徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

乗りものの中で(nonfiction)

2007-05-26 03:29:36 | 寸評

 朝遅いバスの中で、聞くともなしに聞こえてきました。
  「近頃、ちっともめずらしいことじゃないわよ」
  「そうかしら」
  「でもねえ、あたしたちにはとても出来ないわね、あんなこと」
  「そうよねえ」
  「お母さんは知っているのかしら」
  「まさか・・・」
  「そうよねえ」
  「おたく、お嬢さんいらしたわね?」
  「あら、うちの娘にかぎってそんな・・・!」(誰もがそう思っている)
  「そうは思っても、わからないものよ」
  「躾けって、大事よね」
  「家庭教育、ちゃんとしないとね」
 教育談義になってきました。
 おもわず見ると、やりとりをしている二人の視線の先に、若い女性がいました。
 まさに一心不乱、堂々と化粧の真っ最中だったのです。
 頬紅から、口紅まで・・・入念に。
 見ている人、見て見ぬふりの人、無関心の人、一切お構いなく・・・。
 
 なるほど・・・。ふむ、ふむ・・・。
 そういえばいつだったか、横須賀線の車内でも同じ光景を見ました。
 こんなこと、いまではもう当たり前だという人がいました。
 家の外へ一歩出たら、帰ってくるまで、どこで何をしていても、
 子供たちの行動のデテールなど誰も知るよしはないのです。
 
 まあ、身だしなみは、大いに結構なこととしても・・・。
 これも、公衆の面前でとなると、あまりほめられたものではありません。
 気分は灰色・・・です。
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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街角で(nonfiction)

2007-05-22 07:59:38 | 日々彷徨

 「もしもし、そこの奥さん!」
 呼び止められて、女性は慌てて乗っていたバイクを停めた。
 振り返ると、若い警官が立っている。
 「ちょっと降りて、こっちへ来て」
 女性はしぶしぶバイクを降りた。
 ヘルメットを着用していなかったのだ。
 あきらかに、まずかったという顔色だった。
 「免許証を」
 「あたし、いま急いでるのよ」
 「すぐ終わるから」
 警官は、女性の差し出した免許証を見ながら、調書を取り始めた。
 「いけないと分っていますね」
 そう言われて、女性はむっとした表情で、
 「分ってるわよ、そんなこと。うるさいわねえ」
 「うるさい?」
 「暇なおまわりさんね。いちいちうるさいのよ!セットした髪が崩れちゃうじゃない!」
 「じゃあ、バイクに乗らないことだね」
 すると、女性はすぐさま座席の下から黒いヘルメットを取り出し、いかにも実直そうな
 その若い警官に向かって、吐き捨てるように言った。
 「分ったわよ。うるさいんだから、まったく!これ、かぶればいいんでしょ!かぶるわよ」

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バスの中で

2007-05-19 05:49:06 | 寸評

 バスのなかで、隣りの人がガムを噛んでいました。

 中年の男性でした。

 クチャクチャ、クチャクチャ、それはそれは大きな音をたてて・・・。

 終点の停留所で降りるまで、ずっとです・・・。

 参りました。

 

  ついでですけれど、ガムといえば、これもどうも・・・。

 野球の選手が、よくガムを噛んでいますが、そのシーンのアップ

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居酒屋の同窓会

2007-05-17 16:13:11 | 日々彷徨

 大船の駅のすぐそばに、20年続いた居酒屋さんがありました。
 その居酒屋が、一昨年惜しまれつつ閉店してしまったのです。行きつけのとても感じのいい店でした。
 先日、その店の常連さんの同窓会がありました。 
 当時のマスターとママを囲んで、大勢が集まり盛会でした。
 
 その店は魚料理(刺身)と家庭料理の美味しさが売り物で、いつも常連の客で賑わっていたのです。
 そこでは、隣り合わせの客同士はもちろん、ママやマスターとも気軽に打ち解け、家庭的でした。
 マスターは魚の仲買人をしていたので、魚を見る目は確かでしたから、味の方は折紙つきです。
 近頃すし屋でも見かけない、ヒラマサとかノレソレ、ホウボウ、イトヨリダイなども時には出て・・・。
 それと、いなせな女将といわれた美人ママの、商売慣れしていないところが評判でした。
 つまり、味よし、ママよし、雰囲気よし、アトホームで、言うことなしだったわけです。
 客層もひろく、そこではもちろん肩書きや身分は関係なくて、会うと誰もがすぐに友達のようになりました。
 毎日立ち寄るサラリーマンもいたし、毎週千葉からやって来る大学の先生もいました。
 そして、その店で知り合った仲間同士で、忘年会や新年会を毎年必ずやるようになって・・・。
 ・・・その居酒屋のお別れ会のとき、泣いている若い夫婦がいたのを覚えています。
 どこか、とにかく不思議なやすらぎを感じさせる店だったんですね。
 
 そんな、愛好家たちで賑わった居酒屋が閉店となると、他にそれだけの店はあるようでないものです。
 かっての常連たちの慣れ親しんだ、あの憩いの場所は大船にはもうなくなってしまいました。
 いま、その店のあったところには、新しいビルが建っています。

 ・・・それから2年後、その時の飲み仲間たちが再会したわけです。
 たかが居酒屋、されど居酒屋・・・。
 再会した大人たちの誰もに、まるで昨日のことのような、静かななつかしい感動がありました。
 今年の暮れに、また皆で会おうということなりました。
 人と人の出逢い、そして別れ・・・。
 学校の同窓会も盛んですけれど、ひと味違った同窓会でした・・・。

    *追記*
      名前、<ジュリアン>に変わりました。
 
 
 
 
 
 
 
 

 

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パソコン教室

2007-05-13 17:41:34 | パソコン教室

 教室の作品展は、すぐれた作品が多く、自分が恥じ入るばかりだ・・・。
 これまで、教室で沢山のことを学んできたはずだけれど、どうも良い成果につながらない。
 
 毎日毎日、パソコンと向き合うわけではないから、忘れることのほうが多い。
  「それ、大分前にやりましたね」 なんていうことは、もう日常茶飯事だ。
  「あ、そうだっけ?」 なんていうことになる。
 
 授業中に、うっかりキイを間違えて、あわてて、またつづけて間違える。
 そうなると、戻るに戻れないこともよくあって、更に慌ててしまう。
  「違う、違う」
 F先生の声が、叱るでもなく、優しく聞こえる。
 きっと、まどろっこしいだろうなあと思う。
 
 授業のペースに、皆より遅れてしまうこともある。
 それでも、先生は辛抱強く待っていてくれて・・・。
  「皆さんは、そこで、ちょっと待っててね」
 それで、ちょっとだけ、安心するのだ。
 
 以前は、毎週宿題が大体あった。
 教えられたばかりのことだから、忘れないうちにやればいいのだ。
 ところが、その日にもう忘れていることがある。
 あとで、なんだ、そんなことだったのか、と分ることが多い。
 恥ずかしいのだけれど、電話で先生に聞いたりする。
 F先生も、O先生も、そんなとき親切に答えてくれる。
 これ、とても有難いことだし、ほんとうに助かる。
 先生が授業中だったりして、代わりに、Oマネージャーが答えてくれることもある。
 それでも分らないようなときは、先生からの電話を待つようにとの、丁寧な指示をうけることもある。

 パソコンて、いろいろ初心者には言葉が難しいし、電話では十分説明できないこともある。
 こちらでトラブルを起こしていることを、うまく伝えられず、歯がゆいこともある。
 そんな時でも、いつでも、先生方は親切なのである。
 おかしな間違いでも、難しい顔をしないで、すずしそうに笑ってる。
 それで、ほっとするのだから・・・。(自分)

 あ、こんなこと書くと、怒られそうですね。
 生徒から、なんでもかんでも質問が集中したりして。
 ですから、なるべくテキストを引っ張り出してきて、自分なりに努力はするけれど・・・。
 
 先日、もうすぐ90歳になられる方とお会いして、元気にパソコン生活を謳歌していることを知りました。
 デジカメ講座では、いまはホームにいるんですという、勉強熱心な女性の熱気を感じました。
 
 生きているということは、何かをしていること。分っているけど・・・。
 そういう人が、いきいきと輝いているんですね。

 教室は、楽しい授業を心がけてくれて、なかなか良い雰囲気だと思う。
 こうしたスタイルのパソコン教室って、他にあまりないのでは・・・?

 私・・・いつまでたっても新人です。まだ、これから、ずっと先まで。
 でも、今だって勉強中だけど、ブログって、結構大変だよねえ。
 (ブログの神様みたいな先生は、別格です。)
 

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横浜港祭りパレード

2007-05-13 10:38:36 | 日々彷徨

  

 それは、5月の祝日で、もう夏の暑い日ざしの照りつける午後のことだった。

 伊勢佐木町5丁目を歩いていて、たまたま、港祭り仮装行列のパレードに出会ったのだった。
 テレビでは見たこともあるが、生で見るのははじめてだった。
 日産や高島屋などのおなじみのフロート9台が、ほどよく時間をおいて、通過してゆく。
 フロートの上では、若い女性のグループが、色鮮やかな華やいだミニスカートで、格好良く踊りまくっていた。沿道には、カメラを向ける男性の姿が目だった。(自分はカメラを持参していなかった)

 この行列は、山下公園を出発して、阪東橋まで帰るのだった。
 パレードは、関内の馬車道から、イセザキ・モールをゆっくりと行進する。
 今年は、横浜開港150周年とあって、中田市長らも元気な姿を見せ、上機嫌の様子だった。

 こんなお祭りも、ときにはいいかな。(少し、目の保養になったかな)

 ・・・・しかし、そう浮かれてばかりもいられない。

 日本は、毎日毎日暗く悲惨なニュースが後を絶たない。
 それに、経済大国というけれど、超借金大国で、まじめな話、これはもう国家存亡の危機ですよね。
 いや、マジな話、ホントウですよ。
 いったいどうなっちゃってるの?

 中東イラクでは、ブッシュの起こした戦争はいまだに終息を見ず、毎日多くの国民が亡くなっている。
 北朝鮮では、食料不足などで飢餓がつづいている。
 地球温暖化、恐るべし・・・等等。

 話が、少し脱線しました。ついでに、もう少し・・・。

 まだまだ、日本は戦争のない平和な国です。
 憲法第9条第2項、これですね。

 ・・・そうでした。5月3日は、日本国憲法制定から60年、横浜港祭りの日は、憲法記念日でした。

 今、憲法論議が盛んだ。国民投票法案が国会で可決されて、これからどうなるのか・・・。

 思い起こすのは、日本とアメリカが手を結んだ、日米安保条約。
 そして、あの安保闘争のなか、国会デモのすさまじかった学生運動で樺美智子さんが亡くなった。
 安保条約を強行可決し、昭和の妖怪といわれた岸信介、その血をひくいまの総理大臣。彼は、日本をどんな美しい国に変えてくれるのだろうか・・・?

 ・・・ところで・・・。

 伊勢佐木町は、魅力的な街ではあるけれど、気になることが二つある。
 それは、あの洒落たレンガの舗道にやたらとゴミが多いことと、近頃特にアジア系の外国人のあまりの多さだ。(国際都市横浜なのだから?)




駄弁を弄しました。
  ご容赦のほどを・・・。         

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夭折の天才詩人・中原中也

2007-05-11 17:34:55 | 日々彷徨

 30歳という若さで青春を駆け抜けた詩人中原中也と、25歳で生涯を終えた画家で詩人の富永太郎展をこのあいだ神奈川近代文学館で見た。

  中原中也に興味があったが、富永太郎と二人をならべて「二つのいのちの火花」としたのはよかった。二人には共通するものと相反するものとがあったように思われてならない。

  幾度も通いなれた元町の商店街をぬけ、あの外人墓地にそった急な石畳の階段を登り詰めると、やがて港の見える丘公園である。 この公園を横切って文学館の前にたつと、なにかほっとする安らぎが感じられて、そこで亡き二人の天才としばらくの間向かい合うこととなる。

 中也はランボー等フランス詩に傾倒し、自らも沢山の才知きらめく詩を残した。 彼は、かの小林秀雄のもとに走った不思議な妻との三角関係に懊悩しつつも、結局自分のもとから去っていった彼女を、永遠の女性として讃えていたのだった。

 自筆の作品、書簡からにじみ出る彼の美学と哲学を読み解くことは容易なことではないと思われた。 

中也の詩論をライフワークに考えていた大岡昇平も、「武蔵野夫人」などの名作は残したが、志半ばにして他界してしまった。彼も生前の中原中也を良く知る一人だった。 

 それにしても、この文学館の静かな空間は、何なのだろうかと思った。

 窓際で飲む一杯のコーヒーがうまかった。   

 そうだ。あのイギリス館のわきの広い薔薇園は、いろいろな種類の薔薇がいまごろ絢爛とした花盛りを迎えていることだろう。   

           汚れちまった悲しみに   

           今日も小雪の降りかかる   

           汚れちまった悲しみに   

           今日も風さえ吹きすぎる       

           汚れちまった悲しみに   

           なすところなく日は暮れる・・・・             

                       (中原中也) 

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