徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「フルートベール駅で」―22歳、それが人生最後の日―

2014-03-30 17:30:00 | 映画


 社会現象にもなった実際の事件をもとに描かれる、衝撃的な作品だ。
 弱冠27歳の新人ライアン・クーグラー監督の、初長編映画である。

 生きる希望に満ちたひとりの青年が、虫けらのように殺害されたという事実は、当時全米を揺るがした。
 この作品に込められた、深いメッセージは何だろうか。
 人間の命の尊厳が、とても重いはずなのに、こんなにも軽々しく扱われて・・・。











         
2009年元旦・・・。

新しい年を迎え、歓喜に沸く人々でごった返すサンフランシスコ「フルートベール駅」のホームで、22歳の黒人青年オスカー・グラント(マイケル・B・ジョ-ダン)は、鉄道警察官に銃で撃たれて死亡した。
彼は前科者だったが、心優しい青年で、恋人ソフィーナ(メロニー・ディアス)との間に愛娘タチアナ(アリアナ・ニールがいた。
オスカーは、大晦日が誕生日の母親ワンダ(オクタヴィア・スペンサー)に祝福の言葉をかけ、よき息子、よき夫、よき父として、前向きに人生をやり直そうとしていた。
出所したての彼は無職だった。

そのオスカーが、ソフィーナと新年を祝いに、仲間たちとサンフランシスコへ花火を見に行こうとする電車内で喧嘩を売られる。
彼の仲間たちまで巻き込み、乱闘となったところへ鉄道警察が出動し、オスカーはフルートベール駅のホームに引きずり出されてしまった。
そして・・・、事件は起こった。

銃を持たない丸腰の青年が、何故悲惨な死を迎えることになったのか。
あってはならないことが、現実に起こったのだ。
全米で抗議集会が行われるなど、大きな波紋を巻き起こしたこの事件をもとに、この映画は作られた。
彼が事件に巻き込まれる前の、「人生最後の日」を描くことで、ニュースなどで報じられた人種差別という一面性ではなく、ひとりの人間の非業の死が、どんなに悲しく、どれほど周囲の人々を傷つけるものであるか、そしてただひとりの人間の命が、いかに重いものであるかを問いかけてくる作品だ。

ライアン・クーグラー監督は、まさかの事件が起きるまでの、オスカーの日常と心情をきめ細かく追っている。
生きの良い風俗描写も取り入れて、好感が持てる。
「それでも夜は明ける」に続いて、この作品もそうだが、映像の力強さを前面に出した黒人監督の作品がこのところ目につく。
アメリカ映画「フルートベール駅で」は、2009年元旦、名もない一青年の非業の死を描いた小品だけれど、リアリティもあり、十分見ごたえを感じる。
クーグラー監督の若き才能に、当然次作の期待もかかる一作だ。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「あなたを抱きしめる日まで」―切なくつらい過去への心の旅路―

2014-03-28 14:33:42 | 映画


 親子の生き別れが、いかにそれぞれの心に深い傷痕を残すか。
 スティーヴン・フリアーズ監督は、シリアスな実話をもとにユーモアを交えて描いた。

 50年前に、カトリック修道院によって幼い息子と引き離された、ひとりの老婦人の息子探しの旅を、個人史に寄り添うように、悲しみの中にたどる旅路である。
 そこには、本来人間の救済が目的であるはずの教会が、婚外子を金銭と引き換えに、非情な養子縁組を行っていたという、驚愕の事実も・・・。
イ ギリス映画の佳作である。









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1952年、アイルランド・・・。

若き十代のフィロミナ(ソフィー・ケネディ・クラーク)は、未婚のまま妊娠してロスクレアの修道院に収容される。
そこには、同じ境遇の多くの少女たちがいて、出産の面倒を見てもらいながら働かされていた。
フィロミナは男子を出産するが、やがて子供は彼女から奪われ養子に出されてしまう。

・・・それから50年後、娘のジューン(アンナ・マックスウェル・マーティン)に、フィロミナ(ジュディ・デンチ)は自分の秘密を打ち明けた。
老いた母親の告白を聞かされた彼女は、政府の元広報担当でジャーナリストのマーティン・シックススミス(スティーヴ・クーガン)に依頼して、母親に会ってもらう。
最初は断っていたマーティンも、フィロミナの話に引き込まれ、ここから二人の息子探しの旅が始まる・・・。

生き別れの息子を探す、母親の物語は悲しい。
その悲しみを、ユーモアが救っているのだ。
取材する側とされる側の偶然から始まった、二人の旅である。
二人はわずかな情報を頼りに、アメリカへ。

実話をもとにした物語の先には、思いもよらぬ真実が浮かび上がり、政治や宗教、差別といった、様々な問題点も見え隠れする。
重く悲しい旅路のはずが、フェロミナとマーティンの二人のちぐはぐなな掛け合いが笑わせ、ドラマは飽きさせることなく、ちょっとしたミステリアスな要素を交えながら、後半、修道院時代の真相が次第に明らかになりあたりから、緊張感が高まる。
とりわけ、フェロミナと修道女が50年時を経て向き合う最後の場面は、熱く、強く胸に響く。

スティーヴン・フリアーズ監督イギリス映画「あなたを抱きしめる日まで」は、信仰に生きる修道女が、何故人身売買というような愚行に及んだかなど、この謎を、すべてこの作品が描き切っているとは言えないが・・・。
・・・子を想う親の愛の深さが、心にしみる。
ヒロインのジュディ・デンチは、そこにいるだけで存在感があり、ときとして輝くばかりの表情を見せる彼女の演技が素晴らしい。
息子探しの旅のラストは、アイルランドのみならず、アメリカの社会問題をもはらんで、衝撃的な結末を迎える。
深い、余韻の残る作品である。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「それでも夜は明ける」―アメリカ社会の歴史的恥部を生々しく―

2014-03-23 17:35:00 | 映画


 今年のアカデミー賞最優秀作品賞、脚色賞受賞作である。
 イギリス出身の鬼才スティーヴ・マックウィーン監督は、この作品で、アメリカの黒人奴隷制度と正面から対峙した。
 主題の残酷さ、重さが強調され、映画のスタイルも斬新だ。
民主国家アメリカの恥部ともいわれる奴隷制度を、ここまで苦渋に満ちて描いた作品は少ないのではないか。

 人間の尊厳さをも、醜悪に踏みにじる愚行が繰り広げられる。
 正義はどこにあるのか。
 怒りを感じさせる映画だ。
 冷厳な現実を前にして、同じ人間同士でありながら、支配する者と支配される者がいる。
 虐待も隷属も、そしてここに描かれる狂気も、決して過去のことではなく、現代人の胸に突き刺さる・・・。





南北戦争の20年前、生まれながらにして自由黒人で、妻子と幸せに暮らしていたバイオリン奏者ソロモン・ノーサップ(キウェテル・イジョフォー)は、ワシントンでの公演後に拉致され、ルジアナ州の農園主フォード(ベネディクト・カンバーバッチ)のもとに売られてしまう。

ソロモンは、有能さゆえに、白人使用人の嫉妬と反感を買う。
フォードは優しい男だったが、トラブルを嫌って彼を厄介扱いする。

ソロモンが転売された先の農場は、さらなる地獄だった。
ソロモンは、狂信的な人種差別主義者、エップス(マイケル・ファスベンダー)の暴力に虐げられ続ける。
仲間の若い女奴隷パッツイー(ルピタ・ニョンゴ)は、エップスに残忍に弄ばれる始末で、それらを目の当たりにしたソロモンは、人間としての尊厳を失わず、家族のところに戻れるチャンスをじっと待ち続けるのだった・・・。

アメリカに、かつて存在した奴隷制度の非人間性を、真っ向から見すえた問題作だ。
娯楽作品がもてはやされるハリウッドだから、社会問題に取り組む映画は少なくなっている。
黒人初の作品賞受賞となったこの作品では、奴隷たちへの非人道的な行為が描き出されるが、そうした光景を素知らぬ顔をして通り過ぎる人々の、当たり前の無表情にはぞっとさせられる。
それほど冷徹に、マックウィーン監督は、衝撃的な場面を観客の脳裏に焼き付けてくるのだ。

のどかで美しい自然の広がる環境と、主人公の明日さえわからぬ過酷な日常と・・・、容赦なく見せつけてくる情景は、息苦しく、重々しい。
何とも陰惨で、厳しい映画だ。
自由民として暮らしていたソロモン・ノーサップの、12年間の奴隷生活の実話をもとに描かれる作品だ。
アメリカ映画「それでも夜は開ける」では、女奴隷パッツイー役のルピタ・ニョンゴも、見事助演女優賞に輝いた。
・・・しかし、この作品を観て思うことがある。
奴隷制のみならず、世界には大きな不公正や、馬鹿げたことだが南アフリカのアパルトヘイトのように、どこの国にも人種差別は今でも起きているのだ。
そうだ、今でも・・・。
       [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「少女は自転車に乗って」―古い因習に抗う爽快で詩的な風刺劇―

2014-03-21 15:25:00 | 映画


世界一の原油生産量を誇る国、サウジアラビアにはひとつの映画館もない。
そんな国で、初の女性映画監督となったハイファ・アル=マンスールが、清々しい映画を誕生させた。
もちろんサウジ初の長編映画で、宗教的にも法的にも厳しい制約を受ける少女の姿を活写した。
純粋無垢な少女の目線で、社会の矛盾を描いているが、撮影困難なサウジ国内では、女性監督が堂々と男性スタッフと撮影に臨むことなど許されず、バンの中に隠れてモニターを見ながら無線を使って指示を出したそうだ。
厳しい戒律の国で生まれた、珍しい作品だ。

この国の女性は豊満で、どこか輝いているように見える。
結婚前の男女交際は禁止されているのに、男性は同時に4人までの女性と結婚できる。(!)
女性の一人旅や車の運転は禁止され、女子の体育まで禁じられており、10歳の少女が祖父と同年齢の老人と結婚させられる例も異常に多いとか。
そうした古い慣習の中で、自由を求める少女の物語は、鋭い風刺と、それでいてしなやかな仕上がりを見せる。

サウジアラビアの首都リヤド・・・。

10歳のおてんば少女ワジダ(ワアド・ムハンマド)は、男の友達と自転車競走がしたい。
だから自転車がほしい。
しかし、母親(リーム・アブドゥラ)は、女の子が自転車の乗ることに反対で、買ってくれない。
それでもワジダはあきらめず、自分のお金を貯めて買おうとするが、お金はなかなか貯まらない。
そんな時、学校でコーランの暗唱テストが行われることになり、ワジダはそのその賞金で自転車を買おうと、一生懸命コーランの暗唱に取り組むのだが・・・。

サウジという国は、男には天国、女には地獄なのか。
女性は、自転車に乗ることも禁止されている。
とにかく、厳しい宗教教育が徹底していて、映画は女性であるが故の不条理を描き出していく。
それがまた清新で爽快だが、なかなか峻烈な作品だ。
物語は、日常生活の中で展開し、居丈高に叫んでいないのがいい。
少女を取り巻く厳しい社会環境の中で、自転車を漕ぐ少女のいっそうの輝きと勇気が何とも微笑ましい。

ハイファ・アル=マンスール監督サウジアラビア映画「少女は自転車に乗って」は、もどかしくも窮屈な現実をユーモラスに描きながら、そこに柔らかい知性が光っている。
重ねて言うが、女の子は自転車禁止、男は同時に4人の妻が持てる。
サウジアラビアという国は、こんな馬鹿げた現実がまかり通っている奇妙な国で、よくぞこの映画が撮れたものだと拍手を送りたい。
自転車は、この映画の中では自由の象徴だ。
画期的で、希少ないい作品である。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆」(★五つが最高点


映画「グランドピアノ 狙われた黒鍵」―ノンストップの密室音楽サスペンス!―

2014-03-18 20:25:00 | 映画


 アメリカが舞台でも、全編ヨーロッパの香りが漂うサスペンス・ドラマだ、
 スペイン出身エウヘニオ・ミラ監督は音楽家で、この作品に登場する「ラ・シンケッテ」を作曲しており、映画の緊張感をいやがうえにも高めている。

 ドラマは冒頭から、あっという間にスリリングな展開を見せ、ぐいぐいとその中に引き込まれていく。
 脚本(ダミアン・チャゼル)は、緻密に計算され尽くされ、印象的な音楽とともに、ドラマは少しも弛緩することなく、見せ場たっぷりに速いテンポで進展する。
 まことに、醍醐味あるスリルとサスペンスを堪能できる一作である。









5年ぶりに復帰した天才ピアニスト、トム・セルズニックイライジャ・ウッド)は、亡き恩師パトリックの追悼コンサートで、パトリックの遺したグランドピアノ、ベーゼンドルファーを弾くことになる。

トムは、パトリックが作曲した難曲「ラ・シンケッテ」の演奏に没頭するのだが、譜面に書かれた謎のメッセージとともに、姿なきスナイパー(ジョン・キューザック)の銃口が自分に向けられていることに気づくのだった。

楽曲「ラ・シンケッテ」を一音でも間違えたらお前を殺すという、スナイパーの脅迫に従い、無我夢中で演奏に挑むが、演奏開始後も無線機や携帯電話を通じて、指示を無視したら、客席にいる妻を射殺するという脅迫者の狙いは、いわくつきのグランドピアノに隠された秘密にあった・・・。
絶体絶命の状況のもと、トムはこの究極の難曲を完奏させられるか。
コンサートは、刻々とクライマックスに向かっていく。

命を狙われる天才ピアニスト役は、「ロ-ド・オブ・ザ・リング」で人気を得たイライジャ・ウッドで、スクリーンでは実際に吹き替えなしで、見事なピアノの演奏を披露している。
これも、凄い!

エウヘニオ・ミラ監督は新人ながら、物語のカギとなる音楽の作曲を手掛けるなど、なかなかの才能を存分に発揮している。
予測不可能なミステリーは、濃密な心理描写とともに展開し、カメラはステージの表と裏をダイナミックに駆け巡り、いわくつきのグランドピアノとその旋律に隠された謎は、渾然一体となった映像世界を創出しているのだ。

エウヘニオ・ミラ監督スペイン・アメリカ合作映画「グランドピアノ  狙われた黒鍵」は、手に汗握る前半から終盤まで、十分大人の鑑賞に堪えうる作品だ。
緊張感も意外性も魅力もたっぷりの、ミステリアスな音楽映画としても申し分ない。
孤立無援のイライジャ・ウッドと、本作ではほとんど声だけで脅迫者を演じているジョン・キューザックが、ライフル、楽譜、スマートフォンなどの小道具を駆使して魅せる、迫真の攻防に注目だ。
いやぁ、面白い。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「ペコロスの母に会いに行く」―認知症の母とその介護をする息子をしみじみと―

2014-03-16 17:00:00 | 映画


 愛おしくも、ほろりと切ない母と息子の日々があった。
 長崎在住の岡野雄一が、自らの介護体験をもとに描いたエッセー漫画がベースになっている。
 今年85歳の森崎東監督が、笑いと涙の人情喜劇を作り上げた。
 森崎監督の職人芸は、絶妙な演出で、軽やかなユーモアにくすぐられ、しみじみとした情味に思わずほろりとさせられる。
ほんわかとした会話で親子のきずなを綴っていくあたり、なかなかの出来栄えではある。

 映画出演はおよそ30年ぶりだという、89歳になる赤木春恵が、認知症のおかあちゃんを好演している。
自身、同じような母親の介護の経験があり、自然体の演技は可愛らしく、どこか愛しささえ感じさせる。
 一見重い題材だが、少しも湿っぽくない、優しさに満ちた作品に仕上がっている。
 映画専門誌『映画芸術』『キネマ旬報』までが、この作品を日本映画ベストワンに選んだのは、偶然であろうか。



岡野雄一(岩松了)は団塊世代だ。

漫画を描いたり、音楽活動をしたり、趣味にうつつをぬかし、仕事に身が入らないダメサラリーマンだ。
父さとる(加瀬亮)が亡くなってから、母みつえ(赤木春恵)の認知症が始まった。
症状が進んで、雄一はやむなく母を介護施設に入れるのだが・・・。

認知症の母の世話をする雄一は、自分のつるりとした頭を小さな玉ねぎ(ペコロス)に見立て、自分の愛称にしている。
仕事はダメだが、母を強く思う中年男を、岩松了が実に自然に演じている。
彼の帰りを駐車場で待ち続けて車に轢かれそうになったり、死んだ夫のために酒を買いに出かけたり、箪笥の引き出しに汚れた下着を詰め込んだりと、89歳の赤木春恵もみつえを表情豊かに演じている。

つらい介護の話だが、全体に暗さを感じさせない。
随所に笑いがある。
回想部分(若き日のみつえは原田貴和子)が効果的で、少女時代の苦労、幼友達との別れ、原爆、さとるとの結婚生活、雄一と酒浸りのさとるの思い出など、過去へさかのぼってのみつえの日々も丁寧に描かれる。
森崎東監督映画「ペコロスの母に会いに行く」は、深刻になりがちなテーマを扱いながら、優しさに満ちた作品として十分に鑑賞の価値がありそうだ。
母親のとびきりの笑顔を見て、息子のいうセリフ、「ボケることも、悪かこととばかりじゃないかも・・・」が効いている。
まあ、多少あざとい演出が気にならぬこともないけれど・・・。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「皇帝と公爵」―ナポレオンには決して勝つことのできない男がいた―

2014-03-15 04:00:00 | 映画


 戦国の時代、大きなうねりに巻き込まれてゆく、名もなき勇猛果敢な男たちがいた。  
 そして、輝きを放ちつつその時代をたくましく生きる女たちがいた。

 バレリア・サルミエント監督が、2011年にこの世を去った、「ミステリーズ 運命のリスボン」名匠ラウル・ルイス監督最後のプロジェクトを完成させた大作だ。
 19世紀のナポレオン戦争を背景に、イギリス・ポルトガル連合軍がナポレオンを破った歴史絵巻を描いた。











皇帝ナポレオンの永遠のライバルとまで言われた、知将ウェリントン(ジョン・マルコヴィッチ)の知られざる戦いに見どころがある。

1810年、2度の侵攻失敗ののち、ナポレオン皇帝はマッセナ元帥(メルヴィル・プポー)にポルトガル征服を命じる。
フランス軍は難なくポルトガルの侵攻に成功したかに見えたが、それはウェリントン将軍の仕掛けた罠であった。
ウェリントンの戦略により、イギリス軍は見事フランス軍を追い払うことに成功した。
だが、勝利を収めたにもかかわらず、イギリス軍はウェリントンが建設した要塞トレス線へ、いまだ数的に圧倒的有利なフランス軍を誘い込むため、南部山地への戦略的撤退を試みるが・・・。

フランス軍のポルトガル征服とその侵略を食い止める、イギリス・ポルトガル連合軍とのブサコ作戦の知られざる攻防である。
敵兵の迫害から必死に逃れる者、貧しくも歯を食いしばり生き延びようとする者、私利私欲のために混乱に乗じる者たちを同線上で描き、兵士と民衆の生きることに貪欲な姿を、分け隔てなく丁寧にしかも劇的に描き上げている。

さらに、登場する強く美しい女性たちは、動乱の時代を生き延びるために、ある者は娼婦や追いはぎで日銭を稼ぎ、裕福な男性との結婚を選び、ある者は男装して戦火に飛び込む。
ここでは、女性監督バレリア・サルミエントの手によって、戦時下における女性たちの苦しみと生命力がいっそう生き生きと活写されている。

イギリスとポルトガルは、政治的、経済的にきわめて強いつながりを持って、同盟関係を結んでいた。
1807年、まだフランスの支配下にはなかったポルトガルに対して、ナポレオンはイギリスとの関係を断つように迫ったが、ポルトガルはそれを拒み、フランス軍の侵攻と英ポ軍の抗戦は始まった。
その戦争での重要局面が、この映画に集約されている。
フランス・ポルトガル合作映画皇帝と公爵」は、当時戦時下のヨーロッパの複雑な状況を考えると、大変興味深い作品といえる。
出演はほかに、、マチュー・アマルリックカトリーヌ・ドヌーヴイザベル・ユペールらそうそうたる名優が集結し、彼らのアンサンブルによる歴史時代絵巻が楽しめる。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「家 路」―大震災後の福島の今を描く家族再生の物語―

2014-03-11 21:00:00 | 映画


 東日本大震災から、3年を迎えた。
 福島を舞台にした作品だ。
 これまで、主に家族を題材にしてテレビドキュメンタリーを手掛けてきた、久保田直監督が初の劇場長篇ドラマを発表した。

 震災で立ち入り禁止区域となった農村に、二十年ぶりに戻って来る青年の姿を描いた。
 誰もいない、汚染された故郷に、救いがたい悲しみと生への痛切な思いがスクリーンを通して漂ってくる。
 人の住めない現実を通して、震災の直後ではなく、年月を経た現 在を描いて生ま生ましい現実を追求した。
 人が、大地とともに生きることの大切さが、重く問われる一作である。






        
福島第一原発の事故で、立ち入りが禁止された山村・・・。

今は無人となっている家に、古里を捨てたはずの次郎(松山ケンイチ)が、誰にも告げずに突然戻ってきた。
次郎はたった一人で種をまき、田を起こし、稲を植え、電気のない家で自炊生活をする。

一方、兄の総一(内野聖陽)は、家と田畑を継いだたものの実家の農業ができず、風俗店で働く妻の美佐(安藤サクラ)と継母の登美子(田中裕子)とともに、仮設住宅で悶々として暮らしていた。
次郎の帰還は、やがて総一らの知るところとなるのだが・・・。

20年もたって、何故次郎は希望の見えない古里に戻って来たのか。
終盤になって、次郎は帰郷の真実を語り始める。
汚染された古里で生きる決心をした彼は、「この土地に誰もいなくなったら、何もなかったことになってしまう」と旧友に語る。
この言葉に、この映画のすべてが要約されている。
作って、食べて、生きていく。
それは、人間であることの力強さだ。
次郎の言葉は、平穏な日常を突然奪われた、すべての被災者の心の奥からの叫びだ。
そして、主人公が時おりのぞかせる静かな微笑が、救いだ。
それは、未来につながる微かな希望への期待でもあろうか。

久保田直監督映画「家 路」は、福島第一原発から20キロから30キロの旧緊急避難区域などで撮影された。
息苦しく、重々しい被災地での生活と、陽光に輝く田園の緑の印象が、強いコントラストとして胸に迫る。
今もなお続く、被災地と被災者の苦悩のにじむ現在進行形を、冷静にカメラは追った。
ただ、ほこりっぽい画面のトーンが暗く、人物の表情がよくわからない。
そんな感じで淡々と語られる、一家再生の物語だが、狙いと意気込みは感じても単調なカメラの長回しは技法的にどうか。
気になるところも多い。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「東京難民」―美しくなんかない日本の格差社会に生きる若者たちの縮図―

2014-03-10 17:00:00 | 映画



 いまの格差社会は、決して美しくあろうはずがない。
 「ネットカフェ難民」が社会問題化したのは、いつ頃だったか。
家を失い、安定した仕事にもつけず、カネもなく、ネットカフェに寝泊まりする、いわばそうした社会から見放されたひとりの若者の姿を通して、その生々しい実態を描いている。

 佐々部清監督は、リアリティのある、まぎれもない現代の日本の縮図を描いた。
 若者の人生の厳しさ、危うさを前面に押し出した、社会派映画である。
そ れは、あっという間の転落人生だ。
 人間の良心は、いったいどこのあるのだろう。
 そして希望は・・・?








主人公の時枝修(中村蒼)は、普通の大学生だ。

親の事情で突然送金が途絶え、授業料未納で大学を除籍になる。
その上家賃も未払いで、アパートを追い出され、ネットカフェに寝泊まりしている。
ティッシュ配りなどの日払い、治験のアルバイトなどで食いつなぐ日々であった。

ある日、騙されて入ったホストクラブで、高額の料金を突き付けられ、その店で働くしかなくなる。
ホストの世界の裏側を見てしまった修は、そこから無傷で脱け出すことができず、ついにはホームレスにまで転落する・・・。

とても共感は出来ないが、だらしのない人間の弱さを見せる主人公を中村蒼が好演し、将来の夢も希望も見い出せない、現在の若者像を体現している。
ちゃらんぽらんな先輩ホスト(青柳翔)、ホストになった修の店に足しげく通う看護師茜(大塚千弘)の寂しさからの渇望、修と茜を引き合わせる瑠衣(山本美月)のその場しのぎの生き方など、若手俳優総動員で、繊細な内面の演技を精いっぱい見せている。

前半、ドラマはややドキュメンタリータッチで、後半は飛躍、省略、説明的な部分もあるが、現実の厳しさを前面に出す演出はともかく、どうもその現実をカメラが追うだけの過程には少々飽きもする。
修は騙され、貶められ、それでも前に進もうともがく。
ホストの世界はよく描かれているが、何か週刊誌の風俗記事を見せられているようで、取材力には感心しながらも素直に入ってゆけない。

また坂江正明撮影監督のカメラがよいのか、動きが俊敏で、主人公が“難民”化する姿を色調をいろいろと変えながら描いており、格差社会の中で立ち直るのが困難な世の中を浮き彫りにしている。
佐々部清監督映画「東京難民は、底辺に転落していく主人公がいじらしく、いかにも寂しい。
主人公の明日へ選択に、映画としては大いなる思いを込めているのだろうが・・・。

作品全体の描き方が、通俗的なのはまだしも、何故、どうして、そして何処へというような鋭い突込みがないのはまことに残念だ。
定職も住むところもない「ネットカフェ難民」や、ファーストフード店で朝までねばる「ファーストフード難民」たちの実態、華やかなホストの秘密のビジネス、日雇い労働の信じられない条件、そして貧困ビジネスの実態・・・、これらは決してどこか遠い国の物語ではない。
まぎれもない、いまの日本のひとつの顔なのだ。
そう、これは日本の縮図なのだ。
そのことだけは確かのようである。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「エヴァの告白」―過酷な運命を背負った移民女性の物語ー

2014-03-05 08:00:00 | 映画


 この作品で語られるのは、アメリカに移住したポーランド女性の物語である。
 ジェームズ・グレイ監督アメリカ・フランス合作映画で、実力派俳優たちの競演は嬉しいのだが・・・。

 ・・・祈りはかなわず、希望はつぶされ、愛に裏切られ、ただ生きようとしただけなのに、両親を殺され、戦火のポーランドを逃れて妹と二人でたどりついた、自由と希望の街ニューヨーク・・・。
 しかし、二人を待っていたのは、あまりにも過酷な運命だった。
罪と救い、移民女性の葛藤を描いているが、ドラマの盛り上がりはとなると・・・?










1921年、ポーランド人の姉妹が祖国の戦火を逃れてアメリカへ。

ニューヨークのエリス島にある移民局で、入国検査を受ける。
その牢獄のような建物で、姉のエヴァ(マリオン・コティヤール)は、病気の妹と引き離されたあげく、迎えに来てくれるはずの親類も現れず、入国を拒否される。

移民船での素行を問題視された彼女に手を差し伸べたブルーノ(ホアキン・フェニックス)は、移民女性のダンスショーと売春をあっせんを商売とする男だった。
全ての夢は結局打ち砕かれ、エヴァは、ニューヨークの下町の劇場でストリップに近いことをやらされ、転落の道を歩んでいく・・・。

エヴァは可憐な容姿に強い意志を秘め、妹を救うためには売春も辞さない。
そんな彼女を恋しつつ餌食にするブルーノ、二人の腐れ縁が狂おしく描き出される中で、流れ者のマジック師オーランド(ジェレミー・レナー)が自由の風を吹かせて、三角関係の悲劇を招く。
オーランドに見た救いの光さえも消えて、エヴァは教会を訪れ、告解室で告白するのだ。
「私は、沢山の罪を犯しました」と・・・。

厳しい生活の中で、ささやかな希望を抱いても、それはすぐにつぶされ、新たな希望もまたしぼんでいく。
敬虔なカトリック教徒であるエヴァは、自分と家族が生きるためにブルーノとの共存関係を深めていくのだが、結局は自分の身を売る羽目になる。

筋書きは極めて陳腐である。
エヴァを演じるマリオン・コティヤールがいいが、もともと多彩な才能あるこのフランス女優には、このドラマは役不足、出演させていること自体気の毒なくらいだ。
画面は全編にわたってセピア色だし、ストーリーも暗い。
戦火の国からやって来て、寄る辺のない女を愛しながらも搾取しか考えない男との、いわば古風なメロドラマだ。
結局、娼婦に転落する女を描きながら、この映画は何を気遣ってか、猥雑感のかけらもない。
アメリカ・フランス合作映画「エヴァの告白」は、ジェームズ・グレイ監督らしいノワールな映像がよいか、悪いか。
全編に漂う、くすんだ空気感とその描き方も、どうも気に入らない。
何やら期待外れの、大いに不満の残る作品だった。
     [JULIENの評価・・・★★☆☆☆](★五つが最高点