♬♬
時には母のない子のように
だまって海をみつめていたい
時には母のない子のように
ひとりで旅に出てみたい
だけど心はすぐかわる
母のない子になったなら
だれにも愛を話せない ♬♬ (作詞 寺山修司)
異才の人・寺山修司(1935年~1983年)が、47歳でこの世を去ってから早いもので35年が経った。
寺山修司は、詩歌、演劇、小説、映画、歌謡曲と多岐にわたる広い分野で、表現活動を展開したのだった。
これまでの人々の常識を覆されるような、従来の枠を超える表現活動は、文字通り異能の才人を思わせるものがある。
深まりゆく秋のある日、神奈川近代文学館に立ち寄ってみる。
「寺山修司展」は、11月25日(日)まで開催されている。
第1部では、誕生から高校時代の活躍、華々しい文壇デビューから劇作家になるまでを、そして第2部では、世界各地で称賛された演劇実験室「天井桟敷」の公演や、映画製作、作詞、小説創作、写真、競馬評論に至るまで、あらゆるジャンルを超えた表現活動を‘実験’した寺山修司の歩みを展観できる。
貴重なメッセージを受け取ることのできる展覧会である。
様々な企画や範疇からはみ出して、収まりきることを知らない豊饒な言葉の世界を見る気がする。
彼によれば、映画も演劇も舞踊も、全て文学なのだ。
とくに1960年から70年代にかけて、寺山修司の仕事は世界水準でなければ見ることができないとされる。
大人が成長して子供になるようなところを感じさせる、少し不思議な寺山の才能をここに見ることができる。
昭和の郷愁を感じることもできる。懐かしさがあるのだ。
懐旧である。
人は、たったひとつの人生を生きてきているわけではないと、言われる。
この人の多才をどう分析するのがいいのか、大いに迷うところでもある。
彼の文学や芸術に対する姿勢は、どこまでも多面体で多くの顔を持っていることは否定できない。
そして、どこにいてもいつも孤独だ。
孤独の中に多くの顔を持っているのだ。
俳句をものし、歌人、詩人、小説家、劇作家、演出家にして、競馬評論まで・・・。
人生を生きるには、本当に多くの台詞を要するのに、彼は大いなる一人の役者だった。
詩や演劇の中に、幾つもの可能性を持ち続けてやまなかった寺山修司の軌跡は、決して長いものではなかったことが惜しまれる。
いま、まだその才能が生きていたらと思うと、人生の非情を感じざるを得ない。
神奈川近代文学館(TEL 045-622-6666)での「寺山修司展」は、9月29日(土)から始まっているが11月25日(日)まで開催中だ。
これからのイベントしては、11月2日(金)3日(土・祝)の文芸映画を観る会で寺山修司監督「草迷宮」(1979年 フランス)の上映や、11月17日(土)には評論家・三浦雅士氏の講演などが予定されている。
また、慣例となっているギャラリートークは、会期中の毎週金曜日に行われている。
従来の知識人とは全く違った生き方を選び、旺盛な好奇心で巷の歌謡曲やボクシングや競馬まで熱っぽく語る、変わったタイプの寺山ワールドに触れてみるのも一興ではないだろうか。
次回は日本映画「寝ても覚めても」を取り上げます。
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