徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「彼女の人生は間違いじゃない」―被災地で心の痛みを抱えながらもがき続ける人たち―

2017-07-29 12:00:00 | 映画


 3.11東日本大震災から、早いもので6年以上が経った。
 「軽蔑」(2011年) 「さよなら歌舞伎町」(2015年)などを発表した廣木隆一監督が、自身の故郷である福島を舞台にした処女小説を原作としている。
 震災後の被災地に生きる人々の、苦悩を描いた作品である。

 作品全体に、やや重苦しい雰囲気が漂っている。
 被災者である登場人物の心象風景だ。
 これがこの作品の大きなテーマだ。
 震災の記憶から逃れようとしても逃れられず、自分が生き残ったことの意味を問い続ける。
 風景も人間も、この作品の中では虚脱感が漂い、日本という国の抱えた矛盾を映し出していく。
 結構まともな作品である。



役場に勤めていた金沢みゆき(瀧内公美)は、母を津波で亡くし、仮設住宅で父と暮らしている。
農業を営んでいた父(光石研)は、補償金をつぎ込んでパチンコ浸りの日々だ。
同僚の勇人(柄本時生)も家族はバラバラだ。
勇人は東京から来た女子大生に、震災当時の記憶を聴かれるが、言葉に詰まり何も言えない。
原発で汚染水対策を担当する隣人は、嫌がらせを受け、絶望した母は自殺を図る。

みゆきもまた将来の希望が開けないでいる。
恋人ともうまく付きあえなくなって別れた彼女は、毎週末になると高速バスで上京し、渋谷のデリヘルで風俗嬢として働いている。
しかし、彼女とて生きている実感を得られないでいる・・・。

生きることが決して不器用なのではない。
心の空洞が、どうしても塞がらないのだ。
どの被災者も、震災6年後の現実にあえいでいる。
怠惰かもしれないし、狭量かも知れないし、身勝手かもしれない。
しかし、誇張や虚飾のない等身大の人間たちだ。
市役所職員のみゆきが、何故デリヘル嬢を始めたかは映画では一切語られていない。
人はそれぞれ、違った心の痛みを抱えている。
フィクションはフィクションなりの、リアルな現実をともなっている。

無人の街、壊れた原発、積み上げられた除染廃棄物といった、荒涼とした福島の光景は、現在の福島のあるがままの姿なのだ。
やりきれない虚脱感が、この街に、いやこの国に満ちているのだ。
政治は何をしているのだろう。
そんなことを考えさせられる。
いまの日本の縮図である。

作品に悪人は登場してこない。
金のためではなく、デリヘル嬢として働く役を瀧内公美が好演している。
ほかに、震災で全てを失った男のやり場のない男を演じる光石研もなかなかだし、被災者の心情を映し出して廣木監督気配りのきいた演出に好感が持てる。
福島と東京を往復する高速バスの、窓の外に飛び去る高圧線の鉄塔や田園の緑が何を物語るか。
被災者の心情を映し出して心に残るが、登場する幾つかのエピソードがそれぞれ交わることはなく、物足りなさも残った。
廣木隆一監督映画「彼女の人生は間違いじゃない」は、かなり思い切ったタイトルだ。
登場人物を覆う虚無の深さや、胸の痛む想いに落ち込んでしまいそうだ。
これが、現代の日本の姿に見えてくる「福島」の暗喩なのだと言い聞かせてみる。
いまだに先が見えないからだろうか。
日本人なら、福島を忘れてはいけない。

そう思いつつ観る、ちょっと悲しい映画だ。
        [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「光をくれた人」―罪と贖罪の間で引き裂かれるある愛の形―

2017-07-26 14:00:00 | 映画


 束の間の光の後に深い闇が訪れる。
 愛を謳って、花も実もあるラブストーリーの誕生だ。
 世界42カ国以上で話題となったベストセラーM・Lステッドマン「海を照らす光」原作に、デレク・シアンフランス監督が映画化した。

 人間に光と闇を照らす孤島の灯台を背景に、微妙な人間心理の綾を鮮やかに手際よく織り込みながら、落ち着きのある冴えた語り口で、味わい深い心にしみるような作品を綴っていく。
 愛は痛みを伴うものだ。
 子を失った産みの母、罪悪感に苦しむ夫、子を引き離される育ての母・・・、罪と赦しの間でそれぞれの感情は引き裂かれる。



戦争で心に傷を負い、トム(マイケル・ファスベンダー)は孤島の灯台守となった。
彼は岬の町の娘イザベル(アリシア・ヴィキャンデル)と結婚し、穏やかな日々を送るが、度重なる流産という悲劇が二人を見舞う。
その頃、一艘のボートが島に流れ着く。
ボートには死んだ男と無事な赤子が・・・。

トムとイザベルは、赤子を自分たちの娘として育て始める。
…しかし二年後、娘が生きていることを知った実の母親ハナ(レイチェル・ワイズ)が現われて・・・。

イザベルは母になりたかった。
罪と知りながらも、妻の願いを聞き入れたトムは、やがて心の呵責に耐えられなくなる。
男女の恋愛劇は、子供をめぐる罪と赦しのドラマとなって、人間として深い結びつきが孤島の風光の中に描かれる。
水平線に沈む太陽、灯台の灯り、星空、海風にうねる波・・・、人を寄せ付けない孤島は、男と女の心模様を切なく映し出していくのだ。

生きることを問う人間ドラマは、よく仕組まれたロマンティックなメロドラマでもある。
嵐と凪が訪れる孤島の風景は、厳しくも美しい。
作品を観ている方は胸がしめつけらるれるようだ。
赦しはあるのだろうか。
赦しとは何であろうか。
本当の親がいつ現われるか。
サスペンスの展開するドラマに、名優三人が激突して見応えも十分だ。
ややくすんだ映像も、ここでは美しい。

「ブルー・バレンタイン」(2010年)デレク・シアンフランス監督によるアメリカ・オーストラリア・ニュージランド合作映画「光をくれた人」は、親子の宿命劇を描いていて詩情豊かである。
絶望のどん底で迎える穏やかなラストが、切ないまでに胸を締め付けてくる。
涙なしには観られない人もいることだろう。
       [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回は日本映画「彼女の人生は間違いじゃない」を取り上げます。


映画「ザ・ダンサー」―新時代を切り開いた伝説のモダンダンサーの驚愕の実話―

2017-07-23 06:00:00 | 映画

 
 梅雨が明けて、本格的な夏の訪れだ。
 毎日暑い日が続く。
 今日は、夢と愛の物語をご紹介したい。

 パリが最も美しく、最も華やかだった時代、ベル・エポック・・・。
 パリ・オペラ座で喝采を浴び、新しき時代を切り開いたダンサーがいた。

 バレエの殿堂、パリ・オペラ座で撮影を実現した衝撃と陶酔のダンスを、ステファニー・ディ・ジュースト監がスクリーンに熱く蘇らせた。
 未来のアートを担う、若い才能たちの夢と希望、愛と友情の物語を綴った。





アメリカの農村で女優を夢見た貧しい少女ロイ・フラー(ソーコ)は、あるとき偶然舞台で踊り、初めて喝采を浴びる。

ロイの才能を見ぬいたドルセー伯爵(ギャスパー・ウリエル)の力を借り、パリ・オペラ座で踊り夢を叶えるために、ひとりアメリカから海を渡る。
ロイ・フラーのダンスを見たパリの観客は、初めての体験に驚き、彼女は瞬く間にスターに・・・。

そしてついに、パリ・オペラ座から出演のオファーが舞い込む。
ロイは、無名だが輝くばかりの才能を持つイサドラ・ダンカン(リリ-=ロ-ズ・デップ)を、共演者に抜擢した。
ロイは、イサドラへの羨望と嫉妬に苦しみながら、舞台の準備を進める。
しかし、二人の情熱は激しくぶつかり合い、運命は思わぬ方向へ転がり始める。
そんな彼女を待っていたのは、思わぬ試練と裏切りであった・・・。

前代未聞のモダンダンスで、一躍スターダムに躍り出た天才舞踏家の苦悶と葛藤の人生模様が描かれる。
幻想的ともいえるダンスは、多色照明による光を使って圧巻だ。
ダンスはダンサーの体力の限界を超えており、その美しさは感動的だ。
ロイ・フラーはシルクのドレスを自由自在に操って、巨大な布を蝶や蛇や花の形に流動的に変化させて、そこに電気の照明で光を投射する。
1900年のパリ万博を見て、ジャン・コクトーをして、このパフォーマンスは彼女こそが時代のファントムを想像したものだと言わしめ、絶賛したものだ。

ドラマは中盤から、好敵手となるモダンダンスの祖といわれ、むき出しの肉体で人々を魅了するイサドラ・ダンカンとの相克の物語へと移っていく。
この二人の、対照的ともいえる天才ダンサーが生まれたベル・エポックの時代性に、しばし酔いしれるひとときだ。
ダンカンとの確執を見事にとらえ、ロイ・フラーのダンスが、異様な迫力で復元されている印象が強烈だ。
主人公を演じるソーコは完璧に近いし、相手役のリリー=ローズ・デップの自然な存在感も光っている。
ローズ・デップは言わずもがな、かの有名なジョニーデップヴァネッサ・パラディの娘だ。
ステファニー・ディ・ジュースト監督フランス・ベルギー合作映画「ザ・ダンサー」は、ドラマはもちろん、美術、衣装にも見るべきものが多く、魅惑たっぷりの2時間である。
         [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はアメリカ・オーストラリア・ニュージーラン合作「光をくれた人」を取り上げます。


映画「ありがとう、トニ・エルドマン」―歪な可笑しみをいっぱいに湛えた父と娘の生の賛歌―

2017-07-20 16:00:00 | 映画


 直球勝負の映画である。
 メランコリックで奇想天外なコメディの誕生だ。
 人生の機微を露わに映し出していて、小気味の良さが光る。
 そして、不器用で毛むくじゃらの愚直な愛が、冷え固まった人の心を溶かしていくような・・・。
 それにしても、この作品のポーカーフェイスには参った。

 両親とは実に厄介な存在で、人前で気まずい思いをさせられた経験から、ときには息苦しい思いもして、それをこの作品はたっぷりと描き出しているのだ。
 ドイツ女性監督マーレン・アデは、毒っ気とヒューマニズムの混ざり合った笑いを込めて、欧州発のほのぼのとした作品を生み出してみせた。




主人公のヴィンフリート(トニ・エルドマン/ペーター・ジモニシェック)は、悪ふざけと変装が好きなドイツ人男性だ。
愛犬に死なれた悲しみを紛らわそうと、娘のイネス(ザンドラ・ヒュラー)が働くルーマニアに行き、迷惑を全く顧みず、娘の仕事場に押しかける。
当然のことながら、父のせいでイネスは仕事をしくじり、父をドイツに追い返す。
父親のヴィンフリートは得意の変装姿で、「トニ・エルドマン」と別名を名乗り、イネスの職場や自宅、レストランに突然現れては悪ふざけをするようになる。
そしてついには、国際企業の最前線で働くイネスが、業務で油田の視察に行くのに付いていくことになるのだが・・・。

トニ・エルドマンと名乗るイネスの父親は、さまざまな珍騒動を引き起こし、物語はどこへどう転がっていくのか全く予想がつかず、観る側は振りまわされっぱなしになる。
といっても、騒々しいギャグの連発があるわけでもなく、悠然としたリズムで、ポーカーフェイスがドラマを真面目くさって引っ張っていくのだ。
とにかく、トニはいたるところに現れる。
気づけばそこにいるといった具合で、イネスがおよそ現われてほしくないと思うところにも現われ、彼女を困らせ慌てさせる。 
トニを名乗る父親の出っ歯に見せる付け歯、もっさりした黒髪の鬘の変装など、辛辣だが可笑しくて妙に温かく、心に刺さるものがあっても憎めない。

それにしても、トニはどうしてイネスの居所を正確に把握しているのだろうか。
イネスは、何故最初に迷惑な父親を仕事がらみのパーティーに同行させたのだろうか。 
そんなささやかな疑問も浮かぶのだが、映画では説明されない。
多分、トニ・エルドマンに成りすますイネスの父ヴィンフリートは、何らかに手段で彼女の日程や立ち回り先を知り得たのだろう。

マーレン・アデ監督ドイツ・オーストリア合作映画「ありがとう、トニ・エルドラン」は上映時間2時間42分の力作で、中盤ドラマが少しくどいと思われる部分もある。
主演のジモニシェックは名演だし、とにかく俳優陣がみな上手い。
この映画は、グローバル化が進む社会で、人間にとって本当の幸福とは何かを問いかけ、戦後世代の娘と父の関係性を描きながら、孤独、世代ギャップ、価値観の相違、搾取、社会格差といった、ヨーロッパのみならず世界が直面しているる問題まで、さらりと浮かび上がらせている。
現代社会への痛烈なメッセージをも内包していて、間違いなく観客を魅了する作品といえる。
ヨーロッパをはじめ世界中で、40以上もの映画賞に輝いた。
この作品を観て惚れこんだジャック・ニコルソンは、ハリウッド・リメイクを熱望、引退を撤回し、リメイク版で自ら父親役を演じるという話が決まっているそうだ。       
        [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はフランス・ベルギー合作映画「ザ・ダンサー」を取り上げます。


映画「 光 」―視力を失っていくカメラマンと映画のディスクライバー(音声ガイド)が問いかける生きることの意味―

2017-07-17 17:00:00 | 映画


 この作品は、視力を失っていく男性カメラマンと、視覚障碍者向けに映画の音声ガイドを制作する女性の、物語だ。
 河瀬直美監督は奈良を舞台に、人間の心の再生を描く。
 彼女が奈良で劇映画を制作するのは、6年ぶりである。

 河瀬直美監督1997年「萌えの朱雀」で、カンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)を史上最年少で受賞2007年「殯(もがり)の森」では同映画祭グランプリ獲得し、2013年には日本人監督として 初めて審査委員を務めた。
 カンヌ常連の一人だが、今回パルムドールを競うコンペティション部門に選出されながら、惜しくも賞を逸した。
 しかし、作品上映後10分間も、2千人を超える観衆のスタンディング・オベーションが鳴り止まなかったという。



美佐子(水崎綾女)は単調な日々を送っていたが、目の不自由な人のため、映画の刺客情報を言葉で伝える「音声ガイド」(ディスクライバー)の仕事をきっかけに、弱視の天才カメラマン雅哉(永瀬正敏)と出会う。
視覚障碍者に感想を聞き、ガイド原稿を推敲するが、雅哉からは厳しいダメ出しを繰り返される。
美佐子は、彼のそんな無愛想な態度に苛立ちながらも、彼が過去に撮影した夕日の写真に心を突き動かされ、いつかその場所に連れて行ってほしいと願うようになる。

雅哉は、命よりも大切なカメラを前にしながら、次第に視力が失われてゆく。
雅哉の葛藤を見つめるうちに、ある過去を抱える美佐子の胸のうちは、彼の作品に揺さぶられ、彼女の中の何かが変わり始めるのだった・・・。

薄明かりの中に浮かぶぼんやりとした風景は、雅哉の視力が失われつつあることを暗示している。
美佐子が彼に、自分の頬に触れさせる時の眼差し、雅哉がうつむき、見える角度を必死で探そうとする形相、窓から差し込む陽光、どこまでもそれらは光の加減をとらえた情緒的な映像だ。
人間の絶望と希望の狭間に苦悶する心模様が、繊細な表情のアップで描かれる。

美佐子は、北林(藤竜也)という映画監督の作品をガイドする。
北村自身の演じる老境の男が、愛する女を追う。
映画の中にもうひとつの映画が挿入され、二つの物語が交錯する。
このとき、希望を見せたという北林の願いを知って、男がひとり行くラストシーンの解説に美佐子は悩む。
見えない、ということを、彼女は必死になって理解しようとし、雅哉の障碍を理解しようとする。
劇中、北林のセリフを借りて語られる願いは、河瀬監督の祈りではないか。

そうなのだ。
見えない、いや見えなくなるものが、ひとが見えなくなるということは、いかに絶望的なことか。
こうした強い弱視になった人々には、希望と絶望が同時に存在するという。
俳優永瀬正敏は、奈良に住んで撮影期間中1ヵ月半、アパートで視覚を遮断するゴーグルをつけて暮らし、自ら不自由さを実感したそうだ。
河瀬直美監督新作「 光 」は視力を失っていく主人公を描いたドラマで、光を失った人が見える光を表現したかったと語っている。
河瀬監督は自身年齢を重ねたことで、受容と再生の物語をここに綴って、それはまた、彼女の商業シネマデビュー20年の軌跡を十分に感じさせるものでもある。
        [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はドイツ=オーストリア合作映画「ありがとう、トニ・エルドマン」を取り上げます。


映画「草原の河」―生と死の無垢と残酷を謳い上げる遥かなるチベットの叙情詩―

2017-07-15 18:00:00 | 映画


 チベット人監督ソンタルジャによる、日本の初劇場公開作だ。
 娘、その父、そして祖父・・・、チベットを舞台に、家族三代のそれぞれの心情を峻烈な映像で描く。
 美しい山々、風俗、習慣、その世界のどことも変わらないリアルな家族の、生身の人間の表情に迫っている。

 誠実さの溢れる映画である。
 草原で生活を営む一家の日常と心象風景を、6歳の少女の眼を通して、繊細に描き出している。
 小さな挿話の積み重ねなのだが、極力説明を排し、素朴で簡素な映像に語らせる。
 全編にわたって、豊かで複雑な、それでいて純粋な感情がみずみずしく息づいている。
 好感触の作品だ。
 主役を演じたヤンチェン・ラモ(撮影時6歳)は、上海国際映画祭アジア新人賞、史上最年少の最優秀女優賞受賞した


冬のチベット草原・・・。
ヤンチェン・ラモは6歳の幼い女の子だ。
父親のグル、母親のルクドルと暮らしている。
ヤンチェンは、母親が祖父を嫌っているのを不思議に思っている。
グルは過去の出来事から、自分の父親にわだかまりを持っている。
祖父の具合が悪いと聞いたルクドルの勧めで、グルがヤンチェンを連れて嫌々見舞いに出かける。

一家が夏の放牧地に移動するとき、ヤンチェンの心が揺れ動く。
ルクドルが妊娠したことで、いまだに母親の乳をねだる彼女は、母親の愛情を独占したい。
彼女は、赤ちゃんができたのは天珠(お守り)のせいだと聞いて、それを隠してしまった・・・・。

グルは父親との確執を抱いており、ヤンチェンは母親の愛情に不安を抱いている。
作品では、一家の放牧生活の四季を通して、二人の立場と感情を、丁寧に描き出していく。
カメラは近くから、ときに遠くから、静かに彼らを追いながら、家族の絆を紡いでいく。
映画はドラマなのに、これはドキュメンタリーのようだ。

少女ヤンチェン・ラモも父親のグルも、ソンタルジャ監督の親戚で、演技の経験は全くない素人だ。
撮影をしながら脚本を書き進めたそうで、事前には簡単なプリントだけが用意された。
でもそれは大人の見た子供の世界で、撮り始めてからやっと、ヤンチェン・ラモの本当の心のうちに触れることができたのだ。
可愛がっていた子羊を群れに返せと言われては泣き、母親のおっぱいをねだっては泣き、よく泣く子ではあるのだが、その目は怖ろしいほど研ぎ澄まされていて瑞々しく、その表情はあどけない少女なのに、凛然としている。
この少女の表情と眼差しに、思わず凄い!と思った。
これは、この素人の少女ヤンチェン・ラモが持っている、まさに天性のオーラだ。
これを見ただけでも、この映画を観てよかったと感じた。
機会があれば、チベットの映画をもっと観てみたいものだ。

牧畜を生業(なりわい)とする両親と暮らしながら、子羊が狼に襲われたり、成長した羊が突然亡くなったり、いろいろな挿話で綴りつつ、チベットの広大な大地に繰り広げられる豊かな詩情は、それだけで十分鑑賞に耐えうるものだ。
登場人物たちの来ている衣服も、衣装部とかが用意したものではなく、みんな普段から身に着けているものだそうだ。
チベット民族の、生活なり心の風景なりを、この中国映画「草原の河」は、記録として残そうとする意味合いもあるのだろう。
心に沁みて残る作品だ。
         [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回は日本=フランス=ドイツ合作映画「 光 」を取り上げます。


映画「パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊」―痛快!ご存じ秘宝をめぐる大迫力の冒険寓話―

2017-07-15 13:00:00 | 映画


 海賊船の船長ジャック・スパロウを演じるジョニー・デップの人気シリーズ第五作である。
 毎度おなじみの冒険アクションで、ユーモラスでドタバタ満載の逃走劇、秘宝を求めて敵味方入り乱れて壮絶なバトルありの、大活劇だ。

 今回のドラマでは、親子の愛と絆が描かれ、ジャックの過去が明かされる。
 そして、夢と希望とファンタジーとわくわくするすべてをふんだんにに見せつけて、誰もが気軽に楽しめる展開だ・





かつて、海賊撲滅に情熱を捧げるスペイン人将校サラザール(ハビエル・バルデム)がいた。
彼は、まだ少年であったジャック(ジョニー・デップ)によって、海の死神として〈魔の三角海域〉(トライアングル)に幽閉される。
時が流れ、ついに自由を得たサラザールは死者の軍団を率いて、海賊絶滅とジャックへの復讐を誓った。
ジャックが、この最大の敵から逃れるすべはただひとつ、どんな呪いも解くことができる〈ポセイドンの槍〉を手に入れることであった。

一方、かつてジャックとともに冒険を繰り広げたウイル・ターナー(オーランド・ブルーム)の息子ヘンリー(ブレントン・スウェイツ)は、父にかけられた呪いを解くため、〈ポセイドンの槍〉を探していた。
そして彼は、英国軍に捕われていたジャックに協力を依頼する。
そんな彼の前に、魔女と疑われている天文学者カリーナ(カヤ・スコデラリオ)が現われる。
カリーナはジャックとともに、死刑になる寸前に救出されて、秘宝〈ポセイドンの槍〉を探す航海に同行する。
そこに立ちはだかるのは、ジャックへの復讐だけを生き甲斐とする海の死神サラザールだ。
そして、船上の激しい戦いが始まる・・・。

伝説の秘宝〈ポセイドンの槍〉をめぐって、様々なな運命が交錯する。
海上でのバトルシーンは迫力満点だ。
映像はなかなか手が込んでおり、スピーディーな展開から一瞬たりとも目が離せない。
作品シリーズ5作目となる今回は、父と子の絆を強めつつ世代の交代も匂わせ、惹句の伯父役でポール・マッカートニーまで登場している。
ディズニーのみならず、ビートルズ、ローリング・ストーンズを愛する大人世代の興味を惹きつける。
物語は結構込み入っているが、ジャックの宿敵バルボッサ(ジェフリー・ラッシュ)ら、様々なキャラクターが槍をめぐって冒険を繰り広げ、運命が交錯する。
海が割れるシーンでは、船が落ちそうになったり、そうかと思うとサンゴ礁の飢えでの幻想的な戦いも見ものだ。

巨大な帆船同士の戦いなど、スケールの大きな映像が魅力でもある。
CGは使われず、この作品では船も街も丸ごと作られ、400人のエキストラを出演させており、どこまでも作品のディテールにこだわりを見せている。
現実にはありえない荒唐無稽な物語だが、この夏の暑さを吹き飛ばすには格好のまあ楽しめる作品だ。
新たなヒロインとして登場したカヤ・スコデラリオは、スリラー映画「メイズ・ランナー」(2015年)などに出演、モデルとしても活躍している。
情熱と知性を合わせ持ち、人にははっきりとものを言うヒロイン像を、激しいアクションとともに熱演していてなかなか頼もしい。
一児の母親でもある彼女が、幾多の荒波が待ち受けるハリウッドで、これからどんな成長を遂げていくか見届けたいものだ。

海洋ドラマ「コン・ティキ」(2012年)で注目された、ヨアヒム・ローニングエスペン・サンドベリ共同監督アメリカ映画「パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊」は、敵味方双方に明快さとスケール感があり、話も分かりやすく、と言ってずば抜けた面白さとは言わないまでも、サービス精神旺盛な大作には違いない。
なお本作はエンディングの最後までの鑑賞をおすすめする。おまけがついている。(笑)
         [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回は中国映画「草原の河」を取り上げます。


映画「パーソナル・ショッパー」―女の秘めた欲望が華麗な禁断の扉を開くとき―

2017-07-12 16:00:00 | 映画


 「夏時間の庭」(2008年)、「アクトレス~女の舞台~」2014年)フランス鬼才オリヴィエ・アサイヤス監督が、今年一番の話題作といわれる作品で、昨年カンヌ国際映画祭監督賞受賞した。
 大胆にして斬新で、しかも挑戦的な異色作だ。

 孤独と喪失からの人間の再生の物語ともとれるが、死者からのメッセージを待つ女性に起きる不可解な出来事を描いている。
 超常現象の描写については、にわかには受け入れがたいが、見えざる世界との接点で殺人事件に巻き込まれていく女性のドラマは、どきどきするほどサスペンスフルだ。
 だが、この作品について総じて言えることはやはり不可解ということか。



パリで、モウリーン(クリステン・スチュワートは多忙なセレブ(著名人)に変わって服や装飾品を買い付ける「パーソナル・ショッパー」の仕事をしている。
彼女は依頼人の自宅の鍵を渡され、衣装を届けるために出入りすることを許される。
モウリーンはこのところ、キーラ(ノラ・フォン・ヴァルトシュテッテン)というクライアントに振り回されていた。
キーラは世界中を飛び回っているため、指示は一方的なメモばかりだった。

3カ月前、双子の兄ルイスの急死で、モウリーンは悲しみから立ち直れず、彼が住んでいたパリを離れたくなかった。
二人は、先に死んだ方がサインを送ると誓い合っていて、モウリーンはそのサインが来れば、新しい人生を始められると信じていた。
そんなある日、彼女のもとに正体不明の謎めいたメッセージが届く。
モウリーンが、メッセージはルイスからのサインではないかと疑い始めた頃、ある殺人事件が・・・。

主人公モウリーンの、もうひとつの顔は霊媒師だ。
いわゆるホラーではないが、心霊現象がたびたび描かれる。
それが亡くなった兄からのサインなのかどうか、彼女にはわからない。
モウリーンは「パーソナル・ショッパー」をしているうちに、いつしか自分もセレブの衣装を着て、別人になりたいと思うようになる。
でもそれは、職業上固く禁じられた行為だ。
しかし彼女は、自身の秘めた欲情が刺激され、禁を犯し、セレブの服を着て性的興奮を覚えるのだ。
この作品では、ファッショナブルな衣装も見所のひとつだろう。

主人公の感得する、いわゆる心霊現象なるものと、彼女が別人になりたいという隠れた欲望の部分とは、とくに整合性もない。
それでいて、主人公は殺人事件に巻き込まれていく。
どうしてそんなことになったのか。
事件の経緯も、心霊現象の意味も、謎の人物の正体も一切明らかにされず、全てが曖昧なままに終わってしまうのだ。
モウリーンは日常を何者かに監視され、内なる変身願望を刺激されて、危うげなスリルと魅惑の息づく映像世界でもがいている。
そこに漂っているのは、喪失感と大いなる不安だ。

オリヴィエ・アサイヤス監督フランス映画「パーソナル・ショッパー」は、不可思議な作品である。
何が現実で、何が妄想なのか。
ヒッチコック風の結末ともに衝撃のラストシーンを含めて、この心理ミステリーには様々な解釈が成り立つだろう。
この作品が、大切な人を亡くした女性が自分を再建していく物語たりうるのだろうか。
それにしても、「トワイライト」シリーズ(2008年~)、「スノーホワイト」(2012年)、「アリスのままで」(2014年)と順調に映画のキャリアを積んできた、主演のクリステン・スチュワートはなかなか陰影に富んでいて魅惑的だ。
アサイヤス監督は言う。、
「映画は答えではなく、問いかけであるべきだ」・・・。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回はアメリカ映画「パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊」を取り上げます。


映画「アムール,愛の法廷」―ふとした思い込みが静かな大人の恋を醸成するまで―

2017-07-09 15:00:00 | 映画


 威厳の中、何という人間の優しさをにじませた作品だろうか。
 ある人との出会いが、人を変えたのだ。
 熟年の淡い恋と、重大事件を裁く厳粛な法廷劇という、二つの物語を巧みに絡めて描かれる。

 ヴェネチア国際映画祭で、脚本賞男優賞W受賞した、上質な大人のラブストーリーだ。
 「大統領の料理人」(2013年)が日本でも大ヒットとなった、クリスチャン・ヴァンサン監督が、1992年の監督作「恋愛小説ができるまで」で主役を演じたファブリス・ルキーニへラブコールを送り、およそ25年ぶりにこの組み合わせが実現した。
 主演男優賞ファブリス・ルキーニは、おやおやどこかで見た人だと思っていたら、 「危険なプロット」(2012年)、「ボヴァリー夫人とパン屋」(2014年)にも出演していたではないか。
 このフランス個性派名優とデンマーク出身のナチュラルな美しさが魅力のシセ・バベット・クヌッセンというベテラン女優との共演が、息の合ったところを見せている。
 デンマークを離れ、フランスで演じるのは初めてだそうだ。



ミッシェル・ラシーヌ(ファブリス・キーニ)は厳格で、人間味のない裁判長として恐れられていた。
しかし、ある日の法廷に、担当する裁判の陪審員の一人として、かつて思いを寄せた女医ディット・ロランサン=コトレ(シセ・バベット・クヌッセン)が現われる。
このことがその後の人生を変えることになる。

あの当時受け入れられることのなかった想い、彼女の優しさは医師として患者に向けられたものでしかなかったからだ。
しかし、裁判長の“鎧”をまとったままの場で、再びディットと向き合うことになったミッシエルの審議は、思いがけなくも次第に人間らしさ、温かさを帯びたものへと変わってゆく。
裁判の合間、ミッシェルとディットは逢瀬を重ね、彼の心の変化はやがて彼女の心をも動かし始めるのだった・・・。

厳格で知られる裁判長、ミッシェル・・・。
法廷を離れた彼が、ディットに愛を語る人間味あふれる一面を見せ、判決前に彼が陪審員たちに語る「正義とは何か」が印象的だ。
法廷の模様も入念な取材に基づいて描かれている。

ヴァンサン監督は社会的なテーマとして、どうしても「法廷」を撮りたかったようで、この舞台は、様々な人種、文化、社会問題など交叉しこすれ合う場でもあるからだ。
殺人罪に問われている被告として、貧しい若者が登場し、陪審員として集まった人種も言語も宗教も違う市民たちは、関係者の証言だけをもとに議論を重ね、被告に判決を下すことになる。
法廷描写にもリアリティがあり、一般人が関係者だけを頼りに真実を探りだし、ひとりの人間の有罪か無罪かを決めることの意味を観客に問いかける。

この作品の「法廷」という舞台は、社会の中でも稀な場所であり、仲間内の社会とは正反対の場所だ。
裁判所の中での撮影にこだわったのも、ヴァンサン監督が様々な言語や文化が実存する中で、しかも自らの国フランスを撮りたかったからだろう。
映画を観ているとわかるが、この物語はちょっとした「勘違い」から始まった。
その「勘違い」がふとしたアクシデントのように、愛のテリトリーとして昇華してゆく微妙なプロセスが面白い。
フランス映画「アムール,愛の法廷」は、れっきとした二人の大人が心を通い合わせていく様子が、まるで初恋のように可愛らしく描かれていて、好感が持てる。
名優二人による成長物語だ。
        [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回はフランス映画「パーソナル・ショッパー」を取り上げます。


映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」―忘れられぬ痛みと傷を抱えて生きていくことのたとえようのない重さと悲しさと―

2017-07-06 17:00:00 | 映画


 アカデミー賞主演男優賞、脚本賞受賞した、重厚で感動的な人間ドラマである。
 「ユ・キャン・カウント・オン・ミー」(2000年)ケネス・ロナーガン監督は、越えようとしても越えられない痛みから再生しようとする、孤独な心に寄り添うような秀作を生み出した。

 悲しみを抱えて生きることは重すぎる。悲しすぎる。
 人間の再生を、優しく丁寧に描いて珠玉の作品となった。
 ささやかでも確かな手ごたえを感じさせてくれる作品で、静かに心に染み入る映画だ。





アメリカ・マサチューセッツ州の小さな港町マンチェスター・バイ・ザ・シー・・・。
ボストンで便利屋として生活していたリー(ケイシー・アフレック)は、兄のジョー(カイル・チャンドラー)が突然亡くなって、故郷の町に舞い戻ってくる。
辛い過去のあるこの町に・・・。
ジョーの遺言で、16歳の息子パトリック(ルーカス・ヘッジズ)の後見人にリーを指名していたが、リーにはその自信がなく、パトリックも充実した高校生活が変化することを望んでいなかった。

リーはショックを隠せない。
それは、二度と戻ることはないと思っていたこの町で、かつて自分が捨てた過去の悲劇と向き合わねばならぬことを、意味していたからだ。
リーは心を閉ざし、頑なに他人との関わりを拒絶する。
彼の深い心の傷はまだ癒えていない。

もともと、彼はどうして心も涙も思い出も、すべてをこの町に残して出て行ったのか。
父を失ったパトリックとともに、リーは新たな一歩を踏み出すことができるのだろうか。
リーの脳裡には、自身の妻ランディ(ミシェル・ウィリアムズ)や、3人の幼子たちとこの地で過ごした過去の記憶が甦る・・・。

主人公リーを演じるケイシー・アフレックの回想と現在のシーンは、まるで別人のようだ。
演技がそうさせているのだ。
それは、彼の過ちによって起きた悲劇が、いつまでも自分を責め続けているからだ。
父を失った甥のパトリックとリーの交流が主軸となるこのドラマは、二人がともに空白を抱え、なかなか理解し合えない。
様々な会話や体験を通して、互いが抱える悲しみや苦しみを受け止めていく描写は、しかし繊細で細やかだ。

ドラマは現在と過去のパートを並列して描いていて、生きることの哀歓を鮮やかに表出する。
決して大声ではなく、次第に明かされていく過去の映像にも、作り手の主人公に寄り添う態度が感じられる。
暗く重い話なのに、ちょっとしたユーモラスなシーンもあったりして、これといった余計な装飾もなく、淡々としてドラマは描かれる。
アフレックの演技が光っている。
生きることの尊さがにじみ出ている。
港町の寒々とした光景の中で、徐々に明らかにされていく過去が痛ましく、元妻役のミシェル・ウィリアムズが「私たちの心は壊れてしまった」と語りかけるシーンが印象的だ。
マット・デイモンがプロデュースし、ケネス・ロナーガン監督が描くアメリカ映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」は、ラストで示されるかすかな希望と温もりとともに、間違いなく今年の注目の一作となるだろう。
          [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はフランス映画「アムール,愛の法廷」を取り上げます。