徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「神さまがくれた娘」―素直でひたむきな親子の愛―

2014-04-27 20:30:00 | 映画


インド映画というと、どうもお決まりの歌とダンスの賑々しさが気になるところだが、この作品はさほどでもない。
心温まる、優しい人間ドラマだ。
A.L.ヴィジャイ監督の作品である。

6歳児の知能程度しか持たない父親と、月の光のように希望を照らす5歳の娘の愛を描くドラマだ。
心温かい無垢な父親と、どこまでも愛らしい娘・・・。
一番大切なもの、それはきっとパパが教えてくれる。
南インドの美しい牧歌的な自然を背景に描かれる、人間賛歌である。











     
チョコレート工場で働くクリシュナ(ヴィクラム)は、5歳の娘ニラー(ベイビー・サーラー)と幸せな日々を送っていた。

クリシュナは6歳児程度の知能しか持っていないが、嘘もつけない正直者の男で、誰からも愛されていた。
彼は結婚して子供を授かるが、妻は娘を残して亡くなってしまい、娘にニラー(お月様)と名付けたクリシュナは、周囲の助けを借りながら、彼女を育てるのだった。

時は流れ、ニラーは素直な可愛い5歳の女の子に成長し、学校に通うようになった。
そんなある日、町の有力者である亡妻の父は、クリシュナ親子の存在を知る。
彼は、クリシュナのような、子供のような親には子育てはできないと言って、ニラーを連れ出してしまう。
クリシュナとミラーの仲は引き裂かれ、穏やかで幸せな毎日を奪われてしまうのだったが・・・。

娘ニラーの幸せを心から願う、クリシュナが初めてついた、切ない嘘・・・。
優美で素朴な、魅力溢れる舞台に描かれるこのドラマは、どこまでも温かい。
スタントシーンとか騒がしいアクションを極力排除し、とくに後半部分に入って、ドラマはぐっと観客に迫ってくる。
これまでのインド映画とは、少し趣きを異にするようだ。

とにかく、娘のニラーが可愛い。
父親と寝転がって戯れるさまも、実に微笑ましく、ちょっとほろりとさせられる。
主役のヴィクラムも知恵おくれの父親を上手く演じているし、何よりこの作品で一躍有名になった天才子役のベイビー・サラーが素晴らしい。
幼い少女ながら、‘大女優’の愛くるしい演技は魅力たっぷりだ。

A.L.ヴィジャイ監督インド映画「神様がくれた娘」は、互いに想いあう、ひたむきな親子の一途なラストに、思わぬ余韻を残す結果となる。
涙腺の弱い女性は、きっとほろりとさせられるだろう。
いい映画だ。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「エレニの帰郷」―時空が交錯する愛と喪失の壮大な叙事詩―

2014-04-25 20:30:00 | 映画


2012年、映画の撮影現場でテオ・アンゲロプロス監督は、オートバイにはねられて急死した。
これは、過ぎ行きし20世紀の挽歌として撮られた、その彼の遺作である。
消えゆく世界と、人間の運命の共感は、重く、切ない。

観客は、時間と空間を飛び越えた映像に、引き寄せられる。
前作「エレニの旅」に続いて、20世紀3部作の第2部にあたる。
狂乱と動乱の二十世紀を生きたエレニという女性、そして彼女を愛し続けた男と、彼女が想い続けた男の物語である。












              
20世紀末、映画監督のAウィレム・デフォー)は、自分の両親に関する作品を撮っていた。

Aの母親エレニ(イレーヌ・ジャコブ)母の恋人スピロス(ミシェル・ピッコリ)イスラエルの難民ヤコブ(ブルーノ・ガンツと、歴史の荒波の中に生きる、一人の女と二人の男の物語が綴られる。

男たちとの別離と再会、放浪と試練の舞台はめまぐるしく変わる。
Aは妻と離婚したところで、思春期の娘の精神不安定に悩まされている。
このAの現在の出来事に、彼の両親の過去が絡み合って描かれる。
エレニは女子大生だった時に秘密警察に逮捕され、収監所に送られてしまう。
その後、恋人のスピロスとソ連領カザフスタンで再会するが、二人とも逮捕され、別々にシベリア送りとなる。
そしてエレニはAを生み、姉の協力でAをモスクワに逃れさせる。
親子3人の別離と彷徨は、さらに続くことになる。

ギリシャ難民の町がある旧ソ連のカザフスタン、流刑地シベリア、ハンガリーとオーストリアの国境、モスクワ、ニューヨーク、そしてAとエレニ、スピロス、ヤコブの3人全員が再会を果たすベルリン・・・。
その再会は言葉に尽くせぬ喜びとともに人生での喪失感をもたらし、Aの娘の自殺未遂という事態まで招くのだった。
彼とても、順風満帆の人生を送っていたわけではなかった。
妻ヘルガ(クリスティアーネ・パウル)との別離を契機に、娘エレニが激しい抑鬱になやまされていたのだ。
そして、動乱の20世紀は、いままさに終わりを告げようとしていた・・・。

過去と現在を行ったり来たりするこの映画のスタイルは、ちょっと見にはわかり難い。
筋書きにも、概して脈絡がないときている。
意識の流れを描いているようなところが多い。
テーマは20世紀だ。
スターリン時代のソ連、スターリン批判、ソ連からの脱走、ベルリンの壁崩壊など、歴史的事件がいっぱい詰め込まれる。

登場人物はキャラクターが半分ぐらい描かれていて、あとは輪郭だけしか残っていない。
そんな感じがする。
二人の男の間で、激動の時代を必死に生きようとするエレニの姿が、監督Aの視点で描かれる。
前作「エレニの旅」は、ロシア革命からギリシャ内戦までを背景にしているが、その物語との連続性はない。
成長したエレニが女優を目指すという、3部作の最終作「もう一つの海」は未完となった。

ギリシャ巨匠テオ・アンゲロプロス監督「エレニの帰郷」は、政治犯としても辛酸をなめ、激動の時代を生き抜いた、エレニという神話的な女性像を描き続けた作品だ。
その人生はいったん解体され、時代のうねりと軋みの中で再構築され、エネルギッシュな知的映像で綴られる。
時代に背を向けて傷つき、悶え苦しむ人生だ。
それは閉塞の時代を生きた、女の挽歌である。
映像が美しい。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「白ゆき姫殺人事件」―無意識の悪意から生まれる恐怖の捏造―

2014-04-24 16:00:00 | 映画

「告白」「北のカナリア」などのベストセラー作家、湊かなえの原作を、中村義洋監督が映画化した。
まずこんなに“いま”の時代を読み込んだ作品としては、珍しいかもしれない。
物語の軸となるのは美人OLの殺人事件で、関係者の証言や匿名のツイッター、ワイドショーなどの報道を積み重ね、ドラマは展開する。
好奇心と悪意が渦巻く、通俗的なドラマだ。

いわばこの情報社会で、ネットコミュニケーションやワイドショーが影響しあって、ある状況や噂の域を出ない、確たる証拠のない中で、殺人事件の容疑者が作られていく。
社会派のミステリーを狙った作品だが、通俗映画の域を出ていない。
恵まれた(?)情報社会の陥穽を描いている点では、非情に今日的な作品ではある。









・・私は、私しかわからない・・・。
長野の国定公園で、化粧品会社の女性社員三木典子(菜々緒)の死体が発見される。
典子は、誰もが認める美人OLだった。
この事件をめぐって、まもなく被害者と同期入社の城野美姫(井上真央)に疑惑が向けられる。
被害者の後輩から連絡を受けた映像会社のディレクター、赤星雄治(綾野剛)は、早速取材を開始する。

赤星は、容疑のかけられている美姫周辺の人々の証言を集め、それを放映したワイドショーは大きな反響を呼び、ゴシップを巧みに仕立てていた。
彼は自らのツイッターで事件のことを呟き、その呟きが「容疑者」への誹謗、中傷となって巷にあふれ、ネット空間をかき回し、炎上し、一気に美姫を追いつめていく。
次第に、犯人扱いまでされてしまう美姫だが、当の本人は一時行方不明になって沈黙したままだ。
そして、周囲から認められない焦りから盲信的に突っ走る赤星は、世間を翻弄する。
いやむしろ翻弄されているのは、彼自身かも知れない。
様々な人物たちが複雑に入り混じり、真実が混沌とする中で語られる噂話や、妄想、虚言が入り乱れ、それらがやっと真実へ変わっていこうとしていた・・・。

テレビをはじめとする多彩なメディアが、虚実ないまぜの情報を積み重ね、物語がどのようにでも構成されていくようなありようが恐ろしい。
中村義洋監督の演出は、それらを畳みかけるように新鮮でよいのだが、同じシーンを幾度も見せられる必要はない。
容疑者は、もめごとの真実を彼方に追いやって、群衆の潜入観念によって作られもする。

善人が悪人にされることもめずらしくない。
容疑者が悪意によって作られる。
情報社会の恐怖がここにある。

美人OLの不可解な死、華やかさと地味な陰のある女たちの素顔、スクープをねらって事件にのめりこんでいく浅はかな男、好奇心をこれでもかこれでもかと煽りたてるテレビのワイドショー、状況を取り巻く人たちの食い違う複数の証言、犯人探しに加熱炎上するネットと・・・、映像化にこと欠かない格好のドラマが、それなりの格好の映画に仕上がった。

それでも、中村義洋監督映画「白ゆき姫殺人事件」はミステリーとかサスペンスとは程遠く、どこまでいってもいま風の風俗小説なのだ。
書店に並ぶ、女性週刊誌やコミック誌とあまり変わらない。
真実か、虚偽かわからない。
しかしそこに、妄想や憶測が恐怖を感じさせる、今の社会の現実が透けて見える。
恐怖を生み出すのは、群集心理に他ならない。
それだけは、確かなようである。
      [JULIENの評価・・・★★☆☆☆](★五つが最高点

映画「はじまりは5つ星ホテルから」―新しい自分と出会える旅―

2014-04-21 22:15:00 | 映画


 フランス、スイス、イタリア、モロッコ、中国と5つ星のホテルが舞台である。
 旅先で出会いを重ね、自分らしい崇高な人生を発見する。

 著名な5つ星のホテルのサービスや、知らない世界を垣間見る楽しみがこの作品にはある。
 映画の展開は、語り口も軽快で、40歳にして初めての、幸せ探しの旅も遅すぎることはない。
 自由を贅沢に満喫できるとは、羨ましい話だ。
 マリア・ソーレ・トニャッツイ監督イタリア映画だ。











     
40歳独身のイレーネ(マルゲリータ・ブイ)は、高級ホテルの覆面調査官だ。

世界中をを回って仕事をこなし、正体は明かさずに、優雅な暮らしを満喫している。
ローマの自宅では、冷凍品を温めて食べる生活だが、結婚する気はなく、自由気ままだ。
そんな彼女に、旅先でちょっとした異変が起きる・・・。

出演は、他にステファノ・アコルシ、レスリー・マンヴィル、アレッシア・バレーラら、イタリア映画界を代表する錚錚たる俳優陣が賑やかだ。
人生、時々は悩み、迷いながら、自分らしい人生を選択していく。
日常から離れ、心のおもむくままに旅に出れば、きっとそんな中で自分だけの生き方を見出すこともできる。
現代社会をしなやかに生きる女性群像を描いて、実力派のマルゲリータ・ブイは、イタリアアカデミー賞主演女優賞に輝いた。

旅する心の受け皿は、何といってもおもてなしだ。
おもてなし最高のデラックスホテルばかりが登場し、自分がゴージャスな旅気分になれる。
恋人との間に子供ができたイレーネの元カレ、夫と子供二人を持つイレーネの妹と、家族像や家族観を対比させながら、幸せとは何かをやんわりと問いかけてくる。

一流のホテルマンから、微に入り細に入り、極上のサービスを受ける華やかな生活と、孤独と戸惑いの中に生きてきた40歳独身女性の対比が面白い。
マリア・ソーレ・トニャッツイ監督イタリア映画「はじまりは5つ星ホテルから」を観ていると、自分まで覆面調査員になりたくなる・・・。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「ゼウスの法廷」―人を愛することと人を裁くこと―

2014-04-20 20:00:00 | 映画


愛が、司法を撃つなどということが、できるであろうか。
高橋玄監督、脚本による社会派のラブストーリーだ。
司法制度の問題点にも切り込んでいて、対局にある私と公がリアリティの限界に迫り、着眼の面白さが楽しませてくれる。

緊張感をもたらす一方で、コミカルな要素も取り入れ、法廷場面での応酬は見せ場たっぷりだ。
愛は、人を裁けるのか。














地方市役所の職員の中村恵(小島聖)は、エリート判事の加納(塩谷瞬・椙本滋)と婚約していた。

だが、二人の生活はすれ違いを続け、恵は一般社会からかけ離れた裁判官の生活に、不安を抱きはじめていた。
恵は、同窓会で再開した大学時代の恋人山岡(川本淳市)と、密会を重ねるようになった。

ある日、彼女は山岡と密会中に事故を起こし、相手を死なせてしまった。
恵は、重過失致死罪で起訴される。
加納は、裁判所の反対を押し切って、裁判官として自らの元婚約者である被告の恵を裁くことで、自分たちの愛を確かめようとするのだった。
そしてそれは、司法を揺るがしかねない裁判へと発展し、法廷論争が始まったが・・・。

ドラマ前半は淡々とした判事の日常が綴られ、少し退屈になる。
判事ともなれば、仕事に追われ、常時300件もの公判訴訟を抱えているといわれ、この作品の主人公も仕事を自宅に持ち帰るなど、個々の裁判を熟慮する間もないほど多忙だ。
可笑しいのは、婚約者との会話まで裁判口調なのは異常で、ちょっと現実離れしていないか。

回想場面は少ない。
法廷での応酬シーンはかなり長く、物語の後半を一気に盛り上げていく。
塩谷瞬の演じる加納のセリフを、実は声優でもある椙本滋が担当している。
撮影終了後に吹き替えを決めたそうで、それだけ作品の中のセリフにはこだわったということか。

主人公加納は、裁判官として法廷を維持しながら、婚約者の心の内を確かめ、自身の気持ちも伝えようとしている。
お互いに引き裂かれた立場の人間のやり取りが、スリリングでドラマチックだ。
男の悲しみも、女の悲しみも切実に迫ってくる。
とくに、小島聖好演だ。
ドラマとしては、現実にありえないと思われるエピソードや設定を挟みこみながら、しかしラストはあまりにも唐突過ぎる。
驚かせないでほしい。
高橋玄監督「ゼウスの法廷」は、エリート裁判官と平凡なひとりの女を描いていて、コミックを思わせる前半の退屈な話のリアリティから、後半のヤマ場にはぐっと引き込まれ、裁判を通して、二人が本当の自分を取り戻していく過程に納得するのだが、しかし・・・。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


語りかける言葉―「生誕105年太宰治展」を神奈川近代文学館にて―

2014-04-17 19:30:00 | 日々彷徨



八重桜の花びらが、散りかけている。
柔らかに、春の風が通り過ぎていく。
その風に誘われての、文学散歩だ。

  恥の多い生涯を送って来ました。
  自分は、人間の生活というものが、見当つかないのです。(太宰治「人間失格」)

開館30周年になる神奈川近代文学館で、5月25日(日)まで、太宰治展が開催されている。
太宰治の直筆原稿は、遺族や関係者によって、幸いなことにかなり多くのものが収蔵、保管されており、DVD化までされている。
これらの貴重な資料が、この作家の知られざる(?)舞台裏をドラマのように見せてくれる。
代表作の「斜陽」(昭和22年)、「人間失格」(昭和23年)など直筆原稿を中心に、39年の短い生涯を駆け抜けた太宰治(1909年~1948年)の人生を展観する。

小学校を首席で卒業した太宰治の、国語学習ノートや自然科学学習ノートも興味深いが、ベストセラー作家となってからの、彼の多額の税金滞納には驚きだ。
出版社からもらう原稿料は、全部飲み代に消えたというのもうなずける話だ。

昭和10年の第一回芥川賞石川達三「蒼氓」が選ばれたが、このとき候補に挙がっていた太宰治は芥川賞を死ぬほど切望し、「芥川賞を何とか私にお興へ下さい」と、5メートルにもなる巻紙に認めたその旨の嘆願書を、川端康成に送っていたのだった。
この時の選考委員だった川端は、「作者目下の生活に厭な雲ありて才能の素直に発せざる憾みあった」として選考から漏れたが、それを不満として、太宰は選考経過の詳しい説明を求めたそうだ。
それに対し川端は、当時の太宰の妄想や邪推を、苦々しくたしなめたといういきさつがある。
それかあらぬか、中野孝次、志賀直哉らも太宰作品を酷評したので、太宰は大いに憤ったたそうだから、いかにも彼らしい。
自作には、相当の自身があったのだろう。

太宰が「東京八景」など、次々と作品を発表していた頃に知り合った下曽我の太田静子に、妻子とともに再疎開していた津軽から切々と送った恋文も展示されている。
日付は、1946年(昭和21年)1月11日と記されている。
静子とは、それより5年前の1941年に、初めて彼女が一読者として、太宰を三鷹の自宅に訪ねたときからの付き合いになる。
下世話な話だが、このことが何を物語るか。
「斜陽」が発表されたのは、その翌年のことである。
そして、その静子との間に生まれた二女の治子は、父の血を受け、いまも作家として活躍している。

没後60年以上の歳月を経て、彼の作品は多くの人に読み継がれているが、敢えて言わせてもらえば、パピナール中毒事件、数回にわたる心中、心中未遂事件、姦通事件、その果ての自死と・・・、私生活では「脆弱なる狂気」の作家であったと言わざるを得ない。
太宰治が「人間失格」を書き上げ、山崎富栄と玉川上水に入水自殺をしたのは、昭和23年6月13日のことだった・・・。

本展では、日本近代文学館に昨年新たに収蔵された、旧制中学、高校時代から近年発見された全集未収の自筆資料、書簡、書画、遺品のマントなど多岐にわたり、各地の文学館、個人が所蔵する多彩な資料を展観している。
まあこれだけでも、展覧会の内容はかなり濃い。

トークイベントとしては、4月26日(土)「私が恋した太宰治」(柳美里)、5月18日(日)「太宰さん、あなたは何を待っていたのか」(川上未映子)、講座としては、5月3日(土・祝)「資料から見えてくる太宰文学の魅力」安藤宏)、さらに4月19日(土)と5月11日(日)には太宰治作品の朗読会なども催される。


映画「アデル、ブルーは熱い色」―愛する痛みは女の誇りと生きる歓び―

2014-04-13 12:00:00 | 映画


確かにそうなのだ。
目の前で、現実の恋愛が繰り広げられているような感覚だ。
カンヌ国際映画祭で、パルムドール(最高賞)を審査員の全員一致受賞した愛の衝撃作だ。
ひとことで言えば、女性と女性の愛の物語である。

女性同士の心身を捧げた愛は、過激なラブシーンの連続だが、嫌らしさは感じない。
むしろひとつひとつのシーンが、絵画のように彫刻のように美しい。
アブデラティフ・ケシシュ監督フランス映画だ。
世代や性別を超えた、究極のラブストーリーか。
監督とともに、主演女優のアデル・エグザルコプロスレア・セドゥパルムドール獲得するという、史上初の快挙にも注目が集まる。
コミック原作の映画が受賞するという、前例のない決定も史上初である。





      
アデル(アデル・エグザルコルコプロス)は、女子高校生だ。
街ですれ違った青い髪の女エマ(レア・セドゥ)に目を引かれ、偶然入ったバーで再会する。
エマは美学生だった。
その彼女が、高校の出口でアデルを待ち受ける。
二人は惹かれあい、愛し合い、体の関係も生まれ、互いの家族にも紹介する。
庶民の家庭に育ち凡庸な世俗に生きる女と、エリート家庭出身の知性と教養に富む女・・・。

それは、身も心も捧げた、二人の恋であった。
数年後、アデルは念願の幼稚園の先生となり、エマと同棲しながら彼女のモデルを務める。
しかし、住む環境や考え方、価値観の違いが、完璧だった二人の関係にほころびを生じさせていく・・・。

原作は悲劇的な結末を迎えるが、本作のケシシュ監督は、思い切って前向きの物語に改変したそうだ。
フランス映画「アデル、ブルーは熱い色」は、二人の女性が深く愛し合った数年間を描いている。
ただそれだけの中に綴られる、出会い、擦れ違い、移り気、亀裂、孤独、再会と旅立ち・・・。
アデルがエマから別れを告げられる終盤のシーンは、必死に追いすがるアデルの演技に、胸痛む思いも生じるほど、この部分の展開は悲痛感がある。

極めて単純なドラマなのだが、作品は、ドキュメンタリータッチの生々しい雰囲気や見せ場もある。
女性同士の恋愛だし、ラブシーンも激しいが、アデルレア・セドゥも二人の愛の形を鮮烈に体現している。
ヒロインたちの10年を追う、アブデラティフ・ケシシュ監督の目はかなり執拗だ。
演出についても、タイトルのように熱っぽく斬新である。
ここは大いに賞賛したい。

一目惚れから運命的な再会、そして恍惚の世界へ。
ここまで濃密に描いた作品を、あまり知らない。
人生の甘さと痛さを経験して大人になっていく女たちを、二人の女優が体当たりで表現する。
上映時間3時間は、いかにも長い感じがしないでもない。
性愛は生き生きと美しく輝くが、ラストシーンを迎えてこれからアデルはどう生きていくのか。
そこは観客に任される。
監督も出演者も、力量十分だ。
そう思いつつも、この作品が訴えてくる、奥行とか深さとなるとさてどうであろうか。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点)


映画「ほとりの朔子」―大人の世界を傍観する少女の心模様―

2014-04-06 15:00:00 | 映画


18歳といえば、子供でもないし大人とまでは言い切れない。
そんな主人公のひと夏の体験を、日記風に綴った。
気鋭の深田晃司監督は、避暑地で大人の世界を垣間見る少女を、優しく写し撮っている。

主演は、まだ大人になりきれない少女だ。
彼女は大人たちの世界を見ても、それがたとえ清廉で潔白でなくても、ただ静かに見守るだけだ。
心のざわめきを感じながら・・・。
本編は、外国映画ののスケッチを観ているような味わいがあるが、緩慢で淡彩画のようなタッチは、賛否の分かれるところではないだろうか。











海辺の、とあるほとりが舞台である。

大学受験に失敗して浪人中の朔子(二階堂ふみ)は、独身の叔母の海希江(鶴田真由)に誘われ、もう一人の伯母の水帆(渡辺真起子)の家で、夏の終わりの2週間を過ごすことになった。
朔子は、美しく知的でやりがいのある仕事を持つ海希江を慕い、尊敬していた。
だから、小言ばかりの両親から解放される、海辺の町のスローライフは快適だった。

朔子は、海希江の古馴染みの兎吉(古舘寛治)や娘の辰子(杉野希妃・作品プロデュース、そして甥の孝史(太賀)と知り合う。
小さな街の川辺や海や帰り道で会い、語り合ううちに、朔子と孝史の距離は縮まっていく。
そんな朔子の小さなときめきをよそに、海希江、兎吉、辰子、後から現れた海希江の恋人・西田(大竹直)ら大人たちは、微妙にもつれた人間関係を繰り広げる。
朔子は孝史をランチに誘うが、その最中に、彼に急接近する同級生・知佳(小篠恵奈)から連絡が入る。
朔子の心が揺れる・・・。

深田晃司監督作品「ほとりの朔子」は、日々の生活を綴る日記調で展開し、特別大きなストーリーや波乱の要素はない。
深田監督の目指した通りの作品になっているようで、これというほどの葛藤やエキセントリックな暴力もないし、現実に生きる人の感覚に近い。
余韻の残る、多様な受け方が許されるような映画だ。

登場人物たちは、それぞれの複雑な人間関係を抱えているが、深く突っ込むことはない。
大人たちの身勝手と、エゴイズムと、ちょっとした優しさがそこここに漂う。
人物造形は、創意に富んでいるというか、確かに紋切り型の人物は登場していない。

夏の時間は淡々と過ぎていく。
その中で、小さな人間関係の渦が現れては消え、合わさってはまた別れる。
きらめきながら広がっていく波紋は、朔子の心の揺らめきのようだ。
そのとりとめのない波模様を、深田晃司監督は優しく写し撮っている。
朔子と孝史の関係にしても、期待感を抱かせながら、前へと踏み込んでいかないもどかしさなど、淡々とした展開がかえって退屈に思えたりする

何気ない普通の女の子を、微妙な翳りを見せながら演じる二階堂ふみも悪くないし、人々の可笑しさ恥かしさ、可愛らしさが浮かび上がってくるが、理詰めで鑑賞すると飽きる作品だ。
二階堂ふみは、映画、ドラマで快進撃中の若手人気女優だが、11年のヴェネチア国際映画祭では、園子温監督「ヒミズ」最優秀新人賞受賞している。
1994年生まれの彼女、「本気度の高い脚本、監督と熱量の高い作品に関わっていきたい」と、なかなかのしっかり者だ。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「セインツ 約束の果て」―荒涼とした大地に生きた男と女の罪―

2014-04-04 09:00:00 | 映画


 犯罪者となって、裏街道を生きる男がいる。
 そんな男と一緒にいて、未来なんかないと分かっていても、寄り添う女がいる。
 破滅が待っていようとも、燃え尽きるまでの命の時間が愛おしい。

 デヴィッド・ロウリー監督は、テキサスの荒涼とした背景を舞台に、危うい男女の三角関係を詩的な映像で描いている。
 ドラマの淡い色調とさらりとした色感が、この作品には合っているのかもしれない。
 ちょっぴり切なく、悲しい映画だ。













      
1970年のテキサス・・・。

窃盗と強盗を繰り返してきた、一組の男女がいた。
ボヴ・マルドゥーン(ケイシー・アフレック)と、ルース・ガスリー(ルーニー・マーラ)だ。
ルースには新しい命が宿っていて、この強盗を最後に、真っ当な人生を歩もうとしていた二人だった。
だが、二人は逮捕される。

ルースの身代わりに刑務所行きとなったボヴは、ルーズが娘を出産したことを知って、脱獄を企てる。

ボヴは警察から追われ、さらにかつて裏切り決別したはずの組織からも追われる。
一方、そんなボヴを待ちながら大事な娘をひとりで育てるルースに、陰でひそかに恋心を抱く地元保安官パトリック(べン・フォスター)がいた。

三人それぞれの思いが交錯し合うとき、ドラマは、美しくも悲しい結末を迎えるのだが・・・。

アメリカ映画「セインツ  約束の果て」で主人公を演じるのは、「ドラゴン・タトゥーの女」でアカデミー主演女優賞にノミネートされたルーニー・マーラだが、この作品では初の母親役を演じ、微妙な女性の心理を抑制のきいた演技で見せる。
相手役のケイシー・アフレックも、同じくアカデミー賞ノミネート組だが、ともに実力派だ。
二人の逃走する男女の絆を描いて、ちょっとしたサスペンスの味ものぞかせる。

あまり多くない台詞は、あえて削ったのか、男と女の眼差しと表情が、二人の感情をを微妙にすくい取っている。
確かに、醇風差俗に背を向けて生きる男の、静かな激しさが底流に漂う作品だが、お決まりのアメリカ映画的なものは拭いきれない。     
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「セイフ ヘイヴン」―サスペンスと情感にあふれた愛の物語―

2014-04-01 12:00:00 | 映画


原作者は、「きみに読む物語」「親愛なるきみへ」で知られるニコラス・スパークスだ。
彼がプロデューサーに名を連ね、ラッセ・ハルストレム監督が、ミステリータッチのラブストーリーを作り上げた。
愛と驚きに満ちたドラマの展開が、とても心地よい。

大人の純愛物語を思わせるが、映画の中には巧みに散りばめられた伏線があって、作品は丁寧にみずみずしいドラマとして描かれている。
美しい自然と、繊細な音楽、そして愛の葛藤と、気張らず気軽に楽しめるところがいい。
ドラマの終盤に、はっとするような驚きの展開が待っている。
そこがまたいい。












            
土砂降りの雨が降っていた。

誰かに追われているのか、ケイティ(ジュリアン・ハフ)は急ぎ足で長距離バスに乗り込んだ。
休憩で立ち寄った港町サウスポートに心惹かれ、留まることになる。
彼女はここで、ゼロからの新しい生活の一歩を歩み始める。
そうだ、忌まわしい過去から逃れるために・・・。

ケイティには、すぐ二人の友達ができる。
ひとりは雑貨店を営むアレックス(ジョシュ・デュアメル)で、彼は愛妻を失くしふたりの子供を育てている。
もうひとりは、近所に住むジョー(コビー・スマルダーズ)という女性だ。
ある日、車を持たないケイティに、アレックスが古い自転車をくれたが、ケイティは彼の親切を拒んだ。
しかしジョーから諭され、アレックスに謝罪し自転車を受け取った。
そこから、ケイティとアレックスは急速に接近していく。
しかしある日、アレックスはケイティの指名手配書を見てしまう・・・。

この作品、実にきめ細やかな伏線があちらこちらに散りばめられていて、どれもこれも最終的には納得できるものだ。
観ていて、思惑通りああやっぱりそうだったのかと、にんまりする場面もあれば、え~っと驚くような展開もまた楽しかったりして・・・。
ラブストーリーでありながら、ミステリーの要素も大ありで、必ずしもそれらがうまくかみ合っているとも思わないが、観ている方には少しずつ状況が分かってくるあたり、描写も丁寧だ。

主人公ケイティの心に秘めている事情も、次第に明らかにされる。
ニコラス・スパークスという人は、さすがに泣ける恋愛小説の名手だけのことはある。
ほとんどの作品を、映画としてヒットさせているから大したものだ。
女性のハートを虜にするような小説を書き、そのひとつをベースに本作を選んだ。

ヒロインのケイティには犯罪の香りが付きまとい、彼女を追う警察の手を逃れて・・・、最終的には奇跡のようなラストを迎える。
ラッセ・ハルストレム監督アメリカ映画「セイフ ヘイヴン」は、人に言えない凄惨な過去を背負った女と、妻を亡くした悲しみが忘れられないシングル・ファーザーという、心に傷を持った二人がじっくりと愛を育んでいく過程を、サウスポートの美しい情景の中に描き切っていく。
ロマンティックで愛らしい、魅力にあふれたヒューマンなラブストリーだ。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点