徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「ある愛の風景」ー予期せぬ出来事ー

2008-02-28 21:00:00 | 映画

いまひとたび、スサンネ・ビアである。
この映画「ある愛の風景」は、いまその才能を注目されている、デンマークのスサンネ・ビア監督が、アフター・ウェディング」の前に撮った作品だ。
スサンネ・ビアから、この作品を是非見て欲しい(??)とのことで、急遽見ることになった。

サンダス映画祭観客賞のほか、サン・セバスチャン国際映画祭、ハンブルグ映画祭、ボストン映画祭、デンマークアカデミー、カンヌ国際映画祭などで各賞多数を受賞した作品で、スサンネ・ビア監督が、さすがに“デンマークの生んだ恐るべき才能”と呼ばれるゆえんが理解できる。

「・・・愛している。何があろうと。人生はいつだって矛盾に満ちているけど、この愛は変らない・・・。」
映画のオープニングとクロージングで繰り返されるナレーションである。
一瞬で壊れる幸せもあれば、一瞬で変わりゆく運命もある。

夫の戦死を告げられた妻、その喪失感を妻と共有することで他人と心を通わす弟、そして別人のようになって、突然帰国する兄・・・。
運命のいたずらが生んだ、日常の小さな裂け目が、次第に大きくなり、心の闇は、やがて人知れぬ狂気へとつながっていく。
誰にも話せない、深い心の傷を抱え、人生を取り戻そうともがく夫の全てを受け入れて、夫との未来を信じる妻がいる・・・。

美しい妻サラ(コニー・ニールセン)と二人の可愛い娘とともに、幸せな日々を送るエリート兵士ミカエル(ウルリッヒ・トムセン)は、戦禍のアフガンへ派遣される。
刑務所帰りの弟ヤニック(ニコライ・リー・コス)は、兄ミカエルとは対照的に、定職もなく独身で家族から孤立していた。
しかし、ミカエルの訃報が届き、嘆き悲しむサラや娘たちの心の支えとなったヤニックは、初めて人から必要とされることの幸せを噛みしめる。

その頃、死んだはずのミカエルは奇跡的に一命をとりとめ、アルカイダの捕虜となって、過酷な状況に直面していた。
監禁された部屋には、戦友ニルスがいた。

或る日、自分が生きるために、ニルスを殺すか、自分が殺されるかの、瀬戸際の極限状況におかれたミカエルは、救出するはずだったニルスを、アルカイダの命ずるままに、逆に殴打して殺してしまう・・・。

ミカエルは国連軍に救出され、祖国に戻ることができ、最愛の妻サラと娘たちと再会し、懐かしい我が家に帰ってきた。
しかし、ミカエルは何も語ろうとせず、いや何も語ることができず、別人のように変わってしまっていたのだった。
そして、それはやがて狂気へと変っていく・・・。

この映画の根底には、反戦のテーマが流れている。
スサンネ・ビアは、人々の愛や幸福に、「表」と「裏」があることを常に見つめている。
登場人物の内面にせまるため、人生におけるシリアスな側面と、微笑ましい側面の両方を、映画の中心に据えていると言う。
そして、彼女はこういう言葉も残しているのだ。
 「残忍さと人間の温かさ、優しさ、愛情を描くことが重要でした。
  人生には、両方の面が存在し、どちらか一方だけを描くことはできませんし、また描きたくもありません。」

ささやかな日常が、突然思いもよらない運命や事件によって変わってしまうこと、そしてその劇的な変化に、この映画では「戦争」が選ばれた。
でも、基本的には、穏やかな普通のライフスタイルにおける、愛の条件を描いたラブストリーなのだ。

ハンディカメラの多用はどうも気になるところだが、瞬間瞬間に切り込むシャープな映像は、はっとするほど衝撃的だ。
これが、女性の撮る映像かと疑った。
それは、登場人物の極端なアップが、閉塞的な心の視界を照らし出して、抜き差しならない人への問いかけとなり、ときにそれは撮り手の慈しみともとれる気持ちがにじむ。
人をめぐる、人間の深層心理をまるで透視するかのように、その抜き差しならない生き様、辛さをこれほどまで鋭く抉れるとは・・・。

1960年、デンマーク生まれのスサンネ・ビアという監督は、この作品の深みのある演出で、ギリシャ悲劇を現代によみがえらせたような感じもする。
ヒロインのコニー・ニールセンは、あのリドリー・スコットの「クラディエイター」では、ルッシラ役として出演していて、瞬く間に世界にその名を知られることになって、女優としての地位を確固なものとした。
この作品が、彼女のデンマーク映画デビューとなる。
ちなみに、この作品「ある愛の風景」( http://aruai.com/ )の製作スタッフと、「アフター・ウェディング」の製作スタッフは、ほとんどが同じメンバーである。

 



映画「アフタ-・ウェディング」ー愛は死なないー

2008-02-26 21:15:00 | 映画

・・・命の終わりを知った時、大切な人に遺したいものがある。
ふとした遊び心で、めずらしい映画を見た。
どうしてどうして、これがなかなか上出来の作品だったのだ。

限りある命を知った時、人は愛する家族に何を遺せるだろうか。
日常のささやかな暮らしの中で、運命に絡めとられ、翻弄されている家族や子供たち、そして男と女がいる。
そこに、究極の愛の“かたち”がある。
突然の「困難」に直面した時、彼らの心の葛藤と選択した行動は・・・?

人を深く愛する心と、その裏に潜む孤独、そして家族の大切さという本当の意味が、北欧の澄んだ風景の中で、繊細なタッチで描かれる。
この作品、デンマ-クの映画である。
スサンネ・ビア監督のこの映画は、2007年のアカデミ-賞外国映画部門にノミネ-トされた。
デンマ-ク国内では、43万人を動員する大ヒットだったという。
女性監督ならではの、細やかな美しい映像によって、容赦ないリアリティ-を描こうとする意欲は十分にうかがうことができる。

インドで、孤児の援助活動に従事するデンマ-ク人ヤコブ(マッツ・ミケルセン)は、あるデンマ-クの実業家から、巨額の寄付金の申し出を受ける。
ヤコブは、久しぶりにデンマ-クに戻り、実業家ヨルゲン(ロルフ・ラッセゴ-ド)との交渉を成立させるが、週末に行われる、彼の娘の結婚式に出席するように、強引に誘われる。
彼は、これを断れずに出席するが、思いがけない女性ヘレネ(シセ・バベット・クヌッセン)と再会し、困惑する。
ヘレネは、ヤコブの昔の恋人で、今はヨルゲンの妻となっていた。

ヤコブは、全てを仕組んだヨルゲンの秘密と、まだ4歳の幼い二人の子供たちの、父親としての望みを知ることとなる。
そして、結婚パ-ティ-で両親に向けてスピ-チをするアナ(スティ-ネ・フィッシャ-・クリステンセン)は、ヨルゲンの実の娘ではなく、ヘレネの昔の恋人の子供(つまりヤコブの実の娘)であるという、衝撃の事実が明かされていく・・・。

娘は父の目を見つめる。
 「たとえ生まれ変わっても、もう一度パパと会いたい」
夫は妻に語りかける。
 「お前と過ごした時間は、私の昼であり、夜であり、海であり空だった」

ヨルゲンは病に冒されており、自分には残された時間のないこと、そしてヘレネ、アナ、双子の息子たちを任せたいという彼の願いをヤコブは聞かされる・・・。
ヨルゲンは、妻のヘレネにすがって泣き叫ぶ。
 「おれは、死にたくない!」

デンマ-ク映画「アフタ-・ウェディング」 http://www.after-wedding.com/) は、メロドラマの要素を持ちながら、その向こうにドラマの定石を離れて、人と人、父と娘、夫と妻、男と女をめぐる、ぬきさしならない辛さや痛みを、これでもかと言うほどに、北欧の大人たちのひとりひとりに刻んで見せてくれる。

この作品に見られる鋭い演出力でも、スサンネ・ビア監督の才能は、今世界中の知るところとなり、前々作「幸せな孤独」、前作「ある愛の風景」の二作は、すでにハリウッドでのリメイクが済んでいると言われる。
自身の次回作も、ドリームワークス作品として、ハル・ベリーとベニチオ・デル・トロ主演のドラマ“Things We Lost in the Fire”が公開されたと伝えられている。


     アカデミ-賞のこと  (新聞既報) 
   第80回アメリカ・アカデミー賞が決まった。
    作品・監督賞  「ノーカントリー」 (ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン監督)
    主演男優賞   ダニエル・デイルイス  「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」
    主演女優賞   マリオン・コティヤール  「エディット・ピアフ~愛の讃歌~」
    助演男優賞   ハビエル・バルデム  「ノーカントリー」
    助演女優賞   ティルダ・スウィントン  「フィクサー」
    外国語映画賞  「ヒトラーの贋札」 (オーストリア製作)
 
   兄弟監督(コーエン)の受賞というのは、史上初だそうだ。
   今回の演技賞は、すべてアメリカ人ではない外国人の手に渡ったのも興味深い。
     ダニエル・デイルイス(イギリス) マリオン・コティヤール(フランス) 
     ハビエル・バルデム(スペイン) ティルダ・スウィントン(イギリス)
   ヨーロッパ諸国の俳優たちだ。
   大本命が受賞した男優賞とは対照的に、女優賞はサプライズだそうで・・・。
   フランス映画「エディット・ピアフ~愛の讃歌~」で、フランス人女優が、フランス語で
   伝説の歌姫を演じた、マリオン・コティヤールの主演女優賞の受賞と言うのもめずらしい。
   フランス語作品での主演女優賞も初めてになる。
   「エディット・ピアフ」の、あの鬼気迫るような、素晴らしい熱演を見たとき、彼女が、ひょっとした
   らという予感めいたものはあった。
   そして、今回の受賞で、ああやっぱりと思った。
   ここは、マリオン・コティヤールの快哉を素直に讃えたい。
   
    

 


 



「イ-ジス艦よ、何故だ?!」ー弛みきった自衛隊(続)ー

2008-02-25 21:30:00 | 寸評

イ-ジス艦衝突事故の、被害者父子は見つからない。
事故発生から、はや一週間になる。
荒天もあって、僚船による独自の捜索は打ち切られた。
関係者の表情には苦渋と焦燥がにじむ・・・。
前々回のブログ(2月22日付)で、まぐろはえ縄漁船「清徳丸」とイ-ジス艦「あたご」の事故のことを書いた。
敢えて、もう一度同じことを言いたい。

衝突事故が起きた時、漁船「清徳丸」の二人の父子を、イ-ジス艦「あたご」は、どうして救助しなかったのか。
ずっと、そのことについて、いまも疑問を持ち続けている。
イ-ジス艦「あたご」に、救命ボ-トなどの設備(装備)が揃っていない筈はない。
小型の救命ゴムボ-トも、プラスチック製のボ-トだって、有事の際のために装備されていると言われる。
それなのに、今回それらの一隻も救助に出ていない。
衝突事故を起こしたら、直ちに救助活動に入るべきではなかったのか。
何故、救助活動に入れなかったのか。
何をおいても、人命最優先ではなかったのだろうか。

真冬並みの夜明け前の海では、投げ出されたら5分で死ぬということは、船に乗る人たちの常識になっている。
しかし、“救助”が始まったのは、事故が起きてから、何と1時間41分も経過してからだと言うではないか。
一体、それまでの時間、イ-ジス艦は何をしていたのか。
300人もの乗組員がおり、艦橋には10人の見張りがいて、最新鋭の設備を誇るイ-ジス艦は、小さな漁船から放り出された父子二人の命さえ助けることも出来なかったのか。
親族の怒り、悲しみは余りある・・・。
父子が海に投げ出された時、すぐに救出に出ていれば、二人は確実に助かったのではないか。
いや、絶対に助かった筈だ。
だが、イ-ジス艦は何をしたと言うのだ。

イ-ジス艦「あたご」は、漁船「清徳丸」との衝突の危険性に、気づく機会が十分にあったにもかかわらず、衝突の回避措置を取らなかった。
しかも「あたご」は、「清徳丸」と衝突したこと自体、しばらくの間気づいていなかったのだ。

さらに驚いたことがある。
イ-ジス艦「あたご」の乗組員は、「清徳丸」に気づいてもなお、「ぶつからないだろうと思った」「こちらは大きな船だから、向こうが避けるだろうと思った」などと、とんでもないことを言っているのだ。
だから、弛(たる)みきってると言うのだ。
「あたご」の艦長ら乗組員の記者会見はないのか。どうしてないのか。

分からないことが多すぎる。
どう考えても、救助出来るはずの救助が、直ちには、なされなかったと言うことだ。
これでは、助かる命も助かるまい。
声を大にして、イ-ジス艦の艦長に聴きたい。
 「何故だ?」
艦長は、事故直前まで、別室で寝ていたと言うではないか。
それでは応えようもないか・・・。
もはや、「職務怠慢」のそしりは免れない。
言語道断である。
そして、重ねて言いたい。
防衛大臣の責任はきわめて重大だ。

・・・この事故の一報が官邸に届いた2月19日、防衛省も漁協も被害者親族も、関係者は皆情報の収集やら対策に翻弄され続けた・・・。
房総半島沖では、夜を徹して,漁師仲間による必死の救出作業が続けられていた。
一方、その夜、時の福田総理は、東京赤坂の高級料理店で、好きな高級日本酒をぐいぐいとあおり、一人前15000円もする高級中華料理に舌鼓をうちながら、終始饒舌でご機嫌であった・・・。


映画「プロヴァンスの贈り物」ー極上のワインと恋ー

2008-02-24 09:00:00 | 映画

アメリカ映画、リドリ-・スコット監督作品「プロヴァンスの贈り物」を見る。
南フランス、一般的には、ロ-マ時代の遺跡の残るアヴィニヨンとかアルル地方なども指して言うようだが、その陽光が豊かにふりそそぐプロヴァンス・・・。
思いがけない休暇から、とびきりの恋が生まれるというラブスト-り-である。
豊饒な土地からは、極上のワインが生まれるように、味わい深い小さなロマンも・・・。

イギリスのロンドンで多忙な日々を送るマックス(ラッセル・クロウ)は、亡くなった叔父ヘンリ-(アルバ-ト・フィニ-)の遺産を相続するためにプラヴァンスを訪れる。
ヘンリ-叔父さんの愛した“シャトウ”と葡萄園、ここで少年時代のマックスは、毎年ヴァカンスを過ごしていたのだった。
相続の手続きをすませて、とんぼ帰りするつもりでいたマックスは、この地でハプニングに見舞われる。
公証人役場へ急ぐ途中で、レンタカ-を運転していたマックスは、自転車に乗ったある女性を轢きそうになったが、そのことに気づかず立ち去ってしまう。
あとになって、その女性ファニ-(マリオン・コティヤ-ル)が、地元のレストランをきりもりするオ-ナ-であることが分かる。
ファニ-は、マックスが自分を轢きそうになった相手であることを覚えていた。
マックスとファニ-「事故」を通して知り合い、あれこれ言い合っているうちに、やがてお互いに心を通い合わせるようになっていく。

二人には、人生に対する価値観の違いがあったが、マックスは物怖じしないファニ-の姿にひかれ、彼女のレストランの手伝いまでして、デ-トの約束をとりつける。
約束の日、マックスは地下蔵のワインセラ-で、<コワン・ペルデュ>という伝説のワインを手土産に、ファニ-の待つ広場へ向かう。
野外レストランで、美味三昧のプロヴァンス料理に舌つづみを打ち、大人の会話に酔いしれる二人だった。
洒落た会話とジョ-クを重ねるうちに、甘美な時間が訪れて・・・。

マックスが、ロンドンに帰る日がやって来る。
・・・しかし、彼はファニ-への自分の愛に気づき、叔父ヘンリ-の想い出をたぐりよせていくうちに、プロヴァンスがもたらした幾つもの贈り物が、マックスの心を大きく変えようとしていた・・・。

明るく、コミカルなシ-ンをふんだんに取り入れて、南仏・プロヴァンスの風光が彩りを添えて、極上のワインがよく似合う、甘美な物語に仕上げられている。
物語に出てくる<コワン・ペルデュ>というワインも心にくい。
これは、「失われた片隅」と言う意味のフランス語で、二十世紀フランス文学の最高峰マルセル・プル-ストの「失われた時を求めて」に由来する極上のワインで、生産量の少ない、希少な逸品だそうである。

原作は、リドリ-・スコット監督と三十年来の友人であるピ-タ-・メイルの「南仏プロヴァンスの12か月」で、1990年に世界的なベストセラ-になったそうだ。
明るい笑いに満ち、諧謔のうちに人生の充足を求めようとする、原作者の姿を垣間見ることが出来る。
ピ-タ-・メイルは、妻と子供と犬を連れてプロヴァンスに移住し、この土地と環境に深く魅了され、数々の作品を書き上げた。
この映画「プロヴァンスの贈り物」 http://jp.franceguide.com/home.html?NodeID=1129 )に登場する村々は、どれも絵葉書のように美しい。
南フランスの美しい自然を背景に、ゆったりとした時が流れてゆく・・・。

「人は楽しむために生まれてきた。そして、未来は今日からでも変えられる」
そんな、ポジティブなメッセ-ジを、オスカ-俳優ラッセル・クロウが体現する。
ちょっぴり気の利いたつくりだ。
それに、ハリウッド資本にフランスの小粋さがほどよくミックスされている。
まあ、どうやら極上のワインが取り結ぶ、大人の恋と言うところですか。

* 追 記 *
この映画に出ていた、マリアン・コティヤ-ルが、「エディット・ピアフ~愛の讃歌~」(主演)で、このほどアカデミ-賞主演女優賞を受賞しました。ああやっぱり、と思いました。(2月25日)


「あゝ、清徳丸」ー弛みきった自衛隊ー

2008-02-22 17:00:00 | 寸評
春まだ浅く、冷たく暗い海で事故は起きた。
マグロはえ縄漁船「清徳丸」は、海上自衛隊の巨大なイ-ジス艦「あたご」と衝突、漁船は真っ二つに割れて、海に沈んだ。
「清徳丸」に乗っていた父子は、行方不明のまま、まだ見つかっていない。

 「せがれと孫を、生きて帰して下さい」
親族は、涙声で訴えた。
楽しかるべき一家の団欒は、何処へ・・・。
家族の幸せの日々は戻ってくるのだろうか。

二十年前の、潜水艦「なだしお」の事件の教訓は、生かされなかったのか。
排水量で1000倍以上、ダンプカ-と三輪車ほどの開きがある、海上自衛隊のイ-ジス艦と漁船「清徳丸」が正面からぶつかれば、全長わずか12メ-トルのプラスチック船はひとたまりもない。

「イ-ジス」とは、ギリシャ語で「万能の盾」を意味するのだそうだ。
この日本の「盾」は、漁船に乗っていた二人の生命を守ることも出来なかったのか。
目前に、巨大な「軍艦」が迫ってきた時、小船に乗っていた二人の戦慄の恐怖は、想像に余りある。
胸が痛い。

漁船「清徳丸」は、直進してくるイ-ジス艦から逃れようと、必死で回避措置をとったが、間に合わなかった。
イ-ジス艦の回避措置は、衝突の1分前だとも・・・。
この時まで、300人もの乗組員がいながら、イ-ジス艦「あたご」は何をしていたのか。
事故当時、救助措置すらとっていなかったのではないか。
建造費1400億円の、最新鋭の装備を誇る日本のイ-ジス艦が、威風堂々と、小型漁船を蹴散らすように、我が物顔で日本近海を航行している。
イ-ジス艦の乗組員は、事故発生時一体何をしていたのか。
事故だと気づかなかったという説もある。
何故だ?
官邸だの、防衛省だの緊急連絡も勿論だけれど、人命救助はどうしたのか。
何よりも、人命優先ではなかったのか。どうして、直ちに救助措置をとれなかったのか。
艦橋には10人の見張り員がいたというが、寝ぼけまなこでぼんやりしていたのか。
ちゃんと真剣に目配りをしていたのか。
何のための見張りなのか。

海上自衛隊が、目の前を通る小さな漁船すらよけることが出来ないで、そんなことで国家の防衛が出来るのだろうか。
自衛隊は弛(たる)んでいる。驕りがある。
最近、緊張感がなさ過ぎるとの批判噴出もうなずける。
これでは、日本の国防が思いやられる・・・。
防衛大臣の責任は重大である。
「清徳丸」の父子のことを思うと、何とも痛ましい。
 「寒いよ。寒いよ・・・」
・・・どこからか、本当に二人の声が聞こえてくるようだ。


「歌は世につれ、世は歌につれ・・・」ー感動秘話ー

2008-02-19 20:25:00 | 日々彷徨

 (2月20日 記事一部加筆しました)
歌は世につれ、世は歌につれ・・・。
流行歌(はやりうた)の向こうには、その時代の世相が浮かんで見える。
苦しかった時代、夢を描いて駆け抜けた時代、いつの時代にも、人と共に歌があり、そして歌が人々の心をつなぎ、時代の色を染め上げてきた。

「流行歌に見る時代と人のつながり」と題する、ノンフィクション作家、新井恵美子さんの講演を聴いた。
戦後から、高度成長期に流行った歌の数々を聴きながら、世相の移り変わりや暮らしの中の人々の思いに触れてみようと言う企画だった。

昭和20年の「りんごの唄」から、平成元年の「川の流れのように」まで、新井さんは、自身編集の懐かしい歌を折り込みながら、熱っぽく語り続けた。

流行歌は演歌とは限らない。あくまでも「はやり歌」なのだから・・・。
取り上げた歌は他にも、「夜のプラットホ-ム」「悲しき口笛」「青い山脈」「あゝモンテンルパの夜は更けて」「君の名は」「有楽町で逢いましょう」など数曲で、歌を通してそれらの時代を見つめた。

例えば、あまりにも有名な「君の名は」(織井茂子)は、NHKラジオ連続放送劇の主題歌で、ドラマは昭和27年に始まったが、毎週木曜日夜8時半の放送で、この時間になると、街中の銭湯の特に女湯は空っぽになったという。
テレビのないラジオ全盛期のことで、「君の名は」ブ-ムとなり、翌年昭和28年歌は大ヒットしたのだった。
吉田首相の「バカヤロ-解散」はこの年だったし、民放のテレビ開局もこの年ではなかったか。

「有楽町で逢いましょう」を歌ったフランク永井は、今はその生の声を聴くことはできないが、このタイトルは当時そのまま若者の合言葉になった。
三種の神器(テレビ、洗濯機、冷蔵庫)が登場した。
世の中は、神武景気で沸きかえった。

天才歌手、美空ひばりは秋元康の作詞を得て、「川の流れのように」を歌って逝った。
昭和天皇崩御、昭和の時代の終わりだった。
この年、消費税がスタ-ト、ベルリンの壁が崩壊し、米ソの冷戦終結が宣言された。

新井恵美子さんの講演のクライマックスは、何と言っても「あゝモンテンルパの夜は更けて」であった。
この歌が流行ったのは昭和27年で、講和条約が発効し、わが国最初の下着ショ-が行われ、「君の名は」のラジオ放送が始まった年であった。

渡辺はま子の歌った、「あゝモンテンルパの世は更けて」について語りながら、新井さんは時々目頭をおさえ、喉を詰まらせた。
会場でも、そこかしこから嗚咽の声がもれた。
知る人ぞ知る、モンテンルパの感動の秘話である・・・。
語れば長い話だが、ここに要約させていただく。

終戦時、フィリピンには14万人の日本人捕虜がいた。
昭和21年のフィリピン独立後も、まだ150人の戦犯容疑者が、マニラ郊外のモンテンルパ刑務所に収容されていたのである。
昭和26年1月、そのうち14人が突然処刑された。
残された戦犯たちも、希望を失い、日本のために死ぬ覚悟を決めていた。

当時、フィリピンに教誨師として派遣されていた加賀尾僧正がいて、任期を終えた彼は、日本に帰らないで、無給のままモンテンルパに留まった。
獄中の一室に住み、死刑囚の残飯を食べて生活したと言われる。
彼は、日本を出発するときに、泣いてすがった戦犯家族たちに、「この人たちを救わずして、どうして僧と言えようか」と心に決めていた。

加賀尾教誨師は、「歌だ。歌しかない。歌が、彼らを救えるかも知れない」と思い、死刑囚の元憲兵代田銀太郎に作詞を依頼した。文学好きの彼は、ノ-トもない中で、トイレットペ-パ-にヨ-ドチンキでインク代わりに詩を書いていた。作曲は元将校の伊藤正康で、彼はモンテンルパの中の教会でオルガンを独習して弾いていたと言う。

出来上がった歌を、当時従軍慰問に明け暮れていた渡辺はま子が歌い、レコ-ド化した。
それが、「あゝモンテンルパの夜は更けて」であった。
いま聞くと、いかにもやるせない、心を抉るような哀愁のメロディ-である。
この曲は、昭和27年6月空前のブ-ムを呼び、7月にはまたたくまに20万枚を越える大ヒットとなった。

   ♪ モンテンルパの夜は更けて
      つのる思いに やるせない
      遠いふるさとしのびつつ
         涙にくもる月影に
      やさしい母の夢を見る       (♪ああモンテンルパの夜は更けて♪
                  
この歌が、アルバム式のオルゴ-ルになって、時のキリノ大統領に送られた。
キリノ大統領は、自分の妻と3人の子供を日本軍に虐殺されていたのだ。
しかし・・・、大統領は、幾度もこのメロディ-に耳を傾けて聴き入ったという。
そして、そのキリノ大統領が、大英断を下したのであった。
 「日本軍人の死刑囚、無期刑囚を全員釈放する。
  死刑囚は、無期に減刑して、日本の巣鴨に送還する」
この決定の前日、日本からの戦犯釈放嘆願書が、フィリピン外務省に届けられた。
それには、何と日本人500万人分もの署名が添えられていたのである。
渡辺はま子の歌に感動した、500万人もの日本人の同胞救出の願いが、キリノ大統領とフィリピン政府を一夜にして動かしたのだった。
昭和28年7月22日午前5時半、帰国者111名を乗せた日本船白山丸は、日の丸の旗を掲げながら横浜港大桟橋に着岸した。
祖国日本、横浜の港を埋め尽くす、2万8千人もの大群衆が、歓呼の声で出迎えたのであった・・・。
無名の死刑囚二人の作った歌によって救われた、100余名の日本人同胞は、ここに、生きて再び祖国の土を踏むことが出来たのであった・・・。
これもまた、凄い話ではないか。

当時の朝日新聞は、こう報じた。
  「 モンテンルパの同胞(はらから)、生きて故国の土を踏む。
   何はなくとも“生きる”喜び 」

自分が食べていくだけで精一杯の時代、そして戦犯者の家族が後ろ指を指されていた時代に、この歌が異国に苦しむ「同胞(はらから)」への思いを目覚めさせたのである。
戦後間もない、すさんだ世の人々の心に、生きる希望と勇気を、そして大いなる感動をもたらしたのであった。
胸が熱くなる、美しい話である。
こうした話は、後世に語り継がれていって欲しいと思う。
人が、人を助ける。歌が、人を助ける。
人間、捨てたものではない。
そうだ。人間に流れている血は、みな同じなのだ。
たかが流行歌、されど流行歌・・・、まさに歌に歴史あり・・・。
流行歌(はやりうた)だからといって、おいそれとは侮れない。


     
       


 

 


訃報ー名匠市川崑監督逝くー  

2008-02-16 06:58:30 | 映画

(2月16日  一部記事を改訂、追加しました。)
冷たい、北風の吹きすさぶ寒い日でした。
あの「ビルマの竪琴」「東京オリンピック」など、多くの名作を生んだ、映画監督市川崑さんが亡くなりました。
昭和34年公開の「野火」(ロカルノ国際映画祭グランプリ)、昭和35年公開の「鍵」(カンヌ国際映画祭審査員賞)、昭和58年公開の「細雪」(アジア太平洋映画祭グランプリ)など数々の受賞に輝きました。

市川監督と言えば、いつも、くわえたばこに毛糸の帽子がトレードマークでした。
監督は、たばこを1日100本近くも吸う愛煙家だったそうですが、まだ1,2本は映画を撮りたいと、4年前から禁煙していたそうです。

東宝時代の先輩であった、故黒澤明監督に「追いつき、追い越せ」を目標に、70本以上の映画を撮りました。
作品の細部にまでこだわった演出や、映画にかける情熱は、後進たちに多大な影響を与えたと言われます。

作品は、多岐にわたっていました。
「若い人」(石坂洋次郎)、「こころ」(夏目漱石)、「炎上」(三島由紀夫・『金閣寺』)、「野火」(大岡昇平)、「鍵」(谷崎潤一郎)、「おとうと」(幸田文)、「破戒」(島崎藤村)、「古都」(川端康成)、「細雪」(谷崎潤一郎)、「ビルマの竪琴」(竹山道雄)などの文芸作品では、他の追随を許さなかった名匠でした。
個人的には、「古都」「ビルマの竪琴」などが印象に残っています。
他にも、「悪魔の手毬唄」「獄門島」「女王蜂」「病院坂の首縊りの家」「犬神家の一族」など横溝正史の作品でも多数のヒットを生みました。
これらの作品、そのどれもが、観客を存分に楽しませてくれました。

独自の映像美を追い続け、本当にいい映画を沢山撮りました。
光と影のコントラストにこだわり、カメラの絞りとライティング(照明)の組み合わせで、スクリーンに自在な色彩を作り出すなど、独特の職人技を見せてくれました。

遺作となった 「犬神家の一族」( http://www.inugamike.com/ )は、30年前に撮った作品のリメーク版でした。
でもこの作品は、同じカット割り、カメラワークで、よほどの自身がなくては出来ない名人技で、市川監督ならではの演出の<冴え>が光っていました。
(映画「犬神家の一族」は18日(月)にTBSで放映されます。)
リメイクと言えば、作家が、推敲をかさねて一度は完成をみた(?)作品を、数年後にまた書き直すようなもので、「完成」に常に満足せず、さらにその上を目指す、あくなき心意気ですね。
市川監督の「映画魂」とでも言いましょうか。

・・・ひとつの時代が、終わりました。
享年92歳でした。合掌。

 *追 記*
  テレビ各局の市川監督の追悼番組は、次の通りです。
  16日(土) BS朝日  21:00~映画「どら平太」(役所広司主演)
  17日(日) NHK教育 23:00~ドキュメント「映像美の巨匠 市川崑」(平成11年放送分再放送)
  18日(月) 
NHKBS2  21:00~映画「細雪」(岸恵子、佐久間良子、吉永小百合主演)
  18日(月) TBS    21:00~映画「犬神家の一族」(石坂浩二、松島菜々子主演)
  なお、NHKBS2では3月10日~13日に、衛星映画劇場で、映画「ビルマの竪琴」など4
  本を放送するそうです。   

 


 


犯人は誰だ?!

2008-02-12 05:30:00 | 寸評

 「日本食品は、偽造、偽装で信じられない」
 「中国食品は、毒入りよ」
 「全くどうなっているのかしら」
 「こんなことでは、安心して何も食べられなくなってしまう」
 「うちでは、子供たち、食べてしまったわ」
 「安くて、手軽だから・・・」
 「止めたほうがいいわ。命には代えられないもの」
中国毒入り餃子事件・・・、日本中が大騒ぎになった。
幼い子供が、危うく一命をとりとめた。

「メタミドホス」「ジクロルボス」・・・、何とも聞きなれない物質だ。
「メタミドホス」なる毒物の混入した餃子を食べ、体調不良を訴えた人は全国で2000人を超えたという。
そしてまた新たに、これとは別に、「ジクロルボス」が同じ商品から検出され、基準値の1000倍以上の数値であることも分かった。
毒入り餃子事件の発覚から、十日余りがたった。

農薬が検出された、中国・天洋食品製の冷凍餃子2商品の回収がはかどっていない。
同じ製造日の27,000袋余りが何と未回収だと言うではないか。
どうなっているのだろう。
回収もままならないと言うことは、すでに消費者が食べてしまったか、自分で廃棄したのだろうか。多分そうかも知れない。

有機リン系の「メタミドホス」と言う農薬は、中国では1本75円位で誰にでも手に入るし、濃度のことなど関係なく、平気で殺虫剤(或いはそれ以外にも?)として使われていると言う。
この農薬が、製造過程のどこかで、「人為的に」「故意に」何者かによって混入された疑いが強いとみられている。

これほどの大騒ぎをふまえて、民主党は、中国産加工食品の輸入禁止について検討するように、福田総理に申し入れたが、今は、中国側の捜査の成り行きを見守っているにすぎない。
日本国の指導者たちは、国民の「食」が危機に曝されているというのに、どこかいたって悠長に見えてならない。
今の自民政権は、福田総理も閣僚も、中国の顔色を窺う親中派が多い。
そのせいか、政府・与党は強行措置に踏み切れないのか。
輸入商社や食品メ-カ-への配慮だというのか。
・・・最近になって、中国は、この事件について、一部の異端分子が起した可能性も否定できないとも言っている。

中国では、農薬については、これまでも幾度も国内で話題に上ったことはあるそうだ。
大新聞は報じていないようだが、江蘇省の太倉市では、1997年頃から数年間にわたり、「メタミドホス」による中毒事故が700件近くも起きて、210人前後が死亡したことが明らかにされている。
当時、相次ぐ死亡事故で、この農薬の使用、販売が禁止された経緯がある。
これはもう、単なる殺虫剤ではない。殺人剤だ。
怖いのは、「メタミドホス」ばかりでなく、中国全土では、農薬による中毒患者だけで年間50万人、死者は毎年1万人以上にのぼるという怖ろしい調査結果もある!!
このことが事実とすると、衝撃的な数字である。
怖ろしいことだ。
・・・仰天である。濃度の強い農薬を、あまりにも野放図に使い過ぎる。

中国事情に詳しい評論家は、こんなことも言っている。
 「毎年、1万人の死者というのは、不思議でも何でもありません。私が香港に住んでいた90年代初めも、毎月のように農薬中毒による死者が出ていました」
そんな国との親密(?)な関係を維持しつつ、日本の水際作戦は効を奏さない。

先日も、新聞に、中国の冷凍枝豆を一粒食べただけで、気分が悪くなった人の話が出ていたし、輸入小麦を使った食材を口にして、喘息に似た症状を訴えた人もいる。
もっともな話である。
まあ、当たり前のことだけれど、米や野菜は有機栽培のものを選んで、調理には農薬を徹底的に洗い落とすことに気を使うことが必要だ。

中国製餃子の中毒事件を受けて、「中国製食品に不安を感じた人」は94%、そして「今後中国製食品は利用しない」という人が76%を占めることが、共同通信の世論調査で分かった。
さらに、この毒入り餃子事件に対する、日本の行政については、過半数が「全く責任を果たしていない」としている。
同感であります。

中国食品の買い控えもあってか、商社の倉庫には在庫が溢れているそうだ。
事件の捜査は、核心に迫っていると言われるが、一刻も早い解決を望みたい。
一体、誰が、何の目的で起したのか。
犯人は誰だ?
当分の間、日本人は「食」の脅威から、自らの身を守るしかないようだ。


映画「善き人のためのソナタ」ー人間の哀しさ、愛おしさー

2008-02-08 21:15:00 | 映画

誰もが自由に芸術、文化活動を行うことに、国家権力がこれを干渉する。
国家が、国民を監視する。
そんなことが、旧東ドイツで実際にあった。
その体制下での人間ドラマをこの映画で観た。

このドイツ映画は、2007年アカデミ-外国語映画賞をはじめ、ドイツ映画賞(作品賞、監督賞など7賞)を総なめした骨太の感動作である。
弱冠33歳の新人監督フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナ-スマルクは、この作品のために、歴史学者や目撃者の取材、記録文書のリサ-チに4年を費やして、人類史上最大の秘密組織と言われる“シュタ-ジ”の内幕を、驚くべき正確さで描ききった。

1984年、東西ドイツ(旧)の壁崩壊直前の東ドイツ・・・。
その壁の向こうで、何が起こっていたのか。
盗聴器から聞こえてきたのは、自由な思想、愛の言葉、そして美しいソナタであった。
それを聞いたとき、彼は生きる歓びにうち震えた・・・。

作品は、1949年から1989年にかけて、旧東ドイツ政権時代を忠実に再現する。
・・・そして、東西ベルリンの統一から17年、ようやく明らかにされた『監視国家』の、驚愕の真実を丹念に追ってゆく。
近年のドイツでも、最も重要な映画として、称賛を浴びた作品だ。

この緊迫感に満ちた物語は、国家保安省(シュタ-ジ)局員ヴィ-スラ-大尉(ウルリッヒ・ミュ-エ)が、文化部長グルビッツ(ウルリッヒ・トゥク-ル)から、劇作家ドライマン(セバスチャン・コッホ)とその恋人で同棲しているクリスタ(マルティナ・ケデック)を監視し、彼らが反体制的であるとの証拠をつかむよう命じられたことから始まる。
成功すれば、出世が待っているのだ。

ヴィ-スラ-は、ドライマンのアパ-トに盗聴器を設置し、屋根裏に陣取って、四六時中監視を続けることになった。
或る日、“シュタ-ジ”によって、あらゆる創作活動の権利を剥奪され、無力感にとらわれている演出家イエルスカがやって来て、ドライマンに「善き人のためのソナタ」という曲の楽譜を贈る。
 「この曲を本気で聴いた者は、悪人になれない」という言葉と共に・・・。
盗聴器を通して聴こえてくるのは、人間味に溢れた言葉、交わされる愛、そして、美しい天からもたらされたようなソナタ・・・。
それらに耳を傾けるうちに、ヴィ-スラ-の心の内面に変化が生じ始めるのだった。

それは、彼の予期せぬことであった。
彼らの世界に近づくことで、監視する側である自分自身が、変えられてしまうということだった。
深く愛し合っているはずの二人を引き裂き、分断させ、相互不信へ追いやってしまう。
理不尽な「権力」による支配・不支配のゆがんだ構造・・・。
それらが、やりきれないリアルさで見事に浮き上がってくる。

国家を信じ、忠実に仕えてきたヴィ-スラ-であったが、盗聴器を通して知る、自由、愛、音楽、文学に影響を受け、いつのまにか、今まで知ることのなかった新しい人生に目覚めていく。
二人の男女を通じて、あの壁の向こう側へと世界が開かれていくのだった。

「監視国家」とは、何と言う嫌な言葉だろうか。
国家が、これはと思った人間の監視を続けるのだ!!
当時、「監視国家」には、“シュタ-ジ”正規局員9万人のほかに、非公式の監視員が17万人もいて、人知れず、家族や友人のことを“シュタ-ジ”に密告していたという。
怖ろしい話である。
出演者自身が、監視された過去を持つ、東ドイツ出身の名優ウルリッヒ・ミュ-エで、変わりゆくヴィ-スラ-の哀しみと歓びを静かに語りついでいく・・・。
まさに、国家と人間の間に生じる感情が描かれる。大きなテ-マある。
人間の哀しさ、そしてまた愛おしむべきであることの実感・・・。
思想や体制の枠を超えて、人間の自由の尊さ、愛の力の素晴らしさを訴えかけてくる。
主人公に報われた価値は、真の人間性の回復そのものであったのだ。

主人公を演じるウルリッヒ・ミュ-エは、演技を学ぶまでは土木労働者として働いていたが、1983年ドイツシアタ-に加わって天才舞台俳優の評判を受け、2003年日本の篠田正浩監督の「スパイ・ゾルゲ」にも出演して、数多くの映画賞受賞の経歴を持つ性格俳優だ。
この映画では、存在感のある、個性的な苦悩する人間像を見事に演じきった。
しかし、世界的な名声を獲得した矢先、胃がんを発症し、アカデミ-賞授賞式の直後に手術を受け、旧東西ドイツ国境にほどちかいヴァルベックという街で静養していたが、自分ががんであることをマスコミに公表した翌日、54歳で急逝した。合掌。

また、「愛人・ラマン」や「イングリッシュ・ペイシェント」の音楽を手がけた、オスカ-受賞者のガブリエル・ヤレドという人が台本から参加して、美しいソナタを提供している。
プラハ交響楽団の演奏による、哀しい旋律が耳に響く。
胸が熱くなる一作である。

  *この作品の詳細はこちらへ。→「 http://www.albatros-film.com/movie/yokihito/

 
           

 

 


映画「ラスト、コ-ション」ー愛と裏切りと死のロマンー

2008-02-05 07:30:00 | 映画

これは、アメリカ、中国、台湾、香港合作による、大変によく出来た衝撃の映画である。
映画「ラスト、コ-ション」は、2007年ヴェネツィア国際映画祭グランプリ金獅子賞、撮影賞のW受賞に輝いた、アン・リ-監督の最新作だ。
アン・リ-と言えば、2005年「ブロ-クバック・マウンテン」と言う作品で、やはりこのヴェネツィア映画祭で、最高賞の金獅子賞を受賞しているので、それから2年、今回は二度目の快挙で、巨匠と呼ばれるにふさわしい、名実ともに世界のトップ監督の地位を揺るぎないものにした。
アン・リ-にとっては、前作以上に、この作品は衝撃的、かつ挑発的な「愛」の問題作となった。
ダイナミックでハ-ドな部分もあるけれど、繊細で奥行きは深い。

この作品では、主要キャストに、演技経験の少ない二人、タン・ウェイとワン・リ-ホンを起用したことは注目される。
運命のヒロイン、ワン・チアチ-を演じるタン・ウェイは、1万人の中からオ-ディションで選ばれたという。
それも、中華圏のチャン・ツィイ-、ス-・チ-ら、名だたる有力女優を退けて、アン・リ-はまったく無名の新人に白羽の矢を立てたのだから、周囲は驚いた。
しかし、タン・ウェイは巨匠の期待によく応え、体当たりの演技を披露している。
この作品のによって、タン・ウェイの評価は高まり、マスコミも絶賛した。
現在も、彼女のもとには、新作映画の出演依頼や、インタ-ナショナルブランドのイメ-ジキャラクタ-のオファ-が殺到しているということだ。
理想に身を捧げ、大胆な作戦に挑む、悲惨な覚悟と同時に強靭な意志を秘めた眼差しに、揺らぐ愛のためらいという対極の情感を、精微なまでに演じきった新星が誕生したのだ。

1942年、日本占領下の上海・・・。
日本軍の中国侵攻から逃れた女子学生ワン・チアチ-(タン・ウェイ)は、香港大学の演劇部で、クァン(ワン・リ-ホン)と出会い、抗日レジスタンス運動に加わった。
強い信念と志を持ったクァンに、憧憬と淡い思慕を寄せるなかで、演劇部の看板女優となったワンは、クァンに導かれるように、愛国思想に傾倒していく。
クァンたちは、敵対する日本の傀儡政権下の特務機関、スパイのトップ(顔役)であるイ-(トニ-・レオン)の暗殺を計画し、まずワンがイ-夫人(ジョアン・チェン)と親しくなり、イ-に接近する。
だが、イ-は上海に去った。

・・・2年後、上海にやって来たワンは、イ-夫人の麻雀仲間となり、イ-の心をつかむことに成功し、イ-の部屋を借り、ついに彼の愛を虜にする。
イ-は、ワンとの愛に溺れる・・・。
クァンたちの計画は、着々と進んでゆくのだが・・・。

イ-に近づき、危険な逢瀬を重ねるうちに、いつしかワンは虚無に匂いを漂わせるイ-に魅かれ、決して心を開こうとしないイ-もまた、純潔さと大胆さを併せ持った、ワンの不思議な魅力に埋没していった。
二人は、必然のごとく、そして死と隣り合わせの日常から逃れるように、暴力的にまで激しくお互いを求め合った。
まるで、お互いの肉体を傷つけ合っている時だけが、リアルな生を感じてでもいるように・・・。
哀しみか歓びか。愛か憎しみか。怒りか憐憫か。
言葉もなく、相手の心の奥底を確かめ、見透かすように相手を見つめる視線の演技が、寡黙で静かな火花を散らすのだ。
この時の二人の演技は実にうまい。目が演技しているのだ。
その心理描写は、観ていて、ときにぞくぞくするような戦慄を感じずにはいられない。

ワンとイ-の、スリリング極まりない危険に満ちた禁断の愛は、時代の大きなうねりの中で、運命的なラストへとなだれ込んでいく・・・。

この映画の大きな魅力は、当時の上海の街の風景、風俗の再現である。
主人公ワンは、ぴったりとしたチャイナドレスを着ているが、それにコ-トをはおり、帽子をかぶるとパリジェンヌに変身する。中身は中国だが、外側はヨ-ロッパという、当時の上海の二重性が鮮やかに映し出されている。

トニ-・レオンは、これまでのソフトな色男のイメ-ジを払拭し、新境地を開いた。
冷徹、非情な男が、死さえも恐れぬ、ひたむきな女性の無垢に触れたとき、思いがけず一筋の涙がこぼれ落ちる。
物言わぬトニ-の万感が、抑制された表情と仕種によって表現される。
胸締めつけられるシ-ンである。
そして、何といっても、挑発的なタン・ウェイとの息を呑むラブシ-ン・・・。
その赤裸々な肉体のぶつかり合いは、「ラストタンゴ・イン・パリ」を彷彿とさせる。
タン・ウェイとトニ-・レオンの演じるこの大作は、ミステリアスなサスペンスタッチで、息をつかせぬまま、一気にラストを迎えることになる。

原作は、中国現代文学の世界では、最も影響力のある作家として知られるアイリ-ン・チャンで、小説は1978年に発表された。
「ラスト、コ-ション」の主人公ワンは、第二次世界大戦期の上海に流星のように現れて消えた、美しき女スパイのテイ・プンル-をモデルに描かれたと言われる。

・・・クァンたちの襲撃計画は周到に行われたが、イ-はそれに気づいて、危機一髪危うく難を逃れる。抗日派のレジスタンスは失敗し、一味は逮捕される。
その中に、クァンらにまじって、ワンもいた。
ワンとイ-との関係を知っていたイ-の部下は、あえて逮捕までイ-には事実を伏せて、さらに彼女だけは拷問しないままで監禁していた。
しかし・・・、そのすべての事実を知って、イ-は愕然とした。
イ-が下した判断は残酷なものであった。
 「ワンを夜10時に処刑しろ」

ワンたちは、採石場の跡地のような、奥にぽっかりと口を開いた巨大な穴の淵に跪かれ、そこで最期の時を待っていた。
クァンは、自分のせいでそこにいるワンを見つめた。
ワンは、言葉もなくクァンを見つめ返した。
かつてともに演劇活動をし、抗日レジスタンス運動に明け暮れた若者たち・・・。
静かに、しかし哀しげに微笑むクァン・・・。
背後に、ライフルを構えた兵士たちが立った・・・。
・・・同じ頃、イ-は、自宅のワンが泊まっていたその部屋で、ただひとり10時の鐘を聞く・・・。

激動の時代、禁断の愛に翻弄され、その命は夜風とともにはかなく散る・・・。
アン・リ-はこう言っている。
 「この時代は、政府が裏切り者とみなされていた。歴史の穴とも言える、空っぽな時代だった。この映画は、ひとりの女性の視点による映画です」

人生への欲望、社会への制裁・・・。
 「世界を揺るがす、革命直前の、東と西の侵略の狭間に立たされた当時のディテールを、アン・リ-は、 それらの要素、景観、音にいたるまで完璧に描ききっている」
これは、あるマスコミの賞賛の言葉である。
映画評論家品田雄吉氏は、アン・リ-の演出の冴えを堪能する一篇として、「ラスト、コ-ション」に文句なしに星五つの評価を与えている。
上映時間2時間38分は、あっという間に過ぎた。
旅のあとのような、心地よい疲れを感じる秀作である。

     *この映画の詳細はこちらへ。→「http://www.wisepolicy.com/lust_caution
            ーヴェネツィア国際映画祭グランプリ金獅子賞・撮影賞(オッゼラ賞)受賞ー