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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

FFXI <戦45,暗40,ナ40,忍37, 白25,黒25, 狩24, シ24, モ10 >

2005年11月15日 10時29分21秒 | GAME
 タブナジア到達したついでに、約一ヶ月半ぶりにミッションを再開した。前回はジュノの下級職員になって、デルクフの塔でいなくなった大使を救出にいくところで終わっていたが、これがミッション3-3「ジュノへ」という訳。概要は事前に調べてあったので頭に入っている。要するにデルクフの塔を10階まで登ったところで、ホールにいる巨人を倒して鍵を入手して、それでもってエレベータをつかって最下層にいる大使を救えばいいというもので、これは3-1,3-2に続いてソロで出来ると判断。プリズムパウダーとサイレントオイルを買い込んでやにわにデルクフの塔に向かう。途中、試し付近をうろついている巨人や骨、あと幽霊など調べてみると、「練習相手にならない」の表示、ちょっと前まで、ここで走り回って狩人とシーフを育てた時は、この連中とソロで戦うなど想定外だったから、Lv46だとクフィムは楽勝だなとちょっとうれしくなった。

 さて、デルクフの塔はけっこう入り組んだ構造で、いったん下におりて迂回しないと上られなかったり、穴ぼこや妙なところに下の階層に飛ばされるワープポイントなど満載、土地勘の悪い私は迷子になってしまうこと必定だったので、地図をみつつじっくりと進み、めでたく10階の巨人がうろつくホールに到着。話しによれば、高レベルの人がよく狩っているらしいので、他の巨人はほぼ一掃されていることも多いとのことだったが、今回は私以外には誰もいない状態、うろうろしている巨人の数があまりにも多いので、いくら楽相手とはい何体かリンクするとやまずいと思い、鍵持ちの巨人が孤立するのをひたすら待つ、5分ほど待ったところで、鍵持ちの巨人がいきなりこちらに向かってふらふらと歩きはじめ見事孤立、チャンス到来とばかりに遠隔射撃して、誰もいない奥まで引っ張ってきて、そこで戦闘開始。ハイポも2hアビも使わずまぁ楽勝だった。鍵ゲットした後は階段をぐるぐると降りて、最下層で大使を救出に成功。めでたくランク4とあいなった。

 その夜、勢いにのってミッション4「魔晶石を奪え」を開始。いろいろ調べてみると、このミッション、それにとりかかる前に三つのクエストをやらなければならず、手間も暇もかかることが判明した。で、当初LSの人たちに手伝ってもらうおうと思っていたのだが、せめてひとりで出来ることはやってしまうおうと、あれこれやっているうちにベドーのカメ退治だけ手伝ってもらった以外、結局ひとりでやってしまった。ひとりでやるが難しかったのは、オズトロヤもダボイも扉開けるところで、基本的にはプリズムパウダーで自分を透明化して相手をスルーして目的地までたどりつくというパターン。ただし、扉を開けるには、いったんその効果を切らないといけないので、相手がこちらを向いてない瞬間をみつけて、効果を切り、即扉を開けるというタイミングが難しい。しかもオズトロヤはそれが都合三回もあるので、途中は扉を開けたとたんに、再びプリズムパウダーで透明化しなければいけないので、更に難しいという訳。結果的にオズトロヤで最初のドアを開け直後にプリズムパウダーを使うのを忘れて、ヤグート三体に絡まれてまぬけに死んだ以外は、自分でも上出来なくらいうまく進んで、見事ランク5に到達、飛行艇パスをゲットした。

※ 日曜の午後に流砂洞でせっかく戦士のLv46になったのにオズトロヤで死んだおかげて、ひとつダウンしてLv45のまま。
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CARLOS SANTANA / Oneness

2005年11月14日 19時41分25秒 | ROCK-POP
 バンド名義ではなく、カルロス・サンタナ名義のいわばソロ作品。先週の金曜にショップに並んでいたのを気まぐれで購入してきたもので、もちろん初めて聴く作品になります。私はサンタナの作品を昔からとても興味があったんですが、あんまりまともに聴いたことがなくて、いつかしっかり聴いてやろうなどと思っていたんですけど、つい先日マクラフリンとの共演盤を聴いたのをきっかけに、初期の数枚をネットで注文したばかりだったので、まぁ、予告編的に聴いておくのも悪くないだろうと思って購入してきました。

 サンタナというと「熱狂のラテンリズム+官能のギター」みたいなイメージが私にはあるんですけど、このアルバムは79年という制作時期もあってか、一聴してとても洗練された印象です。随所に宗教的なSEやコラール風なメロディーが入っていますが、ほとんどスパイス程度で、基本的にはややジャズ・ロック的なテイストも含んだラテン・ロックという感じでしょうか。前半に収録されているライブ・パフォーマンス(日本公演らしい)は、程よいリラクゼーションとライブ的な伸びやかさが良い感じに解け合って、聴き物となっています。旧B面にあたる後半部分は、スタジオ・レコーディングは、ジャズっぽいヴォーカルをフィーチャーしたAOR的な"Silver Dreams Golden Smiles"、これぞサンタナといった感じのギターをフィーチャーした"Cry of the Wilderness"やバラード路線のタイトル曲あたりがいい感じ。

 ついでに書くと、この作品60~70年代生え抜きのロック・ミュージシャンが、パンク・ロックという世代交替を経、ポピュラリティーという流れに浸食されていたいかにも79年という時期を感じさせる作品でもありますね。
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JEFF BECK / Wired

2005年11月13日 23時38分21秒 | ROCK-POP
 これまた実に久しぶりに効いたアルバム、20年ぶりくらいになるだろうか?。ジェフ・ベックはかのヤードバーズを皮切りに、ジェフ・ベック・グループやベック・ボガード&アピスなどの骨太なロック路線が続けてきたのだけれど、ライバルのクラプトンやペイジが同じ頃出していた作品に比べると、どうも全般に渋すぎるというか通向きというべきなのか、ともかく今ひとつに決めてに欠くというのが、大方な評価だったと思う。ところが、そんなジェフ・ベックが、すこしばかりフュージョン風への音楽へとモデル・チェンジした「ブロウ・バイ・ブロウ」は大ヒットしたのだから、世の中わからない。フュージョン風にスムースで心地よいポップなサウンドに乗って、ベック本人は以前とほとんどかわらないスタンスで、ロック的フレーズをガシガシ弾く、このミスマッチングなところが、逆にベックのロック的なるものを浮き彫りすることなったということなんだろうけど、確かにこうした音は新鮮だった。

 この「ワイアード」は、前述の「ブロウ・バイ・ブロウ」に続く76年リリースのアルバムで、プロデュースは前作と同じジョージ・マーティンだが、ナラダ・マイケル・ウォルデンとヤン・ハマーが加入して、スピード感とテクニカルなフュージョン色が強くなっているのがミソ....というのが、実はこれまでの印象だったが、久しぶりに聴いてみたところ、思ったほどフュージョン色は強くないなという印象を改めてもった。4割方のソロをハマーが弾いているし、ナラダも例の手数でやっているから、そういうところはもちろんあるにしても、今回聴くとむしろ目立っているのはマックス・ミドルトンのファンキーなクラビネット、彼がアレンジしたに違いないブラスのアレンジだとか、そういうところだったりする。要するにマックス・ミドルトンがある面音楽を仕切っていたともいえる訳で、意外とジェフ・ベック・グループあたりの音は温存していたのだなという感じなのである。そんな訳で、発表当時、当時感じた「スムースなサウンドと炸裂するベックのギター」みたいな図式は、今回けっこう訂正されることになった。うーん、こうなると「ブロウ・バイ・ブロウ」も、久しぶりに聴いてみたい気分だ。マクラフリンに続いて、今度はジェフ・ベックでも集中的に聴いてみるか(笑)。 
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FFXI <戦45,暗40,ナ40,忍37, 白25,黒25, 狩24, シ24, モ10 >

2005年11月12日 23時28分38秒 | GAME
 戦士をずっとレベル上げした一週間。クロウラーの巣でカブトを狩ってLv40に到達、その後はひたすら西アルテパ砂漠の山麓周辺の溝でキャンプ、やはりカブトを狩る日々が続き、土曜日にLv45になる。このあたりのレベルになると、戦士はパーティーの編成でいろいろな武器を要求される。この一週間で使った武器は、両手斧(開幕シールドブレイク、侍/飛燕+アイアンテンペスト)、両手槍(ダブルトラスト+シーフ/ハイパーバイト)、片手剣+片手斧(レッドロータス+モンク/乱撃)と様々だ。
7月上旬頃だったか、バルクルム砂丘で戦士を育てていた頃、いろいろな武器をまめにスキル上げしたことがあったけれど、どれもある程度上げておいたせいで、キャップ付近にもっていくのが、比較的簡単なのだ。当時はなんか意地になってやっていただけだったが、無駄ではなかった訳だ。ただし、おしなべてスキルは上がったものの、こうもバラけるとスキル・キャップに到達しているのはもはや片手剣だけとなってしまい少し寂しい。そもそも両手系は攻撃する間隔が長いため、打撃回数が少なく、どうしてもスキルの上がり鈍いので、今のレベルだとたとえ択一で使っていても、スキルキャップ状態を保持していくのは難しいんじゃないだろうか。きっとこういう人がスキル上げパーティーとかに参加するんだろうな、私も参加してみたいものだ。

 更に土曜日の夜には先週に引き続き、プロミヴォン攻略を決行した。先週ホラとデムが終わっているので、残りはメアだ。先週とほぼ同様な2パーティーのアライアンスで第4層まで進み、まずENMで練習、続いて本番という流れも同じ。先週のふたつはけっこう簡単に済んでしまったので、今回も楽勝気分でいたのだが、先週とは違い戦士ふたりのタゲ回しの作戦で敢行したENMは、私がタゲ回しをうまくできにかったせいで、あれよあれよという間に全滅(反省)。本番では再び狩人ふたりによるピンポン作戦に戻した本番ではハイポもアニマを少量使っただけで手堅く勝利。その直後、私はタブナジアなる土地に飛ばされることとなって、プロマシア第1章終了。
 飛ばされたタブナジアでは、とりあえずLSのみなさんがお出迎え、キョロキョロしながら「、ベンチマーク・テストに出てくる橋などを通って、地下壕に到着。そこで地図を取得するクエをやって、次、ダブナジアが見える丘(絶景)に赴く。どうやらこれがタブナジア初来訪おきまりのパターンのようだ。そこで記念撮影した時には、もう明け方3時近くなっていた。ジュノやカザム同様、はて、この土地で私は何をやるのか、皆目わからないのではあるが、とりあえず新しい土地に踏み込んだというのは気分が良く、そのままパタンキューで眠った。

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ブラームス交響曲第3番/マゼール&BPO

2005年11月11日 19時51分45秒 | ブラームス
 秋から冬にかけて聴きたくなるクラシックといえば、私の場合、ブラームスにとどめを指す。ブラームスのどっちつかずの性格を反映したとしか思えない云ったりきたりのメロディーに、なにやら鬱蒼として抑圧しているようでいながら、強烈にロマン派的な側面を思わず出してしまうあたり、秋から冬にかけてまさにぴったりなのである。私がブラームスの全作品の踏破目指したのは何歳くらいことだったか、もう忘れてしまったけれど、毎年、今ぐらいの季節になると少しづつ進めているところだ。ブラームスの場合、合唱曲とか歌曲、あとオルガン曲などは晦渋なものが多く、なかなか先に進まないのだけれど、今年も1曲や2曲はブラームスのお気に入りを増やしたいと思っている。

 さて、晦渋な作品が多い彼の作品でも、この交響曲第3番は美しい旋律に満ちた、とてもわかりやすい作品で、秋になると聴きたくなるブラームス作品の筆頭にくる作品だ。特に魅力的なのはその昔「さよならをもう一度」で使われた第3楽章で、憂愁の雰囲気をたたえた美しい旋律は一度聴いた忘れられないようなタイプのものだと思う。これに比べればぐっと渋いが、第2楽章最後近くの涙を堪えて微笑んでるみたいな部分、なんと形容してよいやらが言葉が思い浮かばないような感情だけれと、こういうのって典型的にロマン派的なものだと思う。ちなみに両端楽章はベートーベン的に精力的なものだが、ベートーベンのようになりきれずところどころ叙情的な表情が顔を出すのが、ベートーベンになろうとしたけれど、結局典型的に18世紀のロマン派楽士だったブラームスらしいところで、こういう部分も味わい深い。

 演奏は手近なところで、先日購入したマゼール&BPOのボックス・セットに入っていた演奏を聴いてみた。この時期のマゼールらしいアクの強い演奏かとも予想したが、意外にまっとうというか、公的ブラームス像に忠実に演奏という感じ、両端楽章の推進力は当時のマゼールの若さでもって小気味よく演奏したという感じだし、真ん中のふたつの楽章もよく歌っていると思う。あと、前回も書いたけれど、この当時のベルリン・フィルにはまだ往年の重厚な音色が色濃く残っていて、素材がブラームスだけに、そういう特色が遺憾なく発揮されているとも思った。ほんとうにこれ音色だけでも楽しめるくらいである。
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Shakti With John McLaughlin

2005年11月10日 23時26分47秒 | JAZZ-Fusion
 1976年の「インナー・ワールド」でマハビシュヌ・オーケストラは再び活動停止となる。そりゃ、そうだろう、第2期マハビシュヌは「黙示録」でいきなりピークを極めて、その後の2作のテンションの低下はぶりは誰が聴いてもあきらかだったし、ポピュラリティの獲得という名目で、結局は自己の築いたスタイルの再生産になってしまったのはやはり減点要素だったと思う。こうしたことはマクラフリンが一番分かっていたハズで、おそらくその反動としてつくられたのが、この作品なのである。

 編成はマクラフリンのアコギに、シャクティと呼ばれているインド音楽集団の共演と形になっている、シャクティはヴァイオリン+打楽器奏者3人T(abra、Mrdangam、Ghatam)らしく、基本的には3人の打楽器奏者が刻む複雑で錯綜するリズムにマクラフリンのアコギとヴァイオリンがのっかるという形で進行すが、一聴しか印象ではインド音楽そのもの。いや、インド音楽そのものといったところで、私はビートルズ経由で「インド音楽らしきもの」を少し聴いているだけなので、実はなんともいえないのだが、少なくともジャズとかフュージョンといった感触の音楽でないことだけは確かだ。ともあれ、もう西洋音楽とは別のロジックで動いているとしか思えない打楽器群の複雑なリズムとこれまた西洋的情緒とは別次元の情感をかなでるギターとヴァイオリンの絡みはスリリングそのもの。特に1曲目のたたみかけるようなインタープレイの応酬は圧巻。結局マハビシュヌ的エキセントリックさバンドから消失しかけていたところで、それを取り戻すべくだとりついたのがインド音楽だったというところか。

 それにしても、これってどのくらい本場物のインド音楽を聴きなれた人が聴くと、一体どのあたりが「インド音楽らしく」また、どこが「インド音楽とは異質な部分」なんだろうか。とても興味があるところだ。 
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私の愛機 [9] BOSE AM-10III(Multi ch Speaker)

2005年11月09日 19時45分41秒 | PC+AUDIO
 前回紹介したAVアンプにつなげているスピーカーです。厳密にいうと、ヤマハのAVアンプは、フロント・プレゼンス用ということで、前方に更にもう2chする仕様になっていて、私はそれ用に同じBOSEの161Bというスピーカーを2本つないでいますから、合計7+1chということになります。本来の希望としては、B&WあたりのAV用スピーカーを使ってみたいという気持ちがあったのですが、いかんせん、うちの狭苦しい部屋にはメインのJBLが鎮座している段階で、既にスペース的に限界なので、妥協の産物としてBOSEお得意のサテライト型の省スペース・スピーカーの登場と相成ったワケです。まぁ、一般の感覚からいえばこれでも充分に高価なスピーカーだと思いますが、いかんせんメインのセットに金をかけすぎたため、AV用システムといえども、それなりに鳴って欲しいと思ってしまうんですね。人間の欲望とは果てしないものです(笑)。

 さて、このBOSEのスピーカーですが、ご存じのとおりサテライト型スピーカー5本とスーパー・ウーファーという組み合わせて、牛乳パックくらいの大きさのサテライト・スピーカはJBLの上、テレビの上、部屋の後方の天上からという配置でセッティングしてあります。こちらは非常に小さいのでスペース的にはなんなく収まったワケですが、スーパー・ウーファーの置き場所がない....あれこれ試したあげて、結局JBLの左chの前におくことになりました。メーカーによれば低音は指向性がないので、部屋のどこに置いてかまわないとのことだったので、後方に空きスペースに最初置いたのですが、これで聴いてみると、やはり低音だけ後ろから聴こえてくるんですね。これはやはりとても気持ち悪い。そいうワケで前方に移動させたのです。

 こうしてセッティングされたAM-10IIIですが、このくらいクラスだとやはりレンジが狭いです。あまりワイドレンジなソースをかけると、がっかりしたりもしますが、比較的ナロー気味な録音のジャズとかロックをかけると、俄然活き活きしてきて、豪快かつスカっとした小気味よい音で鳴るのは、いかにもBOSEという感じで楽しいところですか。また、映画やゲームなどのもともと圧縮された音については、ある種の舶来物っぽい生々しさと共に臨場感ある音を楽しませてくれます。
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JOHN MCLAUGHLIN/Devotion

2005年11月08日 23時09分52秒 | JAZZ-Fusion
 このところマクラフリン関係のアルバムをクロノジカルに聴いているところだが、この作品はマハビシュヌ結成以前の1970年の作品。ジミヘンとの共演歴もあるバディ・マイルスやオルガンのラリー・ヤングらと共演作となるが、ラリー・ヤングのアシッドというかサイケなオルガンはもちろんそうだが、ジャズというより完全にロック系のリズム・セクションのせいで、先日レビュウした「サンタナ&マクラフリン」などとすこし共通する、ちょっとサイケの残り香を感じさせつつも、けだるく瞑想的70年代初頭のB級実験ロックみたいな雰囲気が強い。

 マクラフリンのギターも例のアクロバッティックな早弾きというより、歪みまくったトーンで暴力的なフレーズ連打したりや浮遊感を誘うようなカッティングが主体で、これにラリー・ヤングのスペイシーなオルガンが絡んで独特な雰囲気を醸し出していて、なんだか初めて聴くの妙にに懐かしい。70年代初頭の新宿ディスクロードを思い出すような音などといったら、分かる人には分かるかもしれない。ともあれ、非常にロック的なサウンドで、マクラフリンはここまでロックしてたのかという感が強い。とはいえ、当時の私が仮にこれを聴いたしても、あまりのとりとめのなさに、理解不能に感じていたとは思うが(笑)。
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久保田早紀/天界

2005年11月07日 21時38分52秒 | JAPANESE POP
 79年に「異邦人」のメガトン・ヒットで彗星の如くデビュウした彼女の第2作。「異邦人」という作品は、よくいわれるようなエキゾチックな風味で受けたというより、天満空を行くというか、どうやったらこういうメロディーがわき出てくるんだろうという?と思うくらいに緩急自在奔放な旋律がむしろ魅力だったと思う。デビュウ直後の女性ミュージシャンには、往々にこういう神かがった創作をすることあって、彼女の他にもケート・ブッシュとか飯島真理などもデビュウしたて頃など、まさに天からメロディーが降ってくるような曲を書いてものだったが、久保田早紀の場合、一発屋などと揶揄されてはいるが、多少音楽的な傾向は変化させるものの、こうした水準を第5作「見知らぬ人でなく」まで維持したのだから、職人としても大したものだと思う。

 この第2作は、初期の彼女のもっているエキゾチックな異国情緒と少女趣味的なファンタジーと歌謡曲的なメロディーが一番いい形でアルバムにまとまった初期の代表傑作だ。もちろん大ヒットした第1作の初々しさも捨てがたいものがあるが、収録されたどの曲のどれもが久保田早紀的な個性とニューミュージック歌謡的ポピュラリティがきちんとバランスして、どれも文句のつけようもないくらいに充実している点が素晴らしい。特に「シャングリラ」「天界」「葡萄樹の娘」「25時」あたりみせつける、ツボを突きまくった旋律とエキゾチックなセンスのドッキングは圧巻で彼女の最良の部分を。ボサ・ノヴァのリズムで歌われる幽閉の少女の思わせるファンタジー趣味もドキドキするものがあるし、フュージョン風なバックにのって開放的に歌われるサマー・ミュージック的な「真珠初頭」のポップさもいい。ついでに書けばアレンジは萩田光雄のアレンジ久保田早紀と絶妙のマッチングで、発売から四半世紀経過してはいるが、個人的には永久保存版的な愛聴盤である。
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江美[王其](チャン・メイチー)/戀人心中有一首詩

2005年11月06日 16時35分40秒 | 台湾のあれこれ
 先日のターシー・スーのVCDと一緒購入したもの。ジャケの雰囲気からして新人さんかと思ったら、1999年の中堅どころ?でこれで5,6作目になるらしい。とても暖かいヴァイブレーションを感じさせる、飾り気のないさっぱりとした等身大な歌声をもっている人という感じで、とりわけ琴線ふれまくりにメロディックなバラード系の歌が素晴らしくて、一聴して魅了された。私の大好きなターシー・スーなども、最近はこうした路線をやっているワケだけど、アイドル出身で芸能界的なしがらみで、もがきにもがいてある種の「自然さ」を獲得した彼女に比べて、チャン・メイチーはいとも簡単にこういう世界を表現してしまえるのは、やはり世代なんだろうと思う。

 ともあれ、このアルバムは現在の王道台湾ポップスなのだろう。バラード系の作品は前述のとおりだが、台湾ニュー・ウェイブ以降の音であるちょいとギラギラしたギター・ロック的サウンドや70年代前半っぽいフォーク・ロック風な音もふんだんに顔を出すのがいかにも、現在の台湾を感じさせる。また、曲の頭に詩の朗読が入っているて、一種のトータル・アルバムのような体裁になっている、英語ですからちんぷんかんぷんの私には北京語は全く意味不明だが、北京語というのは日本語より、音楽的な韻があるというか、語っているだけに音楽的なのであまりジャマにならずアルバムによくとけ込んでいるいると思う。

 というワケで個人的には久々のヒット作かな。彼女のアルバム買いまくろう(笑)。
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FFXI <暗40,ナ40,戦38,忍37, 白25,黒25, 狩24, シ24, モ10 >

2005年11月05日 13時59分56秒 | GAME
 週末、因縁?の戦/忍でジュノ再デビュウ、海蛇洞窟前、東アルテパ、クロウラーの巣という定番コースを巡ってがんがん稼ぎ一気にLv36になる。10月にPtデビュウ以来あれやこれやと御難続きだった戦士だがようやくサポ・レベル卒業が近づいてきてきてたし、ナイトや暗黒で使っていたシルバー装備を装着することができるようにもなって、金庫がいくらかでもすっきりして、まぁ、順調。
日曜の夜以降は夏にフレンド登録したふたりのプレイヤー(戦士&ナイト)とLv19になって、クフィムにやって来たので一緒にパーティーしようと合流。私の方といえばシーフと狩人がちょうどクフィム・デビューしたところで止まっていたので、一旦戦士は止めて(どうも戦士は長く続かないな)、いささかトリッキーな中衛ジョブでお付き合いすることとした。そんなワケで、その後の5日間はこのふたつをほぼ平行して上げたワケだけれど、なにはともあれこのジョブはモンスターを釣ってくるのがお約束なので、とにかくミミズの名所の池の周りはもちろんだが、塔前、塔1Fあたりを走りまくったという感じ。しばらく前までは釣りといえばひびりながらやっていた私だが、クフィムだけはもう「まかせろっ」て感じだ。いや、実はよくリンクしてパーティーに迷惑かけていたってのが、実態なんですけどね(笑)。

 更にLSのみなさんに手伝ってもらって、プロミヴォン・ホラに挑戦もした。火曜日にアニマというボス・キャラを弱体化させるようなアイテムを取りにプロミヴォン・ホラに赴き、今夜が本番だった。プロミヴォンというところは、一種の異界で住んでいるモンスターは禍々しく、風景や音楽も陰鬱なところだが、その第4階層でまっているボス・モンスターを倒すというのが流れで、ホラ・デム・メアという3つのプロミヴォンをクリアすると、タブナジアというところに行けるようになるらしい。ボス・モンスターところまでは2パーティーのアライアンスを組んのだ、私が間抜けに一度死んだ以外はほとんどスムース、事前練習のように挑戦したEMNも同様に楽勝。かなりの緊張感で挑んだ本番の方も、狩人のピンポン攻撃でうろうろするモンスターを追っかけて叩いているうちに、割とすんなりと撃沈であった。ハイポーションがぶ飲みとかWSの連打だとかネットで情報を仕入れていたので、けっこうな極限状態を予想していたのだが、実際にやってみると、まぁ、簡単なワケでもないが、それほどでもなかったという印象だった。もちろん、他のメンツが場慣れしていたという点も大いにあるとは思うのだが....。で、プロミヴォン・ホラが割と簡単に終了してしまったので、勢いでプロミヴォン・デムにも挑戦することになり、こちらもEMN、本番共にほぼ順調にクリアした。ちなみにEMNでは経験値が入るので、昼間テレポヨト付近で芋虫を狩ってLv37に上げた戦士がいつの間にか38になっていたのは、うれしい副産物だった。
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DAVE BRUBECK/In Their Own Sweet Way

2005年11月04日 23時56分40秒 | JAZZ-Piano Trio
 デイブ・ブルーベックのピアノに、多分彼の息子たちと思われるダンのドラムス、クリスのベース、ダリウスのピアノ、マシューのチェロが加わり、曲ごとに様々な様々な組み合わせで演奏したアルバム。ダンは夏にレビュウしたドルフィンズのリーダーだった人だが、あの人はほとんど初めて聴く人ばかり、みんなプロで活躍しているのだろう、それぞれ達者な腕を披露している。

 1曲はブルーベックのオハコ?「イン・ユア・オウン・スウィート・ウェイ」で、ある種の理知的なセンスと独特の軽妙さがバランスした演奏で、いかにもブルーベックらしい趣。以下、これまた彼らしいブルーベック流ブルース解釈、チェロをフィーチャーしたクラシカルな作品。エレクトリック・ピアノを交えたAOR風な作品、ラストの「スウィート・ジョージア・ブラウン」はダンのドラムをフィーチャーしてマーチ風といった作品が続くが、全編に渡って、穏やかなムードが横溢していて、いかにも家族で楽しげにやっていますという感じがある。全盛期のきっちりかっちりしたテンションとか、ポール・デスモンドとのインタープレイみたいな水準を期待すると確実に裏切られるが(笑)、ちょうど女性が好きそうな小綺麗で清潔そうなティー・ルームなんかで流していたら、なにげにハマりそうななごやかでサロン風な音楽という意味では、楽しく聴ける作品だ。

 ちなみに音質だが、さすがに「音のテラーク」だけてあって、まるでパーティー・ルームみたいなところで、アンプを通さない生演奏を間近で聴いているようなリアルさがある。編成からしてあまり低音がズドーンとくるような派手な場面はないが、ともあれこの臨場感は素晴らしい。なお本作はピアノ・トリオによる作品ではありませんが、それ的な音楽ということで、ここに分類した。
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MAHAVISHNU ORCHESTRA/Inner Worlds

2005年11月03日 23時58分28秒 | JAZZ-Fusion
 「エメラルドの幻影」に続く76年の作品、邦題は「内心界」。キーボードのゲイル・モランと前作で音楽的ポインド・ゲッター的な活躍をしたジャン・リュック・ポンティが抜け、マクラフリン以下、ナラダ・マイケル・ウォルデン、ラルフ・アームストロング、スチュゴールドバーグというかなり絞り込んだ編成で制作されている。音楽的な傾向としては、前作のポップ路線をそのまま進めているという感じで、その後大スターになるナラダのヴォーカルをフィーチャーした曲があったり、売れ線っぽいフィンキーなリズム・パターンやフレーズなども前作以上に頻出する。また前作にはかろうじて残っていた大作指向のようなものがほぼなくなり、各々が独立したコンパクトな曲ばかりで構成されているのも特徴だといえる。

 あと、このアルバムでマクラフリンはギター・シンセという飛び道具を導入しているらしく、これでもって不在となったヴァイオリンのパートを補ってみたり、オーケストラ的な効果を狙ってみたりといろいろ実験しているのはこのアルバムのもうひとつの特徴となっているといえるだろう。ヴァイオリンが抜けたのでギター・シンセを導入したのか、ギター・シンセでやるからヴァイオリンをクビにしたのか分からないが、1曲目の「All in the Family」ではマクラフリン自身がヴァイオリン風なフレーズと普通のギターの掛け合いをひとり二役でやっていたり、4曲目では「Gita」ではほぼヴァイオリン的なフレーズ(同時にヤン・ハマー的でもあるが....)で全編を押し通している。2曲目の「Miles Out」では冒頭にスペイシーなSEとギター・シンセで入れたりするのは、ありがちなパターンではあるが、あのマクラフリンがやっているのかと思うと、けっこうおもしろく聴ける。

 ついでに書けば、ラストに収録されたタイトル・チューンでは、ギター・シンセはもちろんだが、シーケンサーも使われていて、インド風な細かく動き回るリズムの上をナラダのドラムが動き回るという趣向になっている。1976年といえば、YMOやジョルジョ・モロダーも未だのはずだから、ジャズ・シーンと限定せずともこれはかなり斬新な試みだったはずだ。
 ともあれこの時期のギター・シンセはまだまだオモチャの域を出ない代物だったハズだから、それほどめざましい効果を上げているワケでもないが、これだけ使いこなしているのは、さすがにマクラフリンというべきか。

 という訳で、このアルバムにはバンドのポップ化にギター・シンセ等によるテクロジー的な実験という本来であれば水と油な要素が混在しているため、マハビシュヌらしいテンションやインター・プレイの応酬という点では、前作までの作品と比較すると大分劣ってしまった。キーボードのスチュアート・ゴールドバーグはほぼ地味なバックに徹しているし、前述のとおりヴァイオリンは不在だから、結局のところマクラフリンとナラダの絡みだけが、マハビシュヌらしい壮絶さを感じになっているのが、ちと残念である。今から聴けば分かることだが、マクラフリンの音楽性からして、こういうアルバムを作った後、一転してシャクティとのコラボラレーションに進んでいくのは、本人にとってはごくごく自然なことだったろうと思わないでもない。 

(2006/02/18加筆)
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MAHAVISHNU ORCHESTRA/Visions of the Emerald Beyond

2005年11月02日 21時15分33秒 | JAZZ-Fusion
 先日取り上げた「黙示録」に続く1975年の作品で、邦題は確か「エメラルドの幻影」、当時、これを購入しておらず、なんらかの機会に聴いたという記憶もないので、多分、はじめて聴く作品ということになる。一聴した印象としては、随所にコーラス隊やプラス・セクションなどを配し、キャッチーなフレーズやリズム・パターンなども取り入れるなどして、ずいぶんポップ....というか聴きやすさのようなものを配慮しているな....という印象。まぁ、こういう傾向はマハビシュヌに限らず、ジャズはおろかロックの方でも、概ね70年代後半から急速に強まっていく、時代的な流れとでもいうべきものなので、マハビシュヌもその例外ではなかったというところだろう。

 あと、気が付くのはブラスの他に弦楽器を数人が入って、ブラス共々前作のオーケストラとの共演の余韻のようなものが感じられる点や短い曲を組曲のようにつないでひとつの大作として構成しているあたりも、本作の特徴としてあげられるとと思う。いずれにしても、そういった様々な過渡期的な要素が入り交じったせいど、どうも焦点が定まらないというか、いささか求心力のようなものが後退してしまったいるような気がしないでもない。あすこが凄い、ここがおもしろいとはいえるが、アルバムとしてのまとまりはいまひとつといったところなのだ。この傾向は特に旧A面にラインナップされている曲に強い。その意味ではこのアルバムの聴きどころは、やはりほとんど組曲の構成された旧B面を使いきった7曲といったところだろうか、こちらはマハビシュヌらしい壮絶な緊張感だとかゴリゴリなインタープレイが、山あり谷ありの構成の中でほどよく配置されていてけだし聴き物になっている。ジャン・リュック・ポンティのヴァイオリンも凄まじい。 
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サンタナ&マクラフリン/魂の兄弟たち

2005年11月01日 23時10分08秒 | ROCK-POP
 先日も書いたとおり、このアルバムはほぼリアルタイムで聴いている。確か中学2年頃で、いささかジャンルは異なる人気ギタリストの共演ということで、ロック関係のレコードではかなり話題になった作品で、それにつられて私は購入したのであった。繰り返しになるが、当時、私にとってこのアルバムは全く理解不能な作品だった。ギラギラした熱狂があるでなし、ジャズ的な名人芸が聴かれるワケでもない、ただ、ふたりのギタリストが、あれこれ隠微に絡んで非常に瞑想的な音楽を作っているという感じで、聴いていて私はひたすら灰色な気分になったものだった。
 さて、そんなかつて玉砕したこのアルバムだが、最近マクラフリン関係をあれこれ聴いていることもあり、これもほぼ四半世紀ぶりに購入して聴いてみた。

 では、目立つ曲をメモっておきたい。冒頭はコルトレーンの「至上の愛」だが、明らかに当時のサンタナ風を瞑想的な感じにした音楽で、ラリー・ヤングのオルガンとコーラスがいかにも70年代しているのが懐かしい。「神聖なる生命」は、けっこうエキサイティングな曲で、2本のギターとオルガンが白熱のインター・プレイを披露しているあたりなかなかカッコ良く、アルバム中のハイライトだ。先の2曲、前者がサンタナ、後者がマクラフリンが主導した曲だとすると、旧B面の大半を占めていた「神の園へ」は一番両者の個性がミックスされているような曲だと思う....というか、どちらかといえばジャム・セッションに近い曲だ。前半はラテン・パーカッションにのってサンタナっぽい官能ギターを存分にフィーチャーし、続いてラリー・ヤング、後半ではマクラフリンが登場し、サンタナとの絡みになってといき、大きな盛り上がりを見せている。

 というワケで、さすがに30年ぶりだと、当時の難解さはほとんど感じることなく、なんか70年代前半のB級ロックを聴いているような気になった。先日、マクラフリン周辺の音楽をロックとは関係ない....みたいなこと書いたが、このアルバムだけはサンタナのアルバムという意味で、普通のというほど当たり前な音楽でもないけれど、紛れもないロック・アルバムである。  
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