暘州通信

日本の山車

00226 田名部祭

2008年06月08日 | 日本の山車
00226 田名部祭
青森県むつ市
田名部神社
□祭神
アジスキタカヒコネノミコト 味耜高彦根命
ホンダワケノミコト 誉田別命 
□祭は八月
山車五臺を曳く。

□山車
・先山 稲荷山
横迎町 豪川組(ごうせんぐみ)
本座は稲荷の使いである左右一対の白狐
見送り幕 黄鶴仙人図
・二番山 猩々山
小川町義勇組
本座は猩々
見送幕 鳳凰が仙人が鳳凰に乗る。
・三番山 大黒山 
柳町共進組
本座は大黒天
見送幕 義光が秘曲を授ける図
・四番山 蛭子山 
田名部町明盛組
本座は蛭子
見送り幕 大亀が仙人を乗せて泳ぐ図
後山 香爐峯
新町新盛組(しんせいぐみ)
本座は清少納言
見送幕 鬼若丸が鯉る
紅毛唐人憩図(こうもうとうじんいこいのず)

□汎論
昭和三十五年田名部町と大湊町が合併し「むつ市」となった。田名部は藩政時代この地方の産物の積み出し港として栄え、南部藩の代官所も置かれた。
毎年八月十八日から二十日にかけ恐山大祭と並んでこの地方最大の祭礼「田名部神社例大祭」田名部祭が行われる。
祭は祇園祭で、古くは寛政四年(一七九二)「菅江真澄遊覧記」、「牧の朝露」はに祭の記載がある。
山車は五臺とも形がそろい、二層式、屋根は入母屋造、勾欄ほか他の部分もすべて黒の漆がかけられている。車輪は四輪の外車。
山車の曳行時は祇園囃子が演奏される。
田名部祭の山車の起源には、物産を扱った江州商人の影響を受けているといわれ、滋賀県高島市には「大溝祭」に山車が例にあげられる。
大溝祭の山車は、その起源を旧藩主が前の知行地であった勢州川芸(現、三重県河芸町)で曳かれていた山車を模倣して作らせたという伝承があるが、河芸町には山車がなく、また記録も見つからない。
祇園囃子など上方の影響をうけているのは間違いないだろうが、京都の祇園祭の「鉾」と考えるほうが自然ではないだろうか。
祭の終わるころ山車の曳き別れが辻々で行われる。「五車わかれ」、「三車わかれ」、「二車わかれ」があるが、曳き別かれてゆく山車の後姿には独特の哀愁を帯びた風情がある。

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