極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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靖国神社に想う・・・世界各国の追悼施設

2015-08-07 17:49:29 | 戦後
ハワイのホノルル市の北側に、パンチボールというホノルル市街を一望できる観光スポットの見晴らしがいい小高い場所があります。
この一帯は綺麗な芝生で国立墓地になっており、今でも軍関係者OB等が死亡後希望すれば埋葬することが出来るようです、時々小規模埋葬の儀式(10人程度の、小銃携行州兵等)を観光客でも見ることができます。
 米国では軍人等々が亡くなった場合、国立墓地に埋葬することは自然なことであります、例え理不尽な戦争であっても・・・国のために命を捧げた軍人に対しては、世界中どこの国でも国民は敬意を払います、極、極当たり前のことです。

国のために戦って散った人々を、我々に身近な国々は国家としてどう追悼しているのか・・・
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 米国の場合・・・
主として戦没軍人や退役軍人を埋葬する国立墓地がアーリントン墓地(ワシントン近郊) はじめ134カ所あり、21万人以上が永眠しているほか、新たに6カ所の建設が進められているようです。

戦没・退役軍人の埋葬にあたっては、希望により国が墓石や、軍の礼葬を無償で提供することが法律で定められており、戦没者や軍人に敬意を払う姿勢を明確に打ち出しています。

 19世紀の南北戦争を機に制度化された国立墓地の多くは復員軍人省が管理、ただ古戦場など国立公園地域にあるものは内務省国立公園局が、アーリントン墓地は陸軍が管理しているようです。他に米戦蹟委員会が管理する外国所在の墓地24カ所や、各州政府の軍人用墓地も存在するようです。国立墓地では特定の宗教は採用していません。

 戦没者はもちろん、軍隊経験者やその家族は原則的に埋葬資格を持つが、アーリントン墓地に関しては資格が若干、厳しいと言われています。
5月末の「戦没将兵記念日(メモリアル・デー)」や、11月の「復員軍人記念日(ベテランズ・デー)」には大統領や閣僚がアーリントン墓地へ赴き、戦没者らをたたえる演説や「無名戦士の墓」への献花を行います。外国元首らが米国訪問のさいにはここを訪れ、戦没者に敬意を払うことも通例になっています。              

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ドイツ(敗戦国)の場合
ドイツの場合は複雑な事情があります・・・国内に1万2千ヶ所の戦没者墓地があると言われています。
これらの墓地には、第2次大戦だけでなく第一次大戦の戦没者も含め約180万人が埋葬されているようです。
ニュルンベルク裁判で死刑判決を受けたナチス戦犯12名の遺体は焼却され灰は川に流されたと言われています。その他の多くのナチス関係者は戦没者墓地に葬られています。

ドイツでは、第一次大戦後にドイツ戦没者墓地維持同盟が発足し、国内だけでなく欧州など100カ国にあるドイツ人戦没者墓地の世話を行っていると言われています。費用は連邦政府の補助、寄付、会費でまかなわれているようです。
同盟は、クリスマスの準備期間にあたる待降節前の日曜日の、戦争と暴力の犠牲者を悼む日をベルリンの中央式典のほか州や市町村で慰霊式を主催しているようです。

コール前首相は、1993年に公式訪問が出来る中央施設に旧東ドイツの目抜き通りにあるノイエ・ワッへを選び、戦死者とホロコースト犠牲者の双方を悼む国家的な慰霊施設づくりを目指しました。しかし、ユダヤ人団体などは加害者と被害者を一緒にはできないと反発、その結果、1999年にシュレーダー政権は、国の慰霊碑の一つとして別にベルリン中心部にホロコースト犠牲者の碑をつくることを決めました。

これらの施設は1993年当初は連邦内務省、その後、連邦首相府文化担当国務大臣の管理、実際の管理業務はドイツ歴史博物館に委託しているようです。 宗教性は有りません。
追悼対象は、戦争と暴力支配のすべての罪なくして犠牲になった者、ドイツの国家権力が不正を働いたことによる犠牲者を追悼することとしています。
特定個人を対象とはしておらず、軍人・民間人の別、国籍・宗教の別、地域的な限定はないようです。
哀悼の日(11月14日)には、大統領が戦没者慰霊の中央会場としての役割のあるノイエ・ワッへに献花、連邦軍代表とユダヤ人団体代表は、ベルリンのユダヤ人墓地に献花しています。
現在はノイエ・ワッヘ、ベルリンのユダヤ人墓地2ヶ所・・・国内と1万2千ヶ所の国内戦没者墓地にて慰霊しているようです。

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イタリア(敗戦国)の場合・・・
戦没者慰霊碑はローマ市内の「ヴィットーリオ・エマヌエーレ2 世記念堂」のヴェネツィア広場を見下ろすカピトリーノの丘の斜面に位置しています。
記念堂全体は文化省のローマ環境財建築物保護局管理となっていますが、祭壇部分は国防省( 軍) が管理しているようです。外国籍以外のイタリア軍人、民間人の戦没者も含めて追悼する施設です。宗教色の無い施設と言うことが言えます。
祭壇には常時衛兵が立っています。年数回大統領主催の追悼式がありようです。

 英国の場合・・・
11月11日の「休戦記念日」に最も近い日曜日「英霊記念日曜日」に、各地で第一次、第二次世界大戦などの戦没者の霊を慰める特別ミサや、多数の国民が参加しての戦没者慰霊祭が行われるようです。中核はロンドン市内にある戦没者記念碑「セノターフ」で行われる国家による慰霊祭です、日本でいえば法務省、最高裁、議会(上院)を管轄する官庁「大法官」省が、慰霊祭を所管、厳かに国歌が流れ、参列者の一部が花輪を供えるのが慣例だそうです。
 
 招待されるのは女王をはじめ王室、首相を含む全閣僚、主要政党の党首、北アイルランド、スコットランド、ウェールズの各自治政府首相、陸海軍代表、各宗教界代表等、この日曜日は通称「ケシの日」と呼ばれ、多くの国民が一週間ほど前から両大戦の戦没者を慰霊するため、造花の赤いケシの花を胸に飾るそうです。第一次大戦の対独戦の激戦地、フランダース地方の麦畑に、ケシの花が咲いていたことにちなんだと言われています。一方、英外務省によると、外国公賓は希望すれば、英霊記念日曜日とは別に、ロンドン市内のウェストミンスター寺院の無名戦士の墓で公式献花が可能だそうです。天皇・皇后両陛下は1998年5月の公式訪英の時献花されています。                       

11月11日に最も近い日曜日が戦没者追悼記念日になり、全国各地の教会や自治体で追悼行事が行われる。11月11日は第1次世界大戦の終戦日(1918年)、記念日には女王陛下をはじめ、イギリスの指導者達がロンドンの官庁街、ホワイトホール通りに建つ戦没者記念碑(セノタフ;The Cenotafe)に赤いポピー(ひなげし)の花輪を献花するそうです。 
 記念碑の建立は1920年11月11日、第1次大戦から第2次大戦、フォークランド戦争にいたるまでの戦死者がまつられているようです。また、この時期は街行く人だけでなく、テレビのアナウンサーまでもがポピーを身に着けて戦没者を悼むようです。ポピー(赤)の花ことばは「慰め」となっている文献が多いようです。

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 フランスの場合・・・
戦争犠牲者の碑は各地にあるが、最も知られているのがパリ・シャンゼリゼ大通りにある凱旋門の下の無名戦士の墓、国家元首で三軍の長でもある大統領が第一次大戦の休戦記念日の11月11日、第二次大戦の戦勝記念日(ドイツ軍が降伏した日)の5月8日に参拝して献花します。式典には大統領のほかに首相、国防相、在郷軍人担当閣外相、参謀総長をはじめ在郷軍人代表なども出席します。無名戦士の墓が凱旋門の下に設立されることが決まったのは第一次大戦後の1920年。約150万人もの戦死者を出したため、戦後、記念碑を設立するべきだとの提案が出され、国民議会が全会一致で、全犠牲者の象徴として身元不明の兵士一人の遺骸を埋葬することを決めたといわれています。
 
 第二次大戦の犠牲者の霊をまつった記念碑もパリ郊外モンバレリャンの丘にあるが、凱旋門の無名戦士の墓は第一次大戦のみならず、戦争の犠牲者の象徴的な記念碑となっています。パリ解放後の1944年11月11日、ドゴール将軍と並んで同盟国の英国のチャーチル首相(当時)が花輪を捧げたが、外国元首も公式訪問のさいに戦争の犠牲者の霊を慰めると同時に平和を祈願するために献花する慣習もある。天皇陛下が1994年、公式訪問したときも献花されています。

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 中国の場合・・・
戦没者らに対する国家レベルの追悼は、北京・天安門広場の中心にある人民英雄記念碑で行われるようです。
中国近代史の幕開けとなったアヘン戦争(1840年~42年)から、中国共産党が政権を樹立した1949年までの革命で犠牲となった人民英雄をたたえる墓碑ではなく、人民英雄の千古不朽の勲功を顕彰し、革命の先達に対する全国人民の敬意と思いを致す心情を表すとの顕彰碑としているようです。
高さ約38メートルの巨大な石碑で基壇は東西50メートル、南北60メートル、1958年完成です。
石碑正面に刻まれた「人民英雄永垂不朽」の文字は毛沢東の揮毫であり、碑の下段には革命の史実をモチーフにしたレリーフが飾られています。

 訪中した元首・首脳クラスの外国要人は、公式日程のなかで記念碑を訪れることが多いようです。
最近の日本首脳の例では、小渕恵三元首相(当時)が1999年7月の訪中で、三軍儀伎兵の見守る中で献花しました。党・政府要人や功労者は、北京西部の八宝山革命公墓に多く埋葬されているようです。                               
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 韓国の場合・・・
国のために亡くなった人々は、ソウル市銅雀区にある国立墓地に埋葬されています。同墓地は1955年に国軍墓地として創設され、65年に現在の名称に変わったといわれています。
朝鮮戦争やベトナム戦争での戦没者のほか、日本による朝鮮半島支配当時の義兵や愛国人士、国の発展に命をささげた人々、朴正煕元大統領ら死去した歴代大統領ら、約16万3千人の墓地です。

国立墓地内には「顕忠塔」と名付けられた慰霊塔があり、ここには朝鮮戦争で亡くなった軍人・兵士11万人が祀られているようです。

 顕忠塔は戦没者慰霊の象徴であり、それぞれの地方にも建立されています。  
韓国では6月6日を国土防衛に命をささげた人の忠誠を記念する「顕忠日」に定めているようです。毎年この日には大統領も参加し、国立墓地の顕忠塔前で慰霊式典が行われるようです。大統領は国民を代表して戦没者らを慰霊するようです。

 海外の要人も、訪韓のさいには国立墓地や顕忠塔を訪れる。国立墓地によれば、これまで世界各国の首脳が訪問しています。ロシアのプーチン大統領が訪韓のさいに訪れ、顕忠塔に花輪を捧げたと言われています。

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ロシアの場合・・・
5月9日が対独戦勝記念日、政府首脳はモスクワのクレムリン脇にある無名戦士の墓に献花を行います。この日は軍事パレードなどが行われます。
ソ連時代は国家的式典といえば、同じクレムリンのレーニン廟で行われていましたが、ソ連崩壊後はこちらが儀式の場となっているようです。
ロシアでは旧ソビエト連邦の時代から、入籍を済ませた新婚カップルが無名戦士の墓に詣でる習慣があります。現在でも、クレムリン脇の無名戦士の墓などでは、ここを訪れる新婚カップルの姿を多く見ることができると言われています。

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 世界各国、どこの国でも国のため命を捧げた軍人等に対しては敬意をはらうことは極自然なことで、国立戦没者墓苑等に埋葬され、自国民だけでなく他国の人達も敬意をはらいます。日本のように靖国問題で揺れる国は存在しません!日本には宗教の自由がありますが、素直な気持ちで見た場合、日本は歴史的にも神道を主としてきた国であり、靖国神社は緒論あるところですが、日本人の心情等々にあってるように思えます・・・

 海外の一部プログ等々を読むと世界の国々(中国、韓国、日本人の一部以外)は、日本国のため命を捧げた日本の軍人等を靖国神社に奉るのは日本国として極当然と見ています。
靖国問題を海外のニュース記事等を調べてもほとんどヒットしません!中国、韓国、一部の日本人が靖国問題を起こしていると思います。多くの日本人は海外で靖国問題が大きく論じられてるような錯覚を起こしてるように思えますし、信じてる方も多いように思います。

見方によれば、靖国問題は一部の日本人、韓国、中国等を利用し巧妙に対立させ・・・という構図が見え隠れします。 

日本は現代世界でもまれに見る、長い歴史を有する皇室を頂点とする本当に世界でも恵まれた国です、間違いなく世界の国々から羨望されています。これらの原動力は、特に明治維新以降の多くの先人、軍人等々達の努力、犠牲等々で成り立ってることは歴史の事実であり、我々日本人は忘れることは出来ないと思います。

 世界中の国々(日本人の一部、韓国、中国以外)のマスコミ等はほとんど靖国問題を記事にしません!何故なら如何なる理由にしろ、国のために奉じた日本の軍人を靖国神社に奉ることは極々自然なことだからです。

日本の靖国問題は、国が凛とした態度で進めれば事足りるでしょう。隣国、マスコミ等々に惑わされないこと!に尽きると思います。

*****過去の産経新聞記事等々を一部参考にしています。

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