徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「お し ん」―かあちゃん!どだなことがあっても負けねえから―

2013-10-30 21:00:00 | 映画


 いまでは誰もが認めている。
 国境を超えて愛される、不朽の名作であることを・・・。
 「おしん」が30年の時を経て銀幕に甦った。
 1983年、NHK連続テレビ小説で放送された、橋田壽賀子原作の国民的ドラマ「おしん」が、冨樫 森監督によって映画化された。

 日本はこの作品で「生きる力」を知り、この涙で強くなったと大げさに言う人もいる。
 日本のテレビドラマ史上最高の視聴率を記録した。
 放送当時、平均視聴率52.6%、最高視聴率62.9%という驚異的な数字で、社会現象にまでなった。

 テレビドラマの放送された30年前の日本は、世界有数の経済大国に上りつめながら、男女雇用機会均等法がまだ施行される前で、多くの女性たちは社会や家庭で、いわれのない差別に甘んじていなければならなかった。
 そんな女性たちの共感が、大ヒットの背景にはあったかもしれない。

 「おしん」は、中国やイランで絶大な人気を集めたが、何故かヨーロッパやアメリカではそれほどでもないのは何故だろうか。
 今回の作品は1時間49分だから、おしんの少女時代に焦点を絞っている。
 2500人の応募者から選ばれた、9歳の少女、濱田ここねの熱演が見ものだ。
      
1907年早春・・・。
山形県最上川上流の寒村は、まだ深い雪におおわれていた。
この村の小作農家に生まれたおしん(濱田ここね)は、父作造(稲垣吾郎)母ふじ(上戸彩、祖母なか(吉村実子)らとともに、隙間風の吹きすさぶ藁ぶき屋根のみすぼらしい家で暮らしていた。
7歳のおしんは“口減らし”のために、川下にある材木店へ1年間の奉公に出される。
幼いころの貧しさになれたおしんは、食べ物が貧しくても大して辛いとは思わなかったが、父や母、祖母のもとを離れることは、7歳の少女には過酷なことだった。

中川材木店では、早朝から深夜までろくな食事も与えられず、働きづめの毎日を強いられる。
女中頭のつね(岸本賀世子)のきついしごきに耐えながら、おシンは我慢強く奉公を続ける。
しかし、店の財布から50銭銀貨がなくなり、盗みの疑いをかけられたとき、ついにおしんの堪忍袋の緒が切れた。
「雪とげたら、家さ帰れる…」と言い聞かせて健気に頑張ってきたが、吹雪の中、おしんは黙って店を飛び出した・・・。

親元から離れたおしんの、苦難の日々がこまやかに綴られる。
まだ学校にも上がらないわずか7歳で、子供ながら数々の試練を耐えて、力強く人生を切り開いていく。
その田ここねが、なかなかの好演だ。
どんなに辛くても、前向きに立ち向かおうとするおしんを、少女ながら芯の強い顔立ちとあどけない笑顔で表現した。原作ドラマでヒロインを務めた小林綾、ベテラン泉ピン子らがしっかりと脇を固めているが、濱田ここねはかつての小林綾子に負けないほどのかわいらしさと演技力を見せる。
家族のためなら苦労をいとわない、慈愛に満ちた母親役の上戸彩も体当たりでの演技で、母と娘の絆を温かく描いている。

本来、連続ドラマは長大な物語だ。
冨樫 森監督の「おしん」は、テンポ良くまとめていて好感のもてる演出だ。
伝説の国民ドラマを、一度も目にすることのなかった人には、本作品の出来の良しあしは別として、是非見てもらいたい作品だ。
そういう意味では、おあつらえ向きである。

かつて女性の一代記がブームになった時は凄かったが、今回も特に女性の観客は、幾度も涙をぬぐいながら感動に浸っているようだった。
ただ、100年も前の明治時代の、それも東北の寒村の話である。
俳優陣はみな頑張ってはいるが、これでその暗く辛い時代背景の中に、しっかりと100%溶け込んでいるだろうか。
それとまた、現代の日本人に、この映画がどう映るかも気になるところではある。
テレビドラマのリメイクなので、特別目新しいものはなく、感動をもう一度という向きにはよいかもしれない。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


「生誕140年記念 泉鏡花展~ものがたりの水脈~」―横浜文学散歩―

2013-10-28 19:00:00 | 日々彷徨


 深まりゆく秋の文学散歩は、神奈川近代文学館である。
 日本の幻想文学の祖といわれる泉鏡花は、神奈川にゆかりのある作家だ。
 今年生誕140年を迎えて、鏡花展が開かれている。

 泉鏡花(1873年—1939年)「高野聖」「天守物語」「婦系図」など、多くの小説、戯曲を残した。
 生前の鏡花の原稿や装丁原画、愛用品など、350点余りを展示している。
 展示は三部構成で、第1部は66年に及ぶ鏡花の生涯を概観し、第2部で彼の文学に底流する「ものがたりの水脈」を、系譜に従って鑑賞し、第3部では鏡花が1905年からおよそ3年半滞した、逗子とその周辺を舞台とする作品世界を紹介している。

 ヒロインお蔦とドイツ語学者主税(力)の悲恋物語「婦系図」は、逗子で執筆され、新聞にも掲載された。
 生原稿の小さく書き連ねられた文字と、とくにその初期のものでは、師と仰いだ尾崎紅葉の朱筆による添削跡が残っている筆書きの草稿など、興味深い。
 「草双紙」の貼り合わせ屏風なども珍しい。









想えば、泉鏡太郎(筆名鏡花)が金沢から上京し、当時の文壇を席巻していた尾崎紅葉の門をたたいて、紅葉に弟子入りしたのは明治24年10月のことだった。
鏡花紅葉を終生敬い続けていたことは、よく知られている。
明治27年に父が他界し、貧窮と家長としての重圧から一時自殺を考えた愛弟子鏡花に、紅葉は書簡を送り、「汝の脳は金剛石なり」とその才能をたたえたといわれる。
紅葉鏡花の、ときに師弟を超えた父子にも似た結びつきも、うなずけるというものだ。
展示されている遺品で目についた、小さな旅行鞄の、これで鏡花は鉄道旅行に出かけていたのかと・・・。

この鏡花展は、11月24日(日)まで開催されている。

関連イベントしては、11月2日(土)朝吹真理子(作家)と松村友視(慶応義塾大学教授)の対談、11月9日(土)市川祥子(群馬県立女子大学准教授)の講演(いずれも14:00)をはじめ、11月22日(金)と11月23日(土祝)(各13:30)には、文芸映画を観る会による映画「婦系図 湯島の白梅」(1955年/大映 監督衣笠貞之助)の上映も予定されている。
個人的には、「高野聖」「夜叉ヶ池」は作品も映画も面白かったと記憶している。
生涯に創作した作品は、長短篇合わせて300余りにのぼる。
苦節を重ねた、その66年の生涯をたどりつつ、独自の絢爛とした幻想的な作品群を生み出した、泉鏡花の世界を展観することも‘芸術の秋’にふさわしいかもしれない。


映画「101回目のプロポーズ~SAY YES~」―究極の純愛が懐かしく新しい映画となってよみがえる―

2013-10-26 21:00:01 | 映画


深まりゆく秋に、いやあ、またしても純愛ドラマなのです。
1991年夏、最高視聴率(36.7%)を記録した日本のテレビドラマは、社会現象まで巻き起こした。
その作品が、海の向こうの台湾、香港、韓国などで放送され、大きな反響を呼んだことも周知の事実だ。
そして、日本での放送から22年が経ったいま、台湾レスト・チェン監督が、国境を越えたティームを編成し、およそ3年半かけて制作された。

2013年2月、中国全土で公開されると、初日だけで動員数44万人という満員御礼のスタートとなり、最終興行収入は30億円、観客総動員数は660万人を超える記録的な大ヒットとなった。
これも驚きである。

  
舞台は東京から上海へ、おなじみの名場面や名セリフをたっぷりと盛り込んで、オリジナル・ストーリーで語られる新しい映画として観ても、実に楽しいよくできた映画だ。
日本のテレビドラマでは、浅野温子武田鉄矢の共演で話題になったが、本作では「レッド・クリフPart1.2」(08)、月9ドラマ「月の恋人」(09)で日本ではおなじみのリン・チーリンと、中国の国民的演技派俳優ホアン・ボーというキャスティングによって、極めて説得力のある作品に仕上がっている。

中国上海・・・。
しがない内装業を営むホアン・ダー(ホアン・ボー)は、99回もの見合いに失敗したお人よしの男だ。
そんなときに ホアン・ダーは偶然出会った美しいチェリスト、イエ・シュン(リン・チーリン)の飾り気のない人柄に強く惹かれていく。
偶然の出会いが重なり、身分の全く違う二人の仲は急接近し、不器用だが真面目なホアン・ダーのやさしさに触れ、イエ・シュンも少しずるではあるが心を開き始める。
イエ・シュンには婚約者シュー・ジュオ(カオ・イーシャン)がいたが、結婚式の当日に交通事故で彼を失うという、悲しい過去があった。

人を愛することに怯えつづけているイエ・シュンを救うために、ホアン・ダーはダンプカーの前に飛び出すという決死の行動をとり、彼女への思いを精いっぱいぶつける。
「50年後も僕はそばにいる!」という真直ぐな言葉に打たれたイエ・シュンは、次第な心を開き始める。

そして、彼がイエ・シュンに「結婚してほしい」と伝えているときに、死んだと思っていたフィアンセのシュー・ジュオが生きているという知らせが届く。
記憶を失くしていたというシュー・ジュオだが、彼はイエ・シュンの気持ちを取り戻そうとして、強引に再び婚約を交わすのだったが・・・。

偶然の出会いが重なり、風采の上がらない男と美しく魅力あふれる女性の身分差といい、どうにもならないと思われる二人の成り行きに一喜一憂させられるわけだ。
それだけで、メロドラマのお膳立てはばっちりだ。
思い込みの、たっぷり集約された恋愛観を見せつけるラブストーリーも、これが結構いける。
何よりもまず、ヒロインのリン・チーリンが際だっていい。
彼女の多彩で繊細な表情と演技力は、魅力十分だ。
もちろん、相手役のホアン・ボーもうまいが、オリジナルドラマより特別出演の武田鉄矢も、重要な役どころで登場する。

作品は、ちょっぴりコメディの要素も取り入れているが、基本的にはやはり純愛ドラマで、後半のトーンは宗教的な厳格さまで帯びてくる。
このレスト・チェン監督による中国・日本合作映画「101回目のプロポーズ~SAY YES~」は、各国向けのバージョンともども人気だが、本作の日本公開版には、主題歌としてCHAGE and ASKA「SAY YES」が使われている。
エンディングで流れるこの音楽とともに、若い世代が観ても十分楽しめる映画だ。
もちろん、20年前のあの時代、青春を過ごした世代の大人たちなら、また格別な想いに浸れるかもしれない。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「陽だまりの彼女」―10年ぶりの再会は恋の奇跡の始まり―

2013-10-24 20:00:00 | 映画


 女子が男子に読んでほしい、恋愛小説のNO.1がこの映画の原作だそうだ。
 ファンタジー・ノベル大賞受賞の作家越谷オサムの小説を、三木孝浩監督が映画化した。

 現実から非現実へ・・・。
 おやっと思われるような不思議なシーンが続く中、ありえないような不思議な世界のドラマを演出する。
 様々な伏線を張りめぐらし、湘南の海岸を舞台に繰り広げられる、青春の詩情たっぷりの物語世界だ。
 まあ、かなり強引な演出もないではないが、ちょっぴりミステリアスな味わいも・・・。







人営業マンの奥田浩介(松本潤)は、気の弱い内気な男だ。
恋愛も奥手だし、カノジョもいない。
彼は、さえない日々を淋しく過ごしていた。
ある日、新しい広告のプレゼンテーションに訪れた仕事先で、美しく素敵な女性と出会った。
その瞬間、浩介に懐かしい記憶がよみがえる・・・。

彼女は中学時代の同級生で、渡来真緒(上野樹里)だった。
当時いじめられっこだった真緒を、浩介が助けたことがきっかけで、二人は生まれて初めての恋をした。
それは、浩介の転校から十年ぶりの再会であった。

太陽のように明るい真緒に、浩介は再び恋に落ちる。
真緒は、仕事をてきぱきとこなす女性に成長していた。
二人は、一緒に広告の仕事に取り組むことになり、さらに二人は永遠の愛を誓い合い、結婚する。
しかし、何故か真緒の身体は急速に弱っていく。
実は、彼女には誰にも知られてはいけない、“不思議な秘密”があったのだった・・・。

このあたりから、ドラマは上質なファンタジーの要素が重層的に加わり、転調していく。
真緒の異変に気づきながら戸惑う浩介、そして自分の知らない真緒の存在、ある事件を境に、真緒が浩介の前から突然姿を消してしまうという展開は、もはや非現実的な現象だ。
舞台の大半が湘南江の島で、荒唐無稽なラブストーリーも、観る人が観ればそれなりに楽しい。

ドラマは後半に入ると、民話のような色彩を帯びる。
爽やかでロマンティックだ。
陽気と悲しさが交錯し、大人でも十分楽しめる。
三木監督は、再会して間もない男女の距離感や、寄り添い感、そして初々しさを、どこまでも丁寧に撮っている。
そこがいい。
こういう作品にかけては、上手い演出を考える監督だ。

胸キュンのシーンなども随所に散りばめながら、二人の恋は、やがて奇跡のようにハッピーな終焉へと向かうのだ。
三木孝浩監督作品「陽だまりの彼女」は、非日常的でファンタジックな世界へとつながっていく設で、10年にわたる純粋な男女の初恋物語として、切なくもリアルに描かれたドラマである。
若者も大人も楽しめる作品だし、原作にも登場するビーチ・ボーイズの楽曲も効果的だ。
愛されるより、愛することを選ぶ。
そんな言葉が合いそうな作品だ。
荒唐無稽はさておいて、おとぎ話みたいなこんな映画もよいではないか。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「樹海のふたり」―実話から生まれたちょっと変わった希望と再生の物語―

2013-10-22 04:00:00 | 映画


 ビデオカメラのファインダー越しに、一体どんな人生が見えるだろうか・・・。
 誰もが抱いている悩みや苦しみ、それでも生きていくことの希望を忘れない。
 そんな人たちを描く、山口秀矢監督のヒューマンドラマだ。

 テレビの報道番組などで放送された、「樹海」の取材をしたディレクターたちの実体験がもとになっている。
 だから、この作品はドラマでありながら、ドキュメンタリーのような予想を見せる。
 落ちこぼれの男ふたりも、それぞれが家庭の悩みを抱えながら、自殺志願者の人生指南役(!?)となるという、人間としての良心の板挟みの中で人生を考えていくという物語だ。




樹海とは、富士山麓に広がる原生林のことだ。

この土地で、自殺しようとする人々が後を絶たない。
テレビ番組制作会社のフリーディレクターとして働いている、竹内(板倉俊之)と阿部(堤下敦)は、会社から命じられる仕事に不満があった。
それは、自分たちの撮りたいものを撮ることができないでいたことだ。
二人はいつの間にか、落ちこぼれのディレクターになっていた。

そんな二人が、起死回生の仕事として企画したのが、新聞記事に出ていた「富士樹海に入る自殺志願者」たちのドキュメンタリーだった。
早速二人は樹海に向かい、自殺志願者らを追い、彼らにインタビューをし、心情や自殺を思いとどまらせるシーンを撮った。
時には、自分たちが樹海の中で迷ってしまって、逆に自殺志願者に助けられたりするケースも・・・。
二人の1ヵ月にも及んだ撮影の成果は、番組として見事高視聴率を獲得し、会社からも次の期待をかけられる。
だが彼らにも、自殺志願者と同様に、実は人に相談することのできない家庭事情があった。
自分たちの重い現実を背負いながら、再び富士の樹海に向かう二人だったが・・・。

主役はお笑いコンビ「インパルス」の二人だが、取材をしていく中で、次第に気持ちにズレが生じていく男たちを演じて好演だし、彼らの寝泊りする健康ランドのフロントの女性役烏丸せつこ中村敦夫、長谷川初範、藤田弓子らがわきを固めている。
いろいろとサイドエピソードにも事欠かないドラマだが、話題は少し欲張り過ぎのきらいもある。

小品ながら、山口秀矢監督作品「樹海のふたり」は、著名キャストが大挙出演していて、作品としては贅沢の感もする。
まあ、それはそれでよろしい。
かつて自分も樹海に踏み入った経験はあるが、この作品を観ていると自分まで樹海に迷い込んでしまいそうだ。
とはいえ、話を面白くしようとしたのだろうが、脚本はよく練られているとは思えず、かなりの粗っぽさも目立つ。
この映画、変わったテーマ、変わったキャストで狙いは悪くないし、もっと推敲と書き直しを重ねて整理してまとめたら、さらによい作品になったのではないか。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点)    


映画「トゥ・ザ・ワンダー」―映像の断片が綴る愛と生の挽歌―

2013-10-20 17:30:00 | 映画


 これはある種のラブストーリーなのだが、ドラマの形式はここでは一切無視される。
 一種の詩のようであって、実はそうではない。
 テレンス・マリック監督は、この作品で映像体験をもって愛の移ろいを映し出そうとしている。

 登場人物に、ほとんど会話らしい会話もない。
 ささやきとモノローグが、わずかにひと続きの愛と生の記憶を物語る。
 したがって、これでドラマかといった感じで、ドラマの筋といってもきわめて希薄だ。
 俳優たちは、シーンに応じて即興的な芝居を演じ、夥しい転換と省略があり、普通に言われるところのドラマとしての統制は乱れている。
 考えさせられるところは多々あっても、それほど敢えて大胆な省略があり、短いカットが幾つもつながる。
 観ようによっては、退屈な作品ともなるだろう。













     
フランス西海岸モンサンミシェル・・・。

ニール(ベン・アフレック)とマリーナ(オルガ・キュリレンコ)はここで出会い、愛し合った。
十代で結婚し、娘のタチアナ(タチアナ・チリン)をもうけたマリーナは、ほどなくして夫に捨てられ、失望の人生を送っていた。
そんな彼女を救ったのが、ニールだった。
光の中で手をつなぎ、髪に触れ、潮騒をききながら愛し合う二人・・・。

しかし、オクラホマの小さな町で生活を始めると、二人の幸せな時間は長く続かなかった。
ニールは、生涯マリーナだけを愛し続けようと心に誓っていたが、彼女は前夫と正式な離婚手続きを済ませていないため、ニールと結婚できないでいた。
ニールはマリーナへの情熱を失い、やがて幼なじみのジューン(レイチェル・マクアダムス)に心を奪われる。
愛とは何か。永遠の愛は可能なのか。
愛は、彼らの人生を変え、破壊し、彼らを新たな人生に向き合わせる・・・。

登場人物の、即興のようなモノローグとささやきと、ときに無言のしぐさが断片的な映像とともに、途切れ途切れに、はかなく寂しく展開する。
ワーグナーやチャイコフスキーの楽曲と詩情あふれる映像、それらのサウンドとビジュアルの中で織りなされる、映像体験にすべて委ねられるのである。
たとえ美しく燃えた愛であろうと、それは次第に熱を失い、義務感や虚無感から後悔へと移ろうさまを、テレンス・マリック監督は容赦なく映し出していく。
観ている方が辛くなるほど、それははかないし、マリック監督の演出もかなり執拗だから、ややもすればその勿体ぶった手法に辟易する。
恐れ入ったものだ。

主役のニールとマリーナは遂に結婚を果たしながら、しかしニールはマリーナの激しい愛を受け止めることができなかった。
幸せとは、永遠には続かないものだ。
映画は時として、監督の独りよがりな演出のために、観客をそしてまた俳優たちまでを戸惑わせ、混乱させる。
が、ロケーションの舞台はいずれも、孤独と虚しさを象徴するかのように、詩情豊かで哀しくも美しい。
アメリカ映画「トゥ・ザ・ワンダー」は、そんな作品だ。
巨匠テレンス・マリック監督に敬意を表しても、この内容で上映時間112分は長い気がする。
    [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「パッション」―夢のように描かれる艶麗で残酷な眩惑のサスペンス―

2013-10-18 12:00:00 | 映画


 アラン・コルノー監督の遺作となった、フランス映画「ラブ・クライム 偽りの愛に溺れて」を、大胆な解釈でリメイクした作品だ。
 この映画は、恐怖と謎に満ちた「キャリー」「殺しのドレス」ブライアン・デ・パルマ監督が、女性の権力闘争と殺人ミステリーを描いた作品で、ラストまで目が離せないサスペンス・スリラーだ。

 人物設定も物語も、カメラワークから空気感まで、独特の世界が繰り広げられる。
 二人の女性の、出世欲と愛欲と嫉妬が渦巻く・・・。
 ブライアン・デ・パルマ監督の創り出す、色彩感覚の多様さといい、鮮烈な映像美とともに、女たちの狂気に満ちた関係は、観ている者を悪夢と眩惑の世界へと誘っていくのだ。
 彼独特の仕掛けのマジックに、どこまで付いていけるかだ。
     





クリスティーン(レイチェル・マクアダムス)野心家で、若くして世界的な広告代理店の重役へと上り詰めた、切れ者だ。

アシスタントのイザベル(ノオミ・ラパス)は、彼女にはじめ憧れを抱いていたが、自分の手柄を奪われ、同僚の前で恥辱を受け、さらには愛人ダーク(ポール・アンダーソンにまで裏切られる。
イザベルはそれらすべてが、クリスティーンが裏で糸を引いていたことを知った。
結果、イザベルに殺意が芽生え、ついにクリスティーン殺害を決意する。

実行の日、イザベルは何故かバレエに出かけ、一方のクリスティーンは誘惑を示唆するような招待状を受け取る。
相手のことは不明だが、サプライズを好むクリスティーンは、自宅の寝室で裸になり、この秘密の愛人との出逢いを心待ちにするのだったが・・・。
女同士の諍いから、恩讐の果てに見えてくる残酷な展開は、どこまでも華麗で濃厚だ。

野心、欲望、嫉妬の渦巻く世界で、美しく飾った化粧の下に潜む殺意と情熱・・・。
謎は螺旋状に重なり、殺人ミステリーの要素はどこまでも濃密になっていく。
そうなのだ。女たちの諍いは、悪魔の香りがする。
魔性に生きる二人の女性の火花が散り、官能と刹那の時間が過ぎる。
観ているほうは、デ・パルマの魔法にかかったかのような眩惑に襲われる。

女同士の関係性が一転するあたりから、女同士のぶつかり合いの激しさが増していく。
一見昼ドラのような感じもするが、殺しの場面とバレエのシーンを同時スクリーンの分割画面(スプリット・スクリーン)で見せるなど、凝った手法が至る所に・・・。
女同士の同性愛のような関係、カメラの異様なまでの長回し、それと左右分割の同時進行画面、白塗りの仮面にナイフを手にする殺人者など、彼女たちの魔性に魅入られているうちに、官能と恐怖の世界にいやが上にも巻き込まれていく。
細かいカット割りも凝っていて、二人の主人公の女性キャラクターを金髪と黒髪に分けたり、そこに赤毛の第三の女が登場したりする。(?!)

企業の出世競争を女たちが演じていたと思ったら、それはもう、映画の魔術の世界に入り込んでしまっている。
濃厚な味付けも悪くないし、作品としてのボリューム感もたっぷりだ。
この作品の欠点(?)は、肝心の犯罪(殺人)細部がぼかされていて、犯行の詳細や目撃者の話などあまり描かれていないことではないかと思って観た。

まあ、それはそれとして、端倪すべからざる映像の魔術師ブライアン・デ・パルマ監督フランス・ドイツ合作映画「パッション」(公式サイト)は、華麗で濃厚だが、一方で陰湿で狂気の映像が、最後まで飽きさせることのないサスペンスである。
こう観てくると、女の敵こそ女であり、女こそが非常に完成された悪魔であるとは、文豪ヴィクトル・ユゴーの言葉だったか。
映画は、オフィスと寝室という室内での撮影がほとんどで、ドイツのベルリンで撮られている。
映像はどん欲なまでのこだわりの美学だし、複雑怪奇な覗きの構造はちょっと見にはとても解りずらいから、もう一度見直してみたいと思わせる作品でもある。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「ルノワール 陽だまりの裸婦」―名画誕生に秘められた真実の物語―

2013-10-16 12:00:25 | 映画


    
       
名画の光と色彩を表現した映像美が、何とも言えない素晴しさである。
人生の晩年は、車椅子の生活を余儀なくされた、印象派の巨匠ルノワール・・・。
彼は自由の利かなくなった手に、絵筆をしばりつけて創作を続けた。

ルノワールといえば、きらめく陽光の中の女性を描かせたら天下一品だ。
この作品のどのシーンを切り抜いても、まさにそれ自体ルノワールの絵を見ているようで、彼の紡ぎだす世界が優しく美しい。
ジル・ブルドス監督の、フランス映画である。
この映画は、ルノワール親子にひとりの女性を配して、前半で痛苦を押して絵画に挑むピエール=オーギュスト・ルノワール、後半ではのちにフランス映画の創生期の名監督となる、その息子のジャン・ルノワールの姿を描いている。
 
1915年、第一次世界大戦さなかのフランス南部・コート・ダジュール・・・。
人生の黄昏時を迎えて、ルノワール(ミシェル・ブーケ)は妻に先立たれ、満足に絵筆を握ることもかなわなくなっていた。
そのルノワールの前に、ある日若い女性アンドレ・エスラン(クリスタ・テレ)が、モデルになりたいと言ってと飛び込んできた。
20歳にも満たないアンドレは勝気な少女だが、ルノワールは彼女の美しい肌に魅せられて、病を押して再び絵画への情熱を燃やしていく。

一方、次男のジャン(ヴァンサン・ロティエ)が、戦地で負傷し、退院後の療養のために帰ってくる。
とくに自分の人生にこれという計画もなかったジャンは、父のモデルをするアンドレに目を奪われて、恋に落ちる。
アンドレはジャンに、自分を主演に、映画を撮ってほしいとせがむのだったが・・・。

映画は、ルノワール父子の、とくにこれといって起伏のないドラマとして淡々と描かれる。
台詞や表情も、極力抑えている。
物語性としてはメリハリに乏しいのは残念だが、映画の画面の美しさはと言ったら秀逸である。
眩しいばかりの陽光、木漏れ日、草原の輝き、風のそよぎ、ルノワール自身が語る光を吸い込む女性の肌、それらすべてが彩り豊かに映し出されて、何とも美しい。
映画の中に、ルノワール絵画のイメージが生まれるもとになった。
陽光溢れる中に、ルノワールの絵の中の世界が静かに動き出すようで、素晴らしい。
そして、自転車を走らせるアンドレを映し出す冒頭のシーン、飽きさせないほど豊富で見事な田園風景のロングショット、風が吹き抜けてゆく川べりの風景も・・・。

この映画の中での息子のジャン・ルノワールは、まだ21歳の若者で、エデンの園のような土地でアンドレと出会ったことで、生気を高めている。
彼はやがて彼女を妻とし、アンドレはカトリーヌ・エスランという芸名でジャンの初期映画の女優となる。
彼女は、絵画と映画という世界で、モデルと女優と交互に姿を変えながら、芸術史の中でまたひとつの運命をたどるのだが、ここではいわば父と息子のミューズのような存在だった。
ジャン・ルノワールの方は、「大いなる幻影」「ゲームの規則」など数多くのフランス映画の傑作を発表し、ヌーベル・ヴァーグにも大きな影響をもたらした。

お父さんのルノワールを演じるミシェル・ブーケは、存在感たっぷりのベテランで、ここでは老芸術家の多彩な顔を好演している。
息子ジャン役のヴァンサン・ロティエの印象はいまひとつといった感じで、少女役のクリスタ・テレもまだ演技が若い。
女性もただ綺麗なだけでは、作品に盛り上がりを欠く。
画家を主人公にすると、撮影される作品はその画家の絵画に似てくるようで、撮影監督マーク・リー・ピンビンのカメラをほめてもよいのではないか。
ジル・ブラドス監督フランス映画「ルノワール 陽だまりの裸婦」は、ドラマとしてみればかなり薄味だが、陽光と色彩を巧みに取り入れて、名匠の生きた晩年の過去を現代に甦らせるような、愛らしい作品だ。
まあしかし、“光を吸い込む肌”を持つ女性とはよく言ったものだ。
ここは、少し甘いかもしれないが、秋天にふさわしい映像美を、高く評価したい。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「ムード・インディゴ/ うたかたの日々」―奇想と妄想を映像化したファンタジックな未来世界だが―

2013-10-14 22:00:00 | 映画


 フランスの永遠の青春小説といわれる、ボリス・ヴィアン原作「うたかたの日々」を映像で描いた、ミシェル・ゴンドリー監督の作品である。
 これはまた、文学と映画との出会いとでもいうのだろうか。
 ここでは、原作を損ねずに、想像力を膨らませて、全く独自の世界が構築されている。
 それは奇抜であり、風刺であり、毒であり、また現代アートでもある。

 ドラマには、青春への憧憬と惜別の念が一杯に込められている。
 笑いの中に悲しみがあり、それは時に残酷でさえある。
 独創性豊かなアイディアが、ふんだんに盛り込まれた魔法のような造形力は、他に類を見ないものだ。
 それでいてかなりシュールな作品だが、こんな映画もあったのか。
・・・しかし、真正面から正攻法で観たら、それこそがっかりするに違いない。














     
裕福な家に生まれ、働かなくても暮らしてゆけるほどの財産に恵まれ、主人公コラン(ロマン・デュリス)は、美味しい料理と音楽に陶酔し、パリのアパルトマンでネズミと一緒に自由な暮らしを楽しんでいた。

コランは、あるパーティーの会場で、デューク・エリントンの曲「クロエ」が、そのまま美しい女性に生まれ変わったようなクロエ(オドレイ・トトゥ)と出会い、恋に落ちる。
そして、友人たちに祝福されて、盛大な結婚式を挙げた二人は、愛の刺激に満ちた幸福な日々を送っていた。

ところがある日、最愛のクロエが、肺の中に睡蓮の蕾が芽吹くという、不思議な病に侵されていることがわかった。
心優しいコランは、懸命に看病するが、それは不治の病であった。
彼は、ありとあらゆる治療を試みるが、高額な治療費が必要で、コランの財産も底をついてきて、大嫌いな仕事をも探さねばならなくなり、このことから不可思議な人間関係に巻き込まれていく。
クロエは衰弱し、コランだけでなく友人たちの人生も狂い始め、もはや愛しか残されていないクロエに、どうすることも出来ないのだった・・・。

ドラマは、幻想的な世界観で描かれる、泡のように儚いラブストーリーだ。
映画は冒頭から、あっけにとられるようなシーンの連続である。
恋人たちをを運ぶ雲が登場したり、食事中の風景の中で鍵盤をたたくと特製のカクテルが流れ出し、異様に長い足が交錯する架空のダンスがあったりで、原作の独創的なイメージを次々と映像化したような造形力には、目が回りそうだ。

コランの妻となるクロエの肺に、睡蓮が芽吹く奇想は、その極めつきだ。
青春真っただ中の幸福の頂点から、一転して痛苦と貧困の人生へ、悲しみの闘病生活へ、希望から絶望への展開だ。
原作者が愛してやまなかった、デューク・エリントン名曲「A列車で行こう」に乗って始まる映画は、夢の世界へと誘い、それとともにうたかたのように消え去る青春の憧憬と憂愁を伝えている。

CGと手作りの特殊撮影を駆使した、ミシェル・ゴンドリー監督フランス映画「ムード・インディゴ/うたかたの日々」は、まさに想像力逞しく描かれる、喜ばしくもまた悲しい、未来世界のファンタジーである。
でもこのドラマは、細部へのこだわりといい、ひねりすぎるほどの強引な演出といい、遊び心をいっぱいに詰め込みすぎて、息切れしそうだ。
小説の方はまだしも、映画の方は、まあ、好き嫌いのはっきり別れそうな作品だ。
     [JULIENの評価・・・★★☆☆☆](★五つが最高点


映画「ベニシアさんの四季の庭」―いつも自然と家族とともに生きている幸せ―

2013-10-12 20:00:00 | 映画


 1950年生まれの英国人女性ベニシアさんが、19歳で放浪の旅に出て、たどりついた先が日本の京都大原の里であった。
 彼女は、築100年以上といわれる古民家で、自然にあふれた生活を送っている。
 庭には150種類ものハーブを育て、料理や生活に役立てる、そんな丁寧な暮らしが注目されている。
 もともと英国貴族の出身で、身分社会に疑問を抱き、世界を放浪する旅の終着地が日本だったというわけだ。

 この作品は、日本の四季にイギリスの伝統を散りばめた、彼女の手作りの生活を綴ったドキュメンタリーだ。
ベニシアさんの暮らしを綴った、NHKドキュメンタリー番組「猫のしっぽ カエルの手」は、2009年4月から4年間にわたって放送されたので、知っている人も多いはずだ。














     
一見、優雅に羨ましく見える彼女の暮らしの陰には、様々な困難があった。

この映画は、結婚と離婚、3人の子を抱えるシングルマザーとしての苦労、娘の病気、夫の事故等々・・・、これまであまり語られることのなかったエピソードをを通して、波乱の中にあっても失望することなく、ひとつずつ乗り越えてきた一女性のしなやかさに光を当てている・・・。

そこには、四季折々の彩の中で、心穏やかに生きるための知恵も・・・。
菅原和彦監督ドキュメンタリー映画「ベニシアさんの四季の庭」は、草花の美しい映像に英国人女性の語りがマッチして、心地よい余韻が残る。
この作品は、人や花にカメラが優しく寄り添うように描かれているので、四季の映像に心が和む。
作品としては、いろいろともっと詰め込みたかったようで、内容を整理してほしい気がしないでもない。
しかし、驚いた。
この映画、一時行列ができるほどの上映館の賑わいを見て、とても尋常とは思えないものを感じた。
心の癒やされるドキュメンタリーだが・・・。

人生にも、庭にも、季節が巡る。
この家の、庭の春の訪れは、水仙から始まり、チューリップ、矢車草、ジギタリスと咲きほこり、夏は百合、秋は鮮やかに染まる紅葉と虫の音、そして冬は
枯れた花をそのままにしておけば、鳥が花の種を食べにくる。
そう、確かに、自然の恵みは、人間だけのものではない。

   秋高気爽、秋はいま少しずつ深まりを見せ始めている。
・・・日本の四季は美しい。
   春は花、夏ほととぎす、秋は月
        冬雪冴えて冷(すず)しかりけり (道元禅師)

     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点