昨日の日記でわがジャンボ・キュウリ君、まだ3本残っていると記しました。
(昨日の日記に付した写真では二本しか写っていないように見えますが、1本は背が低いので頭だけがけがちょっぴり写っています)
昨日の午前中はあいかわらずイエロージャンボ・キュウリなど3本、依然としてわが庵の前の通りで鎮座していたのですが、夕方様子を見に出てみましたらキュウリ君は一本だけになっておりました!
あのイエロージャンボ・キュウリ君も無事だれかにもらわれていったようであり、GGIはほっといたしました。
残されていたのは背の低いややイエローふうのキュウリ君でありました。遠くからは目に留まりにくいので、心優しきGGIはこのキュウリ君を持ち上げて、カゴ代わりに用いた円筒形のゴミボックスの縁から半身が飛び出すようにしてやりました。
今日の写真は依然として街角で自分を連れて行ってくれる人を待っている最後のキュウリ君を撮ったものです。よろしければクリックしてごらんください。
この独り取り残されたキュウリ君、何やら寂しげであります
「GGIのオッチャン、ボクだけが取り残されてしまった、なんか情けないなあ、ボク、嫌われたんやろか、心細いなあ・・・・オッチャン、どうしたええやろ・・・」
「まあ、そんな心配するな、そのうち誰かが連れて行ってくれるから」
「そうかなあ、ボク、もう待ちくたびれた、ボク、背は低いし、下半身は黄色くてボテボテに太っているし・・・それで嫌われるのかなあ」
「まあ、キュウリ君よ、そう心配するな、落ち着け」
とキュウリ君に慰めの言葉をかけた瞬間、とつぜん、半世紀以上の時空を飛び越えて「そうや、こういうときはas cool as a cucumberって言うんや!」と受験英語の記憶が闇を引き裂く雷鳴の如くブーメランのように戻ってきました。
この受験時代におぼえた慣用句、直訳すればキュウリのように冷静に、クールに、などという意味になるでしょうけれど、「非情に冷静に」「あくまでも落着きはらって」「涼しい顔で」と言ったことを意味する言い回しであるとされているのです。ラジオの受験講座で西尾ナントカいう先生が説明してくださったのをGGIは昨日のことの如く鮮やかに思い出しました。
そこでGGIは独りとり残されたキュウリ君に申しました
「あのなあ、何にも心配せんでええのや。君はキュウリやろ、むかしからキュウリは何があってもジタバタせずに冷静でいることになっているのや、だからそんな心配そうな顔しないで、もうしばらくここで鎮座していろ」
「GGIのオッチャン、どうしてキュウリやったら冷静にしてなあかんのや、わけの分からんこと言わんといて!」
「あのなあ英語では昔からas cool as a cucumberということになっているのや、英語を話す国のキュウリはいつも冷静なんやろなあ・・・」
「オッチャン、ボクを英語の国のキュウリやない、日本語を話すキュウリや、そんなヘンなことボクに押しつけたりしないでよ」
さあて、この最後のキュウリ君の運命や如何に?
グッドナイト・グッドラック!