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R.シュトラウス 交響詩「ドン・ファン」 聴き比べ [3]

2006年02月15日 01時10分02秒 | クラシック(一般)
 「ドン・ファン」聴き比べの3日目は、ショルティ、マゼール、ブロムシュテットの3種です。収録は前2者は70年代、後者は88年ですから、演奏内容は後述するとしても、とにかくどれも録音が優秀なのがやはり大きいです。R.シュトラウスのような「オーケストラが絢爛に聴こえてなんぼ?」みたいな楽曲の場合、なんだかんだといっても、録音はひとつの大きな要素たりえますかから、その点今日の三種はどれも大いに聴き映えがします。

○ショルティ&シカゴSO(`73)
 オケは同じシカゴだし、ハンガリー系の指揮者というのも共通ということで、ライナーとシカゴ響の演奏を更にモダンにリファインしたような演奏。全盛期のショルティらしくシカゴ響を極限までドライブさせ、鋭角的なリズムでぐいぐいと進むストレートな趣が強く、かつまた曖昧さとは無縁の白か黒か的なデジタル指向で押しまくった演奏といえます。ただし、第2主題を始めとしたロマンティック部分では、ややスリムではあるものの、ワーグナー風の壮麗な音楽としてきっちり表現していますから、これはこれでR.シュトラウス的な見識に富んだ演奏とはいえるでしょう。
 それにしても太鼓のドロドロや低弦のえぐるような質感はいかにも、70年代のショルティ....否、デッカの音で、このハイファイ感は現在聴いても非常に痛快です。楽器に近接した大量のマイクを使い、まるでオケのど真ん中で聴いているような、こうした録音は、CDの普及とともにより自然なホールトーンを取り入れたワンポイント的な音にとって代わられるようになる訳ですから、私のようなオジさんには懐かしいハイファイ音ともいえますし、今聴いてもなかなか凄い音ではあると思います。

○マゼール&クリーブランドO(`79)
 セルの死後、クリーブランドの常任に収まった当時の録音。この時期のマゼールはかつのようなエキセントリックなところが影を潜めて、次代の巨匠を目指して音楽の風格を会得中みたいなところがありましたけど、この演奏もまさにそういう代物です。クリーブランドの機動性とストイックな美感をそこそこ生かしつつ、適度なドライブ感と大管弦楽を見事にさばくコントロールされた美しさみたいなところで勝負したという演奏だと思います。また、アレグロでほとばしるような部分とロマンティックな部分のバランスも破綻がなくて、良くも悪しくも「R.シュトラウスはこう振ればいいんでしょ」的な秀才の演奏でもあります。
 録音もそこそこホールトーンを取り入れたウェルバランスで、デッカ的エグいハイファイ感のないけっこう自然な音。とにかく全てに渡って過不足のない演奏というべきで、おもしろみ味ないですが、R.シュトラウスの世界を万全に伝えているとは思います。マゼールは近年バイエルンとまとめてR.シュトラウスを再録していますが、そこではどんな演奏をしているんでしょうかね。興味あるところです。

○ブロムシュテット&サンフランシスコSO(`88)
 ブロムシュテットという指揮者の演奏はほとんど知らなくて、実は「どうしてこんなCD持ってのかしらん」という感じなのですが、聴いてみるとある意味地味なくらいゆったりとしたオーソドックスな演奏で、メータの頃は同じデッカでブリリアントなサウンドを炸裂させていたサンフランシスコ響が、妙にしっとりとしてイギリスのオケみたいなくすんだ響きを出しているもの意外です。ところが、これが意外にも説得力あるんだなぁ。ブロムシュテットって北欧出身で、ドレスデンの常任で名を上げ、サンフランシスコに転出したって経歴ですから、そのあたりバックグラウンドが効いているのかもしれませんが、とにかく虚飾を排した音楽的なR.シュトラウスという感じであり、ひょっとするとこういうのが正解なのかもと思ったりさせる演奏です。
 録音はデッカですから、基本的には例の弾力的なハイファイ調なのですが、さすがに90年代近くになってくると、大分ナチュラル指向が強まっていて、時代の流れを感じさせます。しかし、この演奏を70年代にショルティ録ったのと同じセッティングで録音したら、一体どう聴こえるんでしょうねぇ?。

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