備忘録として

タイトルのまま

山寺

2006-12-17 08:31:17 | 江戸
今、仙台にいる。
昨日は、山形そば街道で板そばを食べた帰りに山寺立石寺に寄った。最澄の弟子で遣唐僧だった円仁が開祖の天台宗の名刹だ。1980年頃立ち寄った時には、寺には長い長い木の滑り台があったが、今はもうない。
”閑さや岩にしみ入蝉の声”の芭蕉から150年ほど後、泉光院も訪れている。泉光院は、他の芭蕉ゆかりの地である象潟や松島にも立ち寄っている。泉光院の時代、俳句は日本中で盛んで、泉光院は立ち寄った先々で出会った人々と俳句を交わしている。泉光院が象潟を訪れたのは、1804年の鳥海山噴火から10年ほど後のことだったようで、すでに隆起し、芭蕉が見た風景ではなかった。泉光院は松島から塩釜まで船に乗っており、今もそのコースの遊覧船がある。41作目あたりで寅さんも遊覧船に乗っていたが泉光院とは逆に彼は五台堂で降りていた。
泉光院とほぼ同じ時代に生きた一茶は鳥海山噴火前後で象潟の句を何首か詠んでいるが現地に行ったわけではないそうだ。ただ、関東周辺や西国へ出掛け、土地の俳句好きを集めた句会を催し参加者やスポンサーから教授料をもらっていた。一茶の生涯は藤沢周平の小説で知ったが、俳句から受けていた素朴な印象とは程遠く、生々しいとしか言いようがなかった。同時代人の北斎や馬琴の生涯も人間くさく、作品の風雅に興じるより、作者の生き様を眺めるほうが面白い。その意味では、嵐山光三郎の悪人芭蕉は必読だ。


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