徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

「女帝(エンペラー)」ー毒にみちた美しき悪の華ー

2007-06-29 03:12:52 | 日々彷徨

 見ようと思っていて、忘れていました。
 公開最終週に、どうやら間に合いました。

 この映画、シエイクスピアの「ハムレット」を下敷きにした、絢爛豪華な舞台劇のようです。
 この作品では、ヒロインのチャン・ツイー演じる王妃(皇后)ワンは、夫を殺して皇位に着いた義弟リーと結
 婚するのですが、実はリーではなく、ハムレットに相当する皇太子ウルファンだという、大胆な設定です。
 言い換えれば、「ハムレット」の皇后(王妃)ガートルードをヒロインにすえ、ハムレットを義理の息子として
 いるわけなのです。

 ・・・遠い昔(?)、英語の授業で、シエイクスピアのこの物語を読んだことを思い出しました。
   <To be or not to be, that is the question. 生きるべきか、死すべきか、それが問題だ。>

 映画「女帝」は、唐王朝が滅亡した直後と思われる、中国古代の戦乱の時代の物語です。
 そして、この物語は、先代の皇帝の怨恨から発した愛憎渦巻く復讐劇へ発展していくのです・・・。
 全編、絢爛たる映像美と目をみはるアクションの連続です。
 どうしてどうして期待にたがわず、なかなかの見ごたえです。
 
 特筆すべきは、ヒロインのチャン・ツイーの素晴らしさです。これはもうこの人のほかにいないでしょう。
 彼女は今年28歳、いまやアジアの宝石とまで言われる、中国を代表する女優ですが、評判はうなぎ
 のぼりです。ハリウッドからも多くのオファーがあるといいます。
 <HERO><LOVERS><SAYURI>、そしてこの<女帝>と一段と成長してみがきがかかって,
 世界的な評価の高まっていることもうなずけます。
 かつての可憐で清楚な役柄から、初の汚れ役、悪女を演じていますが、さすがに、確かな演技力と舞
 踏(立ち回り)のできる得がたい女優で、いまがまさに旬といったところでしょうか。
 
 シャオガン監督は、あくまでも人間の欲望にこだわって、この作品をつくったそうです。
 演出もかなり凝っていました。
 たとえば、何ともあの妖しげな白塗りの仮面の舞踏といい、敷物の上を這い回る一匹の大きな蠍(さそ
 り)のシーン等等・・・。
 登場人物は、その誰もが欲望の中で自己を失い、滅びてゆくのです。
 いわば、その滅びの美学とでも・・・。

 おのれの権力を完璧なものにするため、臣下たちの前で粛清を続ける皇帝リーに忠誠を迫られた王妃
 ワンは、今度はわが身を守るために、世界で一番憎い男の前にひざまずくのです。
 ・・・そこで、彼女は、自分の持つもっとも気高い魂を、復讐の神に捧げるのですが・・・。                       

 権力と野望、愛と復讐・・・それらは、どうも映画のシーンのいたるところで見られる、「赤」と「黒」の色調に象徴
 されているようにも見えました。

 極めつけは、いよいよその時がおとずれて、広大な宮廷の夜宴の席で、「毒」が「華」となって、最後の
 のクライマックスにいたるあの場面です・・・。
 
 男女の群臣たちの舞いが踊られ、雅な音楽が流れ、その中で酌み交わされる美酒(?)・・・。
 人それぞれの、欲望に満ち満ちた毒の入った盃は、最後に一体誰の手に渡るのか。
 王妃ワン(チャン・ツイー)が、固唾を呑んで見守る中、蠍(さそり)の猛毒を溶かした盃に、皇帝が口を
  つけようとしたその瞬間から、二転三転、いや四転もあったかと思われる、息づまるような衝撃のカタス
  トローフへ・・・。

      ただ この夢のために
      山河は砕け散る

      ただ この思いのために
      別れては まためぐり合う

      すべての愛をかけて 報いたのに
      あなたは戻ってはこない

      歳月がすべてを押し流し
      やがて何もかもが消えていく
      何もかもが・・・

      何もかもが・・・


 上映時間2時間20分、短く感じられました。
 中国映画の、文句なしの秀作とみました。
 最近、中国映画の海外進出、目覚しいものがありますね。   
 このところ低迷している、日本映画に頑張ってもらいたいものです。


 

  


「パイレーツ・オブ・カビリアン(ワールド・エンド)」

2007-06-18 19:50:46 | 日々彷徨

 人気に後押しされて、まことに遅ればせながら、ようやく見ました。
 (どうせ混んでいることだろうし、急ぐこともない、あとでゆっくりと思って・・・。)
 さすがに話題作だけあって、十分楽しませてもらいました。(字幕スーパーです。)
 途中、気持ちの悪いシーンもかなりありましたけれど、それはそれとして・・・。
 前作を凌ぐ、壮大なストーリーの展開には見所満載で、とくに後半は息をもつかせぬ迫力と急テンポに圧倒されました。
 
 まあ、話は奇想天外な現実離れした物語ですが、娯楽映画としては一級の作品に仕上がっています。
 でもよく、このような脚本ができたものです。
 
 主演陣は言うまでもありませんが、脇を固めていた、深海の悪霊デイヴィ・ジョーンズのビル・ナイト、
 神秘的な預言者ディア・ダルマ役のナオミ・ハリスの演技が、異彩を放っていました。
 ともに、この物語の中では、欠かすことの出来ない、重要な役どころです。
 進化した海賊船の造りも見事でした。

 このシリーズ、2年から3年かけて作られたといいます。
 撮影は、物語の順序どおりではないから、いろいろスタッフも役者さんも大変でしょうね。
 まず、このような大作は、日本では難しいでしょう。
 
 自由、正義、伝説、怪奇、呪縛、愛と死、再生、情熱、勇気、冒険、活劇・・・。
 いろいろなものを、ふんだんに散りばめた極上のエンターテイメントというところですか。
 人気になって、興行成績がトップというのも分ります。
 
 音楽担当のハンス・ジマーという人は、ハリウッドの大御所さんのようですが、全編に流れる音楽は、
 なかなか歯切れもよく、これまた優雅、豪快なその音律は熟成されたサウンドとして、響いてくるものがありました。
 映画音楽の効果大ですからね。

 映画のエンディングのところで、テーマ音楽がかなり長く流れてのち、前作と同じように、1シーンありました。
 それも、ああやっぱりと納得しました。
 
 エンディングになると、すぐに席をたつ人がいますが、よいことではありませんね。
 最後にタイトルや紹介などがくることも多いし、思いがけない映像の入ることがあります。
 ・・・音楽を聴きながら、エンディングシーンを見る。
 そして、映画はやはり映画館で見るものですね。
 映画って、そういうものです。  

 
 
 
 
 
 
 
 
  


されど、「たばこ」ーその一服の功罪ー

2007-06-15 19:47:19 | 寸評

 梅雨入りの翌日は、暑い晴れた日になった。
 区役所前の通りで、たばこをくわえた男性とすれ違った。振り返った。
 彼は、その吸っていたたばこを、ぽいと路上に投げ捨てた。いけませんね。
 これ、市条例で二万円以下の罰金になるのだが・・・。
 この通りは、いつも、街かどボランティアのグループが、吸殻や空き缶を拾って回収している場所だ。
 暑い日も、寒い日も・・・。街のクリーン部隊だ。
 だが、捨てる人と拾う人のいたちごっこはいつも繰り返されている。
 
 ・・・たばこを吸う人は、その一服が至福のときだという。
 でも、吸わない人も最近は増えてきているそうだ。
 たばこの売れ行きが伸びないと、税収が減って困るのは財務省である。
 
 愛煙か、禁煙(嫌煙)かとなると・・・。
 いま、分煙がかなりのスピードですすんでいる。世の中がそういう趨勢にあるようだ。

 たばこを吸っている男性のいる居酒屋で、常連客の女性が、男性にではなく店主に言った。
  「たばこの煙で、お料理の味が変わってしまうのよ。ねえ、何とかしてほしいわ」
 一瞬、しんとなった。店主は何も言わず、困った顔をしていた。
 女性は、思い余ってのことだろう。なかなか言えることではない。
 男性にも聞こえたらしく、慌てて吸うのをやめた。それを見てほっとした。
 確かに、食材とたばことでは、水と油である。

 会社で、上司の喫煙を注意した女性が、セクハラのあげく退職したという話もある。
 一言言うのにかなりの勇気が必要だ。でも、いまの世の中逆切れだってなくはない。

 パチンコ屋に寄って自宅に帰ると、背広にたばこの臭いがしみついている・・・。
 それを、人に言われて気づいたりもする。

 会席でたばこをとりだした紳士が、女将から部屋の外で喫煙するように注意されたり・・・等等。
 人とたばこの関わり合いは、好きであれ嫌いであれ、何かと気を使う場面が多々ある。

 小さな店や一般の家庭では、分煙といってもなかなかうまくいかない。
 自分が嫌煙(!!)だからといって、分煙をめぐって、家族や友人と「犬猿の仲(!!)」ではまずい。
 ここは、吸う人も吸わない人も、両者共存ということになると、まあ常識ある互譲の精神(気配り)で望みたいですね。
 ただ吸いすぎは、過ぎたるはなほ及ばざるがごとし・・・。よくないことはよくない。
 
 音信普通の後輩がいた。
 数年前に肺がんで亡くなったことを知った。ヘビースモーカーだった。
 まだ若かった。
 
 たばこは、15世紀頃、種子島銃を日本に伝えたポルトガル人によって広められたといわれる。
 罪つくりな(?)話かもしれない。
 
 決断と努力で、好きなたばこをやめて禁煙に転じて、本当に良かったという人もいる。
 でも、酒と同じで、好きなものはなかなかやめられないのも事実である。人は人、我は我・・・。
 たかが「たばこ」、されど「たばこ」・・・
 
 長い間、たばこを吸い続けた人の、肺のエックス線写真を見せられた。
 タールで真っ黒であった。愕然とした。
 今、たばこがガンの有力な原因だということは、世界の常識となっている。
 ・・・経済効果か、健康医学か。

 あ、私ですか。私、たばこ吸いません。はい。どうも、すいません。
 

    
 
 

 
 


鳩おじさん

2007-06-10 04:47:33 | 寸評

 駅への近道は、春は桜、夏は青葉の川沿いの道である。
 その川沿いの橋の袂で、いつも鳩に餌をやっているおじさんがいる。
 今日も、茶色いハンチングのおじさんはそこにいた。
 そのおじさんが来ると、きまって鳩が集まってくる。
 鳩は、おじさんの肩や腕にまでとまって餌をねだっている。傍らで2、3人の小学生が面白そうに見ていた。
 おじさんは、その子供たちにも餌をわけてやった。

 見ると、おじさんの手にしたビニールの袋にはパン屑が一杯だった。
 パン屋さんで買ってくるのか、もらってくるのか。仕入れも大変だ。
 子供たちは、分けてもらった餌を鳩にやって、楽しそうにはしゃいでいる。
 アスファルトの舗道は、あたり一面鳩の糞だらけである。
 
 そこへ、おばさんが通りかかった
 なにか、おじさんに言ったみたいだ。
 おじさんの、少し怒ったような声だけが聞こえた。
  「分ってるさ、そんなこと」
 一瞬、子供たちも驚いたような顔をした。
 すぐそばに、立て看板があった。
    <鳩に餌を与えないでください。>
    <鯉に餌を与えないように。与えた人は、後始末をしてください。>
   
 おばさんは、どうも鳩の糞害に憤慨(!!)して、鳩に餌をやらないでほしいと言ったらしい。
 おじさんは、おばさんのことを無視して、パン屑を全部鳩の群れに撒いた。
 あとでわかったが、おばさんはいつもこの辺りをきれいにしている、お掃除おばさんだったのだ。
 
 あの子供たちは、大人たちを見て何を学ぶだろうか。動物愛護の精神・・・?それとも・・・?
 野生の生物に、人間は餌を与えてはいけないと言われている。
 
 次の日、茶色いハンチングの鳩おじさんの姿はそこにはなかった。
 ふと見ると、橋の下の川辺にそのおじさんはいた。
 おじさん、川の鯉に餌をやっていたのだ。鯉だけではない。鴨まで集まってきていた。
 おじさんを見つけた鳩の群れも、またそこへ飛んできた・・・。
 鳩おじさんは、鯉おじさんになった。
 

 
 
 
 


言論の「自由」

2007-06-06 04:04:44 | 寸評

 今、国会が大きくゆれています。
 これは、6月5日の朝日新聞夕刊の一面(トップページ)のコラムの記事です。
 全国民が目にしていて、読んだ人も多いはずです。
 あえて、全文を原文のまま、ここに紹介させていただきます。

   ≪安倍政権は八方ふさがり。
    大看板の拉致問題解決に進展の兆しなし。
    教育再生などいつのことやら。
    農水相自殺に伴う政治とカネ問題への対応は不全。
    中ぶらりん年金を1年で洗い直すというが、ほんまかいな。
    イラク戦争はブッシュ任せ。
    北方領土は動かせず。
    はやる改憲なんてとてもとても。
    これでは、期待された「選挙の顔」になんかなれそうになし。
           ×      ×
    それで電気屋に転職したのかと思ったよ。
    首相ご夫妻出演広告。≫   (素粒子)

 天下の朝日新聞の記事です。
 警鐘か。揶揄か・・・。
 朝日新聞と官邸の確執はいまでも続いているようで、マスコミで周知のように、
 例のNHKの番組編成問題以来(?)両者はあまり仲がよろしいとは言えません。
 
 政治の世界には、魑魅魍魎の跋扈する、とてつもなく深い闇があるようです。
 はてさて、一国の宰相とはいったい何なのでしょうか。
 
 
  
 

 


富士見高原(つづき)

2007-06-03 02:48:30 | 日々彷徨

   (承  前)
 富士見高原は、まことに空気がいいところで、水が美味しい。
 八ヶ岳の山麓の湧水は、名水だそうである。
 中央線の北側に八ヶ岳連峰、南側に南アルプスのやまなみが連なる。
  この街の雄大な眺望はさすがだ。
 ・・・かつての山里は、風光明媚をそのままに、いま大きく変貌しようとしている。
 昭和から平成へ、時は流れて、四季折々の自然の豊かなこの地は、いま明るい高原の文化都市とし
 て発展しつつあるように見える。

 6月、入笠山の鈴蘭の群生がいっせいに花を開く。
 残念ながら、そこまで今回は足をのばすことができなかった。
 
 帰りの道を急いだので、各駅停車が着くまでかえって時間があった。
 駅前の食堂に入った。
 信州そばは、本場でこその味が美味しかった。
 暇をもてあましていた店のおばさんが、妙に人懐こい顔をして声をかけてきた。

  「お客さん、これからどこまで帰るの?」
  「横浜」
  「へえ、横浜まで?」
  「うん」
  「遠いねえ。横浜じゃ、東京より先だものねえ」
  「ああ」
  「そうだ、このあいだ、川崎だか横浜だかあっちのほうからここに移り住んだ人がおるよ」
  「そうかね」
 高原にも、この数年の間に、急激に別荘やペンションが増えた。
  「なんたって、ここは空気がいいからって、それだけの理由でもないと思うけど」
  「たしかにね」
  「あんたぐらいの年の人も多いんだよ、ここ最近」
  「・・・・」
  「去年越してきて、パン屋さんをはじめた人もいるし・・・。都会暮らしが嫌になったからってね。
   でもね、だからといって若い人たちは無理だろうよ」
 私は黙ってうなずいた。
  「東京から来た人は、子供さんの持病の喘息が治って、とても元気になったって喜んでた」

  「お客さん、今日は入笠山のほうに行ってきたかね?」
  「いや」
  「鈴蘭がそろそろだねえ。まだ少し早いかね。なんたって、花の百名山のひとつだからね。」
 いやいや、よく喋るおばさんだ。
 おばさんは続けて言った。
  「もったいないねえ、富士見まで来て。・・・お客さん、観光で来たんでしょう?違うの?」
  「うん、まあいろいろ・・・。ちょっとね、散歩ってところかな」
  「散歩だって?いいねえ」
  「あんたみたいな人も、よく来るよ」
  「そう」
 と言って、私はふっ、ふっと思わず笑い出してしまった。
 だって、そのおばさん、先ほどからひとのことを「お客さん」と言ったり、「あんた」と言ったり・・・。
 まあ、いいか・・・。

  「おばさん、この次の駅、すずらんの里って言ったかな」
  「ああそうだよ。・・・鈴蘭のあとは、レンゲ躑躅だよ。秋になったらエゾ竜胆(りんどう)だね。
   そりゃあ、綺麗さ。花好きの人にはたまらないよ。あんたも、またおいでよ」
  「ああ、来られたらね」
 束の間の行きずりの出会いに、ほっとしたやすらぎをおぼえた。

 電車の到着を知らせるアナウンスが聞こえた。
 ・・・食堂を出るとき、おばさんはまた人懐こい顔で、こちらを見ながら小さな手を振った。
 


 
 


文学散歩 ―信州富士見高原―

2007-06-01 15:43:10 | 日々彷徨

 特急も急行も通り過ぎたあとに、各駅停車の電車は、その高原の小さな駅のホームに、私ひとり
 だけを降ろして、ゆっくりと走り去っていった。   
 駅の改札口を出て、中央線の線路を越え、反対側の緩やかな坂道を歩いていくと、すぐ富士見町役場
 の前に出る。その向かい側に、今では近代的な総合病院となった富士見高原病院(旧富士見高原療
 養所)がある。田舎の町の病院としては立派だ。
 
 この日は、現在の病院の裏手に残されている旧病棟(サナトリウム)に、案内してもらった。
 天井も壁もくすみ、階段はみしみしと音をたてた。古い病室に入ってみた。
 当時のままのベッド、椅子、机、そして壁には、いくつもの額のなかにセピア色の写真があった。
 机の上には、入所者の詳しい名簿の記載されたノートやアルバムも残っていた。
 そのノートには多くの作家、芸術家の名前があった。アルバムは一部欠落していた。
 
 堀辰雄は病を得ていて、軽井沢で、やはり病める少女矢野綾子と知り合って婚約した。
 彼は、油絵を描くその少女につきそって、このサナトリウムにはいった。辰雄30歳のときだった。
 綾子は、それからほどなく、昭和10年12月、彼にみとられてその25年の短い生涯を閉じた。
 小説「風たちぬ」「美しい村」などの一連の作品に、その女性が登場する。
  「・・・私たち、これから本当に生きられるだけ生きましょうね・・・」(風立ちぬ)
 これらの作品は、いずれも終焉の地となった信濃追分で書かれた。
 それは、澄み切った清冽な抒情をもって描かれ、まるで鎮魂歌のような趣きをなしている。
 アルバムにあったはずの二人の写真は、何者かに持ち去られてしまっていた。

 詩を書き絵も描いた竹久夢二は、大正の歌麿ともてはやされ、数多くの女性遍歴ののち、2年4カ月の
 渡欧から帰国して、この療養所にたどりついたのだった。
 「宵待草」は、夢二未完の作詞に、二番は友人の西条八十が補作してこの歌を完結した。
 その夢二も、ここで孤独のうちに没した。
    ・・・待てど暮らせど来ぬ人の、宵待草のやるせなさ・・・


 鎌倉文士で、のちに流行作家となった久米正雄は、この療養所と鎌倉を舞台に、はかなくも美しい
 物語として「月よりの使者」を書いた。映画も歌も大ヒットし、この地を一躍有名にしたのだった。
   ・・・白樺揺れる高原に、竜胆(りんどう)咲いて恋を知る・・・


 この高原療養所で、不治の病と闘いながら、明日さえ知れぬ人生を精一杯生き、輝き、そして愛があ
 り、別れがあり、はかない吐息のように過ごした人たちの想いが伝わってくる。   

 高原病院をあとにして、考古館と高原ミュージアムをまわった。
 振り返ると、広いキャベツ畑の向こう、八ヶ岳の稜線にもう黄昏が迫っていた。
 一日数本しかない各駅停車の列車を逃さないように、道を急いだ。
 何かが、かなしかった。
 そのとき、風が吹いた。冷たい風だった。
 ・・・風立ちぬ。いざ生きめやも。