遊びと学び,創造の基地・山のあしおと小学校

冒険,遊び,仕事,学習,生活全般を学ぶ、子ども達のための私設小学校

みかんの防除 そして海鳴り

2011-08-30 16:34:23 | 平郡島にて・平郡島から
 みかん畑の草刈りと防除のために平郡島へ。
 瀬戸内のみかんはみかんミバエに因る虫害で全島をあげてみかん栽培を諦めたところもある等、みかんづくりから撤退する農家が続出すると言う深刻な状況下にあり、ここ平郡では最低限、年に2回の防除が義務づけられている。
 離島であるが故の将来不安もあって後継者が無く、耕作を放棄する農家も多く、放棄したみかん畑はミバエの広がりを防ぐために伐採しなくてはならず、みかんづくりそのものが存続の危機に直面している。

 平郡の素潜り漁師であるjunさんやharuさん等は、こうした事態を何とかしたいう言う願いから耕作を維持できないみかん農家のみかん畑を預かって管理し、少しでも収益を上げようと販路の開拓に努めている。
 自分もまた数年前から子ども達の平郡島キャンプを進めて来たに関係から少しでもお手伝いしたいと思い,草刈りや防除の手伝いをしている。もちろん収益が上がればその一部はを受けとることはできるが、それを期待しているわけではなく、これまで築いて来た島の人達との関係を大切にすると共に、島の発展に資することで共感できることなら何でも手伝いたいと言う気持ちからに過ぎない。
 島の漁師さん達はかくほどに得がたい仲間であり、かつ島を訪れる子ども達に海や磯の生き物のことや素潜りの方法、干しタコつくり等、他所では経験できないことを教えてくれる得がたい師でもあるのだ。
 そんな訳でわし君と一緒に島へ渡り、junさんと3人で猛暑の中、草刈りと防除を一気に済ませた。

 長野では先々週の土曜日から一週間も雨が続き、寒いくらいの日もあった。それがここに来て一気に盛り返し、島の人も驚くほどの酷暑となった28日,朝一便で島に渡り、休む間もなく着替えてみかん畑に急行。
 前回(6月)の草刈り以来の畑は丈余の草に埋もれて入り込む隙間さえなく、手前から草を刈って道をつけるしかない状態。噴出す汗で全身ぬれねずみになりながら高音高湿,風のない草の中で奮闘3時間,オイルではなく飲み水の切れ目を目安に打ち切って一旦引き上げ、冷水を浴びて体の火照りを冷まし、2時間の昼寝。
 泥のように眠って歩陽傾きかけた16時過ぎ、再び畑に入ってミバエ防除の薬を撒く。 散布後1ヶ月間くらい畑には近寄れないほどの薬なので、出来るだけ薬液には触れたく無いが、そんなことを言っていたら薬は撒けない。最前線でホースを持つjunさんは今度は汗ではなく薬液で全身ぬれねずみになる。かつてharuさんが同じように薬液を全身に浴びているのを心配して声をかけたjunさんに対して、haruさんは平然として『私はミバエではありません』と言ってのけたそうな・・。
 生産現場というのはこんなもので、無農薬も低農薬の理想もここでは何の力を持ち得ず、自分もまた長くて重いゴムホースを持って走りながら薬液のしぶきを浴びる。

 3人とも精根尽き果ててしまったが何とか防除にまでこぎつけ、1日だけで作業を終えることが出来た。散布し終わるのを待っていたように激しい雨に洗い流され、やり直しになった昨年と比べると幸運だった。
 次ぎは10月頃にもう一度草刈りして12月の収穫となるのだが、昨年に続いて実の付きがよくなく、収穫は多くを望めそうにない。昨年が裏年で今年は生り年なのだが、昨年の酷暑で木が相当なダメージを受けていると思われる。
 それでもその次,またその次の年のために手入れをし、必要なら新たに植えつけもしなくてはならない。そうでなければ全部切るかだ。

 この日,遠い南の海を北上する2つの台風の影響か、常になく波音が大きく海が濁っていた。その音は草刈り機のエンジン音よりも強く終日腹の底に響いた。
 『風がないのに波が大きい。それは大海からのうねりが豊後水道を通って押し寄せてきているからで、表面だけでなく海の底までもが動きくで濁りが立つ』のだというjunさんの説明は明解そのもの。

 夜はいつも通りにおなじみの素潜り漁師3兄弟さん達が加わって、平郡率100%の海の幸,畑の幸の宴となる。 .


最新の画像もっと見る

コメントを投稿