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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

Shakti With John McLaughlin

2005年11月10日 23時26分47秒 | JAZZ-Fusion
 1976年の「インナー・ワールド」でマハビシュヌ・オーケストラは再び活動停止となる。そりゃ、そうだろう、第2期マハビシュヌは「黙示録」でいきなりピークを極めて、その後の2作のテンションの低下はぶりは誰が聴いてもあきらかだったし、ポピュラリティの獲得という名目で、結局は自己の築いたスタイルの再生産になってしまったのはやはり減点要素だったと思う。こうしたことはマクラフリンが一番分かっていたハズで、おそらくその反動としてつくられたのが、この作品なのである。

 編成はマクラフリンのアコギに、シャクティと呼ばれているインド音楽集団の共演と形になっている、シャクティはヴァイオリン+打楽器奏者3人T(abra、Mrdangam、Ghatam)らしく、基本的には3人の打楽器奏者が刻む複雑で錯綜するリズムにマクラフリンのアコギとヴァイオリンがのっかるという形で進行すが、一聴しか印象ではインド音楽そのもの。いや、インド音楽そのものといったところで、私はビートルズ経由で「インド音楽らしきもの」を少し聴いているだけなので、実はなんともいえないのだが、少なくともジャズとかフュージョンといった感触の音楽でないことだけは確かだ。ともあれ、もう西洋音楽とは別のロジックで動いているとしか思えない打楽器群の複雑なリズムとこれまた西洋的情緒とは別次元の情感をかなでるギターとヴァイオリンの絡みはスリリングそのもの。特に1曲目のたたみかけるようなインタープレイの応酬は圧巻。結局マハビシュヌ的エキセントリックさバンドから消失しかけていたところで、それを取り戻すべくだとりついたのがインド音楽だったというところか。

 それにしても、これってどのくらい本場物のインド音楽を聴きなれた人が聴くと、一体どのあたりが「インド音楽らしく」また、どこが「インド音楽とは異質な部分」なんだろうか。とても興味があるところだ。 
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