平和公園の飛天像/砂防/雪捨て場
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市道から浜に下りて稲はざのような変わった風防を見ながら進むと雪捨て場に到達。そこが関川の河口だろうと見当をつけて進むと河口の堤防に突き当り、やや上流にモダンな橋が架かっているのを見てその袂に着き、荒川橋と言う名を確認して直江津港が近いことを知る。
荒川橋(関川)/平和公園/子ども等
13:51,橋の上からテトラに鵜がいるのを見、保倉川を渡って鵜の写真を撮ろうと川土手を下がるうちに偶然『平和記念公園』と言う小さな公園の一画に展示館があって、見たい人は近くの民家に鍵を取りに行くようにとの指示があったのでその家を訪ね、館を開けてもらって見学する。そこには戦時中『直江津捕虜収容所』に収容されていた豪州の捕虜達の悲惨・過酷な捕虜生活と当時の市民との交情,憎しみ,わだかまりの数々と、戦後の交流から記念公園建立に至る経過が展示されていた。
後日,この公園についてネットで調べたところ、下記のような歴史を綴ったHPを見つけた。 ↓
捕虜収容所/平和記念公園敷地の歴史
http://www.max.hi-ho.ne.jp/yoshi-ko/park/history.htm
感銘深い公園と資料館だったが、何よりこの平和記念公園でひときわ目を引いたのは2体の飛天像の素晴らしさだった。
直江津港モニュメント/佐渡汽船乗り場/ここで休憩
14:24,公園から北進して保倉川を渡り直江津港に向かい、同35,佐渡汽船のビル前の船の舵を模したモニュメントを見ながら案内標識に従って県道468を柿崎・大潟方面に進む。右手は住友金属や信越化学工業の広大な敷地で、大きな煙突がありパイプラインが敷かれていた。その広大な工場施設に沿って淡々と進むと左手に広い駐車場と自動販売機がいっぱいある釣り具店があったので、そこに座り込んで温かい飲み物を摂る。(15:11~15:34)
両替してもらうために店に入ると主人が『どこまで行くのか』と聞き、答えると『これから風が強くなるよ。気をつけて!』と言ってくれたが、歩き始めて5分もしないうちにその言葉通り突然雪混じりの風が吹き始めた。
雪になった/松林を越えて/海岸線に出る
水気の多い雪で防水でないヤッケがたちまちぬれて寒くなり、着替えたいと思ってバス停の待合所を探したが、それまで停留所ごとにあった待合所になぜか歩いても歩いても行き会わず、民家の軒先を借りて着替えた頃には雪は上がったが、わずか10分程度のこの間にかなり濡れて体がすっかり冷えてしまった。
そのまま県道468を歩いているうちに左手に松林があることに気づき、民家の間を縫ってそちらに行ってみると松林に並行してもう1本車道があり、しばらく行くうちに松林を横断する道が見えたのでそこを通って松林を越えると(16:29)、そこは直江津港の北東側のはずれの海岸線で左手後方に港湾施設が見え、やがて右手に厚い松林の砂丘が延々と続く堤防道路となった。
新堀川公園・ここまで/渋柿浜の波止/犀潟駅
20分ほど歩くと自転車で2頭の犬を散歩させている婦人に行き会ったので犀潟駅の位置を聞くと丁度その辺りだとのことだった。次の土底浜駅まで行こうと思っ手歩き始めたが、時間が押していたので思い直して新堀川公園と言う公園で引き返し、犀潟駅に向かう。道を間違えて駅の裏の道に出て1.5km以上も余分に歩き、17:32犀潟駅に着く。
犀潟駅から電車で名立に戻り、道の駅うみてらすまで歩いて車に戻って見ると、『キーがついたままだったのでホテルで保管しています』との張り紙。やっぱりドジだ。この道に駅には夜通し開いている部屋があり、暖房こそないが『暖かくして休めば大丈夫だよ』と鮮魚売り場の人が教えてくれた。
入浴後は腹いっぱい食って車で休む。羽毛シュラフの中に入らず抱いて寝たらやっぱり寒かった。
荒川橋/どぶね(水族博物館)/犀潟駅
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