透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

上波田地区の歴史を知る

2016-01-07 | A あれこれ



 松本市波田の上波田地区が江戸時代に信濃日光と呼ばれる程栄えていたなんて全く知りませんでした。室町時代には城下町だった!なんて驚きです。

上波田ってどこ?な方、ローカルな地域の記事です。アルピコ交通上高地線の終点、新島々駅に近い地区と書けば、この路線を利用して上高地に行ったことがある方でしたら、どの辺りか見当がつくかもしれませんね。

先日(5日)ここを訪ねてみました。



この仁王門はかつてこの地の少し奥にあった若澤(にゃくたく)寺の遺構だそうで、阿吽2体の木造の金剛力士像(仁王尊)は県宝に指定されています。



はしかが流行った時、この仁王尊の股の下をくぐったら、はしかが軽く済んだとの言い伝えがあり、毎年4月の中旬にこの仁王尊の足元を小さな子どもをくぐらせるという行事、「仁王尊股くぐり祭り」が行われています。





仁王門の先にこの覆堂があり、納められている田村堂は国の重要文化財に指定されています。





覆堂正面の格子扉のガラス越しに田村堂を撮りました。屋根を葺いている板の厚さを確認しませんでしたが、説明板に屋根杮葺(こけらぶき)とありますから、薄い板なんでしょう。この杮という字は柿とは違うということを昔授業で教わったことを思い出しました。説明板に建築年代が室町時代末期と推定される、とあります。木の文化、技術のすごさを示す細工ですね。





若澤寺は真言宗の寺院




阿弥陀堂



青面金剛立像



見ざる 聞かざる 言わざる の三猿は庚申の夜に天帝にチクらないでね、という庶民の願いの表現。



こんな案内板もありました。

若澤寺は明治初期の廃仏毀釈で取り壊されてしまったそうですが、一山覆うような寺院建築群が残っていれば世界遺産クラスだったでしょうに・・・。

 



仁王門の手前に道祖神がありました。このような祝言跪座像はよくあるタイプです。

裏面に彫り込んである文字は「天保十三壬寅年正月日 新田村中」と読めました。西暦1842年、江戸末期に祀られた道祖神です。


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