透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「研ぎ師太吉」を読む

2024-06-25 | A 読書日記


『研ぎ師太吉』山本一力(新潮社2007年12月20日発行、2008年1月25日2刷 図書館本)を読んだ。読後の感想としてプレバトの「がっかり」は厳しすぎるかもしれない。さりとて「お見事」というわけにもいかない。それはなぜか・・・。

長屋暮らしの腕利きの研ぎ師太吉のところに持ち込まれた出刃庖丁(小説では包丁ではなく庖丁と表記されている)。持ち込んだ若い女性はかおりと名乗り、出刃庖丁は料理人だった父親が使っていた形見だと言う。

**「おとっつあん・・・・・喧嘩相手に、小名木川の暗がりで殺されたんです」**(17頁)本所の料亭で板長に就いたかおりの父親が同じ調理場の料理人を厳しく叱ったために、その料理人から殺されたのだとかおりは言う。

ここからものがたりは、事件の真相を明かすべく動き出す・・・。

主人公の太吉が料理人の使う庖丁を研ぐ仕事をしているだけに、ものがたりには老舗料亭の板長や太吉が通う一膳飯屋のあるじといった庖丁遣いの職人が登場する。他に庖丁をつくる鍛冶屋の職人。それからかおりの他にも飯屋七福の娘・おすみ、太吉の奉公先で働いていた香織という若い女性たち。もちろん事件を解決する同心、目明し、下っ引きも。

ぼくがこの小説を「お見事」というわけにはいかない、厳しすぎるかもしれないけれど「がっかり」としたのは、別件逮捕した男に拷問を加えて自白させ、事件を解決するという終盤の流れに因る。これが読後感を悪くしている。太吉自らの名推理、活躍によって見事に事件が解決されると期待していたので、がっかり。

太吉と登場する娘たちの誰かとの関係が恋に発展するのかと思いきや、淡雪のごとく消えてしまうし・・・。太吉が殺人容疑をかけられたかおりの容疑を晴らして、ふたりは結ばれると予想していたが、それはなかった。香織が離縁されそうだと知り、かおりではなく、香織と結ばれるのか、とも思ったが、そうもならなかった。

**「わけえということは、あれこれ選り好みができるということだが、そろそろ、てめえの気持ちに正直になって落ち着いたほうがいいぜ」
あれはいい娘だ・・・・
代吉は、だれとは言わずに太吉を見詰めた。(後略)**(285頁)ラストがこれでは物足りない。で、がっかり。

このふたつのがっかりがなかったら、かなり甘いけれど「お見事」としたかも。ミステリーも恋も中途半端なのだ。もちろんこれは私見。読後に「お見事」とした読者も少なからずいただろう。


**両国橋のたもとの火の見やぐらが、擂半(近所の出火や異変を報せるために、半鐘を続けざまに叩くこと)を鳴らした。**(44頁)
**仲町の辻には高さ六丈(約十八メートル)の江戸で一番高い火の見やぐらが立っていた。櫓の側面は、黒塗りである。**(185頁)

火の見櫓が出てくる小説として記録しておかなくては。


 


松本の火ノ見場

2024-06-25 | A 火の見櫓っておもしろい

 
 松本市立博物館で「明治十三年六月 御巡幸松本御通図」を見た。明治天皇の松本行幸の様子が描かれている。写真はその一部分で右上に女鳥羽川左岸にあった開智学校が描かれている。

私が注目したのは火ノ見場。その部分を切り取った写真を下に載せる。開智学校との位置関係から本町通りと判断できる。高さ10m超と思われる火の見櫓(火ノ見場)が描かれている(絵図中に火ノ見場という表記あり)。

 
錦絵には1880年(明治13年)6月に行われた行幸の様子が描かれているのだから、この火の見櫓はそれ以前に建設されたことになる。木造で黒い壁は押縁下見板張りであろう。江戸時代の火の見櫓の仕様と変わらないだろうという推測から。火の見櫓の脚元には柱が何本か描かれているように見える。この錦絵にどのような説明文が付けられていたのか、確認しなかった。機会をみつけてもう一度出かけて確認したい。

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国立国会図書館デジタルコレクションより


常設展示室の松本城下のジオラマ(この写真に限り2023.10.25に撮影した)には火の見櫓はない。1657年の明暦の大火の翌年、江戸城下に初めて火の見櫓が建てられ、火の見櫓の歴史が始まったのだが、江戸時代後期(ジオラマは1835年(天保6年)の絵図などを基にしている)の松本にはまだ火の見櫓は無かったのだろうか・・・。