徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「キャラメル」―身も心も、美しく輝くために―

2009-05-30 21:00:00 | 映画

レバノン・フランス合作という、まことにめずらしい映画である。
ベイルートの小さなエステサロンに集う、5人の女たちを描いている。
ナディーン・ラバキー監督・主演・脚本による、初長編作品だ。
語られる言葉は、レバノン語フランス語だ。

この映画、驚いたことに、主演以外のほとんどの登場人物が素人だということだ。
ナディーン・ラバキー監督の、友人、知人たち6人までものキャストが共演者だ。

中東の女性は、昔から“キャラメル脱毛”という方法で、むだ毛の処理をしていたようだ。
街の雑貨屋で、有名化粧品会社の脱毛ワックスが容易に手に入るのだそうだ。
それは、砂糖に水とレモン汁を加えて煮詰め、キャラメル状にしたものだ。
この“キャラメル脱毛”というのが、かなり痛いものらしい。
この映画のタイトルは、そこから来たものだ。
女性たちは、エステサロンで、この脱毛法を受けながら、悲鳴を上げている。

独身女性ラヤール(ナディーン・ラバキー)は30歳、既婚の恋人に振り回されながら、エステサロンのオーナーを務めている、魅力的な人物だ。
そんなにぎやかなエステサロンの向かいで、ひっそりと仕立て屋を営む65歳のローズ、恋人に呼び出されると仕事を中断してまで車で会いにゆくラヤール、自分の外見を過剰なまでに意識し、若い恋人に夢中になっている別居中の夫と思春期の2人の子供に、イライラする毎日を送っているジャマル、結婚を前に、フィアンセに自分の過去を打ち明けられないイスラム教徒のニスリン、口数少なく内向的で、ほかの女たちのように肉感的でもコケティッシュでもないおとなしい女リマ・・・。

5人の女性たちが、それぞれの悩みを抱えながら、互いの友情を分かちあっている。
断ち切れない、身勝手な恋人への想い、女性たちが美しさを求めて集まる場所エステサロン・・・。
そして、ニスリンの結婚式を前に、それぞれの人生が動き始める・・・。


そのサロンを舞台に、恋愛、結婚、不倫、老い・・・など、さまざまなことに苦悩する世代の異なる女たちの人生は、しかし、ユーモアと優しさに満ちた涙で細やかに描かれる。
まともに観ていると、へぇ~っ!と驚くようなシーンもあったりで・・・。
女性は、幾つになってもいつまでも輝いていたい。
心情がよく理解できる。
レバノン本国では、6ヶ月というロングランを記録したそうだ。

中東のレバノンで、いまなお因習や慣習に苦しみながら、支えあって明日へ向かってたくましく生きている女たちがいる。
その女たちの強さと脆さを、キャラメルの甘さ(ビタースウィート)を使って、見せてくれる。
要するに、女たちの解放のドラマなのだ。


レバノンは、内戦のあった国だ。
1990年に、この内戦が終わり、このときナディーン監督はまだ17歳の少女だった。
映画「キャラメル」は、ベイルートが舞台なのだが、戦争のことは一切語らない。
それでいいのだ。
それでいて、初のナディーン監督作品となった。

西洋と東洋の女性の間で、レバノンの女性は自由であるように見えても実はそうではなく、心の深いところでいつも風習にとらわれ、教育や宗教的な束縛を感じているのだ。
レバノンの女性が、イスラム教徒であろうとキリスト教徒であろうと、自分の現在と、彼女たちのないものと世間に受け入れられるものとの間の矛盾の中に、常に生きつづけている。
そう感じさせる、作品だ。

内戦後のレバノンを考えるとき、すべてその出来事が、この映画「キャラメルまでもが‘政治的’な意味合いを持つと、ナディーン監督は言っている。
だから、政治的なものから逃げることはできないとも・・・。
今日、レバノンに君臨する、エキゾティックな緊張の感じとれる、希少な作品だ。

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つれづれ談義―筆のすさびの、あれこれ―

2009-05-28 17:00:00 | 雑感

  1955年製作の、日本映画「浮雲」を観る。
フィルム状態により、一部見苦しいところもあったが、巨匠・成瀬巳喜男の代表作だ。
原作は林芙美子で、「めし」「稲妻」「妻」「晩菊」と続く作品群とともに、世界映画史にまで名を残す名作だ。
水木洋子の脚本もいい。
起伏の激しい物語の展開だが、成瀬監督の冷徹な対象凝視の姿勢が一貫していることを、うかがい知ることができる。
高峰秀子、森雅之、岡田茉莉子ら、なかには今は故人となった俳優も名を連ねていて、半世紀以上も経たいまでも、その細やかな描写は、さすがに名匠ならではのものです。
小津安二郎が、「俺にもできないシャシンは、溝口の『祇園の姉妹』と成瀬の『浮雲』だ」と言った話はあまりにも有名だ。


  ドキュメンタリー映画「雨が舞う~金瓜石残照」(林雅行監督)もよかった。
かつて、東洋一の金鉱と言われた台湾北部の金瓜石・・・。
日本の植民地でもあった、1930年代の全盛期をしのぶ作品だ。
1987年に閉山したが、そこで生きた日本人と台湾人の哀しみがあったのだった。
川のせせらぎ、風の音、鳥や虫の鳴き声、そしてこの地をかつて通り過ぎた人々の声が聞こえる。
文部科学省選定の名編は、まるでニュースフィルムを見るようであった。


  第62回カンヌ国際映画祭では、コンペテイション部門で、シャルロット・ゲンズブールが最優秀女優賞を受賞した。
パルムドール(最高賞)には、ミヒャエル・ハネケ監督のオーストリアの白黒映画「白いリボン」が選ばれた。
期待された、菊地凛子主演のスペイン映画「マップ・オブ・ザ・サウンズ・オブ・トウキョウ」は、技術賞を受賞したが、主要な賞は逃した。
まあ、いつかこの二本の映画が日本で公開されるときは、是非観たい。


  ノーベル賞経済学者で、プリンストン大学のクルーグマン教授が、日本政府の定額給付金を採点すると0点だと、吐き捨てるように語った。
こんなものを日本が実施することが理解できないとし、アメリカや他国ではほとんど貯金にまわり、使われていないそうだ。
また、省エネ家電への買い換え優遇のエコポイントなる制度についても、よく解らないと言って切り捨てた。
日本の経済政策が、嘲笑を買っている。
恥ずかしい話だ。


  日本郵政の、西川社長のかんぽの宿の疑惑を理由に、鳩山総務相が怒りを爆発させている。
辞任を迫る勢いだが、西川社長をかばい、続投圧力をかける小泉一派に揺れている麻生総理の構図だ。
このトップ人事、どう決着するのだろうか。
それによって、政局は大きく動きそうだ。
鳩山総務相は、辞任覚悟で正義の剣を振り下ろしそうな気配だ。
結果如何では、西川問題がこじれると、麻生政権は持たないかもしれない。


  さいたま市長選で、自公推薦の現職が大敗し、民主推薦の47歳の新人が、何と6万票近い差をつけて当選した。
名古屋に続いて、民主党は、鳩山新体制発足後二連勝だ。
益々勢いづいて、自民党はショックだ。
景気対策だ、やれサミットだと、ダラダラと解散、総選挙を引き延ばしているが、国民の怒りが最高潮に達している証ではないか。
政権交代が、現実化してきた。
党首討論も、麻生総理は同じことの繰り返しで肝心のことに答えていないし、時間が勿体無い。
しかも、この期に及んで内閣改造で解散引き伸ばし、などという噂も永田町を駆け巡っているらしい。
いよいよ、自民党も末期的な症状か。


  漢検協会の背任事件、容疑者の前理事長父子がデタラメ私物化で逮捕された。
その大久保ファミリー企業で、実際に働いていない、前理事長の娘まで、毎年600万円の役員報酬を払っていたそうだ。
無茶苦茶ではないか。
何もしていないのに、ひどすぎる話だ。


  韓国の盧武鉉前大統領の自殺は、衝撃的だった。
韓国の政治的報復の凄まじさが、透けて見える。
確かに、大統領が潔白だったなどとは思わない。
でも、時の権力者が、検察という捜査権をほしいままにすれば、何でも出来ないことはない。
過去、韓国の大統領は、政治報復の歴史を重ねてきている。
検察当局は、前大統領のみならず、夫人、息子、娘、実兄、親戚と、魔女狩りのように、大統領周辺を攻め立てたようだ。
一方的に検察情報を流し、どこかの国でも同じようなことが起きてはいませんか。
権力と検察、マスコミが組んだとき、その恐怖はどんなに増幅されることか。
対岸の出来事だからと言って、安心してはいられない気持ちになる・・・。


  前代未聞の大掛かりな法要が、国立競技場で行われるそうだ。
その名も「石原裕次郎二十三回忌」だそうで・・・。
・・・法要の当日は、競技場に総持寺風の建物をしつらえ、ご本尊の釈迦如来像を‘出張’させるのだそうだ。
集まるのは20万人ともいわれ、その費用たるや総額5億円、5万人に抽選で記念品に贈られる芋焼酎についての問い合わせが、放送局やプロダクションに殺到しているといいます。
テレビ、音楽業界もこれに便乗するというから、スゴい!
そういえば、石原裕次郎のパチンコ機が登場するそうだ。
その名も、いまなお「嵐を呼ぶ男」とは・・・。
いやいや、恐れ入りました・・・。

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映画「消されたヘッドライン」―スキャンダルから陰謀へ―

2009-05-25 05:00:00 | 映画

いま、メディアが多様化するなかで、新聞の存在意識があらためて問われている。
真実を報道すべき新聞の、大きな役割と責任を考えさせられる。
このアメリカ映画は、巨大権力にペンで立ち向かう敏腕記者を描いた、ケヴィン・マクドナルド監督の力作だ。
いやあ、この映画、なかなか面白くてよろしい。

主人公の敏腕記者・カル(ラッセル・クロウ)、政府と軍事産業の癒着を暴くべく、利権にからむ真実を報道しようとする。
ワシントンD.C.で、二件の事件が相次いで起きる。
黒人の少年が殺され、目撃者もまた瀕死の重傷を負う。
もう一件は、国会議員スティーヴン・コリンズ(ベン・アフレック)のもとで働く女性ソニア・ベーカー(マリア・セイヤー)が、出勤途中の地下鉄の駅で謎の死を遂げる事件だ。
自殺か他殺かは不明だが、コリンズ議員とソニアの不倫疑惑が明るみに出て、大スキャンダルとなる。

カルは、ワシントン・グローブ紙のベテラン記者だ。
コリンズとは、学生時代からの友人でもある。
マスコミにたたかれたコリンズは、彼にソニアの死は絶対に自殺なんかではないと言う。
カルは、射殺された黒人の携帯電話の履歴から、ソニアにたびたび電話をかけていたことを突き止める。

そして、一見何の関係もない二つの事件が、一本の糸で結ばれる。
新人女性記者デラ(レイチェル・マクアダムス)と組んで、カルはあの手この手を駆使して、この事件の恐るべき背景を探っていく・・・。
それは、イラク湾岸戦争で膨大な利益をあげている、ポイント・コープ社のさらなる巨額の利益にからむ陰謀だったのだ。

やがて、カルは殺し屋の標的となる。
カルは、やっとのことで殺し屋の手から逃延びるのだが、ワシントン・グローブ紙の女性編集長キャメロン(ヘレン・ミレン)は、一刻も早く記事にするよう命令を下すのである。
カルは、命がけの取材を続けていく。
そして、政府を巻き込むほどの利益にからんだ、とてつもなく大きな闇を、彼は知ることになるのであった・・・。

カルは、襲撃の事実を次々とあばいていくのだが、そのなかには過激な手法もある。
それでも、彼は真実に迫るために何でもする。
取材現場で起こりうる問題が、サスペンスタッチで生々しく描かれる。

実際、こうした反社会的な勢力とかかわる取材では、脅迫も多く、記者は身の危険を覚悟で、ときには取材相手や情報提供者とも対立することになる。
これは、新聞記者たちの見た現代アメリカの闇だ。

主人公カルを演じる、ラッセル・クロウが文句なしに際立って上手い。
取材のために、さまざまな駆け引きを通じて奔走する記者を演じて、さすがである。
ケヴィン・マクドナルド監督の演出も、古いタイプの新聞記者がジャーナリズム魂を貫こうとする過程を丁寧に描いて、シャープな切り口を見せてくれる。

アメリカ映画「消されたヘッドラインは、政治不信が叫ばれ、メディアの果たす役割がとりわけ重みを増している、日本の現実にも通じるテーマを扱った、問題作だ。
重厚で、リアルな緊張感に満ちた、見応えのある作品となっている。

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自粛どこ吹く風―インフルエンザ騒動―

2009-05-23 01:00:00 | 雑感

近くの主婦が、ふたりで立ち話をしている。
母親は、そこを通り過ぎるとき聞こえた話に、複雑な気持ちになった・・・。
 「・・・だから、先生も先生、学校も学校よ、ねえ」
 「まったくだわ」
 「アメリカへなんか、行かせなくてもよかったのに、ねえ」
 「自己責任で、すむ問題じゃないわ」
 「結局、多くの人に迷惑をかけているんですもの」
 「こういうときだから、自粛できなかったのかしら」
どうやら、娘の通っている学校の話のようだ。

いそいそと帰宅すると、高校生の娘が唇をとがらせて、何か呟いている。
 「お母さん、学校が一週間も休みになったのよ。おまけに、楽しみにしていた修学旅行も中止になったわ」
 「あら・・・」
 「さんざんだわ」
 「クラスのお友達が、インフルエンザにかかってしまったのだから仕方がないわね」
母親は、そう言ってなぐさめるのだが、
 「アメリカに行かなければねえ」
 「そんなこと言ったって・・・」
 「・・・」
 「私たちや学校まで、皆から白い目で見られているのよ」
 「ええ」
 「批難や中傷の電話が、学校や先生はもちろん、入院した友達の家にまでかかってきてるのよ」
 「まあ!ひどい話ね」
 「ひどい話だわ。校長先生も、全員集会で申し訳ないって謝ってたけど」
 「・・・」
 「電車やバスに乗り合わせた人からも、電話があったんですって」
 「まあ!」
 「お父さんかららしいわ。うちの子供が、もし感染したらどうするんだって」
 「心配だとは思っても、そういうことはなかなか言えない話よ」
 「私だって、色眼鏡で見られているのよ。だから、制服着て電車やバスに乗りたくないの」
 「そんなこと言ったって・・・」
母親は、ますます困惑した表情になった。

 「周囲の、そうした過剰な反応にも困ったものねえ」
 「本当だわ。インフルエンザにかかって入院した生徒だって、まるで犯罪者みたいに扱われているのよ。お母さん、わか
  る?ひどい話でしょ」
 「よくわかるわ」
 「インターネットにまで、先生も生徒もバカだって中傷する書き込みがあったのよ。ちゃんと責任とれって」
娘は、悔しそうに言った。
 「中傷や誹謗は、いいことじゃないわね」
 「担任の先生がね、タクシーに乗ろうとしたら、乗車拒否されたんですって。それから、生徒がインフルに感染してもいない
  のに、家族までが病院の予約を一方的にキャンセルされたり・・・、もう、ひどいよ。ひどすぎるよ」
娘は声をふるわせた。
 「それで、ほかの生徒さんは、休校になってどうしているの?」
 「どうもできっこないでしょ。外出しないようにっていうことだし、それでも出かける子は出かけるけどね」
 「出かけるって、どこへ?」
 「カラオケとかゲームセンターとか・・・。でもね、休校の生徒とわかると入れてくれないのよ」
 「不安過剰ね。わからないことはないけれど」
 
夜遅く、白いマスクをしたままで、商社マンの父親が帰ってきた。
 「来月、出張が決まったよ」
 「どこへ?」
 「ニューヨークだ」
 「あら、まあ」と、母親は目を丸くして、
 「こんな時に、どうしても行かなくてははいけないんですか」
 「ああ。上からの指示だからね。気をつけて行ってきてくれと・・・」
 「ビジネスマンはつらいわね」
 「仕方ないさ」
 
 「私も、神戸のおばあちゃんのところへ行くのやめたわ」
 「・・・」
 「おばあちゃん、元気だから心配しないでいいからって」
 「へえ、そうか」
 「今度の騒ぎで、神戸の街は死んだみたいだそうよ」
 「そうか。ひどいことになったなあ。あんまり大騒ぎもなんだが・・・。ここは、じっと我慢だな」
 「そうねえ。有馬温泉は臨時休館を決めた旅館もあるというし・・・」
 「キャンセルも?」
 「そのキャンセルなんだけど・・・」
 「・・・ん?」
 「修学旅行も中止らしいわ」
 「・・・?」
 「それでね、旅行会社からキャンセル料払えですって、学校に」
 「そんな馬鹿な!」
 「・・・でしょう?学校では全額はとても無理だから、生徒の家庭からいくらか払ってほしいと・・・」
 「何だって!ふざけるな、そんな馬鹿な話があるか」

新型インフルエンザ騒動、一家にまでいろいろと物議をかもし出しているようだ。
終息どころか、騒ぎの余波は、いたるところに広がりつつある・・・。
翌日、長い休みにうんざりしている高校生の娘は、あたふたと玄関に立つと、
 「どこへ行くの?」という母親の制止に耳もかさないで、
 「映画でも観て来るわ。友だちと約束してるの。いいでしょ!夕方までには帰るから。じゃあね」
 「・・・!」

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映画「おと な り」―ときめきのはじまり―

2009-05-21 08:00:00 | 映画

みずみずしい感性で、ピュアに描く、熊澤尚人監督の作品を観た。
一度も顔を合わせたことのない、都会のアパートに住むお隣り同士・・・。
そういうことは、よくあることだ。
壁の向こうとこちらで、音を通じて惹かれあっていく、ふたりの恋の行方を描いている。
この作品は、なかなか味わいのある、はっと思わせるような心の機微を、一瞬の輝きのようにとらえている。

カメラマンの聡(岡田准一)は、人気モデル・シンゴ(池内博之)の撮影に多忙な毎日を送りながら、自分の進むべき道を模索していた。
風景写真を撮りたいという思いを抱え、葛藤する彼の心を癒してくれるのは、古いアパートの壁越しに聞こえてくる隣人の日々の生活音であった。

ドアを開けるたびに響く火箸風鈴、加湿器の水が切れる音、口ずさむメロディやくしゃみをする音、フランス語のレッスンをする声など多種多様な・・・。
会ったことのない女性が暮らす部屋の音たちは、いつのまにか、聡にとって安らぎを感じさせる存在となっていた。

フラワーデザイナーを目指して、花屋でアルバイトをしながら、フランスへの留学を目前に控えた七緒(麻生久美子)が、隣りに住んでいる女性だった。

ふたりのそれぞれの日常の中に、さまざまなハプニングが紛れ込み、それはふたりにとって、現実を見つめなおし、新たな一歩を踏み出すためのきっかけとなっていたのだった。
幾度かすれちがいながらも、まだ顔を合わせたことのないふたりが、正面から出会う日は訪れてくるのだろうか・・・。

温もりのあふれる、レトロなおもむきのアパートが、まだ見ぬ恋を静かに育む舞台だ。
そこで、会わないふたりが、いかにして心を通わせていくのか。
ドラマの展開は気になりながらも、終末がなかなか見えてこない。

作品は、微妙なニュアンスのさじ加減を大切にした作りで、岡田准一の役どころとしては、そういうセンシティブな部分で、監督の期待に応えたものになった。
日常生活で忘れがちになっていることの中にある、大切なもの(たとえばこの作品では‘音’など)に目を向けたところは、斬新な感じがする。

恋愛といえば恋愛映画だが、この映画はふたりが出会うまでの物語で、主人公たちも、分かりやすい典型的な男女というわけではなくて、むしろ内省的で、とてもパーソナルな悩みを抱えている。

この作品は、‘音’に対するこだわりが色濃く、細かい実験を重ねながら、心に響く音を撮るように努力したという。
ひとつひとつの音に意味があり、主人公たちの気持ちになって聞ける音を心がけたせいか、役者のセリフと同じくらいこだわったそうだ。
壁越しに聞こえてくる生活音の中には、聡がコーヒー豆を挽く音も、チェンキーホルダーの揺れる音もある。
さまざまな音によって、実際に心を通わせて、まさにこれから何が始まるのかという期待をもたせる・・・。
映画の終わり方も、なかなかうまい終わり方で感心させられた。

物語の中で描かれる、人気モデルと彼の恋人や、聡との相関関係は、ドラマにふくらみを持たせる効果をねらったものだろうが、もっとさらりと流して欲しかった。
聡の部屋に駆け込んできた、シンゴの恋人・茜(谷村美月)とくだらない言い争いをする場面は何なのか。
テーマから大きくそれているようで、なんとも騒々しい、不要なカットではないのか。
こんなシーンは要らない(?!)とまで、思ってしまうのだが・・・。

演技陣は、他にとよた真帆、平田満、森本レオらがわきをかためている。
等身大のラブストーリーに初挑戦の岡田准一も、いい雰囲気を出している。
熊澤尚人監督映画「おと な りは、欠点も目立つが、いまどき比較的丁寧に作られた小品といえる。
こんな映画も、悪くはない。

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傀儡と言うなかれ―民主党新体制―

2009-05-19 08:30:00 | 雑感
鳩山民主党がスタートした。
人事を見ても、現時点では、これが妥当な顔ぶれかもしれない。
ところが、新聞、テレビの民主党報道は少し異様だ。
やたらと、民主党批判が目立っている。

鳩山代表では、小沢傀儡だ、院政ではないかと騒ぎ立てている。
親小沢と反小沢の対決だとか、人事が決まる前から、どうも公正中立な報道姿勢とも思えない。
一体、何なのだろう。

国民の多数が、いまや政権交代を望んでいることは確かだ。
60年も続いた自民政権に‘否’を突きつけているのだ。
一日も早く衆議院を解散して、総選挙を待ち望んでいる。
でも、麻生総理は頑として動く気配はない。
時だけは、過ぎていく。

滅茶苦茶な(?)予算のバラ撒き政策で、世論の支持を挽回しようとやっきになっているが、どっこいそうはいかない。
緊急世論調査の結果では、民主党の鳩山代表に軍配が上がった。
次の衆議院選挙で勝って欲しい政党に、民主党を挙げた国民は多い。
毎日新聞によれば、民主56%、自民29%だった。
ほかの各社の調査でも、鳩山氏リードだ。

このままでは、麻生総理のいい加減な政権戦略は水泡に帰すかも・・・。
景気対策の補正予算を成立させ、支持率挽回を狙い、解散を打つつもりだったのではないか。
おそらく、相手が小沢前代表であれば、勝機もあると見ていたふしがある。
しかし、突然の辞任、鳩山新代表への期待の高まりで、麻生戦略は大きく狂ったのでは・・・?
かくて、早期の解散は難しくなった。(?!)

小沢傀儡などと、軽々しく言うべきではない。
そんなことばかり言っていると、心ある有権者の反感を買うばかりだ。
悪政の限りを尽くしてきた自民政権の延命策は、国を滅ぼすだけだ。

世界の先進各国は、常に政権交代を繰り返しながら、国民生活の安定をはかってきた。
日本のように、一党独裁みたいに半世紀以上もやりたい放題の政権は類がない。
民主党に肩を入れるつもりはないが、敢えていえば、いろいろ言われていても、政治の裏も表も知り尽くした小沢前代表が、裏からバックアップしなければ、いまのこの腐敗だらけの官僚政治は打破出来ないかも知れない。
オーストラリアは、昨年11月に、11年ぶりで与野党が逆転して政権交代を果たした。

自民党政権の失政を改めるには、もはや政権交代しかない。
そこで、しがらみを断ち切り、この閉塞した日本社会を打開するしかない。
院政だ、傀儡だ、やれ呉越同舟だなんて、ちっぽけなことを言っている場合ではないだろう。
だからどうしたというのだ。
新聞、テレビは、野党をたたくことにしばしば血道をあげているようだが、政権交代に反対ではないのか。
もしかして、自民政権の‘居心地’のよさを失いたくないのではないか。
そんな気さえしてくる。

地デジ普及など、テレビ局は麻生政権と利害も一致しているようだ。
だから民主党政権になったら、自分たちの既得権益だってどうなるかわからない。
それゆえに、日本の政治が劇的に変わるのを怖れているのだろうか。

大勢の政治家が、金権にまみれている。
自民党の、あの大物政治家の政治資金捜査はどうなったのだろう。
限りなく黒い政治家は、与党にもわんさかいるのに、小沢前代表秘書の捜査と比べものにならないではないか。
検察までが自民寄りで、その上マスコミまでも・・・?

いずれにしても、またとない政権交代の時は、着実に現実に近づいている。(!?)
何だか、嵐の予感がする。
民主党の動きから、がぜん目が離せなくなってきた。
まずは、近く行われるだろう、麻生・鳩山党首討論に注目だ。
日本の国の大掃除に、国民の期待はいやがうえにも高まっている。
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映画「60歳のラブレター」―人生の分岐点で―

2009-05-17 09:00:00 | 映画

夫から妻へ、妻から夫へ、口には出して言えない、互いの感謝の言葉を一枚の葉書に綴るという試みから、何と9万通近い愛の実話が誕生した。
この映画は、それをベースにドラマ化されたものだ。

人は、「第二の人生」をどう生きたらよいのか。
いま、そのことが大きな命題となっている。
夫婦の心の機微を映像化した。
何も、熟年夫婦に限らない。
これから、パートナーとともに人生を歩む若い夫婦にも、夫婦や家族の絆を伝えてくれる。

・・・観客には、しかし圧倒的に熟年男女が多い。
深川栄洋監督のこの作品は、導入部から前半少々かったるく、物語のテンポも遅い。
観る人によっては、やや退屈な場面も・・・。

夫から妻へ、妻から夫へ、お互いの想いを伝える3通のラブレター・・・。
そこに綴られるのは、彼らが歩いてきた日々と、それぞれの今、そしてこれからだ。
隣りにいるのが当然だった自分が、夫や妻の‘かけがえのなさ’にようやく気づくという設定だ。

・・・会社の定年退職を目前にして、第二の人生をはじめようとする、孝平(中村雅俊)とちひろ(原田美枝子)は、離婚を決意し、お互いが別の道のりを歩き始める。
そんなとき、新婚当初、ちひろが30年後の孝平にあてて書いた手紙が、時を経て届けられる・・・。

・・・5年前、愛妻に先立たれ、娘と暮らす医師・静夫(井上順)は、翻訳家として活躍中の麗子(戸田恵子)と出会う。
新しい恋に臆病だったふたりに、勇気をくれたのは、思いがけない人からの英文のラブレターだった・・・。

・・・青春時代、ビートルズを謳歌し、いまは鮮魚商を営む正彦(イッセー尾形)と光江(綾戸智恵、口喧嘩はたえずとも、友だちのようなふたりに悲しい出来事がおとずれる。
手術にのぞむ光江の眠る病室で、正彦の弾き語るギターの音色は、ふたりの思い出の曲であった・・・。

個性的な三組の夫婦が熱演する。
年を重ねてこそ感じる迷いや焦り、喜びや幸せ、そしてかけがえのない大切な人との絆を丹念に描いている。
何よりも、<私>自身はどう生きるのか。
これからの人生を、よりよく美しく輝かせようとする人たちに、勇気と希望を与えてくれそうだ。
深川監督のカット割りは、三組のカップルを登場させ、頻繁に場面を転換していく手法だが、ストーリーはよく理解できる。

ドラマの中で、たとえば孝平と言う男は、とにかく仕事一筋で家庭をかえりみない。
いわゆる、日本の典型的な親父みたいな男だ。
その彼に言わせるセリフが、なかなかいい。
 「ずっと、自分が引っ張ってきたと思っていたけれど、実は女房に背中を押されて生きてきた」といった具合だ。

ただ、どうも深川監督という人は、脚本古沢良太とともにまだ若い世代のせいもあるのだろう。
ドラマの中に、いろいろとアイデアを盛り込むのはよいとしても、もう次に言うセリフや行動が分かってしまうことが多く、笑わせどころもいかにも計算ずくで、わざとらしさを感じる。
観客はくすくす笑っているのだけれども、どうも覚めた目で観ていると、妙にしらじらしく、素直に笑えない。
お決まりは、最後に感動をもたらすようにドラマは盛り上がりを見せるのだが、この辺りは大人のおとぎ話(?!)だ。
北海道の、ラベンダーの畑に花がひとつも咲いていないのに、いつの間にか一面のお花畑に変わって、ファンタジックな演出なのだが、いかにも安易な場面設定に思える。
この作品を観て、号泣した人もいるとか・・・。
「おくりびと」に負けない感動作だと絶賛する人もいるが、さあどうだろうか。
日本映画独特の、お涙頂戴的なものになってしまう危険を感じないでもない。

夫婦の問題って、現実にはもっともっとシビアで、深刻なものがあるし、外国映画にはなかなか意味深い作品を見受けるのだが、日本映画となると・・・。
深川栄洋監督60歳のラブレターは、俳優陣もいい味を出していて好感も持てるが、その反面、全体にいたいけな甘さや弱さ、作品自体に幼さのようなものをも感じた。
この作品を観たから思ったわけではないが、人が何かを始めるのに、決して遅すぎるということはない。

          ***********************************

   三木たかし氏・追悼
 音楽関係の方々の訃報が続いています。
 作曲家・三木たかしさんは、数々の名曲を残して逝きました。
 歌は、作る人がいて、歌う人がいて、そしてそれを聴く人がいる。
 もとをただせば、作る人がいるから、はじめて歌を聴くことができます。
 三木たかしさんというと、どうしても、この人を思い出してしまいます。

 三木氏の葬儀は、船村徹氏を葬儀委員長として、20日東京芝公園の増上寺で営まれるそうです。
 三木氏にお礼を申し上げるとともに、故人のご冥福を心からお祈りいたします。合掌。

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映画「ブロークン・イングリッシュ」―恋は臆病から―

2009-05-13 06:00:00 | 映画

このタイトルからは、どこかの国のハチャメチャな英語を使ってはしゃぎまくる首相を連想してしまうが、映画は違っていた。
少し前の作品になるけれど、肩のこらない、ミラクル・ロマンスだからだ。

現代女性の心の襞を、淡い色彩で描いた、地味な味わいの作品だ。
男と女の違いを見せつけて、まああり得ない話(?)だから、ミラクルというわけか。
ゾエ・カサヴェテス監督の、アメリカ・日本・フランス合作映画だ。

愛は、不器用で、臆病で、それでもその先に本当の恋が見えてくる・・・。
ニューヨークで出会い、パリで愛に気づいた。
あるがままの自分で愛し、愛されること・・・、女性による、女性のためのラブストーリーというわけか。
知らない愛に気づき始める男と女の、リアルな距離感が歯がゆく面白い。
誰もが憧れる、ニューヨークとパリの街並みが、一応ロマンをかき立てる・・・。

三十代、独身のノラ(パーカー・ポージー)は、ニューヨクのホテルで働く、仕事中心の日々を送っていた。
親友のオードリー(ドレア・ド・マッテオ)は、自分の紹介した相手と結婚した。
母親は、ことあるごとに自分のことを心配している。
男性と付き合おうとすれば、失敗する。
本当に愛し愛されるパートナーには、めぐり会えないかも知れない。
・・・揺れ動く、そんな女の気持ちさえ、日常にかき消される。

ある日、気分晴らしに出かけた友達のパーティーで、フランス人のジュリアン(メルヴィル・プポーと遭遇する。
ノラは、失敗ばかり繰り返していて、自分が傷つくのが怖い。
それだから、情熱的で優しい彼を信じられない。
だが、そんなジュリアンに惹かれている自分に気づいたとき、彼からパリに戻らなければならないと告げられる。
彼はノラに一緒に行こうと誘ったが、彼女はいまの生活のすべてを変える決断ができなかった。
ジュリアンは去っていった。

ノラの心に、ぽっかりと穴が開いてしまった。
仕事も手につかない。
このまま、また平凡な日常に戻るのか。
忘れようとすればするほど、せつなさが募った。
何もしないでいれば、何もかも失われる。
そう気づいたとき、オードリーの後押しもあって、二人は一緒にパリへ向かったのだったが・・・。

ゾエ・カサヴェテス監督ブロークン・イングリッシュは、愛とは抗いがたい魅惑で人を夢中にし、至上の歓びを与えるものだということを、女の視点で誰にも解りやすく説いているかのようだ。
大人のおとぎ話なのだ。

現実にはありえそうにもないミラクルが、結末に用意されているあたり、いかにも女性ならではの映画作りを感じさせる。
女の悲しさは愚かさであって、それは馬鹿馬鹿しいおかしさに変わる。
女心が、透けて見えてくる。

いつでも、恋は臆病で盲目だ。
ドラマとしては、さほど珍しい題材ではない。
いまの時代、婚活がひそかに盛んのようだ。
自分のいるべき場所を探し続ける、女たちの痛みはいつの時代も変わらない・・・。

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映画「BOY A」―人は、もう一度生き直せないのか―

2009-05-11 20:30:00 | 映画

暗く、重い過去を、十字架のように背負う青年が、新たな人生を歩みはじめる。
イギリスの若手作家、ジョナサン・トリゲルの同名小説を映画化した。
ヒューマンストリーである。

新鋭ジョン・クローリー監督のこのイギリス映画は、痛ましい現実を背景に、贖罪についての、小さいがそれでいて偉大な、心を奪われるような物語だ。
未来のために、もう一度生き直すために、本当の名前を失った青年の心の傷、希望、孤独を、痛くなるほどにエモーショナルに描いている。

まるで幼い少年のように、青年ははにかんで笑顔を見せていた。
彼は、生まれ変わって、“新しい自分の名前”を選ぶ。
名前は、ジャック(アンドリュー・ガーフィールド)だ。
親からも愛されず、学校でいじめられ、「BOY A」となった主人公の青年の心には、大きな傷あとがある。
彼は、決して消せない罪を背負っている。

そのジャックに、ふとした出会いから、いま愛する人ができた。
仲間もできた。
それでも、彼は自分に問いつづける。
 「ぼくは、ここにいてもいいの?」

主人公を世話するソーシャルワーカー(ピーター・ミュラン)は、ジャックと父子のような関係を築きながら、実の息子とは心を分かちあえない、難しい役柄を演じて興味深い。
物語がすすむにつれて、少しずつジャックのことを知り始めるときに、衝撃の結末が訪れる・・・。

どんなにやさしい子供でも、ちょっとした偶然の重なりで、不幸な人生を歩んでしまうことがある。
人間の過去と罪、さらには先入観を問う深刻なテーマを投げかける作品だ。

イギリス映画「BOY Aは、みずみずしいリアリズム溢れる、ささやかな感動作となった。
重いテーマを扱っているのだが、ベルリン国際映画祭のパノラマ部門で審査員賞に輝いた。
人は、自分の生涯において、過去におかした罪とは決別しえないものであろうか。

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映画「シリアの花嫁」―再帰なき国境を越えて―

2009-05-09 20:30:00 | 映画

もう二度とは帰れない。
それでも、私はこの境界を越える。
イスラエル占領下の、ゴラン高原・・・。
若き娘モナが、シリア側に嫁いでゆく一日の物語だ。
いい映画であった。

モントリオール世界映画祭で、グランプリに輝くなど、数々の映画賞を受賞した。
エラン・リクリス監督の、イスラエル・フランス・ドイツ合作の‘女性映画’だ。


結婚式の今日は、花嫁モナ(クララ・フーリ)にとって、最高に幸せな日となるはずであった。
しかし、彼女の姉のアマル(ヒアム・アッバス)も、悲しげな顔をしていた。
何故なら、一度国境を越えて、花婿のいるシリア側に行ってしまったら、二度と家族のもとには帰れないからだった。
国境の境界線とは、軍事境界線のことをさしていた。

彼女たちをはじめ、家族もみな、国、宗教、伝統、慣習、あらゆる境界のしがらみに翻弄され、もがきながら生きていた。
モナは決意を胸に秘めて、‘境界線’へ向かうが、そこでは複雑なトラブルが彼女たちを待ち受けているのだった・・・。

モナがシリア側へ渡るための、手続きを行うイスラエルの係官が到着する。
彼女の通行証に、イスラエルの出国印が押される。
国際赤十字のジャンヌと称する女性が、モナの通行証を持ってシリア側へゆく。
モナの代わりに、彼女が所定の手続きを踏まなければならないのだった。

家族は、手続きの終了を待つのだが、シリア側の係官がイスラエルの出国印を見るやいなや、その通行証を「承認できない」と言って、突き返されてしまうのだ。
イスラエルの係官は、花嫁はイスラエルから出てゆくと主張する。

・・・一方、ジャンヌや係官たちのトラブルをよそに、モナの姿が見えなくなる。
何と、モナは国境のゲートをするりと抜けて、シリア側に向かって歩き出しているではないか。
晴れやかで、美しい表情を満面に浮かべて・・・。

舞台となるゴラン高原の村は、もともとシリア領であったが、第三次中東戦争の時イスラエルが占領した。
この地域の多くの住人たちは、‘無国籍’扱いとなり、新たに引かれた‘境界線’の向こう側にいる肉親との行き来さえも不可能にされた分断状態に置かれているのだ。
境界線のところで、急に仲介人らしき女性が現われたのには、ちょっと驚いたが・・・。

結婚式が、家族の永遠の別れになるかも知れないという、逆説的な筋立てが、すでに劇的な要素をはらんでいる。
小さな場所を舞台に描かれた、巨大な絵画の趣きだ。
それは、自由への愛、自由の精神への愛を謳っているかのようだ。
ここであれ、向こうであれ、それがたとえ国境の向こうであろうとも、どこであれ、希望という灯を抱き続ける人々の大いなる夢なのだ。

エラン・リクリス監督映画「シリアの花嫁は、構成力、演出力共に優れた作品だ。
複雑な中東情勢を背景に、花嫁や家族ひとりひとりの一日のエピソードの数々を、時にコミカルに、時にリズミカルに積み重ねて、深みのある物語を綴っている。
そこには、闘う女たちの姿がある。
それが、人間の‘強さ’だろうか。
国家のはざまに生きる人々を描いて、胸に迫るのは何か。
そして、ふと思った。
国とは、国家とは何なのだろうか。

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