UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

残暑見舞から晩夏へ、そして初秋へ・・・

2018-08-21 01:43:22 | 日記
昨日、大半は後期高齢者である諸氏たちと雑談会のようなものをおこないました。

会が終わると某氏が申しました

「今年の夏は例年になく暑かったけれど、そろそろ夏も終わりですね。ところで、残暑見舞などと言いますがいつまでが残暑なのでしょうか?」

GGIは申しました

「はっきりしませんねえ、9月に入っても暑い日がありますと、いつまでも残暑が云々などと表現をしたりしますから・・・お盆以後の暑い日は八月が終わっていても残暑・・・残暑といえば、晩夏っていう言葉もありますね、この晩夏もはっきりしませんね、いったいいつ頃が晩夏なんでせうか」

「晩夏は夏の終わりのころということでしょう、ヒグラシがカナカナカナとかん高く鳴き始めると、やや悲しげに聞こえたりして、なんとなく夏の盛りは終わりというか・・・・」と某氏

「夏の終わりといっても漠然としていますね。今日あたりはもう晩夏でせうか、それとも残暑厳しき候でせうか、いつまでが残暑なんかは判然としませんが、晩夏という場合、何となく9月に入ってからは、残暑というのにふさわしい日であっても、もう晩夏とは言わないような気がしますが・・・9月は晩夏にあらず、晩夏の場合、夏は8月の終わりまで・・・という印象が強いのですが・・・晩夏の賞味期限は八月いっぱい・・・」

「言われてみれば確かにそんな気がしますね、晩夏は八月の終わりまでか・・・じゃあ、初秋というのはどうなのでせう。いつ頃からいつ頃までが初秋なのですか・・・」と某氏

「初秋ねえ・・・初秋がいつ頃のことなのか、晩夏ほどにははっきりしませんね、秋のはじめごろですからまずは9月のはじめごろでせう、でも9月に入っても暑いと初秋なんかじゃないよなあと言いたくなったりしますし、逆に八月の末になって急に涼しくなると、目にはさやかに見えねども、もうはや初秋かなあと感じたりするしなあ・・」

「ところで晩春、晩夏、晩秋をくらべてみると、なんとなく晩夏が、惜別感というか若干の寂寥感というか、一番ポエチックなような気がしませんか」とGGIが申しましたら長年短歌をつくっている別の某氏曰く

「あんがいGGIさんはいいセンスしてますね、そうかもしません・・・ひとつ晩夏を詠んだ句を作ってみるかなあ」

そうしましらた、別の某氏曰く

「まあ、GGIさんのセンス云々は若干あやしいのですが、それはともかく、夏の終わりが近づきつつあることは確か、ですから、今日はわがマザーレイクを眺めながら逝く夏を惜しんではいかがでせうか、もちろん逝く夏を惜しむための道具立てが必要ですが・・」

「大賛成です、残暑がどうの、晩夏が云々、初秋がどうのこうのという問題は棚上げにして、棚上げついでに高いところに上って湖を眺めながら、逝く夏を惜しみませう」

かようなしだいで雑談会の御一行様、びわ湖を一望できるビル屋上のあまり商売熱心でないビヤガーデンで十分に逝く夏を惜しんだのでありました

逝く夏をサカナにビールなどを楽しんで帰ってきましたら、あっ、そうだ、今日はわがファザーの命日だった・・・すっかり忘れていた・・・あの日は朝からむし暑い日だったなあと、遠い日を思い出してしまいました・・・

そういえば、夏のはじめのマザーの命日も忘れておりました・・・

 父、母の命日忘れ 夏逝きぬ

おそまつ・・・

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

今日の写真は湖畔の逝く夏を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧になり、逝く夏を惜しんでくださいませ

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残暑お見舞い、あるいはわが迎賓館からの眺め

2018-08-19 00:59:01 | 日記
昨日のお昼過ぎ、某知人がやってきて申しました

「GGIさん、今日は私の誕生日です」

「ふ~ん、いくつになったの?」

「65歳です、これからどのように生きていけばと悩んでいるのです」

「ふ~ん、やっと前期高齢者一年生じゃないか、老人としてはまだハナタレ小僧にすぎん」

「それで一つお願いがあるのですが・・・私の誕生日を祝ってほしいのです」

「わかった、ではわが迎賓館で祝ってあげる」

というわけで、わが庵から徒歩数分の迎賓館に連れもていきました。これまでの猛暑もややおさまり、土曜日でもありましたので、混んでいるのではないかと思ったのですが、幸いテラスの席は空いておりました

目の前にわが母なる湖が広がり、青い空には白雲がたなびいております。今日の写真はテラスからの眺めを撮ったものです。この写真はみなさんへの残暑お見舞いのつもりでありますので、よろしければクリックしてご覧くださいませ

目の前に広がる景色を目にして、知人は申しました

「いい眺めですねえ、それに湖からの風も気持ちがいいなあ、ここはどこですか、日本だとは思われないですね」

「そうやろう、なかなかの眺めや、ここはGGIの迎賓館だから君は賓客や、ところでヒンキャクってどういう意味が分かってるか、それに君はヒンキャクって漢字でかけるか?」

「GGIさんも漢字で書けないから、そういう意地の悪いことをいうのでせう。賓客というのはですねえ・・・まあ、そういうことはどうでもいいじゃないですか・・・」

「あのなあ、ああいうヘンな漢字はかけなくてもええのや、でもヘンな漢字って困るよなあ、GGIはあの比叡山のエイという漢字、いつまでたっても書くことができん、ところで賓客の意味なあ、GGIの気持ちを忖度することができる客、すなわち迎賓館に来ておいしいビールとか食べものなんかにありつければなあというGGIの気持ちを推しはかることができるような人物がGGIの賓客であり、GGIの気持ちを推しはかることができないようなヤローは賓客なんかではない、わかってるかなあ」

「おっしゃる意味はわかっております。私もそのくらいの忖度ならできます。でもGGIさんはわりあい厚かましい方ですね。ひとにソンタクさせるならもっと遠回しで上品な言い方ができなけばダメですよ」

「ふ~ん、君はGGIに説教するのか、じゃあ、どんなふうに言えばええのや:

「たとえばですね、《ここの風景すばらしいなあ、でも何か画竜点睛に欠けるというか、もう一つ物足りないなあ、何が足りないのだろう、そうだ、景色の真ん中にビールとか美味なる食べ物なんかが鎮座していれば完璧、ボクは完璧が好きなんや》とでも言えばいいのです」

「そうかあ、君、賢いなあ、じゃあ、その画竜点睛とやらをなんとかすることにしよう」

というしだいで、ランチをともにいたしました。

目の前に広がる景色も結構でありましたが、メインディッシュのスペインのナントカ豚のナントカは美味であり結構でした、サラダも冷たいスープも結構でした、ドイツのビールも結構でした、デザートのスイーツとコーヒーも結構でした、迎賓館のマネージャー氏とウエィトレスさんたちの接客ぶりも結構でありました、まあ、たまにはこのような日があってもバチはあたらないでありませう

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

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お墓参りのついでにローマ法王様にお願い・・・・

2018-08-17 02:22:17 | 日記
一昨日8月15日は終戦記念日、お盆でもありましたのでGGIはわがファザーの墓に参りました。

わがファザーはカトリックの信者でありました。理由は定かではないのですが人生の道半ばにして突然カトリックに入信してしまったのです。ファザーが通っていた教会は毎年8月15日の午前八時から墓地で簡単な礼拝を行います。GGIは信仰なるものとはほとんど縁無き衆生でありますが、年に一度のことでもありますので、わが兄弟を代表して毎年欠かさずこの墓前のミサに出席しております。

一昨日、寝たのは午前3時半、午前6時半すぎには起床と申しますか目が覚めてしまいました。まだまだ眠たかったのですが、そうだ今日は8月15日と意を決しました。お墓に飾る花を急いで用意して、JRの駅の近く、国道1号線沿いの高台にある墓地に馳せ参じました。まことに我ながら感心々々、ミサが始める前に墓地に到着、お墓に花を飾り終わったところでミサが始まりました。

真っ白の法衣を涼しげに身にまとった若い神父さん曰く

「神(天)の霊は洗礼を受けた方々の内に宿ります。しかし、洗礼を受けていない方の内に神の霊が宿るかどうかはわかりません。ですから、まだ洗礼を受けてない方はお受けになるよう勧めます」

まことにはっきりしたもの言いであることよなあ・・・GGIは信者でも何でもありませぬから「ああ、そうですかぁ、それならオレには宿りそうもないなあ」と思っていればいいのですが、教会に行ってはいるけれどまだ洗礼を受けていない人、迷っている人にはちょっとキツイものいいではないかなあ、カトリックって何か冷たいんじゃない・・などと思ったりいたしました。

神父さんは短い説教のあと、それぞれの墓を巡って、故人の霊を慰めると申しますか神さまの祝福を意味するのであろうと思われる簡単なセレモニーをしてくださいます。

今日の写真はファザーのお墓に参ってくださった神父さんを撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ。写真では分りにくいのですが、神父さんは手にした金属製の香炉を静かに小さく揺らしながらわがファザーのために短いお祈りをしてくださいました。まことに感謝であります

GGIはカトリックに取り立てて関心があるわけではないのですが、最近のローマ法王、世の中の動きについてときおり明確な発言をされることがあり、GGIは感心することがあります。

たとえば、2015年1月にパリの週刊風刺新聞社「シャㇽリー・エブド」が襲撃され十数人が殺害されるというテロ事件が起きたとき、ローマ法王は「これは2001年に始まった第三次世界大戦の一部だ」と明言しています。

最近も、この八月のはじめに、フランシスコ・ローマ法王は死刑制度について思い切った発言をしています。以下は共同通信の報道です。

ローマ法王、死刑一切認めず カトリック教会、立場変更
共同通信社 2018/08/02 22:03

【ローマ共同】

 ローマ法王フランシスコは2日、ローマ・カトリック教会が今後、死刑制度に全面的に反対する方針を明らかにした。教会はこれまで、ごくまれに死刑が容認されるケースがあるとしていたが、一切認めない立場に変更した。ローマ法王庁(バチカン)が発表した。
 
 法王は極めて深刻な犯罪を行った者にも人間の尊厳はあるとして「死刑は人間の尊厳への攻撃だ」と指摘した。教会は世界から死刑制度が廃絶されるよう働きかけていくとも表明した。
 
 法王はこれまでも死刑反対の立場を取っており、米連邦議会での演説で死刑制度の廃止を訴えたこともある。

ローマ法王の発言の趣旨は明解です。GGIは死刑制度に絶体的に反対していますから、この法王の発言を心から歓迎いたします。これまでも法王庁(バチカン)は死刑制度には反対しており、そのため欧州だけではなく、中南米のカトリック国なども死刑制度をすでに廃止しています。

バチカンの死刑に関するこれまでの見解についてはGGIはよく知りませんですたので、ウィキペディアさんのお世話になりましたら、以下のように記されていました。

《現在は、「近代社会においては終身刑によって犯人の再犯の予防および他の犯罪者に対しての威嚇の役目は十分果たされている」との見解である。よって「全ての命は神聖である」として死刑には反対している。また現代の多くの死刑が「報復」の役目を果たしていることにも言及し「死刑は憎悪と復讐心に満ちた行為」「罪をもって罪を裁くことは殺人である」と表明している。》

上記の共同通信の報道を知って、GGIはフランシスコ法王さまに一度日本に来ていただいて国会でお話していただければなあ、とお願いしたくなってしまいました。法皇さま、いかがでせうか?

などと書いておりましたら、むかし、今から四半世紀ほど前にも法皇さまにお願いしたことがるのを思いだしました。湾岸戦争(1991年)のときのことです。日本が戦費1兆円を米国に気前よく支払った湾岸戦争、この愚かな戦争をどうかやめさせてください、日本政府が愚かにも米国を支援するのをやめさせてくださいと手紙を書いたのでありました・・・

うそではありませぬ。そのときのことは別のブログに書いておりますので、読んでもいいよと思われる方はご覧になってくださいませ

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関西無節操電力株式会さまゑ・・・

2018-08-15 00:43:13 | 日記
湖岸の大通り、わが庵と西武さんの間の某所に関電さんのビルが建っています。関西電力湖国支店と湖国営業所のビルです。

湖岸通りに面したビルの壁面にリッパな掲示板が設けらており、関電のPRポスターや消費者様のみなさまへのお知らせのようなものが掲示してあります。

この掲示板、歩道から一段高くなった少し奥まったところにありますので、わざわざこの掲示板を見ようと立ち寄る歩行者はおりませぬ。つまり、この掲示板、通行人に見てもらうつもりはまったくないのです。

はっきり申して、ただの飾りです。でも誰ひとり掲示物を見にこないようでは、せっかくの立派な掲示板クンが可哀そうであります。可愛そうすぎます。ですから、心優しきGGIはときおりわざわざ立ち寄り、掲示版に貼られている掲示物を熱心に眺めるふりをすることにしております。

今日の写真は昨日の掲示板の様子を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ

ご覧のとおり、ポスターが二枚貼ってありますね。

一枚目のポスターには「イチオシ!オール電化」
二枚目のポスターには「関電ガス 電気もガスも関西電力におまかせ!」

一枚目のポスターは電気で金儲けしたい!、だから電気買ってねというもの、
二枚目のポスターは、電力自由化で大阪ガスに電気の契約をかなり奪われてしまったので、ガスも売って客を奪い返して儲けたい、だからガス買ってね!というものです

片方で電気だけを使いませうとけしかけておいて、他方でガス買ってね、では調子が良すぎます、無節操そのもの、無節操の見本です

電気の方は、本音は原発の電気を買ってね、そのほうが火力より儲かるからというわけでもありませう。


関電の社長様、「消費者のみなまさ」などと猫なで声で市民をバカにしてはいけませぬ。このような無節操欲張りのカイシャはいずれ「消費者をなめるなのよ」いう市民の怒りに感電して地獄に堕ちるであろうと、関電をやめて新電力に切り替えたGGIさまが予言しておきます

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それがどうした!ではすまない俳句・・・

2018-08-13 02:14:52 | 日記
GGIはガサツな人間です。ですから俳句や短歌を趣味とすることは無理であります。でも、ときおり徒然なるままに、朝日新聞の歌壇や俳壇の欄をぼんやり眺めたりはします。もちろん、身のほどをわきまえておりますので、作品の出来の良し悪しを云々するなどという畏れ多いことはいたしませぬ。

しかし、出来の良し悪しは別といたしまして、理由はいろいろですが、強く印象に残る句に出あうことがたまにあります。強く印象に残る句はGGIにとりましては優れた作品である、というのがGGIの俳句・短歌の勝ってなる鑑賞法です。「上手だなあ」と感じる句には少なからず遭遇するのですが、強く印象に残る句にはそう簡単には遭遇いたしませぬ。

では、どのような句が強く印象に残るのか、これは簡単であります。目にした句を何回か復唱してみて、「これは、それがどうした!では済まない句だなあ」と感じられるようなものが強く印象に残るのです。

たとえば花鳥風月を歌ったものは、どんなに上手なものであっても、多くの場合、ガサツなGGIの勝手な審美眼から申しますと「上手だなあ、でもなあ、それがどうしたと言うんだ・・・」とつい言いたくなってしまいますから、あまり印象には残りませぬ。たとえあの日本一の歌人、定家さんの繊細にして優美と申しますか幽玄と申しすか、たいへんな名句でありましても、GGIにとりましては「定家さん、戦乱の世に夢の浮橋をかけるというあんたの和歌ほんまに上手やなあ」といたく感心はするのですが、「でも、有明の富士の高嶺に降る雪が云々といわれてもんなあ、そうれがどうした!」と言いたくなってしまいますので、記憶には残っても、強く印象に残ることはありませぬ・・・

などと、どうでもいいエラソーな講釈を記してしまいましたが、実は昨日(8月12日)の朝日さんの俳壇で、おもわず「うっ」と息が詰まりそうになった俳句に遭遇してしまいました

《 水爆が沈んでをりぬ夏の海 》 (取手市、御厨 安幸)

いかがでせうか?

この句について選者の方は、「『某年、水爆搭載機空母より滑落』とある。冷戦後、現代の夏の海」と記しています。これだけでは何のことか分からない方もおられることと思いますので、若干説明を加えておきます。

これは以前の日記も書いたことがあるのですが、かつて米軍が引き起こした「核事後」についての句なのです。どのような「事故」であったのか、今日は手抜きでウィキペディアさんの説明を、多少補足して引用しておきます。

《1965年12月5日(ベトナム戦争初期)、(米空母タイコンデロガが)同年11月からのベトナム沖での任務を終えて(那覇軍港に寄港した後)横須賀へ帰還する途中、北緯27度35分2秒・東経131度19分3秒、喜界島の南東約150キロ(奄美近海)で水素爆弾(B43・核出力1メガトン:広島・長崎原発の約50倍の爆発力)1発を装着した戦闘機A-4Eがエレベーターから海中に転落する事故が発生した。機体は乗員(ウェブスター大尉)ともに水没した。核攻撃アラートに就くために飛行甲板にあげる途中であった。現場の水深は約5,000メートルあり回収は不可能であるとされている。事故は1981年の国防総省の報告書で明らかにされたが、詳しい場所については1989に明らかにされた。周辺海域の調査によれば放射能汚染は認められていない》。

(上記の説明、カッコ内は大半はGGIによる補足です)

空母タイコンデロガ、戦闘機が転落したあたりの海を何回かぐるぐる回って探してみてから、「これはアカンわ、見捨てるしかない」とサッサと横須賀に向かってしまったのです。その後、米軍は水爆を回収する努力を放棄したままであります。未だに奄美の深海に水爆は眠ったままなのです・・・

「深海の眠れる水爆」、無責任の極みです。これはれっきとした悪質極まる犯罪、核兵器の不法投棄という前代未聞の大犯罪です。日本の領海内ではなかったかもしれませんが日本の領土の近海に核兵器を落っことしたままにしているのですから、たとえ「同盟国」であろうと日本政府は「唯一の被爆国」として米国に強く抗議し、回収するよう強く求めても当然なのですが、この事故に関して日本政府が何らかの動きを見せたという話はまったく耳にいたしませぬ・・・これが仲の良くない中国やロシア(ソ連)が奄美の海に落っことしてしまったという事故だったら、日本は果たしてどうしたでありませうか・・・・

上記の説明では周辺海域の放射能汚染は認められない、ということになっていますが、果たして事実はどうなのか・・・水爆が海底に沈んでしまってからすでに半世紀以上を経ており、非常な水圧のもとで腐食がすすんで・・・やがて奄美の海に白い腹を見せた魚がプカプカと浮き出てきて、「魚が出てきた日」ということにならないとも限りませぬ・・・

この事故があったことを米国防総省が認めたのは実に事故から16年も後のこと、落下場所を公表したのは24年後の1989年のことです。何ということでありませう・・・

この事故があったことで、ベトナム戦争の初期から米軍は核兵器を装備していたことが明らかになりました。また日本の「非核三原則」(核兵器を持たず、作らず、持ち込まず)なんか無視して米軍が日本に核兵器を無断で勝手に持ち込んでいたことも明らかになってしまいました・・・・

このようなことを考えますと、この一句、「水爆が沈んでをりぬ夏の海」、とうてい「それがどうした!」などと無責任にうそぶくわけにはいきませぬ・・・

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

今日の写真は水爆ではなく、この夏の「びわこ花火大会」での花火の爆発を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧になり、平和なる湖畔の夏をお楽しみくださいませ

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