徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「シアター・プノンペン」―激動の大弾圧の時代を生きた家族の知られざる真実―

2016-08-29 18:00:00 | 映画


 非常にめずらしい、カンボジア人女性による初監督作品だ。
 ソト・クォーリーカー監督が、プノンペンの古い廃墟のような映画館を舞台に、映画愛に溢れたヒューマンドラマを織り上げた。

 1970年代、ポル・ポト政権下圧政に苦しんだ、カンボジアの負の歴史を踏まえつつ、あの暗黒の時代に無関心な現代の若者の姿を描き出している。
 過酷な歴史を背景に、娯楽性と社会性双方に微妙な腐心を感じさせる映画だ。
 あまり知られていない、知られて欲しくないその国の歴史も、いつか明らかにされる時があるものだ。









カンボジアの首都、プノンペン・・・。
いまではバイク置き場となっている古い映画館の片隅から、女子学生のソポン(マー・リネット)は、一本の古い映画を発見する。
何と、その映画は古い恋愛映画で、主演女優は若き日のソポンの母だったのだ!
文化否定のポル・ポト時代で、公開できなかった作品のようだ。
美しく輝いていた母の、知られざる女優時代・・・。
そして、40年間も母を慕い続けていた元映画監督で、いまは映画館主のソカ(ソク・トゥン)・・・。

映画の最終シーンが失われていることを知ったソポンは、今は病床に伏せる母ソテア(デイ・サヴェット)のために、この作品を完成させようと決心する。
ラストの一巻がないので、ソポンが母親の代役で再現して公開する計画を、仲間たちと立てるのだった。
だが、その時から、軍人の父(トゥン・ソーピー)、かつて母と愛し合ったソカたち、世界を揺るがせたクメール・ルージュの時代を懸命に生きた人々の、半世紀近くにも及ぶ数奇な運命が明らかにされてゆく・・・。

40年前に、かつてアジアのパリと呼ばれていたこの街を廃墟とし、国民の四分の一を殺したポル・ポト政とは何だったのか。
もとより温和な国民性で知られるこの国で、政治的な大虐殺があったのだ。
この作品に登場するソポンの父と母も、殺し殺される関係だった。
両親は、娘に本当のことを語っていない。

結末の失われた一本の古い映画をめぐって、若い現代女性が過去と向き合う。
美しい恋愛ドラマの背景に、ポル・ポト率いるクメール・ルージュによる大虐殺という、カンボジアの負の歴史が大きく横たわっている。
飛行機の操縦士だったという監督の父も、殺戮の被害者だ。
ソト・クォーリーカー監督カンボジア映画「シアター・プノンペン」は、彼女の家族の歴史であり、多くのカンボジアの家族の物語でもある。

主人公ソポンを演じるマー・リネットは、カンボジア期待の新鋭女優で、その母親の少女時代という二役に挑み、鮮烈なデビューを飾った。
母親役はカンボジア映画界の大御所デイ・サヴェットで、クメール・ルージュ時代を奇跡的に生き延びた唯一人の女優だ。

多くの映画人を見守ってきた映画館シアター・プノンペン、エネルギッシュな街プノンペン、深い緑に囲まれた静寂の中にたたずむ蓮の池と・・・、現代と過去の歴史が渾然となった作品世界を、オールロケーションで写し撮っている。
カンボジアに広がる過去を封印する風潮に対して、ソト・クォーリーカー監督が一石を投じた(!)意欲作は、激動の時代を生きた映画人たちの壮大なヒューマンドラマだ。
いろいろとエピソードを散りばめて、沢山詰め込みすぎているのは少し気になる。
それでも、優れた娯楽作品に仕上げながら、カンボジア映画人の無念の思いはずしりと重い。
見応えも十分である。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回は日本映画「後妻業の女」を取り上げます。


映画「鏡は嘘をつかない」―死と絶望の闇から再生と希望の光へ―

2016-08-24 18:00:00 | 映画


 父は、海に出たまま帰って来なかった。
 インドネシアの、美しい珊瑚礁の海が舞台だ。
 そこはワカトビといわれる海域で、海の遊牧民とも漂海民とも呼ばれる、バジョ族が暮らしている。
 2002年にインドネシアの国立海洋公園に指定され、2005年にはユネスコの世界遺産として推薦された。
 海には多様な生物が棲息し、ダイビングの聖地としても有名だ。

 インドネシアカミラ・アンディニ監督は、十代の頃からダイビングを通して、ワカトビの海とバジョ族の文化、風習に魅了されてきた。
 彼女はこれまで、自然に関するドキュメンタリー映画を主として製作してきたが、この作品は、彼女の初めての長編劇映画だ。
 映画が進むにつれて、現実と虚構が交錯するドキュメンタリードラマの様相を帯びてくる。
 バジョ族の生活に分け入って、神話的な世界を漂わせながら、海に生きる人々の心に寄り添うように作られた、エキゾティックな作品である。




ワカトビの浅瀬には高床式の小屋が建ち、バジョ族が暮らしている。
10歳の少女パキス(ギタ・ノヴァリスタ)は、漁に出たまま戻って来ない父の無事を信じ、自分の鏡に父の姿が現われるのをひたすら願っていた。
バジョ族にとって、鏡は人や物を探す時に用い、真実を映す神聖なものと信じられてきた。
母タユン(アティクァ・ハシホラン)は、鏡に固執する娘を心配するのだが、彼女もまた夫の死を受け入れられず、その不安を隠すかのように、顔を白塗りにしているのだった。

ある日、イルカの生態を研究する青年トゥド(レザ・ラハディアン)が、ジャカルタから村にやって来る。
村長の指示でパキスの家が彼の下宿先になるが、パキスは父親の家を他人に貸すことが気に入らない。
学校にイルカの話をしに来たトゥドは、友人ルモ(エコ)らを連れて海に出るが、かつてここで多く見られたというイルカの姿はない。
この美しい海域ワカトビでも、地球温暖化や天然資源の開発が生態系に影響を及ぼし始めていた。
トゥドは日を追って村に馴染み、パキスもいつしか彼を慕うようになって、ルモや母タユンもお互いを意識する日々が訪れ、彼女たちの生活に少しずつ変化が現れ始めていた・・・。

父の帰りを待ち続ける母と娘の心模様が、繊細に描かれている。
本当のことは、海と鏡が教えてくれる。
そう信じる海の民、バジョ族・・・。
彼らの暮らしを丁寧に描いていて、好感が持てる。
母親と青年以外のキャストは、現地で抜擢されたバジョ族の人たちだ。
豊かな海の恵みを受けて生活する村人たちの姿が、いきいきと新鮮で興味深い。
神話のような伝説を交えて、美しい海の映像がこれまた素晴らしい。
ここで描かれる小道具の〈鏡〉は、海であり、人であり、魂なのだ。

母親と娘と青年の三者の微妙な関係も、ギリシャ悲劇のような人間の深層を思わせ、ある部分ではドキュメンタリーの要素も見られ、総じて無駄のない画面が抒情性豊かに展開する。
バジョ人は、文字による歴史を残してこなかったので、その代り口頭伝承を発達させ、それを歌に乗せ、親から子、そして孫へと伝えてきたのだ。
映像は、そうした海の民の声を、文明のひとつ向こう側にある、またひとつの文化としてとらえている。
彼らの歌声も、海によって育まれてきたものなのだ。
カミラ・アンディニ監督は1968年ジャカルタ生まれで、まだまだ今後に期待される監督だ。
インドネシア映画「鏡は嘘をつかない」は、豊饒なエキゾチシズムを十分過ぎるほど感じさせる小品だが、とりわけその映像美にはため息がもれる。
稀有な作品である。
        [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回は、これもまた大変めずらしいカンボジア映「シアター・プノンペン」を取り上げます。


文学散歩「絵本作家 西村繁男の世界展」―やこうれっしゃで出発!―

2016-08-21 18:00:00 | 日々彷徨


 西村繁男(1947年~)の、奔放で奇想天外な絵本を含め、多彩な魅力溢れる作品世界を、原画を中心に展観している。
 9月25日(日)まで、神奈川県立近代文学館で開かれている。
 かつての〈昭和〉という時代を髣髴とさせる、リアルで、あたたかな世界が広がる。
 絵本原画をはじめ、取材メモ、ラフスケッチなどの資料を交えて紹介している。

 1980年(昭和55年)に、「こどものとも」絵本として発表された『夜行列車』など、文字のない絵本でありながら、ひとりひとりの人物をその表情まで細やかに描きだし、読者の想像力をかきたてる。
 発表されてから35年以上たっているが、いまなお読み継がれている。
 これらの多彩な作品群は、どれを見てもあきないものばかりだ。












注目される「絵で読む 広島の原爆」(1995年)などは、西村繁男長年の自分の宿題としていた取材を重ね、試行錯誤の繰り返しから生まれたすぐれた絵本である。
子供たちも大人たちにも、平和の尊さを訴え続ける意義深い作品で、一見に値するものだ。
人と、人を取り巻く社会を描くことを目指してきた、西村繁男の原点を見る機会だ。
どの作品群も豊かな物語性があって、子供から大人まで魅了するもので、結構楽しく見ることができる。

9月3日(土)には西村氏本人の講演「人と出会って絵本が生まれる」9月19日(月・祝)には西村氏とのコンビで沢山の絵本を生み出している絵詞作家内田麟太郎氏の講演「西村繁男さんと がたごとがたごと」も予定されている。
いずれも、作品誕生の舞台裏やエピソードについて語る講演で、ほかにもギャラリートークなど関連イベントがある。

暦の上ではとうに立秋を過ぎて、なお厳しい残暑が当分続きそうだ。
連日、日本のメダルラッシュに歓喜した、リオデジャネイロのオリンピック熱戦もようやく終盤を迎えて、こちらも目が離せない賑やかさだった。
この時期、シネコンをはじめ街の映画館や図書館も、涼を求める(!?)子供から、学生、大人たちで混み合っている。
そんな中で、たまたま人気(ひとけ)の少ない、ゆったりとした時間が流れる、よく空調のきいた文学館の静かな空間でのひとときも、また捨てたものではない。

次回はインドシナ映画「鏡は嘘をつかない」を取り上げます。


映画「パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト」―その苦悩と歓喜の軌跡の中で愛を紡ぐ情熱のフラメンコ―

2016-08-18 16:30:00 | 映画


 フラメンコの地・アンダルシアから世界へ。
 フラメンコギターに、新しくジャズなどの要素を取り入れ、活躍の場を広げた、天才の生涯を綴る伝記ドキュメンタリーだ。
 パコ・デ・ルシアは、超絶技巧に歌心を持ち合わせ、2014年に66歳で急逝したのちも、ジャンルを超えてミュージシャンの世界にも影響を与え続ける、天才フラメンコギタリストだ。

 情熱的な演奏と、彼が育ったアンダルシシアの風景の素晴らしさは、スペイン音楽そのものだ。
 クーロ・サンチェス監督はパコの実の息子であり、プロデュサーのルシア・サンチェス・バレラと脚本の共同執筆者カミルダ・サンチェスは、監督の姉妹だそうだ。










パコ・デ・ルシアについては、この映画を観るまでほとんど知らなかった。
作品は、郷愁の漂う映像と、インタビュー映像を絡めながら、テンポよく編集されている。
彼がフラメンコ界において、いかに偉大な天才であるかが分かろうというものだ。

ギターの爪弾き、超絶テクニック、正確なリズムを探求する姿は、孤高の音楽家である。
フラメンコに革命をもたらした男だ。
天才の光と影・・・。
この映画の冒頭及び終幕の場面は、マジョルカ島のパコの自宅で撮影された。
パコは、メキシコに滞在していたときに、心臓発作に見舞われて急逝した。
カメラは、その直前まで誰にも見せなかった、彼の人生、政治、芸術、孤独に対する深遠な考えを、プライベートな素顔とともに余すところなく映し出している。
映画では、独裁政権が崩壊し、音楽世界の広がる時代風景にも触れている。

世の女性たちの心を鷲掴みにし、頑なまでの完璧主義といい、音楽探求の執念は狂気に近く、その生き様に刻印された、栄光と挫折の軌跡をたどってみるがいい。
そして、それはまた、伝説のギタリストの苦悩と歓喜の軌跡でもあろうか。
スペイン映画「パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト」は、音楽映画としてのドキュメンタリーであり、官能的で華麗な旋律が奏でる名演奏シーンには心が震える・・・。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「ブルックリン」―未来を夢見て美しく成長していく女性の物語―

2016-08-16 16:00:00 | 映画


 第二次世界大戦後の好況が続く1950年代、ニューヨーク市ブルックリンへ職を求めて移民したアイルランド人女性が、努力と決断を重ねて成長する様子を丁寧に綴る。
 親の価値観から独立し、成長し、自立するまでの心の揺れを、ジョン・クローリー監督は繊細なガラス細工を扱うように描いている。

 人生は何によって輝くか。
 新しい世界を切り開くか。
 あらかじめ用意された世界にとどまるか。
 これは、生き方の選択をめぐる物語だ。
 甘く美しい物語だが、単なるラブストーリーでないところがいい。










1950年初め、アイルランドの食品店で働く内気なエイリシュ・レイシー(シアーシャ・ローナン)は、母と姉を残して単身大西洋を渡り、ニューヨークへ。
ニューヨーク・ブルックリンの高級デパートで、店員として働くことを決めたエイリシュは、ホームシックが昂じて、自身と勇気を失くしていた。
知人の勧めで、大学で会計の勉強を始めて好成績を修め、自信を持ち始める。
そんなとき、エイリシュは貧しいイタリア移民の若者トニー・フィオレロ(エモリー・コーエン)と恋に落ち、ともに生きようと思い定める。

ブルックリンでの生活が落ち着いた頃、姉の死の知らせが届き、ひとり暮らしの母のもとに帰省したエイリシュは、恵まれた家庭の息子ジム・ファレル(ドーナル・グリーソン)と再会した。
すぐにもブルックリンに戻るつもりが、見違えるほどに成長した彼女を周囲が手放さない。
とくに久々に再会した地元の若者ジムは、彼女に好意を寄せていて、財産家の親を頼りに生きていたが、未来にかける事業計画を考えていた。
エイリシュは好意を寄せるジンの愛を受けるか、それともブルックリンで待っているトニーとの結婚にかけるか。
生まれ育った地で安定を求めるか、ブルックリンに戻って、同じ移民同士、トニーと彼の兄の計画に将来を託すか。

親の財産で生きる男か。
自分で将来をつかみ取ろうしている男か。
エイリシュの気持ちは大きく揺れる。
年老いた母をどうするか。
彼女は究極の選択を迫られることになる。

花のつぼみが開いていくように、愛することの喜びを知り、学ぶこと、行動することを知り、一少女が大人の女性へと美しく変わっていく過程を、1994年生まれのシアーシャ・ローナンが繊細に演じる。
どこかで見た女優だと思ったら、「つぐない」(2007年)キーラ・ナイトレイの妹役を務めていた人で、さすがの演技派、13才にしてアカデミー賞助演女優賞ノミネートされただけのことはある。
古風なドラマで、目新しいものがあるわけではないが、ヒロインの毅然として相手を見る眼差しには清新な輝きがあり、実に表情が豊かだ。
50年代のニューヨークの下町や、人々の活気に満ちた描写も見どころだし、二つの世界、二人の男の間で悩み成長していくヒロインがとても魅力的である。
「エイリシュアイルランドの女王のようで、僕はューヨークの廃品置き場の犬のようだ。だから、完璧な組み合わせだ」と、ロングアイランドの草原で未来の夢を語る、トニーの言葉は自信に満ちている。

アイルランドの静かで美しい街エニスコーシーと、アメリカに移住した人の多くが初めて目にするブルックリンの雑踏・・・。
アイルランド・イギリス・カナダ合作映画「ブルックリン」は、アイルランド系のジョン・クローリー監督が、アメリカの基礎を築いたといわれるアイルランド系移民の思いも、リアルにかつロマンティックに描いていて、好感のもてる作品だ。
故郷を後にした人たちの、痛みの深さということもさることながら、単なるラブストーリーに終わっていない作品の佳さが感じられて、鑑賞後少し幸せな気分になった気もする。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はスペイン映画「パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト」を取り上げます。


映画「シークレット・アイズ」―善と悪そして愛と憎しみの交錯する13年間―

2016-08-13 17:00:00 | 映画


 真実を握りつぶしたのは誰か。
 「ニュースの天才」(2003年)でデビューを飾った、ビリー・レイ監督作品だ。
 この作品は、2010年にアカデミー賞外国語映画賞受賞した、アルゼンチン映画「瞳の奥の秘密」リメイク版だ。
 当時絶賛された驚愕のラストシーンに、さらなるひねりを加え、本格的なサスペンスドラマとして再登場となった。

 ビリー・レイは、本作のような緊迫感のある物語の名手としても知られている。
 それに、ハリウッドのトップに君臨する二人の女優、ジュリア・ロバーツニコール・キッドマンの初競演に、主演男優キウェテル・イジョフォーを配している。
 ドラマは、罪悪感と使命感の間で揺れる、三人の鬼気迫る演技に注目である。
 見応えのある、極上のサスペンスだ。





2002年、ロサンゼルス・・・。
殺人事件の現場に駆けつけたFBI捜査官レイ・カスティン(キウェテル・イジョフォー)は、若い女性の遺体を見て絶句する。
被害者は、テロ対策合同捜査班のパートナーで、親友でもある検察局捜査官ジェス・コブ(ジュリア・ロバーツの最愛の娘キャロリン(ゾーイ・グラハム)だったのだ。

レイは、エリート検事補のクレア・スローン(ニコール・キッドマン)とともに捜査に乗り出した。
一度は容疑者の男マージン(ジョー・コール)を捕まえるのだが、男がテロ組織の情報屋だったことから、上層部は男を釈放して自由の身にしてしまった・・・。
それから13年、失意のもとにFBIを辞めたレイが、クレアとジェスのもとに還ってくる。
新たな手がかりを見つけ、FBI組織内の事情で闇に葬り去られてしまった捜査を、開始するためであった。
・・・やがて、想像を絶する事実が解き明かされていく。

家族同然の親友の娘を救えなかったことに苦悩し、犯人をその手で逮捕するため、クレアへの愛までも封印してしまった正義漢レイに扮するキウェテル・イジョフォーの演技が熱い。
娘を奪われた母親の怒りと悲しみを、ほぼノーメイクで演じたジュリア・ロバーツ、美しくエレガントな検事補役で容疑者を自白に導こうと、高度な罠を仕掛けるニコール・キッドマンと、3人の駆け引きから目が離せない。
レイとクレアとの関係については、もう少し詳しい説明があったほうがよかった。

ビリー・レイ監督(脚本とも)アメリカ映画「シークレット・アイズ」は、緊迫感の溢れるサスペンスドラマで、冒頭から終盤までハラハラし通しだ。
ドラマティックな展開に引き込まれる一方で、ハードボイルド的な一面もあり、キャロリン殺しの捜査と並行して描かれるレイとクレアの秘めたる恋愛劇も、もっと見せ場があってしかるべきだった。
13年前の過去と現在とが交錯し、二つの時代にまたがって、キャラクターや心情の衣装などへの投影や撮影方法には、おやっと思われるような細やかな気配りも感じられる。
犯罪ドラマファンにとっても、見逃せない楽しめる一作となった。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はアイルランド・イギリス・カナダ合作映画「ブルックリン」を取り上げます。


映画「ヒマラヤ 地上8,000メートルの絆」―熱き仲間たちの名誉も栄光もない過酷な挑戦―

2016-08-09 22:00:00 | 映画


 仲間との絆と友情のため、最も過酷な登攀を余儀なくされた遠征隊がいた。
 極寒の地獄の中、知られざる77日間の真実を、イ・ソクフン監督が綴った。
 2005年に、山岳史上最も壮絶なドラマが演じられた。
 俳優たちは、本物の遠征隊を髣髴とさせる、臨場感あふれるリアルな映像を作り上げたのだ。

 そこは、人間が近づくことの許されない、神の領域だった・・・。
 エベレストで遭難した登山仲間のため、遺体回収を敢行した、韓国の英雄的登山家オム・ホンギル率いる登山隊の実話をもとにしている。










2004年、その悲劇は起こった・・・。
登山家オム・ホンギル(ファン・ジョンミン)は引退後、手塩にかけて育て、ヒマラヤ4座を登頂した最愛の後輩パク・ムテク(チョンウ)が、エベレスト登頂成功後のが下山途中の遭難死したことを知る。
ムテクが遭難した地点は、人間が存在できないデスゾーンと呼ばれる、エベレスト地上8,750メートル付近だ。
遺体の収容は不可能とされていた。

誰もが諦める中、足を悪くして引退したホンギルだったが、数々の偉業を成し遂げたかつての仲間たちを集め、“ヒューマン遠征隊”を結成した。
そして、山頂付近の氷壁に眠るムテクと、帰りを待つ家族のため、危険かつ困難なデスゾーンの登攀に挑むのだった。
「必ず迎えに行くから」という、登山仲間との最後の約束を果たすために・・・。

ヒマラヤ、モンブランなどでの撮影は5カ月に呼び、死線を超えた男たちの熱い友情のドラマは完成した。
仲間の遺体回収ということだけを目的に、世界最高峰の山で、危険極まりない決死の捜索が行われる。
韓国の名優ファン・ジョンミンが、今回は実在のカリスマ登山家に扮し、強く優しさを兼ね備えた理想のリーダー像を、全身で体現している。
登山には新人で、やがて成長し、自分が隊長としてエベレストに挑戦する好青年ムテクを、チョンウがシリアスに緊張感を盛り上げていく。
多分この作品は、韓国での本格的に山岳を扱った映画ではないか。
吹雪や雪崩、そしてクレバス、厳寒の中のロケーションによる本物の臨場感と、荘厳で雄大な大自然のスペクタクル映像を見るだけで胸がわくわく躍る。

イ・ソクフン監督韓国映画ヒマラヤ 地上8,000メートルの絆」で語られるもの、それは仲間たちの友情、夢、そして生と死といった普遍的なテーマの数々である。
この作品はその意味でも、すでに山岳映画の域を超えたヒューマンドラマであり、期待にたがわぬ作品だ。
ヒマラヤには、今も多くの登山家の魂が眠っているという。
彼らは、祖国の家族のもとへ帰るという夢をかなえることができず、志半ばで亡くなった。
ヒマラヤの8,000メートル峰というだけで、人間の能力を超越した世界だ。
その頂きへの挑戦は、まさに命がけの行為で、作品には深い余韻が残り胸熱くなる力作といえる。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はアメリカ映画「シークレット・アイズ」を取り上げます。


映画「あなた、その川を渡らないで」―76年間連れ添った夫婦の純愛物語―

2016-08-08 17:00:00 | 映画


 韓国の小さな村で暮らす、結婚76年目の夫婦の日常を丹念に撮り続けた、ドキュメンタリーだ。
チ ン・モヨン監督は、老夫婦の日々に15ヶ月密着して撮影した。
 慎ましくも、いたわり、慈しみ合う夫婦の歳月が素晴らしい。

 韓国の劇場では、ひっそりと公開されたこの作品が、数ヶ月後口コミで広がり、公開劇場は800館を数え、ハリウッドの大作を抑えて大ヒットしたそうだ。
 韓国国内では、10人に1人が観たこととなるが、480万人という驚くべき観客を動員し、若者からお年寄りまでを巻き込む社会現象にまでなった。
 何と、その勢いは国内にとどまらず、世界中の映画祭でも上映され、多くの観客賞に輝き、日本でも公開されるや、上映館は連日補助椅子が用意される混雑となった。
これを人気映画というのですか。






川のほとりの美しい村・・・。
98歳のおじいさん(チョン・ビョンマン)と89歳のおばあさん(カン・ゲヨル)は、仲睦まじく暮らしていた。
妻が14歳の時に結婚して、76年がたった。
夫は、毎日、妻の顔を優しくなでて寝る。
二人はいつもお揃いの民族衣装を着て、手をつないで散歩したり、庭掃除をしながらふざけ合う。
春には花を折って互いに飾り、秋には落ち葉を投げ合ってはしゃぎ、冬は真っ白な庭で雪合戦に興じる。
その姿はまるで、仲の良い子供のようだ。

2人は12人の子供を授かったが、6人を幼くして亡くし、昔も今もラブラブ夫婦に違いはないのだが、日本の植民地時代や朝鮮戦争などの厳しい体験もしている。
ある日、市場へ子供の寝巻を買いに出かける。
貧しくて買ってあげられなかった天国の子供たちに、先に死んだ方が届ける約束なのだ。
そんな愛に包まれた穏やかな日々が続くが、おじいさんの死が迫ってくる。
おばあさんは、「私がすぐ逝かなかったら、迎えに来てよ」と言って、おじいさんの手を強く握るのだった・・・。

仲睦まじく暮らす老夫婦の話は、身に染みる。
カメラは近くもなく遠くもなく、ほどよい距離で二人を温かく見守っている。
76年をともに過ごした夫婦の心情が、細やかに映し出されて、見事な調和を見せる。
夫婦の静的なカットは、全編愛に溢れている。
画面は常に固定されていて、観客は自然と物語に没入することができる。

最後は、おじいさんの体調が悪くなって、結局亡くなるまでをカメラは追っている。
おじいさんが亡くなって、雪降る中、天国の夫におばあさんが語りかける場面は感動的である。
チン・モヨン監督ドキュメンタリー「あなた、その川を渡らないで」は、愛を主題にした胸に沁みてくる映画だ。
鑑賞には、とくに女性はハンカチとティッシュは忘れずに用意した方がよろしいようで・・・。
愛情の溢れた、丁寧に綴られる老夫婦の毎日の暮らしの記録が、ここに生きている。
全てが自然体でよく撮れていて、これがドキュメンタリーとは、とても信じられないほどだ。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回は韓国映画「ヒマラヤ~地上8,000メートルの絆~」を取り上げます。


映画「教授のおかしな妄想殺人」―人生の不条理さと滑稽さにひねりを加えたダーク・コメディ!―

2016-08-07 15:00:00 | 映画


 1960年代後半から、年に1本以上は映画を撮り続けている。
 そのウディ・アレン監督の最新作だ。

 人生というものは、どこへ転がっていくのか誰もわからない。
 人間とは、どうしようもなく無力な存在だ。
 そもそも、人間の生きる意味とは何だろうか。
 目には見えない運命や偶然を受け入れながら、奇妙にすれ違う男女の運命が描かれる。
 そして、その行き着く果てには何が待っているというのか。











人生に退屈する大学の哲学科教授エイブ(ホアキン・フェニックス)は、アメリカ東部の大学に着任して間もなかった。
彼は、人生は無意味だという心境に達していた。
孤独で無気力な日々を過ごすエイブのまとった陰に、女子大生ジル(エマ・ストーン)は強く惹かれるのだった。

ある日、たまたまエイブは悪徳判事の噂を耳にした。
その瞬間から、彼の脳裏には、突拍子もない、奇妙奇天烈な考えがひらめく。
つまり妄想だ。
それは、誰にも疑われることななく、自らの手で判事を殺害するという完全犯罪への挑戦であった。
そんなことから、エイブは自らが“生きることの意味”を発見し、とたんに身も心も絶好調となり、超アクティブでポジティブな人間に大変身を遂げた。
そして、ただただ憂鬱でしかなかった彼の暗黒の日常が、鮮やかに色めきだし、一方エイブに好意を抱くジルは、まさか彼の頭の中に、おかしな妄想殺人が渦巻いているとはつゆ知らず、ますます恋心を燃え上がらせていくのだったが・・・。

ドラマそのものが唐突で、やや荒唐無稽な話なのだ。
ウディ・アレン監督、これまでも自分の人生観を反映させた幾多の分身を創造してきたが、今回の主人公エイブはとびきりユーモアに富んだキャラクターといえそうだ。
女性にはもてるし、その気もなく書いた論文も高く評価される。
でも当の本人は、さっぱり達成感や喜びを得られないでいる。
そんな絶望の闇(!?)に囚われている男が、突然思い立った完全犯罪への挑戦によって、とうの昔に失われていたバイタリティを取り戻し、別人のように溌剌とした行動派へと大変身していくのだ。
意外な展開だ。

アレン前作「マジック・イン・ムーンライト」(2014年)にも出演したエマ・ストーンは、知性のにじむ幅の広い演技力ともにコミカルな味わいをよく出しているし、自分を見失ってしまった教授エイブ役のホアキン・フェニックスも、アレンの演出する画面で見せる飄々とした演技もなかなかだ。
何が有意義なのか。
有意義たる人生を追い求める狂気やエゴや、勘違いをまき散らす、哲学科教授の皮肉と波乱に富んだドラマは、アレンの真骨頂といえるだろう。

アメリカ映画「教授のおかしな妄想殺人」では、テンポのきいた、ねじれにねじれる展開が続き、ウディ・アレン監督の遊び心満載といったところか。
危険極まりない妄想に、燃え上がる恋の情熱、噛み合いそうで全く噛み合わない男女の運命を描きながら、笑わせるところでは面白く笑わせる。
全編に流れるブラック・ユーモアと毒気を含んだ痛烈な風刺と皮肉・・・、不道徳で、人をだまして驚かせる手品師のようで、殺人を妄想し実行に移すなど、ちょっとやりすぎにも見えるが、そこがアレン喜劇たるゆえんか。
ラストはとんでもない展開だ!
・・・御年80歳にしてアレンが見せるのは、恋愛と犯罪が絡み合って、とにかく異彩を放つ妄想ドラマだ。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆」(★五つが最高点
次回は韓国ドキュメンタリー映画「あなた、その川を渡らないで」を取り上げます。


映画「或る終焉」―静かな安寧を求めて孤独な魂が寄り添う最期の時―

2016-08-06 17:00:00 | 映画


 メキシコ次世代を担う新たなる才能の誕生だ。
 弱冠36歳のミシェル・フランコ監督が、終末期の患者をケアする看護師の献身愛と葛藤を、サスペンスフルに描き切った。
 非常に大きなテーマに挑戦した、意欲的なヒューマンドラマだ。
 カンヌ国際映画祭脚本賞受賞作で、現代人の誰もが抱える社会的な問題を、これまでにない新しい視点で見つめた貴重な作品だ。
 人間の、そして生命の尊厳とは何であろうか。













主人公デヴィッド(ティム・ロス)は、病気や事故で寝たきりになった患者の自宅に通ってケアをする、中年の看護師だ。
妻ローラ(ネイレア・ノーヴィンド)と娘ナディア(サラ・サザーランド)とは、息子ダンの死をきっかけに疎遠となり、一人暮らしをしていた。
デヴィッドは、余命半年以内の終末期患者サラ(レイチェル・ピックアップ)を看取った後、脳卒中で半身麻痺の老人ジョン(マイケル・クリストファー)を担当するが、仲の良さを家族から不信の目で見られ、セクハラの非難まで受けて職を失った。

やがてデヴィッドは、末期がんに侵された中年女性マーサ(ロビン・バートレット)を担当することになる。
最初は彼に心を閉ざしていた彼女だったが、彼の献身的な態度に、徐々に心を許していく。
しかし、化学療法の副作用に苦しんでいたマーサは、身も心も追いつめられていた。
そしてある日、マーサがデヴィッドに「手を貸してほしいの・・・」と、安楽死の幇助を意味するかのような言葉で懇願する・・・。

マーサは嘔吐や脱糞などの症状で、どんどん人間的な尊厳が失われていく。
そして看護師のデヴィッドに、「ひとりで死にたくない」と言って、安楽死を求めるのだった。
主演のティム・ロスはハリウッドの人気俳優だ。
彼はこの作品の製作指揮も行い、役作りにも力を入れ、静かな死と向き合いながら、自身で寡黙な人間像を作り上げた。
セリフは少なく、画面は静謐に満ちている。
終末期の患者の心を共有することなど、出来ないのだ。

映画は長回しの固定画面が多く、しかしラストの移動撮影は秀逸だ。
優しい眼差しで作られた映画である。
愛する人の最期を、家族はプロに任せることが本当にできるだろうか。
見知らぬ看護師に任せられるだろうか。
この作品で、デヴィッドは患者の葬儀に出ることはあっても、親族との会話はほとんどない。
ドキュメンタリータッチの撮影技法にこだわって、臨床風景がより一層際立つ演出となっている。
衝撃のラストシーンをどう見たらよいか。
考えさせられるところである。

ミシェル・フランコ監督は、実際に自分の祖母と看護師の話から脚本を書いたそうだ。
メキシコ・フランス合作映画「或る終焉」を観て感じることは、人生も人間も謎めいたものであり、その世界には誰にも裁くことのできない領域が横たわっているのではないかということだ。
美しくも強烈な余韻を残す、一作である。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はアメリカ映画「教授のおかしな妄想殺人」を取り上げます。