■ 昨日(9日)、所用で辰野町に出かけました。集合時間は午前9時。7時過ぎには辰野町の到着して既にアップした火の見櫓を見てまわりました。休戸(やすど)の火の見櫓の近くに石碑が何基も並んでいました。
この庚申塔の裏面には安政七年二月廿三日 休戸中 と彫ってありました。安政7年(1860年)は庚申の年です。書のことは分かりません。でも、存在感のある文字です。
こちらは二十三夜塔。大正9年と彫ってありました。
昔は庚申講や伊勢講、富士講、御岳講など、いくつも講が組織されていました。これらの講を今も続けていることろもあるようですが(私の鄙里にも伊勢講や庚申講を続けているところがあります)、宗教的な意味合いは薄れ、親睦会のようなものと捉えてもかまわないと思います。
過去ログ
地域力などと表現したくはありませんが、昔は講などによって、地域が強く結ばれていたんですね。