透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

スペインみやげは・・・

2016-01-09 | A あれこれ



■ パリで昨年の11月13日に同時多発テロが起きた。友人のMさんはその直後出発のツアーでヨーロッパへ世界遺産巡りに出かけた。参加予定者の半数以上がキャンセルしたそうだが、Mさんは予定通り参加したのだった。

昨晩(8日)は新年会だったが、久しぶりに私とMさん、Y君、Hさんの4人全員が揃った。  松本駅前の待ち合わせ場所から徒歩で向かったのは伊勢町に昨年オープンしたダイニングバーMt.BARU   。 

店内は混んでいたが幸いにもちょうど4人掛けのテーブル席がひとつだけ空いていた。オシャレな店内には若い人たちが多い。

Mさんは今回の旅行でも3人にお土産を買ってきていた。私がもらったのはバルセロナで買ったというメガネケース。 最近メガネケースがこわれてしまって、ふたが閉まらなくなっていたから、グッドタイミング、うれしいお土産だった。 

世界遺産巡りが趣味のMさんは既に76箇所も行ったという。目標は100箇所とのことだが、今までのペースでこれからも海外に出かければ難なく達成できるだろう・・・


今年、旅行したらお返しのお土産を買ってこなくては・・・。 


592 木曽福島の火の見櫓

2016-01-09 | A 火の見櫓っておもしろい


592

木曽谷には火の見櫓が少ない、という印象だが、その存在に気がついていないだけかもしれない。木曽谷を走行中、木曽福島でこの火の見櫓が目に入った。

3角櫓に6角屋根、円い見張り台。見張り台の高さは梯子段の段数とその間隔から9.5メートルくらいと分かる。



手すりのシンプルで美しいデザインが目を引く。半鐘の他にサイレンと消火ホース掛けがある。屋根の一部が欠損しているのは残念。



鋼板製の床面には規則的に水抜き穴が開けてある。



脚元はよくあるタイプ。後の木が邪魔をして火の見櫓を分かりにくくしている。葉が生い茂っている時の方がいいかもしれない。

この火の見櫓は遠景が魅力的だ。再訪して「火の見櫓のある風景」を撮りたい。


 


木曽のどんど焼き

2016-01-09 | A あれこれ



■ 所変われば 形変わる。 木曽町日義で見かけたどんど焼きです。正月の松飾りを集めて、どんど焼きと呼ばれる火祭りをします。

枝付きの太い松を1本建て、門松を半球状に集めています。ストゥーパに似ていますがこの形にはどのような意味があるのでしょう・・・。松本地方ではどんど焼きのことを三九郎と呼び、形は写真の手前にあるような円錐形です。

所変われば 形が変わり、呼び名も変わる というわけですね~。


色鮮やかなふき流し

穂高神社発行の『安曇野 道祖の神と石神様たち』に著者の西川久寿男氏は**御柱が神迎えの行事なのに対して、三九郎が神送りの行事であるといえるならばわかりやすいのですが、かなり古くから火祭りが道祖神祭りと結びついたこと、暦の上では一月一日がトシ神様を迎える日ではあるが、農業民にとっては正月の満月の日(十五日)こそ神迎えの日ではなかったかと考えるとき、火祭りを単純に神送りの行事と決めてしまうことにためらいを感じさせます。**(82頁)と書いておられます。

神送りではないとするならば、それは何か、ということについて考える時、歳神様降臨の地を焼き清めるためという数稿前に書いた説が説得力を持って浮かびます。



 


波多神社の狛犬

2016-01-09 | C 狛犬





 若澤寺の遺構、仁王門の北隣に波多神社の鳥居があります。写真はその位置関係を示しています。



鳥居の前から拝殿を見るとこんな様子です。 晴れているとコントラストが強く、うまく写りません。できれば曇っている時に出かけたいのですが、そうもいきません。



拝殿の手前に参道狛犬がいます。



拝殿の後ろに回り込んで本殿を見ました。波多神社は御祭神の数が多いので記載は省略します。



狛犬は昭和3年(1928年)3月の建立。





なかなか精悍な顔つきです。若い、という印象の狛犬です。口の中の玉は飴玉、ではないですね。何でしょう・・・。



吽形の狛犬 苔で顔の表情が少しわかりにくくなっています。足元に子どもがいます。



花を銜えています。この花 何の花? 牡丹でしょうか・・・。




拝殿の木鼻の獅子は正面がそれほど立体的ではなく、フラット。でもなかなか表情が良いです。







手水舎の屋根にいる跳ね狛犬



手水舎の近くに波多本郷消防組と刻まれた巨石がありました。手水用だったのでしょうか?


 


上波田地区の歴史を知る

2016-01-07 | A あれこれ



 松本市波田の上波田地区が江戸時代に信濃日光と呼ばれる程栄えていたなんて全く知りませんでした。室町時代には城下町だった!なんて驚きです。

上波田ってどこ?な方、ローカルな地域の記事です。アルピコ交通上高地線の終点、新島々駅に近い地区と書けば、この路線を利用して上高地に行ったことがある方でしたら、どの辺りか見当がつくかもしれませんね。

先日(5日)ここを訪ねてみました。



この仁王門はかつてこの地の少し奥にあった若澤(にゃくたく)寺の遺構だそうで、阿吽2体の木造の金剛力士像(仁王尊)は県宝に指定されています。



はしかが流行った時、この仁王尊の股の下をくぐったら、はしかが軽く済んだとの言い伝えがあり、毎年4月の中旬にこの仁王尊の足元を小さな子どもをくぐらせるという行事、「仁王尊股くぐり祭り」が行われています。





仁王門の先にこの覆堂があり、納められている田村堂は国の重要文化財に指定されています。





覆堂正面の格子扉のガラス越しに田村堂を撮りました。屋根を葺いている板の厚さを確認しませんでしたが、説明板に屋根杮葺(こけらぶき)とありますから、薄い板なんでしょう。この杮という字は柿とは違うということを昔授業で教わったことを思い出しました。説明板に建築年代が室町時代末期と推定される、とあります。木の文化、技術のすごさを示す細工ですね。





若澤寺は真言宗の寺院




阿弥陀堂



青面金剛立像



見ざる 聞かざる 言わざる の三猿は庚申の夜に天帝にチクらないでね、という庶民の願いの表現。



こんな案内板もありました。

若澤寺は明治初期の廃仏毀釈で取り壊されてしまったそうですが、一山覆うような寺院建築群が残っていれば世界遺産クラスだったでしょうに・・・。

 



仁王門の手前に道祖神がありました。このような祝言跪座像はよくあるタイプです。

裏面に彫り込んである文字は「天保十三壬寅年正月日 新田村中」と読めました。西暦1842年、江戸末期に祀られた道祖神です。


三郷北小倉の御柱

2016-01-07 | A あれこれ

 旧三郷村(現安曇野市三郷)の北小倉地区は松本盆地の西端、里山の麓にあります。この地区の3つの集落では毎年元日の早朝に御柱を建てます。向きは東、初日に向けます。御柱の●は太陽を意味する日天、下の白い三日月形の飾りは月天といいます。

御柱は道祖神の脇に建てられます。これは道祖神祭りなんですね。子どもたちがまだ暗いうちから「御柱たて 出てくれやい」と言いながら集落内を回ると、何人もの人たちが集まり、力を合わせて建てるということです。歳神様がこの御柱を依り代に降りてくる、というわけです。

ところで、三九郎(どんど焼きと呼ぶ地域もあります)は御柱の回り、歳神様降臨の聖域を焼き清めるという意味があるという説明がなされます。そうだとすると、御柱を建てる前に焼き清めの行事として三九郎が行われるという順序のはずですが、それが違ってきたということなのでしょうか。穂高には大晦日に三九郎(と呼ぶかどうか分かりませんが)をする集落があると聞いたことがあるような気がします。これだと順序が合っています。また三九郎は一年間に集まった悪霊を焼き祓う行事というような解釈、説明もあるようです。

6日(以前は7日)に「御柱寝せ」が行われます。「御柱寝せ 出てくれやい」と言いながら子どもたちが集落内を回り、集まって来た人たちで御柱を倒すのです。

御柱寝せの昨日、カラフルな和紙でできた御幣は各戸にお守りとして配られ、去年の御幣はその時に集められて三九郎で燃やされたはずです。







下区の御柱と道祖神






歳神様の依り代、正月だけのランドマーク。





中村区の御柱と道祖神



抱肩握手像






上区の御柱と道祖神





女神は酒器を、男神は盃を持ち、もう片方の手を相手の肩に置いています。抱肩握手像や祝言跪座像ならよく見かけますが、このようなミックスタイプはあまり見たことがありません。

女神は無理な姿勢に見えますが・・・。


 


石碾き蕎麦 水舎本店のやまっちそば

2016-01-05 | A あれこれ



■ やまっちそば、5店舗目は唐沢そば集落の「石碾き蕎麦 水舎本店」。そばのゆで加減、つゆの味共に私好み。そばの風味良し、のど越し良し、美味かった。

写真も上手く撮れた、と自己満足。そばの光沢まできちんと写れば尚良いのだが、店内の照明にも因るだろうし、カメラにも因るだろう(と自分の技術は棚に上げる)。


石碾き蕎麦 水舎本店:長野県東筑摩郡山形村下竹田7249
やまっちそば:894円


591 姿を変えた三郷北小倉の火の見櫓

2016-01-05 | A 火の見櫓っておもしろい


591 撮影日160105

 安曇野市三郷(旧三郷村)北小倉のこの場所には以前下のような火の見櫓が立っていた。今日行ってみると3角櫓から1本柱へとその姿を変えていた。鋼管柱のてっぺんに等辺山形鋼の腕木を付け、そこへ半鐘を吊り下げてある。半鐘は以前と同じものだろう。木槌も同じものかもしれない。

火の見柱として残してもらっただけで好しとしよう。隣に新たに建てられた防災行政無線柱だけで事足りるのに・・・。


201112撮影


 


― 波田の貫通型火の見櫓 

2016-01-05 | A 火の見櫓っておもしろい



 松本市波田(旧波田町)の国道158号沿いに立つこの火の見櫓は脚が消防倉庫のフラットスラブを貫通している。

貫通というと串団子のように団子を串が貫くように、先にあったスラブを後から火の見櫓の脚が貫いたという意味になるが、もちろん施工の順序は逆。

先に火の見櫓を建て、後からコンクリートブロック造の消防倉庫を施工している。火の見櫓の脚部に型枠、鉄筋を組み、そこへコンクリートを打設している。

昨年はここを何回も通ったが、その度に中が見たいと思っていた。今日(5日)、偶々通りがかった時、消防倉庫のシャッターが開いていたので初めて中の様子を見ることができた。  

新年早々、運がいい。






山形村の貫通型火の見櫓
 


読書始め

2016-01-04 | A 読書日記

 今年の読書始めはこの3冊。



『東と西の語る日本の歴史』 網野善彦/講談社学術文庫 

再読。初読は2009年12月。(過去ログ

日本人は「南北」より「東西」をより強く意識しているのではないか、と思う。(過去ログ) このことを裏付けていそうな本、証拠立てていそうな本を探して読みたい。

**中国大陸を強く意識して日の出る東の方向にあることを強調する意味で定められた**(上掲書5頁)「日本」という国名。山頂で御来光を拝む登山者。

東から昇り西に沈む太陽の動き、この東西の軸線を強く意識する日本人の心性。京都の地下鉄に東西線と名づけても南北線とはつけずに烏丸線とつけたのも、この顕れ?




『神と自然の景観論 信仰環境を読む』 野本寛一/講談社学術文庫

**日本人はどんなものに神聖感を感じ、いかなる景観のなかに神を見てきたのだろうか。(中略)古代人は神霊に対して鋭敏であり、聖なるものに対する反応は鋭かった。「神の風景」「神々の座」は、常にそうした古代的な心性によって直感的に選ばれ、守り続けられてきたのである。**(6頁)

日本人の自然感をこのような視点で読み解く興味深い試み。




『無事、これ名馬』 宇江佐真理/新潮文庫 

**吉蔵は町火消し「は組」の頭。火の手が上がれば、組を率いて駆け付け、命懸けで火事を鎮める。**

今年は宇江佐真理さんの時代小説を読んでみようと思う。何冊も並んだ書店の棚からこの本を選んだのはカバー裏面のこの紹介文を読んだから。火の見ヤグラー故の選択。

文春文庫の「髪結い伊三次捕物余話」シリーズも今年読みたいが、他にも読みたい本がたくさんあるからどうなるか・・・。


 


「芸術缶」

2016-01-03 | A あれこれ



■ 初詣の善光寺でお札を、その帰路で八幡屋磯五郎本店で七味唐辛子を買い求めた。よく知られたデザイン(左)ではなく、長野市芸術館の開館を記念する「2016年イヤーモデル芸術缶」が欲しかった。

パッケージには**竣工から五十年、惜しまれつつ幕を下ろした〈長野市民会館〉のその地に、二〇一六年、新しく〈長野市芸術館〉が開館します。長野市芸術館は、新市役所との複合施設で、音楽を主目的とした1300席の〈メインホール〉、音楽専用300席の〈リサイタルホール〉、平土間ボックス型小劇場の〈アクトスペース〉、三つの専門性の高いホールに加え、各種練習室等、市民の芸術活動を支援する部門を備えています。**という簡にして要を得た説明文が付いている。

長野市芸術館の設計者は槇 文彦さん。槇さんは新国立競技場のザハ・ハディドの未来的なデザインに異を唱えたことで知られてもいる。過去ログ

昨年末、新しい長野市芸術館の見学会があったが、残念ながら参加できなかったから、まだ外観すら見ていない・・・。槇さんはモダニストだから、その場所の歴史的・地理的な文脈を意識した建築を期待するのは無理。知的で美しい建築が完成しているだろう。敷地が狭いということが気になるが・・・。

昨年も一昨年もクラシックを聴きたいと思っていながら、果たせなかった。今年は槇さんの長野でも、伊東さんの松本でも、柳沢さんの上田でもどこでもいいから聴きたい、いや聴く。


長野市民会館 過去ログ

2016年イヤーモデル芸術缶 420円



 


新国立競技場A案+B案=長野駅!?

2016-01-03 | B 繰り返しの美学







■ 今年も善光寺へ初詣に出かけた。すっかり様変わりしたJR長野駅善光寺口の外観を見て気がついた。新国立競技場のA、B両案を折衷すればこうなる! と。

隈研吾さんのチームが提案した新国立競技場のA案は法隆寺の五重塔の上方への屋根の繰り返しと水平方向への垂木の繰り返しに和の美を見い出し、それを軒天井の格子に表現した。

一方、伊東豊雄さんのチームが提案したB案は諏訪の御柱など、柱の祝祭性に注目し、それを72本の列柱によって表現した。

JR長野駅善光寺口の大庇はA案とB案両方の「和」の表現を既に取り入れてデザインされている。天井の格子の繰り返しはA案、列柱の象徴性はB案そのものだ。

黒川紀章さんもかつて福岡銀行でこのような大庇を設計し、それを外でも内でもない中間領域だと位置付け、アーバンルーフと名付けていたことを思い出した。 

長野駅に新国立競技場の両案を見る。このようにオリジナルな視点でものを見ること、ものを捉えることができるとおもしろい。


 


― 半鐘叩き装置付きの火の見櫓

2016-01-02 | A 火の見櫓っておもしろい



■ 善光寺の参道、仁王門脇に立っている火の見櫓を望遠する。半鐘のところをよく見ると、何かある!



これは地上で操作する半鐘叩き装置、火の見櫓に登ることなく半鐘を叩くことができる。



細いワイヤーが脚元に設置されたハードケースまで伸びている。



いたずら防止のために設置したと思われるケースをもちろん勝手に開けてみるわけにはいかない。この中にワイヤーを引くリングが入っているのだろう。いつ設置されたんだろう・・・。2014年5月に撮った写真には写っていない。





武井神社の狛犬

2016-01-02 | C 狛犬



 今年もまた善光寺へ初詣に行ってきた。長野駅からバスで向かう。バスの窓から鳥居が見えたので、そのまま注視していると鳥居の正面から狛犬も見えた。

ここは長野市東町の武井神社。鳥居脇の案内板を見て御祭神は健御名方神だと知る。大国主神の御子神で、長野県内にはこの神様を祀ってある神社が少なくない。





御柱を寅と申の年にしているということだから、諏訪大社と同じだ。拝殿は新しい。4、5年前に建て替えられたばかり。



欅の虹梁などは前の古い拝殿のものを再使用しているようだ。





大正15年5月の建設と分かるが、狛犬だと新しい部類になるだろう。姿・形は整っているがあまり個性的とは思われない。



拝殿後方に回って本殿を見たが、本殿も改修されていた。

今年で11回目の善光寺初詣となるが、同日に神社参拝をしたのは今年が初めて。