徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「ヒトラー暗殺、13分の誤算」―世界は必ず変わるはずだった―

2015-12-30 10:00:00 | 映画


 戦後70年を経て明かされる、ドイツが隠し続けた衝撃の実録である。
 独裁者の人間性に迫った「ヒトラー~最後の12日間」(2004年で名高い評価を得た、ドイツの名匠オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督の作品だ。
 前作では第三帝国末期に焦点を絞ったが、この作品では視点を変え、ナチスが侵蝕していく30年代の裏話が描かれる。

 市井の主人公の、信念を曲げぬ生き様をリアルに映し出し、わずか13分の差で、世界の歴史が大きく変わったかもしれないと思わせる事件を綴った。
 これまでのナチスものとは一線を画して、綿密なリサーチを重ねて書き上げられた脚本の力が大きい。








1939年11月8日、ドイツ・ミュンヘン…。

36歳の家具職人ゲオルグ・エルザー(クリスティアン・フリーデル)は、ナチス式典を行うビアホールに時限爆弾を仕掛けたが、たまたまヒトラーの演説が予定より13分早く切り上げられて、ヒトラーは退出した。
このためその13分後に時限爆弾が爆発し、8人が死亡、ヒトラー暗殺は未遂に終わった。
スイスに逃亡しようとしたエルザ-は逮捕され、刑事警察局長ネーベ(ブルクハルト・クラウスナー)と、秘密警察ゲシュタボ局長ミュラー(ヨハン・フォン・ビュロー)の厳しい尋問を受けた。

ゲオルグ・エルザーへの激しい拷問と彼の回想を通して、何故、平凡な家具職人がヒトラー暗殺を企てるに至ったかが、徐々に紐解かれていく。
事件の7年前、エルザ-は音楽とダンスと恋に興じる普通の青年だった。
しかしエルザは、ナチス内閣成立後、次第に社会の息苦しさを感じるようになる。
共産党員の友人が捕まり、ユダヤ人を恋人に持つ隣人が迫害され、暮らしていたのどかな小村に、ナチスの全体主義がじりじりと押し寄せてきていたのだった。
エルザーはスパイどころか所属政党もなく、たった一人で事件を実行したと主張し、対して秘密警察はどこまでも背後関係の追及にこだわり続けたのだったが・・・。

エルザーの回想には人妻との恋物語もあり、ありきたりの日常の自由の価値が浮かび上がってくる。
彼の拷問と回想が交互に描かれ、回想の田園風景が美しく、対比的に描かれる拷問シーンの絶望感がきりきりと胸に痛い。
ヒトラー暗殺計画は、シュタウフェンベルク大佐ワルキューレ作戦など40回以上あったとされるが、戦争突入を早期に予見し戦中で阻止に動いたといわれ、エルザ-の綿密な計画のもとに、精密な爆弾を一人で作ったというのは驚きである。
注目すべきは、そんな彼を、実は最も恐れていたといわれるヒトラーが、敗戦直前まで生かしたことだろう。
戦後長くエルザーは歴史に埋もれていて、偏屈な共産主義者とみなされ、東ドイツでは無視された。
復権の動きは90年代からだったといわれる。

巨大組織に疑問を感じ、一人で行動を起こし、立ち上がった。
たった一人でも世界は変えられる。
オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督ドイツ映画「ヒトラー暗殺、13分の誤算」は、一庶民の危機感からヒトラー暗殺を狙った主人公の視点から詳細に描かれたという点が、大きなな特徴といえる。
ゲオルグ・エルザーは逮捕後、ヒトラーの死の直前まで収容所で生かされ、処刑後もドイツ政府が彼の存在を隠し続けていた理由は諸説あり、さだかではない。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点

今年も間もなく暮れていこうとしています。
どうぞ来たるべき良い年をお迎えください。
今年はこの辺で失礼します。
ではまた・・・。Au revoir!


映画「母と暮らせば」―悲痛な現実のかなたに夢の温もりが―

2015-12-26 12:00:00 | 映画


 84歳の山田洋次監督の果敢な挑戦心に、少々驚いている。
 山田監督の新作は、しかも初のファンタジーだ。

 それは、長崎の原爆で死んだ息子の幽霊と生き残った母親が語り合うという、物語だ。
 広島を題材にした、井上ひさし戯曲「父と暮らせば」の姉妹編ともいうべき作品で、戦争で生き残った者の複雑な心中を描いている。














1948年8月9日、長崎・・・。
助産婦をして暮らしている伸子(吉永小百合)の前に、3年前に原爆で亡くなったはずの息子・浩二(二宮和也)がひょっこりと現われる。
伸子は呆然とした。
「母さんはあきらめが悪いから、なかなか出てこられなかったんだよ」
その日、浩二の墓前で、「あの子は一瞬の闇に消えてしまったの。もうあきらめるわ」と言ったばかりだったのだ。

その日から、浩二は時々伸子の前に現われるようになった。
二人は楽しかった思い出話から、他愛のないことまで沢山の話をするが、最大の関心は、医学生だった浩二の恋人・町子(黒木華)のことだった。
「いつかあの子の幸せも考えなきゃね」と言って、死後もなお町子のことをあきらめきれない浩二を諭すのだった。
母と息子、二人で過ごす時間は特別なものだった。
奇妙な時間だけれど、楽しかった。
その幸せは永遠に続くように見えた・・・。


この物語の根底に流れるものは、山田監督作品で変わらず描かれてきた人間愛だ。
この作品も、優しくて、しかし悲しい物語だ。
そして、作家・井上ひさしへ捧げるオマージュなのだ。

原爆が投下され、浩二や多くの友人が死んだが、町子は職場を病欠したため難を逃れた。
悲別の街で、町子は死ななかった罪悪感を抱えて生きている。
伸子は、一片の骨のかけらも残さずに逝った息子の死を、受け入れられない。
核兵器の持つ非人間性を訴えつつ、母子のせつない時間の流れが綴られる。

戦後の苛酷な現実の中で、妄想する母親の悲痛なドラマを、ファンタジー様式を駆使して、いかにも山田洋次監督らしい温もりのある作品だが・・・。
哀切をたたえた、誠実で丁寧な作品であることは認めるが、ドラマはまだるっこいところも多々あり、しばしば眠気に襲われた。
つまりは退屈なのである。
吉永小百合、二宮和也もいいが、戦中戦後のこの時代に若者の長髪だってぴんとこない。
黒木華の無表情に近い演技も気になる。
ラストシーンの演出もすっきりせず、理解しずらい。

山田洋次監督映画「母と暮らせば」は、老成したベテラン監督もややお疲れのご様子で、個人的には期待外れの作品だ。
幽霊を扱った反戦映画で、とくに若い世代はどれだけ戦争の悲劇を感じ取ってくれただろうか。
映画の中で、山田監督が伸子に語らせるセリフだけは印象に残った。
「地震や津波は防ぎようがないけれど、戦争は防げたことなの。人間が計画して行った、大変な悲劇なの」・・・。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回はドイツ映画「ヒトラー暗殺、13分の誤算」を取り上げます。


映画「白い沈黙」―ひとりの少女の失踪事件を追う父親の苦悩―

2015-12-23 16:00:24 | 映画


 「秘密のかけら」(2005年)、「クロエ」(2009年)アトム・エゴヤン監督が、冷たく暗いカナダの雪景色を背景に、愛と喪失の物語をミステリアスなタッチで描いた。
 9歳のひとり娘の失踪事件を追って、娘を捜す父親が、事件の隠された真相に迫ろうとするドラマだ。

 しかし、現在と過去をパズルのように組み立てたドラマ構成は、時系列も乱暴で、突然画面の飛躍、省略があったりして、あまり感心できない。
 謎解きや娯楽性も、内在する社会性も、少女誘拐の犯罪組織の描かれ方も中途半端で、せっかくの好奇心まで削がれる。











アメリカ国境に近いカナダの街、ナイアガラフォールズ・・・。

マシュー(ライアン・レイノルズ)とティナ(ミレイユ・イーノス)夫妻は幸せな毎日を過ごしていた。
ある雪の日、スケート場に9歳の愛娘キャス(アレクシア・ファスト)を迎えに行った帰り道のことだった。
行きつけのダイナーに立ち寄った際、ほんの数分の間に、車の後部座席に残したキャスが忽然と姿を消してしまったのだ。
マシューは、何者かによって娘が誘拐されたと主張したが、具体的な物的証拠や目撃情報は一切なく、刑事たちからも逆に疑惑の目を向けられることになった。
娘の失踪に妻ティナも取り乱し、彼女からも猛烈な非難を浴びる始末で、夫婦の間にできた亀裂は収まりそうにない。

・・・それから8年、捜査は完全に行き詰まり、マシューは娘を守れなかった自責の念に暮れ、毎日のようにあてどなく車を走らせ、キャスを捜し回っていた。
そんなある日、刑事がネット上にキャスによく似た少女の画像を発見、その後も彼女の生存をほのめかす手がかりが次々と浮上する。
それは、誰が何のために発したサインなのか。
マシューの行く手に何が待ち受けているのか。
8年もの空白に、一体何があったのか・・・。

突然消えてしまった、娘を捜す父親の不安ははかり知れず、不可解きわまりない陰湿な事件は何が目的だったのか。
詳細な描写や説明はないに等しい。
ドラマの構成にも無理がある。
設定も無茶苦茶(?!)だ。
どうやら、悪の犯罪組織が運営するサイトがあるらしいと分かっても、その狡猾な組織が誘拐した児童を商品に仕立て、何事かをたくらんでいる様子だ。

それにしても、8年間という長い間どんなことが少女の身に降りかかったのか。
謎は謎をはらんだまま、あっけない終盤を迎える。
映像のインパクトもそれなりだから、期待も膨らみ、異常な状況下での父親の苦悩も伝わってくるが、そこまでで、核心の部分が抜け落ちている。
これでは、凍てついた風景の中で観客の心まで凍てついてしまう。
アトム・エゴヤン監督カナダ映画「白い沈黙」は、どう見てもドラマとして雑駁は否めず、期待外れの作品になってしまった。
      [JULIENの評価・・・★★☆☆☆](★五つが最高点
次回は映画「母と暮らせば」を取り上げます。


映画「さようなら」―死を知らぬアンドロイドと死にゆく孤独な人間との対話―

2015-12-21 06:00:14 | 映画


 人間そっくりのロボット、アンドロイドと生身の人間の共演で話題を呼んだ、平田オリザの舞台劇を「ほとりの朔子」1913年)深田晃司監督が映画化した。

 海外でも注目を浴びた舞台を見て触発された深田監督は、企画から脚本を書き上げ、短い舞台劇を映画ではさらに難民や原発という設定を加え、作品に膨らみを持たせている。
 主人公の、極限までの孤独を突き詰める作品となった。
 作品全体に、愛おしくもどうにも救いようのない寂寥感が漂っている。
 芸術と科学のコラボレーション、生と死を見つめる時間を描いている。
 そしてこれは、人類の傲慢がもたらす滅びの世界だ。










近未来の日本・・・。
原子力発電所が大爆発し、国土は放射能で汚染され、日本政府は「棄国」を宣言する。
世界各国と連携し、計画的な避難体制のもと、優先順位に従って国民は次々と国外へ脱出していった。
しかし、難民であるターニャ(ブライアリー・ロング)は順位が低く、病弱であるため、ターニャが幼い頃から話し相手となり、彼女を支えているアンドロイドのレイナ(ジェミノイドF)とともに取り残されてしまう。

日本人が続々と海外へ避難する中、人間そっくりのアンドロイド、レオナとターニャは人里離れた一軒家で暮らし始める。
ターニャは、幼い頃から病弱な彼女を支えてきたレオナの暗誦する詩を聴き、会話を交わしている。
人々の姿はもうほとんど見られない。

病弱な娘のために、介護役のレオナを買い与えたのは、今は亡き両親だった。
アフリカの黒人に逆差別され、10歳の時に難民として日本にたどり着いた白人ターニャに再脱出の希望はない。
結婚したいと思っていた恋人のコリアン、サトシ(新井浩文)は彼女の気持ちを理解しながらも、彼に退避の順番が回ってくると、女友達とともに去っていってしまった。
計画的な避難で人がいなくなっていく田舎町で、やがてレオナとターニャは最後の時を迎える・・・。

緊急に国外への非難がままならず、悲しい運命を迎える南アフリカ難民の女性と、彼女に寄り添うアンドロイドの姿を通して、生きること、死ぬことは何かを見つめる。
原発事故、難民、差別、生死といった、どれも重い課題が本編に凝縮されている。
登場人物は自然体で、誰もが寡黙で、わずかな表情の変化と顔の角度に、不意に生々しい憂いを帯びたり、喜びの表情を見せるロボットに存在感があり、そのリアルなあまり人間との差も少なく感じられる。
アンドロイドに心があるわけはないだろうし、人間と対峙するとき、お互いの齟齬はどのようなものであろうか。

レオナを演じる本物のアンドロイド「ジェミノイドF」は、ロボット研究の第一人者、大阪大学の石黒浩教授らが開発したもので、舞台と同じくこの映画でも同じ役を演じている。
死に向かって生きる人間と、死を知らないアンドロイド・・・、この不思議な人間と機械との関係は、孤独と孤独との関係だ。
移りゆく光と雲、風、その風に揺れる芒の穂、わずかな樹々のざわめき、それらはすべて終末に近づく時空である。
聞いたことのある詩だと思ったら、それは谷川俊太郎、若山牧水、カール・ブッセらの詩をレオナがターニャに読んで聴かせているのだった

最後には誰もいなくなり、ターニャの最期をみとったレオナ・・・、そのあとの展開が見ものだ。
遺体が朽ちていく後に、生前のターニャが語っていた数十年、数百年に一度咲く竹の花を見ようとレオナが外に出る。
生とは何であろうか。そして死とは何であろうか。
滅亡の風景の中に、アンドロイドのレオナは激しく希望を求めているのだ。
誰の意志で・・・?
胸に迫る、秀逸なラストシーンである。
生命や心の存在について、深く考えさせられる作品だ。
深田晃司監督作品「さようなら」は、荒涼とした静謐と寂寥感に包まれた、不思議な映画である。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はカナダ映画「白い沈黙」を取り上げます。


映画「杉原千畝 スギハラチウネ」―ユダヤ難民を救ったひとりの日本人の真実の物語ー

2015-12-09 13:30:00 | 映画


 第二次世界大戦下で、日本政府の許可を待たずに、ユダヤ難民にヴィザを発給し続け、6000人の命を救ったといわれる外交官・杉原千畝の生涯を描いた力作である。
 何故彼は、自分や家族までもが危険にさらされるのを知りながら、ヴィザを発給したのか。
 その決意の裏がここに解き明かされる。

 終戦70年の節目の年、ひとりの日本人の果敢で勇気ある生きざまを描いたドラマで、チェリン・グラック監督は、ワルシャワ他ポーランド各地で撮影を敢行し、壮大なスケールの作品を完成させた。
 チェリング監督は、日本育ちの日系アメリカ人で、ハリウッドの大作で経験を積んだ監督だ。










1934年、旧満州(現中国東北部)・・・。
堪能な語学と情報網を武器に、ソ連との北満鉄道譲渡交渉に成功した外交官、杉原千畝(唐沢寿明)はその一方で関東軍の裏切りに失望し、帰国する。
千畝は、在モスクワ大使館への赴任を希望していたがかなわず、外務省からリトアニア・カウナスにある日本領事館への勤務を命じられる。

1939年、千畝は妻幸子(小雪)をともなってリトアニアに赴任し、新たに相棒のペシュ(ボリス・シッツ)と一大諜報網を構築し、ヨーロッパ情報を日本へ発信し続けた。
そんな中、やがて第二次世界大戦が勃発し、ナチスドイツがポーランドに侵攻し、ナチスに迫害され国を追われたユダヤ難民たちが、多数日本領事館にヴィザを求めて押し寄せてきた。
日本政府の承認を得られないまま、杉原千畝は自身の危険をも顧みず、難民たちにヴィザを発給する覚悟を決めたのだった・・・。

ナチスの迫害から、多くのユダヤ人を救済した映画「シンドラーのリスト」(1994年・スティーヴン・スピルバーグ監督)の主人公になぞらえ、杉原は「日本のシンドラー」とも呼ばれる。
彼はもともと、日本のために使命に燃える優秀な外交官であった。
独断でユダヤ人を救うことには、国家の方針に背く覚悟が必要だった。
様々な葛藤(!)を乗り越えて、杉原がヴィザ発給を決意するまでの思いが重要な部分だ。
親がナチスに殺された孫を連れた祖父、空腹に耐えかねる幼な子・・・、そうした彼らのまなざしに、千畝は良心の呵責に揺れ、ともに赴任した幸子の言葉で外交官を志した初心を思い出すのだ。
日本船の乗務員(濱田岳)も、はじめはユダヤを拒否するが、避難民の姿を重ねて心が痛み、乗船を許可する。

非人間的な戦争のさなかにも、凛として人間の尊厳を失わない行為は存在した。
その積み重ねが、後世につながる偉業となった。
目を覆いたくなるようなユダヤ人虐殺のシーンは、極力抑えて少なくしたのはよかった。
戦争を語るのに、極限に生きた人間の物語として、描かれている。
考えてみれば、たった一枚の紙切れが人の生死を分けたのだ。
日米の要素を合わせ持つチェリン・グラック監督だからこそ、国籍を問わず、善意の人々を公平な視点で取り上げているようだ。
杉原千畝がヴィザに手書きで黙々と署名するシーンが、印象的だ。
ナチスが占領するポーランドから、多くのユダヤ人がリトアニアに逃れて、シベリア鉄道を経由し、日本へ渡って、米国などに脱出するしかなかったのだ。
杉原は、日本通過のヴィザを独断で発給し、こうして6000人のユダヤ人の命を救ったといわれる。

杉原千畝は、戦後退職勧告を受け、外務省を去った。
彼は、晩年イスラエル政府から表彰され、86歳で激動の生涯を閉じた。
チェリン・グラック監督作品「杉原千畝 スギハラチウネ」では、終盤に登場する第二次世界大戦の映像や迫害を受けたユダヤ人の数など、客観データが示され、主人公の功績を位置づける演出も頼もしい感じだ。
主人公の千畝の善意については、丁寧に描かれているが、戦火の混乱の中の不条理についてはさらなる突込みも欲しかった気がする。
また、彼の苦悩や葛藤についても、もっと掘り下げた描写を期待したかったが・・・。
外交官としての記録資料「杉原リスト」が、世界記録遺産の国内候補に選定され、今年は改めて第二次世界大戦のナチスからユダヤ人を救った杉原千畝に光が当てられて、喜ばしいことだ。

主人公役の唐沢寿明と妻役の小雪は、当時の日本領事館ゆかりの地リトアニアのカウナスを訪れ、当地で開催されたワールドプレミアでは、上映中にも観客のすすり泣きが聞こえ、5分間ものスタンディングオベーションに目を潤ませたという。
プレミアでは立ち見を含めて500人が集まり、200人が入場できないほどの盛況だったそうだ。
さて日本では・・・?
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回は映画「さようなら」を取り上げます。


映画「草原の実験」―歴史の傷痕は世界を驚愕させる結末を招く―

2015-12-06 12:00:00 | 映画


 何気ない日常と世界の終末を思わせる狭間に、その少女は何を見たのか。
 東京国際映画祭最優秀芸術貢献賞WOWOWダブル受賞したほか、海外の映画祭でも数々の賞に輝いた作品である。。

 セリフを一切排除して、映像と音だけという極めてシンプルな構成だ。
 ロシア新鋭アレクサンドル・コット監督の作品で、タイトルの通りこの映画は「実験」映画で、とくにラストシーンの衝撃は目が離せない。
 驚愕の恐怖にもう言葉を失うとはこのことだ。
 平凡で、淡々とした日常があり、でもそこには不穏な人類の予測が潜んでいる。
 ひとりの少女が平原で見たものは何だったのか。
 実話に基づいた、人類を震撼させるような歴史の傷痕がここにある。







少女ジーマ(エレーナ・アン)は、大草原にぽつんと建つ小さな一軒家で、父親のトルガ(カリーム・パカチャコーフ)と暮らしていた。
風邪が吹き渡る緑豊かな草原には、家族を見守るように一本の樹が立っていた。
少女は、毎朝どこかへ働きに出かける父親を見送り、その帰りをおとなしく待っていた。
ジーマは壁に世界地図が貼られた部屋で、スクラップブックを眺め、遠い世界へ思いを馳せていた。
地元の少年カイスィン(ナリンマン・ベクブラートフーアレシェフ)が、ジーマにほのかに想いを寄せるが、そこへどこから来たのか金髪の少年マクシム(ダニーラ・ラッソマーヒン)も少女に心惹かれる。
美しい少女に恋する三人のほのかな三角関係だ。

草原では静かな日々が続いていたが、一方、毎日家を出ていく父親の身体に、異変が起き・・・。
どこからか、武装した防護服の男たちが軍用トラックに乗ってやって来て、家の周囲をしつこく回り、少女の生活に、突然暗い影を投げかけてくる。
そして・・・、少女とその周囲の人間が営む、柔らかな日々の生活は、目に見えない大きな力に脅かされ、やがて、衝撃の週末を迎える・・・。

大草原の片隅で営まれる、ささやかだが光に満ちた日常は、愛おしくそして儚く、全ては少女の眼ざしを通して、鮮烈に描かれる。
アレクサンドル・コット監督は、旧ソ連による核実験から作品の着想を得たようだ。
ここに描かれているのは、誰かの悲劇ではなく、自分たち、いや私たちのような人間の悲劇だ。
セリフがないので、そこは理解しようと努めねばならない。

草原の一本道を真上から見下ろすショット、ラストの衝撃を暗示する仕掛けも、随所に伏線として散りばめられている。
動物の営みも若者の恋のさやあてもさらりと描かれてはいるが、そんなことよりも一見平和に見える情景の背後に、もっと強い説得力のあるメッセージが読み取れる。
むしろそれこそがこの映画の主題なのだ。
端正なショットをつないだ映像世界だが、そこには光、風、水の潤いがあり、少女の日常をファンタジックに紡いでいる。
しかし、迫りくる不穏な気配に、ドラマは急速に衝撃的な結末へと突き進む。

このロシア映画「草原の実験」は、時代も場所も特定せず、理不尽な何者かが、人類の、いや世界の終末をもたらすさまを鮮烈に表現して余りある。
主演女優のエレーナ・アンの美しさも忘れがたいが、その裏に制御不能の破壊が潜んでいるとも知らず、斬新で牧歌的な映像とともに、アレクサンドル・コット監督のほとばしるような才気もこの作品の特筆ものだ。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回は映画「杉原千畝 スギハラチウネ」を取り上げます。


映画「アクトレス 女たちの舞台」―時間に呪われた(?)女優の孤独と焦燥―

2015-12-02 17:00:00 | 映画


 世界から注目を集めている、女優ジュリエット・ビノシュオリヴィエ・アサイヤス監督が組んで作り上げた映画だ。
 女優を主人公に、演劇制作の舞台裏を描いている。
 その華やかで美しい世界と、そこで繰り広げられる、嫉妬と野心うごめく女たちの、繊細にして静かな闘いのドラマだ。

 登場人物の実人生と芸術、現在と過去を交錯させながら、物語は二重、時には三重の視線に根差した展開を見せる。
 短いシーンでは、出来る限り説明は省略され、たとえば、女優と劇中の役どころが重なるような手法でつないでいる。
 様々な仕掛けをそこここに施しつつ、少しずつドラマの主題が明らかになっていく仕組みだ。
 3人の女優たちの絡む、濃密な人間ドラマである。





スイスのチューリヒへ向かう列車の中で、ベテラン女優マリア・エンダース(ジュリエット・ビノシュ)に、劇作家ヴィルヘルムが亡くなったとの知らせが入る。
マリアは、若く有能な秘書ヴァレンティン(クリステン・スチュワート)を伴って、彼の功績をたたえる授賞式に出席する途中だった。
授賞式でマリアは、自らを有名にしたヴィルヘルムの『マローヤのヘビ』という作品のリメイクへの出演を依頼される。
だが役柄は、かつて彼女が演じた20歳の小悪魔の主人公シグリッドではなく、主人公に翻弄され自殺する40歳の女性会社経営者ヘレナの方の役だった。

授賞式の当夜、マリアが会場入りすると、壇上では、ヴィルヘルムの作品の常連俳優であったヘンリク・ヴァルト(ハンス・ツィシュラー)が故人の思い出を語っていた。
そして、主人公シグリッド役には、ハリウッドの大作映画で活躍する19歳の女優ジョアン・エリス(クロエ・グレース・モレッツが、すでに内定していたのだった。
混乱するマリアは、2つの役柄の間に、自らに流れた時を重ねあわせることで、次第に自分の演じることの意味を見出していく・・・。

一世を風靡した大女優の孤独と葛藤の、しかし美しいドラマである。
豪華な女優陣の競演も艶やかだ。
大女優マリア役のジュリエット・ビノシュ、ジョアン役のクロエ・モレッツ、マリアのマネージャーでヴァレンティン役のクリステン・スチュワートと、3人による演技バトルが大いに見ものだ。
いわゆるハリウッドを舞台にした、華やかなゴシップにあふれた通俗的なドラマではなく、この作品、どこまでも真面目な女性たちの人生を真直ぐに見つめた、立派な大人の映画なのである。
3人の女優陣は十分魅力的だ。

3人それぞれの豊かな魅力に、舞台となったスイスの壮大な風景が生み出した、繊細なドラマだ。
それにしても、ビノシュを若い女優と対決させ、若い頃の自分に別れを告げさせるという、アサイヤス監督の演出は心憎いばかりだ。
ビノシュはきちんと自分の現在と向き合わねばならないし、モレッツはビノシュを中立的に見る役柄だ。
それがマリアとジョアンはビノシュモレッツに、そしてヘレナとシグリッドという、それぞれの新時代と旧世代の対決が複雑な三重構造の様相を呈しているのだ。
いやいや、何とややこしいことか!

老いていく人間は、自分が老いに向かっていることをなかなか受認できにくいものだ。
それに対する若さは強力な武器となって、無防備で行動力に富んでいる。
この二者の対比と、他方、若さや美しさとは関係なく、この作品の中の秘書ヴァレンティンのような、中立的な存在というのもあるが・・・。

スイスの山々の絶景も圧巻で、それもいかにもこの物語にふさわしい。
時を超えてなお美しくありたいという女優像・・・、それも理解できぬことはない。
主人公を支える秘書役のクリステン・スチュワートは、存在感のある演技でセザール賞最優秀助演女優賞受賞した。

とにもかくにも、フランス・ドイツ・スイス合作オリヴィエ・アサイヤス監督「アクトレス 女たちの舞台」は、新旧女優が作品の中で対峙する二重構造がかなり刺激的だ。
シャネルが手掛けた衣装やメイクも見どころのひとつだし、フランス人のアサイヤス監督と主演のビノシュが組んだ作品とはいえ、セリフは全編フランス語ではなく英語であることに注目だ。
この映画では、対比される秘書と若手女優にハリウッドの申し子がキャスティングされ、フランス女優だけを使ってフランス語で撮ることをしなかった。
ドラマの中での演劇論は、少々理屈っぽく辟易したが、作品そのものは知性にあふれており、ハリウッドの娯楽産業とヨーロッパの伝統といった、この対極も面白い。
女たちの虚実が入り交じった、十分知的な作品だ。
専門家の評価はかなり高いが・・・。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回はロシア映画「草原の実験」を取り上げます。