遊びと学び,創造の基地・山のあしおと小学校

冒険,遊び,仕事,学習,生活全般を学ぶ、子ども達のための私設小学校

合戦小屋,地名の由来

2005-07-20 09:13:15 | アルプス
 合戦小屋に記された『合戦小屋,地名の由来』です。

 今を遡る桓武天皇の御代!
中房温泉、有明山に住む魏石鬼あり。自らを八面大王と呼称し妖術を使う大鬼雲を起こし、霧を降らし天を飛び、里に出ては財宝、婦女を掠奪し、山野に出ては社寺仏閣を破壊し、狼藉三昧の明け暮れと言われた。

 坂上田村麻呂、魏石鬼を滅ぼさんとするも魔力強く、敗戦の連続と思うにまかせず、栗尾山の観音堂に願をかけ、霊夢をさずかる。
 『三十三節の山鳥の尾で作った矢を使えば・・・』
 甲子の年、甲子の月、甲子の刻に生まれた男,矢村の矢助この尾を献上。ついに中房川上流の谷間で大合戦の末、魏石鬼を打ちはたす。合戦の沢、今の合戦沢をいう。
 合戦小屋の下、深い谷間、その地に合戦の歴史あり。今を遡る桓武天皇の御代!

 鬼の五体はバラバラに埋められ蘇生を防ぐ。耳塚、首塚、立足等、地名として今に残る。

 山鳥の尾を献上した矢村の矢助、夫を魏石鬼に殺された母に育てられる。母は云う。『命あるもの全て親子、夫婦の関係あり、比さばなげくもの必ずあり。』
 矢助、一切の殺生をせず成人し、ある時ワナにかかった山鳥を救い放つ。その年の暮れ矢助嫁をめとる。
 三年後坂上田村麻呂との出会いとなる。嫁の差し出す山鳥の尾を献上、矢助、永遠の生活を保証する恩賞を得る。
 翌日、嫁一通の手紙を書き置いて姿なし。『我、三年前に助けられし山鳥。高恩に報いるべく、かしづくも、もはやその要もなし。三十三節の尾羽は我の尾なり』と・・・
 今を遡る桓武天皇の御代!
 合戦の歴史あり。合戦小屋の下、深い谷間。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿