徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「おとなの恋の測りかた」―南フランス発の可笑しくてスイートな大人の恋の物語―

2017-08-31 16:00:00 | 映画


 女性の身長が男性より約40センチ高い、“逆身長差”カップルを描いた、ロマンティック・コメディだ。
 意外にも、世間体や体裁を気にするのは世の習いか。
 小さな驚きや可笑しさいっぱいで、ドラマではエスプリのきいたセリフが、小気味よいテンポで乱れ飛ぶ展開が楽しい。
 ローラン・ティラール監督の演出が心憎い。

 人は見かけで判断されるものではない。
 でもそうは言っても、そこは見た目で試される人の心というものがある。
 そもそも、男の価値って何で決まるのだろうか。
 人間、誰だって完璧な人間なんていない。
 だから、幸せをつかむチャンスだって、権利だって、どんな人にもあるのだ。
だが・・・。



敏腕女性弁護士のディアーヌ(ヴィルジニー・エフィラ)は、3年前に離婚したものの、元夫は仕事のパートナーでオフィスで顔を合わせては喧嘩ばかりの日々だ。
今日もむしゃくしゃした気持ちで帰宅すると、彼女のもとに一本の電話が入る。
相手はアレクサンドル(ジャン・デュジャルダン)と名乗り、ディアーヌがレストランに忘れた携帯を拾ったので渡したいのだという。
アレクサンドルの口調は知的なユーモアがあり、ディアーヌは気分も一変、ほのかなときめきまで覚えて、早速翌日会うことにした。

ディアーヌは久々にドレスアップして、期待に胸ふくらませて待っていると、その前に現れたのは、しかし自分よりずっと身長の低い男性だった。
彼女は当てが外れた様子で、早々に切り上げるつもりが、茶目っ気たっぷりのアレクサンドルの話術に、いつの間にか魅了されていく。
リッチで知的で才能ある建築家のアレクサンドルは、そんなディアーヌに、今まで経験したことのないエキサイティングな体験をプレゼントしたいと申し出て、そのままデートへ連れて行かれる。
だがどうしても、彼女は周囲の眼や自分からしても、身長差が気になって仕方がない。
アレクサンドルは、彼女に猛アタックするが、彼の身長は136センチ、デートを重ねるうちに彼の良さにひかれるディアーヌだが、周囲の反応は二人の身長差から何だかとても冷ややかで、彼女の心が揺れ始める・・・。

身長の低い男と、40センチの差がある女性の恋の行方が気にかかる。
設定も極端で、身長差ゆえに生まれる恋の悩み以上を考えると、コメディなのだが、心から素直に笑える作品ではない。
むしろ、ほろ苦く、しんみりと、何とも男性が愛おしく思えてくる。
アレクサンドルは機知にとんだ会話が上手く、仕事はできるし、背の低いところがネックだ。
彼を自分の母親や知人に紹介するときの、その場のみんなの視線がとても気になって、仕方がないのだ。
その場面の言葉のやりとり、心理描写は秀逸だ。

今年5月に就任したばかりの、フランスのマクロン大統領夫人は夫より25歳年上で、普通とは違うことがまたひとつ魅力にもなっているではないか。
主演のジャン・デュジャルダンがとてもよく、彼は「アーティスト」(2011年)で、フランス人俳優で初のアメリカアカデミー賞主演男優賞を受賞した演技派で、実際の身長は180センチを超える。
演技では、膝をついて彼女を見上げ、CG合成のためひとりで踊り、ひとりで台詞を話すこともあったそうで、遠近法などを駆使して、縮めた人の姿が自然に映るように工夫された撮影技術がなかなか凝っていて見どころもいっぱいだ。
ディアーヌ役のヴィルジニー・エフィラも、フランスのロマコメの女王といわれるだけあって、こういう役ははまりどころか。
ローラン・ティラール監督「おとなの恋の測りかた」は、よく考えられた作品で、ラストまで飽きさせず、いかにもフランス映画といったつくりで、ほろりと胸を熱くさせる演出効果は大きい。
楽しめる作品だ。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回は日本映画「関ヶ原」を取り上げます。


映画「残 像」―自己を信じ芸術に全てを捧げた不屈の男の肖像―

2017-08-28 08:00:00 | 映画


 痛切なポーランド映画である。
 昨年90歳で逝去した、ポーランド巨匠アンジェイ・ワイダ監督の遺作だ。
 社会主義政権下で、自由な表現が制限される中、政府の弾圧にも屈せず信念を貫いた、実在の前衛画家ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキの晩年の4年間が、政治と芸術の観点から描かれる。

 一塊の人間がどのようにして国家に抵抗するのか。
 表現の自由を得るために、どれだけの代償を払わなければならないか。




第二次世界大戦直後、ポーランド中部の町ウッチ・・・。
造形大学教授で前衛画家のストゥシェミンスキ(ボグスワフ・リンダ)は、大戦で重傷を負い、片手片脚を失っていたが、その生涯を乗り越えて、自宅兼アトリエのアパートで創作に励んでいる。
彫刻家の妻とは別居し、一人娘のニカ(ブロニスワヴァ・ザマホフスカ)は、父親に愛憎の入り混じった複雑な感情を抱いている。

政府は社会主義リアリズムの原則の下、芸術を政治に奉仕させる方針を徹底していく。
そんな政治理念に対し、ストゥシェミンスキは形態や色彩などを重視する自分の芸術理念を貫き通すが、やがて大学や芸術団体からも追放され、画材はもちろん日々の食糧の入手も困難になり、生活は困窮する。
彼を支援する女子学生ハンナ(ゾフィア・ヴィフワチ)は逮捕され、ストゥシェミンスキはますます追い詰められていく・・・。

極貧になり、当局の弾圧を受けながらも、信念を曲げない孤高の画家の姿が胸を打つ。
アンジェイ・ワイダ監督自身「地下水道」(1956年)、「灰とダイヤモンド」(1958年)、「大理石の男」(1977年)、「鉄の男」(1981年)、そして「カティンの森」(2007年)など、人間の尊厳を追求して戦い抜いた映画作家として、名作を数多く世に送り出した。
理想主義的な人間にとって、生きづらい時代の波が押し寄せてくる。
社会主義政権による抑圧のもとで、その支配下に組み込まれた人間は、みんな自由を失っていく。
抵抗を繰り返すストゥシェミンスキも職を追われ、仲間を奪われ、芸術家の魂であるはずの作品まで文字通り傷つけられる。

主人公が極限まで追い詰められ、死に至る過程は描写も容赦ない。
彼が属していた芸術協会の会員証や、食料を買うのに必要な配給切符まで失って、その紙一枚があるかないかで人減の生きるよすがまで断たれるとは
・・・。
人間の運命までが、そんなことで簡単に片付けられてしまうのだ。

アンジェイ・ワイダ監督も、全体主義に抵抗し、80年代は弾圧も受けた。
このポーランド映画「残 像」の主人公に、ワイダ監督の怒りが重なって見える。
カラー作品なのに、モノクロ映画を観ているようにスクリーンは暗く、ほとんど色のない世界が描かれる。
テーが重いせいでもあろう。
共産党に迎合しようとしない人は存在を全否定されてしまう、そういう社会だが、これもすでに四半世紀前のことになる。
こんな暗い時代に二度と戻ってはいけないのだ。
アンジェイ・ワイダ監督の、最後の叫びのように聞こえる、執念の作品だ。
そしてこれは、まさに遺言というにふさわしい、現代にも通じる監督のラストメッセージだ。
       [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回は、ぐっとくだけたフランス映画「おとなの恋の測りかた」を取り上げます。


映画「少女ファニーと運命の旅」―幼い心が自由の道を求めて生き延びるために―

2017-08-23 17:00:00 | 映画


 希望をつなぐ旅を求めて、絶対にあきらめない。
 それは、命をつなぐ旅であった。

 日本では「ポネット」(1996年)が大ヒットし、 「ラブ・バトル」(2013年で知られる、名匠ジャック・ドワイヨン監督である、ローラ・ドワイヨン監督デビュー作である。
 ホロコーストから逃れるため、子供たち8人を率いてスイス国境を目指した、13歳の少女ファニー・ベンアミの実話を映画化した。
 ファニーの目線で語られる戦争中の実話と、危険いっぱいの道中は大変過酷なもので、これが実話であることに驚く。




1943年、ナチスドイツの支配下にあったフランス・・・。

13歳のユダヤ人少女ファニー(レオニー・スーショー)は、ジョルジェット(ジュリアーヌ・ルプロー)とエリカ(ファンティーヌ・アルドゥアン)の二人の幼い妹ともに両親と別れ、支援者たちが密かに運営する児童施設に匿われていた。

ある日、心ない密告者の通報によって、子供たちは別の施設に移ることになる。
やがてそこにもナチスの手が及び、ファニーたちはスイスへ逃れようと列車を乗り継ぐが、厳しい取り締まりの中、引率者とはぐれてしまう。
取り残された9人の子供たちのリーダー役となったファニーは、いくつもの窮地を持ち前の勇気と知恵で乗り越え、ひたすら国境を目指した。
しかし、追手は彼らのすぐ近くまで迫ってきていた・・・。

このドラマでファニーのモデルとなったのは、実在のファニー・ベンアミで、現在はイスラエルで暮らす彼女が、第二次世界大戦中に子供たちだけでフランスからスイスへ逃げたという、驚くべき実体験を綴った自伝が2011年フランス語版で出版された。
これがたちまち話題を集め、映画化が実現したのだそうだ。
テーマは衝撃的だが、ただ生きたいと願う子供たちの命の輝きと、そんな彼らを見守る大人たちの温かな絆が素晴らしい。
小さな指揮官ファニーが、迷える大人たちに勇気と希望をもたらしたのだ。

製作にあたって、名匠の血を引く注目のローラ・ドワイヨン監督は、フランスとベルギーのオーディションで、1000人以上の子供たちの中から9人を選んだ。
ヒロインのファニーに抜擢されたのが、これまで演技初体験となるレオニー・スーショーで、勝気で頑固なファニーがその意志の強さを押し通しながらも、他人への思いやりや優しさに目覚めていく姿を、実に逞しく繊細に演じている。
ほかにも、未来の名優を目指す子供たちも選ばれ、それぞれが、個性的で魅力的なキャラクターを生き生きと演じている。
もともとバラバラだった他人(子供たち)が、助け合いながら、ひとつの家族のようにまとまっていくところは感動的だ。

フランス・ベルギー合作映画「少女ファニーと運命の旅」は、さほど強烈なインパクトまではないが、極度の緊張感の中で絆を深め、生きるために必死になって明日に手を伸ばそうとする姿は凛々しくも愛おしい。
最後までハラハラドキドキさせるドラマだ。
戦争の無慈悲さを伝える作品としては、変わりゆく不安な時代に生きる今、まさに観るべき作品でもある。
        [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はポーランド映画「残像」を取り上げます。


映画「ザ・マミー / 呪われた砂漠の王女」―神話に封印された邪悪な王女の復活―

2017-08-20 12:00:01 | 映画


 往年のモンスター映画「魔人ドラキュラ」 (1931年)、「フランケンシュタイン」(1931年)などを製作してきたユニバーサル・ピクチャーズが、全く新しいスタッフとキャストの手によって生まれ変わった。
 その栄えある「ダーク・ユニバース」の第一弾がこの作品だ。

 中東の広大な砂漠から、現代のロンドンに隠された地下迷宮を舞台に、古代神話に封印された邪悪なる王女の復讐と、壮絶な戦いが描き出されていく。
 1932年のホラー映画「ミイラ再生」が、アレックス・カーツマン監督によって、アクション・アドベンチャー大作として新しく生まれ変わった。


中世ロンドンの地下深く・・・。
十字軍としてエジプトに遠征した修道士の棺に、妖しく光るオシリス石が隠され、長いこと保管されていた。

古代エジプト・・・。
強く美しい王女アマネット(ソフィア・ブテラ)は、ファラオから次期女王の座を約束されていた。
しかし、ファラオに新しい息子が産まれたことで、その約束が破られる。
絶望したアマネットは、“死者の書”に記された魔術を使って、死の神セトと契約を交わすのだ。
アマネットの瞳は4つになり、ファラオとその息子を殺害するが、セト神を甦らせる儀式の途中で捕えられる。
アマネットは生きながらミイラにされて棺に封印され、激しい怒りと権力への欲望をため込んだまま、都から遠く離れた中東の地で、歴史とともに地下深く埋められた。

・・・それから5000年後の現代、中東の戦闘地帯で、古代から眠る宝探しをしていた米軍関係者のニック(トム・クルーズ)と考古学者ジェニー(アナベル・ウォーリスは、巨大な地下空洞で謎の棺を発見する。
その棺を調査のため英国に空輸中、飛行機はロンドン郊外に墜落する。
ニックはどうなったか。(実は生きていた。)
棺に入っていたのは古代エジプトの王女アマネットで、彼女は復讐に燃えて現代に蘇った・・・。
そして・・・。

物語は複雑だ。
モンスター研究の秘密組織の暗躍などを交え、高速で展開していく。
「インディ・ジョーンズ」のジェットコースター思わせるような展開で、息つく暇もない。
肝心のマミー(ミイラ)を怖がっている暇とてなく、ニックと秘密組織のリーダー(ラッセル・クロウ)との対決があり、アマネットはセトに捧げる器となる人間にニックを選び、彼の命を奪おうとするのだ。

トム・クルーズはここでは3枚目だが、意外にはまっている。
ニックとジェニーのロマンスも描かれるし、ニックとアマネットとの1対1の戦いも見ものだ。
復讐に燃えるミイラが現代に蘇る。
それだけでもドラマ性は十分だ。
荒唐無稽なフィクションと解っていても、ワクワク、ドキドキする物語の展開から目を離すことができない。
アレックス・カーツマン監督アメリカ映画「ザ・マミー / 呪われた砂漠の王女」は、この夏の暑さを吹き飛ばすにはもってこいの作品だ。
そのつもりで見れば面白さもこの上なしだ。
夏映画を制するのは、ひょっとしたら、このトム・クルーズとモンスターとの壮絶バトルを描いた、人類の存在をかけた(?!)アドベンチャー映画かも知れない。
       [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回はフランス・ベルギー合作映画「少女ファニーと運命の旅」を取り上げます。


映画「STAR SAND 星砂物語」―殺さず戦わずただひたすら平和を願うことは―

2017-08-17 12:00:00 | 映画


 若き日にベトナム戦争に反発してアメリカを去ったロジャー・パルバース監督は、作家で演出家でもあるが、今回自身の日本語で書かれた原作小説を、72才にして初監督作品として映画化した。

 全く異なる人生を生きる二人が、運命の出逢いをする時・・・。
 戦時下の沖縄と現代の東京と、二つの時代と土地を往還しながら、この作品には平和への祈りと未来への希望がその底流に託されている。
 当然、戦争の無意味さをえぐりながら、描写は温かみにあふれていて、パルバース監督の日本へ愛の憧憬と深さに感じ入る作品だ。

 
   



                      
               

                            

1945年の沖縄、戦火から遠く離れた小島・・・。

独りこの島に渡って暮らし始めた16歳の少女、梅野洋海(ひろみ)(織田梨沙)は洞窟で、日本人である岩淵隆康(満島真之介)と、アメリカ人ボブ(ブランドン・マクレランドという二人の青年と出会う。
戦うことが厭になって軍を離れた〈卑怯者〉同士の日本兵と米兵は、言葉が通じないながらも、洞窟の中で暮らすうちに次第に心を通わせ合っていく。
日系アメリカ人の母親を持つ洋海は、時折り通訳となりながら、隠れて暮らす彼らを気にかけ、身の回りの世話などを焼いているうちに、いつしか二人への共感を覚え、三人の間に不思議な人間関係が築かれていくのだった。

そんなある日、隆康の兄で負傷兵の一(はじめ)(三浦貴大)が洞窟にやって来る。
彼は怪我の養生のため、隆康やボブらとともに暮らすことになるが、アメリカ兵を敵と信じ、戦うことを良しと考えている彼の目には、ボブは敵であり、隆康は国の裏切り者としか映らなかった。
一(はじめ)の敵意はボブと隆康に向けられていく。
そして、悲劇が起きる・・・。

日米2人の脱走兵と彼らを見守る女性の交流を、現代からの視点を交えて描いている。
映画は、現代の東京で卒論のテーマを決めかねている女子大学生の保坂志保(吉岡里帆)の視点も絡めているのだが、二つの時代を意表をついた形で描いていて、そのあたりに映画作りの巧さが感じられる。

戦火の及ばない島で、星砂(有孔虫の殻が堆積したもの)を拾い集める少女洋海役の織田梨沙、日米の脱走兵を演じる満島真之介ブランドン・マクレランドら若手の活躍が光る意欲作だ。
ロジャー・パルバース監督「戦場のクリスマス」(1983年)の助監督を務めた人で、何とアメリカの名門ハーバード大学大学院卒の経歴を持つ鋭才で、72歳で‘新人監督’とは恐れ入った話だ。
全編を彩る静謐な音楽は坂本龍一が担当しており、作品にありがちな戦争の臭いを感じさせないところがよい。
「平和」という言葉は、この映画の中にはほとんど登場しない。

終盤近く、現代の東京のシーンで、女子大学生の志保が大学教授の城間(石橋蓮司)から一冊の日記を渡される。
それは、戦時中に沖縄の小島で暮らしていた少女洋海のものだった・・・。
そして、ここでもまた新たな感動が・・・。
胸の熱くなるシーンだ。
日本・オーストラリア合作映画「STAR SAND 星砂物語」は、戦争への反発と日本との出会いによって生まれた名品に数えてもいいのではないか。
作品の中で、少女の生活が具体的ににどのようなものだったか、もう少し覗きたい気持ちになるが・・・。
よき映画であり、お奨めしたい一作だ。
パルバース監督は、1977年初めて沖縄を訪れたときに星砂を見て、作品のインスピレーションを得て副題の星砂物語としたのだった。
        [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はアメリカ映画「ザ・マミー / 呪われた砂漠の王女」を取り上げます。


映画「歓びのトスカーナ」―奇妙な友情で結ばれた女性たちの自由奔放な狂人喜劇―

2017-08-12 13:00:00 | 映画


 人生の切なさや愛おしさが溢れる快作(?!)である。
 これは「人間の値打ち」2013年)で絶賛された、イタリア名匠パオロ・ヴィルズィ監督が描いた珠玉の人生賛歌だ。

 幸せはいつでも隣に寄り添っている。
 ふとしたことから、最高の友情で結ばれていく女性たちの、幸せ探しの旅とはこういうものか。
 驚くばかりである。
 この作品の背景には、大声では言えないが、狂人をも包み込むイタリア社会の寛容さがある。
 サイケデリックな要素もいっぱいの作品だ。
 善も悪も一緒に、自由奔放とはかくも輝かしいものなのか。


イタリア・トスカーナ州・・・。
緑豊かな丘の上にある、精神診療施設ヴィラ・ビオンディでは、心に様々な問題を抱えた女性たちが、診療スタッフたちとともに生活を送っている。
彼女たちは農作業にいそしんだり、社会復帰のための診療を受けている。
このグループホームに収容されているベアトリーチェ(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)とドナテッラ(ミカエラ・ラマツォッティ)の二人は、ひょんなことからホームを脱走し、彼女たちの奔放な想いのまま、ときには狂気のごとく、行き当たりばったりの逃避行を続けていく。

主役肌のベアトリーチェは躁病で、世界は自分のためにあると考え、人を片っ端から騙すのが得意で、超高級レストランで無銭飲食をし、相棒ドナテッラの母親のハンドバッグからカネをくすねるわ、元恋人の弁護士をベッドに誘って睡眠薬で眠らせ、金庫からカネや貴金属を平然と頂戴し、逸脱の限りをつくす、悪の女王みたいに振る舞っている。
もう一人の主役級ドナテッラは、鬱病に薬物中毒が手伝って、可愛いはずのわが子を抱いて身投げするも助けられる。
しかし、母親失格の烙印を押されて、わが子を里子に出される。
彼女はやせ細っていて、いつもふさぎがちで、身体中に入れ墨があるヤングママだ。

好対照の女性二人が、逃避行の最中で、徐々に絆を深めていく。
やがて、心に傷を負ったドナテッラは、痛切な過去の記憶が蘇って・・・。

とにかく怖いもの知らずの不良少女のように、破天荒な自由を思い切り謳歌するのだ。
それぞれに大きな問題を抱え、性格も異なる二人がはじめはエキセントリックだが、次第に息の合った二人になっていくあたり、この一見無謀きわまりない逃避行が、輝かしい希望と幸福に満ちた旅に思えてくるから不思議だ。
心に病を負った女性たちほど、これでも自分たちは普通の人間なのだと、真実を語ろうとするという。
彼女たちは精神病患者である前に、まず人間なのだ。
どうだろう、この寛容さは・・・。

作品は世間を引っ掻き回すほどのドタバタのロードムービーを展開しつつ、二人の固い友情で結ばれていくプロセスをテンポ良く見せる。
パオロ・ヴィルズィ監督は、生きる喜びと悲しみ、耐えがたいほどの痛みを真直ぐ見据えて、ハチャメチャなユーモアたっぷりに、壮快な人間模様をまさにあっけらかんと描き切った。
いやいや、とんでもない人間賛歌、人生賛歌を観てしまった。
二人の女性コンビのいたずら放題の冒険ぶりは憎めない。
ヴァレリア・ブルーニ・テデスキは1964年イタリア・トリノ生まれ、知的な才能の持主で、カーラ・ブルーニサルコジ元フランス大統領夫人だし、一方ミカエラ・ラマッツォティは1974年同じイタリア・ローマ生まれで、かの有名なソフィア・ローレンを継ぐ女優といわれ、2008年「見わたすかぎり人生」監督を務めたヴィルズィ結婚、いまではイタリアを代表する女優の一人だ。

イタリア・フランス合作映画「歓びのトスカーナ」は、緑豊かな自然と美しい街並みを背景に、眩しい陽光に満ちた映像で、孤独な魂を描きながら、まさに人間の生きる歓びを照らし出して見せた。
映画に登場するような司法精神病院と呼ばれる施設は、一部が他の施設に振り分けられたが、それ以外は2017年2月に閉じられたそうだ。
主役級二人の女優の役作りは大変だったらしい。
ご両人とも体当たりの演技に拍手を送りたい。
近頃めずらしく、大いに笑って、行き当たりばったりの興奮満喫のヨーロッパ映画だ。
       [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回は日本・オーストラリア合作映画「STAR SAND 星砂物語」を取り上げます。


映画「海辺の生と死」―奄美の自然を背景に戦後文学史に残る伝説的夫婦の愛の実話―

2017-08-09 17:00:00 | 映画

 映画にもなった文学作品「死の棘」の作家、島尾敏雄島尾ミホの出会いのときを描いている。
 島尾敏雄「島の果て」島尾ミホ「海辺の生と死」ほかの作品を下敷きにして、越川道夫監督が念願の映画化を果たした。
 彼にとっては、「アレノ」2016年)に続いての2作目の監督作品だ
 奄美の自然と神への尊敬を核に、濃密な愛のドラマが展開する。
 二人の恋物語は、神話的ムードで語られていくが、概して静謐で寡黙な映画である。




昭和19年末(12月)の奄美カゲロウ島(加計呂麻島)・・・。

大平トエ(満島ひかり)は、国民学校(のちの小学校)の代用教員として働いていた。
そこに、新しく駐屯してきた海軍特攻艇の若き隊長朔中尉(永山絢斗)と出会う。
朔が、兵隊の教育用に本を借りたいと言ってきたことから知り合い、互いに好意を抱き合う。
島の子供たちにも慕われ、軍歌ではない島唄を歌うことを好む軍人らしくない朔に、トエは激しく惹かれていく。

人目につかぬように逢瀬を重ねる二人だが、戦況は刻々と悪化していた。
米軍が沖縄を占領し、広島に原爆が投下され、ついに朔の部隊が出撃することになる。
トエは母の遺品の喪服を着て、担当を胸に抱き、家を飛び出すと、いつもの浜辺へと無我夢中で駈け出して行くのだった・・・。

日本の敗戦が近づき、島も空襲にさらされるさなか、生と死の極限の状況に置かれた二人の感情が純化し、激しく燃えさかる。
それまでトエと朔は、島に流れるゆったりとした時間のように、自らの感情を醸成させていたのだった。
この作品は、トエというひとりの女性の側からの愛の物語である。
ヒロイン満島ひかりがすべてを体当たりで演じていて、特筆に値する。

島の風土、文化、島唄がふんだんに取り入れられ、音感、色彩感豊かに、ストーリーと不可分のものとして盛り込まれている。
これらは、見方によってはカゲロウ島(加計呂麻島)の主役なのだ。
奄美大島と加計呂麻島で実際に撮影された映像は、南の島の魅惑で溢れ、満島ひかりや島の子供たちの歌う島唄も、エキゾティックなこの世界に否応もなく誘い込む。
満島ひかりが話す島の言葉にも神秘性が感じられ、ドラマにもよく溶け込んでいる。
彼女の情念溢れる演技を見ていると、実在した島尾ミホがまるで宿ったみたいで、「死の棘」で描かれたのちに精神を病む妻を想うと、何か通じるものがあるようで、哀切を極める。

越川道夫監督「海辺の生と死」は、上映館が満席になるほどの盛況だったが、なかなかの意欲作とは認めても、ドラマの2時間40分はいかにも長すぎる。
セリフも特別多いということはなく、間合いが長くスローテンポで、いささか飽きてくるところもある。
そのせいか上映中に、ため息交じりの声を上げたり、欠伸をする男性がいたのもうなずける。
ラストシーンも極めて淡白だし、単に戦争を背景にしたロマンティックな物語ではない。
夫である島尾敏雄の、若かりし日を好演する永山絢斗も抑えた演技に好感が持てる。
自身も奄美にルーツを持つ、ヒロインの満島ひかりの4年ぶりの単独主演作ということで、その存在感も確かなものといえそうだ。
        [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回はフランス・イタリア合作映画「歓びのトスカーナ」を取り上げます。 

映画「結 婚」―本性と本音が絡み合い女性を食い物にする結婚詐欺師の物語―

2017-08-05 14:00:00 | 映画


 甘いマスクのキザな結婚詐欺師が、次から次と女性を騙す話だ。
 様々な思惑が絡む結婚をめぐって、男も女も本性と本音を露わにする。
 直木賞作家、井上荒野の原作をもとに、西谷真一監督が映画化した。

 狡くて、悪質で、嘘つきだが、どこか愛おしい。
 女性を虜にする男とは、どんな男であろうか。





「結婚しよう」
男はいつも、この甘い一言でプロポーズを決める。
男は古海健児(ディーン・フジオカ)だ。
その端正な容姿、知的な会話、憂いある横顔や瞳を武器に、相棒のるり子(柊子)の手引きで、結婚をちらつかせては女性たちから金を巻き上げる日々を送っている。

そんな古海には妻初音(貫地谷しほり)がいた。
家具店の店員麻美(中村映里子)は結婚に幸せを求めていたし、市役所に勤務する被災者の鳩子(安藤玉恵)は探偵に相談したことから、被害者らが続々と結束する。
彼女たちは姿を消した古海を追跡し始め、謎めいた女性泰江(満田久子)まで現われて・・・。

主演のディーン・フジオカは、NHK連続テレビ小説「あさが来た」の実業家役で知られるが、この作品では一見優しい「紳士」風を装っていて、結婚を夢見る女性たちから金も希望も奪い取る悪役に挑戦している。
西谷監督は、「あさが来た」では演出スタッフとして参加していてディーン・フジオカと知り合った。
その後、「喧騒の街、静かな海」(2016年)というスペシャルドラマで一緒になり、このときから彼を主役にして映画を撮りたいと考えていたそうだ。
西谷監督は原作を探している中で、男女の孤独と哀しみに裏打ちされた愛を描いた井上荒野「結婚」に出会った。
原作は、古海に騙される女性たちひとりひとりの視点で描かれたオムニバスで、この映画では古海をドラマの中心に据えて、彼に女性たちが翻弄されていく姿をドキュメンタリータッチを交えて描いている。

主人公古海という男は、何故結婚詐欺師になったのか。
どこまで嘘を貫き通し、女たちの想像も願望も鮮やかに切って捨てる。
結婚をめぐる女と男の虚々実々のバトルは、悲しくも可笑しいコメディの様相を見せる。
ここでは細かい説明など不要だ。
この西谷真一監督作品「結婚」は、筋書きとしては新しいものはないが、ちょっぴり(?)きりりとしまった悪さがよく効いた娯楽映画になっている。
これはこれでいいではないか。
「結婚しよう」
それが、たとえ彼の‘別れの’言葉だったとしても・・・。
         [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点)
次回は日本映画「海辺の生と死」を取り上げます。


文学散歩 企画展「角野栄子『魔女の宅急便』展」―魔女とおばけと―神奈川近代文学館にて

2017-08-02 16:30:00 | 日々彷徨


 「誰でも魔法をひとつは持っている。」(角野栄子)

 児童文学の世界で幅広く活躍する、角野栄子(1935年~)が書き続けた『魔女の宅急便』は、主人公の魔女キキの成長を見つめながら、様々な人々との出会いの中で、微妙に揺れ動く心情を鮮やかに映し出している。
 幼年童話からファンタジーまで、人気作品を軸に、豊かな想像力とユーモアに支えられた多才な世界を、人生の軌跡とともに紹介している。

 神奈川近代文学館で、角野栄子企画展が9月24日(日)まで開催中だ。
 本展では、長く読み継がれている『魔女の宅急便』『小さなおばけ』シリーズなど、数多くの作品群について、原稿や創作ノート、挿絵原画などを紹介している。
 童心にかえって眺めていると、夢が膨らんできてこの世界観が結構愉しい。

 本展関連イベントとして、9月3日(日)には角野栄子自身による記念講演「おばけも魔女もおもしろい、9月16日()には角野栄子横山真佐子(児童書専門店「こどもの広場」経営者)のトークイベントも行われる。
 また、8月27日、9月3日、10日、17日の各日曜日には、展示館1階エントランスホールでギャラリートークも予定されている。
 この神奈川近代文学館、9月30日()からは特別展として「没後50年 山本周五郎展」の予定だ。

 次回このブログでは日本映画「結婚」を取り上げます。