備忘録として

タイトルのまま

宮島その2  空海の消えずの火

2010-04-17 18:22:34 | 広島
 写真は、2009年6月に友人と行ったときに撮影した鳥居である。鳥居は800年前に建てられ、今の鳥居は8代目で1875年に建ったというから、1884年の日清戦争直前に撮影したボンティングの鳥居と同じ鳥居ということになる。確かに形は同じように見える。

 その時登った弥山(みせん)の山頂近くに、空海の点けたという”消えずの火”があった。

 この火を納めている霊火堂が所属する大聖院のホームページの説明では、”806年に弘法大師がここで100日間の求聞持の修行を行なって以来、1190余年も消えることなく燃え続けており、広島平和記念公園の「ともしびの火」のもと火にもなっている貴重なものです。”とある。

 手元にある梅原猛著「最澄と空海」によると、”空海、闕期(けつご)の罪死して余ありといえども、窃(ひそか)に喜ぶ、難得の法生きて請来せることを。一懼一喜(いっくいっき)の至りに任(た)えず”と空海は、20年の留学期間を2年で切り上げ帰国した罪は死に価する、けれども得難い法を日本に持たらしたことはたいへん嬉しいことだと言っている。当初の留学予定に背いたため朝廷からは九州の太宰府・観世音寺でしばらく待つようにという命が下されている。
 だから、空海は806年10月の帰国後2年ほどは大宰府の観世音寺に止まっており、いわゆる蟄居状態だったはずなので広島まで来て修業するような状況にはなかったと思う。結局、京都に入れるのは809年のことだったらしい。

 弥山(みせん)という山名は須弥山(しゅみせん)に山容が似ていることから名付けられたという。古代インド(仏教やバラモン教)世界観で須弥山は世界の中央に聳える山で帝釈天が住んでいる。

 ボンティングは、
”海抜千八百フィートの最高峰に寺が建っているが、その寺で弘法大師が千年以上前に灯した聖火が燃えている。昔のローマで、女神ヴェスタの祭壇で不断の聖火が燃えていたように、この聖火は消えたことがない。”と書いている。
 女神ヴェスタは、英語版Wikiを転載すると、
”Vesta was the virgin goddess of the hearth, home, and family in Roman religion. Vesta's presence was symbolized by the sacred fire that burned at her hearth and temples.”(hearth=かまど)
 女神ヴェスタの聖なる火はトロイからもたらされ、ローマのヴェスタ神殿で燃え続けていたが、394年にローマ皇帝の命により火は消されたという。ボンティングの頃にヴェスタ神殿の聖なる火はすでに消えていたので、ボンティングは、”昔のローマで”とことわっている。ボンティングが空海の火を、ローマ神話の不断の聖火と比較して読者に伝えようとしていることから、英国人にとってもローマ神話やギリシャ神話は基本的教養のひとつだったということがわかる。

最新の画像もっと見る