徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「セールスマン」―怪しくも衝撃的な緊張感に満ちたイラン発の心理ドラマ―

2017-06-28 16:00:00 | 映画


 イランアスガー・ファルハディ監督主演女優タラネ・アリドゥスティが、アメリカ・トランプ政権のイスラム諸国からの入国停止措置に反発し、アカデミー賞授賞式への出席を拒否したことで、世界中の話題となった。
 そのアカデミー賞外国語映画賞受賞作品がこれだ。

 平穏な日常生活が、外部からの闖入者によって、突然破壊される。
 そんな謎めいた状況から、若い夫婦に不穏な空気が漂い、人間関係が変化していく。
 その様子がサスペンスタッチで描かれる。
 イラン社会の矛盾とともに、人間の愚かさを冷徹な視線で見つめる感性が鋭い。





現代のテヘラン・・・。
国語教師のエマッドシャハブ・ホセイニ)は、妻のラナ(タラネ・アリドゥスティ)と一緒に、小さな劇団で活動しながら、平穏な日々を過ごしている。
そんな二人のアパートが隣の建設工事で崩壊する恐れが生じ、二人は新しいアパートに引っ越しを余儀なくさせられる。
劇団は新しい公演に向けて、稽古に励んでいる。
劇団ではアーサー・ミラー作の「セールスマンの死」の上演を決めており、エマッドとラナは主人公の夫婦を演じている。

公演の初日の夜、夫より先に帰宅したラナは、浴室で侵入者に暴行されてしまう。
だが、ラナは警察に被害を届け出ることを強く拒む。
怒りにに燃えたエマッドは、自力で犯人を捜し出すのだったが・・・。

ラナは、事件の表面化を恐れ、劇団員らにも事件を明かさないよう夫に求める。
イスラム社会では、姦通罪が現存し、女性が性的被害を受けた場合でも、女性側が罰せられたり、白い目で見られるといった、この社会独特のひずみが作品にも反映されている。
夫のエマッドが、追跡の果てにたどり着いた人物と対峙する時が、このドラマの大きなクライマックスだ。

しかしこの作品では、事件発生の瞬間が省略され、代って登場人物の動揺や不安をスリリングに描き出している。
もっとも、真犯人の設定には少々無理もあるのだが・・・。
夫妻が新しく移り住んだアパートのその部屋では、前の住人の女性がどうやらふしだらな商売をしていて間違えられたらしいのだが、その辺のところは詳細に描かれていないのでよくわからない。
この事件でラナは肉体的にも精神的にも傷つき、舞台に立つことができなくなり、このことをきっかけに二人の夫婦関係に亀裂が生じ、その感情のずれが繊細に描き出されていく。

イラン社会が描かれるここでは、何としてでも名誉を重んじる厳しい社会規範があり、それが一種の壁の役割を果たしている。
犯罪被害者は声を上げられないでいる。
このことは悲劇的な要素を含んでいる。
非情な現実を突きつけつつ、憎悪と悪を描くサスペンスは最後まで見応えがある。
長編「別離」(2011「ある過去の行方」(2013年)イラン巨匠アスガー・ファルハディ監督による、イラン・フランス合作映画「セールスマン」は、心理サスペンスを散りばめながら、夫婦二人の感情と葛藤を、社会の実相を背景に複合的に織り上げた、タペストリーのような作品だ。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はアメリカ映画「スウィート17モンスター」を取り上げます。


映画「モン・ロワ 愛を巡るそれぞれの理由」―楽しい時を共有しようとする男と悲しみを分かち合いたいと願う女―

2017-06-25 12:00:00 | 映画


 強く求め合いながらもすれ違う男と女の価値観を通して、恋愛のもたらす、眩しい光と突き刺すような影を描いたフランス映画である。
 甘い蜜と痺れる毒を持って、フランス期待女優出身のマイウェン・ル・ベスコ監督が、どうやら大人の恋愛映画をここに完成させた。
 この作品に観る、細やかな演出は秀逸である。

 女性の胸を焦がすような十年間の物語は、現在と過去を交錯させながら綴られる。
 愛につけられた傷は、やがて生きた証と変わるものだろうか。
 ドラマは、ヒロインの回想形式で語られていく。
 恋の始まりから終わりまで、女性の視点で・・・。




スキー事故で大怪我をしたトニー(エマニュエル・ベルコ)は、リハビリセンターで黙々音トレーニングを続けている。

彼女は、元夫のジョルジオ(ヴァンサン・カッセル)との嵐のような10年間を振り返る。
トニーは弁護士で知性と教養に溢れているが、容姿やスタイルは平凡だった。
一方、レストラン経営者のジョルジオは、女性を喜ばせることに天才的で、いつも美しい女たちに囲まれて、パーティー三昧の派手な暮らしを謳歌していた。
そんな二人が、何故か愛し合うようになった。

二人は、トニーの妊娠をきっかけに結婚し、彼女は「君は運命の女性だ」というジョルジオの言葉を信じた。
しかしその直後から、ジョルジオの裏切りは始まった。
彼は、元恋人の面倒を見たり、仕事部屋に女性を連れ込んだり、さらに自分の弱さを何かとドラッグのせいにする。
そんなジョルジオとの生活に身も心も傷つけられたトニーは、ついに離婚を切り出すのだったが・・・。

ここに登場するジョルジオは、年を重ねても享楽的な生活とは縁が切れない、よくいるダメ男だ。
そんな男に振り回せっぱなしだから、たびたび弟のソラル(ルイ・ガレル)から離婚を進められる。
彼のトニーへの愛は執着と支配だが、トニーから彼女への愛は依存と期待だ。
二人はその葛藤の狭間でせめぎ合っているのだ。
ここでは男と女の価値観が違う。
違うのだから別れるしかない。(!?)
そういう選択を含めて、二人は迷妄の出口を模索する。
意地の悪い言い方をすれば、この映画は結構冗長的な作品だ。

ドラマの中には苦しみや悲しみとともに、ときには笑える瞬間ものぞく。
エマニュエル・ベルコヴァンサン・カッセル二人の演技は魅力的だし、またトニーの逃げ場所となる弟役のルイ・ガレルは、名匠フィリップ・ガレル監督の愛息子で、彼の恋人役バベットはマイウェン監督の妹イジルド・ル・ベスコだ。
このようなドラマの世界は、フランス映画が最も得意とする分野ではなかろうか。
相性のいいはずがなく、二人の愛憎劇は激しいからはらはらさせられるが、お互いにぶつかり合った後に訪れる平穏もまたうまい描写だ。

マイウェン監督フランス映画「モン・ロワ 愛を巡るそれぞれの理由」には、おきまりのように「愛しているならほっといて」などの名セリフも飛び出し、一味違った恋愛映画になっている。
作品のラストシーンは、おやと思えるような深い味わいを見せる。
ダメな男と解っていても、そんな男と別れられないでいる女性いませんか。
結局、心底からお互いに憎しみ合っているわけではないからこそ、こうした何だか謎めいた、双方に都合の良いような関係が一時的には成り立つということなのか。
女心とは難しいものだ。

エマニュエル・ベルコは、恋の喜びと愛の不安に激しく揺れながらも、自分を取り戻そうとするヒロインを全存在をかけて熱演し、カンヌ国際映画祭女優賞に輝いた。
タイトルのキャッチコピーは言い得て妙である。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回はイラン・フランス合作映画「セールスマン」を取り上げます。


映画「22年目の告白ー私が殺人犯ですー」―世相を反映したミステリー作品だが―

2017-06-21 16:00:00 | 映画


 自主映画出身の俊英、入江悠監督がサスペンスフルな娯楽映画を誕生させた。
 韓国映画「殺人の告白」 (2012年)を土台に叩き直し、時代の空気をパワフルに写し取った作品だ。
 しかし、物語の方はというと、良くも悪くも醍醐味にあふれ、これまた荒唐無稽の展開だ。
 騒々しい過剰な演出も気になる。

 ざらざらした感触のリアル感は、ほとんど緩むことなく2時間足らずの上映時間を駆け抜ける。
 ハンディカメラを使ったドキュメンタリータッチなど、随所に作品に対する遊びとサービス精神が目につき、様々な工夫を凝らしてはいる。
 劇中の回想シーンでは、フィルムでの撮影を敢行し、リアリティにつながる演出が目を引くが・・・。



かつて5人の命が奪われ、未解決のまま時効を迎えた凄惨な殺人事件があった。
その事件から22年後、犯人が突然自ら名乗り出てきたのだ。

盛大に開かれた記者会見場に現れたのは、自身の告白本を手に、不敵な笑みを浮かべる曾根崎雅人(藤原竜也)という男だった。
カメラの前に堂々と素顔をさらし、肉声で殺人を告白する曾根崎の登場に、ネットは熱狂した。
賛否両論を巻き起こしつつも、その告白本はベストセラーとなる。

根崎の派手な行動は、それだけで終わらなかった。
マスコミを連れての被害者家族への謝罪、執念深く事件を追い続ける刑事牧村(伊藤英明)への挑発と、そして盛大なサイン会も・・・。
彼の行動のすべてがあらゆるメディアを通じて発信され、SNSで拡散してゆく。
だがそれは、日本中を巻き込んだ事件の始まりに過ぎなかった。
やがて、この事件は意外な展開を見せることになる・・・。

冒頭の部分で、阪神大震災や地下鉄サリン事件など、95年当時の映像がドキュメンタリーのように流れる。
ドラマの先には、二転三転のどんでん返しが待っている。
息つく暇もないほどの急テンポの展開は、かなり忙しい。
真犯人を名乗って出てきた男が、自著のサイン会を開くと、何ともわけのわからない(?)人たちが大勢集まってくる。
これは何だ。
こんなことなど現実には考えられないような話だ。
プロットもちょっと出来過ぎだ。
ドラマの中の殺害場面は残虐で目を覆いたくなる。

事件の起こった設定は1995年で、阪神大震災が発生し、IT化の始まりなど今につながる時代の転換点だった。
そこからこれまでの、22年間に何が起きたかを俯瞰する。
入江悠監督は、時代を記録するものが映画であり、その意味ではこの映画「22年目の告白-私が殺人犯です-は、2017年のドキュメンタリーだという。
このドラマには、警察やマスコミのありかた、犯罪心理など細かい風刺が至る所に込められていて、それなりのエンターテインメントとして楽しむことはできる。
大がかりな撮影シーンが多く、実力派の俳優たちを揃えたキャスティングで、緊張感あふれる作品となった。
それにしても映画の虚構とは怖ろしいものだ。
       [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回はフランス映画「モン・ロワ 愛を巡るそれぞれの理由」を取り上げます。


映画「オリーブの樹は呼んでいる」―樹齢二千年の一本のオリーブの巨木が主人公となるヒューマン・ドラマ―

2017-06-14 11:30:00 | 映画


 スペイン期待のイシアル・ボジャイン監督と、「わたしは、ダニエル・ブレイク」(2016年)の脚本を手がけたボジャイン監督ポール・ラヴァーティが組んだ作品だ。
 経済のグローバル化や環境問題などを絡めて、現代社会の実相と家族の再生をユーモアをこめて描いている。

 オリーブの樹というと、あちらでは太陽の樹とされ、地中海沿岸では勝利や平和の象徴とされてきた。
 スペインも例にもれず、樹齢2千年に及ぶオリーブの樹は珍しくない。
 そんなオリーブの古木が売り払われたことから引き起こされる騒動が、ヒューマンタッチで洒脱に描き出される。




スペインのバレンシアにある田舎町、カネット・・・。
アルマ(アンナ・カスティーリョ)は20歳、養鶏場で働いている。
彼女は、オリーブ農園を営む祖父ラモン(マヌエル・クカラ)を愛していた。
しかし経営難から、父ルイス(ミゲル・アンヘル・アラドレン)は、祖父が大事にしてきた、樹齢2千年のオリーブの樹を売り払ってしまう。
ラモンは意気消沈し、ついには食事もしなくなってしまった。

オリーブの樹を取り返せば、祖父はまた元気を取り戻すと考えたアルマは、叔父アーティチョーク(ハビエル・グティエレス)らを嘘で丸め込み、今はドイツにある売却先へ大型トラックで向かうことを決心する。
アルマには資金もなく、オリーブの樹を取り戻せるというあてもなかった・・・。

孫娘らが、スペインからドイツまで樹木を取り戻す旅に出る。
誰が見てもドンキ・ホーテよろしく無謀な旅であった。
アルマは嘘をつき、叔父と同僚のラファ(ペップ・アンブロス)を振り回すなど、感情のおもむくままに奔放に行動するので、先の読めないロードムービーとなる。
今は、ドイツのデュッセルドルフの大企業が所有しているオリーブの樹を、奪還することができるのだろうか。

祖父を敬愛する、アルマの純粋さがドラマの中で際立っている。
何とも向う見ずな彼女の行動にはらはらさせられるが、その先に一筋の希望が見えないでもない(?)。
アルマがこの物語を牽引する。
彼女の荒唐無稽な計画が展開され、そんな役を好演する無名のアンナ・カスティーリョは、この作品でスペイン・ゴヤ賞新人女優賞受賞した。
祖父役の老人は実際にオリーブ園の主人だという。

ヒロインはともかく、2千年ものあいだ根を張っていたスペインの大地から引き抜かれ、ドイツへと売られたしまったオリーブの樹こそが、この映画の立派な主役だ。
異国の地からオリーブの樹の声なき声が聞こえてくるような、そして一度は壊れてしまった家族のそれぞれの心の声が聞こえてくるようだ。
ヴィクトル・エリセケン・ローチの映画など30作以上の映画、テレビに出演し、女優から監督へと転身した、イシアル・ボジャイン監督スペイン映画「オリーブの樹は呼んでいる」は、骨太の脚本に支えられて、家族、世界、自然、未来と・・・、多くのことを語りながら、微笑みを忘れさせない感動作となった。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回は日本映画「22年目の告白―私が殺人犯ですー」を取り上げます。


映画「僕とカミンスキーの旅」―虚実が変幻自在に入り乱れるフェイクなおとぎ話の映像世界―

2017-06-10 17:00:00 | 映画


 秀作「グッバイ、レーニン」 2003年)以来12年ぶりとなる長編を、ダニエル・ケールマンの原作をもとに、ドイツヴォルフガング・ベッカー監督が映画化した。
 しかも、「グッバイ、レーニン」のときの主役×監督がここで再タッグを組んだ新作である。
 かつて美術界が熱狂した盲目の天才画家と、若き美術評論家の、奇想天外なロードムービーだ。

 風刺のきいたこのドラマは、哀切と滑稽をたたえ、悲喜劇の様相を寓話のようにとらえて展開する。
 不思議な味わいを感じさせる作品である。
 西ヨーロッパを旅する、31歳と85歳の奇妙な友情ドラマが綴られていく。




無名の美術評論家セバスチャン(ダニエル・ブリュール)は、金と名声欲しさから、芸術家の伝記を書こうと思い立って、スイスの山奥で隠遁生活を送っている“盲目の画家”カミンスキー(イェスパー・クリステンセン)を訪ねる。

彼はマティスの最後の弟子でピカソの友人、ポップアート全盛の1960年代にニューヨークで脚光を浴びた伝説的な人物だ。
年老いたカミンスキーの新事実を暴こうと、セバスチャンは言葉巧みに誘い出し、老画家がかつて熱愛した恋人テレーゼ(ジェラルディン・チャップリン)に会いに出かけるのだった・・・。

二人は波乱の旅に出かけるが、伝記本のネタを求めてカミンスキーを誘い出したセバスチャンは、老獪で奔放な画家の奇行に振り回されていく。
エゴイスト青年と85歳の盲目のアーティストとが織りなす交流劇は、途中から迷走に次ぐ迷走を重ね、狐につままれたような旅になる。
偶像化した美術界への風刺なども盛り込まれ、意味があるのかないのかわからないような空虚な会話があったり、ふわふわとした笑いをかもし出しながら、架空の世界観をどこまで観客に納得させられるかの、巧みな騙し合いが続くのだ。

伝説の盲目の画家が描く絵画も、きちんと映像で示されている。
人物は誇張して描かれ、青年は他人の迷惑をも顧みない野心のかたまりだし、画家はホテルに娼婦を呼び込むようなしたたかな老人だ。
画家が本当に目が見えないのかという謎も仕込まれているみたいで、演出はうまい。
言うなれば、とんだ曲者の二人がスイス、フランス、ドイツ、ベルギーの雄大で美しい風景をバックに、ドタバタ続きの珍道中をくり広げ、摩訶不思議な友情で結ばれていく。

さらに、このドイツ・ベルギー合作映画「僕とカミンスキーの旅」は、遊び心満載で虚実を自在に取り混ぜ、奥深いホラ話の趣きもありで、人生の不思議さと豊かさを浮かび上がらせる。
トラブルの絶えない二人の旅は、いつしか奇妙な方向にねじれ、思いがけない終着駅に向かっていくのだが・・・。
傍若無人な振る舞いが気になる老画家の存在感はもちろん、登場する名優たちのおとぼけぶりは堂に入ったもので、人間の虚栄と悲しみがあらわになるラストシーンは、何とも言えない人生の寂寥を感じさせてやるせない。
上映時間2時間3分、人間像がよく描かれ、捨てがたい味わいを持った、大人のためのおとぎ話だ。
この映画には、まんまと騙されないようにだけは気をつけたい。
(いや、騙されても結構だが・・・)
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はスペイン映画「オリーブの樹は呼んでいる」を取り上げます。


文学散歩「生誕120年 宇野千代展―華麗なる女の物語」~神奈川県立近代文学館にて~

2017-06-06 16:00:00 | 日々彷徨


 横浜の港の見える丘公園は、薔薇をはじめ色とりどりの花々が初夏の陽射しの中に咲き競っていた。
 もうすぐ、関東地方の梅雨入りも近い。
 神奈川近代文学館にいく。

 ・・・私は一種の感動に心を奪われ乍ら、もう一度、この桜に万朶の花を咲かせることは出来ないものか、と考えた。(「淡墨桜」より)
 作家宇野千代(1897年~1996年)の生誕120年を機に、7月17日月、祝日まで「宇野千代展」が開催されている。
 雑誌、新聞への投稿を経て、24歳で中央文壇にデビューし、大正末期から昭和初期にかけて新進の女流作家として、華々しい活躍をした人だ。
 戦後10年以上の歳月をかけて完成した「おはん」は、彼女の代表作ともいわれ、いまも高い評価を得ている。

 今回の本展では、千代が、厳しい父に育てられた少女時代から作家としてデビューするまでを序章として、その生涯を五部門で構成している。
 宇野千代には小説のみならず、雑誌編集から着物のデザインまで多彩な活動があり、それらを紹介しつつ、恋多き女としての数々の恋愛遍歴や幅広い交友にあらわれた、千代の人間像に迫っている。







言葉はちょっと悪いかもしれないが、宇野千代の男性遍歴は、彼女の勲章のようなものだ。
尾崎士郎との出会いと別れ、そして東郷青児北原武雄と結婚離婚を繰り返し、作家としての執筆活動も旺盛を極めた。

1910年、岩国高等女学校時代の作文「秋の山に遊ぶ」(毛筆)は、小さな文字で誰にでも読めるような一文に、当時の教師による赤い添削が入っている。
千代は子供のころから成績が良かったらしく、学校で褒美をもらうと、普段は無口な父俊次が、娘を連れてその褒美を周囲に見せて回るのが愉しかったとは、後年の回想である。
そのほか、作品原稿や挿絵原画、自らデザインした着物や愛蔵の品々など約250点の資料によって、その生涯と活動を展観する。
関連イベントしては、6月24日(土)文芸評論家・尾形明子氏講演、6月18日(日)、7月2日(日)16日(日)にはギャラリートーク、また7月14日(金)16日(土)の文芸映画を観る会では日活映画「色ざんげ」(1956年)の上映会なども予定されている。

 この頃 思うんですけどね
  何だか 私 
 死なない やうな
  気が するんですよ
 はははは は
        宇野千代
           満九十歳 (生前最後の著書より)

宇野千代の晩年は、長寿、健康、名声に恵まれてまことに幸せだった(丸谷才一弔辞)そうだ。
潮風に吹かれ、繚乱の花々を満喫し、文学館でひと休みというのも悪くない。

次回はベルギー・ドイツ合作映画「僕とカミンスキーの旅」を取り上げます。


映画「台北ストーリー」―都市が変貌する中で過去に囚われた男と未来への思いを馳せる女―

2017-06-03 12:00:00 | 映画


 台湾のエドワード・ヤン監督が、1985年に完成させた作品が今回4Kデジタル修復版として甦った。
 幻の傑作といわれた作品が、日本での劇場初公開となった。
 ヤン監督長編第二作目にあたる。

 製作・主演はヤンと同じく47年生まれで、「悲情城市」(1989年)名匠ホウ・シャオシェンで、80年代の台湾ニューシネマの旗手として、台湾映画の新時代を開いた2人の映像作家のコラボレイトによる作品だ。
 この作品の主人公は、急激に変貌する大都市台北である。
 大都市のありようが、過去にこだわる男と未来へ向かおうとする女の心模様となる。




1980年代の台湾、台北・・・。
アリョン(ホウ・シャオシェン)は元リトルリーグのエースで、家業の布地問屋を営んでいる。
アジン(ツァイ・チン)はアリョンの幼なじみで、二人は友達以上恋人未満といった関係だ。
アジンは、務めていた不動産会社が買収され、解雇される。
解雇されたアジンは、アメリカに移住して、新しい生活を始めようとアリョンに提案するが、アリョンには踏み切れない。
・・・二人の間に隙間風が吹き始める。
そして、やがて思いもかけない結末が訪れる。

この台湾映画「台北ストーリー」は、全編に不安定な空気感、浮揚感が漂っている。
そしてまた、急激な近代化に翻弄される男と女を描いている。
だが、生活感のある家や路地、現代的なマンションにあたる繊細な光と影、それらは古さと新しさの象徴のようでもある。
不思議な人間の息づかいが感じられる。
街と時代を男と女に重ね合わせ、アメリカへの憧れ、日本や中国本土の影響を受けながら生きる姿が描かれる。
アリョンの住んでいる問屋街は人間臭さがあり、そこに近代的な象徴のように巨大ビルが映し出されると、それは古き時代への郷愁を招く。
現代の街はいずれ、やがて消えてゆく・・・。
この感覚なのだ。

アリョンとアジンの思惑は、いろいろなしがらみがあって実現しない。
台湾では、60年代から70年代にかけて、アメリカに渡ろうとする運動が若者の間では高まっていたそうで、この作品は70年代の若者の心理をイメージしているようだ。
時代背景にもそれが感じられる。
ホウ・シャオシェンは30代の男の苦悩をにじませ、詩情豊かな男の表情を見せている。
古き街が消えていこうとし、新しい時代の到来にもがく台湾人を描いた作品なのだ。

この作品、現地での公開は4日間で打ち切られ、日本では公開されたので、ホウ・シャオシェンヤン監督が時代の先を走りすぎていたのではと指摘している。
今年再映が久々に実現した傑作、ヤン監督「牯嶺街少年殺人事件」(1991年)発表されたのはこの6年後のことである。
エドワード・ヤン監督は、2007年59歳で亡くなった。
蛇足ながら、「台北ストーリー」のエンドマークで流れてきたBGメロディが、どこかで聞いたことがあると思ったら、何と「湯の町エレジー」ではなかったか。
おやおや。
         [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点