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ハイドン 交響曲 第42番「さきがけ」/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2009年12月29日 12時33分30秒 | ハイドン
 この42番ですが、前の41番とほぼ同様に第1楽章冒頭は全合奏による和音でもって開始します。かなり推進力を感じさせつつ、ぐいぐいと進んでいく様はちょっとベートーベンの「英雄」を思わせる趣がありますね。冒頭の和音がところどころで循環しつつ、楽曲が精力的に展開し、次第にスケール感を上げていく様も「英雄」的といえます(演奏時間も8分強となかなかの長さ)。ハイドンは私が聴いた印象でも、これまでこうした「英雄」的なムードを予見したような音楽を何回か書いていますが、中でもこれはかなり酷似したものといえるのではないかと思います。第2楽章は9分半とかなり長く、従来の楽天的な明るいムードというより、もう少し複雑な感情を表すかのようにいくつかのモチーフが錯綜してかなり重厚な楽章となっています。この作品はシュトルム・ウント・ドランク期に属するようですが、そろそろこういった楽章でもにベートーベンやシューマン、そしてブラームスといったドイツ・ウィーン流のロマン派的な緩徐楽章に近い雰囲気になってきました。

 第3楽章はハイドンらしい明るいメヌエットですが、いつもよりいささかスクウェアで生真面目、いささか角張ったリズムが感じられますね。その意味ではこれもこじつければ「ベートーベンのスケルツォももうすぐ」みたいな感じがなくもないといえるかもしれません。トリオはスケルツォそのままで室内楽風な音楽になります。最終楽章はいつものように直線なアレグロの進むフィナーレというより、細かい音符が躍動し、多少ぎくしゃくした音楽(途中小休止も何回かあるようですし)になっています。これまた最後を変奏曲で締めくくった「英雄」を思わせる絡め手のカタルシスがあります。ついでに書いておくと、後半のふたつの楽章は併せて8分くらいで終わりますが、この頭でっかちなバランスというのも考えみれば「英雄」的ですよね。という訳でこの42番、非常に個人的な印象かもしれませんが、ベートーベンの「英雄」を先取りしているという意味にひっかけて、「さきがけ」としてみました。うーむ、ちょっとごじつけが過ぎるかな(笑)。

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