■『華岡青洲の妻』有吉佐和子(新潮文庫1970年1月30日発行、2025年1月20日78刷)を読んだ。
江戸時代の紀州。世界で初めて全身麻酔による乳癌の手術に成功した医者、華岡青洲。青洲による麻酔薬の危険な人体実験に競って身を捧げた青洲の妻と母。青洲を愛するが故の嫉妬による争い。
しばらく前に読んだ『青い壺』、その第四話で有吉さんは財産争いを描いている。実家に来て母親に嫁ぎ先の財産争いのことを話す娘。
**「(前略)下のお姉さんは、私は貸衣裳で結婚式あげたって言い返すわ、中のお姉さんは、結婚するとき大きいお姉さんの振袖借りようとしたら断わられたって今頃になって言い出すし、ね。大きいお姉さんに言わせると断ったのは姑で、私は知らないってことになって」
「やれやれ」
「大きい兄さんが目を据えるみたいにして、ときに姉さん、持参金はいくら持って行ったんだい、なんて訊くしねえ」
「嫌だわねえ」
「私、姉さんも妹もいなくて本当によかったと思ったわ。中の姉さんって下の姉さんより貧弱な嫁入支度だったって、そこまで問題にするのよ。(中略)出産祝いは一番多く受け取っている筈だってまぜっ返すのよ。もう滅茶滅茶だった。百カ日まで、集まってはそんなことばっかりやりあってたんですもの、おかげで私まで、くたくただわ」**(77,8頁)
長々と引用したのは、有吉さんが、このように家庭内の争いをよく知り、それを描くのが実に上手いということを知って欲しかったから。『華岡青洲の妻』でも、ふたりの女の争いが描かれる。
**「(前略)お堅い御家風の中でまめやかにお育ちと伺(うかご)うております加恵さんを、震の嫁にはこのひとよりないと見込んで伺いましたのでございますよってに」**(22頁)
震(後の青洲)の母親(於継)に強く請われて嫁いだ加恵。それが・・・。
**母親は、妻には敵であった。独り占めを阻もうとする於継の無意識の行為もまた嫁に対する敵意に他ならなかった。**(75頁) と、有吉さんはストレートな表現をここではしている。
ものがたりの終盤。於継は既に亡くなっている。有吉さんは加恵の義妹に次のように言わせる。
**「(前略)お母(か)はんと、嫂さんとのことは、ようく見てましたのよし。なんという怖ろしい間柄やろうと思うてましたのよし。こないだもお母はんの法事で妹たちが寄ったとき、話す話が姑の悪口ばかり。云えば気が晴れるかと思うて、云わせるだけ云わせて聞き役してましたけども、女(おなご)二人の争いはこの家だけのことやない。どこの家でもどろどろと巻き起り巻き返ししてますのやないの。(後略)**(215頁)
この小説が発表されたのは1966年、およそ60年前のこと。だが、今もその頃と、嫁と姑の関係の根っこの部分、心の奥底の嫉妬心は変わらないのかもしれない。このことが今尚この小説がよく読まれているということの証左、ではないか。
『有吉佐和子のベスト・エッセイ』(ちくま文庫)に『華岡青洲の妻』について書いたエッセイが収録されている。手元にないので、記憶に頼るが、美談の陰の嫁と姑の争いはそっと隠しておいて欲しかった、というような文章(だったのか、記憶が曖昧だが)を目にして(耳にしてだったかもしれない)、有吉さんは嫁と姑の争いは醜くない、と書いていた。
読み終えて思った、有吉佐和子はどんな人だったんだろう、と。『女流 林芙美子と有吉佐和子』関川夏央(集英社2006年)。図書館でよい本を見つけた。早速、本書の後半「有吉佐和子的人生」を読もう。