徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

ーあな恐ろしき、「かわいがり」ー

2007-09-30 19:30:01 | 寸評

ようやく秋色が濃くなってきて、北の国からは、紅葉を通り越して、早くも雪の便りが届く頃となった。
・・・この日本の四季の移ろいだけが、美しい。
しかし、毎日毎日、目を覆いたくなるようなよくない事ばかり、次から次へと起きている。

 「おい、たんとかわいがってやれ」
 「へい、たんとかわいがってやりやした」
 「そうか。誰にも喋るんじゃねえぞ」
 「へい、わかりやした」
 「喋ったら、お前たちも、かわいがってやる」
 「ひ、ひぇ~!」
 「いいな、分かったな」
 「へい、親方」
 「よし!」
・・・どうも、こんな風な会話が、親方と弟子の間で交わされたらしい。
名門相撲部屋での話しである。
 「かわいがる」とは、言わずもがな、「リンチ」である。
この言葉、とんでもない使われ方をしている。流行語にまでなりそうだ。

一人の若者が、まだこれからというときに、希望を夢見ていた未来を絶たれた・・・。
新しい世界で、その第一歩を踏み出したばかりであった。
朝青龍の一件といい、今回のリンチ事件といい、日本の相撲界はどうなっているのだろう。
それも、今回、どうやら壮絶なリンチが行われたらしい。本当に驚愕の事件である。
親方、そこまでやりますか。

伝えられる報道によれば、「かわいがり」と称して、弟子たちを殴る、打つ、蹴るなどということは、どうも当たり前のように、恒常的に行われているというのだ。勿論、全部の相撲部屋がそうだとは思わない。一部で行われているのだろうと思いたい。あってはならないことだ。
元力士は、はっきり証言している。
 「稽古は、ときには、相手を殺すつもりでやります。そんなこと、当たり前です」
稽古は勿論のこと、言葉使い、動作、日常生活などの細かいところまで、とにかく気にいらないと、師匠(親方)や兄弟子から「暴行」を受けることがあるのだという。
竹竿、棒切れから始まって、ビール瓶、中華鍋、金属バットとエスカレートするらしい。
あまりの痛さに「痛い!」と言うことも許されないのだそうだ。言えば、さらに「リンチ」はエスカレートする。
とにかく、徹底的に、とことん「かわいがられる」のである。
親方は、部屋では絶対権力者なのだろう。

中華鍋の場合は、鍋がへこむほど、しかも相手の頭を殴打するという。
いやぁ、たまったものではない。まったく、怖ろしいことだ。
 「かわいがり」にも、本来は、本人の耐えられる限界まで、ただし、頭部、胸部、腹部、股間などを打ってはいけないという不文律があるのだそうだ。
それでも、顎の骨やあばら骨の折れるなどは日常茶飯事だという。

人は誰でも、「可愛がられたい」と思う。そして、人は「可愛がってあげる」のではないか・・・。
日本の伝統国技たる相撲の世界で、信頼すべき親方(?)と愛弟子(?)との間で、やくざのような、理不尽な「リンチ」(虐待)が、まかり通っているとは・・・!
美しい師弟愛(?)なんて、いまどき幻なのか。

日本相撲協会とか、相撲部屋とか、「親方」って、一体何なのだろうか。
品格も品性もない、そんな親方が、このところマスコミを賑わせているようだ。
話をするときに、ろくに人の顔を見ようとしない。
そして、話と言えば、後ですぐに分かる嘘ばかりだ。一体、どうなっているのだろう。
文部科学省は、知っているのだろうか。この役所は、実体をどう見ているのだろうか。

大相撲秋場所で、横綱として初優勝した白鵬が、帰国していたモンゴルから日本に戻り、このいわゆる「かわいがり」の一件について触れ、初めて口を開いた。
白鵬は、自らも三段目、幕下時代に先輩力士からいわゆる「かわいがり」を受けた経験を明かし、横綱としての立場から意見したもので、
 「あの時は、本当にきつかった。最後は心臓がついていかなかった。いま、“かわいがり”をしたら、み
  んな逃げちゃう。よくないことだよ」と、当時を振り返っていたそうだ・・・。

十七歳の、夢と希望に燃えていた若者が、たとえどのような事情があったにせよ、誰の付き添いもなく、家族のもとに無言の帰宅をした。
まるで、宅配便のように届けられた我が子を迎えて、父と母の想いはいかばかりだったろう・・・。
嗚呼・・・!
それを思うと、言葉もない。目頭が熱くなって来た。
ただただ、無念の思いで、深い悲しみだけが広がってくる・・・。合掌。

いまのところ、この事件は、重大な刑事事件の疑いがもたれている。
詳細は、捜査の成り行きを見ないと軽々とは論じられない。
「国技」が、「国技」でなくなるかも知れない・・・!?
当分、相撲など見る気がしなくなった。不快感がこみあげてきて、嘔吐をもよおしそうだ。



映画「ドレスデン、運命の日」ー一夜で崩壊した美しい街ー

2007-09-26 08:00:00 | 日々彷徨

美しいその街は、一夜で崩壊した。
第二次世界大戦の末期に、連合軍による攻撃で壊滅的な被害を受けた街・ドレスデン・・・。
ドイツ東部のエルベ川畔、文化と芸術の香り高い街で、ドイツ国民の悪夢が現実となった。
戦後60年たって、この衝撃の史実を本格的に映画化した初めての作品となった。

監督ローランド・ズゾ・リヒター、主演フェリシタス・ヴォールのドイツ映画を鑑賞した。
リヒターは、ベルリンの壁にまつわる史実を描いた「トンネル」のヒットで知られる。
彼は、ドイツ、イギリス両方の視点から、この悲劇を描いた。
「ドレスデン、運命の日」、その日は、1945年2月13日。
空爆による、たった一夜の大空襲で、この美しい街は、完全に崩壊し、廃墟と灰燼に帰してしまった。

そこには、多くの善良な市民の幸福な暮らしがあった。
しかし、エルベ川のフィレンツェと讃えられる、このドレスデンの街に激しい戦線が近づいていた・・・。

病院の医師アレキサンダー(ベンヤミン・サドラー)と婚約者のいる看護士アンナ(フェリシタス・ヴォール)は、病院に隠れていた兵士ロバート(ジョン・ライト)を見つけた。
アンナは、ロバートを看病するうちに、彼にひかれてゆく。
しかし、ロバートという兵士は、ドイツ軍に追撃されて負傷した英国兵であった。

或る夜、イギリス軍による無差別大空襲が始まり、ドレスデンの街は、一晩中激しい爆音と炎に包まれていた。街は、跡形もない壊滅的な被害を受ける。
予期せぬ空襲によって、突然崩れ去った人々の平穏な幸福、そして、魂の導かれるままに戦火の中に燃える恋・・・。それは、もう誰にも止められなっかった。
敵対関係にあるドイツとイギリス、婚約者アレキサンダーと、かくまい続けるイギリス兵士との間で揺れる、ドイツ人看護士アンナ・・・。
・・・戦火の街で、引き裂かれた平和な家族や恋人たち・・・。

敵国の兵士をかくまったり、負傷兵を助けることなど、重大な罪で即銃殺刑である。
だからと言って、人は、重傷を負った敵を簡単に見殺しに出来るだろうか・・・。
この映画は中立的な視点で描かれていて、敵国軍兵との禁断の愛に秘められた“和解”と“反戦”という大きなメッセージが、その背景にある。

ドイツ映画としては、破格の規模の大作となった。
この作品のひとつの核は、“反戦”を象徴するドレスデンのあの聖母教会である。
この教会も空爆で崩壊するが、映画としては、その絶望的なエンディングをさけて、この後再建された、
聖母教会のドキュメンタリー映像をエピローグに盛り込んでいる。
この教会、ドレスデン空襲で倒壊後、長い間そのままの姿となっていたが、1994年から瓦礫を可能な限り元の場所に戻すという大変な作業のもと、再建が進められた。
それは、“世界最大のパズル”と呼ばれたそうだ。

アンナ、ロバート、アレキサンダーの、三人の敵国同士の男女の織り成すラヴ・ストーリーは、単なるラヴ
・ストーリーではなく、“反戦”のメッセージを強く訴え続けている。

この映画を見て、ドイツ・ドレスデンの空爆の激しさには衝撃を覚えながら、東京大空襲の夜をまざまざと思い出さずにはいられなかった。
ドレスデンは、爆風の嵐の中で街が破壊された。
首都東京は、この同じ年1945年3月からの連日の大空襲で、焦土と化したのだった。
まだ非常に幼かった私は、夜中だと言うのに、東京の空全体が、血の色のように真赤だったことを、今でもありありと思い出すことが出来る。見たことのない光景が広がっていた。怖ろしい光景であった。
生涯二度と見ることはないだろう、見たくない光景であった。
夜が明けた東京は、見渡す限り焼け野原で、目をさえぎるものは何もなく、ただひとつぽつんと、今では懐かしい、あの円筒形の赤い郵便ポストだけが残っていた・・・。(いまは、まず見ることはありませんね)

映画の後半のほとんどを占めるのは、、空爆に襲われ、炎の海と化した街の、長いクライマックスシーンで、人々が逃げ惑い、倒れ、焼かれ、跳ばされ・・・、そこには、戦争の凄まじい、あまりにもむごい現実があった。
映画の中の俳優たちは、演じているというより、肉体の限界ぎりぎりの危険な状況下で、自然に反応しているといってもよかった。
息詰まるような、迫力のある、スリリングな展開が続く。
これはもう、手に汗握る、緊張感の連続だ。
勿論、ナチスによって行われた、恐怖の政治の残虐さやアウシュビッツの脅威についても、作品の随所で語られている。
まさに、ドイツの歴史の中の一頁を、削り取って見ているようでもある。

主人公三人の織り成す物語は、「カサブランカ」「パールハーバー」などで描かれてきた、戦争と言う時代の波に翻弄される恋人たちを彷彿とさせ、英国軍兵士ロバートと主人公アンナの関係には、この映画の重要なテーマである“和解”のメッセージが込められている。

映像は、美しいドレスデンの街の、戦禍を受ける前のたたずまいと、見る影もなく痛ましい廃墟と化した姿を、記録映画もふんだんに交えながら描き出している。
リヒター監督の言うように、確かに、戦争から学べることは何ひとつとしてない。
戦争から、もし、人間が学べることがあるとすれば、それはただひとつ・・・。
いかに、戦争が無意味であるかということだけだ。
それだけは、はっきりしている。
今も、この世界のどこかで、大義のない、意味のない戦争が起きている。












自民党総裁選挙

2007-09-22 15:30:00 | 寸評

大変悲しいことでした。非常に残念なことでした・・・。
或る、民主主義国家の宰相ともある方が、こともあろうに「敵前逃亡者」となって、突然姿を消したと思いましたら、とある有名な大学病院に緊急入院なさっていました。
何と言うことでしょうか。
国民には、国家の最高責任者の職を、「ぼく、もうやーめた」とだけ言い残して、何のご挨拶も謝罪の言葉さえもなく・・・、ですって。それはもう世界中がびっくりです。
・・・ご本人はいま、新聞、テレビもご覧になれぬほど、ご容態もよろしくないということで、一日も早い、ご快癒をお祈り申しあげます。

しかし・・・。
主なき国会は、国会会期中というのに空転を続けています。
一日で、およそ三億円の冗費(無駄使い)とは・・・!
この政治空白・・・、もう幾日になりますか。
掛け算すれば、途方もない数字になってしまいますよね。
かくて、国民の血税があっという間に消えてゆくのです。・・・嗚呼!
自民党は、一日も早く、新総裁を選んで、首相の指名選挙を行わないといけません。
この総裁選は、自民党のあの幹事長と、あの元官房長官の一騎打ちの様相です。
もう、勝負はついているのかも・・・。

いつも感心するのですが、21日の大新聞の夕刊にこんな記事が掲載されていました。
多くの人々の目に触れたと思いますが、目にとまらなかった方のために、ここに引用させて頂きます。
                                    (引用は特に個人的他意はありません)

     ー『日本植物図鑑』 自民党編ー
 ●シンゾウハナミズキ
  「美しい花」が売り物だったが、実はひ弱で、花も咲かず、実も結ばず。
 ●ジットフクマチグサ
  絶滅危惧視されていたのが、あっという間にはびこり、23日にも開花か。
 ●キャラダチタロウアサ
  生まれはいいが育ちが悪いという麻の変種。大輪のはずが逆風に遭う。
           ×     ×
 似たもの同士の安倍首相と横綱朝青龍。
 見物にまともなご挨拶もなく、逃げるように消えました。
                                  (以上朝日新聞より) 

よくもまあ、今メディアの渦中におられる、御三方の姿を鋭く言い得て、妙なりですね。
読んで、おもわずふきだしてしまいました。
外国語に訳すのは、ちょっと難しそうですね。(そうでもないか?) ま、どうでもいいことですけど・・・。
日曜日には、新総裁がきまります。
どちらのお方が新総裁になられても、衆参両院のねじれ国会は、波乱含みとなりそうです。     




「秋刀魚の歌」ー秋風よ、情(こころ)あらば伝えてよー

2007-09-21 04:22:47 | 日々彷徨

            秋きぬと目にはさやかに見えねども
                   風の音にぞおどろかれぬる (藤 原 敏 行)
 
 秋風とともに、秋刀魚の美味しい季節になった。
秋刀魚は、塩焼きも勿論いいけれど、脂の乗った刺身もこたえられない。
その秋刀魚と言えば、佐藤春夫の「秋刀魚の歌」である。
そして、「秋刀魚の歌」と言えば、これは旧聞で、あまりにも人口に膾炙されている話だが、詩人佐藤春夫と作家谷崎潤一郎の、あの「小田原事件」から、谷崎の「妻譲渡事件」へとつながる事実の中で、悲恋に苦悩する孤独な男の愁嘆を自嘲的に詠じたものである。

 この頃(大正8年)、女好きで、引越し好きと言われた谷崎潤一郎は、東京文京区から引っ越して、小田原市十字町(現在の南町)に住んでいた。潤一郎には、29歳の時に結婚した、当時のあるべき女性像として非の打ち所のない、美貌で貞淑の誉れ高い千代夫人がいた。
周囲から、女の鑑、世の女性の理想像とまで言われていた。
しかし、夫婦仲は冷え切っていた。
千代夫人は、一人悩んでいた。
 「・・・私の、一体どこがいけないのかしら?」
潤一郎と千代の間には、長女鮎子がいた。
佐藤春夫と谷崎潤一郎の交際が始まったのは、この頃のことだ。
ただでさえ女性遍歴の絶えなかった潤一郎は、何と千代の実の妹で、自由奔放な性格のせい子の方に恋焦がれ、本気で結婚を望んでいたのだった。
せい子は、谷崎の作品「痴人の愛」のヒロインのモデルと言われている。
潤一郎は、あまりにも完璧に近い千代の性格に合わなかったらしい。このことは、「痴人の愛」とか、晩年の作品「瘋癲老人日記」などを読むと、なるほどと思わせるものがある。
どうも、彼は、一般常識では考えられない、或る意味ではひどく破天荒で、異常なまでのな女性崇拝主義だったようだ。そのことが、始めての結婚生活で早くも破綻の兆しを見せていたと言える。

 千代夫人は潤一郎とせい子のことでも非常に悩んでいて、佐藤春夫に何かと相談を持ちかけていた。悩みを打ち明けられた、春夫の千代への同情は、いつしか情熱的な恋へと変わっていった。
春夫も、三年越しで付き合ってきた妻香代子と別れたばかりであった・・・。
谷崎潤一郎は小説の他に映画の仕事にも手を出し、交際も広く、小田原の家を空けることが多かった。
その留守中に、佐藤春夫は谷崎の家に上がりこんだ。
 その時の、潤一郎のいない谷崎家での食卓に秋刀魚がのぼった。
この食卓に同席したのは、春夫、千代、まだ幼い千代の娘の三人であった。
「秋刀魚の歌」は、この時の春夫の心情を吐露したものだ。少し長くなるけれど、引用させていただく。

     
     秋刀魚の歌
 
 
あはれ
 秋風よ
 情(こころ)あらば伝えてよ
 ー 男ありて
 今日の夕餉に ひとり
 さんまを食ひて
 思いにふける と。

 さんま、さんま、
 そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて
 さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
 そのならひをあやしみなつかしみて女は
 いくたびか青き蜜柑をもぎ来て夕餉にむかひけむ。
 あはれ、人に捨てられんとする人妻と
 妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
 愛うすき父を持ちし女の児は
 小さき箸をあやつりなやみつつ
 父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。

 あはれ
 秋風よ
 汝(なれ)こそは見つらめ
 世のつねならぬかの団欒(まどい)を。
 いかに
 秋風よ
 いとせめて
 証(あかし)せよ かの一ときの団欒ゆめに非ずと。

 あはれ
 秋風よ
 情(こころ)あらば伝えてよ、
 夫を失はざりし妻と
 父を失はざりし幼児とに伝えてよ
 ー 男ありて
 今日の夕餉に ひとり
 さんまを食ひて、
 涙をながす、と。

 さんま、さんま、
 さんま苦いか塩っぱいか。
 そが上に熱き涙をしたたらせて
 さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
 あはれ
 げにそは問はまほしくをかし。
                     ( 佐 藤 春 夫 )


 この「秋刀魚の歌」を発表したとき、佐藤春夫29歳、谷崎千代24歳であった。
詩を読み解くと分かるが、人妻に対する報われない愛に、執着を断ち切りえない自分自身をあわれみ嗤う・・・、そこにこの詩人の本質と宿命とが見え隠れする。
「人に捨てられんとする人妻」「夫を失はざりし妻」は谷崎千代であり、「妻にそむかれたる男」「父ならぬ男」は、結婚していた妻香代子と離婚したばかりの佐藤春夫である。
そして、「愛うすき父を持ちし女の児」は、潤一郎と千代夫人の間の長女鮎子を指している。

 潤一郎は、妻千代にあきたらず、千代の妹せい子といい仲になっていて、二人でよく出かけたりした。
そんな時の千代の姿を見るにつけ、春夫はいたたまれない気持ちであった。
春夫は、千代に対して夫潤一郎以上のやさしさを見せた。千代は千代で、春夫に引かれていくものを感じていたし、逆に夫には、自分に対して思いやりのかけらもないのかと不満であった。
 春夫と千代の関係に気づいていた谷崎潤一郎は、或るとき佐藤春夫に言った。
 「千代を、お前にくれてやるから、もらってくれ」
 「いいのか」
 「ああ、いいんだ」
 「本当にいいのか」
 「いいと言ったら、いいんだ。千代もその気になっているらしい。俺は、かまわん」
 「そうか。本当にいいのか」
 「いいんだ。男の約束だ」
 しかし、「約束」の具体的なこととなると、潤一郎はあまり話そうとはしなかった。
 そして・・・。

 二人は固い約束を交わした筈だったが、それ以上の進展もなく、数日が過ぎた。谷崎の気まぐれで、約束が履行されることはなかった。
潤一郎は、望んでいた義妹せい子との結婚がままならず、千代を手放すのが急に惜しくなった。
 「佐藤よ、悪いがこの話はなかったことにしてくれ」
とうとうこんなことを言い出した潤一郎に、春夫は烈火のごとく怒った。
 「何だと!男の約束ではないのか。貴様、卑怯だぞ!」
 「まあ、何と言われても仕方がない。気が変わったんだ。白紙に戻してくれ。頼む」
 「ふざけるな、潤一郎!自分から約束をしておいて、いまさら何だ。お前とは、今日から絶交だ!」
 「結構だ。どうでも勝手にするがいい!」
佐藤春夫と谷崎潤一郎は、ほとんど毎日のようにお互いに言葉を交し合う仲だったが、この谷崎の一方的な約束破棄がもとで、二人は絶交してしまった。
・・・交際を絶った春夫は神経症となって、郷里へ引き込んでしまった。
そのとき、「小田原」を思い出して書き綴ったのが、この「秋刀魚の歌」である。
春夫は、新たな別の女性と結婚するが、やがて、この二人も別れることになる。
彼は、千代への熱い想いを忘れることが出来ず、いつまでも大切にしていた。
潤一郎も、一時は人生のやり直しを決意し、ことのほか千代を大事にするような側面を見せるのだが、結局のところ、千代との仲も長くは続かなかった。
そして、である・・・。
この話には後日譚があって、とんだどんでん返しが待っていたのだ。

 時は流れて昭和5年、潤一郎は44歳で千代夫人と正式に離婚した。というのも、彼は次なる妻となるべき古川丁未子という女性と婚約したからだ。丁未子は文芸春秋社の文芸記者だったが、またしても、この二人の同棲生活は2年と続かなかった。二人は別居した。
それは、女性の美のあくなき追求者、谷崎潤一郎がまた別のあこがれの女性根津松子と知り合って、そちらに気持が傾いていったからである。後に、この二人の関係は熱烈な恋愛関係にまで発展した。
この頃、谷崎は「春琴抄」を発表した。

・・・男と男が絶交してから5年後、佐藤春夫と谷崎潤一郎は和解した。
春夫や潤一郎の強い説得で、千代の気持も春夫に傾いていった。
二人が再会した時、潤一郎ははっきりと言った。
 「あの時はすまなかったな」
 「何言ってるんだ、いまさら・・・!」
 「すまなかった。悪かった。千代のこと、いまどう思ってる?」
 「俺か、俺の気持は、今だってちっとも変わっちゃいない。自分で言うのも変なんだが、あの時と同じだ。俺自身驚いてる。生涯変わらんだろう」
 「そうか。そうなんだな」と、潤一郎はまじまじと春夫の顔を見返した。
春夫は、いらいらした口調で、
 「だから、どうなんだ?」
 「あいつをお前に譲る。もらってくれるか」
 「それは本当か?今になって何だって?」
潤一郎に確かめるように言うと、
 「千代をもらってくれ。今度こそ本当だ」
佐藤春夫は、しばらく考えてから、にわかに穏やかな顔になって言った。
 「本当なんだな。で、千代さんは何と言ってるんだ?」
 「あいつも同じ気持ちだ。間違いない。俺も確かめた」
 「そうか。・・・そうなのか」
 「ああ。俺と千代は本気だ。どうだろう、お前さえいいと言ってくれれば、俺とお前と千代の三人の連名
  で、知り合いに挨拶状を書こう。どうだ」
すると、はじめて春夫はにっこりと笑って、
 「そうだな。それがいい、それがいいや」
 「じゃあ、決まりだな。いいな、それでいこう」
潤一郎は、そう言って、満面の笑顔であった。
そこで、潤一郎、千代、春夫の連名で、知人たちに、佐藤と千代が結婚する協議が成立した旨の挨拶通知を出すこととなった。かくて三人は、晴れ晴れとした気持になった。
それに、この三人連名の挨拶状を、早速大新聞が報じたものだから、たちまち社会に大きなセンセーションを巻き起こした。
昭和5年8月19日のことであった。
これが、世に喧伝される「小田原事件」、谷崎潤一郎の「妻譲渡事件」の顛末である。

 いろいろと紆余曲折があったが、まずは目出度し目出度しで、それから後の春夫は千代とその娘鮎子までも引き取って、仲の良い円満な家庭を築いたと伝えられている。
そして、のちに鮎子は春夫の甥と結婚した。
佐藤の人のよさというのか。分かるような気がする。
昭和23年、佐藤春夫は芸術院会員に選ばれる。
谷崎潤一郎の好き勝手な、一種破天荒(?)とも思える人生に、佐藤までが巻き込まれた格好だ。
 一方、谷崎潤一郎は、これまたいろいろありで、兵庫県精道村に住む人妻であった根津松子を知って同棲、彼女の離婚成立を待って名を森田松子に復して、谷崎の自宅で目出度く正式に結婚式を挙げ、入籍した。

 これは、本題の「秋刀魚の歌」とは離れた余談(谷崎の話)だが、すでに文壇の雄となっていた谷崎潤一郎が、千代と離婚後、根津松子を妻に獲得しようとして、恥も外聞もなく、あの手この手の恋文作戦などで彼女に近づき、拝み倒す思いで、凄まじいまでの恋を燃焼させたことは巷間有名な話である。
潤一郎の恋文は、文献、資料等でも多く目に触れることが出来、まるで熱血少年のように、ここまであからさまに、情熱的に書けるものかと驚いたものだ。(大作家といえども、恋には盲目、一人の男性だった)
松子夫人入籍の二年後、谷崎潤一郎は芸術院会員に選ばれる。

 ・・・「秋刀魚の歌」を読み解くとき、詩人佐藤春夫が、およそ恋愛には似つかわしくない「秋刀魚」を主材にとり、あえて哀切なる詩情を綴ることによって、恋の苦悩と嘆きの心象風景が、見えて来るような気がする。
そして、青春時代を真剣に生きようとしていた佐藤春夫は、良くも悪くも、愛すべき「妻」の問題をめぐって、人生の大切な一時期を、谷崎潤一郎の自己中心的な「友情」によって、それが後に修復されたとはいえ、見事に撹乱されたことは確かであった。
「秋刀魚の歌」の背景には、詩人、作家としての佐藤の人生の「凝縮」がこめられていて、この人を語るとき、実に象徴的な意味合いがあって、まことに興味深い。
後年、佐藤春夫も谷崎潤一郎も共に、昭和前期の文壇では押しも押されぬ大御所的存在となって、功成り、名を遂げた。
・・・一件落着である。
秋風が立ち、秋刀魚を美味しく食するとき、この歌とともに、また春夫と潤一郎の人生も偲ばれる。

・・・少し、疲れましたね。
いま、秋刀魚が安いですね。脂の乗った大型のものが、一尾97、8円だそうですから。
さあ、どうですか。
秋刀魚の刺身でも塩焼きでも、一杯、やりませんか。

            白玉の歯にしみとほる秋の夜の
                   酒はしづかに飲むべかりけり (若 山 牧 水)        


 



ー刀折れ、矢つきてー「安倍総理辞任」

2007-09-14 06:00:00 | 寸評

 晴天の霹靂とは、このことである。
 日本列島を激震が襲った・・・。
 正直、「いま、何故?」という気がしてならない。
 参議院選挙大敗後の、閣僚の不祥事から続く、一連の難問山積の中で、内閣改造を行い、シドニーの
 各国首脳会談で決意を語り、テロ特措法について、「職を賭して」全力を傾ける努力を約束しての、突
 然の安倍総理の辞任発表であった。

 内閣改造後まだ二週間あまりの、政府、与党でさえ寝耳に水の辞任劇だ。
 総理が所信表明演説を終えて、与野党の代表質問を受ける直前のことだった。
 こんなことがあっていいのだろうか。
 二日前に、このことを知らされていた麻生幹事長は、
  「お辞めになる時が、今というのは如何なものか」
 と慰留したそうだ。
 ・・・記者会見にのぞんだ安倍総理の涙目には、忸怩たる無念の想いが感じられた。
 そして、ただただ一国の宰相の幕引きとしては、空虚で無責任な光景に映った。
 
 参議院選挙大敗の直後であれば、辞任も大方の「理解」もあったのではなかろうか。
 いずれは、予想されていたとはいえ、健康上の理由とか、諸般の理由はどうあれ、国民の不快感はど
 うにも拭えない。
 さあ、やるぞと張り切っていた舛添厚生労働大臣は、目を白黒させて顔色を失った。

 海外の反響も大いに気になる。
 これまでの、日本の政界の一連の動きをどう見ているだろうか。
 お粗末この上ないと言うか、日本の恥部をさらすようなものだからだ。

 「人心一新」を唱えながら、安倍総理は、自らの引き際を量っていたのかも知れない。
 辞任後の新聞各紙に、「国民不在」「敵前逃亡」「総理乱心」「もういいや辞任」などというすごい見出し
 が躍り、或るベテランの県議は、「お坊ちゃま、ついにご乱心か」とまで困惑をあらわにした。

 この一年、この政権は一体何をしてきたのだろうか。
 安倍総理の失速、そして辞任・・・!!
 まことに中途半端な辞め方で、こうした辞め方をした歴代の総理大臣はかっていなかった筈だ。
 もう少し考えた、良識ある身の引き方があっても良かったのでは・・・。
 いやしくも、一国の宰相である。
 ・・・政治家として、社会人として、基本を欠いたきわめて幼稚な辞め方は、国政に汚点を残すだろう。

 これが、「政権の丸投げ」でなくて何であろう。
 もう、悲しいかな、前代未聞の椿事である。
 嗚呼・・・!!
 航路の見えぬ荒れ狂う海原、逆巻く怒涛を、木の葉のように翻弄されながら、難破船「日本丸」は何処
 へ向かって行こうとしているのだろうか・・・?
                            
 


  


雑感「ベネチア国際映画祭」

2007-09-11 04:30:07 | 寸評

 イタリアのベネチア国際映画祭で、最高賞の金獅子賞に、台湾出身のアン・リー監督の「ラスト・コーシ
 ョン」
という作品が選ばれたという。
 ニュースが伝えていた。
 香港スターのトニー・レオン主演の、いろいろとかなりハードなシーンもあるサスペンスドラマだそうだ。
 「最高に、情熱的な愛の物語」と前評判も高い。
 来年正月早々の公開が待ち遠しい。
 日本から出品の、コンペティション賞部門に期待のかかっていた、三池崇史監督作品「スキヤキ・ウエ
 スタン・ジャンゴ」は、賞を逸した。
 
 アン・リーと言う監督は、2005年受賞の「ブローク・バック・マウンテン」という作品に続いて、二度目
 
の快挙になる。
 なお、2006年の金獅子賞グランプリは、ジャ・ジャンクー監督の「長江哀歌」であったことは、まだ記
 憶に新しいところだ。
 
 ベネチア国際映画祭というと、ベルリン、カンヌと並ぶ世界三大映画祭のひとつだが、今回、グランプリ
 は逸したが、北野武監督の「監督・ばんざい!」(英語題名・GLORY TO THE FILMMAKER!)
 が、特別賞として新しい賞に輝いたのは、朗報と言えるだろう

  
 この映画祭では、1997年にも北野監督で「HANA-BI」が金獅子賞を獲得している。
 更に、もっと遡ると、古くは1951年「羅生門」黒澤明)、1955年「七人の侍」黒澤明)、1958年 
 「無法松の一生」稲垣浩)とそうそうたる日本映画作品が、“金獅子賞グランプリ”に輝いているのだ。
 
 1900年代後半の、この頃まで振り返ると、やはり、さすがに素晴らしい名画ばかりで・・・。
 ざっと想いだされるだけでも「情婦マノン」「裁きは終わりぬ」「禁じられた遊び」「ロミオとジュリエット」
 
「奇跡」「去年マリエンバードで」「赤い砂漠」「昼顔」等等、そのほとんどが、フランス映画であったことも
 まことに興味深い。
 そして、どの映画も見終わったあとで、数日夜も眠れぬほどの感動、というより深く訴えて来る物が強
 烈であった。
 いろいろなことを考えさせられてしまうほど、人間の魂をゆさぶり、心の奥底にまで迫ってきた。
 何しろ、どれもこれも鋭いインパクトがあった。
 いま、こうした映画は見ようにも見られない。時代が変わったと言えばそれまでだが・・・。
 何か、常に問題を提起し、問いかけていた。いや、強烈な問いかけがあった。
 黒澤明らの作品も、まさにこうした“グランプリ作品”と同列に並んでいたのだった。
 さすが、巨匠、鬼才である。
 日本映画の、全盛期だったかも知れない
 もう第二の黒澤明や三船敏郎は出ないのか。

 
 中国映画に押され気味で、このところ
日本映画の低迷が長い。
 世界に発信出来る、傑作の登場を大いに期待したいが・・。
 「世界」の
黒澤明の声が聞こえてくる・・・。
  「日本、頑張れ!映画が小さい。もっと大きく深くなれ、もっとだ」と。
 それにしても、近年中国映画の世界への台頭は、ハリウッドをさしおいて目覚しいものがある。
 中国映画、恐るべしである。
 これからは、中国映画から、目が離せなくなるかも知れない。


 
 


映画「約束の旅路」鑑賞

2007-09-08 06:00:00 | 日々彷徨

 フランス映画「約束の旅路」を鑑賞した。
 ベルリン国際映画祭観客賞受賞、文部科学省特別選定、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)協
 力という触れ込みである。
 ヴェネチア映画祭やサンダンス映画祭など数々の賞に輝いた、前作「いのちの列車」で知られる、フラ
 ンス映画界の気鋭ラデュ・ミヘイレアニュ監督・脚本による三作目で、入魂の作品となった。

 行け、生きろ、そして生まれ変われ・・・。
 少年は生きる。故郷から遠く離れ、真実の名をかくして・・・。

 エチオピア北部のゴンダールの山中に、ソロモン王とシバの女王の末裔と信じて、ユダヤの民が古代
 から暮らしていた。彼らは、太古の昔から、聖地エルサレムへの帰還を夢みていた。
 <約束の地>への旅立ち・・・。

 アフリカが旱魃に襲われた1984年、彼らは混乱のエチオピアを密かに離れ、スーダンまでひたすら歩
 き続けた。そこには、エチオピアのユダヤ人をイスラエルへ移送する飛行機が待っていた。
 これが、「モーセ作戦」と言われる史実である。
 この作戦で、8000人の命が救われたというが、その帰還の旅にいたるまでに、飢餓や病気、襲撃や
 拷問で命を落とした者は4000人にものぼった。
 しかし、すべてを捨てて<帰還>した彼らを待ち受けていたのは、喜ぶべき歓迎ばかりではなかった。
 「約束の旅路」は、この史実「モーセ作戦」から生まれた、感動の叙事詩だ。

 ・・・家族を失い、母と二人、スーダンの難民キャンプにたどりついた9歳のエチオピア人少年シュロモ、
 母はこの少年に、生き延びるために、ユダヤ人と偽って、ひとりイスラエルへ脱出するように命じた。
 エチオピア、イスラエル、そしてフランスと、混迷し対立する世界を舞台に人間愛を映し出して、見る者
 の心を強く揺さぶる。
 母は、まだ物心さえつかない少年に言う。
  「国を出て行きなさい。そして、生きなさい。何かになりなさい」
 この言葉の意味は鮮烈だ。
 
 映画の要となる少年シュロモは、幼少期から青年期まで、成長に応じて三人の俳優が演じた。
 顔が似ていて、三ヶ国語(エチオピア、イスラエル、フランス)の言葉が話せなければならないという困
 難のなかで、ラデュ・ミヘイレアニュ監督たちは、4ヶ月以上かけてその三人を選び出したという。
 青年時代を演じるシラク・M・サバハは、役柄と同様、なんとエチオピアからイスラエルへ移住した体験
 の持ち主なのだ。

 少年は、数奇な運命と共に成長し、恋をし、イスラエル軍の医者になって戦闘に参加する。
 そこで、彼は負傷したアラブ人の子供を助けようとして、自分が負傷してしまう。
 その時の、イスラエル兵の「敵を助けるものではない」というセリフ、そして、軍事組織は人道的な救援
 機関であってはならないという戦友の言葉が、シュロモの心に痛く突き刺さるのだ。
 のちに、このことが、政治、宗教や人種に関わりなく命を救う、『国境なき医師団』に参加する誘因とな
 ったのではないだろうか。

 少年の目と母の目と・・・。
 裸足で歩き続ける少年シュロモの目は、時にはあまりにも悲しげであり、また時には希望を追い求め
 て生き生きと輝いていた。
 映画の中で、特に引きつけられた場面は、オープニングとラストシーンのアフリカのスーダン難民キャ
 ンプであった。幼くしての母との別れ、十数年後成人して、その生死さえ分からなかった母親と再会す
 るのだが、このシーンでの母親の目は、何かを訴えているようで印象的だった。
 
 スーダンは、1984年当時、13万人近い世界最大の難民受け入れのキャンプのあったところだ。
 この映画はまた、イスラエルとパレスチナ人の関係について、その民族共存への希求を感じさせる。
 シュロモの祖父が、キブツで、ユダヤ人シオニストが半世紀前に植えた樹とその前からあった樹に触れ
 て、こう語っている。
  「あっちの樹をごらん、あの奥だ。あれは、我々の到着よりももっと昔からあった。
   ・・・土地は、分かち合うべきものなのだ」
   
 小さなアフリカの少年の旅が、まだ世界には愛と希望が存在していることを教えてくれている。
 映画の背景には、エチオピア系ユダヤ人の移民問題とか、アフリカの貧困というリアルな現実とユダヤ
 人の系譜といった、不確かな伝承のような部分もあるけれど、いろいろな問題を投げかけていて、深く
 考えさせられる映画である。
 人は、たとえ、肌の色が違う白人であれ黒人であれ、異民族であろうと異文化であろうと、誰もが等しく
 生きるべきだという訴えも、強く伝わってくる・・・。

 
 


甘かった「身体検査」ー苦言呈上ー

2007-09-05 14:30:00 | 寸評

 改造人事で、首を長くして、モーニングまで用意して、官邸からのお呼びを待っていた政治家がいた。
 結局、入閣はなくて、この人は、総理大臣に「何故だ」と直談判したなんて、前代未聞の椿事だ・・・。
 そうかと思うと、「これだけは受けたくなかった」としぶしぶ(?)要請を受けたのは、農水省大臣だ。
 
 ・・・怨念の農水省である。そして、またしても・・・。
 改造内閣で、不祥事が発覚して、その農水省の大臣が、任命わずか8日間で辞任した。
 地元では「おらが地元の大臣」誕生と、祝賀一色のムードだったが、それも束の間の夢と消えた。
 1ヶ月もかけた「身体検査」って、一体何だったのだろう。
 官房長官が言っている。
  「森羅万象すべてが分かるわけではないのだから」
 なるほど、それはそうだ。

 今日になって、またである。今度は環境大臣の政治資金のずさんな収支報告が問題になっている。
 この数日間だけで、ミスや、不正が発覚した議員は10人を超えた。
 毎日毎日、釈明と陳謝がつづく。見あきた茶番劇には本当にうんざりだ。
  「いま、調査中です」
  「まことに申し訳ございませんせんでした」
  「目が行き届いておりませんでした」         
 とどまるところを知らぬ、不祥事の連鎖・・・。      
 墓穴が、どんどん大きくなっていくようだ
 あの、「人心一新」の高らかな掛け声は、どこへ行ってしまったのか。
 こんな昏迷の状態が、いつまでつづくと言うのだろうか。
 改造内閣の顔ぶれにも、ほとんど新味は感じられないし、何のことはない、10年、15年まえの自民党 
 に戻ってしまった。
 党三役の執行部も、依然として「お友達仲間」にあまり変わりはない。
 「人心一新」とは、何もかもすべてが変わって、初めから新しく出直すことではなかったのか。
 いつまでたっても停まらない、一連の不祥事は、究極のところ、最高責任者の責任では・・・?
 
 一国の総理の、「任命責任」って何なのだろう。「危機管理」って何なのだろう。
 この御方は、御自分にすべての「任命責任」があるとまではっきりおっしゃっている。
 しかし、何かことあるごとに・・・、
  「大変、残念です」 「本当に、残念です」
 いつも、この言葉のくり返しである。何という空しさか。これは、そもそも国民の言いたい言葉だ。
 そうではなく、もっと違う言葉はないのかと申し上げたい。
 野球の世界でも、成績不振であれば、投手や監督は即座に交代するではないか。
 不可思議なのは、一国の宰相から、間違いがあっても決して謝罪の言葉が聞かれないことである。
 忌憚なく言えば、国民に対して、真摯な言葉がひとつとしてないことだ。 
 そして、牽強付会というか、自説を強引に自分の都合のいいように理屈づける。
 指導者によくあることだが、感心できない。国民は納得しない。
 
 政治家に正直や清潔を求めるなんて、八百屋で魚をくれというようなものだと言った法務大臣がいた。
 まさに、残念ながらそういうことだろう。
 だから、カネのことはどうでもよい、要は立派な政治さえすればいいんだ・・・、というそんな無茶苦茶な
 論理を展開する。旧態依然とした、政治家(政治屋?)さんの多いのが、いまの国会だ。
 誰かが、いみじくも言った。
  「政治家は、ボランティアだ。一身を投げ打って、無償で、人のため、国家のためにつくすことだ。
   自ら見返りを求めるものではない。それが出来ぬなら、政治家になどなるべきではない」
 名言だけれど、しかし、そんなきれいなことを言っても理想論で、現実となると・・・?

 嘆かわしきは、品格と資質に欠けた政治家(政治屋?)たち・・・。
 何と言う、いまの内閣の体たらくだろうか。
 閣僚が、短期間で次から次へと代わる日本の姿は、外国にどう映っているだろう。
 来週早々、波乱含みの臨時国会が開かれる。
 国民は、目を凝らして見守らなくてはいけない。
 イラク特措法はどうなるの?着服、横領までされた巨額の年金は・・・?(これは、もう犯罪ですぞ!)
 呉越同舟の「ねじれ国会」、はたしてどういう展開を見せるのだろうか。
 これから先のシナリオは、誰にも予断を許さない。
 永田町は、風雲急を告げている・・・。
 或る夕刊紙の一面に、早くも「秒読み、内閣総辞職」の大きな見出しが踊っていた。
 
 
 

 

 
 
 
 


ミニ版「芸術の秋」ー鎌倉芸術館にてー

2007-09-01 07:00:00 | 日々彷徨

 早いもので、9月になった。
 そして、これからは、暑かった夏にかわって、少しづつ秋が深まっていくことだろう。
 ・・・芸術の秋である。

 東山魁夷、平山郁夫、川合玉堂、横山大観、三岸節子ら、そして、シャガール、ローランサン、ドラクロ
 ワ、ビュッフェ、ピカソといった内外の錚々たる人気作家が、一堂に会した。
 鎌倉芸術館で開かれている、絵画展だ。

 日本画、油彩、水彩、版画と色とりどりで、これだけ大物を取り揃えているのも珍しいことでは・・・。
 まあ、絵画展といっても、内実はコレクターに買ってもらいたいのだが、そんなことは百も承知だ。
 鑑賞するだけでも十分で、さすがに名画となると、いいものは誰が見てもいい。
 絵心を問うものではない。
 さして広くもないギャラリーは、そこそこ賑わっていた。

 高価なものでは、棟方志功の「妙韻施無畏図」(735万円)、中島千波「白牡丹」(580万円)、平山郁
 夫「パルミラ遺跡を行く夜」(580万円)、東山魁夷「緑深く」(360万円)といった名作まで・・・。
 コレクターにとっては、きっと垂涎の的だろう。
 絵画の価値と言うと、生前はほとんど認められず、若くして没後数年たってから評価の高まった、薄倖
 の画家モジリアニのことが想い出されるが・・・。

 ・・・作品の前に立ち止まって、ひそひそ話をしている。
 日本画家中島千波の10号「白牡丹」である。
  「わあ、素晴らしいわね・・・」
  「本当ね。でも私たちには、手も足も出ないわ」
  「どんな方が、買うのかしらね。見てみたい」
 二人連れの主婦らしい女性は、そう言って大きなため息をもらした。

  
 館内の別のギャラリーでは、一風変わった「心の仏像展」が開かれていた。
 こちらは、木彫を中心とした、仏像の作品展でこれも珍しい。

 仏像となると、どことなく厳かな気分になって、その御尊顔を拝すると、心まで癒される。
 材料にヒバを使った、真鍋麗子さんの高さ80センチの「千手観音立像」には多くの人が集まっていた。
 クスノキの山田稔さんの「阿修羅像」もよかったし、ほかに「十一面観音立像」「不動明王坐像」など、1
 00点近くが出品されている。
 特別出品の壁掛け、黒羽力蔵さんの「種子曼荼羅」「聖観音曼荼羅」は特に際立っていて、見事という
 ほかはなかった。

 こよなく仏像を愛する人たちが、無心の境地で彫りだした作品群だ。
 しかも、これらの作品を彫った人たちは、キャリア20年近い人もいて、全員がアマチュアだという。
  「ええ、皆さん全員素人なんですよ」
 これには驚いた。とてもだが、そのように思えない。
 どれひとつ見ても、入魂の力作揃いである。
 受付女史まで、観音様のようにみえてしまった。

 著名な人気作家の絵画やリトグラフの名作の数々と、片や無名とはいえ、無の仏心(ほとけごころ)が
 彫りだした入魂の仏像たち・・・。
 待ち遠しかった秋の風に吹かれて、一足早く、ほんのちょっぴり「芸術の秋」を楽しむことができた。
 この「絵画展」「仏像展」ともに、鎌倉芸術館で、9月2日(日)まで。(鑑賞のみ無料)