備忘録として

タイトルのまま

山片蟠桃

2008-02-23 12:53:15 | 江戸
今年度の山片蟠桃(やまがたばんとう)賞は、万葉集などの研究家である米ハーバード大学のエドウィンA・クランストン教授に授与された。山片蟠桃は江戸時代の升屋という大阪商人の番頭だった。蟠桃は号で番頭にかけたシャレである。

山片蟠桃のことを知ったのは、司馬遼太郎の”街道をゆく-仙台・石巻”である。江戸時代の大阪商人がなぜ仙台と関係があるかといえば、天明(1780年代)のころ財政破綻していた仙台藩から頼まれて蟠桃が藩財政を立て直したのである。司馬によると米中心経済、農本主義を金中心の貨幣経済に仕立て直したというのだが、具体的にはサシ米と米札によって利益を出したのである。サシ米とは、米俵の品質チェックのために1俵あたり3合程度の米を抜き取り、本来はチェック後、俵に戻すところ蟠桃はこれを換金後、貸金して利益をあげた。米札とは、農民の年貢米に対して支払った私設の紙幣であり、米を売った代金をそのまま仙台藩や農民に返さずに米札とすることで、実際の金はやはり貸金に使って利益を得たのである。詳細は、同時代の海保青陵が自著”稽古談”や”升小談”を解説した、ネットで見つけた五郎丸延氏の”寉渓書院 江戸思想史への招待”(http://www.geocities.jp/goromaru134/index3.html)による。

山片蟠桃は、末木文美士著”日本仏教史”にも登場し、科学的な立場から仏教批判をしたことが紹介されている。蟠桃は地動説を主張し仏教の世界観である須弥山説(世界の中心には須弥山がありその周囲を山脈と大海が囲み、四方にある大陸のうち南閻浮提に人間が住む)を批判する。また、地獄・輪廻・極楽などは非合理的であると批判し、唯物論者とされている。
今読んでいる梅原猛の”聖徳太子”で、蟠桃は激しく聖徳太子を批判している。日本を仏教国にするために蘇我馬子の崇峻帝暗殺に積極的に加担したとか、自分が天皇になるために本来男神であった天照大神を女神にし歴史を改竄したとか、その批判は痛烈である。また、太子は馬子に暗殺されたという説も述べている。

山片蟠桃賞は、大阪府が司馬遼太郎の提唱で昭和57年に制定した「国外において刊行された日本文化の国際通用性を高めるためにふさわしい著作とその著者。」を表彰する賞で、第1回はドナルド・キーンが受賞した。


最新の画像もっと見る