徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

ー雑 感ーガソリン高騰、暮らしは、医療は・・・?

2008-05-31 22:25:00 | 寸評

本当に、スーパーにバターを見かけなくなった。
農水省の指導で、酪農家が減産したから?
代わりに、マーガリンというと、トランス脂肪酸とやらが含まれているから、動脈硬化を促進してよくないなどと言われる。
どうすればよいと言うのか。
中国餃子は、どうなったのか。
とにかく、近頃の日本の食事情には、あれこれと心を惑わされるばかりだ。
それは、それとして・・・。

4月の国内のガソリン販売高は、前年同月比17%も増えて、576万キロリットルとなって、4月としては過去最高を記録したことが分かった。
ガソリン税の暫定税率(1リットル当たり約25円)の、一時失効に伴う価格低下で、需要が急増したからだ。

世界的な原油価格の高騰で、1バーレル100ドルの大台を突破して、現在は1バーレル135ドルを超えている。
原油価格の高騰で、国内の石油元売会社も、卸価格を引き上げざるを得ないようだ。
これによって、小売価格はいよいよ170円台へ突入しそうな様相になってきた。

・・・日本だって、豊富な地下資源が欲しい。
だからと言うわけで、福田総理は、アジア諸国との会談は積極的だった。
横浜で、3日間にわたって開かれた「アフリカ開発会議」で、アフリカ諸国の首脳40人と、次々に会談した。
会談の時間は、一人15分から30分だったそうだ。
はるばる遠来の、各国首脳との会見が、回転寿司をつまむような忙しさだ。
通訳をはさむと、話すのは、正味数分間だ。
それで、相手国をどこまで理解できるのだろうか。
欧米諸国を相手にしたら、このような会談はとても出来ないだろう。
そこには、アフリカという後進国を相手にしていることへの思惑もありありだ。

日本は、自国の産業のためにも、地下資源が欲しいし、 国連安保理の常任理事国入りに賛成してもらいたいのだ。
人は、これを“札ビラ外交”と言うのだそうだ。
数分間の挨拶で、巨額の援助が期待できるのだから、アフリカ諸国も、表向きは感謝の意向だ。
しかし、本心はどうか分からない。
アフリカ諸国には、中国やインド、ロシアなど、多くの国が資金援助を申し出ている。
中国も、積極的に動いているようだ。

どこの国も、原油は欲しい。
アフリカの首脳たちも、その辺はよく分かっている。

日本は、常任理事国入りを目指したが、アフリカ諸国50ヵ国の支持が得られなかったので、挫折した経緯がある。
言わずと知れた、中国がアフリカ諸国に支持しないように働きかけたのだった。
中国は、何を考えているのか。

福田総理は、「アフリカ開発会議」で、ODA(政府開発援助)2000億円、円借款4200億円、金融支援2500億円・・・と、大盤振る舞いである。
総額約1兆円のカネが、生活苦に喘いでいる日本国民の頭の上を素通りしていくのだ。
1兆円あったら、後期高齢者医療の財源不足で、1300万人のお年寄りが泣かされることはない。
福田総理は、アフリカに対するODAを、5年間で倍増すると言っているらしい。
内政で行き詰まった福田政権が、外交で延命を図ろうとしている。
札ビラをきって、政権浮揚ですか。

解散も総選挙もしない。
世論調査の支持率が下がれば下がるほど、この政権は、いろいろな理由をこじつけて、来年9月の任期いっぱいまで、居座るつもりでいる。
民意など、どこ吹く風なのだ。

このままでいくと、財源不足を理由に、消費税が大幅にアップされ、後期高齢者保険制度が継続され、さらに、医療改革の名のもとに、病院が潰されていく。
何が、一体改善されるのだろうか。

国民の暮らしは、じり貧になって、沈みゆく難破船だ・・・。
後期高齢者医療制度は、欠陥だらけで、改善策と言ったって、小手先の変更ですませようとしているのだ。
自民党の重鎮、中曽根元総理でさえ、この制度は、はじめから見直しをした方がよいと言っているではないか。
それでも、75歳以上のお年寄りを、既存の保険制度から切り離して、行政の都合だけで「隔離」する「姥捨山」の発想は、温存すると言うわけだ。
誰もが、悪政だといっているゆえんだ。
金持ち優遇ばかりを考えているので、普通のお年寄りには恩恵なんて何もない。


医療制度までガタガタで、存続さえ危ぶまれている。
どの病院も、社会保障費の大幅削減で、経営が立ちゆかなくなっている。
それは、やがて医療崩壊を意味する。
病院が倒産する。
それで、財源が足りないとくれば、消費税を大幅にアップさせるのだ。
どちらに転んでも、国民には、過酷な結末が見えている。
政治は、一日も早く変らなければいけない。

6月に入ると、沖縄県議選がある。
ここで与党が惨敗すれば、福田政権の足元は揺らぐ。
なりふり構わぬ自公政権が、どういう選挙戦を行うか。
厳しく、見守らねばならない。


品格のない力士ー大相撲千秋楽ー

2008-05-28 20:00:00 | 寸評
大関琴欧州が、14勝1敗で、悲願の初優勝を飾った。
実に爽やかな優勝であった。
これからの綱とりに向けて、一層活躍が楽しみだ。
その、めでたい千秋楽の喜びがかすんでしまうような出来事だった。

あれはやりすぎではないか。
大相撲夏場所千秋楽で、琴欧州に優勝をさらわれた、朝青龍白鵬横綱が、結びの一番で、まさに乱闘寸前となりそうな失態を演じた。 (取り組みの模様は、動画写真の中心をクリックして見て下さい。)

 

何事があったのかと思った。
朝青龍が、引き落としで白鵬を破った。
土俵に、ばったり両手をついたその白鵬の背中を、朝青龍が両手で突くというか、押したのだ。
それも、勝負がついて、ワンテンポあってからのことである。
つい、何かのはずみで、と言うような動作ではなかった。
朝青龍の右手が、さらに立ち上がろうとした白鵬の頬をかすめた。
それに怒った白鵬が肩をぶつけて、両者は一瞬土俵上でにらみ合った。
結局、事態はそれ以上に発展せずに済んで、事なきを得たが、見ていて何ともやりきれないシーンだった。

勝負が済んでいるのに、力を抜いた相手の力士に、ダメ押しをするような行為もおかしい。
何のために、ダメ押しをしたのか。
このワザとらしさを、北の湖理事長(←関連記事)は「相撲のひとつの流れだ」と言ったが、そのようには思えない。
カッとなった白鵬がよくないなどとも言った。
おかしなことを言うというわけで、案の定この発言は翌日撤回された。
当然だろう。

朝青龍は、これまでも散々そういうことをやって、注意を受けたり、批判されてきた。
横綱の品行が、一向に改まっていない。
とにかく、素行の悪さは「モンゴルの恥」とまで言われる。
常習犯といってもいい。

両横綱には、後で厳重な注意があった。
にらみ合うようなことをやった、朝青龍も問題だ。
相撲協会というところは、分かっていて見て見ぬふりをしているようなところがある。
事態を何処まで分かっているのか。
客さえ入ればという、相撲協会の体質のあさましさが、なにやら見えてくる。

まあ、どっちもどっち、喧嘩両成敗というわけだろうが、品格のかけらも見られなかった。
こういうのを、ゴロツキ相撲と言うらしい。
みっともない。
朝青龍と白鵬は、ともにモンゴル出身の力士だが、この二人もともと犬猿の仲というではないか。
土俵の上でなかったら、おそらく乱闘になっただろう。
いずれにしても、横綱にあるまじき行為で、完全にやりすぎだ。

琴欧州の14勝目の余韻が残る館内で、千秋楽結びの一番が、こともあろうに両横綱の蛮行という、見苦しい結果となったのはまことに残念だった。
相撲協会の指導にも、問題がある。



「働けど、働けど・・・」ー“平和な国”なのにー

2008-05-25 17:00:17 | 寸評

ガソリン代が、1リットル当たり160円を突破する勢いだ。
これによって、一世帯あたりの負担増は、全国平均で、1838円くらいになるだろうという。
何でもかんでも、値上げ、値上げのラッシュである。
主婦は悲鳴を上げている・・・。
道路族議員たちだけが喜んでいる。

・・・嘆かわしいかぎりだ。
高齢者医療、年金対策、世論調査(内閣支持率10%台)、憲法無視・・・、国民無視、国民不在の政権が延々と続いている。
いつまで続くぬかるみか。

7月に開催される予定の、北海道サミットはどうなるのか。
福田総理は、視察と称して、最高級スウィートルームに、一泊136万5000円でお泊りあそばしたというのは有名な話だ。
借金政権で、息も絶え絶えの日本国総理大臣には、余裕があるのだろうか。
国民の生活や、感情を軽視するような行動に批判も多い。
 「可哀想なくらいに苦労している」国民の気持ちにもなって頂きたい。

このほど、世界平和度指数(GPI)なるものを、イギリスのエコノミスト誌が発表した。
世界121ヵ国が対象で、評価項目は、対外関係、兵器の販売実績、犯罪者の検挙率、テロの危険性など、二十四項目について分析し、各国がどれだけ平和であるかを数値化している。
驚いたのは、何とその中で、日本が第5位にランクされていることだ。
これ、本当だろうか。
もとより、単なるお遊び程度の“調査”とも思えなくもない。
戦争もなく、政情が安定(?)しているだけのことではないか。
このところ、日本で多発している、凶悪犯罪の発生と検挙率の低さや、実質自殺率は世界第1位と言われることなどからも、とても世界第5位の平和国とは思えない。
それでも、ほかの国と比べると、まだましなのかも知れない。
ちなみに、平和指数1位はノルウェー、2位はニュージランド、3位はデンマーク、4位はアイルランドだそうで、アメリカは96位、ロシアは118位、最下位がイラクだそうだ。
しかし、世界が“平和な国”と見ている日本の内情は、現実の通りである。

一年間一生懸命働いても、年収200万円以下しか収入のない人は、06年現在で1000万人を超えると言われる。
一食100円の食事に、一人食卓に向かうお年寄りの姿があった・・・。
生活保護以下の生活すらままならない人たちは、650万世帯にものぼると言うではありませんか。
いま、誰が、一番大変苦労しているか。
誰かが、いみじくも言った。
 「福田さん、年収200万円の生活を、あなたも、是非一度体験してみてください」
そうです、庶民の目線で・・・。
一食100円の生活、出来ますか。

ある若い女性は、夢と希望を持っていた。
自分のスキルアップのために、半年かけて調理師の免許を取った。
それで、パートの時給はわずか10円だけ上がった。
何だか空疎な話だ。
頑張っても、頑張っても、“夢”にたどり着けない人を負け犬と呼んでいいものか。

母子家庭の実情もけわしい。
日本の母子家庭は、世界でも類を見ないほど、働いている。
それなのに、貧しいというのは何故なのだろう。
働いているのに、貧しいというのは、明らかに変だ。
大企業の利益は増加し、労働者の年収は減少している。
・・・かくして、働く人たちは、希望を失っていく。

住む家とてなく、ネットカフェやコンビニで、夜を過ごす人たち(ネット難民)が増え続けている。
ワーキングプア(働く貧困者)は、本来働き盛りである筈の若者たちをも蝕んでいる。
ワーキングプア・・・。
いつからか、こんな悲しい言葉が、当たり前のように聞かれるようになった。
働きたくても、働くところさえない若者もいる。
著名な政治家が、吐き捨てるように言ったのだ。
 「働いても食べていけないのは、自己責任だ!」
何ですって!
こんな言い方が、平然とまかり通っている。
そんな世の中でよいのか。
社会の仕組みが、明らかにどこかおかしい。

OECD(経済協力開発機構)の報告によれば、今の日本の貧困率は、アメリカの次に世界のワースト2だとも言われる。
美しい、豊かな国、平和な国とは・・・?
翻ってみれば、病める貧乏国、日本!
それで、世界第二の大国という、このとてつもなく大きな矛盾・・・。
平和指数とは、一体何なのかと言いたくなる。

生きる希望さえ失って、硫化水素自殺する人、そして、今日もまた、富士の樹海に、死を求めてさまよう人たちがいる。
何故、どうしてなのだろう・・・。
年間、毎年三万人もの自殺者があとを絶たない国、日本・・・。
年間、三万人とは・・・!

誰かの予言ではないが、いま天にも、地にも災いが満ち、激しい嵐が吹き荒れている。
開けてはならない、パンドラの箱を開けたのは誰だ?

  ・・・はたらけど、はたらけど
         猶(なほ) わが生活(くらし) 楽にならざり ぢっと手を見る。
                                      ( 石 川 啄 木 )

 


映画「アメリカを売った男」ーロバート・ハンセン事件ー

2008-05-22 14:15:00 | 映画

犯罪に手を染めた捜査官がいた。
彼を追う若い捜査官がいた。
追う者と追われる者、両者の心理戦は、世界を震撼させた、史上最大のスパイ事件と言われる。
世に言う、ロバート・ハンセン事件・・・。

アメリカ映画を観た。
アメリカ史上最大の情報災害と呼ばれる、この事件を二ヶ月間に渡って追ったドラマだ。
ロバート・ハンセンはFBI捜査官でありながら、祖国を裏切り、FBIのみならずCIA、ホワイトハウス、国防総省、国家安全保障局の極秘文書を、KGB(ソ連国家保安委員会)に売り続けていた。
彼が売った情報の被害総額は、10億ドルを超えるとされ、その中にはKGBに送り込んだアメリカのスパイの名前なども含まれており、50人以上の同胞を死に追いやったとされている。
彼は、現在もコロラド州連邦刑務所に、終身刑で服役中だと言われる・・・。

ビリー・レイ監督によって、この史上最大のスパイ事件が、忠実にスクリーンに再現された。
物語は、ロバート・ハンセンが逮捕されるまでの二ヶ月間を克明に描く。
狡猾で、多面的な人格を持っているとされるハンセン役は、アカデミー賞俳優のクリス・クーパーが怪演し、ハンセンを探るために、おとり捜査を命じられた若手捜査官オニール役を、若手実力派のライアン・フィリップが演じている。

野心あふれる、若きFBI捜査官エリック・オニールは、女性上司のケイト・バロウズ(ローラ・リニー)に呼び出され、新たな指令を言い渡される。
それは、組織内でNO.1の捜査官と謳われる、ロバート・ハンセンをマークすることだった。
ハンセンが、20年以上もの長い間、ロシア圏にアメリカの国家機密を漏らしているという、衝撃の事実が明かされる。
真実に迫っていくオニールと、追われるハンセンの、息詰まる心理戦が見どころとなっている。
ハンセンを演じる、クリス・クーパーの存在感躍如といったところで、“悲しき犯罪者”を見事に演じきっている。

FBIで、25年にわたって、対ソ連・ロシア諜報戦の責任者として、ロバート・ハンセンは周囲の尊敬を集めていた。
彼は、実に長い間、二重スパイとして仮面の生活を送っていたのだ。
当時の元FBI長官をして、「500年に一度の大洪水」と言わしめたほどの、国家に対する裏切り行為であった。
当然、被害額は空前絶後、現在のアメリカの国家安全保障にも、暗雲を投げかけていると言われる。
正確な金額の算出は、不可能とも・・・。

アメリカの弱みとなる、機密を握ったことで、当時ソ連の指導部が、「核戦争に勝てる」とまで信じて、攻撃的核戦略の構築に取り組んだことは、容易に想像できる。
その狂気のシナリオが、現実のものとならなかったのは、まさに奇跡的な幸運だったかも知れない。

アメリカ映画 「アメリカを売った男」で描かれた事件が、一般に知られるようになったのは、2001年9.11同時多発テロの数ヶ月前のことだそうだ。
その年の2月18日、全力を投じた、男女50名以上のFBIチームによるたゆまぬ調査の結果、特別捜査官ロバート・ハンセンが逮捕され、ハンセン事件がスクリーンに映し出されることになった。

裏切りを隠し続けた、男の裏側で何があったのか。
いろいろと、興味はつきない。
二十年間以上も、実際に続いていた事件だ。

この作品 アメリカを売った男は、事件をロバート・ハンセン逮捕直前の二ヶ月間に絞り込んで、濃密に描いた。
ドラマの重厚な演出は大いに気に入ったけれど、そのわりには、結末のあっけなさに一抹の物足りなさは残った。


悪い奴ほどよく眠るー「後期高齢者医療制度」ー

2008-05-19 21:00:00 | 寸評

市役所の窓口で、お年寄りが職員と言い合っていた。
相談者の声が大きかったので、聞くともなしに聞こえてきた。
 「要するに、この制度は姥捨山ということですよね」
 「いえ、そういう制度ではないと思います」
 「しかしね、何だかんだ言ったって、結局そういうことではないですか」
 「確かに、ご高齢の方にもですね、適切な保険料のご負担をお願いしております」
 「だから、それが極めて不適切だし、分かりにくい!」
 「・・・」
 「年金から、強制的に保険料を引かれる制度も問題だ」
 「それは、皆様の面倒が省けるようにしたのです」
 「私たちは、払うものは払うんですよ。でも、もし払えなかったその時は・・・?」
 「保険証を返して頂きます。はい」
 「そうなると、もう病院へは行けませんな。後はどうなろうと自己責任というわけですか。やっぱり、姥捨山か・・・」
 「・・・」
職員は、困った顔をして黙ってしまった。
 「そうでしょう?どうも、あなたもよく分かっておられないようだ。もういい!話しても、埒があかないから」
何のことはない、悪評絶えない「後期高齢者医療制度」についての話だ。
いま、巷のあちらこちらでも、この話で持ちきりだ。
このあいだ、国会へこの制度に反対するデモがあった。
この時も、「平成の姥捨山反対」と書かれたプラカードが、やけに目立っていた。

日本の政権がパンクするからと言って、小泉内閣が03年3月に閣議で決定した。
年寄りは医療費がかかる。確かにそうだろう。
高齢者の医療費が、どの位の負担になっているのか。
老人医療費については、「姥捨山」を作らなければならないほど、国の負担は大きいのだろうか。

日本の医療費は、全体で33兆円と言われる。
内訳は、21兆円が患者の窓口負担と保険料で賄われ、税金の投入額は12兆円で、そのうち、75歳以上の後期高齢者に使われている税金は、5兆円ほどだそうだ。
この数字は、GDP の1%にも満たない数字だ。
年間医療費33兆円とはいうけれど、この金額はGDP比8%と先進国では最下位で、フランス、ドイツ、イギリスは10%、アメリカは15%ほどだというから、日本はもっと医療費を増やしてもいい位だと専門家は話している。

高齢者の医療費にしても、ヨーロッパの多くの国では、75歳以上の医療費を無料にしていると言うではないか。
日本だけが、高齢者の医療費を過度に負担しているなんて、どこからそんな大嘘が出てきたのだろう。
自民政権は、老人を、いかにも税金を食いつぶしているかのように、邪魔者扱いにしている。
人は誰でも、生きている限り、順番に年を取り、確実に老いてゆくのだ。
確実に、である。

内閣府の高齢社会白書によれば、07年10月現在の65歳以上の高齢者人口は2746万人(総人口の21.5%)で、このうち75歳以上の後期高齢者は1270万人(総人口の9.9%)ということだ。

後期高齢者に必要な5兆円という数字は、年寄りいじめをしなくても、無駄な予算を削れば、いくらだって捻出できるのだ。
例えば、5兆円近くも税金が注ぎ込まれている防衛予算がある。
戦争もないのに、どうして毎年5兆円近くの金が必要なのだろう。
それもムダだらけだ。軍事機密を盾に、防衛予算は聖域だそうだ。
一隻1400億円もするイージス艦、漁船が近づいてくることさえキャッチできないで衝突したではないか。あの無用(?!)の長物、何とそれを5隻も購入していると言うではないか。
さらに、自衛隊は、基地の中に、立派なゴルフ場を11ヶ所も整備している。
国民の税金が、自衛隊員のゴルフの面倒を見ているわけだ。
防衛省は、アメリカ軍に「思いやり予算」とか何とか言って、毎年2000億円以上の税金を献上していると聞いた。
これも、驚きである。
アメリカ軍への「思いやり予算」があるのに、どうして、これまで日本を背負って働いてきた老人への「思いやり予算」はないのだろう。

削れる予算はいくらでもある。見直せばよいのだ。
自民党が強引に再可決した、ガソリン税の暫定税率分とやらが3兆円近くあると言うのだから、それらをそっくり老人医療費に向けてもよさそうなものだ。
でも、やらない。
こんなことは、ほんの一例だと思われる。
(余談だが、いずれガソリン税はまた上がりそうな様子だ。ユーザーには頭の痛い話だ。車はだんだん使えなくなって、不要な道路ばかりが増えてしまうことになる。)

防衛予算と道路予算のムダだけでも、徹底的に見直せば、5兆円の老人医療費が簡単に賄えないはずはない。
しかし、しかしだ・・・。
自民党は、防衛予算や道路予算には絶対に手をつけようとしないのだ。
お年寄りが、泣き叫ぼうが、無理心中しようが、あくまでも重い負担を押し付けるつもりのようだ。
道路や防衛予算を削ろうとしないのは、政・官・財の利権の温床なのだから、これも駄目か。
防衛省汚職事件で分かったように、5兆円近い防衛予算は、政治家、官僚、軍需産業が群がって、甘い甘い汁を吸っているからだ。
毎年、5兆2000億円が、黙っていても自然に入ってくる、道路特定財源も全く同じ構図だ。
政治家は、地元の土建業者に、不要な道路まで作らせることでガッポリもうけさせ、その見返りに献金と票をもらう。
官僚は、両者をつなぐことで、天下り先を確保出来る。
ひどすぎる話ではないですか。
政・官・財で、国民の税金をいいように山分けしているのだから・・・。

これが、世界第二の経済大国日本の内情だ。
税金が、適切に配分されていたら、高齢者が老後に苦しむこともない筈なのだ。
ヨーロッパの先進国では、高齢者を区分する保険制度など無いと言うではありませんか。

医療費の財源のことを言うなら、税金の無駄使いを見直すだけで十分可能だということだ。
なのに、それをやらない。やろうともしない。
半世紀にも及ぶ、自民独裁政権の“悪辣”がここにある。
国民のほとんどが、こんな「姥捨山」の医療制度など歓迎するわけがない。

この制度の中でも悪評高いのは、「終末期相談支援料」だそうである。
医者は、回復見込みの薄い患者と「治療」について話し合って、文書に残すだけで、報酬2000円が受け取れるのだそうだ。
これなど、患者に「延命治療はいらない」と言わせるのを奨励した制度で、それこそ「姥捨山」の象徴みたいだ。

政府は、今ごろになって慌てて重い腰をあげ、急遽、悪評の高いこの制度の見直しにかかった。
悪質きわまりない厚生労働省の役人が、自民厚生労働族をたぶらかして、医療費抑制の狙いででっち上げた非情なこの制度を、どう見直すと言うのか。
いっそ、一からやり直せと言いたい。
敬老の日や敬老週間には、「お年寄りは、日本の宝です。」と言っていたのは、もうとうに昔の話になってしまったか。

福田内閣支持率、ただいま、たったの18.2%・・・!
嗚呼、死に体の内閣・・・。
世論を気にしては、政治は出来ない(!?)と豪語する。
それでもなお、正気で(?!)国民の上に居座り続けている。
世論や支持率など気にしない。
総辞職や解散総選挙は、福田総理の頭の中にはない。
この国の政府は、一体誰のためにあるのだろうか。

マスコミで活躍している、著名な高齢のコメンテイターが、テレビの生放送中に発したこんな一句が耳に残った。
  「 死ねねえよ、後期高齢者と言われても・・・。」


映画「ONCE ダブリンの街角で」ー出逢いと別れー

2008-05-16 19:00:00 | 映画

ONCE、たった一度の出逢い・・・。
ある日、ある時、アイルランド・ダブリンの街角で、男と女は出逢った。

男は穴の空いたギターを抱え、街角に立つストリート・ミュージシャンだ。
女は楽器店でピアノを弾くのを楽しみにする、チェコからの移民だった。
一見、何の接点もない二人を、音楽が結びつける。
男と女の、言葉にできないもどかしさを音楽にのせて、一緒に演奏する喜びを見つけた二人のメロディは重なりあって、心地よいハーモニーを奏でる。
そんな、どこの街角でも起こりうる普遍的な出逢いが、静かに動き始める。

ジョン・カーニー監督のアイルランド映画である。
見ていて、何とももどかしさが残る作品だ。もっとも、そのもどかしさがテーマともいえる。
だから、そう思って見ればよいだけのことで・・・。
言葉では、照れくさくなる感情の表現も、音楽にのせると、より自然に心に響く。
人には、過去があり、現在がある。
実った恋もあり、実らなかった恋もある。現在進行形の恋だってある。
友情なのか、恋なのか。
かつての淡い思い出、男と女の友情など、誰もが一度は経験しながら、どこか理解できずにいる微妙な心理が、ここではもどかしいくらいに丁寧に描かれる。
それがまた、男と女の恋愛のタイミングのずれや鼓動となって、リアルに伝わってくる不思議さは感じられる。

夜の街角で、オンボロギターをかき鳴らす男(グレン・ハンサード)は、誰もが知っているヒット曲を弾いていた。
しかし、歌う男の前に足を止める者はいない。
そこへ、雑誌や花を売っている女(マルケタ・イルグロヴァ)が現れ、10セント硬貨を出す。
少ないチップに、男は皮肉を言うのだが、女には通じない。
 「お金のために?誰のための歌?恋人はいないの?」
女の執拗な質問を疎ましく思いながら、翌日に掃除機の修理を約束させられる。
それは、彼の昼間の仕事だ。
彼は、昔別れた彼女を想いながら、自分の部屋でひとり曲を作る・・・。

翌日、人混みに応えるように演奏する男の前に、壊れた掃除機を引きずって女が現れる。
彼は、再会に驚きながら、その強引さに押され、彼女がピアノを弾かせてもらうという楽器店に立ち寄る。
彼女のピアノの腕を確信した彼は、自分が書いた曲を一緒に演奏してみないかと持ちかけた。

二人のセッションは予想をはるかに上回り、美しいハーモニーを生み出した。
彼は、その演奏に喜びを覚え、彼女に惹かれていく。
彼は、彼女に自分の曲に詞をつけてみないかと提案する。
働くばかりの生活から、束の間、彼女も喜んで心に抱えていた想いを詞につづる。
女は家政婦の仕事に追われ、彼も掃除機と父親の世話をし、別れた昔の彼女のビデオを見ながら曲を作る。
彼は、まだ過去に生きている。

あるとき、彼女が、故郷に夫がいるが、いまは全く会っていないと告白する。
男は、覚えたてのチェコ語で聞く。
 「彼を愛してる?」
彼女は、チェコ語で答える。だが、彼には、その笑顔の意味することが分からない。

・・・男は、ストリートでいつものように花を売る女を見つけ、自分はこれからロンドンへ渡るから、最後の週末を一緒に数曲レコーディングしたいと提案する。
二人のレコーディングは順調に進んだ。
休憩のとき、ピアノのある暗いスタジオで、女は書きかけの曲を男の前で弾き、突然泣き崩れた。
彼女は、一人で家族を養っていたのだが、寂しさゆえ、男の優しさに心が揺らぎ始めていた・・・。
彼は、彼女に言った。
 「どう、一緒にロンドンに行かないか。そして、一緒に音楽をやろう」
 「お母さんを連れていっていい?」
彼女の一言で、二人の間に少し気まずい沈黙が訪れた・・・。
二人は見つめ合った。
・・・男と女の目は、いつまでも小さくさまよっていた。

二人が会っているときの、微妙に揺れるお互いの気持ちが読めて、面白くもどかしい。
人間とは淋しいもので、隣人や誰かとふと話したくなったり、今の想い、これからの出逢いに想いをめぐらして、どこかほのぼのとした気持ちになるものだ。

さすがに作品の中で歌われる歌は多いが、この映画  ONCE ダブリンの街で(←映画の詳細はこちらへ)のよいところは、主人公たちが俳優でないところだろう。                          
二人とも俳優でないこと、そのことがかえって温かく、自由奔放な作品を生み出したのかも知れない。
演技が、演技らしくなく、とても自然体なのがいい。

この作品のキイとなる二人(男女主人公)は、国内チャートで一位を獲得するアイルランドの実力派バンドのフロントマン、グレン・ハンサード(事実、彼はダブリンのストリート・ミュージシャンだった)と、実際にプラハのツアー中に出会い、自身のソロ・アルバムでも共演、共作したチェコの新鋭シンガーソングライター、マルケタ・イルグロヴァで、この二人が演奏活動を続けていくなかで、音楽的なコラボレーションまたこの映画出演の共演へと発展していったというのも、十分に納得のできる話である。

小品とはいえ、映画人の視点と詩人の感覚を持ち合わせた、一種の音楽映画といった趣がある。
この作品、サンダンス映画祭ダブリン国際映画祭の、観客賞受賞作だ。

 


映画「四分間のピアニスト」ー深き魂の叫びー

2008-05-13 05:00:00 | 映画

人は、誰でも生きる希望を持っている。
その生きる希望を打ち砕かれたピアニストが、自分の才能を信じてくれる女性教師との出逢いを通して、再び人生の輝きを見出すのだ。
そこに、声なき魂の演奏(さけび)が聴こえる・・・。

シューマン、モーツアルト、ベートーベン、バッハといった典雅なクラシックの名曲はもちろん、ジャズやロックなど他ジャンルのテイストを、自由にまた大胆にアレンジしたピアノ曲など、多彩な音色が奏でられて、音楽と言う概念を打ち破る、新しいタイプの映画とも言える。
ドイツアカデミー賞作品賞主演女優賞をさらった作品 「四分間のピアニスト」 は、クリス・クラウス監督が、8年の構想を費やして製作されたという。

クラウス監督は、或る新聞記事に目をとめた。
それは、刑務所でピアノを教えている80歳の女性に関する記事であった。
そこからクラウス監督の創作が始まり、映画のヒロイン、ジェニーには、1200人のオーディションで全く無名の新人ハンナー・ヘルツシュプルングが選ばれた。
天才ピアニストを演じる主人公の役は、そのゆえにこそエキセントリックな言動とその奥に秘められた無垢な魂の表現が要求され、圧倒的に存在感のある演技を見せてくれることとなった。

ピアノ教師として刑務所にやって来たクリューガーモニカ・ブライブトロイは、問題視されている少女ジェニーが、机を鍵盤がわりに無心に指を動かす姿を見つける。
愛に裏切られ続け、過ちをおかした囚われの少女ジェニーの、類いまれなる才能を見出したクリューガーは、それを花開かせることこそが残り少ない自分の人生の使命だと考え、所長を説得して特別レッスンを始める。
クリューガーにも、彼女自身の持つ過去の心の傷があったのだ・・・。
そして、その日から、全く違う世界に生きていた、二つの魂のぶつかり合いが始まったのだ。

全てのものに牙をむき、自らを傷つけようとするジェニーだったが、自分と同じ孤独を抱えるクリューガーの情熱にいつしか心を開いていくのだった。
・・・しかし、新たな悲劇が二人を襲った。
ジェニーが陰謀にはめられ、暴力事件を起こしてしまったのだ。

コンテスト決勝があと数日後に迫っているのに、ピアノを禁止されたジェニー・・・。
彼女を助けようとするクリューガーは、解雇されてしまった・・・。

・・・自由をつかむために残された時間は、わずかであった。
クリューガーは、法をも怖れぬ驚くべき計画を実行に移した。

ドイツオペラ座の、晴れの舞台・・・。
そこには、狂気のようにピアノの鍵盤をたたくジェニーの姿があった。
それは、自由への切符を勝ち取るためか?
四分間のピアノ協奏曲・・・、このラストシーンの、すさまじいまでの鬼気迫るステージに、誰もが釘づけになった。
演奏が終わって、沈黙の間があった。
すぐに起こった、聴衆の万雷の拍手は鳴り止まなかった。

しかし・・・、四分後ジェニーを待っていたのは・・・?!

息づまるラストの瞬間まで、物語の中でのジェニーは、陰のある暗い瞳で押し黙っている。
この衝劇的なラストシーンのために、クリス・クラウス監督は渾身の力をこめた。
作品全体が、ピアノフォルテと言ってもいい。
心揺さぶられる、圧巻(!)のラストである・・・。
見事なまでのまとめかただ。

音楽に、ドイツでは著名な日本人ピアニスト(白木加絵)を抜擢したのも興味深く、最後のコンサート場面で、彼女とハンナー・ヘルツシュプルングのショットを混在させて編集したと言われるけれど、違いが分からなかった。
始まりから終わりまで、思わず引き込まれていって目が離せない。
ドイツ映画 四分間のピアニスト は、これまでの既成概念にとらわれない、よく出来た音楽映画だ。


「 あっ、ゴキブリだ! 助けてぇ~!」

2008-05-10 06:00:00 | 寸評

嘘のような、ばかばかしく、でも本当にあった、お笑いにもならない話だ。
いやいや・・・、たかがゴキブリ、されどゴキブリなのだ。

夜中に、突然警察の電話が鳴った。
夜勤の署員が、すぐ受話器を取った。
 「もしもし、どうしました?」
受話器の向こうで、男の若い声が震えている。
 「すいません、あのう・・・」
 「はい、どうしました?」
 「大きなゴキブリが出たんです」
 「はあ?」
 「ゴキブリなんです。それが、とても大きなやつなんです」
 「だったら、捕まえたらいいではないですか」
 「はあ、でもそれが・・・」
 「ええ~っ?」
 「怖くて、近寄れないんです」
 「怖いって・・・?」
 「それに気持ち悪くて、駄目なんです、どうしても」
 「困りましたね」
 「はい。ゴキブリとゲジゲジと、それから大きな蜘蛛はどうしても駄目なんです」
 「・・・」
 「だから、来てもらえませんか。どうにかして下さい。お願いです」
 「そんなことで、今そちらへ向かうわけにはいかないのです。ご自分で駆除してください」
そう言って、署員は腹立たしそうに電話を切ったが、すぐにまたかかってきた。
若い男の声が叫んでいる。
 「駄目なんです!どうしても。何とかして下さい。このままでは、怖くて眠れません!」
 「・・・」
 「助けて下さい。お願いですから!」
あまりしつこいので、一応住所と名前などを型どおり聞き取ると、上司にことの次第を告げた。
 「しようがねえなあ、まったく・・・!何考えてんだ!」

交番で通報を受けた、中年の警部補は眠い目をこすりながら、ゴキブリ騒ぎのあった近くのアパートを訪ねた。
玄関を開けると、怯えた目つきで、パジャマ姿の若い男と女が立っていた。
 「奥さんも、ゴキブリは駄目なのかね?」
 「はい。もう、全然だめです」
と、若い妻は手をぶるぶる震わせながら、しっかりとした声で、いけしゃあしゃあと答えた。
 「困ったもんだね」
 「お巡りさん、早くして下さい、早く!」
部屋にそっと入って見ると、床の隅で、なるほど大きなゴキブリがまだもぞもぞと動いていた。
 「こいつか」
警部補は、ポケットからティッシュを取り出すと、目にも止まらぬ速さで、そのゴキブリを取り押さえた。
それを見ていた、若い妻が言った。
 「わぁ、すごい!」
 「何がすごいもんか。これだけのことだろうが」
夫はさすがに恐縮して、
 「・・・すみません。本当にすみません。助かりました。お巡りさんは、普段からそういう訓練もしてるんですか?」
 「馬鹿を言うんじゃない。そんな訓練なんてあるものか」
 「だってさ、蜂に襲われそうになったり、マムシとか蛇とかの生き物なんかに食いつかれそうになったりとか、あるじゃないですか。そういう時って、どうするんですか?」
 「そういうのは、そういう専門家がいるんだ。素人が手を出すもんじゃない」
 「そうですよね」
 「あたりまえだ。あほなこと言うな!お前たち幾つだ?」
 「21歳と20歳で~す・・・!」
若い女は、けたけたと笑いながら言った。
 「いい大人ではないか」
 「一応そうですけど・・・」
 「今回だけだ。人騒がせもいいところだ。こんなことぐらいで・・・」
 「はい。お騒がせしました」
 「輪ゴムか何かないか」
警部補は、妻が差し出した輪ゴムでティッシュをくるくると巻いて、傍にあったごみ箱に捨てた。
 「でも、こいつ、いままでよく逃げなかったな?お前さんたちのこと怖くなかったんだな」
 「は、はい。そうかも知れません」
 「ゴキブリも、人を見るんだな」
これには、若夫婦も警部補も苦笑いだった。
 「じゃあな」
 「ありがとうございました。これで、安心して眠れます」
そう言って、若夫婦は顔を見合わせた。

交番へ帰る道すがら、夜空を見上げて、警部補はやれやれとため息をついた。
 「ふざけるな。馬鹿野郎。二度と御免だぞ」

・・・嘘のような、でも大阪で本当にあった話だ。
この“ゴキブリ夫婦”の噂は、どこからともなく近所に広まった。
しかし若い二人は、そんなことは一向に意に介さなかった。
まだまだ、日本という国は平和(?!)な国なのかも・・・。
このとんだ“ゴキブリ夫婦”騒動について、所轄の警察の副署長は、ご丁寧な談話まで発表した・・・。
 「我々警察は、市民の皆様のために、生活の安全を第一に考えるところでありますから、どんなに些細なことでも、住民の
 方々から困っていられることでお申し出があれば、それをお断りするようなことは出来ないのです。はい・・・。」


「ラ・クンパルシータ」ーオルケスタ YOKOHAMAー

2008-05-07 12:00:00 | 日々彷徨

♪♪  哀愁に満ちたバンドネオンの音色・・・、あのアルゼンチンタンゴの歯切れのよいスタッカートが、この日も会場一杯に心地よく響いていた。
横浜育ちのタンゴバンド、オルケスタスタ YOKOHAMA の、横浜開港プレ150周年記念、アルゼンチンタンゴコンサートの会場にいた。
いつもそうなのだが、今日の会場も満席であった。 ♪♪

マエストロの齋藤一臣氏は、82年に オルケスタ YOKOHAMA を結成して間もなく、スバルド・プグリエーセと出会い、心の友となった。
これが縁で、86年、97年、05年と三度も、本場アルゼンチンのブエノスアイレスで、演奏会を開催して大成功を収めた。
ブエノスではウーゴ・バラリス、日本では牧野郁子に師事したヴァイオリニストである。

アルゼンチンタンゴのダイナミズムと奥深さが、どれだけのものか、その真の迫力を肌で感じたかったら、とにかくプグリエーセを聴けばいいとまで言われる。
低音域を重心に置いた、マエストロ自身のピアノを核に、各メンバーの高い演奏技術に支えられた、一糸乱れぬ豪快かつ緻密なアンサンブル、それがオスバルド・プグリエーセの最大の魅力であった。
強烈に叩きつけてくるリズムと、甘美なメロディの交錯、大胆なルバートはタンゴの究極の表現となって、“現代タンゴの最高峰”の称号も決して誇張ではない。
ブエノスアイレスの下町に生まれたプグリエーセは、さんざん辛酸を舐めたのち、1939年に楽団を結成して、常に妥協を許さない態度を貫いた。
彼は、95年に89歳でこの世を去るまで、半世紀以上にわたって、最高ランクの楽団を率いたのだった。
また作曲家としても、「レクエルド」「ラ・ジュンバ」など、他の誰にも書き得ないタンゴの傑作を残した。

そのオスバルド・プグリエーセを、心の奥底から信奉してやまない齋藤氏は、ブエノスアイレスの哀愁を、日本の港町横浜で、オルケスタ YOKOHAMA として、見事に開花させたのだった。
四人のバンドネオンの精鋭のほかに、ヴァイオリン、ビオラ、コントラバス、ピアノ、そして専属歌手佐野かおりをはじめタンゴダンサーら、総勢20人近いオルケスタを編成して、早いもので、横浜での活動を中心に26年の歩みである。
よくぞここまで、という感じがする。

ほとんど毎年のように、このオルケスタの演奏に接して来たけれど、このところ一段と音に“切れ”が増し、レベルが上がったように思われる。
この日も、「エルチョクロ」「別れ」「黒い瞳」「黄昏のオルガニート」「ア・ラ・グラン・ムニェーカ」「ラ・クンパルシータ」など20曲を一気に聴かせてくれた。
とくに司会者はいなくて、マエストロの齋藤氏自ら、軽妙なトークで曲と曲の間をつないで、いつも客席を笑わせている。
詩の朗読や、もちろん男女ペアのダンスもなかなか楽しい。
これが、このオルケスタのいいところでもある。

アルゼンチンタンゴと言えば、日本でどうしても忘れられないのは、早川真平とオルケスタティピカ東京のことだ。
それと共に、タンゴの歌姫藤沢嵐子のことも・・・。
早川真平亡きあと、まだご健在とも聞いたのは大分前だから、今どうしているだろうか。
・・・そんなことも思い起こさせる、今回のステージであった。
このオルケスタは、どこかいつも優美な演奏スタイルで、本場アルゼンチンでも絶大な歓迎を受けると言うのもうなずける。

このオルケスタ YOKOHAMA が、長年の師と仰いできたオスバルド・プグリエーセから、さらに飛躍しようとしている。
それは、“タンゴの王様”と呼ばれたカルロス・ディ・サルリへの挑戦だ。
バンドネオンは、派手なソロを弾くことはほとんどなく、ひたすらスタッカートを刻み続け、ヴァイオリンは、優美なレガートとスタッカートを交錯させてゆき、それらを巧みにまとめあげながら、魔術的とも形容できそうなディ・サルリのピアノだ。
そのピアノ・サウンドは、ストイックなまでに徹底した美学に貫かれていて、一度聴くと病みつきになるくらいなのだ。
個人的には、歯切れのよいピアノのイメージがある。
作曲家としての作品は数少ないが、彼が自分の故郷に捧げた名曲「バイアブランカ」を、何とオルケスタ YOKOHAMA は、最終ステージのアンコール曲に選んだのだった。

ヨーロッパのコンチネンタルタンゴとは異なり、哀愁のバンドネオンは欠かせないが、これまた哀愁に満ちた歌声で頑張っている野かおりさんも、なかなかいい歌を聴かせてくれる。
勿論原語だが、さすがファン・ダリエンソ楽団の専属歌手ワルテル・グティエレスに長年師事したというだけに、本場仕込みの歌のうまさには魅かれる。
ただ惜しいかな、いかにも線が細い。もっと声量が欲しい。

マエストロの齋藤氏は、こう言っている・・・。
 「これまでのプグリエーセ一辺倒から、これからは、カルロス・ディ・サルリを研究していきたい。」
そして、いままた新たに、齋藤氏自身が横浜とブエノスアイレスを舞台に書き下ろす「タンゴ・オペレッタなるものに挑戦中だそうで、来年早々には公演にこぎつけたいと意気軒昂だ。
学生時代からタンゴにのめりこんだ齋藤氏は、横須賀高校では小泉純一郎元首相とは同窓で、別に教育者としての一面を持っているが、情熱的なタンゴへの「情熱」は衰えることを知らない。
これからも、オルケスタ YOKOHAMA の素晴らしい活躍に期待したい。



映画「いつか眠りにつく前に」ーある愛の記憶ー

2008-05-04 05:00:00 | 映画

人生の持つ、一瞬の美しい輝きが、時に胸を打つ愛の物語を紡ぎだすのだ。
そんな癒しの物語を、ハンガリー出身のラホス・コルタイ監督が描いて見せた。
これは、<母娘の物語>と言っていいだろうか。

スーザン・マイノットの全米ベストセラー小説を、「マレーナ」でアカデミー賞撮影賞にノミネートされた、ラホス・コルタイ監督が映画化した。
クレア・デインズほか、ヴァネッサ・レッドグレイヴメリル・ストリープという、二大アカデミー賞女優の競演もなかなかのものだ。
輝くように美しい、若き日のアンを演じるクレア・デインズもいい。
ヴァネッサ・レッドグレイヴとメリル・ストリープは、この作品で再びオスカーを手にするのではとささやかれ、それぞれの実の娘と共演を果たしているのも話題だ。
アン役のヴァネッサ・レッドグレイヴの長女の役には、娘のナターシャ・リチャードソ、ライラ役のメリル・ストリープの若き日を演じるのは、娘のメイミー・ガマーということで、英米二組の名優の母娘共演を実現させたところも、この作品の大きな見どころとなっているようだ。

・・・重いい病に倒れた老婦人アン・ロード(ヴァネッサ・レッドグレイヴ)は、長女のコンスタンス(ナターシャ・リチャードソン)、次女のニナ(トニ・コレット)と夜勤の看護師(アイリーン・アトキンス)の看病を受けながら、静かに人生の最期を迎えようとしていた。
枕元で、二人の娘はじっと母を見守っていた・・・。

混濁した意識の中で、アンは、幾度も幾度も、娘たちの知らない男性の名前を口にしていた。
コンスタンスもニナも、その名を耳にするのは初めてであった。
意識と無意識の狭間を漂うアンの記憶は、1950年代の或る週末へと遡っていく。

歌手になる夢を持った24歳のアンは、親友ライラの結婚式で、ブライズメイドをつとめるために、ロードアイランドの海辺の町を訪れ、そこでハリス(パトリック・ウィルソン)と運命の恋に落ちた。
だが、その恋には悲劇的な結末が待っていた・・・。

アンは呟く・・・。
 「ハリスと私が、バディを殺したの」
母の言葉に驚く娘たちだった。
病の最期の床で、アンが口にした男の名はハリス、そしてバディはライラの弟だ。
アンの意識は、40数年前の、あの夏の日へ幾度も戻っていくのだ・・・。
現在と過去の世界が、かわるがわる、母娘の日常のデテールを細やかに紡いでいくのである。
かつて同じ24歳の親友同士だったアンとライラ、そして老いたのちの二人をめぐる人間模様・・・。

病床に横たわる老いたアンの傍らで、頬を寄せるかつての友人である老いたライラに向かって、アンはこう言うのだ。
 「ねえ、幸せなことってあった?」
 「ええ、たまにはね」
この二人の会話が、印象に残った。
・・・人生の最期に、死を直前にして、これほど冷静に、過去を振り返り見ることが出来るだろうか。

・・・そして、ようやく、バディの死の呪縛から開放され、自分がたどってきた道のりを、肯定的な視線で見ることができるようになったアンは、娘のニナにこう告げるのだ。
 「幸せになろうと努力して。なぜなら、人生に過ちなんてないのだから」
 
(バディ役のヒュー・ダンシーは、この映画の中ではアンへの報われない愛を演じたが、この映画が縁で、実生活では、クレア・デインズのハートを射止めて、相思相愛の仲だそうだ。)

結ばれることのなかった、愛であった。
成功しなかった、夢があった。
完璧に母となれなかった、後悔もあった。
どこか、ほのぼのと、しかし悲しく切ない。
かなえられなかった様々な出来事を、人生の終わりに思い出す女性アンと、そんな母を見つめることによって、自分たちの、人生を見つめなおす娘たちを包み込むような優しい視点で、ラホス・コルタイ監督は描いていく。

夕焼けの海に白いヨットが浮かぶ、幻想的な夢のシーンや、土砂降りのニューヨークを舞台にした再会のシーンなど、印象的な美しい名場面は、映像詩を思わせて素晴らしい。
繊細なタッチの音楽も、なかなかよい。
アメリカ映画 いつか眠りにつく前に は、二組の実の母娘の演技に注目だ。
この世代の女性たちの、後悔と切望と癒しが何処まで描ききれたか・・・。