岩崎中学校にある石碑「湯長谷藩館址」
もしかしたらお堀か???
四代目の殿様内藤政醇の墓所がある龍勝寺
わがふるさと磐城の湯長谷藩が小説、映画の舞台になろうとは???
湯長谷城というのがかつてあって、お城?の跡らしい場所があると中学生の時に友人が言っていて、いっしょに見に来た事があった。石垣などは無く、お堀だったのかも?と思われる場所が少しあって、ここら辺かな?とよくわからないまま帰ったのだった。
かつてはこのあたりが城下町として商家などもあったのだろうか?そのようには見えない。現在の町の中心地とは全く違う場所なのだ。
写真の立札(案内板)はかつては無かった。小説・映画のヒットがあって作られたものだろう。今小説を読んでいるが、地元出身者でもない作者が、よくまあ湯長谷藩の事を取り上げたものだ。地元のいわき市でも石垣の残る平城(たいらじょう)は有名だが、湯長谷藩、湯長谷城は残っているものがほとんど無いからか?、話題になる事は少ない。
僕自身湯長谷藩にこんなに興味を持ったことはなかった。戦国時代・江戸時代に興味があるが、湯長谷藩は一万石程度の小さな藩で内藤家というのも全く有名じゃない。
まだ小説は途中までしか読んでないが、いろいろ調べてみると七万国の平藩の支藩湯本藩として成立し、その後湯長谷に藩庁を移した。本家平藩の内藤家は宮崎の延岡に転封になったが、湯長谷藩の内藤家は幕末まで存続。藩主は早死が多く、養子が継いでいるが名藩主が多かったらしい。
文庫本