徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「TIME/タイム」―ちょっと面白い近未来を描くノンストップ・アクション・サスペンス―

2012-02-26 11:00:01 | 映画


      全ての人類は、25歳で成長が止まる!!      
      ‘時は金なり’というが、言葉通りそれを映画化したような作品だ。
      現代の社会にどこか似た、近未来の世界でのただひとつの通貨は、文字通り‘時間’だった。
      画期的で斬新なコンセプトだ。

      人類が、科学技術の発展によって、もし人間の老化という宿命を克服できたら・・・?
      この世界を支配するのは、“時間”だった。
       アンドリュー・ニコル監督アメリカ映画は、この作品にどんなシュチエーションを用意したのか。







     
近未来の人類は、遺伝子の操作によって、誰もが25歳で成長が止まる。

富める者は永遠に生きられるが、一方貧しいものは、寿命を延ばすために働き続けなければならない。
すでに貨幣はなく、世界を支配するのは“時間”という名の通貨だけだ。
人間は、左腕には埋め込まれた、「ボディ・クロック」の残存数字を交換できれば、さらに長生きすることができる。
それからどれだけ生きられるかは、持ち時間次第なのだ。

人々は、この時代富裕層と貧困層とに分かれている。
時間をたくさん持っている人たちが富裕層で、時間を持ち続ける限り死ぬことはなく、不老不死だ。
そして、すべての人が25歳のままのビジュアルで、たとえ80歳でも見た目は25歳だ。
おばあさんとお母さんと娘の、三世代が並んでも、みんな25歳ということだ。
こんな新世界を舞台に、貧困層の青年と富裕層の女性が出会ったら・・・、という物語だ。

富裕層と貧困層を分けるのは、左腕にはめられた、体内時計「ボディ・クロック」の刻むだ。
貧困層(スラム)ゾーンの人々の余命は23時間、富裕層ゾーンの住人は永遠の命を享受する。
二つの世界にはタイムゾーン(境界線)があり、互いの世界の行き来は禁じられている。
ある日・・・、ひとりの男から100年の時間をもらい、殺人の疑いをかけられた青年ウィル(ジャスティン・ティンバーレイク)は、自分が生まれ育ったスラムに別れを告げ、タイムゾーンを超えて、富裕層ゾーンに入り込む。
そこには、彼が今まで見たことのない、贅沢な生活と永遠の若さを無駄に使う人々と、魅力的な大富豪の娘シルビア(アマンダ・セイフライド)がいた。

誰が何のために、このようなシステムを作ったのか。
ドラマ前半に登場する、富裕層の男性ハミルトン(マット・ボマー)が、ウィルの人生を変えていくのだが、謎に挑む貧しい青年ウィルと、毎日が退屈な富裕層のシルビアが、やがて時間を強奪する義賊としてコンビを組み、‘時間’の秩序を守る者たちの執拗な追跡をかわしながら、逃避行を続けるのだ。
だが、ウィルとシルビアの体内時計は、すでに二人の残りわずかな余命を告げていた・・・。

二人は、時間監視員(タイムキーパー)の追跡と余命のカウントダウンから、逃れることができるのか。
まあ、ダイナミックないイマジネーションが可笑しく、滑稽なお膳立てなのだが、デジタル時代の真実をあぶりだしている(?)点では、進行形のアクション・ドラマだ。
それで、単なるアクションドラマかと思うとそうでもない。
膨大な時間を強奪し、貧者にもそれを分配するという二人と、時間の支配者との対立軸は、金融緩和によるインフレなどで各地に深刻化している、いまの世界の矛盾を突いているかもしれない。
私たちの生命と時間だって、決して長いわけではない。それに、お金がないと長生きしないというのは嫌な話だ。

総じて、ドラマの展開は荒っぽいし、キャスティングも少し気にならないこともない。
‘時間’に追われるドキドキ感で楽しませる、ちょっと格は落ちるけれど、暇つぶしに見るにはいいかもしれない。
アンドリュー・ニコル監督アメリカ映画「TIME/タイム」は、物語の設定がミステリアスMAXというほどではないにしても、とにかく近未来という想定だから、ちょっと面白いことは面白い作品だが・・・。
    [JULIENの評価・・・★★☆☆☆](★五つが最高点


映画「フェア・ゲーム」―正義のためにイラク戦争を最後まで止めようとした女―

2012-02-22 23:00:03 | 映画


      全世界を震撼させ、その後の世界情勢に大きな影響を与えた、「9.11」から10年・・・。
      いま、アメリカの正義とは何か、イラク戦争とは何だったのかを問いかける。
      アメリカ政府が現在までひた隠しにする、イラク戦争の裏にあったをもとに、スリリングかつドラマティックに描かれる。
      クライム・サスペンス映画である。

      イラクに、大量破壊兵器は存在しなかった。
      それは、ブッシュ政権最大のスキャンダルとなった。
      ダグ・リーマン監督は、真実に基づいた政治スリラーとして、観る者の血をたぎらせるような作品を、誕生させた。
      それに、何といっても、ショーン・ペンナオミ・ワッツ二大アカデミー俳優の競演が素晴らしい・


    
あの、2011年9月11日・・・。
世界を震撼させた同時多発テロ以降、アメリカのブッシュ政権は、世論をも巻き込み、イラク共和国が大量破壊兵器を保持し、悪の枢軸のひとつであるとしていた。
だが、極秘にこの疑惑を調査していた、CIA秘密諜報員ヴァレリー・プレイム(ナオミ・ワッツ)は、潜入捜査の結果、イラクに核開発計画がないことを突き止める。

その一方、ヴァレリーの夫で元ニジェール大使のジョー・ウィルソン(ショーン・ペン)も、国務省の依頼で、同様の調査結果を得ていた。
しかし、ブッシュ政権は、ヴァレリー夫妻の報告を無視し、2003年3月20日、ついにイラクへ宣戦布告をした。
ここから、夫婦の命を懸け、己の信じるとを貫く、すさまじい戦いが始まったのだった。

核兵器開発計画が、最初から存在しないならば、イラク戦争を始めた、ブッシュ政権の大義(正当性)が疑われかねないからだ。
ところが、その直後、ワシントンの有力ジャーナリストたちに、ヴァレリーがCIAの秘密諜報員だという情報がリークされる。
情報漏洩を指示したのは、何と、副大統領補佐官のリビー(デヴィッド・アンドリュース)だった。
ヴァレリー夫妻は身分を暴露され、たちまち世間の好奇の目に晒されることになり、平和な家庭や各国に散らばる協力者にも危険が迫り、ヴァレリー・プレイムのキャリアと私生活は崩壊し始める・・・。

自らの名誉と家族を守るために、強大な国家に果敢にも戦いを挑む、ヒロインの運命が描かれる。
演出も脚本も、実に力強い。
主役の二人、 ショーン・ペンナオミ・ワッツの演技は、説得力十分だ。
歴史のうねりに巻き込まれながらも、最後までイラク戦争を止めようとした女性、ヴァレリー・プレイムによって明かされた衝撃の事実・・・!!
よくぞここまで、アメリカの政治的スキャンダルを暴露できたものだ。
実話だけに、リアリティは十分だし、イラク戦争の裏事情を暴露しながら、国を相手に闘った夫婦の絆を描いた緊迫感溢れる作品だ。
この事実を映画にしてしまう、アメリカも凄いではないか。

イラク戦争をめぐる巨大な陰謀、国家権力に立ち向かったCIAエージェントの孤高の戦いだ。
ダグ・リーマン監督アメリカ映画「フェア・ゲーム」は、愛する家族と正義を守るための女の戦いを描いて、スピード感あふれる演出といい、巧みな心理描写にぐいぐい引き込まれる。
真に勇敢な人間たちの、人間ドラマとして、深く見ごたえがある。
ナオミ・ワッツは、これまでのキャリア中でも、屈指の演技を見せてくれているのではないか。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


いかにも多すぎる国会議員―定数削減の掛け声はあれど―

2012-02-19 12:00:00 | 雑感

春の足音は、確実に近づいている。
でも、まだしばらくは厳寒の日々が続きそうだ。

巷には、相変わらず「ゾウゼイ、ゾウゼイ」の声しきり・・・。
消費税増税をめぐって、国民不在の与野党の論戦が続いている。
でも国会の予算委員会での、様々な政策をめぐる質疑論戦は、空疎で上っ調子だ。
国民の、本当に知りたいことがよくわからない。

野党は、昔ながらに、与党の不祥事の追及や愚にもつかぬ揚げ足取りに終始し、政府与党もお座なりの官僚的な答弁の繰り返しで、同じことを幾度も質問し、幾度も同じことを答えている。
消費税についても、国民の納得のいく真摯な説明が不十分で、いたずらに国民の負担をあおる増税話ばかりで、この国をどうしようとしているのか、国会議員の仕事の何たるかを真にわかっているのだろうか。

現在、衆参両院合わせて722人もいる国会議員は、日頃どんな活動をしているのだろうか。
これだけ多くのの数の国会議員が、こんなちっぽけな日本に本当に必要なのだろうか。
議員の一人一人が、身を削って、庶民の生活に直結する「庶民感覚」を、どれほど持っているだろうか。
国の借金が1000兆円にもなるという、財政悪化の責任が、国民にあるかのように喧伝されてはいないか。
その原因たるや、政治家(この国では、政治家といっても政治屋に等しいが)や、お役人たちが自分たちの利権を拡大し、営々と(?)甘い汁を吸ってきたのではなかったか。
たとえば、無駄なダムをあちこちに作り、無駄となる道路がどれだけ作られてきたことか。

そんな国会議員の給料は、世界一高いのだそうだ(!)。
官僚の待遇も、また世界一というではないか。
あっ、と驚くことばかりだ

日本の国会議員の報酬は、給料だけでも年収2000万円を軽く超えている。
この数字は、アメリカ(1300万円)、フランス(800万円)、イギリス(700万円)などと比べても、断トツではないか。
国会議員の歳費は、月給129万円、年間635万円の賞与があるから、これだけで年間約2200万円だ。
そしてこれとは別に、文書通信交通滞在費と称して年間1200万円が支給されているし、これは非課税で使途報告も必要のない「つかみガネ」といわれる。
一流企業の社長の、平均給与に匹敵する額である。
そのほか、JR全線無料パスや無料航空券が支給され、豪華格安の議員宿舎に公用車まで付く。
これに公設秘書の給与などを含めると、1人当たり年間1億1000万円以上の、税金が使われている計算だ。
昨年の東日本大震災で、いったんは毎月50万円の歳費カットを決めておきながら、9月にはこれをあっさり終了させ、冬の賞与は満額の291万円支給で前年よりも9万円多かった。
民間企業の不況など、どこ吹く風である。

野田首相は、消費税増税で不退転の意思を表明しているが、身内の議員の歳費や政党助成金には触れずじまいである。
こんなことって、許されていいのだろうか。
国民には増税を求めておいて、国会議員や政党だけが甘い汁を吸っている。
私利私欲に目がくらみ、せっかく手に入れた議員の任期の間だけでも、その甘い汁を吸っていたいという、卑しい(?)気概が見え見えだから困る。
いや、本当に・・・。

政党助成金にいたっては、議員が眠っていたって支給され、総額およそ320億円(!)にもなるのだそうだ。
最小額の党で1億円ぐらいで、これが各議員へ分配されることになるのだろう。
給与やら、助成金やら、団体や個人からの献金や政治資金をを積み立て、超高額なマンションの購入ローンをわずか数年で完済したという猛者もいるから、あきれてものも言えない。
何故、議員や政党の財布には切り込めないのか。
それはそうだ。美味しい話をカットされてたまるかとの思いを、絶つことができないのだ。
が、しかし、国民の目線からいえば、政党助成金は、思い切ってやめたほうがいい。
共産党は受け取っていない。こういうところは、見習ってもいいのではないか。

増税を叫ぶ前になすべきことは山ほどあるのに、それをしないで「ゾウゼイ、ゾウゼイ」である。
自分たちの既得特権だけは、失いたくないからだ。
これでは、政治がよくなるわけがない。
国会議員になりたがる人は、こうした利権にあやかりたいがためで、かつての藤山愛一郎外相のように、自分の身銭を切ってでも、国家国民のために尽くそうなんていう政治家は、一人として今の国会にはいないのではないか。
政治とは、自分の身を投げ打って、極言すれば、たとえ無報酬でも生活資金さえあれば、国家国民のために尽くすというのが本筋だ。
だが、悲しいことに、いまどきそんな政治家はいない。
…なのに、そんな国会議員が722人とはいかにも多すぎる。

さすがに、野田首相も、自分たちも身を切る努力をしなくてはと、増税実施の前までに、衆議院の80議席を減らすと語った。
これとても、いい加減なごまかしとしか思えない。
単なる、パフォーマンスと思っていた方がよい。(苦笑)

80議席を減らすというなら、速やかに総選挙でも何でもやって実施すればいい。
それさえできないで、「ゾウゼイ、ゾウゼイ」は納得できない。
財源がないというなら、まだまだ有り余る無駄を完全になくすことだ。
それをやれない。いや、やれないのではなく、やる気などさらさらないのではないか。
少なくともそう見える。
口先だけの話なら、これまでどれだけ国民は騙されてきたことか、やるやる詐欺と同じだ。


現在いる722人の国会議員の大半は、これといって天下に胸を張れるような仕事などないというではないか。
仕事をしているといえば、政務三役とか党役員、閣僚ぐらいで、ほとんどの議員は委員会の員数合わせで、政府提出法案の採決要員として起立させられているだけだと、ある新人議員も語っていた。
だから、社会保障学の学習院大学の鈴木亘教授は、「日本は衆院240人、参院は各県代表の47人で十分だ」というのだ。
確かに、人数が少ない方が物事は早く決められるし、失礼ながら722人の議員がいたって、役立たずが多いだけで、誰が誰だかもわからない。
722人の歳費を考えただけでも、とんでもない税金の無駄使いなのだ。
国会議員は、甘く見たって今の半数以下に削減すべきなのだ。
ここでは詳しく触れないけれど、一部マスメディアの情報によると、地方の都道府県議会1800議会の議員総数36000人は、年間実働20日で年収1200万円を軽く超えているというから、これまた国会議員以上に、あまりにもひどすぎる話で、怒りが込み上げて来ない方がおかしい。
こちらのほうは、給料のほかに日当まで出るというから、とんでもない話だ。

野田首相は、野党時代に税金を食う役人を「シロアリ」といって罵倒したが、いま国民の代表であるはずの国会議員までもが「太ったシロアリ」化していると、巷ではささやかれ始めている。
国会議員や地方議員が、そんなことでいいのだろうか。
これでは、どんなに国民が税金を納めても増税しようが、財源不足で潤うわけがない。
「シロアリ」がそんなに増え続けているなら、早々に駆除しなければいけない。
放射性物質の除染も大事、有害虫の駆除も急務だ。
何とも、情けない話である。

政治家は、国民に約束したことを確実に実行し、その結果について、責任をちゃんと果たさなくてはいけない。
政権の無責任は、許されるべきではない。
野田内閣は、閣僚からしていまだにひよこのような「お子ちゃま内閣」で、残念ながら瓦解する日はそう遠くはないと思われる。
・・・やがて、季節は確実に春を迎える。
国会は、政界再編をにらんで、波乱を呼ぶ新たなる展開となるに違いない。
かくして、またも「終わり」が始まる・・・。


映画「ヒ ミ ズ」―未来を失くした少年と愛にすがりつく少女が絶望の果てに見出したもの―

2012-02-15 22:30:00 | 映画


     夢と希望を諦め、深い暗闇を歩く少年がいた。
     ほとばしる生のきらめきの底で、愛だけを信じる少女がいた。
     15歳の夢は、大人になることか。
     それとも、愛する人と守り守られ生きることか。

     ヴェネチア国際映画祭で、染谷将太二階堂ふみがこの作品で、最優秀新人俳優賞W受賞(マルチェロ・マストロヤンニ賞)に輝いた。
     園子温の監督作品で、日本人で初の快挙となった。

     ヴェネチア国際映画祭の審査委員長(ダーレン・アロノフスキー氏)は、二人の演技について、        
     情熱と感情ではちきれんばかりで、まさに青春がスクリーンで破裂しているようだったと評した。
     原作は、古谷実のコミック漫画で、150万部を超えるベストセラーとなり、連載開始から10年を経た今も、多くの若者に多大な影響を与え続
     けている。
     孤独で内省的な少年(青年)を主人公として、その徹底したリアリティが強い支持を受けている。





               
                          
園子温監督
の描く、現代の青春像だ。
それも、まだ性的な目覚めに至る前の、純粋に生き、悩み、これから大人になろうとしている世代の子供たちの物語だ。
あくまでも、これは青春映画なのだ。

住田祐一(染谷将太)は15歳、彼の願いは普通の大人になることだった。
大きな夢があるわけではなく、ただ誰にも迷惑をかけず生きたいと考える住田は、自宅の貸ボート場に集う、震災で家を失くした夜野(渡辺哲)、圭太(吹越満)たちと平凡な日常を送っていた。

茶沢景子(二階堂ふみ)も15歳、夢は愛する人と守り守られ生きることだった。
住田は、他のクラスメートと違って、大人びた雰囲気を持っていて、そんな住田に彼女は恋焦がれていた。
彼女は、住田から疎まれながらも、彼との距離を縮めていけることに日々歓びを感じていた。

借金を作り、蒸発していた、住田の父(光石研)が帰ってきた。
父親は、金の無心をしながら、住田を激しく殴りつけるような男だった。
さらに母親(渡辺真起子)も、ほどなく中年男と駆け落ちしてしまい、住田は中学3年にして天涯孤独の身となった。

自身もまた、両親からの愛を受けられずに暮らす茶沢は、最悪の環境の中でもがく住田に共鳴し、彼を必死で励ますのだった。
やがて、彼女の気持ちが、徐々に住田の心を解きほぐしつつあるとき、あの“事件”は起こった。

あっさりと息子を捨てて愛人と消える薄情な母と、かたや借金を作っては金の無心に訪れ、わが子に「死ね!」と叫ぶ父・・・。
住田は、ごく普通に生きていたのに、借金の取り立てにやって来たヤクザたちに殴られ、半殺しにされる。
しかし、住田の心は限界に達していたのだった。

・・・ほどなく、再び住田の前に父親は現れ、彼にこういうのだった。
 「しぶといなぁ。俺、お前のこと本当に要らないんだよ・・・」
その瞬間、住田の心は決壊し、すべての感情が溢れだした。
気がついたとき、彼の横に横たわっていたのは、父親の亡骸であった・・・。

夢と希望を諦め、深い暗闇を歩きだした少年と、ただひたすら愛だけを信じつづける少女・・・、二人は巨大な絶望を乗り越え、再び希望という名の光を見つけることができるのか。
少年住田の心から、血しぶきのような叫びが発せられる。
 「オレは、ぜってえ普通の大人になる!」
住田少年の叫びは、絶望の力に抗う希望の姿と映る。
大人たちに台無しにされ、とことん踏みにじられた‘世の中’を強く生き抜いて見せるという決意の表明だ。

住田と茶沢の、この二人の愛というにはまだ幼く、それでいて刺激的で挑戦的なのは、この映画の主題のように見え、それはドラマの終わりまで続く。
大人の言うことに、従わなければならないと考えるのか。
そういう二人に、大人も敵意をむき出しにする。
親子の妥協なんて、感じられない。
住田の父親が、息子に向ける悪意の壮絶さはどうだ。
住田は、少しもひるむことなく立ち向かうが、どうしたらよいのかわからなくなる。
住田は、まだ少年だ。
少年が途方に暮れると、茶沢はそんな彼を愛さずにはいられない。
この青春映画の描く、これがひとつの恋愛なのであり、リリシズム、真剣な瑞々しさが感じられる。
これが、感性というものだろうか。

この映画「ヒミズ」古谷実の漫画を原作にした脚本を、東日本大震災があって園子温監督が書き換えた。
染谷将太は、その作品に出たくて、オーディションでこの大役をつかんだ。
暴力シーンなどはほとんどが本物だから、現場は驚きの連続だったらしい。
ドラマとしては、いささか現実ばなれしているし、かなりの無理もある。
それと、名前はあえて挙げないが、台詞棒読みのような役者がいたのはどうも頂けない。こんなのは演技以前の問題だ。
でもまあ、とにかくこの作品によるヴェネチア国際映画祭新人賞受賞、その確かな熱い役者魂は今後が楽しみだ。
少年少女の演技が、世界を放心(?)させ、青春映画として称賛を浴びたのだから・・・。
作品が上映された映画祭では、エンドロールが終わった瞬間、満員の劇場は水を打ったように静まり返り、直後、はじけるように始まったスタンディング・オベーションは、徐々に会場を埋め尽くし、「スミダ、ガンバレ!」の歓声とともに10分近くも鳴りやまなかったそうだ。
しかし、いつもいつも園子温監督という人は、何か必ず問題作を登場させる異才で、俳優に対するその演出(方法)には観客を唸らせるようなところがあり、国際舞台の表に立つようになって、今後の活躍にますます期待が高まる一方だ。
これからも、この監督からは目が離せない。
   [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「マイウェイ 12,000キロの真実」―戦禍に翻弄された若者たちの数奇な運命―

2012-02-12 11:00:01 | 映画


      韓国映画史上類を見ない、25億円の巨費を投じて製作された大作だ。
       カン・ジェギュ監督は、第二次世界大戦期の朝鮮半島から欧州までを舞台に、ある実話をもとに、数奇な運命に流された若者たちを描く
      戦争映画を作り上げた。
      主人公は、日本占領下の朝鮮で出会った、二人の少年だ。

      こんな人間が実際にいたのだ。
      映画史に残る、激烈な戦闘シーンはもとより、感傷など入り込む余地のない、全編にみなぎるリアリティは鬼気迫るものがある。
      戦争を背景にして、人間の夢や、国家のありかたまでを問いかける作品で、そのけたはずれのスケールに圧倒されるばかりである。
      とにかく、胸躍る、臨場感である。





   
1928年、日本統治下の朝鮮・・・。

憲兵隊司令官を祖父に持つ長谷川辰雄(オダギリジョー)は、使用人の息子キム・ジュンシク(チャン・ドンゴン)と出会う。
二人は、走ることの好きなライバルとして成長し、オリンピックのマラソン金メダルを夢見るが、いつしかその関係は国同士の戦いとなり、憎しみ合うようになる。
そして、オリンピック選考会で事件は起こり、ジュンシクは罰として日本軍に強制徴用され、戦況の悪化により辰雄とともに戦場へ。
二人の夢は、消えた。

ジュンシクは日本軍と戦うことを強いられ、それでも彼は夢を信じ、戦場でも走り続けていた。
そこに、冷酷な軍人に変貌をとげた辰雄が、上官として現れる。
ジュンシクの走る姿に嫌悪感を抱いた辰雄は、ソ連との戦いの特攻隊にジュンシクを任命した。
この時、夢を諦めた辰雄は、友情も捨てた。

死闘の末、ソ連に敗退した日本は捕虜となった。
さらに、ドイツの戦況が悪化し、ソ連軍と戦うか、ここで死ぬかを選ばねばならないという究極の選択を迫られる。
国に命を捧げ、戦ってきた辰雄だったが、その時辰雄は誇りを捨てて、生きる道を選んだ。
そして、彼が戦場で見たのは、特高を指揮するかつての自分の姿であった。
辰雄は、ひとりの人間として、生きる意味について考え始めた。

ドイツにも敗れ、たどりついた先は、故郷から12,000キロも離れたフランス・ノルマンディーだった。
夢や友情を捨て、国や誇りを失くし、全てを失っても、それでも生きることを選んだのだった。
どんなときにも変わらない、ジュンシクによって気づかされた、真に“生きる道”(マイウェイ)とは何だったのだろうか。
ともに故郷に帰ろうと決めたその時、非情にも、ノルマンディー上陸作戦の火ぶたは切って落とされたのだった・・・。

全てを失った人間が、再び希望を取り戻す物語だ。
アジアからノルマンディーまで、大陸横断ロケは240日にもおよび、おそらく映画史上最大のスケールといってもいいかも知れない。
スタッフ、キャストは総勢7000人というから、凄い作品だ。

彼らは、最初は日本兵として、続いてソ連兵として、最後にはドイツ兵として戦地を彷徨うのだ。
オダギリジョーチャン・ドンゴンの演技力も、素晴らしい。
過酷なまでの運命につき従うしかなかった、すべてを諦めきったようなオダギリジョーの瞳は、観ている者の心に突き刺さるようだ。
あまりにも痛々しく、あまりにも悲しい。
登場する場面は少ないが、日本兵に一家を惨殺され、日本軍への復讐を誓うスナイパーのジュエライ(ファン・ビンビン)が、骨っぽい男たちの間に花を添えている。

若者二人の壮絶な戦いと友情のストーリーは、はるか国境を越え、さすがと思わせるラストのどんでん返しまで、息をのむようなリアルな迫力とパワーに満ちている。
カン・ジェギュ監督による韓国映画「マイウェイ 12,000キロの真実」は、20年にも及ぶ長い時間軸の中で、個人と国家、愛と憎しみ、人を許すこと、生き抜くこと、運命という、このどうしようもない‘産物’についての、壮大にして実に骨太なドラマだ。
この映画は、全編がアクションとスペクタクルだといってもいい。
アメリカ国立公文書館に保管されている、一枚の写真から、この奇跡のような真実の物語は生まれた。
大いなる感動と絆の物語として、またハリウッド作品のスケールをも越えた(!?)作品として、驚愕の映像と迫力で描かれるドラマであり、極限状況の中を生き抜く人間の姿に、希望と勇気の強さを感じずにはいられない。
   [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「サルトルとボーヴォワール 哲学と愛」―“知の巨人”と“自由の愛のミューズ”はいかに生きたか―

2012-02-09 23:00:01 | 映画




       ジャン=ポール・サルトル
シモーヌ・ド・ボーヴォワールの、半生が描かれる。
       二人はともに、世界中の若者たちに大きな影響を与えた作家であり、哲学者だ。
      そこには、新しい愛のかたち、そして知られざる愛の物語があった。
 
      
      輝かしいパリと、その時代を彩る作家たちの中にあって、この二人がどうして出会い、理想のカップルとして生きたか。
       イラン・デュラン=コーエン監督フランス映画は、1929年のパリから始まる・・・。








    
1929年、ソルボンヌ大学に通うシモーヌ・ド・ボーヴォワール(アナ・ムグラリス)は、学内で天才とうわさされるジャン=ポール・サルトル(ロラン・ドイチェと知り合った。

サルトルは、ボーヴォワールの聡明さに一瞬にして恋に落ち、自ら彼女を理想の女性だと宣言する。
はじめは警戒していたボーヴォワールも、サルトルの中に自分と似たものを見出し、ともに一級教員資格を目指して勉強に励むようになる。
試験は、サルトルが首席で、ボーヴォワールは次席で、しかもボーヴォワールは歴代最年少の合格だった。

サルトルは、ボーヴォワールが訪れている田舎町に彼女を追いかけ、そのサルトルにボーヴォワールは感動した。
彼女は、両親の目を盗んで、サルトルと一夜を共にする。
ボーヴォワールは、自分の父が、母をまるで召使のように扱うことに疑問を感じていて、彼女は、家を出て哲学の教師として働き始めていたサルトルと暮らすことを決意する。
そんな時、母親から結婚話を押しつけられていた親友ローラ(レティシア・スピガレッリ)の死に接する。
ローラの亡骸と対峙したボーヴォワールは、ブルジョワ階級の持つ独善的な倫理観とカトリック独特の道徳を、心から憎んだ。

サルトルとの生活が始まって、ボーヴォワールは思ってもみなかった提案を受ける。
それは、お互いに将来も含め、愛し合いながらほかの関係も認め合うという“自由恋愛”で、しかも他の関係についても、嘘偽りなくすべて報告し合うというものだった。
サルトルの、作家には刺激が必要だからという主張は、ボーヴォワールもはじめ納得できなかったが、ごまかしに満ちた小市民的な結婚ではない、“契約結婚”という説得に、それを受け入れることにした。
結婚か独身しか、女性にとって選択肢がない社会の伝統に、ボーヴォワールは疑問を抱いていたのだった。
しかし、それが実はボーヴォワールにとって、深い苦悩の始まりなのであった・・・。

ジャン=ポール・サルトルは、1966年にボーヴォワールとともに来日し、当時の学生運動の理想的なバックボーンとして、絶大な人気を誇った。
またボーヴォワールも、1949年に実存主義の立場から女性を論じた「第二の性」を発表すると、当時の社会通念を根底から揺り動かし、賛否両論の大きな反響を呼んだ。
それは、70年代以降に広がりを見せた、革新的な女性解放運動の先駆となるものだった。
ボーヴォワール自身も、女性の幸福のために、それまでの社会の因習や偏見と闘い、自由恋愛から同性愛まで、現在における新しい愛の形を実践した。
これは画期的なことだった。

ボーヴォワールの、「女は女として生まれるのではなく、‘女’になるのだ」という言葉はあまりにも有名だ。
人間は自由であると説く、サルトルの「自由の哲学」こそ実存主義であって、それは、第二次世界大戦の荒廃から立ち上がって、新しい時代へ向かう、希望に満ちたフランスのみならず、世界中に熱狂的に受け入れられたのだった。
イラン・デュラン=コーエン監督フランス映画「サルトルとボーヴォワール 哲学と愛」は、世紀のカップルとして世界的に知られた二人の、作家であり哲学者の、青春時代から成功までの物語である。
1930年、40年代のフランスを舞台に、主にボーヴォワールの視点から描かれているのが特徴といえそうだ。

サルトルボーヴォワールも学校ではエリートであり、因習や既成の概念を無視して、アナーキーともいえる行動と思想を展開したところは、まことにユニークだ。
サルトルたちは、パリのサンジェルマンのカフェを根城にして、隣り合ったテーブルに座って、煙草をふかしながら、休む間もなく語り、書き続けた。
そのすぐ近くに、戦後になって彼らが拠点を移したカフェ・ド・フロールという店があり、この作品の原題「フロールの恋人」はそこに由来するといわれる。

お互いに自由だ。縛られてはならない。
「僕たちの愛も必然的なものだ。でも偶然の愛も知る必要がある」として、他の女性たちと付き合うことも認めさせてしまったあたり、サルトルも調子のよすぎる男だ。
自由の哲学者として、必然を語るところが何ともおかしいが、二人は同時に別の約束も交わしていたのだ。
お互いに、絶対に隠しごとをしないことだった。
お互いの情事を含めて、すべてを包み隠さず、相手に教えるというのである。

そんなことで、後半生の彼らにはいろいろな波乱もあるのだが、二人は理想のカップルと称され、とにかく1980年のサルトルの死まで生涯の伴侶として、いまでいう“事実婚”のパートナーとして支え合ったのだった。
ドラマの内容には、哲学と愛といっても、タイトルほどの堅苦しさはなく、それどころか事実に裏付けられた物語として、この作品、知的で結構愉しい大人のラブストーリーだ。
ドラマには、アルベール・カミユポール・ニザン、フランソワ・モーリアックといった作家たちも登場する。
サルトル役のロラン・ドイチェが、あまりにも実際のサルトル(といっても写真でしか知らないが)と似ているのには驚いた。
ご存知かもしれないが、サルトルは1964年ノーベル文学賞に選ばれながら、これを辞退している。 
    [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「麒麟の翼~劇場版・新参者」―家族の絆と心の闇に迫るヒューマンドラマだが―

2012-02-07 20:30:00 | 映画


       
     事件のトリックを暴くだけではない。
     その裏に潜む、人間たちの心の闇に迫る。
     東野圭吾の原作だ。

     「ハナミズキ」などを手がけた土井裕泰監督描く、ミステリーというよりはヒューマンドラマだ。
     この作品のタイトル「麒麟の翼」とは、日本橋の中央に位置する、麒麟像の翼のことを指している。
     1911年、日本橋の改修工事の際、これもよく知られている、橋の両端にある獅子像とともに設置されたものだ。










   
この東京・日本橋の、翼のある麒麟像の下で、建築部品メーカーの製造本部長・青柳武明(中井貴一)が殺害された。
彼は、腹部を刺されたまま、、8分間も歩き続けた後に、ここで力尽きた。
とくに縁もゆかりもない日本橋で、彼は誰にも助けを求めず、一体どこへ向かおうとしていたのだろうか。
青柳家の家族も、父親の行動に全く心当たりがなかった。

一方、容疑者の八島冬樹(三浦貴大)は、青柳のバッグを持って現場から逃走中に、車に轢かれて意識不明になっていた。
恋人の中原香織(新垣結衣)は、彼に無実を訴えたが、警察は生活に困窮した八島が、金品欲しさから犯行に及んだものとして、裏付け捜査を開始した。
この難事件の(?)捜査には、日本橋署の切れ者・加賀恭一郎刑事(安部寛)があたったが、彼も推理の限界にぶつかっていた。
何故、被害者が殺されたのかが、見えてこなかった。

半年ほど前に、青柳の勤める会社で、派遣労働者として働いていた八島が、頭を打撲して入院するという出来事があった。
その際、働いていた会社から派遣会社に圧力がかかり、労災の一時金も出なかったうえに、契約も途中で打ち切られるという事態になり、製造本部長だった青柳が表面化するのを恐れ、労災隠しを指示したいきさつがあったことがわかった。
そこから、八島の、被害者への逆恨みではないかという線が濃くなった。

容疑者が、狡猾な企業の犠牲者として報道されると、被害者である青柳家に向けられた世間の同情の目は、一転して批判に変わった。
武明の息子の悠人(松坂桃李)は、全部自分の父親が悪いのだと、亡くなった父を非難する。
やがて、捜査が進むにつれて、被害者や容疑者、家族や恋人の知られざる一面が、次第に明らかになっていく・・・。

被害者は、自分の命が終わるその時に、誰に何を訴えたかったのか。
この事件に関わるのは、普段日常を生きる普通の人たちだ。
ボタンを掛け違えれば、それはひょっとすると自分であったかもしれない。
すれ違う互いの心が起こした(?)、殺人事件の背後に隠された真実を見つけ出すべく、加賀恭一郎がその最後の謎に挑戦する。

嘘で塗り込められた真犯人の過去と、加賀自身の心の闇とは、どんなものだったのだろうか。
・・・ということで、家族や彼らを取り巻く人たちの闇に迫る、ミステリーというよりは、ヒューマンドラマの色合いが強い。
土井裕泰監督「麒麟の翼は、原作にほぼ忠実で、作者(東野圭吾)はことのほか満足だったそうだ。
主役の阿部寛は、冷静沈着で心情のこもった刑事役で、好感が持てる。

ドラマの展開も、サスペンスといっても大したことはなく、社会性もミステリーの要素も希薄で、映画としては魅力に乏しい。
テレビのホームドラマのようで、筋書きも、大体予想された通りだし、期待したほどのことはなかった。
もっと楽しめる、奥行きのあるミステリーを期待したが、面白さにも欠け、案外で物足りなかった。
   [JULIENの評価・・・★★☆☆☆](★五つが最高点


          ◆ 追   記 ◆   * * * * * * *  2011年 キネマ旬報 日本映画ベスト10  * * * * * * *

      去る2月1日付けの当欄にて、「映画芸術」の選んだ本映画ベスト10をご紹介させて頂きました。
      本欄では、 「キネマ旬報の選んだ、2011年の日本映画ベスト10を参考までに、ご紹介しておきます。
      両者を比べますと、納得出来たり、意外だったり、興味深い結果がでています。
                                                             (作品名・監督)
         
          ベ ス ト10   ①  一枚のハガキ  新藤兼人  
                     ②  大鹿村騒動記  阪本順治
                     ③  冷たい熱帯魚  園子温
                     ④  まほろ駅前多田便利軒  大森立嗣
                     ⑤  八日目の蝉  成島 出
                     ⑥  サウダーヂ  富田克也
                     ⑦  東京公園  青山真治
                     ⑦  モテキ  大根 仁
                     ⑨  マイバックページ  山下敦弘
                     ⑩  探偵はBARにいる  橋本 一   




映画「サウダーヂ」―地方都市の疲弊から見える雑駁な日本の縮図―

2012-02-05 12:00:00 | 映画


     蔓延する不況と空洞化が叫ばれて久しい、地方都市がある。
     極端に言えばゴーストタウンだが、それは、マスコミが見る地方都市の現状だ。
     街から、人が消えてしまったわけではない。
     人々は、どこへ行ってしまったのか。

     日本人はもちろん、日系ブラジル人、タイ人をはじめとするアジア人などの外国人労働者たち・・・。
     彼らは、過酷な状況の下で懸命に生きている。
     そこには、むき出しの“生”の姿がある。
     富田克也監督が、1年以上に及ぶリサーチの中で、「この人たちと映画を撮ろう」ということで、不況という名目のもとに切り捨てられ、見放され
     ていた地方都市のうごめきをあぶりだした作品が、これだ。

     崩壊寸前の土木建設業、そして移民労働者たち・・・。
     彼らは、郷愁を知らない。
     『サウダーヂ』とは、ポルトガル語で「郷愁、憧憬、思慕、切なくも、追い求めつつ、叶わぬもの」という意味なのだそうだ。





                        

平成20年、甲府・・・。

地元HIPHOPグループ「アーミービレッジ」のクルーである猛(田我流)は、派遣の土方で生計を立てていた。
両親はすでに自己破産し、パチンコ狂いの毎日だった。
多くの日系ブラジル人も働く建設現場で、土方一筋に生きてきた精司(鷹野毅)や、タイ帰りだという保坂(伊藤仁)に、猛は仕事帰りにタイパブの連れて行かれる。
盛り上がる精司とタイ人ホステスのミャオ(ディーチャイ・パウィーナ)や保坂を脇目に、猛は外国人というだけで筋違いの敵意を向け、悪態を吐く。
 「北鮮の奴らがパチンコで搾取してやがる!」

精司の妻でエステ勤めの恵子(工藤千枝)は、セレブ客の由美(熊田ちか)が誘う怪しげな商売に手を染めている。
一方、精司はタイ人ホステスのミャオと、全てを捨てタイで暮らすことを夢想するが、ミャオは、タイの家族のために日本で働かなければならない。
下請け業者たちは追い詰められ、次々と廃業し、保坂もこの街に見切りをつけようとしていた。

深刻化する不況の下で、真っ先に切られるのは、外国人労働者たちだ。
住み慣れた日本を離れ、遠い故国にあてもなく帰るしかないのか。
彼らは、子供を育て、この国で生きてきた。
彼らの故郷はこの国、この街なのだ。

彼らの叫びは無視され、すれ違い、それぞれの思いが交錯する。
苦難を忘れる束の間の喜びのとき、彼らは集い、歌い踊る。
その移民たちの交換の輪の中に、猛のかつての恋人、まひる(尾崎愛)がいた。
家族の崩壊と、擦れ違いを続ける人々、移民に対する憎悪・・・。
まひるは、彼らとの共生を信じ、猛は否定することで自分を支えようとする。
その猛の中で、何かが大きく膨れ上がってゆくのだった・・・。

映画製作や上映を中心にした、インディペンダントな活動をするグループを『空族』と呼ぶ。
彼らは、都市にも郊外にもいる。
そこに集う人間は、その時々に、映画を創り上げるために結束し、それらはすべて自主的な労働なのだ。
その彼らが、この映画を作った。
『空族』の映画なのである。
過酷な労働状況下に、若者の叫びや熱気、うめきが充満している。
この作品の中には、いつもHIPHOPとダンス、音楽ががんがん鳴り響いている。
それは、大きな輪となって広がっていく。

ここでは、既成の秩序や概念を突き抜けて、彼らの叫びは、苦悶の叫びとなる。
・・・日本が、地方から疲弊していってる。
根なし草の保坂が、「この街も終わりだな」と呟くように・・・。
日本では、外国人の移民というのは、ヨーロッパのそれより意味合いがかなり薄い。
彼らが、日本を第二の故郷とみなしている点に注目したい。

映画の中の幾つかの挿話も、始まって突然の場面転換があったりで、彼らの会話も、陳腐で馬鹿馬鹿しいものが多い。
セリフもフリートークのようだが、そういうわけでもなく、どうもすべて計算ずくらしい。
ドラマの作りも編集も、かなり粗っぽくて、雑駁だ。
それだけに、逆にインパクトは強烈だ。
低予算では無理もあろうが、凄まじいまでの息遣いが感じられる。
登場人物たちに感情移入する余地もなく、出演の彼らも大半は素人で、その中にプロ俳優も参加しての群像劇だ。

ドキュメンタリーのようで、そうではない。
やはり、虚構の肌触りがある。
富田克也監督映画「サウダーヂ」は、宵闇の甲府の街で起こったことを、荒々しく綴っている。
自分たちの生きている底辺から、社会の欺瞞に向かって戦いを挑む野心作だが、富田監督は、ドラマの舞台に、自分の思い入れのある地元甲府を選んだ。
日本映画としては最近めずらしい意欲作だし、ちょっと面白い異色作だ。
   [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on」―少女たちは傷つきながら、夢を見る―

2012-02-03 21:00:00 | 映画


        厳寒の日々が続いている。
        立春を迎えても、本当の春はなおまだ遠い。

        少女たちは上りつめる。
        どこまでも上りつめる。
        孤独な重圧をはねのけて・・・。
        その栄光と挫折の向こうに、何が見えるのか。
        夢か、希望か。

        得て、失うのか。
        失って、得るのか。
        人生は選択だ。

        今を生きるアイドルの素顔を、カメラが追った。
        これは高橋榮樹監督ドキュメンタリーだ。

     



       
その名は、AKB48・・・。
少女たちは、傷ついても、躓いても、困難と向き合って、不屈の精神で高みへ上りつめる。
しかし、スターを目ざし、スターになったとて、AKBが失ったものはなかったのか。

スポットライトが眩しい。
その裏で、がっくりと肩を落とす少女の背中に、ふと孤独の影が・・・。
彼女たちの、あの華奢な体が、これまでどれほどの重圧に耐えてきたか。
キャプテンとして、エースとして、選抜メンバーとして、脚光を浴びながら、重圧をはねのけて、強烈な孤独と向き合う日々を生きてきた。

時には、身を切られるような逆風の中にあり、それでも、果敢に夢の実現を目指して前進する。
わずか3日間のコンサートでも、優に9万人を楽々超える動員ができる凄さだ。
毎日、テレビや雑誌で、AKB48を見ない日はない。
まず、このことに脱帽だ。

そのAKB48のすべてが変わった、激動の2011年、カメラは密着する。
そして、報道されなかった、壮絶な舞台裏へ潜入し、その光と影を余すところなく収めている。
アイドルたちは、分刻みで飛び回り、走り続ける。
流れる汗、熱い息づかいとともに、今を生き抜く彼女たちの見てきたもの、感じたことを、そして祈りまでも・・・。
カメラは、容赦なくその内面に迫っていく。

映画「DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on―少女たちは傷つきながら、夢を見る―」から、見えて来るものは何か 。
2011年3月11日、あの日以来、少女たちは何を想い、どこへ向かおうとしているのか。
ひとりの人間として、彼女たちにできることは何であったか。
大切なものを、見失いたくない。
少女たちの、見開かれているその目からは、人知れず涙が流れている。
得たものも大きいが、失われたものも大きいということか。
それは、どうして・・・?何故・・・?

この映画には、東日本大震災被災地の、あの幾度も見慣れてしまった、見渡す限り一面瓦礫と廃材の山が、これでもかこれでもかと出てくる。
幾度見ても、悲しいシーンである。
そして、そこにAKB48に入団した、ひとりの少女をとらえている。
彼女は目にいっぱいの涙をためて、変わり果てたわが故郷を想い、家族や友達を想い、何を祈り続けるのだろうか。
おそらくは、自分の選択が間違っていなかったと、それはいまその被災地にたたずむ彼女の、本当の心を開いて見せたものだったのかも知れない。
そんな映像を見せながら、アイドルたちの熱狂から、日本の未来までを探ろうというのか。

AKB48は、今月17日から3月27日にかけて、中国・北京、上海、香港で開催される、東日本大震災における風評被害の払拭や被災地支援のための政府事業に、応援団として参加する。
それに先立って、メンバーの三人の少女が、玄葉外務大臣を表敬訪問した映像がテレビに流れていた。
少女たちは、向こうで、それぞれライブやトークショーなどを行うというから、いよいよ世界へ羽ばたき始めたようで・・・?!
何しろ、どこへ行っても、ファンの熱狂ぶりはとても尋常ではありませんから、アイドル恐るべしです。
いやもしかすると、政府応援のアイドル集団ということになると、不埒な言い方をしますが、どちらもがお互いに‘利用’し合っているとか・・・。

AKB48の西武ドームの大ステージは、大胆で華やかなものだった。
その舞台裏は、凄まじいまでの、少女たちの戦場と化した。
この戦いの場から、またしても東日本大震災の被災地現地を、映像は幾度も幾度も映し出すのだ。
少女たちの未来に、何が待ち受けているのだろうか。
あの少女たちが歌い踊る、大歓声に沸く熱狂のステージと、しんと静まり返って人気もなくなって廃墟と化した、一面の瓦礫の山との境には、何が横たわっているのだろうか。
大きな夢の実現を目指す華やかなショウのステージと、復興ままならぬ大震災被災地のあまりにも変わり果てた姿に、どうしても今の日本が重なって見えてならないのだった。
そして、胸の底から、また深いため息が出た・・・。
   [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「百合子、ダスヴィダーニヤ」―女と女のこれは友愛か恋愛か―

2012-02-01 21:30:04 | 映画

           (2月1日/ 「2011年日本映画ベスト10とワースト10」 一部記事追加)
     チェホフなど、ロシア文学や演劇の名翻訳者として知られる湯浅芳子と、戦時下、激しい弾圧を受け、戦後民主主義の旗手となった宮本百合
     の、若き日の濃密な青春を描いている。
     近代文学史の、秘められた真実だ。

     異性愛、同性愛といった性愛の枠組みを超えて、この二人の関係は、どんな恋よりも情熱的で、どんな愛よりも深い信頼で結ばれたものだっ
     たようだ。
     二人は、激しく惹かれあって、7年間の生活を共にしたのだったが、その最初の1か月半の日々を浜野佐知監督が10年越しの執念で映画
     化した。
     大正から昭和にかけて、本当にあった愛と別れを描いた、自主制作映画だ。




   
1924年(大正13年)、ロシア語を学びながら雑誌を編集していた湯浅芳子(菜葉菜)は、先輩作家・野上弥生子(洞口依子)の紹介で、中條百合子・のちの宮本百合子(一十三十一)と出会う。
百合子は18歳のときに書いた「貧しき人々」で注目され、天才少女と騒がれ、のちに最初の結婚に失敗した経験を書いた「伸子」が出世作となった。
19歳のとき、百合子は遊学中のニューヨークで、15歳年上の古代ペルシャ語研究者の荒木茂(大杉漣)と結婚したが、芳子と出会った5年後には二人の結婚生活は破綻して、行き詰っていた。
百合子、芳子、荒木の三人は、東京と、百合子の祖母が住む福島県の安積・開成山(現郡山市)の間を往復しながら、愛憎のドラマを繰り広げる・・・。

「スカートをはいた侍」と呼ばれ、「女を愛する女」であることを隠さずに生きた芳子と、天才少女作家としてデビューし、早くに結婚した夫と暮らしながら作家活動をしていた百合子は、出会ってすぐに強く惹かれあったのだ。
百合子を演じるのは映画初出演のシンガーソングライターの一十三十一(ひとみとい)で、自らの可能性を全面的に開花させようとする、積極的な女性作家を体現し、「私は男が女に惚れるように、女に惚れる」と公言する、芳子役の新進女優の菜葉菜「ヘヴンズストーリー」で一躍有名になったが、今回は全く違った歴史上の女性文学者像をのびのびと演じている。
愛し合う二人の間に挟まって、苦悩しながら、何とか百合子を引き留めようとする夫・荒木は、大杉漣が頑張っている。

7年間のうちのわずかに1か月半の物語は、よくまとまっている。
極力無駄を省いて、抑制のきいた固い描写は、教科書的なのが気になるけれど、あくまでも、女性の視点からこの作品を描いているのには好感が持てる。
浜野佐知監督のこの映画「百合子、ダスヴィダーニヤ」は、二人がロシアへ旅立つところで映画の方はエンディングになるのだが、この後で、昭和7年、百合子が宮本顕治と結婚したことで、二人の無残な破局が訪れることになる・・・。
 「あなたは私の前に、閉じられていた扉を開ける鍵を持って現れたのよ」(百合子)
 「女と女の愛は、ともに地獄へ堕ちる決心と勇気がなければ、成就することはできないのだろうか」(芳子)
・・・二人はたぐいまれな才能を持っていて、互いが魂をスパークさせるようなめぐり会いがあって、青春の一時期を悔いなく燃焼させたということだろうか。
これまで長いこと封印されてきた秘話も、二人の異性愛と同性愛の交錯する、言ってみれば、文学史の片隅に埋もれていた愛憎のドラマだ。
   [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点) 


          ◆ 追  記 ◆         * * * * * 2011年 日本映画ベスト10とワースト10 * * * * *
 
  恒例、お堅い映画専門誌として知られる『映画芸術』冬号)が選んだ、2011年の邦画「ベスト10」「ワースト10は次の通りでした。
                                                                                (タイトル名・監督)
  
        
       ベスト10    ①  「大鹿村騒動記」 阪本順二
                ②  「サウダーチ」  富田克也
                ③  「アントキノイノチ」  瀬々敬久
                ④  「東京公園」 青山真治
                ⑤  「一枚のハガキ」 新藤兼人  
                ⑥  「歓待」  深田晃司 
                ⑦  「モテキ」 大根 仁   
                ⑧  「監督失格」 平野勝之
                ⑨  「魔法少女を忘れない」 堀 禎一
                ⑩  「僕たちは世界を変えることができない」 深作健太 
 
       ワースト10   ①  「ステキな金縛り」 三谷幸喜
                ②  「さや侍」 松本人志
                ③  「恋の罪」 園 子温
                ④  「プリンセス トヨトミ」 鈴木雅之
                ⑤  「監督失格」 平野勝之
                ⑥  「冷たい熱帯魚」 園 子温
                ⑦  「冬の日」 黒崎 博
                ⑧  「マイ・バック・ページ」 山下敬弘
                ⑨  「アジアの純真」 片嶋一貴
                ⑨  「ハラがコレなんで」 石井裕也
                ⑨  「八日目の蝉」 成島 出
                ⑩  「家族X」 吉田光希