徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「醒めながら見る夢」―愛に揺れ愛に苦悩する男と女の喪失と再生の物語―

2014-07-30 06:00:30 | 映画


 作家でミュージシャンでもある辻仁成監督が、自ら脚本を書き、歴史ある京都を舞台に、白日夢を想わせるような切ないラブストーリーを綴った。
 生と死が交錯し、現実と幻想の世界は、静謐とほんのりとした薄明、ときには薄暮の中に物語が描かれる。

 本作の中に頻繁に登場する鴨川は、あの世とこの世の境の象徴として描かれ、上流と下流の風景も変わり、そのシーンごとに味わいの異なるロケーションを演出している。
 物語世界は、抒情的な美しい映像で、画面いっぱいに独特の詩情が溢れている。










祇園祭の近い、夏の京都・・・。
劇団の人気演出家・優児堂珍嘉とその恋人・亜紀(高梨臨)は、誰にも告げぬまま密かに結婚し、暮らし始めていた。
優児は次期公演の準備を始めたばかりだったが、そんな彼の前に、ある日亜紀の妹・陽菜(石橋杏奈)が現れる。
亜紀に関する秘密を告げようとする陽菜に、しかし優児は、頑なに冷たい態度を見せる。
優児は、かつて陽菜とのはざまで揺れ動き、亜紀を裏切ったことがあったのだ。

姉妹の母親・悠乃(高橋ひとみ)はサロン・バーを営み、陽菜に店を継いでほしいと願っていたが、それは重荷でしかない。
陽菜は、死別した父親への思慕、姉に対する裏切りと後悔の中で、孤独な青年・文哉(村井良太)と知り合う。
優児はといえば、一方的に劇団を辞めると言い出し、周囲を遠ざけるようになり、、次第にやつれていった。
彼は、現実と夢との境界が揺らぎ、表情を失っていく・・・。
・・・そして、優児と亜紀との生活に隠されていた、思いがけない真実が浮かび上がってくるのだった・・・。

個性派の俳優陣がそろったものだ。
主人公役の堂珍嘉邦は、ミュージシャンだし映画初出演が話題だ。
優児の孤独はよく描かれているが、全体を見ると愛の気微に至る描写は、少しくどい。
映像の濃淡にも凝っていて、面白い撮り方だと思うし、主人公の悲しみや孤独を音楽や台詞が補ってあまりある。
祭で活気づく真夏の京都で、それもいわゆる観光名所的な場所ではなく、奥行きのある細い路地裏や平屋の木造長屋といったところで、退廃的でありながら、素朴な魅力を見せる場所が多く選ばれている。

ちょっと経歴を見ただけでも才器豊かな、辻仁成監督のこの映画「醒めながら見る夢」は、以前自身が演出、音楽を担当した同名の音楽劇の映像化である。
ここでは京都を意識しつつ、素朴さとエネルギッシュの混沌とした風景を求めて、彼がアジア的な映画の世界観を狙っていた節がうかがえる。
このドラマは音楽に限らず、美術、衣裳にも伝統に裏打ちされた古典をベースに、現代的な斬新さも見立てているといった風に、なかなか細部にわたって、気配りのきいた演出が光っている。
心の琴線に触れる部分も多々あるが、ややもすると、人物描写や物語の構成が説明的で、夢と現実、場面の転換とつながりに無理なところも散見され、そのあたりもう一工夫あってもよかったのではないか。
       [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「南 風」―人生を変える旅、夢をかなえる旅―

2014-07-25 07:30:00 | 映画


旅が人生を変える。
人生は旅によって変わる。
明るい夢と希望の映画だ。
台湾の九份(キューフン)、淡水(タンシュエ)、日月潭(リーユエタン)といった魅力スポットを、自転車でたどるサイクリング・ロードムービーである。

繊細な人物描写で定評のある萩生田宏治監督の、日本と台湾のスタッフとキャストによる魅力的なコラボレイトで実現した、ユニークな映画だ。
叶わない夢はないという。
夢はいつかきっと叶う。
そう信じることから、この旅は始まる。







 
風間藍子(黒川芽衣)は、東京で働く26歳だ。
最近彼氏を年下の男に奪われ、ファッション誌の編集者として活躍していたが、希望でない企画担当への移動となり、取材のため台北にやって来た。

まさに、仕事も恋愛も崖っぷちだった。

藍子は自転車を借りるために立ち寄った店で、16歳の少女トントン(テレサ・チー)と出会う。
ファッションモデルになることを夢見ている、高校生の少女トントンは、オーディションの会場に行くと偽って、藍子のガイドとして自転車旅行に同行することになる。
藍子は、トントンが元彼を奪った女に瓜二つだったことに驚いたり、旅の途中で二人は反発してばかりで、上手くかみ合わない。
そんな旅の途中で、台湾人のユウ(コウ・ガ)や日本人サイクロニストのゴウ(郭智博)らと出会い、最終目的地日月潭を目指すことになった。
・・・そして、このサイクリング・ロードムービーは一年後、日本の愛媛県しまなみ海道で、藍子とトントンが再会を果たす・・・。

二人の女がぶつかり合いながらも、自分を見つめ直し、自分の進む道を見つけていく・・・。
ブスだからブスだと言われてもへこたれない、泣き虫で勝気な少女トントンは、なるほど決して美人ではない。
もっとも、誰から見ても本当にブスの女性に対して、「君はとても美しいね!」なんて言おうものなら、それこそ屈辱ものではないか。
でもこの映画の最終場面で、トントンが藍子に見せたファッション雑誌の表紙に、何と、モデルになったトントンが輝くような笑顔とともに載っているのに、藍子は嬉しい驚きを隠せないのだった。
ここは、いいシーンだ。
叶わない夢はない。だから、あきらめない。
そしてそう思わせるに十分なラスト、瀬戸内の海光が輝き、そのきらめく風光がどこまでも眩しい、ほんわかとして明るい希望を持たせてくれる小品だ。

ラストは、愛媛県のしまなみ海道が紹介されるが、ここはもっと時間を取って見せてほしかった。
美しい景色を堪能したいところなのに、カットが何だか短かすぎないだろうか。
全編が名所巡りの旅のようになってしまったが、若い人間同士のちょっとした葛藤もなければつまらないだろうし、そこはお愛嬌といったところで、萩生田宏治監督映画「南 風」は上手くまとめているほうだ。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「リアリティのダンス」―破天荒で独善的で極彩色の幻想と寓話の世界―

2014-07-21 04:00:00 | 映画


 この映画を製作した、チリのアレハンドロ・ホドロフスキー監督は、今年85歳だ。
 この作品は、故郷チリの田舎町を舞台にした自伝的作品だが、その魔術的作風にはいつも眩惑させられる。

 自伝とはいっても、語られるのは、映像を借りた芸術的信念そのものと言ってもよく、ありふれた郷愁や回想といった類いのものではない。
 どこまでも自由な発想がスクリーンを支配し、自己耽溺を超えた、象徴的で寓話的な場面の連続だ。
 本人も出演しているが、ホドロフスキー監督自身が大人のアレハンドロ・ホドロフスキーになって、この映画の語り部を務めているのだ。








1920年、軍事政権下のチリ・・・。
ホドロフスキー少年(イェレミアス・ハースコヴィッツ)は、商店を営む共産党員で権威的な父親(ブロンティス・ホドロフスキーと、元オペラ歌手の母(パメラ・フローレス)とともに暮らしていた。
少年は家庭では父に虐待され、学校ではいじめられてばかりだった。
軍事政権を憎む父は、やがて旅に出る。
保守独裁政権の、イバニェス大統領(バスティアン・ボーデンホーファー)の暗殺計画に加わるべく・・・。
そして、彼は記憶喪失者となり、放浪の運命をたどる・・・。

青い空と黒い砂浜、サーカスのテント、空から降ってくる魚の群れ、台詞をオペラのように歌う母、疫病にかかった人たちの群れ、青い服に赤い靴・・・。
映画の中で家族を再生させ、自身と少年時代と家族への思いを、チリの鉱山町トコピージャの鮮やかな景色の中に、現実と空想をみずみずしく交叉させ、ファンタスティックな世界を描き出している。
それは、自身の少年時代の描いた夢であり、幻想的な人間賛歌である。
自伝とは言うが、どこが現実で、どこから幻想なのか、境目もわからない。
詩的で宗教的で、悪夢のようにグロテスクで、これを人はシュールレアリスムとでもいうか。
ホドロフスキー監督自身が、原点に立ち戻って生み出した癒やしの物語だ。
ひとりの人間の心象風景である。

作品の中には、目をむくような下品で暴力的な場面も登場するが、確かに見ようによっては理屈抜きに面白い一種のアートワークであり、監督の子供子供した他愛のない無邪気さが、鮮烈に前面に押し出されている。
ホドロフスキー監督は、事実を誇張し、現実を幻想し、自ら創り出した伝説を自らの‘魔術’で演出して見せてくれる。
これが、この人の魔術なのだ。
チリ・フランス合作映画「リアリティのダンス」は、しかし、どこまでいっても幻想的な映画だ。
遊び心を満たすこんな作品があってもよいと思う反面、上映時間2時間余り、強烈な「幻想力」をここまで見せられると、いかに残酷で美しい人間讃歌といっても、やや食傷気味にもなろうというものだ。
       [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「マレフィセント」―妖精と人間の思惑が渦巻く愛の物語―

2014-07-18 17:00:00 | 映画


 「眠れる森の美女」を妖精の立場から描いた、ロマンティックなおとぎ話だ。
 「アバター」の美術を手がけた、ロバート・ストロンバーグ初監督作品だが、この映画ではアンジェリーナ・ジョリーの世界に絵画的な美しさを施し、彼女の存在感を生々しいまでに際立たせている。
スケール感のある映像や、幻想的な美しい風景に魅了される。
 
ディズニー史上、屈指の名悪役とされるキャラクター「マレフィセント」の、これまで明らかにされていなかった人間界と妖精界の戦いの歴史と、マレフィセント自身の封印された過去と素顔が、この作品で明るみに出る。
 主人公アンジーの熱演に加えて、ブランドピットとの愛娘ヴィヴィアンとの共演も話題だ。
 まあ、名作から誕生した悪役の、知られざる愛の物語とでもいいますか。







ある王国で、ロイヤルベビーのオーロラ姫の誕生を祝うパーティーが開かれる。

招待客が見守る中、3人の妖精が姫に魔法をかける。
そんなとき、招かれていなかった邪悪な妖精マレフィセント(アンジェリーナ・ジョリー)が現れ、姫に「16歳の誕生日の日没まで永遠の眠りにつく」という、怖ろしい魔法をかける。
・・・そして、心優しい16歳の娘に成長したオーロラ姫(エル・ファニング)は、見えない不思議な強い力に引き寄せられて・・・。

スクリーンで動く場面はすべてCGだが、それらを含めて最後まで飽きさせない映像美はさすがだ。
作品中のCGは、日本人クリエイター(三橋忠央)が担当しており、たとえば、マレフィセントの羽は動く場面はCGだそうだが、動かない部分は本物を作成して撮影したそうだ。

この映画でのマレフィセントは、謎だったその生い立ちが明かされ、複雑なキャラクターを持っている。
それも、単なる悪役ではなく、愛と償いの感情を抱いている。
彼女は裏切りや痛み諸々を経験し、人間を信じられない過程でオーロラ姫と触れ合い、美しさとは何かといったようなことに気づいていくのだ。
ジョリー本人自身、両親の離婚、自傷癖、少女時代、自身の結婚と破局を経験しながら、カンボジア、エチオピアなど3人の子供の養子縁組と、夫ブランド・ピットとの間の3児の子育てを経験し現在に至っている。
何やら、ヒロインのマレフィセントの生き方に似ている。
メイクを施したジョリーの顔は、子供たちから恐ろしがられたらしいが、そこまで役になりきっていたというわけだ。

2008年に生まれた娘、ヴィヴィアン・ジョリーは幼少のオーロラ姫に起用され、共演を果たしている。
アンジェリーナ・ジョリーは、実際に自分が生きてきた過程を振り返って、解放感を味わえるようになった心の旅、心の解放と、この作品のヒロインと重なる自分に、改めて気づいたと言っている。
まあ、ロバート・ストロンバーグ監督アメリカ映画「マレフィセント」は、彼女のオーラを見せるには十分の作品だが・・・。
妖精が空を飛ぶ場面や、傷ついて邪悪となった妖精が、母性愛という真実の愛に目覚めるドラマも、彼女の実人生と重なる話だ。
それらを含めて、ファンタジーの持つ面白さやスケール感は損なわれていない。
特殊メイク(リック・ベイカー)もさることながら、人間離れした彼女の熱演も作品を盛り上げている。
悪役といえども、必ずしも悪人でない。
どうも少女コミックの実写ファンタジーを見ているようで、上質のお子様ランチといったところだろうか。
女性の人気がかなり高いようだ。
夏休み、この映画、どこまでヒット(?)するか見ものだ。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「私の、息子」―親子の愛憎に満ちた葛藤と凭れあい―

2014-07-13 18:00:00 | 映画


 このところ、世界の映画祭でルーマニア映画が国際的に注目を集めている。
 カリン・ペーター・ネッツアー監督は、この作品でベルリン国際映画祭最高賞(金熊賞)受賞した。
 新しい、ルーマニア映画の旗手と目されている人だ。

 我が国でも、なかなか親離れのできない子供は多い。
 が、また反面、子離れのできない親も・・・。
 そんな親子の愛憎と葛藤をテーマに、この作品は家族の絆について問いかける。
 本作の舞台はルーマニアだが、万国共通の社会派テーマが濃密に描かれた、表現力の豊かな作品だ。
 この映画は、ここ20年でルーマニア映画としては国内最高の大ヒット作となったそうだ。






ブカレストに、夫のアウレリアン・ファガラシァヌ(フロリン・ザムフィレスク)と暮らす妻のコルネリア(ルミニツァ・ゲオルギウは、インテリ・デザイナーとして活躍し、社交界に知人も多い。
彼女には、30歳を過ぎた息子のバルブ(ボグダン・ドゥミトラケ)がいる。
そのバルブの世話を一生懸命
焼くのだが、息子からは嫌がられるばかりで、コルネリアは、彼の同棲相手であるカルメン(イリンカ・ゴヤ)への不満まで口にする。


そんなコルネリアに、バルブが交通事故で他人の子供を死なせてしまったという知らせが届く。
コルネリアは事故現場に駆けつけ、警察と交渉し、財力と金を駆使して、あらゆる手段でバルブを必死で助けようとする。
だが、そんな母親の強引なやりかたに反発したバルブは、起こした事件にも背を向け、自分の殻に閉じこもってしまうのだった。
世の中の過保護な母親がそうであるように、彼女もまた、自分の行動が息子の自由を奪っていることに気づいていない。
そんな時、コルネリアは息子の恋人カルメンから、息子の意外な一面を知らされる・・・。

前半では、コルネリアの視点から母親と息子の関係に焦点が当てられ、息子を溺愛する母親の嫌らしい一面を見せることで、コルネリアの母心をしつこく描き出している。
そして、何ひとつ自分ではなしえず、母親を見下し悪態をつくだけの、甘やかされて大人になりきれないバルブの傍若無人ぶりが次第に炙り出されて、一瞬、恐怖映画のような感じもする。

この作品でカリン・ペーター・ネッツアー監督は、母国の富裕層と農村に暮らす貧困層との格差、横行する賄賂などを絡ませて、母子のありようを問うているのだ。
そうした、金に物を言わせる道徳的退廃や、コルネリア一家と被害者家族の経済格差から、資本主義に転換して変動するルーマニア社会の、ゆがんだ構図が浮かび上がってくる。
ただ交通事故の処理という、たったそれだけの出来事を題材にして、ルーマニア映画「私の、息子」は、暴走する母親の過剰な愛情を、どこまでもリアリズムに徹して描いている。

映像は、手持ちカメラ中心にコルネリアを追っていくが、映画全編にわたって会話中心のセリフ劇が続き、母親役のゲオルギュウの好演が光っている。
長回しの撮影で描かれる、コルネリアの感情の変化を巧みに演じるシーンは、母親の本質をあらわにしてきわめて印象的だ。
でも、ほとんどの登場人物は、感情をを露骨にあらわさず、硬い表情のままだ。
その内面を読み取ろうとする、カメラと人間との間に生まれる緊張感は、サスペンス映画のようでもある。
母親と息子が遺族を訪ねるラストは、希望をほのめかすエンドとも、あるいはそこから先は観客の想像に任せるということなのか、作品に妙な違和感も覚える・・・。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「ワレサ 連帯の男」―自由と未来のために権力と闘った男とその家族―

2014-07-11 18:00:00 | 映画


 ポーランド巨匠アンジェイ・ワイダ監督は今年88歳になる。
「 地下水道」(56)、「灰とダイヤモンド」(58)など第二次世界大戦での苦難の歴史を描きながら、 「鉄の男」(81)など労働者をテーマに、戦後ポーランドの大きな転換点となった時代を積極的に描いてきた。
 それらから20年、近作では「菖蒲」(09)などもあるが、そのあとに続いて製作した新作がこれだ。

 1980年代の東欧の民主化に大きな役割を果たした、独立自主管理労組「連帯」の闘いを、初代委員長で後に大統領となるレフ・ワレサとその家族を通して描いた伝記映画である。
 当時の記録映像を交えて、かなり駆け足ではあるが、比較的解りやすく映し出しているのがいい。





物語は、1980年代初めのインタビューから始まる。

グダンスクの造船所で一介の電気工として働くワレサ(ロベルト・ヴィエンツキェヴィチ)は、ダヌタ(アグニェシュカ・グロホフスカと新婚生活を送っていた。
彼は、70年に起きた食糧暴動に悲劇から、次第に組合活動に深く関わっていった。

ワレサは組合活動家として頭角を現し、80年8月にストを起こして画期的な政労合意にいたり、自由と希望の象徴となった。
そして、その年の9月に発足した「連帯」の初代委員長に選ばれる。
だが、翌年の戒厳令の布告で[連帯]は非合法化され、ワレサは退歩、軟禁される・・・。

映画の方は、89年のベルリンの壁崩壊直後、ワレサがアメリカ議会に招待されて演説するまでを描いている。
ワレサが、非合法ビラを乳母車に隠して生まれたばかりの娘と一緒に警察に逮捕されるシーンなど、ワレサを支えたダヌタとの家庭生活にも焦点が当てられ、公私にわたるワレサの人物像が浮かび上がり、結構興味深い。
ワレサは、誠実にして勇敢でユーモアを忘れず頼りになる男だが、一方で意固地で一筋縄ではいかない男だ。
そういった事実関係は別にしても、ワレサの指導者としての苦悩と覚悟、決意がにじみ出ていて、権力に立ち向かう男の姿が気持ち良い。
さらに、夫婦の固い絆として見ても、人間としての深層心理にまで迫っており、とても陰影に富んだドラマとなっている。

ポーランド映画「ワレサ 連帯の男」での、女性ジャーナリストの取材に答えるくだりは、かえって不要ではなかったかとも思うが、膨大な闘いの歴史を2時間7分で見せる語り口は、全編に力強いロックミュージックを取り入れるなど、心を揺さぶる要素もたっぷりで、そこには自由を求める若者の歌声も・・・。
それらすべてが、アンジェイ・ワイダ監督自身の、切実な魂の叫びとも・・・。
新生ポーランドが勝ち取った自由とは、何であったか。
それは、自由を忘れるなという、怒りにも似た悲痛な叫びであった。
この作品、ワイダ監督にとっては、監督人生の集大成にふさわしい映画となった。(!?)

底に流れるテーマは現代史だ。
現存する記録映像を活用し、撮影では35ミリフィルムに16ミリフィルムを併用して、記録映像との質感を大切に、現実味を出している。
一介の電気工からスタートしたワレサだが、そのカリスマ性の凄さ(!)もさることながら、このドラマの最後、アメリカ議会での演説の後の彼の足跡はまことに輝かしい。
1983年ノーベル平和賞受賞1990年12月大統領に就任し、1995年まで務める。
人間ドラマとして、見ごたえは十分だ。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「サード・パーソン」―三都市で展開する愛と信頼と裏切りの物語―

2014-07-09 12:30:00 | 映画


 幾つかの愛のエピソードが語られる。
 行き着く先に待つ、ドラマの意外性・・・?
 ポール・ハギス監督、脚本によるアメリカ映画だ。

 凝った構成が、登場人物たちの気持ちを語る仕掛けを施している。
 でも、それぞれがいたずらに過剰気味で、群像劇としては回りくどいドラマとなって、あまり感心はできない。
 パリ、ローマ、ニューヨークと、三つの都市を舞台に、三つの物語が並行して描かれていく。










フランス・パリ・・・。

文学賞受賞で成功を収めた作家マイケル(リーアム・ニーソン)は、ホテルにこもって最新小説を執筆中だ。
彼は妻エレイル(キム・ベイシンガー)とは別居中で、若い小説家志望のアンナ(オリヴィア・ワイルド)と不倫関係にあった。
アンナはファッション誌にゴシップ記事などを書いていたが、カリスマ的な恋人であるマイケルを愛しながらも、若さと美貌で彼とのスリル感を楽しんでいた。
その彼女に、実は秘密の恋人がいたのだ・・・。

イタリア・ローマ・・・。
スコット(エイドリアン・ブロディ)はアメリカ人ビジネスマンだ。
世界中を旅しながら、ファッションブランドからデザインを盗む仕事をしている。
スコットは、エキゾティックな女性モニカ(モラン・アティアス)に心を奪われ、彼女が娘と久しぶりに再会するために用意していたお金を盗まれてしまったと聞いて、彼女を助けようという衝動に駆られる・・・。

アメリカ・ニューヨーク・・・。
元女優のジュリア(ミラ・ニクス)は、昼メロのドラマに出演中だ。
彼女には6歳の息子がいたが、現代アーティストでもあり、名を成している元夫のリック(ジェームズ・フランコとは、親権争いの真っ最中だった・・・。

この三つの都市で、とりあえず愛のドラマは、解決の糸口を求めて突き進む。
愛の喪失、再生といったテーマが浮かび上がってくるが、三組の男女のエピソードが少しずつ絡み合っていく。
一見ミステリーのように、意外性(?)のある真実が明かされるが、驚くどころか、どうにもこれが拍子抜けだ。
よく言えば、脈打つ愛がつながる物語なのだが、ハギス監督の独りよがりなひねりの構成と技巧への執念(?)が、ホテルの部屋、携帯電話、メモ用紙、白いバラといった、意味ありげに使われる小道具と、別々の街にいる彼らの行動や感情の描きこまれたカットをつないでいく。
しかし、ハギス監督の言う「答えのない難題」はそんなことで容易に解けるほど、映画は甘くない。
映画のエンディングもすっきりしない。

ポール・ハギス監督アメリカ映画「サード・パーソンは、女性に執着しながら男性の視点から男女関係を捉えているからなのか、三つの物語がつなっがっていく過程も何やら中途半端で不完全燃焼というやつで、俳優陣も十分に生かされているとは思えない。
映像や台詞に魅力ある部分もあって、全部がダメとは言えないまでも、何だか作品全体がバラバラで映画としてのまとまりに欠ける。
アカデミー賞監督ポール・ハギスに期待したのだが、気負い過ぎて残念な一作である。
     [JULIENの評価・・・★★☆☆☆](★五つが最高点


♬♬ ワンコインで楽しむ『午後の音楽会』 ♬♬―平田耕治タンゴトリオ―

2014-07-08 18:30:00 | 日々彷徨



梅雨まだ明けやらぬ、昼下がりの音楽と洒落てみる・・・。
久しぶりのタンゴである。
ロマンティックなミニライブも、悪くはない。
ちょっぴり贅沢な気分になる。

今回は、平田耕治バンドネオンに、ピアノ・須藤信一郎ヴァイオリン・那須亜紀子のトリオによる、ミニコンサートだ。
曲目は、アストル・ピアソラ「リベルタンゴ」、アンヘル・ビジョルド「エル・チョクロ」、J.ガーデ「ジェラシー」など、アルゼンチンタンゴ(モダン、クラシック)、コンチネンタルタンゴ(ヨーロッパタンゴ)まで、12曲余りを70分で聴かせてくれるノンストップコンサートだ。
もう少し、聴きたいなあと思うあたりががいいのかもしれない。
幾つかのパターンを、素晴らしい音色で楽しませてくれた。

バンドネオンの平田耕治は、13歳でバンドネオンを始め、16歳の時単身ブエノスアイレスに渡り、故カルロス・ラサリに住み込みで師事、2007年には日本人バンドネオン奏者として初めて、ブエノスアイレス市立エスクエラ・デ・タンゴのオーディションに合格した。
以来これまで、アルゼンチンはもちろん、フランス、カナダ、グルジア、韓国、シンガポール、タイに招かれて演奏会を開催、海外でも常に高い評価を得ている、気鋭のバンドネオン奏者だ。
日本では東京、横浜、湘南地区
を中心に、大変意欲的にライブやディナーショウを展開している。
飾らない人柄と高い音楽性に恵まれ、いまでは耳の肥えたタンゴファンを魅了している。

この秋にはニューヨークへ招聘を受けており、今が旬というのか、ますます輝きを放つ、数少ない日本の若手の期待株だ。

横浜市栄区の文化センター、りリスホールでは、毎月1回特別な1時間と称して『午後の音楽会』シリーズを催している。
結構遠方から、はるばるこの音楽会を楽しみに出向いてくる奥方も多く、隠れた人気になっている。
小さくても中身の濃い、よきコンサートだった。
喫茶店でのコーヒー1杯分の料金で、珠玉の時間を過ごせるのだから、贅沢な話である。
希望すれば、公演スケジュールを郵送してくれる。
     リリスホール: http://www.lilis.jp    ( TEL:045ー896-2000)


映画「渇 き」―嗜虐と愛憎が激しく交錯し扇情的な欲望と狂気の底で―

2014-07-06 21:00:00 | 映画


 凄い映画が登場したものだ。
 映画賞を総なめにした「告白」も衝撃的な作品だったが、この最新作でも、中島哲也監のさらに毒々しいまでの世界が全開している。
 語り口も衝撃的だし、怒涛のような展開に嵌められて、妄想も暴力も欲しいままだ。

 2004年に「このミステリーがすごい!」大賞受賞した深町秋生問題小説「果てしなき渇き」を映画化した。
 何しろ、独創的な世界観を持つ中島監督がメガホンを取るのだから、作品は強烈だ。
 物語も登場人物たちのキャラクターも超過激で、演出も過剰の限りをつくし、抑制のきかない映画作りの限界に挑戦した。
 とんでもなく不道徳な作品で、これも映像化不可能といわれた小説を、ここまでよく映像化にこぎつけたものである。





元刑事の藤島(役所広司)は、かつて妻の浮気に激怒して暴力事件を起こし、警察を退職させられた。

彼は家も追い出され、酒浸りの日々を送っていた。
それでも、理想的な家族の甘い妄想にふける藤島は、元妻(黒沢あすか)から高校生の娘加奈子(小松菜奈)が失踪したと知らされて、一人で娘を捜し始める。

そして、加奈子の部屋から薬物が見つかり、カリスマ的な存在だった彼女が、同級生を麻薬と売春に誘い込んでいたことがわかってくる。
藤島は怪物的な娘の素顔を知り、自身の暗い欲望を満たしていく。
一方、そんな加奈子に魅了された、いじめられっ子の男子生徒が、彼女の仕掛けた罠に落ちていく。

この捜索劇と、3年前の加奈子の級友の物語が交錯し、「愛する娘は、バケモノでした」という父親の言葉通り、娘の裏の顔が明らかにされていく。
過去と現在を構成する演出は、お手の物だ。
中島演出は、過酷な現実を非情に描きながら、加奈子の闇の深みを切り裂いていく。

時制と場所を激しく変えながら、ドラマは実にめまぐるしく、矢継ぎ早に展開する。
そこに描かれるのは、思いやりとか愛情とかという、心の安らぐ感情の類ではなく、むき出しの憎悪と敵意であり、ほとばしり出る血と暴力の連鎖だ。
人間の本質に迫る哲学のかけらも、見いだせない。
ひたすら浮かび上がる暴力と血しぶきの、超刺激的なシーンばかりだ。
これでもか、これでもかと、繰り返し流されてくる残虐な映像に、まともな観客は拒絶反応を起こしてしまうのではなかろうか。

中島哲也監督「渇 き」は、まず物語の組み立ても作りも、とにかく雑で粗っぽい。
それにこの物語には、まともな登場人物などいないのだ。
恐れ入りましたね。
強欲で、傲慢で、凶暴で、救いようのない奴らばかりだ。
ドラマの中で、娘を捜す藤島が次第に狂気を帯びていき、血まみれになって暴れまくるシーンの連続には正直疲れる。
大体、いつも物静かに語る役所広司が、これまで見せたこともない暴走、怪演を、ここぞとばかり目いっぱいに展開し、加奈子を演じる超大型新人の小松菜奈の毒演(!)にもこれまた度肝を抜く。
血と暴力の、まさに猛々しい狂気の奔流を真に受けて、この映画の鑑賞に、貴方はそこまで耐えられるだろうか。
人は、これもまた映画だというが・・・。
     [JULIENの評価・・・★★☆☆☆](★五つが最高点


映画「グランド・ブダペスト・ホテル」―ユーモラスでエレガントなおとぎ話の世界―

2014-07-04 09:15:01 | 映画


 歴史には深い郷愁がある。
 繊細にしてモダン、1930年代の喜劇を垣間見せながら、魔 法のような映像表現が融合され、面白おかしく優雅なファンタジーが展開する。
 それこそ、懐かしいお菓子をそれもゴージャスに詰め込んだ、遊び心いっぱいの作品だ。

 ウェス・アンダーソン監督は、架空の国を舞台に、奇想天外なドラマを繰り広げる。
 国民的大作家(トム・ウィルキンソン)の回想形式で、物語は始まる。
 大勢の有名俳優をそろえたアドヴェンチャー物語は、どこまでもミステリー仕立てだ。
 過ぎ去る時とともに失われていくもの、そこにはやるせない想いだけが残って・・・。








1968年、すっかり寝静まった東ヨーロッパの温泉地の山上に立つ、グランド・ブダペスト・ホテルに宿泊した作家(ジュード・ロウ)は、謎に満ちたホテルのオーナー、ゼロ・ムスタファ(F・マーレイ・エイブラハム)と出会う。

そこで語られるのは、1930年代のゼロ(トニー・レヴォロリ)と、伝説のコンシエルジュ、グスタヴ・H(レイフ・ファインズの波乱に満ちた物語だ。
物語は、現代、60年代、30年代と三つの入れ子構造になっており、それぞれスクリーン・サイズを変えながら、重層的なストーリーを紡ぎあげる。

ホテルの上客だったマダムD(ティルダ・スウィントン)が殺され、彼女の遺言で贈られることになった貴重な絵画がグスタヴの手によって持ち出され、彼は身に覚えのないマダムD殺人容疑で逮捕される。
そして脱走、コンシエルジュの秘密組織の協力、グスタヴを追う不気味な男ジョプリング(ウィム・デフォー)ら・・・。
グスタブは、誇りをかけて謎を解き、ホテルの威信を守ろうと、大戦前夜のヨーロッパ大陸を飛び回る・・・。

・・・と、やたらといろいろなエピソードが集められて、この作品のいたるところに散りばめられている笑いは、どれをとっても一級品だ。
ドラマに描かれるエピソードからは、東欧の歴史の風が感じられ、アンダーソン監督の映画への愛情と感性は実に豊かだ。
ホテルの寂しき60年代は、現代のスクリーンより横長のワイドな画面、華やかなりし30年代は正方形に近い形と、時代ごとにスクリーンサイズを変えているのが特徴で、それぞれの時代のムードを映していて効果的だ。
上手い演出だ。

無実の罪、投獄と脱獄、悪漢との追跡劇、次から次へと起こる珍騒動・・・、古めかしいお話がバタバタと進み、でも語り口はチョコレートのような味わいで、時代をひとつ遡るたびに画面のサイズもそうだが色までも少しずつ変わるところなど、ウェス・アンダーソン監督の悪戯にも降参だが、それもどこか楽しい。
さて、観ていて幸せな気分になれるかどうか。
それは人それぞれだ。
所詮、昔話なのである。
過去のそのまた過去、その過去をさかのぼって・・・、ああ、もうわけがわからなくなってしまうほどに、失われた過去への追慕がこの映画の主題となっているのだ。

イギリス・ドイツ合作映画「グランド・ブダペスト・ホテル」は、映像も俳優たちの演技も何もかもが過剰気味だ。
作品はコミカルに洗練され、極限にまで削ぎ落とされたセリフ、目まぐるしい場面転換と時には息つく暇もないアップテンポで、ドラマの先行きが読めない場面もある。
それに、とにかくやたらと忙しい。
面白いことは十分認めても、‘おもてなし’喜劇の、いかにも作られた‘演技’らしい‘演技’がわざとらしくも感じられ、少々鼻について仕方がなかったけれど・・・。
う~む、
だが、風変わりといえば風変わりな、不思議な快感をもたらす、観る人によっては十分大人の楽しめる映画ではある。
ベルリン国際映画祭審査員賞受賞作品だ。

     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点