いまひとたび、スサンネ・ビアである。
この映画「ある愛の風景」は、いまその才能を注目されている、デンマークのスサンネ・ビア監督が、「アフター・ウェディング」の前に撮った作品だ。
スサンネ・ビアから、この作品を是非見て欲しい(??)とのことで、急遽見ることになった。
サンダス映画祭観客賞のほか、サン・セバスチャン国際映画祭、ハンブルグ映画祭、ボストン映画祭、デンマークアカデミー、カンヌ国際映画祭などで各賞多数を受賞した作品で、スサンネ・ビア監督が、さすがに“デンマークの生んだ恐るべき才能”と呼ばれるゆえんが理解できる。
「・・・愛している。何があろうと。人生はいつだって矛盾に満ちているけど、この愛は変らない・・・。」
映画のオープニングとクロージングで繰り返されるナレーションである。
一瞬で壊れる幸せもあれば、一瞬で変わりゆく運命もある。
夫の戦死を告げられた妻、その喪失感を妻と共有することで他人と心を通わす弟、そして別人のようになって、突然帰国する兄・・・。
運命のいたずらが生んだ、日常の小さな裂け目が、次第に大きくなり、心の闇は、やがて人知れぬ狂気へとつながっていく。
誰にも話せない、深い心の傷を抱え、人生を取り戻そうともがく夫の全てを受け入れて、夫との未来を信じる妻がいる・・・。
美しい妻サラ(コニー・ニールセン)と二人の可愛い娘とともに、幸せな日々を送るエリート兵士ミカエル(ウルリッヒ・トムセン)は、戦禍のアフガンへ派遣される。
刑務所帰りの弟ヤニック(ニコライ・リー・コス)は、兄ミカエルとは対照的に、定職もなく独身で家族から孤立していた。
しかし、ミカエルの訃報が届き、嘆き悲しむサラや娘たちの心の支えとなったヤニックは、初めて人から必要とされることの幸せを噛みしめる。
その頃、死んだはずのミカエルは奇跡的に一命をとりとめ、アルカイダの捕虜となって、過酷な状況に直面していた。
監禁された部屋には、戦友ニルスがいた。
或る日、自分が生きるために、ニルスを殺すか、自分が殺されるかの、瀬戸際の極限状況におかれたミカエルは、救出するはずだったニルスを、アルカイダの命ずるままに、逆に殴打して殺してしまう・・・。
ミカエルは国連軍に救出され、祖国に戻ることができ、最愛の妻サラと娘たちと再会し、懐かしい我が家に帰ってきた。
しかし、ミカエルは何も語ろうとせず、いや何も語ることができず、別人のように変わってしまっていたのだった。
そして、それはやがて狂気へと変っていく・・・。
この映画の根底には、反戦のテーマが流れている。
スサンネ・ビアは、人々の愛や幸福に、「表」と「裏」があることを常に見つめている。
登場人物の内面にせまるため、人生におけるシリアスな側面と、微笑ましい側面の両方を、映画の中心に据えていると言う。
そして、彼女はこういう言葉も残しているのだ。
「残忍さと人間の温かさ、優しさ、愛情を描くことが重要でした。
人生には、両方の面が存在し、どちらか一方だけを描くことはできませんし、また描きたくもありません。」
ささやかな日常が、突然思いもよらない運命や事件によって変わってしまうこと、そしてその劇的な変化に、この映画では「戦争」が選ばれた。
でも、基本的には、穏やかな普通のライフスタイルにおける、愛の条件を描いたラブストリーなのだ。
ハンディカメラの多用はどうも気になるところだが、瞬間瞬間に切り込むシャープな映像は、はっとするほど衝撃的だ。
これが、女性の撮る映像かと疑った。
それは、登場人物の極端なアップが、閉塞的な心の視界を照らし出して、抜き差しならない人への問いかけとなり、ときにそれは撮り手の慈しみともとれる気持ちがにじむ。
人をめぐる、人間の深層心理をまるで透視するかのように、その抜き差しならない生き様、辛さをこれほどまで鋭く抉れるとは・・・。
1960年、デンマーク生まれのスサンネ・ビアという監督は、この作品の深みのある演出で、ギリシャ悲劇を現代によみがえらせたような感じもする。
ヒロインのコニー・ニールセンは、あのリドリー・スコットの「クラディエイター」では、ルッシラ役として出演していて、瞬く間に世界にその名を知られることになって、女優としての地位を確固なものとした。
この作品が、彼女のデンマーク映画デビューとなる。
ちなみに、この作品「ある愛の風景」( http://aruai.com/ )の製作スタッフと、「アフター・ウェディング」の製作スタッフは、ほとんどが同じメンバーである。