備忘録として

タイトルのまま

宮島

2010-04-02 21:31:28 | 広島
 宮島には何度も行ったので改まって書くことがなかったのだが、いざ広島を離れるといろいろな思い出が浮かんできた。写真は亀戸天神の写真を撮ったポンティングの撮影した明治時代の宮島の鳥居である。ポンティングは宮島の社殿に掛けられた多くのしゃもじを見て、宮島で日清戦争(1894年)への出陣を待つ兵隊の一人が幸運を願ってしゃもじを神社の壁に掛けたことに始まったと書いている。そういえば昨年末放映された「坂の上の雲」で東郷平八郎(渡哲也)と秋山真之(本木雅弘)が宮島で会う場面で、鳥居の沖合に大きな軍艦が数艘投錨していた。その時二人は清国の軍艦に乗り込んだので、しゃもじの話とまさに同じ頃、日清戦争前のことである。
 ポンティングによると6月17日の例祭に大勢の参拝者の乗った舟が鳥居を通ろうと列を作ると記している。干潮時には鳥居近辺まで干上がるので鳥居を通るのは満潮時ということである。6月17日(旧暦)の例祭とは管絃祭(かんげんさい)のことで、 公式ホームページによると、
”平清盛が都の「管絃の遊び」を模し、神様を慰める神事として執り行われたのが始まり。午後4時からの厳島神社本殿での発輦祭の後、御鳳輦を御座船に移し、管絃を演奏しながら対岸の地御前神社に向かいます。地御前神社からの御迎船を水先に地御前神社前の海上で祭典と管絃を奉納。続いて御座船は宮島に戻り、長浜神社と大元神社で順次祭典を行います。夜の大野瀬戸に浮かぶ五彩の幔幕や提灯で飾られた御座船。雅な平安絵巻は、深夜まで続きます。”
とある。

 安野光雅が描く下の宮島は、おそらくこの祭りだと思う。

この絵葉書は津和野の安野光雅美術館で買った。

平清盛から100年余り後、「とはずがたり」の二条も宮島に立ち寄っている。彼女は鞆の浦や三次にも立ち寄っているが行程に無理があり、実際には行ってなくて虚構があるとする学者もいる。

 宮島の個人的な思い出は、徳島の父が手にパイナップルを持っていて鹿に襲われたこと、牡蠣うどんという珍しいうどんがあること、牡蠣の炭火焼きが美味であること、渡しのフェリーをJRが運航していること、街から宮島まで市電で行けるけど時間がかかり過ぎるのでJRで行くべきだということ、フェリー乗り場前の有名あなご丼屋はいつ行っても1時間待ちなので断念し、ある時隣のあなご丼屋に入ったところがらがらだったこと、鳥居を通して遥か向こうに新興宗教の異様な建物が見えることなどである。有名なもみじの頃に行ったことはないし、夏の花火大会も見たことがない。弥山には2度ほどロープウェイで上ったがその話は次回に。

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