徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「書くことの重さ~作家 佐藤泰志~」―ある不遇な作家の夭折―

2014-01-28 16:00:00 | 映画



 北海道函館に生まれ、同世代の村上春樹中上健次らと並び称される実力を持ちながら、文学賞には恵まれず、1990年に自らの命を絶った不遇の作家、佐藤泰志の知られざる人生を綴ったドキュメンタリー映画である。

 生前の代表作「海炭市叙景」はとても良い作品だったと思うし、熊切和嘉監督加瀬亮主演で2010年映画化もされた。
 市井の人たちを描いて、生活の息づかいを感じさせる作品であった。
 この作品さえ、構想された全36編の半分の連作にとどまり、文芸誌「すばる」(1990年4月)に掲載の「楽園」の章で未完のまま終わった。
 この小説は、複数の挿話が交錯する物語で、映画は多くの観客を魅了し、その原作者である佐藤泰志は、映画の公開によって過去の著作の復刊も相次いだといわれ、大きな注目を浴びた。






作家・佐藤泰志は、ひたすら書くことに命を削りながら、果敢に文学に挑む。
稲塚秀孝監督は、幻の作家とも言われていた彼の生き様を、再現ドラマを交えて世に問うた。
このひとりの作家の姿から、私たちは何を感じることができるだろうか。

稲塚監督は、一時は中央の文壇で活躍していた佐藤泰志に眩い憧れを抱き、若くして命を絶ったその人生に興味を持ち、この作品の製作を思い立った。
・・・それから46年後、このドキュメンタリー映画「書くことの重さ~作家 佐藤泰志~」は完成を見た。

今年150回を迎えた芥川賞、直木賞も受賞者が決まり、華々しく文壇にデビューした。
その陰で、紙一重の実力差で落選した作家も多い。
文学賞とはそんなものだ。
この作品に描かれる佐藤泰志も、5回芥川賞の候補となり、彼がのどから手が出るほど受賞したかった賞だった。
しかし、それはならなかった。
たとえそれだけの実力を備えていても、運命に泣く作家はいる。

それほど受賞は重い。

佐藤泰志は候補にあがるたびに、目立ちたくもないマスコミに毎度さらされ、その中で血を吐く思いで原稿用紙のマス目を、彼独特の四角い文字で埋めるように、小説を書き続けた。
のち、精神の不調を訴えて、3人の家族を抱えながら、自死の道を選んだ。
この映画に賛同するように、スタッフとキャストが集結し、そこには仲代達矢、加藤登紀子らも名を連ねている。
上映後の挨拶に立った稲塚監督は、この作品はかつて眩く感じたほどの作家へのオマージュだと語った。
享年41歳、若すぎる作家の死であった・・・。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点

―追 記―
芥川賞は作家憧れの文壇登竜門だが、近年その文学的資質についていろいろと異論も唱えられている。
純文学に驚くような傑作、優れた作品が少ないからだ。
それもそうだ。
優れた作品がそんなに出るものではない。
芥川賞は半年に一回ではなく、一年に一回の賞でいいのではないか。


映画「母の身終い」―尊厳死をめぐって誇りある決断をした親子の物語ー

2014-01-26 16:30:00 | 映画


 いつもと変わらぬ朝であった。
 いつもと違う母の顔であった。
 残されたわずかな時間が、静かに過ぎてゆく。
 とても、静かに・・・。

 ステファヌ・ブリゼ監督フランス映画は、どこまでも静謐である。
 病気のため尊厳死を選択した女性と、息子の絆を丁寧に綴っている。
 この作品は、フランス本国でも物議をかもした衝撃作だが、ブリゼ監督はあくまでも母親の死をモチーフにして、諍いを続けた母子が、最期の瞬間に理解し合う姿を描きたかったようだ。

 スイスの幇助自殺協会のメンバーに取材しただけに、映画の後半はリアルでラストシーンは衝撃的だ。
 もし自分だったら、どうするか。
 強く考えさせられる作品である。




48歳のトラック運転手アラン(ヴァンサン・ランドン)は、麻薬の密売で刑務所に入っていたが、服役から出所してきた。

アランは、以前から折り合いの悪い母親イヴェット(エレーヌ・ヴァンサン)のもとに身を寄せるが、二人の間には長年にわたる根深い確執があり、容易に心は解けそうにない。

年老いた母親は、脳腫瘍に侵され死期も間近い。
そんなある日、アランは家の引き出しから、イヴェットがスイスの施設と結んだ契約書を見つけた。
そこには、人生の終焉を自ら選択する文章が書かれており、母のサインがあったことにアランは慄然とする。
母イヴェットは、自分らしく最期を迎えたいと思っていたのだ。
二人の残された時間があまりにも少ない中で、アランの心は激しく揺り動かされる。
しかしついに、母の旅立つ日がやって来た・・・。

セリフもきわめて少なく、ゆっくりと静かに展開するドラマだ。
それは、あまりにも美しく、しかし過酷だ。
ブリゼ監督のストーリー運びのセンス、控え目できめ細やかなカメラワーク、そしてヴァンサン・ランドンエレーヌ・ヴァンサンの抑え気味の演技が素晴らしい。
ほかに、アランがボウリング場で出会う女性クレメンスをロマン・ポランスキー監督夫人エマニュエル・セニエが演じている点も注目だ。

このドラマの舞台となるスイスでは、厳しい条件付きながら外国人の終末期患者を受け入れており、薬物による自殺幇助が法律で認められている。
そしてその世話をするのが、この作品に登場する「NPO」で、大半は末期がんの患者だそうだ。
ヒロインは、自らの判断で自分らしい最期を選択する。
二人に残された短い時間、アランは無言で病気の母親をいたわる。
決して憎み合っているわけではない親子が、相手を傷つけてしまい、そんな二人の思いと哀しみを乗り越えることができるかどうかが描かれる。
この映画の主題は、むしろそちらにある。
互いに意地っ張りで、言い争いの絶えなかった二人だが、やがて心を通わせていく。
しかし、それは永遠の別れが訪れつつある直前のことであった・・・。

ステファヌ・ブリゼ監督は、ここではあくまでも禁欲的な姿勢で、冷静に二人の最期の日々を描いている。
尊厳死は自然死や満足死と同義とされ、積極的な方法で死期を早める安楽死とは異なる。
ヨーロッパにおける尊厳死と安楽死の実情は、欧米とももちろん日本とも大きな違いがあって、「安らかな旅立ち」とはいっても、社会通念上からも非常に大きな問題を抱えている。

ステファヌ・ブリゼ監督フランス映画「母の身終い」は、母と息子がともに過ごす最後の時間を見つめて、人生のあり方、終え方そして家族愛を問う珠玉の人間ドラマである。
日本尊厳死協会は、「生きるときは健やかに、逝くときは安らかに」・・・生きている意識が十分あるときに、自分の意思を「尊厳死の宣言」として登録管理しているところだが、現在13万人近い会員が登録されているそうだ。
・・・しかし、身終いとは何と悲しい言葉であろうか。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「ある愛へと続く旅」―時を超えて紡がれる真実の愛の記憶―

2014-01-15 08:15:00 | 映画


 ペネロペ・クルスの演技
が光る一作だ。
 この作品で、ペネロペと二度目のタッグを組んだ、セルジオ・カステリット監督の演出もまた素晴らしい。
 本編の日本語タイトルはいただけないが、内容は折り紙つきで、監督の妻であるマルガレート・マッツァンティーニによる小説が原作で、世界35カ国で翻訳された。

 まだ記憶に新しいヨーロッパを背景に、男と女の普遍的な愛、母性や父性といった、人間の根源的な愛の深さを緻密に描写している。
 そこには、むき出しの愛もあれば、怒りと悲しみも熱い。
 しかも、この物語で起きていることは、心を震わせるようなドキュメンタリーの要素を多く詰め込んでいて、登場人物たちの心理描写が精緻だ。
 素直に感情移入できる。
 胸にしみるラストシーンに、魂までが浄化されそうで、大きな感動を抑えることができない。
 どうも邦題に憎らしいほど(!?)中身が伴わず、このタイトルでは秀作も台無しなのが、残念でならない。

イタリア・ローマに暮らすジェンマ(ペネロペ・クルス)のもとに、以前青春時代を過ごしたサラエボに住む旧い友人ゴイコ(アドナン・ハスコヴィッチ)から、電話がかかってきた。
ジェンマは、16歳になる息子ピエトロ(ピエトロ・カステリット)との、難しい関係を修復するためにも、彼を伴って自らの過去を訪ねる旅に出ることを決意する・・・。

・・・サラエボで、出会った瞬間に恋に落ちた若き日のジェンマと、アメリカ人写真家ディエゴ(エミール・ハーシュは、幸せな結婚をした。
仲睦まじい二人だったが、子供を熱望するが願いはかなわず、1992年のサラエボ包囲の最中に、代理母候補としてムスリム系の女性アスカ(サーデット・アクソイ)を見出し、子供を授かった。
ほどなくして、ジェンマと生後間もないピエトロは戦禍の街を逃れたが、父親であるディエゴはひとりその地に残り、後に命を落としていたのだった。

・・・ジェンマは長い月日を経て、もう一度過去の記憶をたどるうちに、恐るべき衝撃の事実が次々と分かってくる。
すべては、勃発した激しい内戦が、ジェンマとディエゴの人生を変えてしまったのであった。
そうして、立ちはだかる思いがけないディエゴとの真実と、癒されることのない重い傷を負って、とてつもなく大きく深い愛と赦しを求めるジェンマの旅の終わりは・・・。

華々しい活躍を見せる、スペインを代表する世界の女優の名をほしいままに、ペネロペ・クルスが、本作では初々しい学生時代から高校生の息子と向き合う母親まで、女性としての長い年月をリアルに体現した。
そこには、恋する女性の笑顔、愛する人を失った悲しみ、残酷過ぎる現実に向き合い、もう一度深い愛を知った時の涙が、観る者を驚嘆させる。

イタリア、ボスニア、クロアチアと舞台は変わりつつも、不倫や代理母の問題を主としてサラエボの地を舞台に描いている。
ここでは、サラエボ冬季オリンピックがあった時代、戦闘とサラエボ包囲があった90年代、そしてジェンマが旅に出る時代という、三つの歴史的時代が再構築されている。
物語は、英語、ボスニア語、イタリア語が絡み合い、あっと驚くどんでん返しが続く中、見事な感動作に仕上がっている。
いやあ、ひえ~っと本当に驚きの最終場面なのだ。
これだから、ドラマなのだ。
難しいドラマを、練りに練られた脚本が秀逸な作品に押し上げている。
この脚本の作成作業は、さぞかし難しかっただろうと思われる。
物語のキーとなるディエゴの息子ピエトロ役は、カステリット監督の実の息子である。

様々な国のキャストが、文化や人種や原語の違いを乗り越えて、よい作品を作りあげた。
登場人物のひとりひとりが魅力的で、ドラマティックなラブストーリーではあるが、ドラマの演出方法、表現方法、場面転換の妙、過去と現在の交錯、人物描写、心理描写にまで細やかな配慮が行き届いており、2時間余りでまとめた力作として高く評価したい。

セルジオ・カステリット監督の、このイタリア・スペイン合作映画「ある愛へと続く旅」(原題/VENUTO AL MONDO)は悲劇的なドラマではある。
でも、その最終章にわずかな祈りに似た希望と赦しがある。
それが救いであり、感動的だ。
つまり、愛と赦しの物語なのである。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「ハンナ・アーレント」―人間は考える葦である―

2014-01-12 23:00:00 | 映画


 ナチス戦犯アドルフ・アイヒマンの、歴史的裁判レポートの真実に迫ろうとするドラマである。
 誰からも敬愛される高名な哲学者が、激しいパッシングを受ける。
 彼女ハンナ・アーレントは、第二次世界大戦中にナチス強制収容所から脱出し、アメリカへ亡命したドイツ系ユダヤ人だ。

 これは、不屈の精神で逆境に立ち向かい、悪とは何かを問い続けたアーレントの実話だ。
 女性監督マルガレーテ・フォン・トロッタは、10年かけて本作を完成させた。
今 なお論争を呼ぶ、アーレントの思想の本質に迫り、若き日の許されざる恋愛、夫への愛、ひとりの人間として女性として生きたアーレントの強さを見事に描き切った。
 アイヒマン裁判のシーンは、実際の記録映像だし、観客はいやがうえにもアーレントとともに「悪」と対峙するという体験を味わうこととなる。




社会民主主義者のユダヤ人家庭で育ったハンナ・アーレント(バルバラ・スコヴァ)は、やがて実存哲学のハイデッガーに師事し、学生と教授という姉弟の関係を超えた恋を経験する。

その後、アドルフ・アイヒマンが逃亡先のアルゼンチンで逮捕され、1960年、アーレントは裁判の傍聴を希望、ザ・ニューヨーカー誌にレポートを書くことを提案する。
裁判によって、アイヒマンが想像していた“凶悪な怪物”ではなく、“平凡な人間”あることにアーレントは思い至り、彼は命令に従っただけで反ユダヤではないと主張すると、世間の熾烈なパッシングを受けるようになる・・・。

それは、誰もが、アイヒマンの極悪非道を断罪するかと思って手にした雑誌が、実は凶悪犯としてではなく平凡な人間が陥ったとするレポートだったからだ。
だからといって、彼女は決してアイヒマンを許したわけではなく、誰もが彼のようになりうると説いたものだから、アーレント非難の風が吹き荒れた。

まるで世界を敵にまわしたかのような騒ぎとなり、アーレントは教鞭をとっていた大学からも辞職を勧告され、友人たちは呪詛の言葉を吐いて次々と去っていった。
アーレントは、学生たちへの講義というかたちで初めて反論を決意する。
ここに、彼女のすべての答えが凝縮され、アーレントの全存在をかけたスピーチが始まる。
そう、力強い、迫真の8分間のスピーチが・・・。

映画は、ユダヤ人女性哲学者で、ハイデッガーの愛人だったハンナ・アーレントの実際にあった筆禍事件の真相を綴る。
ハンナ・アーレントという女性の、凄みを見せつけて飽きない作品だ。
世間の非難がどうあろうとも、最後まで毅然とした態度を失わず、自らにあくまでも忠実であろうとするアーレントの今日的な問いかけは、凛として揺るぎないものがあって、感動的である。

アーレントを演じるバルバラ・スコヴァのふてぶてしいまでの演説は圧巻だ。
マルガレーテ・フォン・トロッタ監督は、ハイデッガーとの不倫などは回想部分でわずかに示すだけで、ドラマ全体を筆禍事件一本に的を絞った。
そのことが、この作品を成功に導いている。
アーレントを核心的に描くことで、作品を重厚にしかし爽快なものに仕上げていった。
したがって、これは単なる偉人伝ではない。

アーレントによるアイヒマン擁護(?!)だなどと、轟々たる避難を受けても、最後は愛する夫ブリュッヒャー(アクセル・ミルベルクと親友メアリー(ジャネット・マクティア)だけは、アーレントのよき理解者であった。
考えれば考えるほど、唸ってしまいそうな重いテーマを扱っている。
しかも、ヒロインは哲学者だ。
ドラマは凛然としてひるむことなく、すべてはラスト8分間に凝縮される。
理屈っぽいといったって、間違いなく人間は考えることで強くなる。

それにしても、禁煙中のスコヴァが煙草をスパスパ吹かすシーンの何と多かったことか。
そして、ドイツ人女優の英語力もなかなかだし、何にもまして政治理論家の思想をこうした形で映像化するには、かなりの困難が伴ったであろうことも容易に推察できる。
映画全体が、ドラマというよりはニュース・ルポルタージュの印象もあって、そこがまた素晴らしい。
事実、ドラマとして製作されたドイツ・フランス・ルクセンブルグ合作、マルガレーテ・フォン・トロッタ監督「ハンナ・アーレント」は、きわめて硬質な‘ドラマ’であり、それも野心的で、熱情溢れる理知的な作品だ。
映画は、悪の概念の考察や、ユダヤ人社会の複雑さにも踏み込んで、多様な視点から見つめた稀有な一作といえる。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「天国の門」―怒りと悲しみと愛と喜びのうねりの彼方に―

2014-01-08 21:00:00 | 映画


 壮大な風景と数多くの人々と動物たちの、そのざわめき、叫び、哀しみの渦が広がって・・・。
 やがて、美しくも儚い夢の終わりが訪れようとは・・・。
 1980年代初頭、「ディアハンター」(78年)アカデミー賞5部門受賞し、アメリカ映画の担い手として期待されたマイケル・チミノ監督による、デジタル修復完全版だ。

 予算と撮影期間の大幅な超過で、当時のレート約80億円という製作費を投じられた作品だったが、一般公開では商業ベースに乗れず、ハリウッドの老舗スタジオを消滅させることになった、いわくつきの大作である。
 それはまた、未来に解き放たれた映画の鼓動のように、再生された30年前の映画史上もっとも呪われた問題作といわれる。
 だが、アメリカがアメリカになるために何をしたか、合衆国西部開拓時代の最大の悲劇のひとつが、実際にあった史実をもとに、抑圧された歴史と翻弄される男女の痛みを描き切った三時間半に価値がある。





19世紀末、アメリカ・ワイオミング州ジョンソン郡・・・。

増え続けるロシア・東欧系の移民たちを疎ましく思う牧場主らは、彼らの粛清を始める。
その処刑リストには、保安官エイヴリル(クリス・クリストファーソン)と恋人エラ(イサベル・ユぺール)の名も連なっていた。

娼館の女主人でもあったエラを救い、牧場主の雇われガンマンのネイサン(クリストファー・ウォーケン)との三角関係にもケリをつけたいエイヴリルと、自分の居場所に執着し愛の形を貫こうとするエラの想いは、すれ違う。
・・・そして、自分たちの名前が処刑リストに載っていることを知った、移民たちの間にも大きな動揺が走る。
そんな中で、移民を粛清するために郡に雇われた傭兵たちが刻々と彼らのもとへと近づいており、事態はいよいよ最悪の局面を迎えようとしていた・・・。

映画は、ジョンソン郡戦争と呼ばれるこの熾烈な戦いをテーマに、愛と友情、哀しみを余すところなく描いている。
巨額の製作費が製作会社を破綻に追い込んだが、問題作2012年版には観るべきもの多く、大変貴重な作品だ。
映画の導入部は、ハーバード大学の卒業式のシーンから始まり、前半かったるい部分もあるが、後半は一気にテンポが上がり、とりわけ人馬一体の戦いは本編の圧巻であろう。

サイレント映画を意識したかのような画面作りかとも思われるが、登場人物たちのキャラクターもかなり複雑だ。
結構、わかり難い部分もある。
上映時間の3時間半超は、決して長くは思わせない。
だが、テンポの速い場面転換には、ちょっとついてゆけないほどの戸惑いも感じる・・・。
一見の価値は十分あるも、悪く言うと作りとまとめかたがやや粗雑(?)で、製作者側の息切れもなしとは言えない。

このドラマのヒロイン、エラ・ワトソンはエイヴリルと恋人のような関係にあるのだが、一方で自分に思いを寄せるネイサンからもプロポーズされる。
エラを演じるイサベル・ユペールは、おやっと思ったら「愛、アムール」「三人のアンヌ」にも登場していた、あのフランス女優だった。
実際、彼女は地元の娼館の女主人を務めていて、乗馬と拳銃を器用にこなす女性だったらしく、売春の代価として牧場主協会から盗まれた牛を受け取っていたともうわさされ、エイヴリルとともに縛り首にされたそうだが、そのシーンはない。

初公開から30年以上の時を経て、監督自らの監修のもとで、鮮やかに蘇った一作である。
当然、マイケル・チミノ監督アメリカ映画「天国の門」は、現代の話ではないので時代に古さを感じさせはするが、画面は修復版とはいえ、その圧倒的な映像美はまだまだ健在だ。
アメリカ近代史に、こんな悲劇もあったのかと・・・。
       [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点