透明タペストリー

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「日本の建築」を読む

2023-12-12 | A 読書日記

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朝カフェ読書@スタバ 2023.12.10

 『日本の建築』隈 研吾(岩波新書2023年)読了。建築について書かれた本はできるだけ読もうと思う。新書に限定するわけではないが、建築関連の単行本は高くて・・・。

一昨日(10日)スタバで朝カフェ読書。『日本の建築』隈 研吾(岩波新書2023年)をメモをとりながら読み始めた。で、昨日(11日)は朝からずっと読み続け、夕方に読み終えた。メモは9頁にもなっていた。

先日読んだ『教養としての建築入門』坂牛 卓(中公新書2023年)について、**論理的なものの考え方から導き出された構成、そして文章。文章に冗長なところは無く、読んでいて海図なき航海を強いられていると全く感じない。目的港に最短コースで進んでいく。それ故、読んでいて物足りなさを感じないわけでもない。勝手なものだ。**とブログに書いた(過去ログ)。

『日本の建築』は明治から今日まで日本の建築が辿ってきた道程を鍵となる建築家の活動や作品を通じて論じているが、読み物としてなかなかおもしろかった。

「物語」は隈さんが父親から見せてもらった小さな木箱の話から始まる。デザインしたのはブルーノ・タウト。ヒトラー政権から危険視され、収監を恐れて日本に逃れてきたタウト。このドイツの建築家は桂離宮を絶賛し、日光東照宮を悪趣味だと批判したことで知られている。隈さんが物語に最初に登場させたのはこのブルーノ・タウトだった。

それから何人もの建築家を登場させている。伊東忠太、ライト、コルビュジエ、ミース、藤井厚二、堀口捨巳、吉田五十八、村野藤吾、レーモンド、前川国男、吉村順三、丹下健三、磯崎 新、黒川紀章・・・。

隈さんは最後に一体誰を登場させているんだろう・・・。物語の結末を早く知りたくて最終第Ⅳ章の途中からはメモを取らずに速読した。

**学生は自分のデザインをパネルを使って数分間で説明し、教授たちがそれに対して意見を述べる。**(210頁)物語の最終章で語られる隈さんが学生時代のこと。隈さんの作品に対していつも最も批判的で手厳しいコメントを浴びせかけていた二人の教授。**「君は使い手のことを考えたことがあるのか!」(中略)「これどうやって作るの?」**(211頁)隈さんが物語の最後に登場させたのは建築計画学の鈴木成文教授と建築構法学の内田祥哉教授だった。隈さんは自分の作品をいつも酷評した二人を天敵と感じていたと告白している。

だが、世の中に出て仕事を始めていくと・・・。**建築計画学と建築構法学の中にこそ、日本の建築が直面する様々な分断を解決する鍵が潜んでいるように感じ始めたのである**(211頁)と書いている。そして建築構法学についてかなり頁を割いて解説している。

物語の最後に、バブルがはじけて東京での仕事が無くなった時に高知県の梼原町(*1)に出かけた隈さんがそこで木造建築と出会い、木造建築の設計を通じて学んだというエピソードが書かれている。そのエピソードにぼくは感動した。

ぼくはこの本を読むまで隈さんが内田研のOBだということを知らなかった。隈さんが建築構法学のことを最後に取り上げて「物語」を終わらせたことがうれしかった。内田研OBの教授の研究室で建築構法学についてあれこれ考えていたという私的な事情で。

親和性

モダニズム建築は場所(具体的に挙げるなら場所が持つ自然環境、社会的環境、歴史、文化)との関係を断ち切ることで成立していた。そうでなければ世界中にモダニズム建築が出現することはあり得ない。だが、今また場所の文脈と繋がる建築が求められる時代になってきている。きのこは生育環境が整っている場所にしか生えてこないし、育たない。建築もそうあるべきではないか、と。

建築関連の新書を3冊続けて読んでこんなことを考え、場所との親和性ということばが建築のあり様を示す概念として浮かんだ。要は建築が場所と仲良く繋がっているかどうか、ということだ。下の写真の民家のように・・・。


高知県梼原町にて 1980.03  

**円柱形という純粋な幾何学的形態だけを組み合わせた抽象的な形はモダンであったが、欅の質感が暖かく感じられて、モダンデザイン特有の冷たさ、硬さはなかった。**(3頁) 隈さんが物語のはじめのエピソードで紹介したタウトがデザインしたという木箱は、モダニズム建築の今後のありようを示しているように思う。


*1 梼原町には1980年に行ったことがある。過去ログ


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