極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

I am grateful that I can freely write my daily thoughts

天安門事件後、世界の大国となった中国

2019-06-02 15:23:49 | 戦後

以下の文は、過去のWikiLeaks漏洩外電、CJR(Colombia Journalism Review 1998 Sep,Oct)、プーチンの思考・強いロシアへの選択 単行本2012/10/25・佐藤親賢(著)、プーチンと甦るロシア 単行本2009/8/1・ミヒャエルシュテュルマー (著)、ウィキペディア等々を参考にしていますが可笑しな文、解釈はスルーして下さい。素人が思う天安門事件の雑日記です。

 

天安門事件から30年の歳月が経過しました。

1989年の4月首都、中国北京は反政府運動に揺れ、各地方では政府に対する抗議活動が開始されています。この反政府運動等はソ連、IMF等々との関わりがあるとも言われ、関わりの主要人物は当時のソ連のゴルバチョフ氏とも言われています。

天安門事件当時の時代背景・・・旧ソ連では一般国民が西側情報(情報操作)を得るようになり、政府はこの情報を封鎖し体制維持をしようとしましたが難しく、国内は経済が混乱、厳しく困窮化しており体制維持は厳しい状況でした。

西側一部の国、指導者、IMF等は、新自由主義化(国家による福祉・公共サービスの縮小「小さな政府、民営化」と、大幅な規制緩和、市場原理主義の重視を特徴とする経済思想、資本移動を自由化するグローバル資本主義とも言えると思います。)を受け入れ、ソ連自身が自らを崩壊(ワルシャワ機構を解体すれば、NATOも解体する約束でしたがNATOは現在も存続しています。プーチン大統領の旧西側に対する最大の不信感の一つと言われています。)させれば、見返りにIMF等が巨額資金を提供(借金)するとしていたようです。勿論、当時のゴルバチョフ氏は受け入れました。

結果、東欧諸国等はソ連より分離、勿論これらの分離は約束した結果でもありました。結果的にソ連は心までも売り払うことになりました。一部、特権階級のみが豊かさを享受する結果となりました。多くの国民は紙切れ同然となったルーブル紙幣で苦しい生活を余儀なくされ、強いドルはロシアの物件等を買いあさりロシアの多くの国民は屈辱の日々を送っていたようです。

ロシアは見返りの巨額の金額をIMF等から借りることとなった結果、借金漬けの未来のロシアの歴史が始まることを意味しました。じゃIMF等の正体は何だと言うことになりますが、言えるのは高金利・・・この事実、真実を知り尽くしていた人物が当時KGBにいた現プーチン大統領です。文献等々を読めばロシア国家の発展、国民の幸せを心から願っています。プーチン氏は大統領就任以来、現在も80%以上の高い国民支持を受けています。現在のロシアは初期のロシアと違い大きな改革を行っていますが、経済的には厳しい面が多々あるようです。現在のロシアは多くの国民が夢が持てる国になったとも言われています。

ソ連崩壊後、IMF等からの巨額資金供与等(借金)を受けたロシア、IMF等側はロシア側だけでなく、中国にも共産主義体制を変えIMF等々から巨額の資金供与を受けさせる工作を開始したと言われています。これらを任されたゴルバチョフ氏等々は中国に向かい、当時の李鵬等と話し合いを持っています。

中国側の回答は、「中国は貧しい、金は本当に喉から手が出るほどほしい!中国を借金漬けの国にしたくない、中国人の魂まで絶対に売ることは出来ない」でした。普通の貧しい国は即OKしてしまいますが中国は違いました。結果的には、色々の見方がありますが中国にとって、返済不可能な巨額なIMF等資金供与(借金)、中国の回答は正しい返答だったかもしれません。もし、これらの策を受け入れていたら、現在よりも更に大きな格差社会、巨額の返済不可能借金等から逃れることが出来ず、貧困大国となっていた可能性があります。

現在、中国は確かに貧富の差は大きいですが、世界の大国になり世界は中国を無視して政策を作れないようになりました。天安門事件以降、中国は旧西側から反中国キャンペーンを現代まで受けてると言う側面があるようにも思います。中国は欧米指導者等にとって支配、仲間に入らない、とにかく目障りな核保有大国でもあるでしょう。

ソ連崩壊後、ロシア・エリツィン大統領は新自由主義を導入、政府内の一部と組み、暴落したルーブルに変わり、ドルで二束三文の価格で国有財産を手中に入れています。巨万の王、オリガルヒの誕生となります。その中の一人がボリス・ベレゾフスキー氏、後の旧ソ連圏(カラー革命)のスポンサーとなるようです。しかし、正義感が強いウラジミール、プーチン氏がロシア大統領になると、ベレゾフスキーは逮捕されるので英国亡命してしまいます。

ウクライナのオレンジ革命資金等はベレゾフスキーが出しているとも言われており、ウクライナも新自由主義の世界になり、ここでも裏ではオリガルヒが誕生していると言われています。庶民は貧困化してしまっています、欧米の巨大資本によるウクライナ支配は、現在は挫折したように見えますが・・・現ロシア、プーチン大統領の諸策は欧米にとって極めて目障りな策でもあるでしょう。

現在のロシア政府、国民の多くが口にする最大の喜びの言葉は、旧ソ連より核兵器を受け継いだことは正しかった、最大の国益、国民益であったと語っています。ここで重複するのは、昨今の韓国が北朝鮮の核は絶対放棄して欲しくしてない願望、朝鮮半島統一後は核保有国の仲間入り・・・愚かな考えの韓国に思えます。

この新自由主義政策に賛成していた胡耀邦は、新自由主義等受け入れに反対した中国政府に対し、一般大衆を扇動しデモを起こしたと思うのが自然です。これらの一部資金は何処から出ていたか、法輪功同様間違いなく中国外から出ていると言われています。デモはエスカレートし天安門、天安門以外の場所でも暴徒化したデモ参加者の死傷者を出すことになってしまいます。結果、胡耀邦等は失脚となりました。これが天安門事件の真相と言うことになるようで、一般報道とはかなり違います。
一般報道では、6月4日には天安門広場で虐殺があったと思われていますが、WikiLeaks漏洩外電等からしても、どう考えてもおかしいと言うことが分かります。

2011年6月(WikiLeaks漏洩外電)、チリの外交官の証言が記載されていて、銃撃は広場の外であり、広場で軍が発砲した事実はなく、広場へ入った部隊は棍棒を持っていただけと記載されています。
政府側記録では、4日の午前4時30分、広場北から42台の装甲車を使い、南へ移動、学生のリーダー劉暁波は広場から撤退するよう学生に指示し、南東の角から外へ出る学生が目撃されています。

英国Telegraph紙(BBCの特派員)現場取材、James Mails(ジャイムズ マイルズ)は自分たちが間違った情報を伝えてしまったと2009年に明確に認めています。

治安部隊が広場へ入った段階で学生は外へ出ることが許され、天安門広場で虐殺はなく、死者が出たのは広場から5キロメートル西の地点で、数千人が治安部隊と衝突したと言うのが真相のようです。

Washington Post(北京支局長、ジェイ・マシューズ)は「CJR(Colombia Journalism Review 1998 Sep,Oct)では、広場に到着した軍隊は残っていた学生が平和的に立ち去ることを許したと現場に居合わせた人は話していたという事実があります。
衝突場所は天安門広場から1.6キロメートルほど西側で、多くが暴徒化(労働者、通りがかり人?)しており、火炎瓶を投げられ死亡した兵士も多数いたと言われており、よく報道写真に出てくる戦車の前立っている写真は、近くのホテルから「事件の翌日に撮影されたもので、戦車は広場から出ていくところだったと言われています。これらの誤った写真が世界を駆け巡りました。

リーダーの吾爾開希(ウイグル人と言われていますが、資金等支援はC**と言われています。法**同様)は約200名の学生が射殺されるのを見たと発言、詳しく調べると「本人は事件があったとされる時刻の数時間前、彼は広場から引き上げていたことが後で明確に判明しているようです。

どうも、天安門広場の虐殺を声高々に主張する一部報道機関は、真相を知っていた可能性がありますが、誤った情報が世界を駆け巡り、世界の多くの人々は誤った情報を共有しているかも知れません。

何故、中国政府は明確に欧米の天安門事件報道に適当な反論しかしないのは謎とも言う方もいますが、したたかな中国、孫子の兵法を厳守しているでしょうか。

私達はメディア報道を鵜呑みすることなく、自身で精査すれば自分なりの答えを得ることが出来る可能性があると思います。勿論、嘘の情報も氾濫しています。情報流入操作でソ連が崩壊したように、情報は世界を制するとも言われています。昨今のファーウェイ・5G問題も情報の世界でもあり、世界が一変する可能性を秘めていると思います。私達も情報とはを自分なりに理解することは極めて大切だと思います。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする