透明タペストリー

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「木精」北 杜夫

2021-03-25 | A 読書日記

『木精』北 杜夫(新潮文庫1979年)、初読は1981年9月でその後再読を重ね、今回が7回目の再読(*1)。



人妻との不倫関係を清算するためにドイツに留学した青年医師が、帰国する直前トーマス・マンゆかりの地を辿る旅に出る。旅の終りに作家として生きることを自覚して『幽霊』を書き出す・・・。

不倫関係の清算などと書いてしまうと、なにやら俗っぽい小説のようだが、たまたま恋した女性が既婚者だったということだ。それはあたかも初恋物語のように初々しい。これぞ純文学。

**追憶はたちまちに訪れ、しばらくのあいだたゆたい、そして静かに消え去っていった。**(191頁)とあるが、この小説では現在と過去の追憶が織り合わされるように綴られている。**

**心の神話、いわば心理的な自伝ともいうべきものを、ぼくはどうしても書いておきたかった。**(256頁)、『幽霊』も、そしてその続編であるこの『木精』も、このような動機で成された作品だ。
 
**ぼくは椅子にかけた女に近づき、その腕を調べようとして、なにげなくその顔立ちを見た。すると、幼いころから思春期を通じて、ぼくが訳もなく惹きつけられていった幾人かの少女や少年の記憶が、たちまちのうちに、幻想のごとく立ちのぼってきた。あの切り抜いた少女歌劇の少女の顔にしても、たしか片側は愉しげで、もう一方の片側は、生真面目な、憂鬱そうな顔をしてはいなかったか。その女性―まだ少女っぽさが残っている彼女の顔は、あの写真の片面同様、沈んで、気がふさいで、もの悲しげだった。**(33頁)

蕁麻疹の治療のために往診して初めて会った女性の最初の印象はこうだ。若かりし頃、僕が惹かれていた女性に通じ、読むたびに魅かれる一文。

**君を愛したということは、或いはぼくの人生が表面的な不幸の形で終るにせよ、なおかつ幸福であったといえることにつながるのだ。倫子、ではさようなら。ぼくは自分のもっと古い過去の時代に戻っていかねばならない。それを書き造形することがぼくの孤独な凍えた宿命なのだから。**(262頁)

物語の終盤でこの恋を主人公はこのように総括する。そして『幽霊』を書き出す。

引用文中の下線は私がひいた。


*1 1981年9月 1996年5月 2000年6月 2006年9月 2012年3月 2015年3月 2021年3月

『木精』は繰り返し読むうちに製本がダメになり、本がバラバラになってしまいそう。この文庫本での再読は今回が最後。