘束していた2人の殺害という、最悪の結末を迎えた。
まことに残忍というほかに言いようのないない悲劇に、言葉を失った。
無念である。
2人が拘束されている間、日本は「イスラム国」とはコンタクトも取れず、結局最後まで手も足も出なかった。

振り返れば、2014年10月後藤健二さんが「イスラム国」の「首都」ラッカを出発し、その後消息を絶ってから、家族のもとには身代金要求のメッセージが届き、外務省、官邸もそれを把握していたといわれる。
それから後藤さんの「殺害予告動画」が流れるまで、かなりの時間があったはずである。
その間、政府、官邸は人質の解放に向けてどんな努力をしてきたのだろうか。
一体、何をしたというのか。
手をこまねいていただけだったのか。

事態が発覚して13日目に、最悪の結果を迎え、安倍首相は「非道、卑劣極まりないテロ行為に強い憤りを覚える」と「イスラム国」を非難した。
それまで日本は昼夜を徹して、どれだけ解放に向けた「努力」をしてきたというのだろうか。
13日間というもの、関係各国、部署とメールと電話のやりとり、会議に終始していたのだろうか。
安倍官邸の中のことは分からない。
メディアが伝えるてくのは、決まったパフォーマンスばかりだからだ。

戦地に赴いて悲劇に見舞われた、ジャーナリストの後藤さんの自己責任を言う人もいるが、官邸の配慮のなさを言う人は少ない。
何故だろうか。
「イスラム国」とヨルダンの交渉はすれ違いのようだったし、この場面では日本は蚊帳の外である。
安倍首相は地球外交と称して、世界50カ国を回り、中東行きを決めたとき外務省は難色を示したそうだ。しかし、安倍首相は有無を言わせず強引に押し切った。
こんな時に世界50カ国を回ってどんな成果を上げてきたのか聞いたこともない。

エジプトで、2億ドルの人道支援を表明したことは、「イスラム国」への攻撃ではなかったかもしれないが、結果的に相手を過剰に刺激してしまったきらいがある。
いや、間違いなくそうだ。
何故そのような演説を、イスラエルの国旗の前でしたのか。
しかも、「テロとの戦いに取り組む」と、イスラエルのネタニヤフ首相と並んで、である。
「イスラム国」と戦う国を支援する意思表示をしたのだから、どう見ても、彼らからすれば敵対心を明確にしたと読まれても仕方のないことだ。
これは、一国のリーダーとしてあるまじき安倍首相の、あまりにも軽率で大きな過ちではないか。
非常識にもほどがある。

まさにこうした行為は、「イスラム国」のまんまと思うつぼではなかったか。
中東情勢を熟知しているはずの外務省は、何を考えていたのか。
この演説の直後、人質2人を殺害しようとする映像が公開された。
何という認識の甘さか。

そして、さらにである。
安倍首相は記者団に発表したメッセージで、「テロリストたちを決して許さない」といい、「その罪を償わせる」と付け加えたのだ>
驚愕である。
何ということか。
アメリカ、イギリスに追随するかのような「宣戦布告」とも受け取れる言葉だからだ。
「罪を償わせる」という言葉を、他国のメディアの翻訳(意訳)するとどうなるのか。
現にトルコでは、「日本の首相、復讐を誓う」という見出しとなって、これが挑発的に伝わらぬわけがない。
ここは、一国のリーダーたる者はもっと冷静にならなければいけない。
あちらでは、あろうことか人質ビジネスが盛んなようだ。
驚くなかれ、とりわけ日本人は極上のうま味があるといわれる。

国会の参院予算委員会でも、こんな時でさえも、政権批判ひとつ出来ぬ体たらくの野党にがっかりだ。
安倍首相は、自分のとった行動が、よもや後藤さんの死を早めたのではないかとは思わなかったのだろうか。
一人無謀の擧に出て「その罪を償わせる」と言って、復讐の鬼と化し、これからまた「イスラム国」の標的となるような振る舞いが、何を醸し出すか知れない。
予算委員会で、反省、陳謝の弁のひとこともなく、彼はむしろ敵意をにじませて強弁であった。
いやいや、何とも不思議な光景であった。
大新聞、テレビなどのマスコミは、いつの間にか政府広報になってしまったのか、ほとんど触れていない。
良識ある一部の憲法学者や有識者が、やはり安倍首相の非を取り上げている。
世界から見れば、日本のテロ対策ほど軟弱でちゃちなものはないそうだ。
冗談ではない。
本当に、日本にとっての悪夢が始まるかもしれない。
怖ろしいことだ。


映画「ビッグ・アイズ」―大きな瞳だけが知っているウソのような本当の話―

2015-02-02 10:00:00 | 映画


 大人気の絵画の真の作者は、実はゴースト・ペインターだった。
 1960年代、アメリカ美術界の大騒動となった実話をもとに、ティム・バートン監督が映画化した。
 そういえば、最近の日本の音楽界にも似たような事件があったことは、記憶に新しい。

 ティム・バートンのこの新作は、ブラックコメディ調だ。
 作品を鑑賞して、いささか戸惑いを隠せないが、人間ドラマとしては正攻法で描かれた作品だ。













1960年代のアメリカ・・・。

大きな瞳(ビッグ・アイズ)の子供たちを描いた絵画シリーズで、作者ウォルター・キーン(クリストフ・ヴァルツは、一躍有名になった。
ウォルターは、大きな名声と富を手に入れるが、絵画はすべて妻のマーガレット(エイミー・アダムス)の描いたものだったのだ。
物語は実話で、マーガレットはいまも健在で絵を描いているといわれる。

口下手で内気なマーガレットは、子連れで離婚し似顔絵書きとなっていたが、日曜画家のウォルターと知り合って結婚した。
社交的で商売上手のウォルターは、二人の絵を売ろうと奔走し、マーガレットが描く目が大きい少女の絵が注目されると、自分が作者に成りすましてしまった。
マーガレットに密かに描かせた絵を、安価な複製にして大当たり、一躍時代の寵児となった。
どの絵においても、一枚残らず妻が描いたものだった。
・・・10年間も、1日16時間絵を描き続けた妻は、心の内を絵によって表現してきたが、このままでは自分を失ってしまうと、すべてを公けにすることを決意する。
だが、天才的なウソつき夫のウォルターは、妻は気が狂っているといって反撃し、事態は法廷へ・・・。

芸術の本質を突くような皮肉を込めて、時流をつかむことにたけた夫が世間の共感を集める。
マーガレットにしても、夫なしではなしえなかったかもしれないことだ。
口八丁で卑劣な夫を演じるクリストフ・ヴァルツの怪演、才能豊かなお人よしの妻を演じるエイミー・アダム、この二人の映画だ。
マーガレットの絵は、評論家からは芸術性を否定され、夫の天才的な売り込みがなければ人気も得られなかったのだ。
何故といって、この当時女性画家の絵はあまり売れることがなかったといわれる。

アメリカ映画「ビッグ・アイズ」は、大衆が愛した絵画の真の作者は誰かということもあって、テンポの良い小気味よさで観る者を飽きさせない。
レトロで華やかなファッションや風景を、色彩豊かに1960年代のアメリカに再現し、なかなか見どころもあり、とりわけ終盤の裁判シーンには抱腹絶倒する。
ティム・バートン監督自身、マーガレットの大ファンだそうで、肖像画を依頼したこともあるという。
ティム・バートンも驚いた、ゴースト作家の実話を、最近の彼の作品とは違った切り口で味わうのも、また一興かも知れない。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「薄氷の殺人」―寒々とした現代中国社会の深い闇と喧騒の向こう側で―

2015-02-01 12:00:00 | 映画


 中国華北地方の凍りつくような風景の中に描かれる、中国製のフィルムノワールだ。
 新鋭ディアオ・イーナン監督は、映像の美しさにもとことんこだわりを見せ、男女の暗い愛情にまで踏み込んで、サスペンスフルな作品に仕上げた。

 いささかの緩みとてない画面の、哀調を帯びた鋭い切り口が、悪夢のような現実を炙り出し、息をのむようなショットの連続に引き込まれる。
 少々荒削りな演出も目立つが、抑制のきいた語り口は、ミステリアスな愛の物語ともとれる撮りかただ。
 非凡な作品である。











1999年夏、刑事のジャン(リャオ・ファン)は、妻に愛想をつかれて離婚した。

そんな時に、バラバラ事件が起きる。
容疑者らしい兄弟二人を追い詰めるが、拳銃を持っていて、同僚の刑事二人が射殺され、ジャンが兄弟を殺すが自分も負傷する。
ジャンは刑事を辞める。

5年後の夏・・・。
生きる希望を失い、ジャンは酒浸りの日々を送っていたが、元同僚と偶然再会する。
そこで、5年前の事件の被害者の美しい妻、ウー・ジージェン(グイ・ルンメイ)と関係する男2人が相次いで殺されたことを知る。
しかも、二人ともスケート靴をはいた足を切断されていた。
このとき警備員として働いていたジャンは、謎めいた女ウーを追い、独自に事件を捜査し始める・・・。

映画の撮影された、ハルビンの幻想的な夜の風景が印象的である。
夢と現実の狭間で、ジャンは事件の謎を追っていく。
映画での芸術というのは、第一に映像であるはずだが、その映像が鮮烈だ。
異様な連続殺人事件と、そのカギを握る謎の女を追う刑事の犯罪サスペンスから、最後まで目を離せない。
だが、男はちょぴりはみ出し者で、悪あがきをしているみたいだし、怪しげな女として登場するウーも中途半端な悪女だ。
その二人の間にいつの間にか愛が通っているらしいが、犯罪を追う刑事の心の揺らぎがあったにしても、どっちつかずの悲哀が全編に漂い、この情感には終わりがない。

中国の地方都市の閉塞感も漂っていて、変わりゆく都会とは対照的だ。
ドラマの枠組みはオーソドックスで、新味があるというのでもなく、組み立てもありふれているが、極寒の街にちらちら光るネオンを背景に、中国・香港合作映画「薄氷の殺人」は、中国の現代を浮き彫りにしたような作品だ。
どこか荒んだ社会を暴きながら、中国の旧暦の正月にあたる春節のラストシーンに、冷たく苦い余韻が消えない。
スクリーンからは、身を切るような冷たさだけが立ち上がってくる。
二転三転するストーリー展開と相まって、何やら松本清張を思わせるようなミステリー・ドラマだ。
     [JULIENの評価・・・★★★★](★五つが最高点