徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」―その驚愕の人生―

2015-03-27 12:00:00 | 映画


  時代にのみ込まれた天才の悲劇である。
戦後70年以上も、英国の国家秘密とされていた、第二次世界大戦の暗号解読者の生涯を、ノルウェー人モルテン・ティルドゥム監督は手際よくまとめている。
 英国政府が隠し続けた、驚愕の実話だ。

今 年のアカデミー賞脚本賞受賞した、グレアム・ムーアの脚本を得て、一説にはかなり変人であったとも伝えられる、天才数学者アラン・チューリングの痛ましい人生をスクリーンの上に甦らせている。
 そして、この作品は戦場や銃撃戦の登場しない戦争映画であるにもかかわらず、スパイ映画の類いでもなく、情報戦の内情を炙り出す映画だということに注目だ。









1939年、イギリス・・・。

世界一の数学者と自負するアラン・チューニング(ベネディクト・カンバーバッチ)は、ドイツ軍の暗号機エニグマの暗号を解読するという、政府の秘密任務に就く。
チェスの英国チャンピオンなど、各分野の精鋭によるチームが編成されるが、自信家で不器用なチューリングは彼らと協力しようとはせず、一人で電子操作の解読マシンを作り始める。

そんな中、クロスワードの天才で女性数学者のジョーン・クラーク(キーラ・ナイトレイ)という理解者を得て、仲間との絆が生まれ始める。
暗号解読をゲームと捉えていたチューリングの目的は、人の命を救うことに変わっていく。
チーム一丸となって、予想もしなかったきっかけでエニグマの暗号を解くのだが、解読したことを敵に知られたらエニグマは改良されてしまう。
解読チーム6人と手を組んで、チューリングはさらに危険な秘密の作戦に身を投じていく・・・。

ドラマでは、エニグマ解読までと解読後の、二つの極秘作戦の全貌が明かされていく。
しかし、天才は孤独なものだ。
チューリングは実在の数学者だが、社会の軋轢と周囲の複雑な理由から、1954年42歳の若さで自殺する。
暗号解読をめぐって、戦時中を中心に戦後とマシンの開発を進めるチューリングの学生の頃と、三時代が複雑に交錯する。
様々なサスペンスが同時進行する中で、チューリングの抱える秘密と愛も少しずつ明らかになっていく。
解読に成功したのちに立ちはだかる皮肉な現実に対し、主人公は、常人の神経では不可能な新たな極秘作戦を遂行するのだ。

緻密な物語の構成が素晴らしい。
無駄をそぎ落とした簡潔な会話で、ドラマもわかりやすい。
戦時中の街の様子までも丁寧に描かれ、しかも風格がある。
複雑きわまりない天才を、カンバーバッチが見事に演じ切り、文句のつけようがない。

チューリングの開発したマシンは、あらゆる論理をシュミレーションすることが出来るとされ、彼の生み出した“チューリングマシン”は、そもそも現代のコンピューターの原形になったと言われている。
暗号解読のサスペンスから始まり、後半チューリングの悲劇的なドラマへと変わっていく脚本も見事で、国家レベルのミステリーとしても楽しめる作品だ。
このモルテン・ティルドゥム監督イギリス映画「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」は、数奇な運命をたどる主役のベネディクト・カンバーバッチの繊細な演技に、しばし哀れと痛みを禁じ得ない。
優れた映画の一作だろう。

余談ですが、いまやスマホでネットが自由に操られる時代だ。
デジタル革命の中核となるコンピューターは、アメリカで生まれたものとほとんど誰もが思っている。
確かにパソコンを作って世に広めたのはスティーヴ・ジョブズとかビル・ゲイツという人たちで、第二次世界大戦中に作られた初の電子コンピューターはアメリカのENIACというのが通説のようだ。
でも、世界で最初に現代のコンピューターを‘発想’したのは、アラン・チューリングこの人だったそうだ。
残念ながら知名度は低いが、コンピューター開発に、これほど大きく貢献した男がいたのだ。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


「聖地巡礼」―野町和嘉写真展―

2015-03-24 16:15:00 | 日々彷徨

  •  桜の花がほころび始めたある日、ふらりと立ち寄った写真展である。
     これまで主として、ドキュメンタリー写真を撮り続けてきた写真家・野町和嘉、ナイル川全流域から、エチオピア、チベット、アンデスに至るまで、地球規模のスケールで、「大地と祈り」を見つめた作品群を展示公開している。
     1995年から2000年にかけては、イスラム教最大の聖地メッカとその巡礼を、世界で初めて徹底取材し、写真集として世界各国で出版された。

     2005年、彼が30年以上にわたって撮り続けてきた『祈り』の集大成「地球巡礼」も、10ヶ国語版で世界に同時刊行されたそうだ。
     いまなお活躍の舞台を中国、チベットなどアジア地域に移し、数々の受賞歴に輝く、野町和嘉の写真展だ。
     
     今回は約160点の作品を二期に分けて展示しており、過酷な大地に生きる人々の祈りの現場を紹介している。
    第一期3月29日(日)まで、第二期4月2日(木)~4月19日(日)、横浜市栄区の神奈川県立地球市民ぷらざ(TEL045-896-2121)で。
    たとえば「霧の中の沐浴」「水葬」「火葬場に登る満月」といった、どちらかといえば、日本人になじみの薄い情景など、どれも大画面一杯に活写しており、エキゾティックな作品がなかなか印象的であった。
    ささやかではあるが、、『祈り』をテーマにした見ごたえのある充実の写真展だ。

映画「ジミーとジョルジュ 心の欠片(かけら)を探して」―深く傷ついた魂が癒えるとき―

2015-03-21 18:00:00 | 映画


 民族精神医学の権威といわれる、ジョルジュ・ドゥヴルー「夢の分析」をもとに、フランスアルノー・デプレシャン監督が、初めてアメリカで撮影した作品だ。
 全編英語で綴られたフランス映画である。

 国籍も生い立ちも異なる精神分析医と患者が、対話療法を通じて打ち解けあううちに、お互いの心が共鳴するという異色の友情ドラマとみていい。
 過去の悪夢や記憶が潜んでいる心の深奥を覗きこみ、自分とは何者かを見出していく。
 じっくりと見せてくれる、大人向けのヨーロッパ映画なのだ。










1948年、アメリカ・カンザス州にある軍病院・・・。

第二次世界大戦から帰還したネイティヴ・アメリカン(アメリカン・インディアン)のジミー(ベニチオ・デル・トロは、激しい頭痛などの度重なる体調不良に苦しんでいた。
軍医師にもその原因を特定できず、ユダヤ系フランス人の精神分析医ジョルジュ(マチュー・アマルリック)にジミーを委ねるのだった。
人類学者としての肩書も持つジョルジュは、アメリカン・インディアンの実地調査も行っていた。

ジョルジュは、毎日ジミーと言葉(会話)による診療を重ねることによって、ジミーの心の中に宿る闇に次第に近づいていく。
二人のセッションは、ジミーの幼少期の記憶、初めての女性経験とそのトラウマ、母親との確執、そして女たちとの奇妙な関係、17歳の時に恋人との間に生まれた娘とその後の再会と離婚・・・、といった具合に、過去にさかのぼって精神的、心理的側面から、ジミーの症状の原因を探り当てていく。
ジミーの夢や回想から、彼の精神的苦痛が生まれてきたことが見えてくるとともに、そうした二人の心の‘冒険’を経て、友情の中に自分とは何かを見出していくのであった・・・。

心の傷を負った患者と医師として、二人の男が、対話を通して心の交流を重ねていく物語である。
精神分析という題材を扱いながら、友情という普遍的なテーマを執拗なほど丁寧に描いている。
実話に基づいていて、丹念な取材には好感が持てるが、全編の展開は少々重苦しい。
ストーリーの展開にもわかりずらいところがあるが、作品は極めてユニークだ。
悪夢とか記憶とかいった部分の映像化には、デプレシャン監督はかなりの気遣いをしたようだ。
それを冒険心というかどうか。

ドラマは、一見正反対の対極にある者同士の寓話のようでもある。
あるいは戦争体験者のトラウマでもあるが、戦争というものがいかに人間の心を深く傷つけたか。
幼少時代、主人公のジミーが沖縄戦を経験した元米兵という設定をどう見るか。
アルノー・デプレシャン監督フランス映画「ジミーとジョルジュ  心の欠片(かけら)を探して」は、二人の主たる会話に退屈かと思いきや、そんなことはなく結構引き込まれていく説得力は魅力だ。
ドラマは、ジミーの心の闇に迫りつつ、そこに迫るジョルジュ自身も闇を抱えていることがわかる。
通俗ドラマの類ではないし、一般受けしにくい作品だが、中身は濃く、上質の味わいがある。
言葉と会話を通して、一人の男が別の一人の男の魂に入り込んでいく冒険譚でもあると、デプレシャン監は語っている。
それこそ心の座った、しっかりとした侮れない映画だ。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「トレヴィの泉で二度目の恋を」―ある出会いから再び人生が輝き始める時―

2015-03-18 12:00:00 | 映画



「アパートの鍵貸します」で世界を虜にした、シャーリーマクレーン主演の最新作である。
共演は「サウンド・オブ・ミュージック」クリストファー・プラマーだ。
そして、 「イル・ポスティーノ」で世界中の映画ファンの涙を誘ったといわれる、マイケル・ラドフォード監督が高齢者のラブロマンスを撮った。

1934年生まれのシャーリー・マクレーン、1929年生まれのクリストファー・プラマーの二人はいまなお健在で、シャーリーについては映画デビュー60周年という記念作品だ。
ベテラン俳優二人による、ユーモアもたっぷりの熟年ラブストーリーだ。










息子夫婦と別れて暮らすエルサ(シャーリー・マクレーン)が住むアパートの隣室に、娘の薦めもあって80歳のフレッド(クリストファー・プラマー)が越してきた。

フレッドは妻を亡くしたばかりで、かなりの頑固者だが、このところ生きる気力を失っていた。
おしゃべり好きなエルサと知り合い、二人は次第に惹かれ合っていく。
そのエルサには、空想と現実をごちゃまぜにして話をする癖があり、フレッドは困惑するばかりだ。

だが付き合っていくうちに、フレッドはエルサの重大な秘密を知り、彼女の夢をかなえる決意を固める。
その夢というのは、フェデリコ・フェリーニ監督の名画「甘い生活」のある場面を、ローマで再現するというものだった。
次から次と、嘘か誠かわからぬような話をするエルサに振り回されながらも、人生を愉しんでいこうとするフレッドだったが、エルサが病に侵されていることを知って・・・。

無愛想で無口な男と、夢を忘れない虚言癖の陽気な女と・・・、プラマーマクレーンという最高のキャスティングと味わい深いウィットの富んだ会話が、いかにも微笑ましい。
エルサの虚言癖がこのドラマの薬味となっていて、人生のたそがれに恋の輝きを灯すのだ。
フェリーニ名作「甘い生活」を思い出させる。

80歳を超えた二人の名優のアンサンブルに、ローマの美しい景色が彩りを添える。
幾つになっても、人生を謳歌するのは自分次第、年齢など関係ないと勇気をくれる作品だ。
劇中では、フェリーニ監督傑作「甘い生活」にオマージュを捧げ、その名シーンがたびたび登場するローマの観光名所も興味深い。
マイケル・ラドフォード監督アメリカ映画「トレヴィの泉で二度目の恋を」は、二人のキャラクターの関係を面白く描いて、「年を重ねて再び恋を見つける」というコンセプトは、年齢に関係なくロマンティックでよろしい。
まあ、ストーリーは月並みだけれど、温かなラブストーリーだ。
人間関係、家族関係、男女の愛情は時代を問わないのだ。
さて、年を重ねる男女が恋に落ちる物語に、どこまで共感できるだろうか。
少年少女のように可愛らしく老いるというのも、なかなかいいことのようで・・・。
しかしそれも、あくまでそうできればの話である。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「さいはてにて やさしい香りと待ちながら」―女性たちの癒しと再生の物語―

2015-03-16 21:00:01 | 映画


奥能登の海を背景に、二人の女性の心の触れ合いを綴る。
人は誰にも欠点がある。
その欠点を二人で補い合うことで、人は人と絆を深めていく。
人間同士の柔らかさは、そこから生まれてくる。

チアン・ショウチョン監督はそう言いたいのだ。
台湾の女性監督が日本で撮った、女性映画だ。















東京でコーヒー店を営む岬(永作博美)は、30年前に生き別れとなった父が行方不明になっていると知らされ、故郷の奥能登へ戻ってくる。

岬は借金を返済し、船小屋を改装して移り住み、自然焙煎のコーヒー店を開く。
辺りには休業中の民宿があるだけで、そこには、シングルマザーの絵里子(佐々木希)と娘の有沙(桜田ひより)、息子の翔太(保田盛凱清)が暮らしていた。

絵里子は金沢で夜の仕事が忙しく、子供たちの食事は即席麺ばかりだ。
子供たちは給食費さえもらっていないが、、母に言えない。
学校ではいじめられる。

家庭訪問する教師も追い返されるが、岬のコーヒーに癒やされる。
絵里子の娘有沙は、岬の厳しい仕事ぶりに魅せられ、コーヒー店で働き始める。
でも絵里子は岬を気に入らず、有沙と接することを禁ずる。
しかし、岬を襲ったある事件をきっかけに、二人は和解し、友情を育み、子供たちと関わるうちに絵里子の気持ちも開かせていく・・・。

岬がこれまでどういう人生を送って来たかなどは、最後まで明らかにされない。
彼女の4歳の時の父の記憶と、宮沢賢治の童謡だけが示される。
詳しい説明はない。
父の死を受け入れる心の揺れを繊細に描きながら、美しい海を背景に、癒しと再生の物語が綴られていく。
長編劇映画初作品になる、チアン・ショウチョン監督作品さいはてにて  やさしい香りと待ちながらは、前半もったりとした展開で、岬も絵里子も生活感は乏しく、彼女たちの内面にまで迫っていないのが弱い。
人間関係の淡い情緒は、コーヒーの香りとともに醸し出されていて、好感は持てる。

どう見ても母親らしく見えない佐々木希が、水商売で働きながら、不器用でも子供二人を育てる母親を好演し、岬との関係性も一応描かれている。
潮騒をききながら、実の母親以上に子供たちに親しさを見せる永作博美も自然でいいのだが、テーマにつながるシーンで、突然店を閉めて去っていく場面はいかにも唐突だ。
しかも、展開が気になるラストシーンは、悲しくはないがあっさりととってつけたようで、少し不満の残る幕切れだ。(それがハッピーエンドであっても)
この作品、石川県能登の海辺で実際に焙煎コーヒー店を営む人がおり、そこから着想を得たオリジナルの物語だ。
コーヒー店の前の外灯が点燈されるシーンなど、温もりも伝わってきて、情景描写については魅惑的な場面も多く、もっと褒めたいところだ。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点

次回は「トレヴィの泉で二度目の恋を」を取り上げます。


映画「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」―愛を知らない男と恋を知らない女の禁断の行方―

2015-03-14 21:00:00 | 映画


 ロンドン在住の一般女性ELジェイムズが趣味で投稿した小説が、何と全世界で累計1億部を突破するという空前のベストセラーとなった。
 この原作をもとに、サム・テイラー=ジョンソン監督ケリー・マーセルの脚色で映画化した。
 主要三人の女性のコラボレーションによる、恋愛映画には違いないのだが・・・。
















学生のアナスタシア(ダコタ・ジョンソン)は学生新聞の取材で、若くして巨万の富を手にした超有名企業のCEOグレイ(ジェイミー・ドーナン)と出会う。
アナスタシアは恋愛未経験だが、謎めいた青年グレイに惹かれ、彼もまた彼女の純粋さにすぐ心を奪われる。
だが、グレイがアナスタシアに贈ったのは、愛の言葉ではなく‘契約書’であった。
そこには、二人が関係を持つにあたっての、食事、服装、睡眠、性行為に至るまで、詳細な〈ルール〉が決められていた。

アナスタシアは戸惑いの色を隠せない。
グレイは、過去のある経験から女性を愛することができず、相手を完全に支配する特異な〈関係〉しか持てないと告白する。
アナスタシアは、初めて愛した男性のすべてを受け入れたい想いと、彼と真に心を通わせたい願いに引き裂かれる。
レイは、自分に湧き起こった初めての感情と、自らのゆがんだ愛の形に苦悩するのだった・・・。

本来出会うはずのない二人が運命的な出会いを果し、これまであまり恋愛映画ではありえなかった、刺激的なストーリーが展開していく。
男性のみならず、女性の官能を刺激する(!?)設定や、赤裸々な描写だけでなく、先がどうなるか全く予測のつかないハラハラドキドキの展開となる。
女性監督サム・テイラー=ジョンソンは、もと写真家で現代美術家で、この作品ではきわめてスタイリッシュな映像で、グレイとアナスタシアの恋愛模様を、繊細でかつ大胆にスクリーンに描きだしている。
それはそれでよろしいのだが・・・。

世界的ベストセラー小説の原作だが、どうも映画の方は実はあまり感心できない。
ラブストーリーでありながら、登場人物たちの感情の動きが画面からあまり伝わってこない。
甘美で危険な愛を描いたこのアメリカ映画「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」は、スクリーンからは、なまめかしい官能も匂い立つような甘やかさも感じられないし、しっかりした作品構成とも思えず、楽しめる作品とはなっていないことが一番気にかかる。
作品自体のセクシャリティもなければ、中途半端なスリリングにも失望だ。
ヒロインのダコタ・ジョンソンは悪くはないが、残念ながら映画としては期待外れの一作だ。
      [JULIENの評価・・・★★☆☆☆](★五つが最高点


映画「幸せのありか」―生きることの素晴らしさと人間の意志の強さをみずみずしく―

2015-03-12 20:00:00 | 映画



 孤独で不屈の精神が、凛とした優しさに満ち、人間の持つ意志の強さが「生」の輝きとなる。
 純粋な想いが心に深くしみいる、ポーランド発の珠玉のような作品だ。
 モントリオール世界映画祭グランプリ受賞作品というのも、うなずける。

 ポーランド生まれのマチェイ・ピェプシツア監督は、脳性まひの一人の青年が人々と出会い、運命を変え成長していく実話をもとに映画化した。
 障害があってもそれを乗り越えて、全ての人間が持つ愛や尊厳を力強くスクリーンに刻みつけた主人公を演じる、実力派俳優ダヴィド・オグロドニクが、傑出した素晴しさだ。









身体に重度の障害を抱えていて、歩行や会話が困難なマテウシュ(ダヴィド・オグロドニク)は、医者からは「知的障害」の上、“植物のような状態”とまで言われていた。

それでも家族は、普通の息子としてマテウシュに明るく接してきた。
だが、心から愛を注いでくれた父は突然亡くなり、父から教えられた星空を見上げる歓びだけは忘れなかった。

彼自身も思春期になると、向かいのアパートに住む少女に淡い恋を抱き、日々の寂しさは忘れてともに過ごす時間もあったが、それも突然の別れが訪れて・・・。
そして成長とともに、次第にマテウシュは家族からも疎まれる存在となって、介護をしていた母は年老い、姉は彼を病院へ入れてしまう。
マテウシュは、憤りと不満を母や看護師にぶつける日々だったが、美しい看護師マグダ(カタジナ・ザヴァツカが現れ、彼女と心を通わせるようになっていく。
だが、それも・・・。

作品は、障害者が健常者を見つめる映画となっている。
マテウシュは脳性まひの障害を持って生まれながら、実は医師に誤診され、知的発達において何ら異常がなく、言葉を発することができず、身体を思うようにコントロールすることができないが、精神性や感受性は人一倍強い子供として成長する。
母親だけは、彼が植物人間のような烙印を押されることに納得がいかない。
ここにこの作品の悲劇がある。
ドラマの中でマテウシュの怒りが爆発し、力の限りこぶしをを挙げて意思表示をするところは驚異である。

この作品、何といっても全身に生きる歓びを立ち上らせている、オグロドニクが素晴らしい。
言葉を発しない主人公というギャップを、中心軸に据えているが、頭のよい冷笑的な一面を持つマテウシュは、独白と表現の豊かさで自分を主張している。
この作品のもつみずみずしさは格別だ。
主人公の常軌を逸した行動や奇声は、想像の貧しい他人にはなかなか理解しがたい。
でも、内心の叫びは、確かなものとして伝わってくるのだ。
誤解や偏見にもとづく試練に見舞われながら、不屈の意志でひたすら生きようとする、その意志の強さには驚嘆だ。

障害者といっても単なる障害者ではない。
重度の障害があっても、これほど豊かな感情が人間の中に流れているということを、観客は思い知らされる。
全編にわたって繊細な感情が溢れ、淡彩のやわらかな色調のスクリーンもどこか温かみがあって、効果的な演出だ。
マチェイ・ピェプシツア監督ポーランド映画「幸せのありか」は、障害を持つ男性の幼少期から青年期までの、切なくも悲しい、様々な葛藤と成長を描いた上質な映画として、鑑賞に十分耐えうるものだ
文部科学省特別選定作品。
        [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「パリよ、永遠に」―虚々実々、運命の一夜の駆け引き―

2015-03-10 15:30:00 | 映画


 もしパリが廃墟となっていたら、世界はどうなっていただろうか。
 かつて1966年に、ルネ・クレマン監督による「パリは燃えている」という大作があった。
 言わずと知れた、第二次世界大戦末期のパリ壊滅作戦を描いた作品だった。
 本作では、ナチス・ヒトラーの野望を回避すべく何が行われたか、1944年8月25日の一夜に絞って、 「ブリキの太鼓」「 シャトーブリアンの手紙」のドイツの名匠フォルカー・シュレンドルフ監督が、ここに克明に再現して見せてくれた。

 ヒトラーは、エッフェル塔もオペラ座も、全てを燃やし尽くしたかったのだ。
 だが、パリは守られた。
 そこで一体何があったのか。








1944年8月25日深夜・・・。

パリの運命は二人の男の手に委ねられていた。
ドイツ軍のパリ防衛司令官コルティッツ(ニエル・アレストリュプ)を、パリの街をこよなく愛するひとりの紳士
が密かに訪ねてくる。
スウェーデン総領事ノルドリンク(アンドレ・デュソリエ)その人だ。

パリで生まれ育ったノルドリンクは、美しい街パリを破壊から守りたい一心で、誰にも気づかれずに部屋を訪れたからくりから説明し始め、来訪の理由を告げる。

ノルドリンクは、ヒトラーが厳命した「パリ爆破計画」中止の停戦提案を受け入れるよう、懸命に訴えるのだった。
しかし、司令官として総統の命令に服従しなければならないコルティッツは、家族までもが人質にとられていて、譲歩も決断も出来ない。
二人の激しい駆け引きが始まった。
だが、時間は刻々と過ぎてゆく・・・。


登場人物はほぼ二人だけである。
たった一夜の、緊迫した二人のやりとりが鮮明に描かれる。
将軍と総領事の台詞の応酬が続く。
押したり引いたりの命がけの駆け引きは、外交交渉みたいだ。
それというのも、ヒトラーはベルリンが戦禍によって廃墟と化したことから、パリの美しい街並みに嫉妬して「連合軍の手に渡すくらいなら、燃やしてしまえ!」と言うのだった。
結果的には、この作戦は間一髪で回避され、ドイツの降伏という事態を招くのだが・・・。、
そこにいたるまでの、コルティッツとノルドリンク二人の息詰まる攻防戦が、パリ解放の重要なカギを握っていたのだ。
同じ人間同士による、もう手に汗握る、丁々発止のやり取りを描いた歴史秘話である。

戦争では常に上官の命令は絶対だし、その命令を拒否することはできない。
戦争責任は誰にあるのか。
連合国軍によって、パリ陥落が目前に迫っているとき、ヒトラーの発したパリ市街爆破命令を受けて、コルティッツ将軍の苦悩はあまりある。
彼自身は、パリが爆破されることを決して望んではいなかったのだ。

ドラマの中、テーマと関係ないと思われるが、興味深いシーンがいくつか見られる。
おそらくは、占領下のパリを徹底的に調べたに違いないスウェーデン総領事のノルドリンクが、鉄壁のはずのナチ防衛網を潜り抜けて、よくぞコルティッツの前に姿を現したというのも意外だし、それも、かつてナポレオン3世が女優と会うためにと通ったといわれる、秘密通路(隠し階段)を使ったというのも驚きだ。
またナチ本部のあるホテルでは、パリが陥落するかもしれないその時を前に、彼らの相手をした娼婦が追い立てられるシーンも、苦い笑いをもよおすエピソードだ。

もともと舞台では、何百日と同じ役を演じてきた主役二人の息の合った掛け合いは、この映画でも成功しており、いぶし銀の名演技で観客を飽きさせない。
とにかく素晴しい出来栄えだ。
臨場感ある実写映像も交えて、群像描写も鮮やかである。
ドラマの終幕の場面、ホテルの密室から飛び出したカメラが、何もなかったかのように、眼下に拡がる夜明けのパリの街並みとセーヌの流れを、ゆっくりと映し出す解放感はたとえようもない。
それに、「私には愛するものが二つあるのよ、私の国と、パリ」という、ジョセフィン・ベーカーの歌声が重なって・・・。
まさしく、破壊から救われた「パリ」の解放の余韻である。
いいラストシーンだ。

フランス・ドイツ合作映画「パリよ、永遠に」は、未来を継ぐべき人類の文化、精神を守ろうとした両者の和解と再生が底流にあるとみる。
フォルカー・シュレンドルフ監督の脚本も完成度が高く、一言一言の台詞も繊細で要を得ており、登場する俳優に類いまれな説得力を与えている。
とまれ、戦争はしてはいけない。
かつて、戦争によって運命の岐路に立たされたパリを想えば、この運命の一夜のおかげで現在のヨーロッパ、そして現在のの世界があることへの感謝の念もこみ上げてくる。

見応えも十分、重厚で格調高い歴史ドラマである。
それにしても、日本文化を代表する古都、京都が戦争で破壊されていたら、どうなっていたことだろうか。
ふと、そんなことが脳裏をよぎった。

      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「毛皮のヴィーナス」―現実と幻想のはざまを万華鏡のような舞台で―

2015-03-08 19:00:00 | 映画


 「マゾヒズム(被虐趣味)」の語源となった、ザッヘル=マゾッホの自伝的小説をもとにした戯曲の映画化作品だ。 
 「ローズマリーの赤ちゃん」(1968年)、「戦場のピアニスト」(2002年)などで知られる、81歳の巨匠ロマン・ポランスキー監督の最新作は、映画の持つ表現技術の醍醐味を味わせてくれる。

 作品は、結構手が込んでいる。
 いまだ生気溌剌の才人ポランスキー監督は、戯曲を上演するためのリハーサル風景を描き出すのだ。
 この映画の舞台といえば、劇場の中だけで、登場人物は何と演出家と女優候補の二人だけなのである。










雷のある日のことだった。

自信家で傲慢な演出家トマ(マチュー・アマルリック)のもとへ、無名の女優ワンダ(エマニュエル・セニエ)がオーディションを受けに遅れてやって来る。
適役の女優がおらず、トマは不機嫌だった。
そこへ突然現れたワンダは、がさつで厚かましく、知性の欠片も感じられない女だった。

ワンダは手段を選ばず、強引にオーディションを懇願し、トマは渋々彼女の演技に付き合うことになる。
ところが、ステージに上がったワンダは役を深く理解し、セリフも完璧で、彼女を見下していたトマは魅了され、自分の主導権を奪われていく。
ワンダは圧倒的な優位に立ち、二人の芝居は熱を帯び、トマは役を超えて、彼女に身も心も支配され、たちまち心酔していくのだった・・・。

出演者は、とにかく二人だけである。
場所も固定されている。
しかも、劇場という舞台設定も凝っている。
映画史上かつてない(?)キャラクターで、ワンダを演じる実力派女優エマニュエル・セニエは、ポランスキーの妻その人だ。
ワンダに翻弄されるトマ役のマチュー・アマルリックとともに、絶妙な演技を見せる。
表情、口調、仕草、かもし出される雰囲気、何をとっても役者二人が実に上手い。
それに、なかなかの緊迫感である。
何が演技で、何が現実か。
ワンダの正体もわからないまま、二人の力関係も幾度も入れ替わりながら、物語はラストシーンへ。

このようなワンシチュエーションの作品を支えるには、かなり高度な技術も要求されるという。
そこは、ポランスキー監督が絶大な信頼を寄せるスタッフに、撮影パヴェル・エデルマン(「戦場のピアニスト」)、音楽アレクサンドラ・デスプラ(「英国王のスピーチ」)らが参加しているのもわかるというものだ。
観ている側は、演出の術中に嵌められてしまうかのようで、現実と幻想の区別もわからず、ポランスキー監のちょっぴり底意地の悪い(?)資質に一杯喰わされてしまうのだ。
ロマン・ポランスキー監督フランス・ポーランド合作映画「毛皮のヴィーナス」は、どこか怪しげで息苦しい緊張感の中に、観客を引きずりこんで離そうとしない。
この濃密でスリリングな作品は、むしろ玄人好みかも知れない。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


「鎌倉・映画・文学~鎌倉を彩る名作の世界~」―川喜多映画記念館企画展―

2015-03-06 20:00:00 | 日々彷徨


 春とはいえまだ風の冷たい日であった。
 鎌倉の川喜多映画記念館へ。

 鎌倉は多くの芸術家に愛された街である。
 本企画展では、鎌倉ゆかりの文学の映画化作品を中心に、1月4日(日)から3月29日(日)まで、企画展と映画資料の展示と合わせて映画の上映も行われている。

 これから上映予定の作品は次の通り。
 3月10日(火)~12日(木) 「わが恋わが歌」 (中村登監督/岩下志麻主演)
 3月13日(金)~15日(日 「ツィゴイネルワイゼン」 (鈴木清順監督/原田芳雄主演)
 3月24日(火)~26日(木) 「晩春」 (小津安二郎監督/原節子主演)

 また別に、シネマ・セレクション・アンコール上映として次の作品が予定されている。
 3月17日(火)~19日(木) 「制服の処女」 (レオンティーネ・ザガン監督)
 3月20日(金)~22日日) 「舞踏会の手帳」 (ジュリアン・デュヴィヴィエ監督)







今回個人的に興味をそそられたのは、3月6日(金)~8日(日)まで、午前11時から特別上映されている、久米正雄監督「現代日本文学巡礼」だ。
よく知られているところでは、「月よりの使者」など幾度も映画化された、昭和初期の鎌倉文士を代表する作家・久米正雄監督した貴重な記録映画で、当時の文士の生活や執筆風景をうかがい知ることができて、関心のある人には興味深い。
1927年のモノクロ無声映画だが、久米自身が多く登場しており、木登りする芥川龍之介や、将棋を指す菊地寛ら往年の文士が登場するシーンは、どれも貴重で懐かしい。
久米という人は、よほど映画が好きだったと見える。

また3月7日(土)午後2時には、今まど子氏(作家・今日出海長女)のトークイベントなどをはじめ、ミニイベントがシネサロンで開催中だ。
毎月定例として第二日曜日午前11時に、学芸員による展示解説(ギャラリートーク)も行われている。
企画展は1月からの開催なので、すでに終了しているものもあるが、まだ間に合う映画の上映時間など詳細は、鎌倉市川喜多映画記念館へ。
・・・淡い春の日差しを受けて、記念館の窓の外の庭には紅梅が見ごろだった。