徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

「謝罪と責任」ーため息の日々ー

2007-12-29 11:15:00 | 寸評

今年も残りわずかとなり、まもなく新しい年の訪れを迎える。
この一年、いろいろなことがあった。
不名誉なことに、「偽」と言う一文字に象徴される一年であった。

そして、今年は「謝罪」と「責任」のあり方が大いに問題を提起した年でもあった。
涙の「謝罪」もあれば、傲岸不遜な「謝罪」もあった。
「責任」の所在をめぐる不透明さも際立った。

偽装食品業者、ボクシング選手、力士、芸能人、閣僚、官僚にいたるまで、不祥事による、いわゆる「謝罪」が相次ぎ、「責任」論が問われた。

人に謝るときは、相手の目を見て、しっかりとはっきりした声で、「御免なさい。申し訳ありませんでした」と頭を下げ、自分の誠意を示すことだ。
分かりきったことである。それが、なぜ出来ぬのか。
謝罪とは、自分の過ちを認めて謝ることだ。
その自分の「非」というやつを、人はなかなか認めたがらないようだ。
近頃は、まことに慇懃無礼な「謝罪」が目につく。
口先だけで、品位、品格のかけらも感じられない。
少しだけうつむいて、目は相手を見ようともせず、言葉はぶっきらぼう・・・、そんな「謝罪」が多いではないか。
 「・・・お詫び申し上げたいと思います」
何を思おうと、思うのは人の勝手であり、自らの態度で謝罪の意思を示さなくては、そんなものは謝罪ではない。
著名人の「謝罪会見」なるものを見ていても、謝罪の誠意というものがおよそ感じられない。
横柄で尊大で、相手に対しての心からの思いがあるとはどうしても見えない。
 「申し訳ありませんでした」
どうして、この一言が言えないのだろうか。
そうではなく、こんな言い方をする。
 「謝罪をさせていただかなければならないと思います」
まわりくどい言い方で、頭を下げるでもない。
ひどいのになると、相手の前で胸をはって、「謝罪をしたいと思います」である。
総理大臣、大臣、知事といった名誉や地位の高い人ほどそうなのだ。
それほどまでに、人前で頭を下げるということが抵抗あることなのだろうか。
どんなに偉くなっても、礼節を忘れない人間であってほしいものだ。

 「申し訳ありませんでした」
 「お詫びの仕様もございません」
今年、謝罪の言葉を聞かぬ日はなかったと言ったら、言い過ぎだろうか。
それほど、よく聞かされた。
テレビを見るたびに、必ず誰かが「謝罪?」らしい会見をしていた。
時の福田総理もそうであった。

薬害肝炎の問題で、福田総理が「一律救済」を議員立法で決めた。
世論調査による内閣支持率の急落を受けて、重い腰を上げたのだ。
まことに、窮余の一策というのか。
多くの人たちは、白々しく感じた。
遅きに失した感は否めない。
・・・ただ、このことは、今までより一歩前進と受け止めたい。
最初、福田総理はこの件に関して、薬害訴訟の原告たちにこう言ったのだ。
 「皆さんに、お詫びを申し上げなければいけない」
それが、つぎのような言葉に変った。
 「長年にわたり心身ともに大変ご苦労をかけた。心からお詫び申し上げます」
これが、福田総理の謝罪の言葉である。
しかし、残念なことに「責任」の所在については、依然として不透明である。
責任を明確にすることのない「謝罪」である。

全員一律救済を実現する法案の骨子は固まっても、責任論となると玉虫色で、被害者の証明についても課題は残る。
本当に、「全員一律救済」ができるのだろうか。
薬害肝炎の原告たちは、それまで頑なに会うことを拒んできた総理と面談して、「やっと、被害者の生の声が届いた」として、今後の期待感を高めた。
議員立法による救済法案を被害者たちが受け入れたことで、肝炎訴訟の問題は、いずれにしても先へ進むことになる。
初めの一歩である。

・・・薬害肝炎の被害者たちは、何も悪いことをしたわけではなかった。
無策だったのは、旧厚生省と国ではなかったのか。
あなた方は、一体何をしていたのか。
その責任をどう考えているのか。
これからが正念場である。
「謝罪」は、「責任」を正しく認めてこそなされるものだ。

国民に約束しておいて、公約ではないなどと、まるで人ごとのようなことを平気で言う総理大臣がいる。
官僚を御しきれぬ、頼りにならぬ大臣が右往左往している。
半世紀も続いた、一党独裁ともいえる自民党内閣の悪弊がいたるところで噴出している。
内閣改造、衆議院解散が取りざたされている。
越年国会はどうなる・・・?

何もかもが波乱含みのままである。
陽は沈み、そして、陽はまたのぼる。
夜の明けない日はない。
来るべき新しい年、平成二十年はどんな年になるだろうか。


 


「住居侵入罪!」ービラ配りー

2007-12-25 14:00:00 | 寸評
たかがビラ配り、されどビラ配りなのである。
一審で無罪、二審で逆転有罪だ。

玄関にオートロックの付いていないマンションで、部外者が立ち入り禁止の張り紙を無視して、最上階から順番に、各戸のドアポストに共産党のビラを入れたということで、東京高裁から、二審で「住居侵入罪」を言い渡された。
このお方、普段から大変真面目な、お寺の住職さんだそうである。

・・・マンションに立ち入ったのは、せいぜい7,8分間だったそうだ。
彼は、これまで40年以上も政治ビラを配っていたと言われる。
しかも、それまで一度も立ち入りを咎められたことはなかった。
勿論、問題を起こすようなこともなかった。
しかし、住職は、住民の通報で逮捕、勾留となり、23日間も身柄を拘束されるという不名誉な事態にまで発展してしまった。

一審では、「住居侵入罪」を認めず、「無罪」となった。
ビラ配りそのことが、「住居侵入罪」を適用するには、まだ社会的な合意として馴染んでいないとしたのだ。
二審で、それが覆ったわけだ。
・・・とすると、ピザや不動産のチラシとかはどうなるのか。
あれは、犯罪ではないのか。
どうも、分かりにくい。
ビラ配りだけで、業者が逮捕されたと言うことは聞いたことがない。
ビラ配り(チラシ投函)に、目くじらを立てる必要があったということか。
限られた政党の、主義主張を訴えるビラだからだろうか。
しかし、ビラの内容が問われたわけではなく、住居区域へ侵入したことが罪になった。
この行為が、「刑罰」を科されるほどの罪状となるのか。
そんなに、悪質な行為なのか。
「ビラ配り」は犯罪なのか。

二審の高裁は、マンションに立ち入ったことについて、他人の財産権を「不当に侵害」したとして、「住居侵入罪」を言い渡した。
人の住居に断わりもなく立ち入ってはならぬ と言うわけだ。
それはそうだ。
確かに、筋の通った話だ。
この住職は、勾留期間があったから、刑が確定しても罰金を払う必要はなくなったが、それでも「有罪判決」に変わりはない。

捜査にも、問題は残る。何だか、少し怖ろしい気がする・・・。
これとは別に、自衛隊のイラク派遣反対のビラを、防衛庁の官舎で配って住居侵入罪に問われた、市民団体の三人が有罪判決となった例がある。

マンションのビラ配り、二審判決は、特定政党の主義主張を訴えるビラを配れば、警察に逮捕され、有罪判決を受ける恐れがあることを示した判決だった。
表現の自由への目配りは・・・?
こうした判決が相次いでいる実情は、何を物語っているのだろうか。

高裁はこう言っている。
 「憲法は、表現の自由を無制限にに保障してはいない。公共の福祉のためには制限されることもある。だから、たとえ思想を発表するための手段であっても、住民に無断で立ち入ってビラを配ることは刑事罰に値する
ふむ、ふむ・・・、なるほど・・・。

ビラ配り(チラシ投函)は、確かに住民にとっては迷惑なことだろう。
居住者の苦情にも、耳を傾けなければならない。
その内容はどうであれ、ビラ配りの強引なやりかたには、一考が必要だ。
だからと言って、そのつど逮捕と言うのは如何なものだろうか。
無断でビラを配ったかどで、手錠をかけられ、長い間鉄格子の中に収監されることになるのだ。
「犯罪者」となるのか。
常識的に考えて、どうも釈然としない。

この一件、当然、被告側は直ちに上告した。
表現の自由とプライバシーの問題、一審判決と二審判決をふまえて、最高裁はどう判断するだろうか。
最高裁が、「市民の常識」に立ち戻った、正しい判断を下すことを信じたい。

・・・週末近く、金曜日の夕方のことである。
郊外の都市機構の高層団地の前に、一台の乗用車が停まった。
車から、不動産関係と思われる、スーツ姿の若い営業社員らしい男性が降り立った。
男性は、オートロックされていないエントランスを、勝手知った足取りで颯爽と入っていった。
その手に、あり余るほどの広告ビラを抱えて・・・。
彼は、集合ポストには目もくれず、そのままエレベーターで最上階の十三階へ向かった。
エントランスの壁には、やはり「部外者立ち入り厳禁」の大きな貼り紙があった・・・。

「バスの中で化粧する女」(再び)

2007-12-23 09:00:00 | 寸評

冷たい木枯らしが吹き荒れて、寒い日々が続く。
そして、年の瀬の足音が、ひたひたと迫ってくる・・・。
今年も、いよいよ押し詰まってきた。
何となく、気ぜわしい。

以前、バスの中で化粧をする若い女性について書いたことがある。
これは、相も変らぬこの悪しき慣習を目(ま)の当たりにした、筆者の見聞録・・・。
朝8時過ぎ、神奈中のバスはほぼ満員の混雑であった。
通勤客や学生たちで込み合っていた。
そのバスの最後部に乗っていた時のことだ。
前の席に、中年の女性が、その隣にはお年寄りの男性が座っていた。

そこで、中年の女性が化粧を始めた・・・。
いや、別に驚くほどの光景ではない。
それは、このところ、いつも見慣れた、ありふれた日常の光景なのだから。
もう散々見飽きた、そのお決まりの光景に、ちょっとした異変が起きたのだった。

女性が、膝の上にバッグを置き、その上に手鏡を立て、眉毛を書き始めた時であった。
突然、バスが急停車したのだった。
どうも、バスの直前をバイクが急に右折をしたらしかった。
バスは、前のめりになるような、がくんとした動きで停まったものだから、さあ大変だ。
とたんに、その女性の化粧道具やら何やらが、ガラガラと音を立てて、座席の下に散らばってしまった。
女性は、慌てて落ちたものを拾おうとするのだが、、座席の下に身をかがめようにも狭いし、動きがとれない。
すると、隣の老紳士が、席を立った。
そして、女性と一緒になって、自分もしゃがみこむようにして、座席の下に散らばった化粧道具などを拾ってやるはめとなった。
彼女の顔は、多分いたたまれない恥ずかしさで、真赤になっていた。
周囲の乗客たちも、何事が起こったのかと、一斉に好奇の視線を注いだ。

バスは動き出していた。
女性は、「すみません。すみません」と老紳士にいくども頭を下げた。
老紳士は黙っていた。明らかに、やや険しい顔をしていた。
ほんの数分間の出来事だった。
少しして、まだ気が動転している中年女性に向かって老紳士は言った。
 「あなた、いつも、こうなんですか」
 「・・・こうって?」
 「バスの中で、お化粧を・・・?」
彼女は、困ったような表情で、
 「はあ、・・・ええ、まあ、その時々で・・・、ええ~」
 「やめた方がいいですよ」
 「はあ?」
 「あのね、乗り物の中で、化粧なんてするもんじゃありませんよ」
 「そ、そうですよね。ええ・・・」
 「当たり前ですよ・・・、分かりきったことでしょ、そんなこと。まったく!最近やたらと多いんですよ、あなたみたいな人が!」
そう言うと、彼はひどく不機嫌そうに、ぷいと横を向いた。
女性は、しきりに恐縮していたが、モグラのように首をすくめ、小さくなって黙り込んだ・・・。
まあ、よくぞ言ってくれました。
老紳士は、自分の降りる停留所に着いて、バスを降りるとき、その中年女性に向かって、更に声を荒げてこう言い残した。
 「いいですか。・・・マナーですよ。マナー、ねっ!常識って言うもんだ。あ~あ、何とも嫌な世の中だね!」
先ほどの、中年女性への親切心(?)はどこへやら、それはもう、完全に捨て台詞だった。
周囲の乗客が、その声にまたこちらを振り返った。
 「そうだ、そうだ」と、声には出さなかったが、誰もがそう言っているように思えた。
中年女性の隣りの席が空いて、近くに立っていた別の女性が、そこの席に座った。
中年女性は、さぞかしバスに乗っている時間を、このときほどものすごく長く感じたことはないに違いない・・・。
バスの中で化粧していたために、思わずとんでもない場面を演じてしまった彼女は、最後までばつ悪そうにうつむいたまま、次の停留所で、皆の目から逃げるようにして、そそくさとバスを降りていった。

しかし・・・、まさか「朝、時間がなかったら、バスの中で、化粧直しをすればいいわよ」なんて、自分の娘に、本気でそんなことを言う母親もいないだろう。
それでも、乗り物に見る女性の化粧姿というのは、昨今後を絶たない・・・!
誰が何と言おうと、いまや、日常化しているのだ。
とても、いただけない。
「悪しき、慣例」とでもいうのか。
「善き、身だしなみ」はどこへ・・・?
電車やバスの中で、女性が人目もはばからずに、化粧をする。
まるで、週刊誌でも読んでる感覚なのだろうか。
その姿は、しかし決して美しいものではない。
ときにだらしのなさを思わせて、不快でさえある・・・。
これは、「恥ずかしい、日本人」のほんの一例に過ぎない・・・。




☆評論家の選んだ今年の映画☆

2007-12-16 05:30:00 | 映画

今年も残り少なくなってきました。
今年は、海外の目を通して、日本を見直そうとする、そんな映画体験の続いた年のようでした。
新聞を読んでいて、ふと目につきましたので・・・。
「長江哀歌(エレジー)」の文字が・・・。

著名な映画評論家七人が、今年心に残った映画作品を各々三本選んでいました。
その七人のうち五人(秋山登、稲垣都々代、佐藤忠男、品田勇吉、秦早穂子)の評論家までもが、それぞれあげた三作の中に、あの中国映画「長江哀歌(エレジー)」を入れていたのです。
(上記、下線部分「長江哀歌」をクリックしますと、詳細へアクセスします。)
・・・七人のうち五人もですから、それほど、高い評価を受けたというわけです。
まあ、さすがに、ヴェネチア国際映画祭のグランプリだったこともうなずけますよね。
ちなみに、この作品を選ばなかったのは、柳下毅一郎、山根貞男の両評論家でした。
映画祭の審査委員長だった、カトリーヌ・ドヌーヴをして、「物語のクオリティ、時代のうねりを捉える視線、人生の機微を見つめる眼差しに、とても心動かされた」と言わしめただけのことはあったのです。

ジャ・ジャンクー監督の中国映画「長江哀歌(エレジー)」は、中国・三峡のダム建設現場を舞台に、社会の変化に翻弄される庶民の姿を描いた,大変ユニークな作品です。
地味な作品ですから、あらすじをなぞるだけの映画とは一味違う、深々とした、現代の世界観が「大人」の観客をひきつけたそうです。

10月のこのブログ欄で、ドキュメンタリータッチの印象深かった、この映画の鑑賞記事を書かせてもらいました。
横浜の場末のミニシアターで自分の鑑賞した映画が、評論家五人の方々の、今年特に印象に残った作品と奇しくも一致したことで、ああやっぱり、あの映画はいい映画だったのだなと、想いを新たにして嬉しくなってしまいました。
これには、ふむ、ふむ~と納得です。
「長江哀歌(エレジー)」は、一般受けのしにくい、言ってみれば、「映画らしくない映画」だったかも知れません。
でもそれは、逆にこれが「本当の映画」だと思わせるものだったという気がしています。

なお、「長江哀歌」とは大きな差で、一応名前があがったのは次の作品でした。
参考までに・・・。(残念ですが、見ていない作品がほとんどです。)

   「それでもボクはやっていない」(周防正行監督、日本・中国)
   「不都合な真実」(デイビス・グッゲンハイム監督、アメリカ)
   「天然コケコッコー」(山下敦弘監督、日本)
   「ミリキタニの猫」(リンダ・ハッテンドーフ監督、アメリカ)
   「オフサイド・ガールズ」(ジャファル・パナヒ監督、イラン)
   「善き人のためのソナタ」(フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督、ドイツ)
   「夜顔」(マノエル・ド・オリベイラ監督、フランス・ポルトガル)
   「殯(もがり)の森」(河瀬直美監督、日本・フランス)
   「サッド ヴァケイション」(青山真治監督、日本)
   「叫(さけび)」(黒沢清監督、日本)
   「ラザロ-LAZARUS-」(井土紀州監督、日本)
   「陸に上がった軍艦」(山本保博監督、日本)
   「デス・プルーフ i n グラインドハウス」(クエンティン・タランティーノ監督、アメリカ)

映画会社は、どこでも青息吐息で、日本の映画はいま正念場に立っていると言われます。
年末、年始はどんな作品が登場することでしょうか。
映画は、楽しい事も大事でしょうが、すぐれた作品の登場を期待したいものです・・・。

     


「破れた靴下」ー負うた子に教えられー

2007-12-13 08:35:00 | 寸評

小春日和の或る日、母親は、取り込んだ洗濯物を片付けながら、ひとり呟いた。
 「あら、この靴下もう履けないわね」
手にした、娘の花柄の靴下のつま先が、破れていたのだった。
母親は、その靴下を、さりげなく傍らのくずかごに投げ入れた。
その時、どこで見ていたのか、小学校から帰って来ていた、3年生の娘が母親のもとに跳んできて、叫んだ。
 「駄目!それ、捨てないで!」
 「ええっ~?!」
母親は驚いた顔をして、娘の方を見た。
娘は、少し悲しげに口元をゆがめて、言った。
 「ママ、あたし、それ気に入ってるの。だから、捨てないで!」
 「だって、同じもので、新しい物を買ってあげるわよ」
 「いいの。それ、縫ってちょうだい」
母親はどきっとした。
 「・・・これを?」
 「お願い。・・・捨てるのは、本当に履けなくなってからでもいいでしょ?」
娘にそう言われて、母親は一瞬言葉につまったが、思い直したように、
 「・・・分かったわ。縫ってあげる」
少女は、にっこり微笑んでうなずいた。
母親は、内心小さな動揺を隠せなかった。
そして、自分の胸に、何か熱いものがこみあげてくるのを感じた。
母親は、物を大切にすることにかけては、自信があった。
しかし、この娘(こ)は、どこで、そのような心を培ったのだろうと、大人の自分を恥じ入った・・・。
少女は、この夏の体験学習で、元小学校の年老いた校長先生から、戦中戦後の物資窮乏の時代の話を聞かされていたのだった・・・。
少女は、そこで物を大切にする心を培ったに違いなかった。

いま、原油価格が高騰している。
・・・世の中、物資は豊富である。
しかし・・・、現在の豊かな(?)暮らしは、永遠に続くのだろうか。
物資はいつか底をついて、明日の見えない未来が来るかも知れない。
いや、いつかきっと来る。
まだまだあどけない10歳の少女の一言は、地球未来の限りある資源に対する、警鐘とも聞こえなくはない・・・。

食物にしてもそうだ。
食べられる物を無駄にしてはいないだろうか。
早朝、繁華街のごみ箱をあさって、ホームレスが賞味期限の切れた、パックに入ったままの弁当や、パンの耳、人の食べ残しを拾って歩いている。
時には、白米のおにぎりがそのまま捨てられている。
詳しく見たわけではないが、そうした物の中には、捨てなくてもいい物まである。

毎日、無造作に捨てられるゴミの中に、広告チラシがある。
毎朝配達される、新聞に折り込まれてくる、あれだ。
それに、市役所や地区センターなどで配布される、各種催し物のチラシ、パンフレットの夥しい量をご存知だろうか。
それらは、いつも有り余って、古新聞と同様に回収されるか、ゴミ箱へゆく。
このチラシ類、印刷されていない裏面を利用すると、立派なメモ用紙となるのだ。
そうして利用している人も結構いるのだ。

スーパーのレジ袋の廃止運動も盛んだ。有料で、顧客に配っている店もある。
店側もいろいろと考えているようだが、賛成派もいれば、あった方がいいと言う反対派もいる。

廃品業者の手を通して、中古電化製品がリサイクルされ、東南アジアや中南米に安く輸出されている。
まだまだ十分使用に耐えうる品物ばかりで、現地の外国人には大人気だそうだ。
彼らは言っている。
 「日本人て、まだこんなに使える物を、どうして捨ててしまうのだろう。勿体無い」
確かにそうだ。
新しいもの好きの日本人は、古くなるとすぐ新しい物に取り替える。
今の飽食時代、どんどん新しい製品が量産される。
そして、使える物でも捨てる。或いは新しい物と交換する。

今でこそ、破れたほころびを縫い繕って、シャツやズボンを着用している人はほとんどいないが、戦後の物資のなかった時には、つぎはぎだらけのシャツなど着ていたものだ。
ワイシャツの襟が汚れたり、すり切れたりすると、表を裏にしたりして繕い、着られるだけ着た時代であった。ゆるんだゴムひもは、新しいひもを入れなおして再利用した。
 「使える物は、最後まで使う」・・・この単純な、分かりきった哲学が、人間に物の大切さを教えてくれる。
ところが、いま使える物が捨て去られる時代である。

 「ほころびを縫って、靴下を履く」
何とも、いい話ではないか。
バスや電車の中で、化粧をすることさえ何とも思わぬ世代の子供たちにも、この今の飽食の時代だからこそ、いかに物を大切にして生きるかを教えてあげなくてはいけない。
それは、自分の身の回りから、地域へ、世界へ、地球へと広く物を考える一歩につながっていくことだろう。
『粗衣粗食』から、学び、教えられることのいかに多いかを、もう一度見直す必要があるのではないか。
『暖衣飽食』(粗衣粗食の反対)なんて、決してよいとは思えない。
 「欲しがりません、勝つまでは・・・」と言うではないか。
古い言葉だが、「襤褸(ぼろ)をまとっても、心は錦」といい、いたずらにブランド品を身にまとい、高価な装身具で身を飾り、美食にあけくれることが、素晴らしいことだとは思わない。
たとえ、どんなに裕福であったとしても・・・。
こういう時代だからこそ、親も子供も、誰もが、物を大切にする、美しい心を培って欲しい気がします。




花三題ー実験ー

2007-12-10 07:55:27 | 日々彷徨
             これは、カメラとおよそ縁のなかった人間の実験です。
                             かなり前に、フラワーセンター(?)で撮ったものです。
                       ↑
                      ここをクリックするとアクセス出来ます。
             まことに、季節はずれの、『狂い花』・・・。
             (写真をクリックすると、拡大して見ることが出来ます。)










 


ー「エスカレーターは乗り物である」ー

2007-12-06 08:00:00 | 寸評

大分前に、この欄で、エスカレーターの乗り方(歩き方)のことを書いた。
現実に、動くエスカレーターのラッシュ時に、人と人とがぶつかり、お年寄りがよろけて転倒するという事故があった。
今また、このエスカレーターでの歩き方について、「歩行禁止」をも含めて、いろいろと取り沙汰されている。

関東と関西では、昇降客のために、それぞれ右あけ、左あけがルールと思い込んでいる人が多いが、もともとエスカレーターの構造は、利用者がとくに歩くことを想定してつくられているわけではない。

このほど、横浜市では、市営地下鉄の各駅のエスカレーターについて、「歩行禁止」の大々的な撲滅キャンペーンを始めた。
通常、毎分30メートル動くとされるエスカレーターは、そもそもが動いている機械なのだから、右だろうが左だろうが、歩くべきではないと言うわけだ。
だから、「安全」を第一に考えて、「歩行禁止」にすべきとの結論に達したようだ。
 「いまさら、何で・・・?」
 「そうだ、そうだ」などと、いろいろと意見もあるらしい。
でも、「安全」を考える、横浜市の方針は間違ってはいない。

以前から、東京消防庁では、エスカレーターでの歩行は避けるように呼びかけている。
その一方で、どうしたわけか「歩く」マナーが定着していて、エスカレーターの片側は空けるものだという、コンセンサスが出来つつある。
それだから、「何をいまさら?」と言うことになる。
片側を上がれるのは、急いでいる人の暗黙の権利だと言うことだ。
だから、どんな理由があろうとも、道を塞ぐとトラブルのもとになる。
現状では、子供と保護者は、前後で一列に乗らないと、後ろから来た人に突き飛ばされる危険さえあるのだ。
しかし、前後で乗ったために、子供が怪我をした事例もある。
そんなに急ぐなら、階段が空いているのだから、そちらを上がっていったらどうなのだろうか。

交通機関では、あくまで注意を呼びかけてはいるが、「歩行禁止」を強制まではしていない。
名古屋市営地下鉄はかなり前から、東京の地下鉄でも、また一部のデパートなどでも、「歩行禁止」を積極的に呼びかけてはいる。
将棋倒しのような事故が起きないことを祈りたい。
しかし、この程度の「安全対策」(?)でよいと言えるのだろうか・・・?

この秋からの、『エスカレーターでは、歩かないでください』と言うポスターを、地下鉄全駅に掲示しての横浜市の取り組み、はたして功を奏するか、どうか。
 


ーフランス映画「輝ける女たち」鑑賞ー

2007-12-03 14:00:00 | 映画

現代フランスの二大女優と言われる、カトリ-ヌ・ドヌ-ヴ、エマニュエル・ベア-ルら、豪華なキャスティングで評判になった作品だ。
ティエリ-・クリファ監督が描いた、生き生きとした人間讃歌の映画である。
・・・秘密、裏切り、嫉妬、帰りたい場所、悩みさえも人生のエッセンスに変えて、自分だけのステージに立つ!

この映画の男たちは、誰もがどこか頼りなげで、女たちはしなやかで強い。
だが、それは見せかけだけで、女たちは、男たちの弱さから豊かな感情をもらい、男たちは頼りなげでいながら、女たちから潔さをもらって、人生を生き抜く力を知っていく。

舞台は、南仏ニ-ス・・・。
人生のどんな局面さえも呑みこんでくれる、少しいかがわしいキャバレ-“青いオウム”だから見ることのできた人生の素顔・・・。
ここでは作り笑いも、人生も、誰かを演じていても、そこから、そこはかとなく、人生の真実がこぼれ落ちる。嘘をつくのは、人を傷つけるためではなく、人を恐れてのことなのだから・・・。
そんな中で、ぶつかり合う人生は、当然のように、痛みに耐えかねて血を流すが、彼らは、自らの傷をなめるように歌いつつ、心を癒していく・・・。

この映画では、女優ベア-ルが歌い、ベラスも歌い、ブラッス-ルまでもが女装して歌っている。
しかも、この映画では、その歌は本職の歌い手が歌う以上に心に響き、深い余韻を残すのだ。
それは、演技以前の彼らの実人生が、歌に複雑な陰影を与えているからだろう。

ニ-スにあるキャバレ-“青いオウム”・・・。
そのオ-ナ-であるガブリエル(クロ-ド・ブラッス-ル)の突然の死・・・。
葬儀の後で、彼の遺言により、小さな誤解から疎遠になっていたファミリ-が再び集まってくる。
ガブリエルを父のように慕うマジシャンのニッキ-(ジェラ-ル・ランヴァン)の予想に反し、“青いオウム”はニッキ-にではなく、彼の子供たちに相続されることになる。
そんな“青いオウム”で、人気の歌姫レア(エマニュエル・ベア-ル)、そして、かってニッキ-を愛した元妻アリス(カトリ-ヌ・ドヌ-ヴ)とシモ-ヌ(ミュウ・ミュウ)も、ガブリエルの死をきっかけに、それぞれが過去に置いてきた秘密や、いま抱えている問題を見つめなおし、忘れかけていた自分らしさに改めて気づく・・・。

南仏のキャバレ-に集う人々の、複雑に絡み合う人間模様を、鮮やかに、軽やかに描く。
実力派の俳優陣が集結して、ヨ-ロッパ映画、とりわけこのフランス映画の持つ、気品と優雅、機知と諧謔(洒落、ユ-モア)を存分に堪能させてくれる。
ドラマは、謎解きの要素を散りばめながら、あっと思うような意外な展開を見せる。

ガブリエルは、実は病気を苦に自殺したのだが、やがて、沢山の小さな秘密と虚実が、少しづつ暴かれていくことになる。
アリスの封印された過去と、ニッキ-への愛と憎しみ、そのニッキ-との一夜の情事で身ごもり、捨てられたはずのシモ-ヌが真に愛した意外な相手・・・。
さらに、父に似ないために、ニノ(ニッキ-とアリスの息子)が重ねてきた涙ぐましい努力、マリアンヌ(ニッキ-とシモ-ヌの娘)が、不妊でもないのに養子をとろうとする本当の理由、これらすべての中心にガブリエルが、そしてニッキ-がいた。
しかし、すべての嫉妬、裏切り、誤解は、やがて美しい想い出に変わり、その時、それぞれの新しい一歩が始まるのだ・・・。

この作品の中のカトリ-ヌ・ドヌ-ヴは、演技など必要ないほど色彩豊かな存在として映る。
堂々たる、素晴らしい存在感がある。
・・・いつも蝶を追うように、美しい女に心奪われて、どこか頼りなげなランヴァンの、その頼りなさを見抜いて“青いオウム”を渡さなかったブラッス-ルに反して、ドヌ-ヴは、愛し合った過去を共有する元夫の彼が、他の女ベア-ルを追っているのを知って、彼の頼りなさを<男>に変えるために、深い愛情をもって一夜をともにする。
翌朝、見事に<男>になったベッドの上のジェラ-ル・ランヴァンを、満面の笑みを浮かべながら見つめるカトリ-ヌ・ドヌ-ヴ・・・。
 「美しい想い出といっしょに消えたい」
そう言って、自分の人生に自らキリをつけたブラッス-ル、そのブラッス-ルの精神を継いで、生きることの実を伝えるべく、この映画の登場人物の上に君臨するのは、間違いなくこのカトリ-ヌ・ドヌ-ヴなのである。

カトリ-ヌ・ドヌ-ヴと言えば、初期の作品『昼顔』(原作ジョゼフ・ケッセル、公開1967年)を想い出してしまうのだが、彼女の、華やかで、艶麗な美しさは、今でも語り草になっている。
そうだった。・・・あの映画も、心ときめく、いい映画であった。
・・・もう、何年になるだろうか。
あれからの幾歳月を超えて、カトリ-ヌ・ドヌ-ヴは、今や押しも押されぬ大女優の貫禄躍如といったところで、一段と円熟味を増した、彼女のいぶし銀の輝きを見た。
さすがに、映画「輝ける女たち」の中でも、フランス映画界の女王陛下は、すこぶる健在の御様子である・・・。