年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

3年前の椅子に今日座って考えた

2016-06-14 00:00:00 | Weblog
 アベリアの小さな白い花が今朝咲いた。

 その横のエゴノキの小さな白い花は、とっくに終わりその後新芽を出して伸びている。その前の夏椿も無数の可愛い花をつけて落ちた。夏椿の下に咲いている青やピンクのアジサイもそろそろ終わりに近づいている。アンジェラの薔薇も花びらが茶色に変色しむごい姿をさらしている。それらをあざ笑うかのように

 ハンカチの木の葉っぱが白い肌を見せてバイバイするかのようにして黄色い花弁をつけている。

 過ぎ去った過去と今のことと先行きのことをガラス窓の向こうを遠望しながら考える。

 県中病院11階のエレベーター前の談話室に座る。遠くの山並みの形は3年前と変わってはいない。3年前の今日は奥さんは、この病院の高度救命救急センターICUに居て白い包帯にグルグル巻きされていた。そして数日後HCUへ移動。今後の本格的手術を行う前の準備をしていたかのように映った。一般病棟の11階に移動したのはいつだったか?記憶にない。ここ11階東病棟で大腿骨置換手術を待った。右足に重しをかけ牽引するのに少しでもずれると痛い痛いと嘆いた。

 看病をしながら冷静であることを自分に命じていた。どのようなことがあろうとも常にわれを忘れる愚を犯さないことを自分に指示をしていた。それが3年前のこと。
 そして旧い病棟が、毎日巨大な重機によって破壊される現場をながめて過ごしていた。その病棟は私の両親や弟妹が入院していたのにとどまらず叔母や近親者も入院したことのある病棟。そこが地下から最上階まですべて取り壊される日々を毎日見ておった。そして3年後の今日見える真下の景色は変わった。

 わかったことがある。それは当たり前であるが、この世に常はないこと。つまり無常のこと。変遷する先行きのことで大事なことは何だろうか・・と考えた先は、一緒に降りてみようか。。と、一緒に苦行でもしてみるかと・肚を据えたこと・・くらいか。嫌なことから逃げる手もある代わりに闘う方法もあるが、武器を持って戦うなぞ出来はしないが逃げないし闘わないし、ただそこに在るをもって先行きを待つようなことくらいができることだろうと。自分を取り巻く環境は目視できる。が、視認できっこない内面の変化にも無常があるんだろうか・・。3年後の今の自分は何も変わってはいないけど・・。

 予約日の今日、来週の再手術のことで形成外科・顎顔面外科やら整形外科やら循環器内科を廻ると4時間もかかってしまった。たぶん事故の手術は最後になるんだろうと考えている。が、いくら手術をしても旧には戻らない。
 戻れないときにはどうするか・・今までを受け入れたうえで肚をくくって前を向かざるを得ないではないかと。どうなるかわからない先行きのことでもあるから肚をくくる必要があるんだろう。

 結構病院には縁がある。50年前から何らかの病院へ連れて行く弟や父親などのことで、病院が唯一心休まる場所となっているのかもしれない、自分には。母親が今年1月に入院した病院では、食べ物が喉を通すことができなく缶入りのエンシュアで命をつないでおったが、妻の叱咤激励で食べるようになり、現在は完食。食後もコーヒーゼリーを食べるまでに回復するとクチサキにも元気が出たみたいで、大きい声で私に向かい、1時間以上いても、アンタは来てもすぐに帰る(`‐●_‐´怒)ムッ ・・と。
 3年前には母親に事故のことを話したのは、やや落ち着いた3ヶ月後である。義母にも即刻話さなかった。家族にも言わなかった事故のことで自分が話しかけたのは、私の友人たちだけである。その友人たちに自分は助けられたと感謝している。