UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

それがどうした!ではすまない俳句・・・

2018-08-13 02:14:52 | 日記
GGIはガサツな人間です。ですから俳句や短歌を趣味とすることは無理であります。でも、ときおり徒然なるままに、朝日新聞の歌壇や俳壇の欄をぼんやり眺めたりはします。もちろん、身のほどをわきまえておりますので、作品の出来の良し悪しを云々するなどという畏れ多いことはいたしませぬ。

しかし、出来の良し悪しは別といたしまして、理由はいろいろですが、強く印象に残る句に出あうことがたまにあります。強く印象に残る句はGGIにとりましては優れた作品である、というのがGGIの俳句・短歌の勝ってなる鑑賞法です。「上手だなあ」と感じる句には少なからず遭遇するのですが、強く印象に残る句にはそう簡単には遭遇いたしませぬ。

では、どのような句が強く印象に残るのか、これは簡単であります。目にした句を何回か復唱してみて、「これは、それがどうした!では済まない句だなあ」と感じられるようなものが強く印象に残るのです。

たとえば花鳥風月を歌ったものは、どんなに上手なものであっても、多くの場合、ガサツなGGIの勝手な審美眼から申しますと「上手だなあ、でもなあ、それがどうしたと言うんだ・・・」とつい言いたくなってしまいますから、あまり印象には残りませぬ。たとえあの日本一の歌人、定家さんの繊細にして優美と申しますか幽玄と申しすか、たいへんな名句でありましても、GGIにとりましては「定家さん、戦乱の世に夢の浮橋をかけるというあんたの和歌ほんまに上手やなあ」といたく感心はするのですが、「でも、有明の富士の高嶺に降る雪が云々といわれてもんなあ、そうれがどうした!」と言いたくなってしまいますので、記憶には残っても、強く印象に残ることはありませぬ・・・

などと、どうでもいいエラソーな講釈を記してしまいましたが、実は昨日(8月12日)の朝日さんの俳壇で、おもわず「うっ」と息が詰まりそうになった俳句に遭遇してしまいました

《 水爆が沈んでをりぬ夏の海 》 (取手市、御厨 安幸)

いかがでせうか?

この句について選者の方は、「『某年、水爆搭載機空母より滑落』とある。冷戦後、現代の夏の海」と記しています。これだけでは何のことか分からない方もおられることと思いますので、若干説明を加えておきます。

これは以前の日記も書いたことがあるのですが、かつて米軍が引き起こした「核事後」についての句なのです。どのような「事故」であったのか、今日は手抜きでウィキペディアさんの説明を、多少補足して引用しておきます。

《1965年12月5日(ベトナム戦争初期)、(米空母タイコンデロガが)同年11月からのベトナム沖での任務を終えて(那覇軍港に寄港した後)横須賀へ帰還する途中、北緯27度35分2秒・東経131度19分3秒、喜界島の南東約150キロ(奄美近海)で水素爆弾(B43・核出力1メガトン:広島・長崎原発の約50倍の爆発力)1発を装着した戦闘機A-4Eがエレベーターから海中に転落する事故が発生した。機体は乗員(ウェブスター大尉)ともに水没した。核攻撃アラートに就くために飛行甲板にあげる途中であった。現場の水深は約5,000メートルあり回収は不可能であるとされている。事故は1981年の国防総省の報告書で明らかにされたが、詳しい場所については1989に明らかにされた。周辺海域の調査によれば放射能汚染は認められていない》。

(上記の説明、カッコ内は大半はGGIによる補足です)

空母タイコンデロガ、戦闘機が転落したあたりの海を何回かぐるぐる回って探してみてから、「これはアカンわ、見捨てるしかない」とサッサと横須賀に向かってしまったのです。その後、米軍は水爆を回収する努力を放棄したままであります。未だに奄美の深海に水爆は眠ったままなのです・・・

「深海の眠れる水爆」、無責任の極みです。これはれっきとした悪質極まる犯罪、核兵器の不法投棄という前代未聞の大犯罪です。日本の領海内ではなかったかもしれませんが日本の領土の近海に核兵器を落っことしたままにしているのですから、たとえ「同盟国」であろうと日本政府は「唯一の被爆国」として米国に強く抗議し、回収するよう強く求めても当然なのですが、この事故に関して日本政府が何らかの動きを見せたという話はまったく耳にいたしませぬ・・・これが仲の良くない中国やロシア(ソ連)が奄美の海に落っことしてしまったという事故だったら、日本は果たしてどうしたでありませうか・・・・

上記の説明では周辺海域の放射能汚染は認められない、ということになっていますが、果たして事実はどうなのか・・・水爆が海底に沈んでしまってからすでに半世紀以上を経ており、非常な水圧のもとで腐食がすすんで・・・やがて奄美の海に白い腹を見せた魚がプカプカと浮き出てきて、「魚が出てきた日」ということにならないとも限りませぬ・・・

この事故があったことを米国防総省が認めたのは実に事故から16年も後のこと、落下場所を公表したのは24年後の1989年のことです。何ということでありませう・・・

この事故があったことで、ベトナム戦争の初期から米軍は核兵器を装備していたことが明らかになりました。また日本の「非核三原則」(核兵器を持たず、作らず、持ち込まず)なんか無視して米軍が日本に核兵器を無断で勝手に持ち込んでいたことも明らかになってしまいました・・・・

このようなことを考えますと、この一句、「水爆が沈んでをりぬ夏の海」、とうてい「それがどうした!」などと無責任にうそぶくわけにはいきませぬ・・・

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

今日の写真は水爆ではなく、この夏の「びわこ花火大会」での花火の爆発を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧になり、平和なる湖畔の夏をお楽しみくださいませ

グッドナイト・グッドラック!