goo blog サービス終了のお知らせ 

(童話)万華響の日々

いつもご訪問ありがとうございます、ブログ開始から大分心境も変わってきました

たかがブログされどブログ、思い出、記録は味わい深いもの

2019-12-01 21:44:39 | 雑感・エッセイ
今年もついに12月に入った、わたしもお気に入りブログを登録しているのだが、訪問を怠っているブログがある、そこで久々にお尋ねしたが、驚いたことに幾人かのブログの筆者がお亡くなりになってブログ終了された方が結構あった、中には更新がはるか以前から途絶えていた方も何人かあった、
最近の報道ではツイッターなどのSNSで死亡されたり、病気などで止む無く長期の休止状態になっているものや終了したものにつき、一旦は削除する方針であったが、友人やコメンテイターが残してほしい旨を要望した、それでまた削除を中止したという、ブログは記録であり思い出である、ブログ筆者がよんどころない理由で自ら削除した場合は仕方ないが、不可抗力で中止に至ったものについては残してもらったほうがいい、やはりその人の思い出を大切にしたいと思う、
ブログも10年、20年と続けている人がいる、不慮の出来事で中止のやむなきに至った人も多いはず、10年も続ければ訪問者も何万人となっていてそれなりに筆者にとっては感無量であろう、たかがブログ、されどブログである、

人の名前が出てこない、車の運転を間違える、ここに関係があるかも

2019-11-22 21:15:33 | 雑感・エッセイ
高齢者の自動車事故が多発して免許返納の必要性が言われている、間違い運転でとにかく多いのがブレーキとアクセルの踏み間違いだ、運転時のブレーキとアクセルの踏み動作は通常は体が自然と覚え身に着いた反射運動である、長い期間に覚えこんだこの動作は車の下を見て一々どれがブレーキかアクセルかなど確認せずとも出来るようになっている、いつもと違う車種のレンタカーを借りた場合でも殆ど迷わずに運転出来てきたものだ、それが気持ちと体とが分離して思った通りに体が言う事を聞かなくなってしまう、これは一大事だ、感覚・神経と体とが統一的に動かないと困ることは他でも経験している、
たとえば人の名を言おうとしてその人の顔かたちは思い浮かぶのに名が出てこない、慌ててしゃべっていると余計に出てこない、これなども言葉を使って口・声帯を動かすときに人の名の記憶が分離している証拠だ、だから人の名を忘れて出てこなくなる頻度が多くなったら、車の運転でも間違いが起こりやすくなっているとみていいかも知れない、個人差があって若くても発症するし、高齢でも大丈夫の人もいる、これらの症状は認知症といわれている、認知症の予防には体を動かしながら数を数えたり、足し算や引き算をするといいらしい、例えば散歩しつつ数字の計算をしてみる、体の運動と脳の作用を同時にすることで脳と体のそれぞれの作用が分離することを防ぐのにいいと思われる、以上は勝手な私論である

地域猫は賢い、縄張りの家々を巡回する

2019-11-09 16:53:24 | 雑感・エッセイ
数日前のこと、やっと秋晴れとなったので散歩に出かけた、途中で自分と似たような年恰好の男老人を見かけた、道端で犬だか猫だか分からないが何かしている、近寄ってみたら大きな猫でその猫に老人が餌を皿に入れてやっているのであった、挨拶をしてしばらくの猫談議になった、老人は猫好きでその猫は野良であり、彼以外に3人ぐらいが餌をあげて可愛がって面倒を見ており、地域猫であるということである、猫はお陰で丸々と太っており安楽そうだ、餌やり人がそれぞれの名前で呼んでいるらしい、猫は食べ終わってのそのそとその場を離れてゆく、餌が若干残った、老人は残った餌を搔き集めて袋に戻しながら、残しておくと烏がやってきて食うから仕舞うのだと言った、私もそこで別れた、
実は私の家にも猫が訪ねてくる、玄関の前で待っており、外へ出るとしきりに鳴いて餌を要求する、それで猫餌をあげる、だがずっとは居座らずに2日程いてからどこかへ去ってゆく、多分ほかの縄張りの家に行くのである、そこでも餌をねだる、そんな家が数軒あるらしい、それぞれ違った名前で呼ばれているのだろう、一軒の家に定住しないのが地域猫の知恵である、そうやって複数の餌の供給源を持つことで生活の安定が保たれる、本能的にそういう知恵が身に着いている、どこかの家が留守期間が長ければ他の家で餌がもらえる、猫は何となく数日おきに迎えてくれる家々を巡回しているようだ😄 

ユーモアとはなにか 「雨男」発言との関係

2019-10-29 21:02:05 | 雑感・エッセイ
笑う門には福来る、人を笑わせることのできる人は、それだけで自ら幸せをもらっている、それで笑わせることを商売にしているのがコメディアン、またはお笑い芸人、日本では落語、漫才、漫談などをする人、これらはプロの仕事、それに対して一般人が他人を笑わせるのが日本では洒落や駄洒落だ、そこへヨーロッパからもたらされた笑いのタイプがユーモアとかウイットだ、洋画を見ていると主人公らが会話の中でユーモアをこめてその座を笑わせ和ますシーンが多い、ユーモアの基本は自己卑下にあると聞いたことがある、自分を一段とおとしめて他人を持ち上げるところからくる、思わずにんまりさせるという何とも言えない話術である、この話術は本人の努力で磨かれるが大部分は生まれつきの素質が大きいようだ、その証拠に使い方を間違えると真逆の効果を生む、すなわち聞いた人を不快にさせ、怒りを買い、不評を買う、下手をすればその言葉の責任を問われ責任を取らねばならなくなる、
さて、そこでだが、最近、防衛相が政治資金パーティで「自分は地元で雨男と呼ばれていて、防衛相になって台風が三つも来た」発言、その場で笑いが起こったという、その台風でどれだけの被災者、被害者、犠牲者がでたか、いまだに生活が成り立たない人や事業が多すぎて被害の全貌がまだよく見えていない、いまこそ国難といっていい、
その時のこの発言、受けを狙った一言だっただろう、ユーモアに似て非なり、なぜなら被災者は決して笑わないし、一層の虚しさに落とされた気分になったから、こういう悲惨な時には被災地を励まし慰めるあったかい一言が欲しい

ラグビー日本戦は終わった

2019-10-21 20:33:23 | 雑感・エッセイ
ワールドカップ・ラグビーの日本戦は終わった、気づいてみればここまでに日本チームの戦いは全部観た、8強に入ったのは見事だった、だがその上は格が違って見える、4強になるのはまだ時間がかかるだろう、それより、釜石での試合は2試合が用意されていたのが台風19号通過で1試合減った、せっかく地元のファンは楽しみにしていたのだから臨時に増やせなかったのだろうか、ラグビーの観戦が面白くなったのは収穫だった、準決勝も楽しみだ
たまたま花巻で知り合ったウルグアイの不祥事は残念としか言いようがない

崩壊した屋根補修にベターな方法はないものか

2019-10-02 20:21:16 | 雑感・エッセイ
台風で屋根崩壊した家屋にブルーシートで応急処置をする、これが今の台風や突風による屋根被害に対する最初の対処法である、次に本格的な補修を行う、これには時間がかかる、だが落ち着いてよく考えるとこれでは余りにも弱い、次に台風が来た時の大風に対抗できない、速くもっと強力で即効性のある簡易屋根補強方法が必要だ、どんなものが好いかは分からない、不特定で多種多様な屋根崩壊部分に自在に適用できる自在パネルのようなものか、・・・・・・今日は夢想だけしか浮かばない、防災技術の開発は急務だ

強大な台風や地震に備える家屋の形に私案

2019-09-28 19:30:47 | 雑感・エッセイ
日本の代表的自然災害といえば、台風、地震、猛暑、寒波、落雷、竜巻、局所的豪雨・・・、地震や津波は分からないが、他の災害は地球温暖化と関係がありそうだ、特に台風は大いに関係がある、発生が夏秋ではなく一年中となった。今年は1月1日に台風1号が発生した、2月にも2号が発生した、そしてなんだか一年中ほとんどで台風発生している、赤道付近の海水温が高くなり、その範囲が日本の近くまで及びだした、そのために台風は成長を続けいわゆる強大な台風になる、今回の15号台風は最大瞬間風速60mだった、最大平均風速は40mを超えた、そのため高圧電線の鉄塔が倒れゴルフ場の網を張った鉄塔も倒れた、全てが強大になって獰猛になっている、今後は台風の発生のたびに恐ろしいことになりはしないかとびくびくして過ごさざるを得ない、今の家屋はこの風の脅威に耐えるようになっていない、今回も屋根がはがされた家屋続出だった、そこで思うのは新幹線の車体構造である、全体が丸くて流線形、そして窓が小さい、このことは飛行機でも同じだ、今後の家は新幹線型にしないといけない、あれほど流線形でなくとも亀のような丸い形がいい、ドーム球場などは家屋的には理想的だ、窓が小さいから耐震構造にもなっていて地震にも強い、何となくシェルターのようだ、建築会社がこの案を取り入れてくれたらいいのだが・・・

普通免許高齢者講習に行った、視力検査も3種類ある

2019-09-04 14:24:17 | 雑感・エッセイ

先日、自動車普通免許の更新のための高齢者講習を受けに教習所へ行った、座学のあと実車で教習所コースを回って、その後に視力検査があった、これが自分にとって大いに意味があった、3種類の検査で、まず視野検査だ、小電球が中央から隅に移動する、見えなくなったらボタンを押す、片目づつだ、左目は結構、隅まで見えたが,右目は途中で見えなくなった、右目は以前から緑内障の治療中である、無理もないと思った、次に視力検査、例の一分欠けた丸が大きいものから段々に小さくなる、欠けが左右上下のどこかいい当てる、これは両目同時だ、なんとか0.7まで見ることができた、大型では0.8が必要だそうだ、最後は明るいところで記号を見て次に照明が消える、再び見えるようになるまでの時間を測る、自分はタイムアウトであった、もう大分以前から夜間運転はしない、若い人、例えば高校生は照明を消したとたんにもう記号が見えるそうだ、自分も昔はそうだったのかなあと感慨深い、ところでわたしは75歳前であるので認知症検査はまだ受けなくていいのだそうだ、とにかく検査は重要、問題なかったからといっても、どんどん年を経る、認知症も進む、過信は禁物だと思った


新元号に思う

2019-04-15 21:54:10 | 雑感・エッセイ

新元号「令和」について、その印象が各方面からいろいろ出されている、まあ、第一印象は命令によって和を保つ、ということであろう、これが大方の自然な受け取り方だ、それを「善」だの「ビューティフル」だのと無理やり心地好い解釈を押し付けるのは不自然である、自分は元号の意味をその通過した歴史によって後になって評価されるものと思っている、だから始まる前から評価しないことにしている、何とか期待を込めて解釈したい気持ちもわからんではない、ともかく「令」という字が権力者の命令にならないようにと願っている、そのうちに時がたつにつれ分かってくるだろう


平成は終わる、次代には何を期待するか

2019-03-30 16:16:28 | 雑感・エッセイ

平成という時代がいよいよ暮れてゆく、約3ヶ月前に去年今年を過ぎたばかりで、また大晦日が来たようなものだ、明治が45年、大正が15年、昭和が64年そして平成が30年、元号と西暦をどう使い分けるか、自分はその元号で表される時代の特徴というものを言い表すには便利だと思う、例えば明治は江戸幕府の士農工商身分制度から身分制度のない時代になった時代だ、大正は短かったが大正ロマンという洒落た文化が流行った時代、昭和は2つの大戦と敗戦、原爆の被爆と経済復興の時代だ、平成は地震・津波など大災害多発と最初の原発過酷事故、気候温暖化の激しくなった、戦争は起こらなかったが平和憲法が危機にさらされている時代だった、それは次の元号の時代に引き継がれてゆく、次代には平和憲法が危機を脱し、温暖化が杭止められた、胸をなでおろすことができた時代と言われるようになってほしい、さてこの期待は果たされるか、自分は見ていたいがそれまで命があるかどうか問題でもある


公文書改ざんや統計不正など不正をする人間に学んだAIは信用できない

2019-01-19 20:57:36 | 雑感・エッセイ

「消えた年金問題」があって、2018年の「公文書改ざん問題」そしてまた懲りずに「毎月勤労統計不正」ときたのだ、国の根幹になる基礎統計がいつの間にか変更されていたらしい、近年、大企業による検査値や会計の胡麻化し、不正が後を絶たない、国の役人も同様だったということだ、正直真面目な役人が圧倒的だとは思うが一部の部門の不正があると、全体が疑われるのは仕方がない、あちこちでタガが外れてしまっている、これではAIに任せても基本は人間だから安心できない。人間の行動を真似て学習したAIは何をするやら知れたものではない.AI社会が来ようとしているとき、人間がしっかりしなくてはとてもAIに任せるわけにはゆかないのではないのか


民主主義が泣いている

2018-12-08 21:09:19 | 雑感・エッセイ

国会機能マヒといっていい、数の論理でしか法案を進められない今の政権には全く失望、それは2012年の第二次安倍内閣発足のときからずっと続いていることであった、多数決の論理が悪用されてきた、少数者の意見はことごとく踏みにじられた、これ程酷いものとは思わなかったというのが正直な感想だ、頭の上の蠅を追い払うためでしかない最近の進め方は将来必ずしっぺ返しを食らう、その時だれが責任を負うのか、結局国民である、こいう政権を生んだのは即ち選挙における選挙民であったからだ、今の状況をよく見ておくことだけができうる精一杯のことである、


常識が否定され、次に正義が否定されてゆく流れ

2018-07-07 16:38:04 | 雑感・エッセイ

実に目まぐるしく世界は変わる、動く、いまは梅雨前線豪雨大災害のまっだだ中だ、私は千葉に住むので梅雨豪雨はまだそれ程ひどくない、だが西日本から中部地方まで予断を許さない、警報も次々とでる、豪雨のさなかで危険に晒されている方々は命を守るために最善の道を選んで欲しい、既に被災した方々のために国を始め行政は全力を尽くして欲しい、豪雨が去った後は猛暑が待っているのでこれも大変である、何かボランテイアとしてできることはないかと悩む、

明らかに自然も社会も政治も極端から極端に動くのが当然な時代になってしまった、今までの常識は常識でなくなり、道徳は道徳でなくなった、日本の政治では学者が憲法違反と唱えても違反する法律がどんどん成立してゆく、例えばカジノ法案は由々しき害毒を社会に流すとなんぼ反対しても与党は耳を貸さない、過労死した人の家族がなんぼ反対しても働き方(かせ方)法案は通過しつつある

また、明らかに嘘をついている政治家や官僚が大方の指示を受けて頓挫しない、辞任しない、居直りがまかり通る、

街中の犯罪も同じだ、どう見てもDNA鑑定で黒と判定していても容疑者はやっていない、知らない、検査法が当てにならない、・・・こうやって白を切る、犯罪を犯しても否認すれば減刑されたり、無罪になったりする、どう考えてもおかしい、正義というものが全く否定されているように思える、国会でも証人喚問は与党によって否決され国民は何時までたっても真実に辿り着かない、

原発政策も同じだ、40年超の大飯原発の再稼働差止を求めた住民の訴えは高裁で否定された、裁判官は「危険性は無視しうる」そうだ、裁判官とて生身の人間であるなら老朽原発の危険性を無視しうると判断できるのだろうか、豪雨が迫っているときに命を守る行動を取ってほしい、という気象庁がいる一方で原発の危険性から命を守る行動は原発差止しかないではないか、避難するところもない、裁判官(司法)はなぜ高裁に行くにつれて生身の人間の叫びを聞く人間側に立てなくなるのだろうか、・・・・いやはや愚痴に終わってしまった



京大タテカン撤去の動きに思う

2018-05-28 17:11:36 | 雑感・エッセイ

京都市で京都大学名物のタテカン(立て看板)に規制を加えて撤去することになったそうだ、理由は景観保護だ、1960年代の大学紛争以後に学生たちはタテカンを壁に立て、あるものは政治的な、あるものは部活への勧誘、あるものはイベントのポスターなど多種多様である、京都市は京都の優れた景観保護の推進上、屋外広告物規制の立場から撤去の必要を大学側に伝えた、要するに京都市や大学側にタテカンは薄汚れた醜い汚点と捉えられた、一方で撤去に反対する学生たちはタテカンは文化であるという立場をとる、また京大出の弁護士たちがいわゆる憲法によって保障される表現の自由を脅かす惧れありとみて反対する、(朝日新聞5/23朝刊)

最近噂の映画「モリのいる場所」を観た、そこでモリの屋敷周りにタテカンがあった、モリを有名な画家として守ろうという内容だったと思う、ところが都内のことであるから不動産屋がマンションを建てるのでタテカン撤去を申し込んできた、やはり景観が問題であったようだ、

電車の車体にスプレーで落書きする事件が最近もあった、タテカンには告示する者の名前などが書かれるのが通常だ、一方、落書きには誰がやったか分からず且つ他人の持ち物に無断でやる、極めて悪質だ、だがタテカンは自分が用意した看板に書くし書き手名も記載する、フェアな表現方法ではなかろうか、自治会などの掲示板にも各種告示が貼られる、それも期限付きだ、期限付きはタテカンにも必要であろう、

タテカンはアナログ的表現であり伝達方法だ、そして特定地域に限定的だ、レコードが近年見直されているが、タテカンもそのアナログさ、人間的な感じで保護されても好いと思う、


発言に対する責任、上に立つ者には言い訳無用

2018-05-22 21:17:53 | 雑感・エッセイ

安倍政権にしろ、日大アメフト部にしろ、上に立つ者の言動は官僚、議員あるいは学生の部員にしろ、どのように受け取られても、その結果に責任がある、言葉は一旦発せられたら独り歩きする、本人の意図の範囲を超えたような思いもかけない受け取られ方をされる場合もある、それが好い場合でも、悪い場合でも発したものに責任は帰ってくると捉えるべきである、

普通の市民は勿論、いわんや人の上に立つものに言い訳無用である、前にも書いたがそれが忖度を招いたものでも、明確に指示したものでもその区別はない、上に立つ責任あるものにはそのくらいの覚悟が必要なのである