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MAHAVISHNU ORCHESTRA/Inner Worlds

2005年11月03日 23時58分28秒 | JAZZ-Fusion
 「エメラルドの幻影」に続く76年の作品、邦題は「内心界」。キーボードのゲイル・モランと前作で音楽的ポインド・ゲッター的な活躍をしたジャン・リュック・ポンティが抜け、マクラフリン以下、ナラダ・マイケル・ウォルデン、ラルフ・アームストロング、スチュゴールドバーグというかなり絞り込んだ編成で制作されている。音楽的な傾向としては、前作のポップ路線をそのまま進めているという感じで、その後大スターになるナラダのヴォーカルをフィーチャーした曲があったり、売れ線っぽいフィンキーなリズム・パターンやフレーズなども前作以上に頻出する。また前作にはかろうじて残っていた大作指向のようなものがほぼなくなり、各々が独立したコンパクトな曲ばかりで構成されているのも特徴だといえる。

 あと、このアルバムでマクラフリンはギター・シンセという飛び道具を導入しているらしく、これでもって不在となったヴァイオリンのパートを補ってみたり、オーケストラ的な効果を狙ってみたりといろいろ実験しているのはこのアルバムのもうひとつの特徴となっているといえるだろう。ヴァイオリンが抜けたのでギター・シンセを導入したのか、ギター・シンセでやるからヴァイオリンをクビにしたのか分からないが、1曲目の「All in the Family」ではマクラフリン自身がヴァイオリン風なフレーズと普通のギターの掛け合いをひとり二役でやっていたり、4曲目では「Gita」ではほぼヴァイオリン的なフレーズ(同時にヤン・ハマー的でもあるが....)で全編を押し通している。2曲目の「Miles Out」では冒頭にスペイシーなSEとギター・シンセで入れたりするのは、ありがちなパターンではあるが、あのマクラフリンがやっているのかと思うと、けっこうおもしろく聴ける。

 ついでに書けば、ラストに収録されたタイトル・チューンでは、ギター・シンセはもちろんだが、シーケンサーも使われていて、インド風な細かく動き回るリズムの上をナラダのドラムが動き回るという趣向になっている。1976年といえば、YMOやジョルジョ・モロダーも未だのはずだから、ジャズ・シーンと限定せずともこれはかなり斬新な試みだったはずだ。
 ともあれこの時期のギター・シンセはまだまだオモチャの域を出ない代物だったハズだから、それほどめざましい効果を上げているワケでもないが、これだけ使いこなしているのは、さすがにマクラフリンというべきか。

 という訳で、このアルバムにはバンドのポップ化にギター・シンセ等によるテクロジー的な実験という本来であれば水と油な要素が混在しているため、マハビシュヌらしいテンションやインター・プレイの応酬という点では、前作までの作品と比較すると大分劣ってしまった。キーボードのスチュアート・ゴールドバーグはほぼ地味なバックに徹しているし、前述のとおりヴァイオリンは不在だから、結局のところマクラフリンとナラダの絡みだけが、マハビシュヌらしい壮絶さを感じになっているのが、ちと残念である。今から聴けば分かることだが、マクラフリンの音楽性からして、こういうアルバムを作った後、一転してシャクティとのコラボラレーションに進んでいくのは、本人にとってはごくごく自然なことだったろうと思わないでもない。 

(2006/02/18加筆)
コメント (1)
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